広島。そこは素晴らしき鉄道ワンダーランドだった。②
2021-04-10
2009年8月、広島地区限定という初の試みの乗り潰しは、寝台特急「サンライズ」からの幕開けとなる。早朝の姫路より姫新線や芸備線を乗り継いで広島に向かい、翌日に路面電車と新都市交通を制覇、更にその翌日にはスカイレールを乗り潰す計画となっている。ところが…
さて、久々サンライズの乗車になるが、今回は可部サンライズツイン」を利用。やはり昭和世代の私にとって寝台特急の個室は特別なものを感じる。開放型寝台が主流だった国鉄時代は、個室寝台こそ「夢の寝台特急」であったが、平成の時代では個室寝台はむしろ常識であり、開放型寝台は、というより寝台とって自体の減少により姿を見る機会がメッキリ減ってしまった。それどころか、現在では国内唯一になってしまった定期便の寝台特急は今や貴重な存在である。
そんな思いを秘めながら横浜より折れながら開く扉をくぐり抜け広島への第一歩を踏み出した。

高松で撮影した「サンライズ」。現在では国内で唯一の定期便寝台特急となってしまった貴重な存在。しかも国鉄時代には考えられなかった本州から四国への列車乗り入れが実現。客車寝台特急「瀬戸」から受け継いでの「サンライズ」は583系とは全く異なる形での電車寝台が実現し現在に至る。
期待に胸を膨らませ、順風満帆な旅となる予定であったが…
早朝の姫路で下車し姫新線に乗り換えるのだが、とりあえず朝食を摂らねば。駅前を探していると意外にもこんな時間からなどと言っては失礼かもしれないが、早朝より営業している喫茶店を発見!時間もある事だし、とりあえずこちらに身を潜めることにした。
モーニングセットを一瞬で平らげ姫新線に乗るために駅に戻りホームに向かう。すると…なにやらおかしい。発車時刻確認のため案内板を見たら、何と水害で不通になっていたのであった!事前情報を持たないまま現地入りしていたので唖然。もちろん代行バスなど運転の案内はされてはいるが、代行バスでは制覇にならない。
「うわっ、マジかっ!」
姫新線→芸備線のパターンは脆くも崩れ去った。いや、私のようなイレギュラーの乗客ならまだしも、レギュラーのお客様はどれだけの不便を強いられているかを考えたらやはりレギュラーのお客様に少しでも迷惑がかからぬよう復旧していただけたらこれ幸いであろう。

今回の旅では制覇の実現ができなかった姫新線。一日も早い復旧が望まれたが・・・やはり地元の方に利用されてこそ、という本来の使命が果たされて初めてその存在意義を知る事となる。
では、私のこれからの旅の予定はどうしようか。その場で即興の立案をする。まず岡山に出て再訪となる吉備線に乗り総社で井原鉄道、神辺で福塩線に乗り換え一旦福山まで出て折り返し福塩線で御代志まで出てみよう。そんな構図が瞬時に浮かび上がった。では時刻表と照らし合わせてみると…これがドンピシャでものの見事にハマったのであった!当時未乗車の福塩線も府中から先の三次まで、少ない列車本数ながらちゃんと接続されている。よし、急遽予定変更!姫新線は次回になったものの、初訪の福塩線と井原鉄道を含め広島地区制覇へのアプローチが始まった。

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さて、久々サンライズの乗車になるが、今回は可部サンライズツイン」を利用。やはり昭和世代の私にとって寝台特急の個室は特別なものを感じる。開放型寝台が主流だった国鉄時代は、個室寝台こそ「夢の寝台特急」であったが、平成の時代では個室寝台はむしろ常識であり、開放型寝台は、というより寝台とって自体の減少により姿を見る機会がメッキリ減ってしまった。それどころか、現在では国内唯一になってしまった定期便の寝台特急は今や貴重な存在である。
そんな思いを秘めながら横浜より折れながら開く扉をくぐり抜け広島への第一歩を踏み出した。

