国境の長いトンネルを抜けるとそこは「ぐんまちゃん」だった。特別編 東武鉄道・剛志
2023-11-25

日ハムファンなら一度は訪れてみたいかも知れない剛志であるが、こちらは「ごうし」と読む。今回の旅の宿泊地は伊香保温泉であったが、実は伊勢崎にも一泊したのだ。
伊勢崎より上信電鉄へと向かったのだが、その際に通り道であるからと伊勢崎・新伊勢崎・剛志の3駅に立ち寄った。当日の朝に思いつきでの行動であったので、ある意味それは通過点に過ぎない位置付けであったのだが、特に剛志は予想に反して印象に残ったのでここに紹介させていただきたい。


かつての木造駅舎は既に取り壊されモダンな駅舎に生まれ変わっていた。ウィキの報告では利用者が20年前より増加しており、そこに鉄道のある「意味」がしっかりと反映されている。
神奈川在住の私からすれば頻繁に利用するという事がそう多くない部類の東武鉄道であるが、埼玉の志木や東京の三ノ輪に親戚がいる事から以前によくお世話になっていたものである。特に日比谷線では北千住から中目黒まで東武の車両が乗り入れていたため馴染み深い。
ただ、首都圏の人口増加に伴い、各々の駅や路線が改良され駅前なども再開発が進み大きくなっていった中、剛志は昔ながらの佇まいに近い形の印象だったため、俄然ヤル気が出てきてしまったのだ。もちろん、かつての木造駅舎は取り壊され現在は新たな駅舎が活躍しているが、昔の名残を残しつつ、地方私鉄の独特なカラーを醸し出す風景がたまらなく良い。
私のイメージする改良された東武の各駅からはやや想像からかけはなれた佇まいの剛志であるが、特にお隣の新伊勢崎や伊勢崎では高架化が完成しモダンな駅に生まれ変わったため尚更インパクトが強かった。特に、あの細い島式ホームはなんとなく我が地元神奈川にある浜川崎をやや彷彿させるイメージであった。



構内踏切では無く立派な跨線橋がある。開業当時からなのか近年に設置されたのかは不明であるが、安全対策が施されているのはいい材料である。あとはバリアフリー対策が施されれば完璧である。
私にしてみたら東武鉄道に無人駅があるのが信じられない感覚であるが、やはりそこには東武の車両がやってきた。東武鉄道は歴史が古いから、何気にそうした昔ながらの風景が残っているのが嬉しい。
近年までの業平橋では創業初期の東武の姿が見られたが、その場所もスカイツリーに生まれ変わり、浅草のような昔からの東武の姿を見る場所がまたひとつ減った印象であった。たが、思い付きで訪れた剛志でこうした風景と出会えたのもラッキーであった。もちろん所々でリニューアルが施されてはいるが、21世紀の今だからこそこうした風景が輝いて見えるのも知れない。

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国境の長いトンネルを抜けると、そこは「ぐんまちゃん」だった。上信電鉄④吉井
2023-11-18

吉井といっても「ロビンソン」や「黄色い猿」というわけではない。上信越道のインターもあり大きな集落を形成している吉井町の代表駅でもある吉井であるが、やはり駅は国道から一本奥に入った場所にあった。現在は高崎市に編入された吉井町であるが、周囲は住宅ばかりでなく、行政施設や小学校、商店や高崎市役所吉井支所(いわゆる旧・吉井町役場)などもあり、駅が街の中心部に設置されているという事を意味する。

ややリニューアルが施されているものの、ほぼ私の知る時代のままの佇まいである吉井駅舎。旧・吉井町の中心部にある事を象徴するような立派な構えである。
昔ながらの木造駅舎であるが、若干のリニューアルが施されており、良い出汁が出ている。私の訪問時に駅員がいらっしゃったので、ここは時間帯にもよるが、ほぼ終日駅員が配置されているという事であろう。
ただ、上信電鉄全体を通していえる事であるが、駅前のスペースが非常に狭く、大型バスなどが駅前に頻繁に乗り入れている印象は少なく、むしろタクシーが主力になっているイメージであった。つまり、それは歴史を感じる事を意味するが、駅前のスペースがもう少しあればまた違った形の鉄道活用が出来たであろう。もちろん、鉄道は基本的に大量輸送を得意とし、旅客よりも物資輸送がメインである歴史であるのだから、輸送する物資が多くないとあまり長所を発揮できない。


