神栖界隈(後編)

原点・・・このブログをご覧の皆様にも必ずあるであろう。それは、一瞬でもそれに触れた時なんとなく懐かしい感じがするのではなかろうか。人はよく「原点回帰」や「初心に帰る」などと言うが、それは何か道に迷ったときや再スタートを切る時などによく使う言葉だ。ではなぜそういう場面で原点に帰るのであろう。恐らくそれは、それに初めて触れた時の「感動」や「新鮮さ」などを思い出すからか。

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(多分知手付近であったと思う。この辺りでようやく「臨海」と呼べるくらいな鉄道になってくるが、果たして神栖から先は貨物列車が運転されているのであろうか?)

私のレールファンの原点は「西寒川」であり「相模線」である。そしてブルートレインだ。後で考えてみたら相模線って傍から見てかなり偉大(?)なのかなと感じる時があった。「たらこ色」のDCが初めて走り出したのが相模線と聞いたことがあるし、キハ58が「新型車両の試運転」と題して相模線で運転されたこともあった。首都圏にありながらDCが運転され哀愁漂う路線として親しまれてきたであろうが、国鉄にしてみたら試験運転などにも手頃な存在であったのだろう。

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(こちらも知手付近、というより神栖~知手間だったと思うが、手前の広い緑地と赤い建物の間にレールが敷いてある。完全なる工業団地を貫く鹿島臨海鉄道は、やはり旅客営業には向かないかも知れない。)

既に終焉を迎えようとしているかも知れない鹿島臨海鉄道の貨物線を見たとき、なぜかそんな思いが一瞬であったが心を過ぎった。そして先述したRJ社(当時)の「旅と鉄道」の「種村直樹の汽車旅相談室」でこの鹿島臨海鉄道の旅客営業の話題で盛り上がったシーンを思い出した。私がまだ中学生であった1980年代である。私は1984年頃までがレールファンの全盛期であった。もちろん現在でもしっかりとレールを楽しんではいるが、なんというか当時とは違った楽しみ方をしている。つまり楽しみ方の「角度」が色々あるのだという事がわかってきた、とでも言おうか。そして幅が広がったとも言えるであろう。そんな今の自分が過去の自分を見てみると、なんというか無邪気であり頑なであった頃の自分がなんとなく懐かしい。

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(そして奥ノ谷浜付近と思われる場所にあった踏切。この踏切ではないと思ったが、ある踏切を境に右が草ぼうぼうの線路、左がレール上に枕木が置いてあるが草は刈られていた、という景色になっていた。)

私はレールファン歴に27年のブランクがある。その27年のブランクを埋めるという訳ではないが、全国を旅していると、かつての「いい旅チャレンジ20000km」に夢中であった頃と比較できるのが実に嬉しい。とは言え、ハッキリ言って「遠い記憶」でもあるから覚えていない事も多々あるが「国鉄」「JR」の違いもなんとなく楽しい。多分私がこれから旅をする時もきっとどこかに「原点」を探し求めていくであろう。それは、もしかしたら見つからないかも知れないし、もしかしたらその時は突然にやってくるかも知れない。「ラブストーリーは~」ではないが、もし突然その時がやってきたら私は周りが見えなくなってしまうくらい夢中になってしまうであろう。多分、この瞬間がたまらなく、そして味わいたいからまた旅に出るのかも知れない。飽きもせず二度三度・・・いや、永遠かも・・・


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神栖界隈(前編)

既にこのブログでも述べているし、レールファンなら周知の事実であろう。鹿島臨海鉄道はかつて、現在の貨物線である北鹿島(現・鹿島サッカースタジアム)~奥ノ谷浜間にあった鹿島港南までは旅客列車が運転されていた。残念ながら私は現役時代に訪問できなかった。しかし、旅客列車がこの地に走り出してから約30年くらい経過した現在、旅客列車は廃止されてしまい、旅客列車の終点であった鹿島港南駅は駅自体がなくなってしまった。しかしながら当時を知る者として、そこに旅客列車が存在した歴史は実に心に深く刻み込まれている事であろう。

