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鉄道全線完全制覇の旅」のホームページ版こちらよりどうぞ。過去に制覇した路線の記録を紹介しています。


私が過去に制覇した路線の旅行程こちらより。小学校時代に訪問した東京近郊等は記録されておりません。1982年以降の、記録が残されている旅を記録しました。

★2016年1月に訪問した「よろしく哀愁。よろしく九州」の旅行程を追加しました

西寒川駅」のみを特化しホームページを開設してます。こちらからどうぞ。西寒川駅には特に強い思い入れがありました。西寒川駅の過去、そして現在をまとめてみました。


YAZAWAを愛する「古川屋台・ソウヅ」さんのブログ「酒と野宿と…yazawaとカブと…」はこちら
バリバリの「E.YAZAWAチック」な店内は、ファンでない方でも気さくな「あるじ」が快く迎えてくれる事でしょう。



私の詳しいプロフィールはこちらより


☆当ブログに掲載されている画像について、管理人撮影のものに関しての著作権は全て管理人にあります。ご使用になりたい場合はご自由に使用されてかまいませんが、引用元を記されていただくと幸いです。
しかし私の写真以外つきましては引用元を全て記載しておりますので、そちらの管理人様との交渉となります。

ダイナミック☆トナカイの写真につきましては私にご連絡いただいて本人に確認を取りましてからのご返答となりますのでよろしくお願いいたします。
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新年のご挨拶 2017

新年、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。



毎年この時期になると私は憂鬱になる・・・なぜか?それは年末から新年にかけて私は休むまもなく労働しているからである。実はこの時期が一番の「稼ぎ時」なのであるから・・・

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(多分今後貴重な写真になてくるであろう越後湯沢にて。もしかしてお蔵入りになるかも知れないのでアップしてみた。2014年3月の訪問なのだが、当然なのか必然なのか、まだまだ雪化粧の「越後」である。)

それはさておき、皆様は「レッドウォーリアーズ」というバンドをご存知か?そう、私のハンドルネーム「ダイヤモンド☆トナカイ」のモデルになった・・・いや、モチーフした「ダイアモンド✡ユカイ」がボーカルのロックバンドである。1980年代に活躍したので若い世代は伝説となっているであろうが、最近はダイヤモンド✡ユカイのバラエティ番組での活躍が目立ち、さながら「お笑い芸人」的な印象が強い。だがしかし、彼は正真正銘のロックンローラーである。

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(こちらも越後湯沢にて。現在の「北越急行」はどんな風景なのか。近い将来確認しに行ってみたい。)

ところで私は最近、昔を思い出し「バンド活動」を再開した。特に私はひとりでスタジオにこもってベースを弾きまくるのが実に気持ちいい。その時に決まってコピーする楽曲が「レッドウオーリアーズ」である。あっ、言い忘れていたが、私はかつて音楽活動をしていてベーシストであるが、傍から見たら実に似合わない姿だと思う。もう10年以上音楽から離れていたから、こういった活動が実に新鮮である。だが、コピーするレッドウオーリアーズは、私は特に思い入れがあるバンドでも無く、好きなバンドは「キャロル」や「暴威(BOOWY)」「プリンセス・プリンセス」などだ。だからコピーする場合はこれらの楽曲をセレクトするのが自然であるが、なぜかレッドウオーリアーズなのである。なぜか?それは演奏していて実に楽しいからだ。もちろんかつては「ガンズ」や「キッス」「エアロスミス」など洋楽方面もコピーしていたしオリジナルもやっていた。

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(北越急行はもちろんだが、上越新幹線の将来も気になるところ。今後の予定に注目したい。)


というより、レッドウオーリアーズは自身が好きになったバンドではなく、バンドメンバーがセレクトしたアーティストだ。だからどちらかというと「好きな曲」というより「課題曲」の印象が強い。だから、例えばレッドウオーリアーズの楽曲各種はベースラインで覚えている。歌詞がどうとかギターのリフがどうとかよりとにかくベースラインで曲を覚えてる。それは今でも変わりない。だからダイアモンド✡ユカイやシャケに特別な思い入れなどは無いが、逆に試し弾きするときは決まってレッドウオーリアーズの曲になるという不思議な現象が起こる。

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(続いて水上。「温泉」として有名処であるが、レールファンとしてはある意味「ボーダーライン」の意味合いが強い。)

