1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑧

さて、前章では阿久根にかなりこだわってしまったが、実際、阿久根はある意味私のお気に入りに街でありそして駅でもある。あの、ローカル的な出水~川内間は特に「本線」と名乗っているから(当時)尚更愛着が湧いてくる気がしてならなかった。そんな感性がもうすでに中学生の私にあったのだから不思議だ。いや、恐らく旅を重ねていくうちにこうした事がひとつひとつ体に心に刻み込まれ、そして染み付いて現在があるのであろう。私は何となくそう感じる。

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現在は「薩摩川内市」に属する川内。この駅も新幹線が停車するようになって様変わりした事だろう。川内より鹿児島までは再び鹿児島本線を名乗る現在であるが、なぜ「肥薩おれんじ」にならなかったのか・・・それは新幹線と深い関係があると聞いた(「続きを読む」参照)。

さて、そうこうしていると、まもなく伊集院に。そう、後ほど鹿児島交通制覇後に再び立ち寄る「聖地」になる駅であろう。というか、気がついたら阿久根付近にいた時よりやたら乗客が増えている。そう、そうなんだ。もうすぐ西鹿児島という事で、鉄道本来の役割をしっかりと果たしている風景である。
伊集院を過ぎ、レールの波が扇状に広がっていくといよいよ西鹿児島に到着した。その時間14時11分。東京を23時25分に出発し、はるばる西に向かいながらとうとう西鹿児島に翌日の14時に到着という、とんでもない時間と体力が消耗されていった。「ヤッター!とうとう普通列車で鹿児島の地に足を踏み入れた!感動!!」と、嬉しさのあまり「青春の握りこぶし」をホームで連れの友と握り合った。そして感動のあまり涙が溢れ出す・・・

いや、実際は違った。

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現在の鹿児島中央に到着!ついにやった!と感動に浸る時間も暇もない。この時は単なる乗り換え駅に過ぎなかった。私は更に枕崎に向け指宿枕崎線に乗り換える。その時間3分!

現実は・・・伊集院付近から車内が混み合っていく中、目指す鹿児島交通へは指宿枕崎線に乗り換えなければならない。指宿枕崎線の出発時間は14時14分、なんと3分の待ち合わせだ!私たちはすでにドアの手前にその身をあずけていた。列車が西鹿児島に着くと早速指宿枕崎線のホームに向かい猛ダッシュ!すでに出発ホームはアナウンスで確認している。一目散に跨線橋を駆け上がる。乗り換える指宿枕崎線の普通列車はすでに我々の座る座席などなく、不用意に空いたスペースに身を寄せるしかなかった。それでも枕崎まで向かわねばならない。そう、旅とは楽しい事ばかりではない。ある時にはこうした試練もむかえなければならない。というか、私の旅はこうした試練ばかりなのかも知れない。もちろん、計画段階ですでにこうした試練はわかっているのであるが・・・

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1978年訪問時の西鹿児島。「にちりん」のDC版は、当時、日豊本線の宮崎~鹿児島間が非電化だったためである。バックには583系の姿が。昼間は「有明」として活躍していた。

さて、皆様は「青春18」についてどう感じ、そしてどういう印象をお持ちであろうか。もちろんこの切符の使い方は人それぞれで「18のみ」の場合もあれば、何かの切符と並行して「18」も使用する場合もあろうと思う。または現地に飛行機で向かい、現地で18を使うという事もあろう。人それぞれの使い方、人それぞれの旅。バリエーション豊かなこのきっぷを考えた当時の担当者は凄いと思うし、そして偉大であろう。その事はJR化された現在でも廃れずに活躍している姿を見れば一目瞭然。
ただ、残念なのは夜行普通列車の定期便が姿を消してしまった事。そして多くの鉄道路線が廃止という名のもとに姿を消してしまった事。「18」を使うのに、このふたつの楽しみが失われた事は実に重大かつ大きい。そんな中、皆様にとって「18」とはどういう存在なのであろうか?私にお知らせくだされば幸いである。そして皆様の意見を参考に新たな18の旅が発見できれば素敵であるし、そして私自身も新たな旅を探しに旅に出ることになろう。もちろん「青春18」を使って・・・


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1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑦

ますます雨が「土砂」になってきた九州地方であったが、鹿児島交通を訪問する頃にも当然ながら現地は雨であろう事が確定材料になるのに充分説得があった。
電化区間をDCにゆられる光景は、ある意味今も昔も変わらないであろう光景の中、今度は出水で乗り換える。今でこそ新幹線のホームができてかなりイメージが変わったが、それまでの出水は規模的に中間駅とさほど変わらなかったというのが私の印象であった。割りと地味な部類の印象が、一気に新幹線の停車駅になろうとは!この時の訪問時にはそんな素振りも見せなかった出水であったが、随分と立派になったものだ。

