王者の魂(後編)
2014-09-02
やがて列車は沿線最大の「都市」、美祢に到着。私が説明するまでも無く、かつては貨物の拠点となっており構内も広い。ホームは1面2線あるが、現在は駅舎に接する1番線のみが使用されているらしく島式ホームは若干錆びついているような印象であった。そこそこの乗客があるのかと思っていたが・・・それは通学時間帯の数値マジックであって、昼間の利用はほぼ皆無に近いのか閑散としているホームには鳥のさえずりさえ聞こえる印象でもあった。
そして隣の南大嶺に近付くと、かつて分岐していた大嶺への支線がハッキリと確認できた。1997年の廃止であるからもう10年以上経つのに草も生えていないレールの無いバラストがハッキリと車窓右側から近付いてきた。完全にかつての鉄路とわかる砂利道がは遙か西側に伸びていく・・・あぁ、いずれと言うより近いうちに必ずや訪問したい「物件」であった。

(画像はウィキペディアより。在りし日の大嶺駅駅舎だが、美祢線の中で一番魅力的に見えたのは私だけであろうか。現役時代に訪問できなかったのが悔しい。)
その大嶺はとうとう現役時代に訪問する事は出来なかったが、かつては広い構内に側線を持ち「大嶺炭鉱」が栄えていた事を象徴するような側線の数々が敷かれていたが、晩年は完全に棒線化され単行が往復する「典型」となってしまった。「炭鉱」から「単行」へ・・・
そんな大嶺支線(と言うよりかつてはこちらが本線)を分岐する南大嶺もかつては2面3線のホームを所有していたが、大嶺支線への分岐が無くなりかなり構内の様子が変わった。現在は島式ホーム一面の片側とかつての大嶺支線へのホームがやや島式ホーム側に広げられ2面2線の状態で使用している。

(こちらの画像もウィキペディアより、南大嶺駅の配線図である。かつての大嶺支線の部分が撤去され若干改良されてしまった。実質島式ホーム1本でも機能するであろうが・・・)
美祢以降、厚狭までは駅配線の有効長が長く、長い貨物列車の編成に対応した設計となっているが、現在は「無用の長物」となってしまい若干持て余し気味である。が、この美祢線最大の魅力は何と言っても「駅舎」にある。恐らく開業当時からあるものと思われる木造の駅舎などが現存し、駅舎をこよなく愛するレールファンにとってはとても気になる路線であろう。特に先ほど紹介した長門湯本や廃止されてしまった大嶺などの駅舎はかなり魅力的に感じたのは私だけであろうか・・・
そしてなんといっても魅力なのが厚保~厚狭間にあった信号場である。U興産ピストン輸送時代は単線の美祢線には無くてはならない存在で、頻繁に列車交換が行われていた。もちろん「貨物」での出来事であることは言うまでもないが、現在はこれらの信号場は廃止、または使用停止になっており全く持って機能していない。と言うより激減した列車本数に対して無用の長物になってしまった・・・

(現在の南大嶺。大嶺支線へのレールは完全に撤去され、その分ホームが拡張された。何とも複雑な光景であるが時刻表上では「幹線」に区分されているのは皆様にどう映るのであろうか。)
終点の厚狭に到着した。意外にも新幹線へのホームに急ぐ乗客が少なくない。新幹線の駅の中でも利用者数がワースト方面へ顔を出す厚狭駅であってもこうして利用者があるのはうれしいではないか。しかも美祢線でのアプローチなんて、なんだか素敵ではないか!美祢線も美祢線で地味ながらそんな役割をしっかりと果たしていた。
しかし、貨物の全盛期を知っている私にしてみれば、厚狭駅の錆びついたレールや使われなくなったホームを見るのは辛い。

