熊に逢ったらどうするか・アゲイン 石北本線② 遠軽
2022-06-04

「えんがる」と言っても東京乾電池の一員でもなければ「あぶない刑事」のバイプレーヤー的存在だったわけでもない。
「えんがる」とは国鉄時代の全盛期ではSLの煙が絶えないイメージであった石北本線の要衝駅であるが、平地であるのにスイッチバック式となっているこの駅は、ここを通る全ての列車が停車する。

(平地であるがスイッチバック式の駅となっている遠軽。左右に分かれる鉄道風景は、ある意味塩尻に似ているような感じもする。列車が遠軽に近づくと少々の時間徐行運転をするので要衝駅の風格たっぷり!)
若い世代では、というか私の世代でもこの遠軽でのスイッチバックが、もちろん歴史的な知識はあっても違和感を感じるであろう。私はもちろん国鉄時代の、それこそ名寄本線のある時代から知ってはいるが、やはり石北本線として遠軽でのスイッチバックは名寄本線が健在であった時でも違和感を感じた。もちろんかつては湧別軽便鉄道としての歴史があり名寄本線と石北本線がひとつの路線としての活躍があって、スイッチバックでは無かった事を実体験ではなくとも知っているが、やはり遠軽のスイッチバックは実に素晴らしい。ある意味、平地でのスイッチバックという事は小田急の藤沢と類似の部類もあると思うが、何れにしても経営者側から見てもひとつの要衝であろう。


(北海道特有の気候から身を守るため、駅舎もやや高い位置に設置されている。網走でも同じような風景が見られるが、こちらは「番外地」では無い独特の雰囲気を醸し出す。)
特に国鉄時代ではやはりSL時代が最も全盛期であろうと思われるが、深夜の時間帯でも給水や機関車の入れ替えなどで活気付いていた事であるのが現在でも伝わって来るイメージでもある。しかしながらやはり名寄本線という片翼を失った遠軽の現在は、鉄道地図上でもアンバランスなイメージである。
既にプロローグでも触れているが、遠軽では夜行急行「大雪」と名寄本線との愛情が非常に良く、乗りつぶし派には大変重宝していた。名寄本線の始発でも最終でも連携プレーはバッチリで、上りは旭川や砂川辺りで、下りは北見や網走で乗り換えれば可能性もかなり広がるイメージであった。



(旅客ホームは国鉄時代から変わらぬ二面三線であるが、普通列車の到着時はかなりホームを持て余すイメージだ。2両でもまだまだ余裕あるホームは、3番線まで全てのホームが埋まる時間帯が現在はあるのか・・・)
そして遠軽から上川方面では白滝シリーズの駅がズラリと並んでいたし、網走方面では有名な常紋信号場があり、季節には多くのギャラリーが押し寄せていた事であろう。
とにかく石北本線は山深いイメージであるが、遠軽に来ると文明が開けある意味ホッとするのかも知れない。ただ、石北本線自体が存続問題の危機にさらされており、国鉄時代には考えられなかった「廃止」という二文字が現実になってしまうかも知れないところまで来ている。国鉄時代に赤字ローカル線と呼ばれる路線が廃止され北海道の鉄道路線は半減してしまったイメージであるが、更に将来的に「本線」と呼ばれる路線も廃止になってしまうと、北海道残る鉄道は札幌付近と室蘭本線、そして将来札幌まで開通予定の北海道新幹線のみになってしまう事も考えられなくもない!
しかしながら鉄道とは大量輸送する事で初めてメリットが生まれる。運ぶヒト・モノがないと逆にエネルギーをはじめ多くの労力が無駄になってしまうのだ。これからの地方鉄道は本当に時代に合った、いや、それを更に見越した活用法を見いださなければならない。

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熊に逢ったらどうするか・アゲイン 石北本線① 丸瀬布
2022-05-28