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(少し見にくいが神栖に到着した。雨の中の訪問は若干メランコリーであったが、それでも訪問出来た時の喜びは大きい。)

2015年8月、念願かなってこの地に訪問することに成功した。しかし・・・現実はかなり厳しいものとなっていた。訪問当日は夕方5時頃となってしまい悪天候という事も重なって、事実上写真的なものはそう多く撮影できなかった。そんな中で鹿島臨海鉄道のそれを見ていると、心の中が渋くなってしまうほどの哀愁が私に迫ってきた。まずは奥ノ谷浜付近。実際に奥ノ谷浜が現在機能しているのかどうかは不明であるが、その付近を横切る道路がある。もちろんそれは踏切であるが、その踏切を境に片方は草ボウボウ、片方はレールの上に枕木が乗せられており事実上「廃止」的雰囲気が漂っていた。

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(正面から改めて、かつては旅客営業していた神栖駅。現在は貨物のみの営業である。構内は広く、多くの側線が張り巡らされているが、なんと、現在も旅客ホームが残っていると聞く!もう少し時間があったらじっくりと訪問できたのに・・・)

順番は前後してしまうが神栖にも訪問した。こちらはどうやら健在のようで、貨物列車の車両が多くひしめきあう。そして建屋内には職員と思われる人もおられ、事実上「営業」していたのであろう。であるが周知の通り、時代は鉄道を利用して貨物を輸送するという事がめっきり少なくなってしまった。というより、近い将来的に鉄道で貨物を輸送するという事が逆に貴重な存在となっていくかも知れない。特に臨海鉄道的な存在は、産業遺産にでも変化していくのではなかろうか?とはオーバーであろうが、それくらい鉄道の貨物という存在がそんな雰囲気になっている現在のレール事情であろう。「臨海鉄道」という名の云われが、そして原点が実はここ「神栖」にある。そしてそこから更に続く貨物線は確かに「臨海」であった。2015年訪れたこの地で私は鹿島臨海鉄道の原点を見た。



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恋の列車はオオタキ発③

既に秘境駅として久我原は紹介したが、それに象徴されるようにこの木原線、現在で言ういすみ鉄道は素晴らしいロケーションの中を走る。木原線の中心的存在と言えば国吉と大多喜であるが、特に大多喜は国鉄から転換の際にいすみ鉄道の本社が置かれた。木原線に乗車している時はそんな大多喜駅などは単なる列車交換駅的に過ぎない存在感の印象であった。

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(今回は大多喜駅を中心に紹介してみよう。いすみ鉄道の「中心」として機能している大多喜は、やはり「拠点駅」としての風格はあった。)

中学生ながらにローカルなムードを感じながら終点の上総中野に到着したが・・・基本的にこの時は「いい旅チャレンジ20000km」の制覇路線のひとつにすぎず、やたら「証明写真」や「入場券」あたりの単語に非常に拘っていた時代であった。「証明写真」と言うと、いわゆる駅名標と自身が一緒に写るタイプが20000kmルールであったが、例えば北海道などのローカル線の終端駅では5分くらいで折り返してしまうため時間のやりくりが大変だ。証明写真を撮りそして入場券購入へ・・・更に駅風景などを撮影するとすぐに5分など過ぎてしまう。今回の木原線の旅では5分以上あった記憶であるが、それより接続する小湊鉄道の存在が気になっていた。であるが・・・結論から言うと予算的に「折り返す」という事で仲間の合意を得たという事であった。

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(改札はフリーであった!有人駅であるにも関わらず、こうして開放してくれる姿勢が嬉しい。)

全く関係ない話であるが、最近私は魚類が「美味い」と思うようになってきた。つい最近までは肉類が主流であったが、とにかく魚の味が新鮮的で食が進む。とは言え、私が好む魚は「干物」であるが、という事は歳をとったという事であろうか・・・ただ、そうして魚を食しているうちに面白いことに気がついた。例えば干物の王様は「真あじ」であろう。そして干物の他には「みりん漬け」や「粕漬け」などがある。が、みりん漬けは「さば」などが主流で粕漬けは「赤魚」が常識であろう。「あじみりん」は存在するが、実際問題マイナーな存在だ。つまりそれぞれの素材にあった「味付け」があるという事だ。赤魚は干物の開きものもあるが、どちらかといえば粕漬けが一般的だ。そしてホッケは圧倒的に干物の開ものが主流で酒の肴には欠かせない存在だ。ホッケみりんはあまり市場に出回っていないであろうが、ホッケ粕漬けとは聞いた事がない。やはりホッケはシンプルに干物の方が素材の旨さが引き立つ。