(「四朗ケ原」とは何とも情緒溢れる駅名であるが・・・なんとなく美祢線らしくない雰囲気。しかし駅舎は美祢線らしい雰囲気。)
先述したが、U興産は国鉄(当時)に貨物輸送料の半額を要求したが国鉄は要求に応える事は無かった。また、度重なるストライキや運賃値上げの結果、これがアダとなり現在の美祢線の姿になってしまうわけであるが・・・U興産とすれば企業として当然の要求であり、それに応えられなかった国鉄の大失態であろうと私は思う。国鉄はもっと企業努力をすべきであって、この美祢線の事ひとつとっても国鉄の当時の事情が分かるであろう。「半額」とはいかないまでもそれに限りなく近い形での料金提示は努力次第で恐らく何とかなったであろう。その努力も無しに結果、美祢線自体をも失いかけない事になっている事情を否定できない。とはいうものの、遅かれ早かれ現在の形になったであろう事も大体想像がつくのも正直なところか。「自社専用道路」と言うのもものすごい発想だし道路を作ったとしてもその資金を将来的に回収する事が計算できるのも素晴らしい。U興産の方がよっぽど企業努力をしているのが私の印象である。
美祢線とは、当時の国鉄事情がハッキリとした形で表れている路線であろう。普通に見たら路線風景や駅舎など数多くの魅力が満載された路線である。しかし、その美祢線を巡る数々のドラマを考えると複雑でならない。

(美祢線の起点駅でもある厚狭。新幹線の乗換駅であるのが私にとってみれば不思議な感じだ。かつては「ブルトレ」の一部列車も停車していた。)
2012年10月に初めて訪れた美祢線は私の知っている美祢線では無かった。しかし初めて訪れる事によって美祢線の「今」を初めて知ることが出来た。とても明るい未来があるとは思えないが途轍もなく明るい過去もあった。
そんな事を考えながら山陽本線の車窓から遠ざかる厚狭駅のホームを見つめると、何事も無かったように現在の美祢線のみが進行している姿が寂しく小さくフェイドアウトしていった。

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そして隣の南大嶺に近付くと、かつて分岐していた大嶺への支線がハッキリと確認できた。1997年の廃止であるからもう10年以上経つのに草も生えていないレールの無いバラストがハッキリと車窓右側から近付いてきた。完全にかつての鉄路とわかる砂利道がは遙か西側に伸びていく・・・あぁ、いずれと言うより近いうちに必ずや訪問したい「物件」であった。

(画像はウィキペディアより。在りし日の大嶺駅駅舎だが、美祢線の中で一番魅力的に見えたのは私だけであろうか。現役時代に訪問できなかったのが悔しい。)
その大嶺はとうとう現役時代に訪問する事は出来なかったが、かつては広い構内に側線を持ち「大嶺炭鉱」が栄えていた事を象徴するような側線の数々が敷かれていたが、晩年は完全に棒線化され単行が往復する「典型」となってしまった。「炭鉱」から「単行」へ・・・
そんな大嶺支線(と言うよりかつてはこちらが本線)を分岐する南大嶺もかつては2面3線のホームを所有していたが、大嶺支線への分岐が無くなりかなり構内の様子が変わった。現在は島式ホーム一面の片側とかつての大嶺支線へのホームがやや島式ホーム側に広げられ2面2線の状態で使用している。

(こちらの画像もウィキペディアより、南大嶺駅の配線図である。かつての大嶺支線の部分が撤去され若干改良されてしまった。実質島式ホーム1本でも機能するであろうが・・・)
美祢以降、厚狭までは駅配線の有効長が長く、長い貨物列車の編成に対応した設計となっているが、現在は「無用の長物」となってしまい若干持て余し気味である。が、この美祢線最大の魅力は何と言っても「駅舎」にある。恐らく開業当時からあるものと思われる木造の駅舎などが現存し、駅舎をこよなく愛するレールファンにとってはとても気になる路線であろう。特に先ほど紹介した長門湯本や廃止されてしまった大嶺などの駅舎はかなり魅力的に感じたのは私だけであろうか・・・
そしてなんといっても魅力なのが厚保~厚狭間にあった信号場である。U興産ピストン輸送時代は単線の美祢線には無くてはならない存在で、頻繁に列車交換が行われていた。もちろん「貨物」での出来事であることは言うまでもないが、現在はこれらの信号場は廃止、または使用停止になっており全く持って機能していない。と言うより激減した列車本数に対して無用の長物になってしまった・・・