バックの風景からもお分かりのように、駅前はやや賑やかな雰囲気を醸し出している。駅前には路線バスの他コミュニティバスの発着もあるようで、吉井町の利便性をかなり感じることができる。
既に貨物輸送は1994年頃に打ち切られ旅客輸送も減少傾向にあったが、ここ数年では下げ止まり的な印象もありやや安定してきている。ただ、経営的には苦しいと思われ不安材料がないわけではないが、やはりこうした地方私鉄が大変貴重になってきた現在昨今、これからも引き続き営業していただきたい気持ちである。

券売機もあるが、やはりこうして窓口で切符を買う風景は昭和的なメルヘンを醸し出している。私も中学生くらいまでは茅ヶ崎や、特に相模線の寒川などで普通に窓口できっぷを買う風景が当たり前であった。

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国境の長いトンネルを抜けると、そこは「ぐんまちゃん」だった。上信電鉄③ 西吉井
2023-11-11

ものすごい住宅街の中にある西吉井は鉄道以外の手段でやって来ると、普段から利用している以外の人は普通に迷ってしまいそうな場所にあった。という私自身が道に迷ってしまい、何とナビを作動させていても到着できなかった。というのも、とにかく駅に通じる道が狭く、車同士のすれ違いがギリギリできるくらいの幅員の中で住宅が密集しており、駅前商店街的な賑やかさは感じない。
そして駅前には数台停められる駐車場があるが、隣接する公民館的な施設の駐車場的意味合いが濃いイメージだったので自身の車を停める事をやや躊躇してしまったが、結果的に停めさせてもらっても良かったのかも知れない。

恐らく近年に建て替えられたと思われるモダンな駅舎がそこにいた。利用者はほぼ通学客的な要素が最大限と思われるが、こうした駅が私のうちの近所にあると、なんとなくホッとするイメージである。
利用者は、恐らくこの駅周辺の住宅街に住む方はもちろん、その周囲の比較的そう広くない範囲でのお住まいの方がほぼ9割9分9厘9毛を占めているであろう。駅周辺には特に大きな商業施設が無い事から、当然ながら固定の定期客利用だ大半であろうがため朝夕の利用が目立って多いと思われる。イコール昼間は静かな雰囲気が漂う…と思われたが、私の訪問時には若い利用者が数人いらっしゃった。その日は休日であったが、恐らく高崎方面へと向かうのであろう。そんな関係から駅構内の写真撮影はやや後ろめたい気持ちであったが、それでもこうして利用者がいるのは経営者にしてみれば嬉しい材料だ。


一応有人駅のような雰囲気を醸し出しているが、その窓口はカーテンで固く閉ざされ職員の気配を感じさせなかった。駅前には駐車場があるが、隣接する公民館的施設の駐車場と思い込み私は別の場所に車を停めた。
いずれにしてみも、今回の旅は感染症に対する制限解除を受けてから最初の旅となったわけであるが、私はレールファンであるにも関わらず感染症の制限以来列車に乗っていない。というより、妻の距骨骨折以来であるからもう5年くらい経つであろうか。
その間にも新規路線の開業により「全線制覇」とうたいながら未乗車路線が増えてきた。今回の旅はそうした路線の制覇に向けての準備体操のようなイメージで旅に出た。
妻は長時間の歩行が困難なため車椅子と共に旅をする事となるが、近年ではこうした地方鉄道にもバリアフリーな設備が整ってきたイメージもあり、そうしたものをシミュレーションしながらの旅が近年で続いた。


