国境の長いトンネルを抜けると、そこは「ぐんまちゃん」だった。信越編② 熊ノ平
2023-10-07

何とも物騒な駅名であるが、既に廃止された駅「熊ノ平」は現在は安中市が管理している。
信越本線の横川~軽井沢間にあった信号場で単線時代は列車交換が行われたが、両脇をトンネルに挟まれ有効長がとれなかったため、かつての湯田中に近いイメージの変形スイッチバック駅であった。
複線化されてからは変電所としての意味合いが濃くなったが、実質的には閉塞境界としての役割をしていた。



写真の順番が前後するのはわかりやすくするためであるが、ご覧の通り国道沿いに駐車場があり、そしてバス停もある。つまりここが熊ノ平への拠点となる場所だ。私はこの駐車場(無料)に停め旧・熊ノ平信号場へと向かった。それにしてもご覧の通り、スティーブ・ウイリアムスのバックドロップなみの急角度な階段が続く。果たして本当にこの上に駅があるのか・・・
以前は旅客駅になった事もあったが、私の知る現役時代は信号場に降格してからである。
旅客駅だったと言っても駅周辺に集落や民家があるわけでもない。いや、あったかも知れないが、鉄道運営に影響を及ぼすようなほどの数値ではないだろう。やはり列車の運行上の都合や保線員達の便宜を図るためのものと思われる。


急角度な階段を登りきるとご覧の平坦な場所に出るが、この平坦な場所こそ熊ノ平駅の入口となる。この急角度な地形によくこうした平坦な場所を形成したかと思うと非常に頭が下がる思いである。
さて、私は2023年の夏にこの地を訪問したわけであるが、とにかく暑い!連日の猛暑の中、よく旅に出たなと自分でも感心してしまうが、この熊ノ平訪問はとても便利だった。まず駐車場があった!そしてその駐車場の脇には横川~軽井沢間に運転されている代行バスの停留所もあったのだ。鉄道遺産のアーチ橋にもほど近く、旧線跡はハイキングコースとなっているため気軽に辿る事ができる。ただ、夏場だけは避けた方がよさそうだが、意外にもその手の人物的ギャラリーが多数いらっしゃっていた。
私は今回、アーチ橋などの散策は見送ったが、熊ノ平は散策させていただいた。

道しるべか示す方向にはアーチ橋がある。アーチ橋へは既にマイカーで下部のみ訪問させていただいたが、今回は猛暑という事でアーチ橋への徒歩によるアプローチは断念した。
まず駅へのアプローチであるが、山に張り付いたようなかなり角度のある長い階段を登らなければならない。私の妻は数年前に足を骨折しボルトが組み込まれている。普段の生活での歩行は問題ないが、長時間、長距離の歩行は困難で車椅子を要する。そのため、タイガードライバー'91並みの角度がある階段を利用しなければならないので、確実に熊ノ平の姿を見ることはできない。それくらい険しい道を辿らなければならないのだ。もちろん現在は観光化されているため登りやすく加工されてはいるが、やはり現役時代に普通に駅として利用しようとする場合はかなりのリスクがあったであろう。
だが、基本的には信号場とてして設置されたわけであるからいわば「業務用」なわけで、敷設時については一般の旅客に関してアウト・オブ・眼中だったのだろう。いずれにしても、私のようなレールファンにとってはこうした時刻表などに出てこない「隠れキャラ」は異様にそそられる想いである。

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「続きを読む」をクリックすると駅構内の様子がご覧になれます。
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熊に逢ったらどうするか 最終章 湧網線 計呂地
2022-06-11

さて、このシリーズもいよいよ千秋楽となった。最後に、私が現役時代に訪問する事のできなかった湧網線の計呂地を紹介してみよう。湧網線とはご存知、国鉄時代に赤字ローカル線の常連として顔を連ねていたが、以前にも触れた通り冬のオホーツクの車窓は雄大であった。といっても私は未制覇に終わったので私の口からいかにも的な事は言えないのだが、流氷を望める鉄道路線としては絶対的に唯一な存在であったイメージだ。