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かつては山野線を分岐していた水俣。新幹線は隣の新水俣に任せてあるので、ある意味国鉄時代の面影が今も残っている事であろうと思う。いつかはその確認作業をしてみたいものだ。

さて、その出水から先、新幹線はなんと阿久根を無視して川内へと行ってしまう・・・これってちょっと残念だと思いません?もちろん、ルート決定の際に阿久根をどうするかは考えたらであろう。当然ながら阿久根に寄れば所要時間や走行距離に影響が出てくるだろう。だがやはりなんらかの形で阿久根と新幹線をが共有してほしかった。例えば新阿久根みたいな単独駅とかでもいいと思うのは私だけであろうか。

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多分出水で撮影したものと思われるが、編成の長さからしてもしかしたら基山とかだったかも知れない。いずれにしても今回紹介している旅にて鹿児島本線のどこかの駅で撮影されたものである。出水から先は再び電車による普通列車に乗車。

であるが、やはり私は在来線の方が好きだ。現在、運営会社はちがうが、ある意味「阿久根らしさ」がまだ残っていると思う。ただ、鹿児島本線の八代以南は単線と複線が共有する区間であるから、時には列車交換で待ち時間が発生する場合もある。私が初めて鹿児島本線のこの区間を通ったのは1978年8月である。そのときは583系の特急「有明」で西鹿児島から熊本に向かった。そう、583系の座席特急バージョンだったのだ。リクライニングはできないものの、独特の開放感がまたいい。

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そして出水は現在新幹線が停車する。現在の様子はいずれ訪問する機会があれば行ってみたいが、国鉄時代は分岐する路線を持っていなかったので私的には地味な印象であった。だがその地味さが後年になり好きに。

その時以来の訪問であったのである意味懐かしかったが、それ以上に両親と一緒の訪問と、自らが仲間ひとり連れての訪問とでは一際精神的な違いが明白であろう自身の成長が身に染みてわかるシーン。今でもこの区間の事を思うとそんな事が思い出される。そう、私のレール旅とは、ある意味自身の成長を測る「ものさし」なのかも知れない。



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1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑥

「ながさき」に揺られ一夜を過ごす私は途中肥前山口で下車した。そして上り「ながさき」にのりかえ再び西鹿児島を目指す。今考えたらこんな価値ある伝統的な列車を「旅籠」として過ごすとは何とも無礼かつ罰当たりな私であるが、旅の目的はあくまで鹿児島交通。長崎本線より鹿児島本線を南下するため軌道修正をしなければならない。上り「ながさき」に乗った私は鹿児島本線に再び入り二日市で下車した。そして更に下り鹿児島本線普通列車「川尻行き」にのりかえ鹿児島を目指す。

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九州新幹線の開業は実にセンセーショナルであった。特に新八代~鹿児島中央という暫定的な開業は、ある意味東北新幹線の大宮暫定開業と似たようなイメージか。ただ、東北新幹線のそれに比べ、九州新幹線は在来線部分の距離が長く、東北新幹線のそれと比べてはいけないのであろうが・・・

現在なら新幹線でひとっ飛びであろうが、私の訪問時は特急「有明」や夜行急行列車「かいもん」など、在来線の優等列車が活躍していた時代であった。だが、そんな事より今回は「鹿児島交通」にこだわりがある。とにかく西鹿児島を目指さねば!なんて使っている切符が「18」であるから説得あるかどうか分からないが・・・
「ながさき」でそれほど睡眠が深くなかったのが、実はこうした朝に乗車する普通列車には突然睡魔がやってくる。この場合、完全に記憶が無い。久留米辺りまでは記憶があったのだが・・・
夜行明けに乗車する列車での睡魔は、ある時突然やって来る。このブログをご覧になっている皆様も少なからず経験がお有りであろうと思われるがいかがであろうか・・・

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こちらも以前に紹介している写真であるが、二日市から乗車した「川尻行」に乗車の際に撮影した久留米駅である。久留米といえば武道館公演数第二位の「あの」アイドル歌手の出身地でもある。