シンプル・イズ・ベスト!上信電鉄の中ではバイプレーヤー的存在であろう西吉井であるが、私はむしろこうした存在の方が好きだ。例えば伊豆急の南伊東とか・・・
西吉井を出ると、付近にあるこんにゃくパークへ向かった。最も一般的な観光色が濃い旅だ。だが、私が最も重要視しているのはこんにゃくパークよりも、その最寄駅を上信電鉄が担っている事だ。こんにゃくパークの施設は素晴らしく、親子での来園が一番楽しいであろう。これまで多くの鉄道路線が廃止されてきた中、そんな楽しい施設に訪れる手段として昔ながらの地方鉄道を利用できるのは非常に価値が高い。恐らく私の視点は一般的ではないであろうが、気がつけば西吉井の撮影に夢中な大人げない自分がそこにいた。

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国境の長いトンネルを抜けると、そこは「ぐんまちゃん」だった。上信電鉄② 南蛇井
2023-11-04

ご覧の通り、一見して何て読むのか戸惑ってしまうが、その件については皆様の方が詳しくご存じの事と思われるので、ここではあえて割愛させていただこう。
高崎から遥々と西へ向かい、南蛇井に着くと「もうすぐ終点の下仁田だ」というプロローグどなる。朝晩は通学の利用がそれなりにあると思われるが、ウィキによるデータだと一日平均の利用者が二桁台とは意外であった。

私が小学生の頃、コロタン文庫などでよく見かけた難読駅名のひとつであった南蛇井。そのお陰で私は小学生時代からこの地名を知っていたが、そうした恩恵がなければこうした地名とも出会えなかったであろう。
私の訪問時には駅舎の周囲に足場が組まれ、何やら改修工事でもしている最中であった。まさか、取り壊して駅舎を新築するとなるとかなり残念であるが、恐らく塗装などの軽い修繕作業と思われるが、その真意は不明であった。
そんな南蛇井は島式ホーム一本のシンプル構造であるが、真夏の炎天下の中、しかも連日の記録的猛暑日が続くなかでほぼ全身に対応させたクールミストも一瞬の気休めにしかならず、利用者もさぞかし半分命懸けな移動となるであろう。
幸いながら、私自身は生まれつき夏の環境には充分に対応できる体質であるため、それほど苦にはならない感じではあったが、そんな私でも僅かながら体力に迫る何かを感じてしまうのだから、2023年の夏は相当の強者であった。


恐らく補修中であろうと思われる木造駅舎であるが、まさか解体され新しい駅舎完成!などとならない事を祈るのみだ。しかしながらこの私のコメントは一般的ではないのかも知れない・・・
ただ、南蛇井に来る前に「こんにゃくパーク」に寄りつかの間の観光気分を味わったため、それが幸いしたのかも知れない。朝食からそれほど時間が経過していなかったが、かなりのサンプルをいただかせていただいたのが糧となったのであろう、この時ばかりはそのこんにゃくパワーが充分以上に発揮された感じであった。

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国境の長いトンネルを抜けると、そこは「ぐんまちゃん」だった。上信電鉄①下仁田
2023-10-28

何度か引退したプロレスラーに似たような名前を聞いたことがあるが、こちらはこんにゃくやネギの産地として有名な下仁田である。当初は下仁田より西への延伸計画もあったらしいが、もし実現していたとしても厳しい戦いを強いられたであろう。私が訪問した2023年現在でも下仁田より西は櫛形ホームで遮られ、それ以上先に鉄路を敷く意志が無い事を無言でアピールしていた。