ご覧の通り、現在は鉄道公園的に整備されている計呂地。開通当時の湧網線には開拓部落の方々の期待がかなり込められていたのであろう。当時の輸送手段としては鉄道がほぼ唯一的な存在であったろうためにその思いも一際だったに違いない。
その湧網線にあった「ケロチ」であるが、かつて新日本プロレスでリングアナをしていたわけではない。しかしながらこうして鉄道公園的に保存されているとはつい最近まで知らなかった。もっといえば訪問直前まで知らなかったのだが、湧網線は私の思っていたイメージとは裏腹に、鉄道の証が意外に保存されていたのは驚きであった。
今回の湧網線訪問は計呂地しか訪問できなかったが、できれば保存されている佐呂間や卯原内にもいずれ訪問してみたいと思う。特に卯原内は駅こそ登場しないものの、日本映画の名作「男はつらいよ」の第11作で「開拓部落」として大きな牧場が登場しているのでぜひとも当時の情景と現在を照らし合わせてみたい。




ホームに行ってみるとご覧の車両が停泊していた。私は湧網線はDCの時代しか知らないため、こうしてPCの風景を見るのがある意味貴重なイメージがある。もちろんこうした車両は国鉄時代に全国で散々お世話になったので思い入れも深い。
湧網線の件に関しては既に述べているが、改めて乗りつぶし泣かせな路線であった。網走でも湧別でも乗り換えで2時間くらい待つ場面が多くなかなかすんなりと行かせてもらえない。先述通り、列車運転系統的に名寄本線の湧別支線と湧網線が一体化されているイメージが強く、時刻表自体も一体化されての表示であった。ただ、湧別支線の運転本数が極端に少なく、朝夕それぞれ一往復であったので、乗りつぶし計画は湧別支線の列車に合わせてプランニングしなければならない。


その旧型客車の先頭には・・・ご覧の車両がリーダーとなっていた。私的には先述通りDCのイメージが強いため、湧網線とはかなりかけ離れた印象であるが、北海道でよく聞く炭鉱的な目的での敷設ではなさそうなので尚更SL的な印象が薄い。
では石北本線の夜行急行「大雪」を使うとどうなるか。下り「大雪」で遠軽を下車すると名寄本線の連絡体制は取れてるが、中湧別で2時間待ちになる。ではその待ち時間に渚滑線など行こうとしても時間がたりない。結局中湧別で待つのが自然的な考えだ。 むしろ名寄本線制覇後に湧別から湧網線経由の最終列車に乗れば網走で上り大雪に連絡するので一番良い選択肢であろう。つまりこの湧別支線がひとつのネックとなる。湧別に寄らなければ中湧別で湧網線との連絡が良く、むしろひねくれた乗り方をする私自身が悪いという事になる!いずれにしても少ない列車本数の中でこうして連絡する列車同士は非常に貴重な存在であったが、そんなやりとりも過去の話となってしまい寂しい限りである。



先程から気にはなっていたが・・・リーダーの先には跨線橋が!もちろん現役引退後に設置されたものと思われるが(当然であるが)、意味があるかどうかは別にして、訪問当時は入口にネットが張ってあったので跨線橋を利用して隣のホームへ行く事ができなかった。

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熊に逢ったらどうするか・アゲイン ふるさと銀河線③ 陸別
2022-05-21

「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」第20段にも登場する陸別であるが、現在は周知の通り道の駅として第二の人生を送っている。更に観光用ながら鉄道が健在であるのがいい。
ライダーハウスとして宿泊施設もありライダーはもちろん、最終バスを下車して翌日に始発のバスに乗るという太川、蛭子コンビが実践したパターンも可能である。
私自身、陸別に関しては足寄や置戸などに比べ印象は薄かったのだが、訪れてみて「あぁ~っ、やっぱり大きな駅だね」というくらいの風格が伝わってきた。国鉄時代から陸別~置戸間がもっとも乗客僅少であり、特に先述の川上などは利用者ゼロ的な数値の羅列をよく見かけたものだ。その中で乗降客数の三桁は言わば大都会的な印象であろう。
そしてお馴染みの運転体験は廃止された路線の一部を使用し陸別より分線辺りまで走っていると既に百恋の章でも紹介している。廃止されて尚、ここ陸別の鼓動は止まっていないのだ。



「太川&蛭子コンビ」が森尾由美を向えて放送された某旅番組では旧・ふるさと銀河線の旅が実現した。帯広のバス案内所で教えてもらった最終バスの終点「陸別道の駅」にあるオーロラハウスに宿泊する事になるのだが、もし国鉄時代にもオーロラハウスがあったら私も活用していたに違いない!



