よろしく哀愁。よろしく九州㉑ 添田
2016-06-20

添田と言えば日田彦山線の駅であるが、かつては添田線が分岐していた。添田線を「分岐していた」と表現したが、かつてはその添田線が日田彦山線の一部であったのは周知の通りである。その証拠に、添田線現役時代は一番線から発着しており、本線である2番線・3番線の島式ホームは後付けであるかのように若干Yの字的にホームが離れていた。イメージ的には四国にある池ノ谷や奥羽本線の北山形のような感じであろう。その1番線は現在は無くなっており、2番線・3番線の島式ホームが残る異様な光景となってしまった。ホームから駅舎まではやや離れており不便さを感じる事であろうが、現在は駅員無配置となってしまった。添田のような駅に駅員がいないのはかつてを知る者にとっては信じられない光景であるが、現在ではこういった光景が普通の一般になってしまっている。更に添田線という片翼を失ってしまいかなり寂しく変化してしまったが、まだまだ昭和的なかつての面影も残っているのが嬉しい。

駅員無配置となってしまった添田。全くシンプルに機能している感じが漂う。もちろん、この駅に観光で来る者は私のようなもの好き以外皆無であろう。

駅舎を抜けホームに向かう。かつて添田線だった場所は抜け殻のようになっていた。

駅舎からホームまでが長い!現在の添田は2番線と3番線しかない。随分寂しくなったものだ。






ご覧の通り、唯一の島式ホームであるが、その他にわずかな側線と広い構内がかつての盛栄を無言で語っている。添田線と言えばかつては赤字ワーストの常連であった。一時は営業係数3000円代にまで転落した事がある。100円の利益をあげるのに経費が3000円以上かかるという理屈であるが、あくまで「額」ではなく「率」である。「額」で考えた場合、当時の東海道線のそれと比べた場合、ケタ外れの差があった。赤字ローカル線を廃止すれば国鉄の赤字が解消されると、当時の国鉄関係者は本気で考えていたのであろうか・・・

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よろしく哀愁。よろしく九州⑳ 歓遊舎ひこさん
2016-06-08

日田彦山線に新しい駅が誕生した。と言っても誕生してから既に8年が経過したが、その存在はいたって地味な部類に入るであろう。そして、文字通り道の駅に併設されているが「鉄道の駅」の入口も実に地味である。つまり、至っては私の得意分野でもあるわけだ。例えば道の駅を茶碗一杯のご飯に例えると、鉄道の駅はそのご飯粒一粒くらいであろうか。しかも入口が道の駅のわりかし地味な場所にありわかり辛い。完全に主役は「道の駅」である。考えてみたら道の駅に列車で訪れる人はそう多くないであろうし奇妙な行動でもあるが、実際に私のような「変わり者」もいるわけだからその存在意義も大きい!ただ、私の訪問時間帯的にそろそろ店じまい的な雰囲気であったので一部の店舗は明かりが消えていたが、地元で収穫された野菜なども販売しており、ある意味「地域密着」でもあろう。こうした駅はここだけではないが、地味さ加減を評価するとこの駅はトップクラスであろう。

これが道の駅・歓遊舎ひこさんである。鉄道の駅の入口は、写っていないが写真右側のハズレにある。

道の駅の建物脇にある「JR九州」の入口。というよりWCの入口と間違えそうな雰囲気である・・・

こんな感じの通路で結ばれている。道の駅の裏手に位置し、実にひっそりと地味に自身の役割を果たしている。


スミマセンが、この「鉄道の駅」も独占させていただいた。1面1線の棒線型ホームは普通列車しかやって来ない。至って地味で控えめな存在が逆に「フラッシング・エルボー(辻義就が言うと<フラッシュニング・エルボー>となるが)」のようにキラキラっと輝く。

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よろしく哀愁。よろしく九州⑲ 彦山
2016-06-04

