萌エル留萌

空が青く晴れ渡る日であった・・・6月というのに清々しい。そういえば北海道に梅雨など無いと聞いた。私のような関東人にしてみれば6月は敵であろう。あのジメジメした空気、蒸し暑いのに窓は開けられない、洗濯物は干せない・・・など、なんだか所帯染みた言葉を並べてしまったが、梅雨前線が来ない北海道は羨ましい。そんな中、私は留萌駅に降り立った。しかし私の知っている「留萌」ではなかった。恐らく開業当時からの物と思われるホームや駅舎であるが、当時の活気は既に無く、留萌「本線」と呼ぶには若干抵抗ある姿で乗降客も僅少であった。
かつては石炭を積んだ貨物列車で賑わった事であろう。留萌本線からは羽幌線を始め、恵比島では留萌鉄道、石狩沼田では札沼線、深川では深名線が接続していた。特に羽幌線や留萌鉄道などは貨物列車の運行も多かったであろう。だが、私が物心ついたころは既に石炭の時代は終焉を迎えており、留萌鉄道は既に無く、羽幌線も既に廃止候補に挙がっており「時代」が終わっていた。

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(留萌駅の旧・羽幌線方面を臨むが・・・完全に「空間」しか残っておらず、かつての清栄は既に感じられなかった。)

留萌は、かつてニシン漁が盛んだったらしい。石炭の他にニシンを沢山乗せた列車も右往左往し活気があったであろう。ニシンとは「鰊」と書く。ニシンは独特な匂いがあり、他の魚よりも若干骨が多く捌くのが若干面倒だ。煮つけが主流の魚であるが「焼き」も良い。最も身近なのが「身欠」であろう。「ソフト」と「本乾」とあるが、やたら年始になると活躍する。また、タケノコの季節にも欠かせないであろう・・・と、長々と書いたがこのブログは「鉄道」をテーマとしているので魚の事はこの辺にしておこう。
とにかく留萌駅の構内はだだっ広い。かつて羽幌線が分岐していた頃は若干Yの字にホームが分かれており留萌本線と羽幌線のホームの間に沢山の側線があった。その側線には沢山の貨物列車が停車していたことであろう。しかし羽幌線は廃止され、留萌本線の設備を残し他は全て撤去されてしまった。かつての羽幌線のホーム跡付近は某会社かなにかの広場となっているみたいで、若干名が野球みたいな事をしていた。

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かつては羽幌線のホームまでつながっていた跨線橋は隣のホームで完全に途切れている。羽幌線と留萌本線との間には多くの貨物側線があり、駅舎から羽幌線のホームまではかなり歩かされた。)

そして羽幌線へと続く跨線橋は留萌本線用のホームより先は途切れ、不自然な形の角度で残っていた。1両ないし2両編成の旅客列車が往復するにしてはやたら有効長が長い構内設備は「本線」として機能していた時の名残だ。私の乗ってきた列車は2両編成であったが、先頭の一両は終点「増毛」までの列車となり、後ろの一両は深川まで折り返す。文字通り「中心駅」ではあるが、現在駅の一日の乗車人員は100人を切っている。私の知っている限りでは乗降客数が2千人位はいたはずだ。留萌から例えば札幌へ行く場合、JRを使うより高速バスの方が便利がいい。鉄道を利用する場合よりは時間的にも経済的にも有利になる。もちろんJRで札幌へ行く人はほぼ皆無に等しいと思われるが、現在までも留萌本線が残っている事さえ奇跡かもしれない。

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(時代も変わり、長い編成の貨物列車は来なくなってしまった。1~2両のDCでは完全にホームを持て余し気味。)

先ほど乗ってきた列車に再び乗り、今度は増毛に向かった。途中、山景色から一気に海景色へと変わった!留萌本線より映し出される海の風景は度々雑誌等で紹介されており私も知ってはいたが、ここまで急に景色が変わるとさすがに戸惑う。かつて瀬越と礼受の間に「浜中海水浴場」という臨時駅があったらしい。しかし実態は駅舎はおろか、ホームもなく、シーズンに係員が、まるで飛行機のタラップのように列車のドアにステップを装着して対応したらしい。この臨時駅が留萌本線の増収に繋がったかは別として、少しでも増収を図ろうとする民営化後間もないJRの努力に拍手を送りたい。
そして増毛に到着したが、こちらも構内は広いが旅客扱いにに最低限の設備に縮小されており、更地には所謂「ぺんぺん草」が存在した。ここよりかつては延伸計画もあったが、当然のごとく頓挫しているだろう。増毛の名前の由来はアイヌ語の「マシ・ケ=カモメのいるところ」らしいが詳細は不明である。何ともロマンのある駅名である。