ど~ですか、お客さん!隣の道の駅・足寄の「千春」にも引けを取らない「りくべつ鉄道」のアピール。ここ陸別では廃止されたはずのふるさと銀河線が、激しい鼓動を響かせながら我々を迎えてくれる!









もちろん若干の変更はあるものの、往年の風景が蘇る。現役時代では訓子府や足寄に比べ利用者は多くないものの、運営上の要衝としても活躍した。







とりあえず出し惜しみなく紹介しておこう。ご覧の通り、雪国ならではの駅設備が目を引く。その設備を見るだけでも何となくアバンチュールな気持ちになりそうであるが、太川&蛭子タッグはこの風景に気づいていたであろうか・・・

なぜか陸別にあった駅名標。であるが、ある意味ここまでの延伸を当時は考えていたので、無言のアピールだったのかも知れない。

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熊に逢ったらどうするか・アゲイン ふるさと銀河線② 百恋「駅」
2022-05-14
ふるさと銀河線の中で最も新しい駅が「カネラン」とここ「百恋」であろう。とは言え、ご存知のようにふるさと銀河線が廃止されてから設置された駅であり・・・って「廃止されてから」と但し書きをする事自体が不自然であるが、もちろんこれは観光用の「りくべつ鉄道」により設置された駅で、池北線時代には無かった、ある意味架空の駅である。後に紹介する陸別と分線との間に設置された駅であるが、ホームの長さは車両一両分にも満たない、車両ドアひとつ分よりやや大きいくらいに過ぎない。ただ、こうしてりくべつ鉄道の手によって現在も池北線が活かされている事は、我々にとっては非常にありがたい事である。
今回の訪問でカネランと分線は寄らなかったが、分線は将来的にホームが設置されて観光用として「復活」するらしい。そしてカネランは体験運転用の目標物となる模擬駅で、プラットホームは無く駅名標のみが存在する。かつて留萌本線にあった「浜中海水浴場」に近いイメージであるが、浜中海水浴場は駅名標も無かったので、こちらの方がワンランク上である!ただ、浜中海水浴場とは違い乗降ができないため、ある意味フィフティ・フィフティなのであろうか・・・


こちらが池北線で最も若い駅である百恋(ひゃっこい)駅。既に現役引退路線からのデビューであるが、ふるさと銀河線の未来がかかっているといっても過言では無い!

百恋から分線方面に目を向けると、ご覧の通り現役時代を彷彿させるような景色になっていた。訪問当時は将来的に百恋から分線まで区間を延伸する計画があったので、レール周りが手入れされている。いや、これはまだまだ営業してるでしょ?とさえ感じる光景だ。


百恋から見る陸別側はモロ現役!保線もしっかり、本当にこれが廃止路線?とでも言いたくなるような風景である。そして右手に見えるは「プラットホーム」であるのだが、車両のドアひとつ分対応の仮乗降場的風景であった。

百恋のホーム横には第三種踏切があり、その脇にはご覧の通りの但し書きが。私の訪問時はご覧の時間内に該当したが、列車がやってくる雰囲気はほぼ皆無であった。我が地元の相模線・西寒川もこうした保存の仕方を選択していたら現在の風景もまた違ったイメージが広がっていたであろう。

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今回の訪問でカネランと分線は寄らなかったが、分線は将来的にホームが設置されて観光用として「復活」するらしい。そしてカネランは体験運転用の目標物となる模擬駅で、プラットホームは無く駅名標のみが存在する。かつて留萌本線にあった「浜中海水浴場」に近いイメージであるが、浜中海水浴場は駅名標も無かったので、こちらの方がワンランク上である!ただ、浜中海水浴場とは違い乗降ができないため、ある意味フィフティ・フィフティなのであろうか・・・


こちらが池北線で最も若い駅である百恋(ひゃっこい)駅。既に現役引退路線からのデビューであるが、ふるさと銀河線の未来がかかっているといっても過言では無い!