ひとつの市街地を形成している丸瀬布水谷町の代表でもある丸瀬布「駅」であるが、駅の構えも堂々と仁王立ちのイメージで構内もやや広い。国道沿いにある駅は町の施設も駅舎に同居し特急列車も停車するが、国鉄時代に比べ利用者はかなり減少しているようだ。隣の瀬戸瀬も利用者がかなり減少して究極ダイヤになっているが、特に石北本線や宗谷本線などは国鉄時代に比べ極端に駅の数や列車本数が激減しているのが気になり、今後路線自体が無くなる可能性も無いわけではない。
そんな中、なんとか沿線住民との協力風景を感じる丸瀬布は非常に暖かみを感じる。確かに並走する国道は道幅も広がり便利になった。そして旭川方面には高速道路も完成し速達性が増したのだが、鉄道の駅は特急も停車し札幌まで乗り換えなしで行けるはずなのにのんびりと時間が過ぎていくイメージでもある。石北本線自体の運転本数も減少した現在、今後の存在意義が間違いなく問われそうな雰囲気でもあった。
ところで丸瀬布といえば武利意森林鉄道であろう。国道からも「丸瀬布森林公園いこいの森」の看板が堂々とアピールされているし、なんといっても園内に観光用として軌道の一部を利用して現在もSL「雨宮21号」として動態保存されているのは有名どころである。
ただ、いかんせん訪問時の私にはスケジュールを詰め込みすぎて雨宮21号を拝む時間が無かった。どうしても昔の癖が抜けず、計画に余裕がなく分刻み的な工程を作り上げてしまうため予定外の行動ができないのが玉に瑕である・・・いや、瑕だらけのガラスの計画なのかも知れない・・・


丸瀬布には鉄道駅の他に「道の駅」もある。白滝方面から来ると久々の大都会的雰囲気にある意味ホッとする場面も。



そしてこちらが鉄道の駅。というよりは町の施設アピール度がかなり強い。確かに運転本数は少ないが、ちゃんと札幌方面への特急列車も停車するので、レールファンとしてはもっとJR度をアピールして欲しいのだが・・・

だって・・・鉄道施設とわかる標はこんな感じだったので・・・






そしていざホームへ。石北本線の現状がそのまま表現されているようでもあるが、それでもメンテナンスは行き届いていてとても清々しい。



商工会の方々の温もりを感じずにいられない風景。森林鉄道のSLもここから近いので次回訪問の際にはぜひとも立ち寄りたい。

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常盤軒よ永遠に・・・
2021-04-30

少々タイムラグがあるが残念なお知らせが届いた。新型肺炎による自粛等の関係により昨年から臨時休業していた音威子府の常盤軒であるが、今年の2月に店主が他界され正式に常盤軒の閉店が決定した。数々の思い出を残してくれた常磐軒は国鉄時代からの歴史に幕が降りた事実はしっかりと受け止めなければならない。JR化後はホーム上にあったものが駅舎内に移された常盤軒であるが、主(あるじ)の健在時代では常々「私の代でおしまい」と各メディアで発言していた。しかしながら、まさかこんなに早いタイミングでこの時を迎えようとは思いもしなかった。
私はもちろん国鉄時代からこの「名物」の存在を知っていたが、実際に音威子府に下車したのは2014年であった。そして2017年にはレンタカーにて再訪しているが、その訪問が最後となったのは非常に残念な思いである。今回は広島シリーズの途中であるが、数々の思い出を残してくれた常盤軒を、感謝の意を込めて追悼したく記事を寄せた。

2014年訪問時には普通列車からの訪問であった。できれば国鉄時代に旧型客車に揺られながらこの駅に降り立ってみたかったが、その夢は叶わず。国鉄時代の音威子府での普通列車は停車時間を長く取る場面が多々あったので常盤軒に寄るには最適な環境であったろう。

国鉄時代はホーム上にあった常盤軒であるが、JR化後の1990年に駅舎を改装した際に駅舎内に移転した。駅舎内にはお馴染みの天北線資料室もある。バスターミナルも併設され、正に村の中心的存在だ。