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(恐らくホームは昔ながらの佇まいであろうと思われる。国鉄時代のままの部分が多数見受けられた。)

これは他の事にも当てはまるであろう。もちろん鉄道も。全国各地では、いわゆる「観光列車」と呼ばれる列車が多数運転されている。であるが、ただ運転すればお客を呼べるか・・・と言うとそうでもない。やはり何らかの特色を出さないと、最初はいいがいずれ飽きられてしまう。そう、その路線に合った「味付け」が非常に重要であろう。私は以前に某鉄道ブログに小田急線の記事が掲載されている時に「小田急にSLでも走らせれば面白いのではないか」とのコメントをした事がある。その返事とは、実に現実的なものであり納得させられる内容であった。要約すると「運転システム(ATSなどのシステム)が支障となったり、沿線に迷惑がかかるであろう」と。更に「だったらSE車でも運転したほうが良い」という旨であった。これは完全に的を射ていて正解であると思う。

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(そしてこちらが大多喜駅の車庫に眠る国鉄時代の車両。というより、国鉄時代はご覧のDCが走った記憶が無いので三セク化されてからも含め「初」かも知れない。)

現在、いすみ鉄道にはキハ20などが運転されている。もちろん他の路線にもこういったイベント的な運転はあるが、やはり木原線、いや、いすみ鉄道に走っているからこその面白さがあるのではないか?と、大多喜駅に停泊していたキハ20を見てそう思ってしまった。そう、真あじには真あじの、赤魚には赤魚の素材の活かし方がある。粕漬けは赤魚であるから美味いのであって、真あじであったら元の素材の良さが死んでしまうであろう。つまり、その素材の良さを活かすには、その素材そのものを根底から知る必要がある。そして素材と「馴染む」事も必要だ。

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(そしてこちらが同じく車庫にいたキハ20である。が、私の記憶だとキハ10や、特にキハ30辺りが活躍していた印象しかない。という事はこちらも「初」となるのか?)

と、なんだか理屈っぽくなってしまったが、要するに、いすみ鉄道のキハ20だからキハ20が活きてくると私は思う。あの久我原や総元辺りを走るキハ20は実に絵になるし心地よい。
今回、私は1981年と2008年の訪問時と併せて2015年の訪問時も紹介しているが、2015年にマイカーで訪問した時に外側からいすみ鉄道を見る事ができて実に素晴らしかったと思う。次回のアップでは1981年に訪問した時に撮影した写真を紹介してみたい。と言っても駅名標しか残っていなかったのでやや物足りないかも知れないが・・・



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恋の列車はオオタキ発②

いすみ鉄道と言えば、言わずと知れた国鉄木原線であるのは周知の通りだ。私は1981年頃に木原線廃止情報を受け一目散に旅立った・・・と言っても首都圏のため宿泊してまでという距離ではなく、完全に日帰り圏内であった。路線名となっている「木原」とは、私が述べるまでもなく皆様の方がご存知であろう。この事は小湊鉄道の章でも既に述べているが、やはりこの鉄道に関する変遷は実に興味深い。確か廃止情報を受けたのは私が中学1年生の時であったと思う。はっきりとした記録を残していなかったが、当時の写真が残っていた。その写真から判断した結論である。というのも、その写真の判断理由として「カメラ」にあった。それは後に購入する「キャノンAE-1プログラム」ではなく「キャノンdemi EE-28」と呼ばれる、言わば「バカチョンカメラ」での撮影とすぐに判断できるからであった。という事で、今回は1981年に訪問した木原線時代を中心に、2008年にいすみ鉄道として訪問した時と併せて紹介してみよう。