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(増毛駅には広い空間がただただ目立っていた。当然ながら貨物側線であったろう空間であるが・・・)

増毛より折り返し深川に向かった。途中、先ほど紹介した「恵比島」を過ぎる。かつて映画のロケ地として「明日萌」の別名があるが、昔ながら駅舎がありノスタルジックにしてくれる。しかし留萌鉄道の「る」の字も無く、面影を見いだせない。更に石狩沼田では札沼線が接続していたと先述したが、全く分からないほど「さ」の字も無い。札沼線とは文字通り「札幌」と「沼田」を結ぶ路線であったが、新十津川~石狩沼田間が廃止されてしまった。もし現在もこの区間が存在しても留萌本線の乗客減に歯止めはかからないはずだ。
そして深名線の接続していた深川に到着した。もちろん深名線の姿は既になかったが、ホームをそのまま留萌本線の転用されていた、というより留萌本線と深名線はかつては共用していたはずなので違和感なしであったか。「本線」と名乗るものが「支線」と共用とは、何か煮え切れぬ想いがあるが・・

栄枯盛衰・・・北海道の、いや、全国の地方鉄道の典型的な姿ではあるが、やはり寂しさを否定できない。留萌駅の有効長たっぷりのホームは、確かにかつて沢山の乗客で賑わいを見せた事だろう。やがて交通の主役の座を奪われ「抜け殻」だけが残っている。かつての盟友たちも次々と廃止されていく中で「列車が走る奇跡」は次の世代にどう映るか?そしてどう受け止めるか?もちろん「華やかな未来」はあるとは思えない。しかし時代を生きた「証人」は、今もこうして生き続ける。姿を変え、形を変え・・・

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各駅停車で宗谷本線を旅してみた!③

美深はなかなかおしゃれな駅舎をしていた。列車が到着すると初老の紳士が2~3名下車。名寄本線の主要駅らしい機能をしている・・・と表現していいかわからないが、利用者がいるのは素晴らしい事だ。

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(紋穂内では貨車駅舎が登場。私に経済的余裕があったら是非塗り直したい気持ちでいっぱいであるが・・・)

そういえば、宗谷本線に限らず、北海道には国鉄時代に「仮乗降場」呼ばれる駅が多く存在した。いわゆる本社公認か地方管理局の判断での設置かの違いであるが、仮乗降場に関しては全国版時刻表には掲載されていない。そのためその存在をどう知るかというと、北海道内のみで販売されている「道内時刻表」でその存在を知る事ができるのだ。私は1982年に、いわゆる「通販」で初めて購入した道内時刻表を見て驚いた!その数は、何と数え切れないくらいに北海道全域に散りばめられていたのだ。

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(北海道では「~ナイ」と着く地名・駅名が多い。ちなみに「ナイ」とはアイヌ語で「川」を意味するらしい。「~ペツ」も同じくアイヌ語で「川」の意味らしいが、恐らくその大きさから呼び名が違うのであろう。)

レールファンならご存知であろう、枕木やベニヤ板のような簡素な素材でできたような短いホームの駅は、かつて仮乗降場であった場合が多い。例えば留萌本線の留萌~増毛間では「礼受」「舎熊」以外はかつて仮乗降場であった(瀬越は臨時駅)。訪問なされた方や留萌本線をよくご存知の方ならお分かりであろう。やはり礼受と箸別などを比べてみてもその差は一目瞭然であろう。道内時刻表でこれらの駅を見つけた時に、なんだか「隠れキャラ」を見つけたような喜びを感じていたのは私だけであろうか・・・

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(宗谷本線の普通列車は想像していた通り、実に長閑な時間が過ぎていった。)

そんな「隠れキャラ」的な存在であったのが天塩川温泉だ。今では堂々とした駅の風格を醸し出すが、かつては全国版時刻表に載らない「隠れキャラ」であった。駅名を表現しているような施設は駅前には見当たらなかったが、限りなく駅に近い場所にその存在が確認できる事であろう。日本で最北の温泉は同じく宗谷本線の豊富が最寄りである豊富温泉と言われているが、この天塩川温泉も位置的には最北の部類に入るであろう。

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(かつては仮乗降場であった天塩川温泉。駅に昇格してからなんとなく風格が出てきた感があるが、駅前にその姿を見る事ができなかったのは残念であった。)