(現在の南大嶺。大嶺支線へのレールは完全に撤去され、その分ホームが拡張された。何とも複雑な光景であるが時刻表上では「幹線」に区分されているのは皆様にどう映るのであろうか。)
終点の厚狭に到着した。意外にも新幹線へのホームに急ぐ乗客が少なくない。新幹線の駅の中でも利用者数がワースト方面へ顔を出す厚狭駅であってもこうして利用者があるのはうれしいではないか。しかも美祢線でのアプローチなんて、なんだか素敵ではないか!美祢線も美祢線で地味ながらそんな役割をしっかりと果たしていた。
しかし、貨物の全盛期を知っている私にしてみれば、厚狭駅の錆びついたレールや使われなくなったホームを見るのは辛い。

(「四朗ケ原」とは何とも情緒溢れる駅名であるが・・・なんとなく美祢線らしくない雰囲気。しかし駅舎は美祢線らしい雰囲気。)
先述したが、U興産は国鉄(当時)に貨物輸送料の半額を要求したが国鉄は要求に応える事は無かった。また、度重なるストライキや運賃値上げの結果、これがアダとなり現在の美祢線の姿になってしまうわけであるが・・・U興産とすれば企業として当然の要求であり、それに応えられなかった国鉄の大失態であろうと私は思う。国鉄はもっと企業努力をすべきであって、この美祢線の事ひとつとっても国鉄の当時の事情が分かるであろう。「半額」とはいかないまでもそれに限りなく近い形での料金提示は努力次第で恐らく何とかなったであろう。その努力も無しに結果、美祢線自体をも失いかけない事になっている事情を否定できない。とはいうものの、遅かれ早かれ現在の形になったであろう事も大体想像がつくのも正直なところか。「自社専用道路」と言うのもものすごい発想だし道路を作ったとしてもその資金を将来的に回収する事が計算できるのも素晴らしい。U興産の方がよっぽど企業努力をしているのが私の印象である。
美祢線とは、当時の国鉄事情がハッキリとした形で表れている路線であろう。普通に見たら路線風景や駅舎など数多くの魅力が満載された路線である。しかし、その美祢線を巡る数々のドラマを考えると複雑でならない。

(美祢線の起点駅でもある厚狭。新幹線の乗換駅であるのが私にとってみれば不思議な感じだ。かつては「ブルトレ」の一部列車も停車していた。)
2012年10月に初めて訪れた美祢線は私の知っている美祢線では無かった。しかし初めて訪れる事によって美祢線の「今」を初めて知ることが出来た。とても明るい未来があるとは思えないが途轍もなく明るい過去もあった。
そんな事を考えながら山陽本線の車窓から遠ざかる厚狭駅のホームを見つめると、何事も無かったように現在の美祢線のみが進行している姿が寂しく小さくフェイドアウトしていった。

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王者の魂(前編)
2014-09-01
若く新しいレールファンは美祢線の存在をどうとらえているのであろうか?時刻表の地図上では「幹線」に分類されているのが不思議で仕方ないであろう。もちろん、その件に関しては自身で調査し解決済であろう。しかしあくまで歴史上の出来事であって、自身の生まれていたリアルタイムでの経験が無いか薄いと思われるので「伝説」の感覚であろう。私も、例えば「源頼朝が鎌倉幕府を築いた」と言われても実際にリアルタイムで自身が存在していたわけではないので全く持って実感が無い。そのことが果たして本当なのか、文部省が作り上げた「フィクション」であるのかはわからない。であるが義務教育で頭に叩き込まれた以上「信じる」しかない。とはオーバーであるが、しかしながら美祢線の過去については私がリアルタイムで体験しているので保障する。「フィクション」ではなく、本当にモノホンである。しかしながらあの長閑な風景・・・とても幹線とは思えぬ「ローカル」らしいムードたっぷりな雰囲気は旅情を誘う。