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(確か1981年の訪問であったと思う大原にて。2008年には久々の訪問となったが、私的には懐かしさ満点であった。であるが、やはり木原線的な印象はかなり薄れ、いすみ鉄道的な印象がダイレクトに伝わってきたのも正直なところだ。)

という事で、はるばる神奈川県からやってきた私は、木原線の起点である大原までは実に遠く感じたものだ。1981年と言えば、まだまだ165系や153系などの「房総急行」が両国から出ていた時代だ。とは言え、既にこの時に房総急行全廃の情報は流れており、中学生ながらに「将来貴重になる」と思いその急行列車に向けひたすらシャッターを切る日々であった。そしてこの日も大原ではご覧の急行がいたため即座に反応。と言っても「バカチョン」のためなかなか披露しにくい作品であるが・・・

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(同じく1981年の訪問時に大原で撮影した急行「外房」であるが・・・この撮影当時には既に房総急行廃止の情報が流れていた。実際に両国始発の列車がなくなってしまうのか・・・的な実感があまり感じられなかったが、現在は周知の通り「伝説」になってしまっている。)

さて、ここ大原に来るまでの道のりは記録していなかったが記憶はあった。1980年より横須賀線と総武線の相互乗り入れが開始され、いわゆる「品鶴線」を通るルートが斬新であった横須賀線に乗れば東京で乗り換えなしで千葉方面へ行ける。それを乗るのがひとつの快感となっていた私は、確か戸塚で上総一ノ宮行きに乗り換えた記憶だ。であるが、まだ相互乗り入れが開始され1年くらいしか経っていない。私はともかく、普段から通勤などで利用している方はこの行き先をどう感じていたのであろうか。2015年を迎えた現在「上野東京ライン」なる新たな仲間が加わったが、辻堂や茅ヶ崎等で「前橋行きがまいります」的なアナウンスは実にアンマッチ的に思える。だが、既に「湘南新宿ライン」でその事は経験済みであるのだが・・・

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(こちらは2008年訪問時のものである、私的には「横須賀線」である。かなり外観的にもお疲れの様子であるが、2015年現在も活躍しているのであろうか。)

そんな横須賀線に乗り車窓に映る「新鶴見」は当時の私にとっては実に新しい景色。そして東京を「スルー」してしまうのも完全に新世界であった。そして上総一ノ宮で乗り換え大原に向かう・・・ある意味、千葉にも「横須賀線」が走っているのかと関心してしまうくらいであった。そして大原に到着。乗り換える木原線はパッと見「相模線」という印象。相模線で既に主流となっていたキハ30の姿が活躍していた。そんな大原では、当時全廃されるという情報が流れていた「房総急行」の姿が見ることが出来た。「本当に急行列車がなくなってしまうのか・・・」と子供ながらに思っていたが、現在は周知の通り。であるが、まだまだ両国駅はかつての面影が残っているのが嬉しい。貨物駅の方は既に「国技館」として第二の人生を送っているが、現在ではそのことがすっかり定着している。私自身も国技館には何度も足を運んでいたが、特にあの「マス席」は実に「青函連絡船」を思い出してしまう。なんとなくあの「桟敷席」的な雰囲気で枝豆でも頬張りながら観る「リキラリアット」「STF」などは実に声援にも熱がこもってしまう、と、相撲ではない話題で申し訳ないが・・・
と、いつも話が逸れてしまうが・・・私が乗った列車は既に上総中野に向けてエンジンを唸らせていた。



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恋の列車はオオアライ発③

さて、大洗付近が沿線最大で海岸に近づくであろが、やや海が遠い・・・そして大洗を過ぎると那珂川に沿う。そして橋を渡るとすぐに那珂湊の街にたどり着くくらいにまで接近。川を挟んで隣同士の位置にある湊線と大洗鹿島線はなんとなく不思議だ。
やがて列車は勝田寄りから進入する不思議な構造となり水戸に到着する。計画時には特急も運転される的な案もあり線形的にも設備的にも「本線規格」であるから高架化された場所が多く踏切もほとんどない記憶であった。