だが不思議と目的地の駅に着く前にはしっかりと目が覚める・・・これも皆様は経験お有りであろうか?そんな私は川尻のひとつ手前の熊本を7時49分に下車した。9時11分発の乗り継ぎ列車まではまだ時間がある。まだ朝食も頂いてないので洒落た喫茶でも入ってモーニングコーヒーでも飲むか・・・いや、現実は違った。私はシロガネーゼでもなければ成城に居を構えるわけでもない。喫茶店なんて馴染みもなければコーヒーなんて見たことない!「見たことない」とはオーバーであるが、それくらい私の生活習慣には無いくらいコーヒーとは無縁の生活である。どちらかというと私はレモンティーだったのだから。ただ、次の乗り換え列車に座れないと困る。であるからキオスクで買ったパンなどを頬張りながら次の列車の出発ホームで待つ。別にそこまでしなくとも座席は確保できるはずなのであるが、やはり心配性なのであろう。そんなこんなで待つ列車は、鹿児島本線の普通列車でありながらなんと気動車であった。

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かつて全区間電化区間を走るDC急行として名高かった急行「赤倉」。確か名古屋~新潟間で運転していた。写真は確か長野駅であった記憶。

全線電化区間を気動車が走るとは、かつての国鉄時代によく見られた光景であるが現在も「肥薩おれんじ」でその形をある意味引き継いでいるようになっている。国鉄時代のそれと意味内容は恐らく違えど、結果的にそうなっているのは何とも感慨深いものだ。そういえば、かつて全区間電化区間を走るDC急行で「赤倉」という列車があった。確か名古屋~新潟間の運転であっと記憶しているが、確かキハ58的な車両であったと思う。普通に一般の考えなら電化区間を走るのだから電車にすれば?って思うのだが、国鉄なりの事情があったのであろう。であるから逆に「赤倉ファン」「赤倉フリーク」が不特定多数日本中に存在していた事であろう。そんな列車を彷彿させてしまう今回の旅は、コンディション的に大牟田付近から雨⇒大雨にシフトチェンジしていった。



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1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑤

夕方から夜にシフトチェンジしていくわけであるが、広島から一気に小郡(現・新山口)までのりかえ無しで便利であった。だが、ある意味逆にエコノミー何とかになりそうなくらい精神的に修行に近い何かを感じずにいられない。これから予定では5日間の行程で旅籠にも身を寄せず、ただひたすらに車中泊なのだから帰郷まで持つかどうか不安になる・・・なんて事は無く、当時中学生の私に不安など全く無し!むしろ期待の方が大きかった。
小郡で39分の待ち合わせでいよいよ門司へ。1978年に寝台特急「富士」で訪問して以来の九州である。そして普通列車では初の九州入りであった。もちろん、下関や門司で機関車の交換はないので停車時間も少ない。

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こちらは2011年訪問時の門司港であるが、1983年当時とほとんど変わらない。その理由は皆様の方がよくご存知であろう。この日は小学生の社会見学か修学旅行と思われる団体と遭遇。

さて、既に紹介しているが、門司より門司港へ向かい、門司港より夜行普通列車「ながさき」に乗車・・・そこが今夜の「旅籠(はたご)」になる。そう、私は当時の夜行普通列車「ながさき」の乗車は単なる「旅籠」に過ぎず、ある意味その「ながさき」の価値や素晴らしさがわからないまま「旅籠」として利用していた。そう、あくまで目的は鹿児島交通制覇であったのだから。今考えたら実に子供的であり少年的な考え方であった事だろう。皆様はどういう印象を持たれたか・・・でもやはり、事情はどうあれ「ながさき」に乗車できた事は私にとって「財産」かも知れない。

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こちらは「maatan」様提供の夜行普通列車「ながさき」。今思えば、とても贅沢な旅であったと思う。何せ、このような夜行列車を「旅籠」として利用してしまうのだから・・・

「旅籠」として今夜は「ながさき」にお世話になるが、考えてみたら東京を23時半頃出発して門司港に到着したのは22時頃・・・なんと。まる1日列車に揺られて九州に到着した事になる!!普通列車だとこんなに時間を費やすのか・・・いや、そうではない。視点を変えて見ると普通列車だけで東京から九州にやってくるという事は実に「大いなる発見」がある。そして先述通り、もちろん精神力や体力も必要となる。だが、そうした苦労を経て到着した門司港のホームに降り立った時、ものすごく旅の醍醐味を感じた・・・と言うのは表向きの表現で、本音を言わせてもらうと「ながさき」の座席を確保しなければ・・・何番線?みたいな感じであった。大垣夜行の「3時間待ち」の印象から、今回は1時間しかない待ち時間に不安が募っていたので「早く早く!!」みたいに「ながさき」の出発ホームを確認したかった。