彦山と言えば、言わずと知れた「英彦山」の最寄駅として活躍しているが・・・列車に揺られ英彦山を訪れる人はそう多くないであろう。もちろん休日などには一時の賑わいを見せるかも知れないが、普通に考えてみたらやはりレールファンが好む要素が多く含まれる日田彦山線の一部分であろう。とは言え、かつては賑わったであろう広い駅舎内は懐かしい雰囲気の木造である。今回私が訪問した時間帯は夕方であったが、ハッキリ言って貸切であった。駅前はコンパクトな「昔の観光地」的な雰囲気を醸し出しており実に味がある。それこそ「男はつらいよ」など映画のワンシーンにでも出てきそうなロケーションだ。

(国鉄型駅名標が今も健在!「英彦山」の玄関口として今も活躍している・・・と言いたいが、現在、交通の主役は既に交代しており、かつての名残が各所に見受けられるのみとなってしまった。)
今回私はレンタカーでの訪問となったが、文字通り「山の中」の駅であり日が暮れるのが早い。そして駅周辺は街を形成しているわけでもなく、むしろ秘境駅に近い。であるから、丸一日読書や旅計画など駅舎内で過ごすのも良さそうな感じだ。ハッキリ言って私の家にこういった空間が欲しい。
そして、交通の主役が「鉄道」から「車」に変わった事を象徴するかのように付近に「道の駅」が誕生した。その名も「観遊舎ひこさん」と名乗り、そして「鉄道の駅」も併設されてた。とは言え、やはり「鉄道の駅」は自身の存在をかなり地味にアピールしており、道の駅の片隅が鉄道の駅の入口となっている。私にしてみればその地味さ加減がたまらない!その「道の駅」は次章で紹介してみよう。


細かい部分の変更はあるものの、概ね塗装のみリニューアルされていると思われる駅舎は昔ながらの懐かしさがあふれる。



駅舎の待合室は意外に広い。もちろん「玄関口」としての役割からであろう。だが、私の訪問した時間帯は「秘境駅」的な雰囲気に包まれていた。もちろん「独占」であった。


2面3線の配線であるが、島式ホームはかつては屋根があったはずだ。現在はなんとなくスッキリしてしまって寂しい。

昭和的駅前の雰囲気たっぷり!彦山駅は併走する道路より一段高くなっている場所にある。それがまたこの駅を魅力的を引き立てる要素にもなっている。静寂に包まれたこの場所にもう少し滞在したい気分であるが、次の訪問先に向かわねばならない・・・

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よろしく哀愁。よろしく九州⑱ 和多田
2016-05-30

多分、この駅をわざわざ「観光用」として訪問するのは恐らく全国探しても私くらいであろう。実に生活感あふれる地味な駅であろうこの駅は、恐らくレールファンのブログでもそう取り上げられる事が多くないと思われる物件である。という事は、つまり私の「得意分野」でもあるわけだ。地味の真骨頂・・・和多田駅をひとことで言うとそんな表現ができるかも知れない。
さて、私がこの駅に初遭遇したのは1983年4月1日。つまり筑肥線部分電化開業直後で、更にこの駅の開業直後である。虹の松原~山本間が廃止された際に誕生した駅であるが、ある意味「呼子線」の駅として開業したという言い方もできる。それは東唐津も同じであろう。紹介が遅れたが、この駅はJR九州は筑肥線の駅であり開業は1983年3月22日である。駅の位置としては唐津市の市街地東側の端くらいにあり、当然ながら地元民の利用が約9割9分9厘9毛を占めるであろうと思われ、付近は住宅が多い。ちょっと歩けば道幅の広い国道があり、国道沿いには商業施設がひしめき合う。
駅の特徴として最もたるものは、駅のすぐそばを唐津線が通り過ぎていくという事か。筑肥線にはホームがあるが、すぐそばを走る唐津線にホームが無い。理由的にはもちろん佐賀線方面よりも博多方面への利用が圧倒的であろうという計算と建設費的な問題であろう。国鉄の駅として開業した和多田であるから当然その辺の事情もあろうが、逆に予定線である呼子線の一部を筑肥線として開業させ「東唐津」「山本」「唐津」と、行き先によって利用駅を使い分けなければいけなかった唐津市民の不便さを「唐津」に統合させた国鉄の英断も素晴らしい。確かに和多田に佐賀線のホームがあればこの和多田駅の価値も変わったであろうが、開業から30年以上たった今も開業当時とほとんど変化が無いのが逆にいい味を醸し出している印象でもあった。