実は私が音楽をやるきっかけとなったのは「女にもてたい」という単純な動機からだ。だから「ガラスの」10代のころ、実際に自身が楽しんで音楽をやっていたかどうかというとやや問題があった。今になって改めて何十年ぶりかでスタジオに入って音を出す・・・そこには実に楽しんで演奏している自分がいる。よく昔はあんなに多くの曲をコピーしたものだ。スタジオでは5~6曲くらいしか用意していないが3時間みっちり演奏すると実に充実感!これは「女にもてたい」とかの理由でやっているのではない。そう、自分自身のためである。

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(一応、私の住処からは日帰り圏内である。しかしながら「18」が無いととんでもない料金になるのは玉に瑕・・・」

私はかつて音楽活動をしていた時に鉄道から離れていたが、鉄道趣味を久々にカムバックさせた時、やはり懐かしさと旅を楽しむ自分がいた。それは「女にモテたい」ではなく自分自身が楽しむためのものである。
そう、つまりそれは何をやるにも「自分がどれだけ楽しめるか」という事。列車に揺られ旅をするにも、スタジオでベースを弾くにも、やはりそこには「楽しむ」というキーワードが絶対的に存在しなければいけないと思う。それは「女にモテたい」ではなく自身のため、自身がいかに楽しめるかが大事だ。もちろん、「女にモテたい」という気持ちで音楽をやれば、それは上っ面だけのものになりむしろ女にモテるという事がそう多くないであろう。スタジオに入って演奏していると、そういった昔の自分との再会もあった。だが今は違う。いかにして自分が楽しむか。鉄道旅も同じである。

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(偶然ながらSLの運転があった。長いブランクのあった私が見ると、この景色もなんだか新鮮!)

私のブログをご覧になって、例えば1980年代の旅を皆様はどうお感じになられているのであろうか。ある意味、羨む場面もあろうかと思うが、当時の私の気持ちとしては「いい旅チャレンジ20000km」の義務みたいなものがあり、とにかく「制覇する」というこだわりが強かったため、旅そのものを楽しんだ部分というのがあまりなかった印象である。もちろんまだ中学生くらいであったため「旅の楽しみ方」というのがわからなかった部分もあろうが、基本的には「旅をこなす」印象が強かった。もちろん、結果的に貴重な旅をしているが、やはりまだまだ子供であった。
今は列車に揺られ旅をするのも、スタジオでベーシストに変身するものひとつひとつ楽しみながらチャレンジしている。いや、楽しんでやってやる!みたいな気持ちだから飽きないのかも知れない。
私のブログに訪問なされている皆様は、鉄道というカテゴリーに少なからず多からず興味をお持ちの方がほとんどであろう。そして鉄道というジャンルを楽しみながら触れ合っている事であろう。

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(いつの日か「上越線全駅訪問」でもやってみたい気持ちである。)

要するに何を言いたいのか?それはきっかけがどうあれ、自身にやりたい事があるか、楽しめるものがあるかどうかだ。鉄道と一緒にいる時、時間の経つのを忘れていませんか?それ、非常に重要。というより、自身に夢中になれるものがあるかどうか?これ重要。やる事がある・・・これは人生において非常に重要であり素晴らしい事である。やる事がなくなったら人生面白くない。熱くなれるものがあるかどうか。それがあるかないかでその人のカラー、いや、オーラみたいなものが全然違ってくると思う。
自分自身のため・・・そう、私は人のために鉄道を趣味としているのではない。あくまで自分自身のためだ。これからも私は自分自身のために鉄道旅を続けていく事であろう。そんな旅を皆様に紹介していき、そしてそれを表現できたらそれは最高に素敵なことであろう。これからもそういう旅をしていきたい。


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テーマ : 鉄道の旅
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一筆書き乗車

一筆書き乗車・・・私はかつて、小学校の卒業文集で「一区間乗車」というタイトルで文面を寄せている。「大回り乗車」とも言うが、ここでは「一筆書き」で統一して話を進めてみよう。

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(鶴見線と言えば、私が小学校の頃までは旧型国電が活躍した。特に大川支線は1996年まで活躍。ある意味スゴイ出来事だ。)

「一筆書き」とはレール事情に詳しくない方のために少々補足説明させて頂くと「出発地から目的地までの運賃計算に関して、実際の乗車経路に関わらず最短距離で計算する」というJRの運賃計算ルールがある。という事はつまり、わかりやすく言うと、東京から神田までの乗車券を買い、山手線外回りで東京から品川・渋谷・池袋などを経由して遠回りで神田に向かうが料金は内回りのまま、という事である。それを拡大解釈したものが一筆書き乗車という事だ。私が「小学生の卒業文集で文面を寄せた」という事は1970年代後半にはそういう概念が世に出回っていた事であろう。しかも小学生が知っているのであるからその事柄は既に一般的であったのだろう。