百恋から分線方面に目を向けると、ご覧の通り現役時代を彷彿させるような景色になっていた。訪問当時は将来的に百恋から分線まで区間を延伸する計画があったので、レール周りが手入れされている。いや、これはまだまだ営業してるでしょ?とさえ感じる光景だ。


百恋から見る陸別側はモロ現役!保線もしっかり、本当にこれが廃止路線?とでも言いたくなるような風景である。そして右手に見えるは「プラットホーム」であるのだが、車両のドアひとつ分対応の仮乗降場的風景であった。

百恋のホーム横には第三種踏切があり、その脇にはご覧の通りの但し書きが。私の訪問時はご覧の時間内に該当したが、列車がやってくる雰囲気はほぼ皆無であった。我が地元の相模線・西寒川もこうした保存の仕方を選択していたら現在の風景もまた違ったイメージが広がっていたであろう。

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熊に逢ったらどうするか・アゲイン ふるさと銀河線① 川上
2022-05-07

麻衣子、哲治と聞いて世代が分かれるであろう川上であるが、ふるさと銀河線になる前の国鉄時代からかなり秘境度が高い地味な駅としてマニアの間では有名であった。ただ、某秘境駅訪問家のお陰で一気にメジャーに昇進したイメージであったが、勢い虚しく力尽きてしまったのが2004年であった。



国道沿いに駅はあった。とても旅客駅としては銭儲けできないような風景であるが、ご覧の通り、かつては何かがあったとレールファンではなくてもわかるような風景が広がっていた。
既に国鉄時代から周囲は旅客輸送に向いている風景ではなかったので路線ごとの廃止がささやかれていたが、地元の皆様のお陰で第三セクターとして暫く生き延びてきた。しかしながら、年間二億円以上の赤字は第三セクター経営であるがゆえ地元自治体にはかなり負担がかかり、経営を断念せざるを得なかった関係首脳陣の英断に勇気を見たイメージであった。
現在は特に道の駅として活躍する陸別や足寄などが有名であるが、既に紹介している小利別や訓子府など銀河線は遺構が多く残されている。だが、時間の経過と共に失われていくものも少なくなく、もし気になる存在があるならば即座の行動が良いのであろうが、まずはコロナや海外の情勢が落ち着かなければならないであろう。


ホームに出てみた。ホームの下にある轍はもちろんかつてレールがあった証である。思っていたよりも保存状態が良く、ちゃんと草刈すればかなりの姿でかつての勇姿が顔を出しそうだ。
さて川上であるが、国道沿いに駅があった。かつては朽ち果てた木造ベンチのある木造駅舎を某秘境駅訪問家が紹介していたが、私が訪問した時点では既に解体されホームのみが残る状態であった。そのホームもいつかは自然に返ってしまいそうな雰囲気でもあったが、そこに代替えバスのバス停かあるかぎり、唯一の目印になってくれるであろう。しかしながら秘境駅訪問家が訪問しているという事は、その周囲には民家が無い、つまり旅客を主体とする鉄道運営にはほぼ限りなく向いていないという事になろう。という事は、そのバス停もいつ無くなるかわからないという事だ

私の訪問時には既に木造駅舎は撤去された後であった。ご覧のとおり駅名標も取り外されており、鉄道の歴史を語るのは草に埋もれたホームのみとなってしまった。
既に駅が、そして鉄道が失われた現在、そこにある記憶と記録を知る生き承認もやがて年齢を重ね世代が新陳代謝されると、写真などの記録が非常に貴重なものとなってくる。幸い、現在はデジタル化が進みそうした記録物も劣化が最小限に抑えられ次の世代に継承できるイメージである。もちろん「一子相伝」ではないので広く不特定多数の方々に継承出来る事であろう。

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