そしていざ「音威子府そば」へ。しかしながら長蛇の列!この後バス運転手もつかの間の休憩時間を使い常盤軒に訪問。なんとひとりで2杯も平らげ何事も無かったかのように去っていった。


蕎麦殻も一緒に挽いちゃう凄い蕎麦は、独特の風味がたまらない!つゆの味も、いわゆる「関東風」と表現すればいいのか、私的には程よい濃さがやみつきに。

たくさんの思い出をありがとうございます!心よりご冥福をお祈りいたします。
新春ジャイアントシリーズ⑨ 紋穂内、ふたたび
2021-03-30
2021年、今回のダイヤ改正により消え去った駅をバックナンバーにて紹介しているが、どれもこれも名駅ばかりである。つまり秘境駅と称賛され、我々レールファンが喜びそうな駅ほどフェードアウトしていく確率が高いという、何とも皮肉な現象になるのが何故かもどかしい。

私の乗った名寄発稚内行き普通列車は、初冬の彩りを車窓に魅せながら更に北へ向かう。11月というと北海道は既に初冬どころかすっかり銀世界になってしまっている沿線各地であるが、東京方面とは違い列車は定刻通りレールを刻んでいる。

2014年訪問時の紋穂内はご覧の通り銀世界。まだ11月だというのにかなりの積雪である。というより、北海道では当たり前の風景かも知れないが、やはり関東人の私には分かっていてもサプライズ!
東京方面はほんの少し雪が積もっただけで列車のダイヤが乱れたり高速道路がマヒしたりと、何かと雪事情になれていないせいか対応が鈍い。その点、北海道などの雪国は、その雪景色さえ日常なのだから交通的にも何も動じずにいつもの風景通り時間が進行していく。それこそ初冬の雪など全く雪のうちに入らないのかも知れない。

上記のショットと同じ角度からの2017年。ハッキリ言って秘境駅であるが、そんなカテゴリーではくくれない素敵な魅力を兼ね備えている。
そんな北海道は宗谷本線の列車に揺られているうちに紋穂内に到着した。もちろん乗降客はゼロ。「もちろん」という表現は、実はあまりよろしくないかも知れないが、やはり朝晩に集中して利用者の発生する公共交通手段ゆえに、特に地方は顕著に現れる。


ホームなんてご覧の通り。かつては2面2線であったが、正直言ってあまりその面影を感じられない。強いて言えば、左側の不自然な雑草部分がそれらしい風景であるが・・・
そして2017年夏にレンタカーで訪問した時は・・・かなり驚愕した!駅は主要道路から外れ、更に駅に続く一本道の最終地点にその駅はあった。つまりその道は紋穂内駅のためにあるという事だ。末端に行くにつれだんだんヒトケが無くなってくる・・・普通の常識なら駅に向かいうにつれ賑やかになっていくものだが、ここではそんな常識が通用しない。というより、かつては盛栄してたのであろうが、時代は変われど、利用者にすれば例え1日数本しかやってこない列車でも貴重な「足」として決まった時間にやって来る。ちゃんと自身の任務を無言で果たしている。だから鉄道は素晴らしい!だからレールが好きなんだ!と思わず叫んでしまいそうな宗谷本線の旅はまだまだ続く・・・



そろそろ駅舎もリニューアル時期であろう。そして私が紋穂内で一番気になっているのはこの道の存在。主要道路から外れ、ひたすらこの駅のために伸びている道だ。いいね!