やがてこの旅の最終目的地、音威子府(おといねっぷ)に到着した。この駅は私がレールファンになってからずっと訪問したいと思っていた駅であると同時に、どうしても試してみたい「名物」があった。11月という時期は、東京方面ではそろそろ本格的な寒さを迎え「重いコート」も蔵出し始めた頃と思う。しかしここ音威子府に着く頃には天塩川も完全に銀世界と化しており、我々が普段イメージしている「北海道」がそこにあった。

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(実にロマンチックな駅名である「咲来」。気が付いたら辺り一面は銀世界であった。)



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各駅停車で宗谷本線を旅してみた!②

名寄を出た列車は早速北海道の大自然をじっくり私に見せてくれた。とりあえず今回の旅は鹿や熊などの被害はなかったが、いつ出てもおかしくない風景が延々と続く。天塩川に寄り添うように、季節によっては車窓をバラエティーにさせてくれるのは周知の通りであるが、どちらかというと私は駅設備の方が気になる存在だが・・・

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(名寄駅に到着。稚内行きに乗り換えるが、その時間3分。しかも跨線橋を使わせるとは!ダッシュしたのは言うまでもない。)

最初にたどり着いたのは日進である。なんというか、宗谷本線の、いや北海道の哀愁漂う駅の基本形のような駅だ。絵に書いたような日進。決して「指扇の隣」では無く、純粋に北海道の匂いがした(当然であろうが)。続いて北星。レールファンお馴染みのあの駅舎?というか待合室がデーンと出現。相変わらず味がある建物は、いつしか下車してみたい衝動を醸し出す。よくこの辺りの駅が「秘境」として紹介されるが、私が思うにそのような秘境度はあまり感じられず、むしろ付近に民家、というより酪農業の施設がそれなりに存在した。これが駅の存在する理由であろう。

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(宗谷本線らしい駅舎、というか待合室が現れる。まずは日進。)

そして更に天塩川が諄いくらいにくっついてくる景色の中、常に進行方向左側に集中して現れる。智恵文では貨車駅舎が登場する。そして隣の智北や南美深は典型的な仮乗降場の姿をしていて「らしさ」を醸し出していた。やはりこの辺はレンタカーで「熊シリーズ第二弾」でもやらないといけない雰囲気になってきた。いずれタイミングができたら是非実行してみようと思う。

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(そして北星。もうこの駅はお馴染みであろうが、私の訪問は11月。なのにもう「北海道らしさ」が顔をのぞかせていた。)

さて、美深に到着すると私はある行動にでた。それはかつての「美幸線」の確認作業だ。とは言え2008年には「スーパー宗谷」で下車はしなかったが初訪したためその作業は若干ながらした。しかし僅かな停車時間と美幸線とは逆の席に座っていたためその作業はできずにいた。帰りのサロベツでも同じであったが、今回は普通列車。そのため若干余裕があった。しかしながらもう既に確認作業をするまでもなく面影すら感じられなかった・・・中学時代は何度も訪問計画を立てたが「計画」で終わってしまい現在に至る、そんな美幸線は是非現役時代に体験してみたかったものだ。

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(智恵文では下車客の姿が!つまりこれが駅の存在理由になるのだが・・・よくぞお元気で!このあとこの乗客は駅舎横に停めてあった自転車で駅を離れていった。)

しかしながら「日本一」に輝いたのは、理由はどうあれある意味素晴らしい。そういえば九州の添田線なども「日本一」になった。赤字赤字と言ってはいたが、つまり「赤字率」であって「赤字額」ではない。美幸線の赤字額は、当時の国鉄全体で考えた場合、それほど大きな「額」ではなかったと思う。確かに赤字ではあったが、東海道線のそれに比べたら天と地ほどの差があったろう。

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(美深では美幸線の存在が私にとっては実に大きかった。しかしながら訪問できずに現在を迎えてしまったのが残念でならないが、現在は旧・仁宇布駅でその勇姿を確認できる。)

と、若干昔話をしてしまったが、逆にいえばそんな宗谷本線ひとつ取っても北海道の鉄路には色々なかつての記憶がいたるところにたくさん凝縮されいるので訪問していても実に明るく・楽しく・激しい!って、どこかのプロレス団体のキャッチフレーズになってしまったが・・・