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門司港では「ながさき」の出発時間までやや時間があったので他のホームの「勇姿達」を収めていた。この写真は以前にも紹介しているのでご存知の方もおられよう。被写体の主役「有明」の横には、夜行急行列車「かいもん」が停車している。

結論から言うと・・・18シーズンにも関わらず、余裕で座席を確保できる環境であった。極端に言えば出発5分前でも十分に座れる内容であった。それは、北九州ではちょうどその頃帰宅時間帯なので博多までの間にどこかしら席が空くという計算があるという部分もあるが、更にレールファンの姿もそれほど見かけなかったのがいい意味での誤算であった。そんな列車に乗りながら「ながさき」に乗り長崎行に乗車する。あれ?ちょっと待った。お宅、西鹿児島まで行くんじゃない?そう、もう既にこのブログで散々紹介しているので古くから私のブログをご覧なされている方はもうお分かりであろう。途中の肥前山口で上り「ながさき」にのりかえ、更に旅籠の役割を深く、そして濃くするのがこの旅の重要部分。あくまで「ながさき」は「旅籠」でなければならないのだ。それが中学生時代の私の旅の方程式であった。



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1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅④

姫路で40分近く待ち時間があった。せっかくだからと播但線の飾磨港線を乗りたいと時刻表を計画段階で見ていたが、朝1本、夕方1本しか列車設定がなく、こちらも乗りつぶし泣かせの路線であった。というより播但線とは全く性質が違い、しかも山陽電気鉄道とほぼ並走しているため利用者はそう多くない。しかも気動車の単行がコトコト走る記憶であったので尚更乗車意欲をそそられる。結局制覇できないまま現在を迎えてしまい勿体無い思いであるが・・・「後髪ひかれ隊」的な思いを胸に姫路を後にして更に西へ向かう。

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まさか「18」の旅紹介で新幹線の画像を載せると思わなかったが・・・というか、旅をするならこちらが定番であるのが一般的だが、普通列車のみでの旅はいろんな発見があると同時に自分との戦いの場面も少なくない。

岡山・・・大きい、広島・・・でかい。駅の規模、利用者、乗換えなど、あらゆる面での要衝であり、中国地方の中心的存在でもある。そして何と言っても新幹線が実にいい働きをしているが、東京~新大阪間に比べこの西の新幹線はやや苦戦を強いられている。
ある鉄道アナリストによると「新幹線三時間説」というのがあるらしく、目的地まで4時間以上かかると敬遠されてしまう率が高くなるという。その理屈だと、東京を基準に考えた場合だと大体岡山くらいか。かつては「弾丸列車」「夢の超特急」などと言われオリンピックや万博などでそのパワーをいかんなく発揮してきたが、最近では「ライバル」の台頭や環境の変化など、様々な対応を求められている。だが、普通列車に乗っているとそんな難しい理屈やしがらみなどを忘れてしまう・・・「生活」という名の普段がゆっくりと進行していく空間に「普段」ではない私が身を置いて「普段」を感じる・・・当時中学生の私に「18」はそんな事を教えてくれた。

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恐らく岩国であった記憶である山陽本線の普通列車。東海道線では見慣れた車両であるが、塗装ひとつで印象がこうも変わるもかと思う。

そんな「生活」を感じながら旅が進行していくわけであるが、広島に着いた頃には既に帰宅ラッシュが始まっている時間帯であり、そう易々と「生活」を感じている余裕は無い。というより生活感がにじみ出すぎて座席は確保できているが常に相席のためエコノミックな姿勢を常に強いられる。そしてそんな中で駅名標に向けシャッターを切る自分が妙に周囲に溶け込んでいない。そう、レールファンは常に孤独な存在なのであろう。

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画像はウィキより。近年では先述した117系が山陽地区でも活躍していた。本当に塗装ひとつで印象が変わってしまうものであるが、製造開始からすでに30年以上経過し、そろそろ「思い出の車両」になってしまう時期であろう。だが「名車」である事には変わりない!

岩国から快速運転になり主要駅のみの停車となるが、途中、岩徳線はかつての山陽本線であったのは周知の事であろう。だが、私の持っている切符は「18」であるためどちらを経由しても運賃計算のルールは完全に皆無だ。「特例区間」も所有している切符によってはあまり意味のないものになってしまうのも意味深であるが、当時の中学生の私にしてみたらそんな事考える能力も無かった。だが・・・そう、金はないが時間はある。学生の特権である季節ごとの長期休暇を大いに利用すれば全国制覇も夢ではない!などと大きな決意を胸に、更に西へと向かったのであった。


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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