高松で撮影した「サンライズ」。現在では国内で唯一の定期便寝台特急となってしまった貴重な存在。しかも国鉄時代には考えられなかった本州から四国への列車乗り入れが実現。客車寝台特急「瀬戸」から受け継いでの「サンライズ」は583系とは全く異なる形での電車寝台が実現し現在に至る。
期待に胸を膨らませ、順風満帆な旅となる予定であったが…
早朝の姫路で下車し姫新線に乗り換えるのだが、とりあえず朝食を摂らねば。駅前を探していると意外にもこんな時間からなどと言っては失礼かもしれないが、早朝より営業している喫茶店を発見!時間もある事だし、とりあえずこちらに身を潜めることにした。
モーニングセットを一瞬で平らげ姫新線に乗るために駅に戻りホームに向かう。すると…なにやらおかしい。発車時刻確認のため案内板を見たら、何と水害で不通になっていたのであった!事前情報を持たないまま現地入りしていたので唖然。もちろん代行バスなど運転の案内はされてはいるが、代行バスでは制覇にならない。
「うわっ、マジかっ!」
姫新線→芸備線のパターンは脆くも崩れ去った。いや、私のようなイレギュラーの乗客ならまだしも、レギュラーのお客様はどれだけの不便を強いられているかを考えたらやはりレギュラーのお客様に少しでも迷惑がかからぬよう復旧していただけたらこれ幸いであろう。

今回の旅では制覇の実現ができなかった姫新線。一日も早い復旧が望まれたが・・・やはり地元の方に利用されてこそ、という本来の使命が果たされて初めてその存在意義を知る事となる。
では、私のこれからの旅の予定はどうしようか。その場で即興の立案をする。まず岡山に出て再訪となる吉備線に乗り総社で井原鉄道、神辺で福塩線に乗り換え一旦福山まで出て折り返し福塩線で御代志まで出てみよう。そんな構図が瞬時に浮かび上がった。では時刻表と照らし合わせてみると…これがドンピシャでものの見事にハマったのであった!当時未乗車の福塩線も府中から先の三次まで、少ない列車本数ながらちゃんと接続されている。よし、急遽予定変更!姫新線は次回になったものの、初訪の福塩線と井原鉄道を含め広島地区制覇へのアプローチが始まった。

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広島。そこは素晴らしき鉄道ワンダーランドだった。①
2021-04-05
私のブログタイトルは、ご存知「鉄道全線完全制覇の旅」という事で「全線制覇の旅」を題材にし主力としている。そしてその「全線制覇」の部分に関しては昭和の、国鉄の時代からスタートし「いい旅チャレンジ20000km」の参加により完全な形となったのが原点となる。「いい旅~」の時には100線区を超え150線区辺りまで制覇した記憶であるが、当時のキャンペーン中に全線制覇の夢は達成されなかった。そして平成の時代になり、自身独自のルールのもと、現在では北陸新幹線の金沢開通前にJR線の全線制覇を達成した。ただ、以降は新幹線の金沢延伸や仙石東北ラインのの開通など、更に富山付近や仙台付近も含め全線制覇のベルトは返上となった。ただ、全線制覇への夢は進行中であり、活動テーマの中心でもある。そんな中、私の旅としては比較的最近となる広島地区制覇の旅を紹介しよう。といっても既に10年以上も経過しているので時間の経過を早く感じる今日この頃である。
さて、広島といえば国民的某ロック歌手の出身地であるが、そして非常に残念であるが、他界してしまった西城秀樹の出身地でもあった。そんな広島にやって来る列車達は路面電車や芸備線などの気動車、可部線の通勤電車や山陽本線による近郊型列車、更には新都市交通やスカイレールも加わりバラエティー豊富な都市となっている。もちろん、忘れてはならない新幹線もすべての列車が停車し、国鉄時代には寝台特急も頻繁にやって来た。

井原鉄道のとある駅であるが、普通に読めないでしょう!宇野線にも「妹尾(せのお)」がある事からもお分かりのように、岡山県では妹を「せ」と読む場合もあるらしい。
鉄道の街・広島は、私が鉄道路線乗り潰しに全力を注いでいた時代には全く想像しなかった事であったが、広島地区は意外に通りすがりだけではなかなか制覇路線を増やせないなと立案時点で何度も痛感していた。国鉄時代では、特に可部線に関しては末端までの往復で半日以上費やすイメージであったし、特に末端部は運転本数が少なくなり乗り潰し派泣かせな路線であった。ただ、廃止された可部以北であるが、周知の通り一部区間が近年に復活し、広島県における鉄道の重要性を改めて思い知らされる事となった。

福塩線の要衝となる府中。電化・非電化の境界線となるのはもちろん、非電化区間では運転本数もグッと減る。
という事で、今回紹介する旅は広島地区に限定して制覇計画をした、私自身にとっては前例の無い旅となり新たなチャレンジとなる。果たしてどんな旅となるのであろうか。次章より「素晴らしきワンダーランド」の数々を紹介してみよう。