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各駅停車で宗谷本線を旅してみた!①

2014年11月、夜行急行列車「はまなす」への乗車記は既に紹介したが、その道中の過程で音威子府を訪問した。その理由は・・・「常盤軒」に訪問する事だ!!単純に、そして純粋に常盤軒の訪問のために旭川から快速列車+普通列車に乗り北を目指したが、やはり宗谷本線は稚内まで各駅停車で訪問して始めて「絵になる」と思う。スーパー宗谷やサロベツではやや旅情が薄れる気がするのは私だけであろうか・・・

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(私は初めて高架化された旭川から列車に乗った。長いホームから発する普通列車は少々ホームを持て余し気味。)

今回は音威子府までしか訪問できなかったが、やはり名寄以北は素晴らしい内容で「宗谷本線フリーク」「宗谷本線マニア」が日本全国に存在するのも頷ける。私のように首都圏に在住していると、北海道のような大自然の景色は癒しの材料になるという事は、私と同じ経験をしていらっしゃる方も少なくないと思われる。そんな宗谷本線の一部ではあるが、あらゆる鉄道情報誌などでも紹介されている中、私なりの感性でも紹介てみよう。

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(近年、利用者増加が著しい永山。全国的に乗客が減少していく駅が多い中、旭川のベットタウンとして着実に発展している。)

今回は「はまなす」に乗車するために北海道入りしたが、その発車時間までに充分すぎるくらい時間があるため札幌市内や旭山動物園などに観光でもしようか・・・とも思っていたが、やはり北海道ではひとつ心残りがあった。それは「常盤軒」である。北海道へ行くのに人並みに観光ではやはり面白くない。という事で私は旭川空港に降り立った。早速市内行きの路線バスに乗り換えるが、空港玄関前がそのバス乗り場で我々飛行機の下車客を待ち構えていた。

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(名寄本線の主要駅のひとつである士別。かつては2千人近くいた乗降客も現在は700人くらいに減ってしまったが、主要駅の風格を今でも保っている事には変わり無い。)

今年(2014年)6月以来の旭川駅訪問となるが、やはり高架化されたばかりですべてが新しい。そして何より富良野線と他の路線が統一されてスッキリスリムになった旭川駅は実に機能的だ。そして私はその真新しいホームから初めて旭川より鉄道を利用する。有効長の長いホームにいた快速列車はたった1両編成であった。
旭川を出発するとすぐに地上に降りて従来の景色となったが、予想通り永山で一気に乗客がいなくなった。「女学生」という言い方は古いかもしれないが、永山まではこの方たちが主だった乗客だった。旭川のベットタウンとしてかなりの乗客があるのは周知の通りであるが、駅舎などはほぼ昔のままの佇まい。このアンマッチさがじつに良い!

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(レールファンにはお馴染みの塩狩。私の乗車した快速列車は通過してしまった。少々勿体無い・・・)

そんな永山を過ぎると車内は実に落ち着いた光景を見せながら比布や士別、和寒やそして何と風連などにも停車して名寄に到着した。乗り換え時間は何と3分!しかも跨線橋を使わなければならないとは!!JR北海道様、この辺りをもう少し配慮していただくと利用者も助かると思われるのですが・・・というより乗換客より名寄での下車客の方が多いからか。ならば接続時間をもう少しとっていただくと私も息を切らさずに乗り換えができたのだが・・・と個人的な意見ばかりを述べてしまったが、いずれにしてもこれから先の「宗谷本線」が実にワクワクする。しかも宗谷本線「初」各駅停車の旅。そう、宗谷本線はじっくり時間をかけて訪問するべき路線だ。


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北浜旅情(リメイク版)

私は今、釧路湿原のど真ん中に居る・・・そういえば、釧路湿原では「タンチョウ鶴」で有名であるが、私は野鳥評論化でも野鳥何とかの会に所属している訳でもないため、そちら方面の知識的なものを持ち合わせていない。しかし、そんな大自然の営みを垣間見る事が出来る釧網本線は、文字通り釧路と網走を結ぶ路線であるのだが「本線」と名の付くからには開拓時代の先人たちが、発展の期待を込められた鉄路であろう。建設当時、この路線に限らず「強制」や「タコ部屋」などの名の付く労働条件は、当時の人を苦しめ語り草になっている。そんな歴史がある北海道の鉄路も、時代と共に役目を終え中には廃止されてしまったものも多数ある。勿論生き残って今も尚「現役」の路線もあるが、現在は支線も持たない「本線」とは、かなりの拡大解釈をしても理解に苦しむであろう釧網本線。それはともかく、釧網本線制覇のため釧路発9時5分の3728Dに揺られながら北の大地を目で追っていた。