(画像はウィキペディアより。U興産専用道路の風景。現在はトラックが「ピストン輸送」している。)
「U興産」と言う言葉にやたら反応するのは私と同世代か先輩であろう。かつては美祢線の美祢駅から宇部線の宇部港(貨物駅)まで石灰石を昼夜問わずピストン輸送していた。この石灰石輸送が主たる「お客様」で、いわば人間は全く持って頭数に入っていたかった。しかし社会情勢も変わり、U興産は当時、国鉄に貨物の輸送料金を半額にしてくれと要求してきた。しかし国鉄側の答えは「ノー」であった。また、以前から国鉄のストライキや運賃値上げなどで物資輸送の安定性が無く、U興産では自社の自動車専用道路を開通させ、そちらに貨物輸送をシフトしていった。つまり国鉄を使わなくても大丈夫な基盤を自ら作り上げたのだ。
やがて美祢線の最大の「お客様」もフェイドアウトしていき、主たるお客様が「人間」になった時に典型的なローカル風情を醸し出す事になってしまった・・・

(長門湯本駅。片側のレールが剥がされ痛々しいが、何を隠そう「温泉」の最寄駅でもある。)
私は2012年に初訪している。「初訪」とはやや最近の出来事であるが、それまで訪問できなかった事が不思議なくらい最近の出来事であった。2010年頃に初訪を予定していたが、水害で不通になってしまい旅立つ3日くらい前に予定を変更。当時西日本では美祢線のみ制覇できず「孤島」と化していた。やがて不通区間も開通し、いよいよ制覇の時が訪れたのが2012年であった。
この時の旅は若干日程に余裕があったため観光色を前面に出した旅でもあった。秋芳洞で人並みの観光をした後、この旅のメインとなる美祢線を制覇するべく路線バスで長門市に着いた。最近はこの「路線バス」と言う言葉にやたら反応してしまう。と言うのも、某テレビ局で今や完全にシリーズ化された「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」が若干マイブームとなっており、いささか太川氏になった気分でもあった(決して蛭子ではない!)。
太川氏達のように行き当たりバッタリではなく、しっかりと事前にバスの時刻を調べてから長門市に向かったが、バスもしっかりと時刻通りに動いてくれていたのでこちらも非常にやりやすかった。長門市は以前にも訪問しているので事情は当然分かっている。バスは裏口にも寄ってくれるので私は裏口で下車。その裏口にある商業施設で暫く所用を済ませホームに向かった。

(若干改良されているが素敵な駅舎は健在だ。いずれしっかり訪問してみたい。)
私を待っていた車両はJR西日本を代表する(?)DC車両であった。近年ではすっかり定着したロングシートでワンマンで単行である。それこそどの地方でも見られる典型的なローカルの姿だ。乗客は意外に多く、と言うよりロングシートが全て埋まってしまうほどのフルハウスであった。結論から言うと、終点の厚狭まで乗客の顔ぶれは99.7%くらい変化無かったので、ある意味「陰陽連絡」の役割を果たしている印象でもあった。

(於福も「らしい」駅舎が健在。美祢線の駅舎は素晴らしい状態で現在も受け継がれている。いずれ一駅一駅下車してみたい。)
さて、私の乗せた列車は1両編成ながら「満員御礼」で南を目指す。早速沿線最大の観光地「長門湯本」に到着。なかなかいい感じの駅舎が待ち構えていたが、この駅を利用し温泉に向かう乗客はほぼ皆無であった。車窓からその華やかな温泉街の風景が拝められたが、駅からやや離れている事や列車本数などの制約から当然の結果かも知れない。同じ「湯本」を名乗る箱根の様にロマンスカーが来るわけでもなく、駅前にお土産やさんなどが沢山並んでいる・・・わけでもない。逆に列車での訪問は勇気いる事であろうか。そんな温泉街を後にして列車は更に南に向かった。