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さて、広島といえば国民的某ロック歌手の出身地であるが、そして非常に残念であるが、他界してしまった西城秀樹の出身地でもあった。そんな広島にやって来る列車達は路面電車や芸備線などの気動車、可部線の通勤電車や山陽本線による近郊型列車、更には新都市交通やスカイレールも加わりバラエティー豊富な都市となっている。もちろん、忘れてはならない新幹線もすべての列車が停車し、国鉄時代には寝台特急も頻繁にやって来た。

井原鉄道のとある駅であるが、普通に読めないでしょう!宇野線にも「妹尾(せのお)」がある事からもお分かりのように、岡山県では妹を「せ」と読む場合もあるらしい。
鉄道の街・広島は、私が鉄道路線乗り潰しに全力を注いでいた時代には全く想像しなかった事であったが、広島地区は意外に通りすがりだけではなかなか制覇路線を増やせないなと立案時点で何度も痛感していた。国鉄時代では、特に可部線に関しては末端までの往復で半日以上費やすイメージであったし、特に末端部は運転本数が少なくなり乗り潰し派泣かせな路線であった。ただ、廃止された可部以北であるが、周知の通り一部区間が近年に復活し、広島県における鉄道の重要性を改めて思い知らされる事となった。

福塩線の要衝となる府中。電化・非電化の境界線となるのはもちろん、非電化区間では運転本数もグッと減る。
という事で、今回紹介する旅は広島地区に限定して制覇計画をした、私自身にとっては前例の無い旅となり新たなチャレンジとなる。果たしてどんな旅となるのであろうか。次章より「素晴らしきワンダーランド」の数々を紹介してみよう。

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瀬音ゆかしき杜の都 ⑦
2021-01-15
フライトする訳でもないので駅名標を撮影し仙台空港を後にした私は更に長町で地下鉄に乗り換えるためなかなか「杜の都」にたどり着かないが、地下鉄制覇のあと、ようやく「杜の都」にたどり着き今夜の旅籠に荷物を預けたが、まだまだ七夕の揺れる飾りをじっくり見る間もなく仙台駅の地下ホームに足を急がせた。それは未乗区間であるあおば通~仙台間の仙石線を制覇するためだ。
仙石線制覇は1983年であるのでそれ以来になるのだが、当時は地上ホームでありながら他の国鉄路線とはやや離れた位置にあり、仙石線ホームからは他の国鉄路線ホームをやや見上げる形であった。仙石線ホームのみが離れ小島になってる理由は皆様もよくご存知であろうが、特に仙台ではこうしたかつての名残を楽しめたのは実に有効であった。
あれから20うん年…「杜の都」は大きく変化を遂げていた。

ダイナミック✩トナカイ提供の1983年仙台駅の仙石線ホーム。ご覧の通り、首都圏で活躍した車両がこちらで第二の人生を送っていた。かつては私鉄であった関係から国鉄ホームとはやや離れていたが、現在は周知の通り地下化され青葉通りまで延伸されて便利になった。
ようやく「制覇」から解放された私は普通に観光旅行する旅人のひとりとして「杜の都」を堪能。牛タンを食べたり七夕の飾り揺れる風景を楽しんだりと「杜の都」のカルチャーや人情に触れ、過酷な制覇旅の疲れを癒していた。
そういえば我地元神奈川にも七夕祭りがある。そう、それは平塚の七夕である。何かで聞いたことがあるが、平塚で飾られた七夕飾りの一部を仙台でも見る事ができるらしい。つまり平塚から仙台へ転送される事になるのだが、これは実に微笑ましい事だ。私の地元のものが「杜の都」で再び花開くのは実に嬉しい限りである。

画像はウィキペディアより、現在の仙台駅・仙石線ホーム。地下化され青葉通りへ延伸された。青葉通りよりの延伸で地下鉄東西線との相互乗り入れが実現するのか。私はまだ東西線を未制覇なのでいずれ乗りに来る必要があるのだが・・・

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仙石線制覇は1983年であるのでそれ以来になるのだが、当時は地上ホームでありながら他の国鉄路線とはやや離れた位置にあり、仙石線ホームからは他の国鉄路線ホームをやや見上げる形であった。仙石線ホームのみが離れ小島になってる理由は皆様もよくご存知であろうが、特に仙台ではこうしたかつての名残を楽しめたのは実に有効であった。
あれから20うん年…「杜の都」は大きく変化を遂げていた。