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(こちらも大川駅にて撮影。恐らく晩年と思われるが、私が注目したのは貨物側線である。雑草などの「障害物」が無いのを考えると、まだまだ貨物がそれなりに健在であった時代なのであろう。)

小学生当時はかなりこの手法で首都圏の鉄道路線を巡っていた。もちろんそれは国鉄(当時)に限られるが、ちょうどその頃「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーンが始まり、その一筆書きの人気に拍車をかけた感じだ。そして私も「いい旅~」のガイドブックを片手に首都圏を中心に乗りつぶしたり上野駅などに写真を撮影に行ったものだ。
1980年代、RJ社(当時)発行の「旅と鉄道」というレール雑誌では、この一筆書き乗車に関してかなり盛り上がった記憶があったのでバックナンバーを引っ張り出し確認してみた。それは私がこのブログで度々紹介してる「種村直樹の汽車旅相談室」での事である。その内容というのは、一筆書き乗車中に例えば相模線の寒川支線(当時、現在は廃止)に乗車したくなった場合、別途寒川~西寒川の往復乗車券を買い往復するのは有効か?みたいな内容である。この話題は大きな反響を呼び様々な論議が飛び交った。このコーナーの管理人である種村氏は「西寒川支線や鶴見線枝線の乗車は可能」とハッキリ言っているし、それこそ鶴見線で実際に全ての支線を堂々と乗車した者もいるとも記され、そう判断した車掌も立派とも記されていた。つまり、東京から神田までの乗車券で東海道線や相模線を経由し、途中で終端駅がある支線を往復するという事は「可能」だ、という内容である。

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(私が小学生高学年になるとご覧の列車が活躍し始めた。いよいよ鶴見線も近代化の波が押し寄せた印象であった。)

この件の種村直樹氏の回答のタイトルは「違法ではないが感心しません」であったが、次回では色々な読者の規則解釈の例を挙げ、結局「規則上も解釈上も疑問で、やめよう」に変更している。種村氏と言えば、当時はこの「旅と鉄道」の自身のコーナーでかなりの「鉄道規則」を駆使し自らをアピールしていた感があった。このコーナーの記事を読んだ当時中学生であった私は「やたら規則に詳しい人だな」と感心していたが、今回の件に関しては、回数を跨いで解釈を変更するのは珍しい部類であった。つまり普段から規則・規則と言っていてもこの件に関してはかなり気持ち的に揺らいでいたのであろう。やはり最終的には個人の解釈の仕方であるのかなという私の印象であった。

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(こちらは南武支線側の浜川崎である。浜川崎といえば南武支線側の駅にはかつて駅員が配置されていた。一筆書き乗車の際は、中間改札のある鶴見と共にひとつのポイントとなる場所であった。)

さて、皆様はこの「一筆書きによる別途乗車」をどう感じるであろうか。私的にはやはり「違法」であると思うし、現在では「青春18」やその他フリーきっぷも多数存在する。そういう切符を駆使し、堂々と鉄道路線を巡った方が肩身の狭い思いをせずに済むであろう。そして楽しさも倍増する。私自身も一筆書きの経験はあるし、一筆書き自体を否定する気持ちは毛頭ない。だが、やはり鶴見線が最大のネックとなり冒険でもあった。事実、浜川崎で南武支線から鶴見線に乗り換える際に駅員とトラブルがあった。当時小学生であった私はあえて一筆書きのルールなど駅員にいちいち説明しようとは思わなかったし時間もなかったので正規料金を支払い改札を通過したが、やはり後味が悪く肩身の狭い思いをした。だからこそ言えるのであるが、やはりそういった「規則」などにこだわるよりも、フリーきっぷなどで堂々と巡ったほうが清々しい。そしてなにより「規則」を連呼していた種村氏でさえこの時は規則を「解釈の仕方」的なニュアンスになっていたから尚更だ。規則って何だろう・・・

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(そしてこんな電車も活躍していた。首都圏において近年ではすっかり姿を見ることができなくなってしまったが、確かにかつては首都圏の「主役」であった。)