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私の乗った名寄発稚内行き普通列車は、初冬の彩りを車窓に魅せながら更に北へ向かう。11月というと北海道は既に初冬どころかすっかり銀世界になってしまっている沿線各地であるが、東京方面とは違い列車は定刻通りレールを刻んでいる。

2014年訪問時の紋穂内はご覧の通り銀世界。まだ11月だというのにかなりの積雪である。というより、北海道では当たり前の風景かも知れないが、やはり関東人の私には分かっていてもサプライズ!
東京方面はほんの少し雪が積もっただけで列車のダイヤが乱れたり高速道路がマヒしたりと、何かと雪事情になれていないせいか対応が鈍い。その点、北海道などの雪国は、その雪景色さえ日常なのだから交通的にも何も動じずにいつもの風景通り時間が進行していく。それこそ初冬の雪など全く雪のうちに入らないのかも知れない。

上記のショットと同じ角度からの2017年。ハッキリ言って秘境駅であるが、そんなカテゴリーではくくれない素敵な魅力を兼ね備えている。
そんな北海道は宗谷本線の列車に揺られているうちに紋穂内に到着した。もちろん乗降客はゼロ。「もちろん」という表現は、実はあまりよろしくないかも知れないが、やはり朝晩に集中して利用者の発生する公共交通手段ゆえに、特に地方は顕著に現れる。


ホームなんてご覧の通り。かつては2面2線であったが、正直言ってあまりその面影を感じられない。強いて言えば、左側の不自然な雑草部分がそれらしい風景であるが・・・
そして2017年夏にレンタカーで訪問した時は・・・かなり驚愕した!駅は主要道路から外れ、更に駅に続く一本道の最終地点にその駅はあった。つまりその道は紋穂内駅のためにあるという事だ。末端に行くにつれだんだんヒトケが無くなってくる・・・普通の常識なら駅に向かいうにつれ賑やかになっていくものだが、ここではそんな常識が通用しない。というより、かつては盛栄してたのであろうが、時代は変われど、利用者にすれば例え1日数本しかやってこない列車でも貴重な「足」として決まった時間にやって来る。ちゃんと自身の任務を無言で果たしている。だから鉄道は素晴らしい!だからレールが好きなんだ!と思わず叫んでしまいそうな宗谷本線の旅はまだまだ続く・・・



そろそろ駅舎もリニューアル時期であろう。そして私が紋穂内で一番気になっているのはこの道の存在。主要道路から外れ、ひたすらこの駅のために伸びている道だ。いいね!

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新春ジャイアントシリーズ⑦ いよいよ 南美深に到着
2021-03-25

いよいよ北海道の典型的な駅の姿・・・昔仮乗降場とか秘境駅など、宗谷本線は盛りだくさんであるうちのひとつであるここ南美深は、美深からひと駅しか離れてないのにひっそりしている。とはいうものの、美深まで近いのでそれなりに利用者が期待できそうだか・・・



恐らくレール事情を知らない方ならこれが待合室と聞くと驚愕するであろう。我々的には味があってなかなかいい待合室と素直に受け止める事ができる、というよりむしろ大歓迎!な雰囲気。
そしてなによりかつて国鉄路線であった美深から分岐する美幸線の東美深や辺渓に割りと近い距離にあるのも特長であろう。そして辺渓より先は仁宇布まで約10キロ以上の間駅がなかったということは、それだけ利用者が期待出来なかったという事で、集落的な物が無かった事を示唆する。






ホームも同じことがいえよう。ただ、ここ南美深は私が物心ついた時には既に「仮」ではなかった。国鉄⇒JRに変遷する前の国鉄時代のかなり前の時期に駅に昇格している。
その点南美深は先程も触れたが東美深や辺渓に近いという事もあり、かつてはそれなりの利用者があったのであろう。だが、周知の通り美幸線は「日本一赤字のローカル線」というレッテルを貼られたまま廃止になってしまった。といっても赤字額ではなくて赤字率なので、当時の東海道本線に比べたら全然微々たるものであるが、いずれにしても赤字「率」というより収支係数(営業係数)ワーストワンに輝いた実績もあるのだからやはり廃止されても仕方なかったであろう。それは、例えば北見枝幸まで繋がっていたとしても同じ事がいえるだろう。

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