ダイナミック✩トナカイ提供の1983年仙台駅の仙石線ホーム。ご覧の通り、首都圏で活躍した車両がこちらで第二の人生を送っていた。かつては私鉄であった関係から国鉄ホームとはやや離れていたが、現在は周知の通り地下化され青葉通りまで延伸されて便利になった。
ようやく「制覇」から解放された私は普通に観光旅行する旅人のひとりとして「杜の都」を堪能。牛タンを食べたり七夕の飾り揺れる風景を楽しんだりと「杜の都」のカルチャーや人情に触れ、過酷な制覇旅の疲れを癒していた。
そういえば我地元神奈川にも七夕祭りがある。そう、それは平塚の七夕である。何かで聞いたことがあるが、平塚で飾られた七夕飾りの一部を仙台でも見る事ができるらしい。つまり平塚から仙台へ転送される事になるのだが、これは実に微笑ましい事だ。私の地元のものが「杜の都」で再び花開くのは実に嬉しい限りである。

画像はウィキペディアより、現在の仙台駅・仙石線ホーム。地下化され青葉通りへ延伸された。青葉通りよりの延伸で地下鉄東西線との相互乗り入れが実現するのか。私はまだ東西線を未制覇なのでいずれ乗りに来る必要があるのだが・・・

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瀬音ゆかしき杜の都 ⑥
2021-01-10
1983年以来の丸森線~阿武隈急行で槻木に着いた私は再び東北本線に乗り換える。いや、前回の丸森線時代の時も確か槻木で乗り換え利府まで行き、折り返して白石まで行き更に急行「八甲田」に乗り換えるという技を慣行していた。「八甲田」に乗るため仙台付近を行ったり来たりして、この変則的な時間調整を最初から計画に組み込んでいた。多分、予定を組み換えればもっとスマートな計画ができたはずだが、私自身、当時は中学生で発展途上であったため応用範囲がかなり狭かったなと今になって感じる。それは当然の事であろうが、だからこそ今があり、更にその今も発展途上であろう。ただ、昔よりは応用範囲が、そして視野的なものがかなり広くなったと感じる。勿論満足はしていないが、こうして進化をして限りなく完成形に近づけば幸いであろう。

ウィキペディアよりの画像であるが仙台空港「駅」のホーム風景である。1面2線で全ての列車が仙台に直通しているので非常に便利。千歳空港開業以来こうした駅が全国的に増えてきた。もちろん千歳空港以前にも京成や東京モノレールなど空港アクセスは存在したが、やはり時間に正確な鉄道は欠かせない存在であろう。だが、私のように、全く用事がないのに乗りに来る者は殆んどいないと思われるが・・・
そんな思いを馳せた今回の「杜の都」は私をどのように迎え入れてくれるであろう。ただ「杜の都」がすぐ目の前だというのに、1983年以来、杜の都付近の鉄道シーンもかなり風景が変わった。まず仙石線があおば通まで延伸された事。そして仙台に地下鉄が開通した事。そしてなんと言っても仙台空港線が開通した事であろう。これだけ話題か豊富なのは「杜の都」のみであろうが、イコール、これら全てを乗り潰さなければならないという事である。ならばと思い立った「杜の都計画」であるが、杜の都に入る前に仙台空港まで用事がないのに行かなければならない。
名取から枝分かれする仙台空港線は三セクであるが、JRとの別改札ではないのでJRと混同してしまいそうであるが、鉄道事情に詳しくない一般の利用者はそんな細かい事までわからないであろうし「ハイ、ここから仙台空港線だから」などと意識してはいないだろうから、とにかく空港へ時間時間通りに着けばある意味それで良い。

そして仙台空港アクセスの車両はJR東の車両と殆んど見た目同じ近代的な車両である。我が地元の相模線にもこうした車両が出てくるとフレッシュな風が吹き込むのだが・・・
しかし私の場合は空港に勤務している訳でも、空港からフライトする訳でもない。仙台空港の駅名標を撮影して折り返す…他人が見たら全く意味不明な行動だ。
更に、折り返してそのまま「杜の都」に入るわけではなく、なんと町から地下鉄に乗り換える!泉中央と富沢の間を往復しなければならず、杜の都がすぐそばにあるというのになかなかたどり着かない。だが、訪問時は南北線のみであったが、浴衣姿の女性達を何度となく見かけたので既に「杜の都」は賑わいを見せている事であろう。いつしか私は、地上にある広瀬川の「瀬音」を聞くのが待ち遠しくなっていた。