現在ではマスルが進化し、切符の発行が完全に自動化されているので、それこそショッピングモールなどにある旅行会社などでも気軽に切符が購入できるようになった。近年の鉄道路線乗り潰し等で私はこうした場所でよく切符を購入していた。が、やはり私の買う切符はある意味特殊でマニアックの場合が多かったため、売り手もかなり悩む場面があったと思う。しかしながら嫌な顔ひとつせずに私の要求に抜かりなく答えてくれたのが今でも嬉しく感じるし感謝の思いである。だからこそ「いい旅を」と逆に行く前から胸が膨らむ。

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(そしてこんな電車も登場した。時代を反映した機能を装備しているが、そんな機能も現在では当たり前の機能になっている。そして呼び名も「省エネ」から「エコ」に変化し、機能も更に進化した。)

近年では新規開業路線のラッシュで、訪問しなければならない路線が増えてしまった。「鉄道路線乗り潰し」とは永遠のテーマであり終わりは無い。だから面白いのかも知れない。そしてそんな旅を心から楽しんでいる自分自身をこれからも維持していかなければならない。これは大変な作業であるが、だからこそ達成した時の喜びも大きいであろう。さて・・・次なる訪問先はどこになるであろうか・・・


✩実は・・・この記事の写真は全て「ダイナミック✩トナカイ」の提供でした。


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よろしく哀愁。よろしく九州(プロローグ)

今回紹介する九州の旅は、2014年に敢行した「熊に逢ったらシリーズ」以来今回で3回目を迎えた「鉄道を使わない鉄道旅」である。一部の方には予告していたが、2016年の旅第一弾となる今回紹介する旅では、廃線・廃駅や現役の駅でも私の気になる駅など多くを巡った。

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(現在は「道の駅」となった旧・肥後小国。現役時代の宮原線は、私にとってみたら地味な存在であったが、今の私が当時の宮原線を評価するとしたら全国で1・2を争う屈指のローカル線であったと思う。もちろん現役時代に訪問してみたかった。今回の旅で同じルートを車で走ってみたが、それだけでもその魅力が十分すぎるくらいに伝わってきた。)

久々となった九州であったが、初日は実はトラブル続きで、トラブル解消までに半日くらい費やしてしまった感もありややブルーな部分もあった。であるが、逆にトラブルがあったならあったなりに、ある程度作戦を用意しておいたものを引っ張り出せばそれなりになんとかなる。というよりなんとかしなければいけない部分もある。だから旅は楽しいのではないか。そんな事を再認識させられた今回の旅では主に廃線巡りとなったわけであるが、かつては「黒ダイヤ」で盛栄を成した北九州地区のあの網の目の様な鉄道路線網も、今となっては北海道の様に妙な空白地帯が出来てしまったが、その「網の目」をあえて訪問してみた。

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(ここをどこであるかご存知か・・・次章でしっかりと紹介したいが、1986年に廃止されてから既に30年が経過した事になる。しかしながらここまで保存状態が良いとは思わなかった。)

全く当時の面影を残していない場所もあれば「ウオ~~ッ!」的な保存状態の場所もあり実に巡っていて楽しかった。ただ、やはり盛栄は過去のものであり、現在の姿はハッキリ言って哀愁漂う風景である。厳しい現実を見せ付けられた印象でもあったが、それでもそこにはかつて先人たちの暮らしがあった。そしてその暮らしを支えた鉄道路線があった。

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(現役の駅訪問は筑肥線や唐津線などを訪問。そして今回の旅でマックスに行きたかった日田彦山線のとある駅にも参戦した。)

そして廃止路線の他に現役の駅にも訪問した。私の気になる駅をピックアップしたが、中にはかなりマニアックな駅もありご覧の皆様はやや戸惑うかも知れないが、この「よろしく哀愁。よろしく九州」シリーズを最後までお付き合いいただければ幸いである。

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(そして今話題のこんなスポットにも参戦してみた。だが意外にも意外な渋さが溢れており、訪問してみて良かったと思う。ただの話題だけで終わらせるのはもったいない。)




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新年のご挨拶 2016

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


早いものでこのブログで新年の挨拶をするのが4回目を迎えた。振り返ってみると、私は実に多くの旅をしてきたと思う。そしてその体験や経験など多くの事をこのブログで紹介してきた。そしてそれに付き合ってくださった現在このブログをご覧になっている皆様に多大なる感謝をいたします。

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(関連写真が見当たらないため、今年もダイナミック✩トナカイ氏の写真を紹介してみよう。撮影時期は、恐らく1980年代と思うのは当然であるが、今は亡き「紀伊」である。東京~紀伊勝浦に運転されていた寝台特急であるが、なぜか名古屋は深夜の時間帯につき「通過」であった。もちろん運転停車はしていたであろう。考えてみたら随分と短い区間に運転されていた寝台特急であったなと今になって思う。)