若干のリニューアルはあると思われるが、恐らく開業当時からの佇まいであろう素晴らしい駅舎は現在も健在である。すぐ隣にある関連会社の施設も往年の姿を感じずにはいられない程歴史を感じる。
高崎よりひたすら西へ向かいたどり着いた終点の駅が下仁田であるが、南北の移動を考えた場合、以外にも軽井沢方面に近い事に気付かされた今回の旅てあった。
実は今回、私は高崎方面からやって来たが、南蛇井から下仁田まで来る間に一気に風景が変化した。それまでは文明的なオーラが漂い、意外にも上信電鉄の存在意義を感じたが、南蛇井を境に一気に田園風景が増えたイメージである。もちろん、それまでもしっかりと田園風景が描かれていたが、その色が一気に濃くなったといえよう。
その象徴として、南蛇井~下仁田間には信号場がある。その周辺はやはり民家が少なく、かつての貨物輸送が盛んだった時代の名残が今も続くイメージであろうか。現在は高速道路も完成し物資輸送の主役はトラックなどに切り替わっているが、その名産品である農産物は今も昔も変わらず日本を代表する代名詞でもあろう。というのも、海外の一部ではヘルシーブームらしく、こんにゃくが重宝されているらしい。海外への輸出は昨年の4倍以上と聞く。



ご覧の通り、初めて訪れた方でも懐かしさを感じるであろう素晴らしい風景。国鉄時代に私が「いい旅チャレンジ20000km」で全国を駆け巡っていた時には至る所にこうした駅舎を見かけたが、現在はとても貴重な存在となってきた。
さて、本題の下仁田駅であるが、国道または県道のようなメイン道路より一本細い道に入る。暫く行くと視界が開け、駅のヤードが見えてくる。恐らくこの辺りでかつては貨物のやり取りが行われていたかも知れないが、駅舎に着いたらその脇にも使われなくなったと思われるホームがあり、こちらで貨物のやり取りが行われていた可能性が高い。いずれにしても、地元の方など詳細をご存じの方おられたらご教示いただけるとありがたい限りである。
そして恐らく開業当時からのものと思われる旧い駅舎は現在も健在で、昭和の古き良き風景を今でも感じることができるのは素晴らしい事であり貴重な存在でもある。
その素敵な駅風景につられ私は久々に入場券を購入した。すると…なんと硬券であった!窓口で入場券を買うなんて、昭和では当たり前の光景であったが、現在の「Suicaでピッ!」や自動券売機などでのやり取りを考えると、なんだか言葉では表せない温もりを感じる。


ちょっと離れた場所から駅を観察してみた。ご覧の通り、かつての盛栄がうかがえる風景が広がっていた。会社設立当初は向かいの山の方角への延伸が計画されていたが、その目論見も夢のままで終わってしまった。
そんな心暖まる下仁田であるが、やはり昔からの駅という事でかやり小ぢんまりとしている。鉄道路線の終点という事で大きな市街地を想像してしまいそうであるが、大きなバスロータリーなどはなく、タクシー会社とその駐車場らしき空間が駅前スペースとなり、都会のような雑踏が終始響いているような慌ただしさはなく、和やかな時間が過ぎていくイメージであった。
今回の訪問では、かつてコロタン文庫で見たような上信オリジナルの車両は見かけなかったが、西武系の車両が目立っていた印象であった。西武系の車両とは、もちろん「マシンX」やガルウィング式フェアレディZ等を差すのではなく、あくまで狭山や所沢付近で見かける車両の事でる。

確かに、名産品以上に人の温もりが駅舎を通じて伝わってくる。実は今回の旅の計画では下仁田から高速道路で軽井沢に抜け、旧・草軽鉄道のルートをたどり大前と万座・鹿沢口へ向かう計画であった。本来、ご覧の時間帯だと軽井沢に到着していなければならなかったのだが、予定が大幅にオーバー。しかしながらこうした駅舎と共有できる時間は貴重であるため、予定を変更してでもじっくりとこうした時間を大切にする事も大事であろう。
という事で、地方鉄道や昭和レトロな雰囲気を好む方ならここ上信電鉄は最高の憩いの地になるであろう。特に下仁田は、かつての盛栄を偲ばせながら時間がゆっくり過ぎていく風景は、少年時代に経験した「ふるさと」的な風景になんとなく似ていた気がした。時間の許す限りいつまでもここを離れたくない…シャッターを切りながら見えるレンズの向こうにある鉄路を見つめながらいつしかそんな気持ちになっていた。

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