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(2015年の訪問時にはちょうど列車の出発時間であった大洗。本社や車庫もあり、文字通り大洗鹿島線の中心的存在である。付近にはアウトレットモールや、シーズンには海水浴場もあり楽しみ方は多彩だ。)

そういえば、私はこの「恋の列車はオオアライ発①」で一青窈のテレビについて述べていた。それは別に「妻がテレビも見ないくせにつけっ放しで洗濯しやがって!」という事を言いたい訳ではなかった。この番組で一青窈が述べた「伝えたかった」という言葉が凄く印象に残ったからだ。そして私はその事をこのブログをご覧の皆様に伝えたかったのだ。自身の思いを伝える・・・これは一青窈とは形は違えど「伝える」という事で共通する。最近、私のブログでプロレスの話題が出てくる場面が少なくないという印象をお持ちであろう。結構私はこのブログで自身の言いたいことをかなり言っているかも知れないが、もしこのブログで鉄道の話題のみに特化し「ここに行きました」「この車両に乗りました」だけを記事にしていたら、私はブログを始めて3年以上経過したが、ここまで続けられなかったであろう。鉄道というカテゴリーを借り、ブログというフィルターを通して自身の思いを伝える・・・これは素晴らしい事だ。

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(2015年訪問時はあいにくの空模様であったが、それでも列車を利用する人は少なくなかった。しかしながら、広い構内はやや持て余しの印象でもあった。)

最近のプロレス業界は「氷河期」と言われている事であろう。普通の一般に話題になることが少ない。私が小学生位の頃は猪木・馬場が全盛でプロレス中継も「ゴールデン」であった。しかし現在は「ゴールデン」ではない。その理由のひとつとして「伝える」という部分がやや薄い気がするのが私的な考えである。「力道山」と言えば日本にプロレスを持ち込んだ人物。私はリアルタイムではないがその名は知っている。力道山の時代のプロレスを今DVD等で見てみると技が単純で、それこそ「空手チョップ」しか出してない印象だ。現在の若者がこの試合を見て「スゴイ試合だ!」とは思わないかも知れないであろう。

では、なぜ力道山がリアルタイムでなくても世代を超えてその名を知られているか・・・それは「伝える」という事が明確であったのだろう。戦後の混乱期において街頭テレビで観る力道山の姿は日本国民の言わば「希望」であったのだろう。「キル・ザ・ジャップ」「リメンバー・パールハーバー」などと言われていた時代に、ガタイの良い大きな外国人相手に体の小さい日本人が立ち向かっていく・・・その力強い空手チョップに多くの日本国民が勇気づけられた事であろう。恐らく力道山はプロレスを通じて「頑張ろう、日本人」的なメッセージを伝えたかったのであろう。空手チョップにその思いを込めたのだ。

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(大洗駅の時刻表であるが、全てがワンマンでない事を初めて知った。車掌乗務の列車にもいつかは乗ってみたい。)

そして時代が馬場・猪木に変わり、更に後世へ・・・必ずプロレスには「サイドストーリー」があった。「俺たちの時代」「天龍革命」「超世代」などのキーワードにピンと来たらあなたはかなりの「プロレス通」であろう。そのサイドストーリーを感じながら試合を観るのが面白い。そう、試合を通じてサイドストーリーを「伝える」という事がプロレスなのだ。これは他の格闘技には無いかも知れない。シリーズ前にサイドストーリーがあり、シリーズ最終戦でそのサイドストーリーの決着をつける・・・みたいな感じか。
私もこの「伝える」という事をこれからも大事にしていきたい。「~ということを伝えたかった」とこれからもブログに綴っていく事であろう。それは鉄道という名を借りた「サイドストーリー」的な場面が多くなるかも知れない。であるが、基本、私は鉄道だ。私が崇拝する某ロックアーティストが言っていた。「ひとつでいい。何か自分が熱くなるものがあれば、人生はハッピーになる」と。そう、私には鉄道がある。これからもその思いを末永く伝えていきたい。とは言え、この記事の半分以上は「プロレス」になってしまったが・・・



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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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