そもそも私はなぜ鉄道が好きになったのであろうか。ハッキリ言ってわからない。そして産まれて物心着いた時には既にプラレールを握り締め「汽車」「電車」的な言葉に鋭く反応していた。そして小学生時代にはブルートレインの虜(とりこ)になり東京や上野に写真を撮影しに出かけたものだ。そして小学校4年生の時にはとうとう両親と寝台特急「富士」に乗り東京から西鹿児島(当時)までを24時間25分かけて制覇してしまった。これは実に素晴らしい体験であるとともに、私の中では強烈に印象に残る経験となった。

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(ダイナミック✩トナカイ撮影の「富士」であるが、こちらも1982年頃であろう。当時からかなり車両がお疲れ気味の印象であるが、私が初めて乗車したブルートレインはこの「富士」であった。24系25型の電源車は当時ものすごく斬新で鮮烈な印象を受けた。)

当時は相模線西寒川駅前一等地に在住していたため、窓を開けると西寒川駅がすぐに飛び込んできた。晩年は我が家と駅の間に住宅が建ってしまったため駅が見えなくなってしまったが、それでも至近距離にあることには変わりなかった。それは中学を卒業する頃まで続いたので、恐らくこの「西寒川」の存在が私をレールファンにした最大の理由であったろう。つまり、私は西寒川と共に「歩んできた」と言っても過言ではない。

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(1982~1983年頃の寝台急行「銀河」である。余剰の20系を充てたと思うが、後に24系などに変化していった行程は周知の通り。というより、もう急行という枠を超えているであろう。ダイナミック✩トナカイ提供。)

全く関係ない事であるが、そんな私は「ドリフターズ」が好きでたまらなかった。もちろん現在もその愛しさに変化はないが、特に荒井注に関しては「伝説」か「ディス・イズ・ア・ペン」でピンとくるかで大きく世代が別れるところであろう。私は1972年に神奈川県は大船の「松竹撮影所(鎌倉シネマワールド~現・鎌倉女子大)」にて加藤茶との撮影に成功している。当時、ドリフターズと言えば、まだまだ映画などでも活躍していて現在の印象は薄い時代であった。そして「8時だよ!全員集合」も最盛期を迎え、1973年には視聴率50%台を弾き出すなど、当時の子供からすれば超アイドル的存在であった。そんなドリフの存在に、父の「雀友」で大船の撮影所で働くスタッフがコネクションとなり私は加藤茶と対面する事になった。

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(これは1972年12月に松竹大船撮影所<当時>で撮影されたものである。中央はご存知加藤茶氏であるが・・・若い!多分加藤氏が29歳であったはずだ!!ちなみに私は向かって一番右側であるが、当時3歳!)

そんなドリフターズを束ねるいかりや長介の存在が私は好きであった。もちろん私自身がもっと成長してからの感性であるが、かつて「東村山音頭」というのが流行した。これは志村けんが「少年少女合唱団」という「8時だよ!全員集合」のコーナーで披露されたものであった。現在そのVTRを見たら何が面白かったのか分からないが、当時は大変流行した。そして「3丁目」「1丁目」と続くわけであるが、その「3丁目」はなんといかりや長介が作詞作曲したというではないか!そして「3丁目が私自身の作品で一番流行った」と自叙伝で述べている。志村けんが適当に歌っていたのが、実はいかりやが作った歌とは知らなかった!いかりや長介や、特に志村けんの自叙伝を読んで頂ければお分かりいただけると思うが、ドリフターズは「チームワーク」が全てであった。

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(撮影場所、時期が不明な「あさかぜ」。1980年代前半に20系がまだ「特急」として使用されていたのは私の記憶だと「あさかぜ」くらいであったような気がした。ダイナミック✩トナカイ提供。)

鉄道も「保線」「車掌」「駅員」など、クルーのチームワークがあって初めて成り立つと思う。というより、そこで働くどの人を欠いても鉄道運営は成り立たないであろう。普段私たちが見ている鉄道風景は、そこにいる現場の人たちが支えてくれている上で成り立っているという事を忘れてはならない。そして、何日も前から事前に計画し鉄道で旅をする私たちも無事に旅ができる事が、実は当たり前ではなく、数々のスタッフの努力によって遂行されているんだなという上での出来事であるのも忘れてはならない。だから鉄道は素晴らしい。だから列車で旅をしたくなる。そんな思いがこのブログで表現できたら実に最高であると私は思う。


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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