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(知床斜里に停車中の私の乗って来たDC。かつてはここから「根北線」が分岐していたが、僅か13年の短命に終わった。)

事前に地図で確認する限り、この辺りに人が住んでいるのであろうか・・・と背中を丸めながら白と黒の線をなぞっていたのだが、実際に訪れてみるとそんな心配は無用であった。釧路湿原の反対側はしっかり集落があり、釧網本線の需要を支えているものと思われる。と言っても専らマイカー専用のガレージがあり、一家に一台以上は「足」を所有していると思われる。つまり1日3~4本しか来ない列車などに頼らなくとも生活は成り立っているのであろう。

暫く走ると鹿が線路を横切り、列車の行く手を塞いだため列車は一時停止した。暫くすると列車は動き出し、先ほど線路を横切った鹿がこちらを振り向いて過ぎ行く列車を見送っていた。観光客と思われる数名の乗客は物珍しそうに鹿の行く手を追いかけては「あっ、あっちだ」みたいに、その方向に指を差していたが、私は前日に根室本線の釧路~根室間を往復した際に何度も同じ場面に遭遇した。既に珍しいという域を完全に超えていたが、とにかく列車がダイヤ通りに動いてくれなければ、接続する次の列車に影響する。幸いダイヤへの影響は無かったが、とりあえずこんな大自然の中を長閑に走ってる訳である。

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(グルメ路線の異名を持つ釧網本線。止別駅もそのひとつだ。駅舎にはラーメン店がある。「ツーラーメン」がお勧めらしいと聞く。)

暫くすると酪農業から住宅街へと景色が変化していった。そう「知床斜里」である。少々停車時間があったので駅舎の方に向おうとしたら「車内販売」が来た。地元の人が停車時間に列車に乗り込み名産品を販売しているのだ。その中に、噂の「生キャラメル」があるではないか!大分類では北海道だが、帯広と斜里ではかなり距離があるぞ!と思いながらも差し出された名産品の試食に妻はご満悦であった。駅名に「知床」が付いたのは近年であるが、昭和40年代には斜里から知床半島に向かい「根北線」と名の付く支線が存在した。「♪知床の岬に~」たる故人の歌があるが、そんな情緒ある風景とはかけ離れた超ローカル線であったろう。当時より大変地味な存在であったようで、廃止も地味であったようだ。私が行ったときは痕跡の「こ」の字も見ることが出来なかった。

そして列車は北海道で唯一、オホーツク海を車窓から眺める事が出来るところへ来た。流石に3月になると流氷も見ることは出来ないであろうが、この年は流氷が「不作」であったため、ピーク時に来ても結局見ることが出来なかった。とりあえず「雰囲気」だけでも味わおうと、事前に計画しておいた「北浜」で下車することとした。釧網本線は「グルメ路線」という別の顔を持っており、この北浜も駅に喫茶店が併設されている。

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(北浜駅駅舎。駅員無配置であるが、駅舎には軽食屋が入居。「エキナカ」と高をくくってはいけない。本格ランチが味わえるぞ!)

丁度昼飯時だし(と言うよりわざわざこの時間に到着するように計画済)名物のランチを頂く事に。鉄道ファンの間ではかなり有名だし、駅と併設という事で若干高をくくっていたが私の負けであった。出てきた料理は本格的で、ハンバーグランチは注文を受けてから肉のミンチをキャッチボールしていたくらい。そのため時間がかかるのだ。味については私が語るまでも無いだろう。経験していただければわかると思うが「大納得」である。しかもコーヒーはサービスとはなかなか気が利いているではないか!今回の北海道制覇の計画の正確さに、自分に表彰したいくらいの出来栄えであった。

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(北浜駅のホームにて。既に棒線化されたが「オホーツクに一番近い駅」は売り物だ。)

ランチを終えると、次の列車の時刻まで時間があったので周囲を散策した、と言っても若干の雨のため駅を離れることが出来ず駅舎の中に閉じこもったり駅舎の撮影をしたりで時は過ぎていいった。やがて網走行きの列車が到着し、私は角度を変え遠ざかる「喫茶店」に別れを告げ網走を目指した。網走に近付くにつれ車窓が大自然から住宅街に変化していった。「もうすぐ網走だ」。鉄道では初の「番外地」だが、予定では網走で約4分の乗り換え時間のため、私は急ぎ足で身支度を始めた。

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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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