国道から1本生活道路に入ると和多田に着く。高架駅として開業したが、開業当時のまま現在に至っている。

恐らく学生の利用が中心となるであろう。しかしながら付近は住宅街となっているので博多方面への通勤利用もあると思われる。



レールファン的にはハッキリ言って地味な存在であろう。普通に生活感あふれる駅であるから尚更だ。


1面1線の棒線型で、ハッキリ言ってなんの特徴も無い。しかしながら、私にとっては「新しい駅」的な存在で、しかも地味さ加減が気になる。


すぐそばを唐津線が走る。ハッキリ言ってホームがあっても良さそうだが、筑肥線側にしかホームが無い事で更に地味さ加減が倍増する!


上が開業直後の1983年4月1日で、下が2016年1月の訪問。比べてもらうとわかるが、開業当時はかなり「新百合ケ丘」「東戸塚」的な印象であるのがわかる。つまり「開発途上」であった開業当時から比べしっかりと「街」が形成されている印象だ。

そんな存在の和多田は実に素敵だ。そして更に次の訪問先に向かった。

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よろしく哀愁。よろしく九州⑮ 山本
2016-05-22

わりと地味に有名かも知れない山本であるが、その理由としては駅名と同じ苗字の方が多くおられる事であろうと思われる。事実、私の親戚にも「山本」はいるし、会社などではよく聞く苗字でもある。というより、そういうことを抜きにしてもこの駅は実に魅力のある駅で、まだまだ昭和の、いや、国鉄の面影が今も残る貴重な駅である。そう、決して地味な存在ではないが、こうした駅も私の得意分野であり好きな駅でもある。
若いレールファン等は筑肥線が分断されている事や本牟田部付近で唐津線と筑肥線がオーバークロスするのが、歴史的背景とはわかっているものの、恐らく実感としてないため不思議な感覚であろうと思う。私自身も実際にこの地に初めて訪問したのは1983年3月で筑肥線電化直後であった。そのため旧・東唐津や虹の松原~山本間の筑肥線は制覇していない。その訪問から30年以上経過して今回の訪問となった訳であるが、逆にその訪問当時とほとんど変わっていなかったのが嬉しかった。そして懐かしかった。初訪当時は、旧線時代はどういう配線になっているのかが非常に気になったものであるが、山本駅自体の配線は意外にも単純でありシンプルであったので逆に驚いてしまった。だが、このシンプルさが今となっては逆に面白い。と、なんだか「逆」という単語がやたらと出てきたが、現在は駅員無配置となってしまい更に寂しくなってしまった。かつては駅員がポイント操作などを行っていたであろう姿がないのが残念であるが、駅舎もホームも昔のままであるから、むしろこのまま22世紀もこの雰囲気を残してもらいたい物件である。
ところで全く関係無いが、駅名を聞いて「小鉄」という文字が頭をよぎったら、あなたは相当の強者(つわもの)であろう・・・

山本駅の駅舎。国道沿いにあるため実にわかりやすい。かつては岸嶽支線と筑肥線の旧線を分岐していてさぞかし賑わった事であろう。現在は駅員無配置である。


列車から降りて駅舎へ向かうのでなく、駅舎から駅のホームへ向かってみる。そう、これぞ地元民の感覚。駅舎は駅員無配置ながらなかなな渋い。



更に駅舎から隣のホームに向かう気分になってみる。跨線橋は無く、ご覧のような構内踏切によりホームを移動する。懐かしい風景だ。





構内は確かに広いが、かつての岸嶽支線や旧・筑肥線の面影は感じられなかった。岸嶽支線はともかく、旧・筑肥線の面影はないのが意外であった。とは言え、東唐津~山本の旧線が廃止されて既に30年以上経っているので当然といえば当然か。



山本に着く前に、実は本牟田部の前も通った。もちろん筑肥線と唐津線のオーバークロス部も拝んできた。本牟田部付近はオーバークロス部より山本までは、ある意味複線のような感じであるが、列車本数的に考えても、この本牟田部で一旦収束して山本までを単線にした方がJR的にも都合がいいのではないのか。

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