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ウィキペディアよりの画像であるが仙台空港「駅」のホーム風景である。1面2線で全ての列車が仙台に直通しているので非常に便利。千歳空港開業以来こうした駅が全国的に増えてきた。もちろん千歳空港以前にも京成や東京モノレールなど空港アクセスは存在したが、やはり時間に正確な鉄道は欠かせない存在であろう。だが、私のように、全く用事がないのに乗りに来る者は殆んどいないと思われるが・・・
そんな思いを馳せた今回の「杜の都」は私をどのように迎え入れてくれるであろう。ただ「杜の都」がすぐ目の前だというのに、1983年以来、杜の都付近の鉄道シーンもかなり風景が変わった。まず仙石線があおば通まで延伸された事。そして仙台に地下鉄が開通した事。そしてなんと言っても仙台空港線が開通した事であろう。これだけ話題か豊富なのは「杜の都」のみであろうが、イコール、これら全てを乗り潰さなければならないという事である。ならばと思い立った「杜の都計画」であるが、杜の都に入る前に仙台空港まで用事がないのに行かなければならない。
名取から枝分かれする仙台空港線は三セクであるが、JRとの別改札ではないのでJRと混同してしまいそうであるが、鉄道事情に詳しくない一般の利用者はそんな細かい事までわからないであろうし「ハイ、ここから仙台空港線だから」などと意識してはいないだろうから、とにかく空港へ時間時間通りに着けばある意味それで良い。

そして仙台空港アクセスの車両はJR東の車両と殆んど見た目同じ近代的な車両である。我が地元の相模線にもこうした車両が出てくるとフレッシュな風が吹き込むのだが・・・
しかし私の場合は空港に勤務している訳でも、空港からフライトする訳でもない。仙台空港の駅名標を撮影して折り返す…他人が見たら全く意味不明な行動だ。
更に、折り返してそのまま「杜の都」に入るわけではなく、なんと町から地下鉄に乗り換える!泉中央と富沢の間を往復しなければならず、杜の都がすぐそばにあるというのになかなかたどり着かない。だが、訪問時は南北線のみであったが、浴衣姿の女性達を何度となく見かけたので既に「杜の都」は賑わいを見せている事であろう。いつしか私は、地上にある広瀬川の「瀬音」を聞くのが待ち遠しくなっていた。

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瀬音ゆかしき杜の都 ⑤
2021-01-05
阿武隈急行線はもともと東北本線のバイパス的な意味合いで計画されたのは周知の通りであるが。正直、まさか全通されるとは思わなかった。しかも福島交通と同じホームから出てるとは!訪問当時はその理由について全くわからなかったが、お陰で懐かしい部分も込み上げてきて嬉しい誤算でもあった。

強力に大きいサイズでウィキペディアより転用させていただいた福島交通に譲渡された元東急5000系。1988年に飯坂温泉に合宿による自動車免許取得のため一ヶ月弱滞在した時に大活躍していた。滞在先は飯坂温泉で教習所が泉にあったため、送迎バスのある時間帯意外に教習所に行くには「福交」が欠かせなかった。たまに医王寺前とかでオーバーランする場面も・・・
と言うのも、実は1988年に飯坂温泉に合宿免許取得に向け26日間滞在したからであった。20日間の予定だったので約一週間近くのオーバーであったが、その代わりに得るものや思い出、そして仲間たちなど多くの「利益」を産むことになったのは大きな収穫であった。思い出せばキリがないが、送迎バスに乗り遅れた場合は飯坂温泉から教習所のある泉まで、元東急の「青ガエル」5000系で向かったものだ。時には医王寺前でオーバーランしたりとなかなかスリリングであったが、そんな昔を思い出させるホームは昔と変わらぬ佇まいであった。いっそ福島交通の寄り道も本気で考えたが、今回は杜の都が私を待っている‥そんなプレッシャーもあり泣く泣く見送った。だが、阿武隈急行に乗ってみると、途中までは当然同じ線路を通るので瞬時にして18歳当時の自分に戻ったイメージになってしまった。
暫くすると、当然ながら福島交通と別れを告げるが、考えてみたら阿武隈急行、福島交通共に電化されているのが素晴らしい。もしかしたら将来的に長野電鉄のように首都圏で活躍した電車などが第二の人生を送る場面が見られるかも知れない。