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(画像はウィキペディアより。U興産専用道路の風景。現在はトラックが「ピストン輸送」している。)
「U興産」と言う言葉にやたら反応するのは私と同世代か先輩であろう。かつては美祢線の美祢駅から宇部線の宇部港(貨物駅)まで石灰石を昼夜問わずピストン輸送していた。この石灰石輸送が主たる「お客様」で、いわば人間は全く持って頭数に入っていたかった。しかし社会情勢も変わり、U興産は当時、国鉄に貨物の輸送料金を半額にしてくれと要求してきた。しかし国鉄側の答えは「ノー」であった。また、以前から国鉄のストライキや運賃値上げなどで物資輸送の安定性が無く、U興産では自社の自動車専用道路を開通させ、そちらに貨物輸送をシフトしていった。つまり国鉄を使わなくても大丈夫な基盤を自ら作り上げたのだ。
やがて美祢線の最大の「お客様」もフェイドアウトしていき、主たるお客様が「人間」になった時に典型的なローカル風情を醸し出す事になってしまった・・・

(長門湯本駅。片側のレールが剥がされ痛々しいが、何を隠そう「温泉」の最寄駅でもある。)
私は2012年に初訪している。「初訪」とはやや最近の出来事であるが、それまで訪問できなかった事が不思議なくらい最近の出来事であった。2010年頃に初訪を予定していたが、水害で不通になってしまい旅立つ3日くらい前に予定を変更。当時西日本では美祢線のみ制覇できず「孤島」と化していた。やがて不通区間も開通し、いよいよ制覇の時が訪れたのが2012年であった。
この時の旅は若干日程に余裕があったため観光色を前面に出した旅でもあった。秋芳洞で人並みの観光をした後、この旅のメインとなる美祢線を制覇するべく路線バスで長門市に着いた。最近はこの「路線バス」と言う言葉にやたら反応してしまう。と言うのも、某テレビ局で今や完全にシリーズ化された「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」が若干マイブームとなっており、いささか太川氏になった気分でもあった(決して蛭子ではない!)。
太川氏達のように行き当たりバッタリではなく、しっかりと事前にバスの時刻を調べてから長門市に向かったが、バスもしっかりと時刻通りに動いてくれていたのでこちらも非常にやりやすかった。長門市は以前にも訪問しているので事情は当然分かっている。バスは裏口にも寄ってくれるので私は裏口で下車。その裏口にある商業施設で暫く所用を済ませホームに向かった。

(若干改良されているが素敵な駅舎は健在だ。いずれしっかり訪問してみたい。)
私を待っていた車両はJR西日本を代表する(?)DC車両であった。近年ではすっかり定着したロングシートでワンマンで単行である。それこそどの地方でも見られる典型的なローカルの姿だ。乗客は意外に多く、と言うよりロングシートが全て埋まってしまうほどのフルハウスであった。結論から言うと、終点の厚狭まで乗客の顔ぶれは99.7%くらい変化無かったので、ある意味「陰陽連絡」の役割を果たしている印象でもあった。

(於福も「らしい」駅舎が健在。美祢線の駅舎は素晴らしい状態で現在も受け継がれている。いずれ一駅一駅下車してみたい。)
さて、私の乗せた列車は1両編成ながら「満員御礼」で南を目指す。早速沿線最大の観光地「長門湯本」に到着。なかなかいい感じの駅舎が待ち構えていたが、この駅を利用し温泉に向かう乗客はほぼ皆無であった。車窓からその華やかな温泉街の風景が拝められたが、駅からやや離れている事や列車本数などの制約から当然の結果かも知れない。同じ「湯本」を名乗る箱根の様にロマンスカーが来るわけでもなく、駅前にお土産やさんなどが沢山並んでいる・・・わけでもない。逆に列車での訪問は勇気いる事であろうか。そんな温泉街を後にして列車は更に南に向かった。

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