1983年訪問時の丸森は土砂降りの雨であった。このあと利府に向かい、更に折り返して白石へ・・・仙台を中心に行ったり来たりの工程は夜行列車に乗るための時間調整であった。だが、まさか丸森の駅名標の空白部分に駅名が書かれる事になるとは当時全く思わなかった。
さて、新しく開業した丸森~福島間は私にしてみたら当然ながら初乗りであり新鮮である。「塔のへつり」や「あぶくま」など、如何にも三セクらしいネーミングの駅が軒を連ねる。が、丸森から槻木までは1983年以来の訪問のため懐かしい。特に国鉄時代は棒線駅であった丸森や角田は見違えるほど立派な駅になった。
丸森や角田は将来的な準備であった列車交換のための線路用地など見られたが、まさか本当に現在になってその用地が活かされるとは思わなかった。「赤字ローカル線」「廃止路線」などの項目に常に顔を出していた記憶で、1983年訪問時は土砂降りの雨プラス既に日も暮れており、沿線風景など全く確認できなかった。ただ今回は明るい時間帯の訪問のためしっかりと町並みを拝見できよう。
東北本線のバイパスとなるはずだった丸森線は三セクという形に変われど、新しい何かを私に教えてくれているような沿線風景をみせてくれているようであった。

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強力に大きいサイズでウィキペディアより転用させていただいた福島交通に譲渡された元東急5000系。1988年に飯坂温泉に合宿による自動車免許取得のため一ヶ月弱滞在した時に大活躍していた。滞在先は飯坂温泉で教習所が泉にあったため、送迎バスのある時間帯意外に教習所に行くには「福交」が欠かせなかった。たまに医王寺前とかでオーバーランする場面も・・・
と言うのも、実は1988年に飯坂温泉に合宿免許取得に向け26日間滞在したからであった。20日間の予定だったので約一週間近くのオーバーであったが、その代わりに得るものや思い出、そして仲間たちなど多くの「利益」を産むことになったのは大きな収穫であった。思い出せばキリがないが、送迎バスに乗り遅れた場合は飯坂温泉から教習所のある泉まで、元東急の「青ガエル」5000系で向かったものだ。時には医王寺前でオーバーランしたりとなかなかスリリングであったが、そんな昔を思い出させるホームは昔と変わらぬ佇まいであった。いっそ福島交通の寄り道も本気で考えたが、今回は杜の都が私を待っている‥そんなプレッシャーもあり泣く泣く見送った。だが、阿武隈急行に乗ってみると、途中までは当然同じ線路を通るので瞬時にして18歳当時の自分に戻ったイメージになってしまった。
暫くすると、当然ながら福島交通と別れを告げるが、考えてみたら阿武隈急行、福島交通共に電化されているのが素晴らしい。もしかしたら将来的に長野電鉄のように首都圏で活躍した電車などが第二の人生を送る場面が見られるかも知れない。

1983年訪問時の丸森は土砂降りの雨であった。このあと利府に向かい、更に折り返して白石へ・・・仙台を中心に行ったり来たりの工程は夜行列車に乗るための時間調整であった。だが、まさか丸森の駅名標の空白部分に駅名が書かれる事になるとは当時全く思わなかった。
さて、新しく開業した丸森~福島間は私にしてみたら当然ながら初乗りであり新鮮である。「塔のへつり」や「あぶくま」など、如何にも三セクらしいネーミングの駅が軒を連ねる。が、丸森から槻木までは1983年以来の訪問のため懐かしい。特に国鉄時代は棒線駅であった丸森や角田は見違えるほど立派な駅になった。
丸森や角田は将来的な準備であった列車交換のための線路用地など見られたが、まさか本当に現在になってその用地が活かされるとは思わなかった。「赤字ローカル線」「廃止路線」などの項目に常に顔を出していた記憶で、1983年訪問時は土砂降りの雨プラス既に日も暮れており、沿線風景など全く確認できなかった。ただ今回は明るい時間帯の訪問のためしっかりと町並みを拝見できよう。
東北本線のバイパスとなるはずだった丸森線は三セクという形に変われど、新しい何かを私に教えてくれているような沿線風景をみせてくれているようであった。

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