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鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

夏色の相模鉄道③ 相鉄いずみ野線

相鉄いずみ野線は二俣川から分岐されるが、開業当初から旅客輸送を目的として建設され、神中鉄道時代における砂利輸送などの貨物を主体とした輸送とは全く異なり、完全に将来を見越した設計となっている。
もともとは現在の湘南台より更に進み香川付近で相模線と交差し平塚まで到達する延伸計画があるのは有名な話であるが、新幹線が倉見付近に駅を新設する計画が浮上したのを受け平塚までの延伸がペンディングされ、途中で分岐点を設けるか倉見までの延伸に専念するか検討中であった。2009年に平塚までの延伸免許が期限切れになることを受け10年の延長更新がなされたが、現在は倉見までの延伸が具体化したらしく、藤沢市遠藤付近にある慶應義塾大学付近までの延伸がほぼ具体化しているようだ。

いずみの現在
いずみの1961
今回も「地理院地図」による現在と1961年頃の比較。いずみ野駅であるが、二俣川から本気で平塚まで延伸をかんがえていたのか・・・は別として、全くの不毛地帯に駅を作ることによって「開発」というマジックをいかに活用するかは当時の相鉄の方針であった。このいずみ野線に相鉄が大きな期待がかけられていたのが伺える一面である。

これはあくまで個人的な意見と見解であるが、新幹線の倉見駅は構想から既にウン十年経過しているのと、新横浜~小田原間に駅を作ると新幹線の所要時間が遅くなるためやや疑問もある。もちろんリニアが開通したらひとつの手段として有効であろうと思うが、自身がかつて倉見に在住していた経験から、恐らく駅が新設されてもあまり意味を持たないようなイメージもある。もちろん「のぞみ」が停車すればまた大きな変化があると思うが、こだまのみの停車駅では相鉄を延伸するほど需要があるかどうかというイメージである。

湘南台現在
湘南台1974
湘南台1961年
そして平塚延伸によりポイントとなるのが香川とここ湘南台である。上から現在と1974年頃と1961年頃での比較である。湘南台は周知の通り市営地下鉄と相鉄が小田急と接続するようになり発展目覚しく、急行停車駅である長後と立場が逆転してしまった。それは中央林間と南林間との関係にも似たような部分もあるが、後はいずみ野線と市営地下鉄の速達性をいかに進めるかによって今後の未来の展開が決まってくるであろう。

では平塚延伸はどうか。平塚から東京方面へは間違いなくJRの方がスピード面で勝るが、湘南台方面へは便利になり有効であろう。ただ、どれだけのパイがあるかを考えると、やはりスピード面でJRに勝たなければ大きなパイは拾えないであろう。ただ、香川は移転して相模線との交点を乗換駅にすれば一気に価値が上がるであろうし、湘南みずきに住まわれる方のアクセスも向上するであろう。ただ、湘南みずきの広大な土地はもともと平塚延伸のために所有していた相模鉄道の土地である。現在宅地化されているが、その中に平塚までの線路敷設予定地も含まれていたはずなので今後の展開が気になる。逆にいうと、平塚延伸を断念し宅地化のみに専念したかも知れない。もし本気で平塚まで延伸するなら香川付近は地下化するしかないであろう。


さて、今回具現化されようとしている慶應義塾大学付近であるが、まだまだ開発の余地があるので将来的に住宅やマンションなどの建設も行われるであろう。もちろん大学生たちの通学には重宝するであろうが、その先の延伸に関しても開発の余地はあるので期待して良いであろう。現在、慶應義塾大学方面へは、特に利用者の多いラッシュ時などには「ツインライナー」と呼ばれる、わかりやすく言えば2両編成のバスが頻繁に運行されている。利用者数や将来的な見解を見ても慶応大学付近までの延伸は妥当であろうと思う。そしてかしわ台の章でも述べたが、車両基地を新たに作れるくらいの土地の余裕があるので、今後の活用次第であろう。
かつての砂利輸送から神中鉄道の買収、更に本線を国に買収され元の神中鉄道が現在の相鉄になり更にJRに乗り入れ都心までの運転が可能になり、また更に延伸計画がある。留まる事を知らない相模鉄道は一体どこまで、そしていつまで進化を続けるのだろう。今一番「ナウい」のは、もしかしたら相鉄かも知れない。



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夏色の相模鉄道② かしわ台

前回アップした海老名の章でも述べたが、ここかしわ台は相鉄の中では比較的新しい駅である。それまであった大塚本町を廃止しかしわ台とさがみ野に分散させた形にしてかしわ台に車両基地を作った。車両基地ができる前はとんでもない山の中で、正直言って「出る」環境であったろう。
ただ、元々の大塚本町の利用者にも不便の無いようかつての大塚本町駅舎はかしわ台駅東口として、ホームは連絡通路として近年まで使用されてきた。しかしながら駅舎は改築されかつての駅舎は姿をけしたものの、現在も「かしわ台駅」として利用されている。

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今回も「地理院地図」にお世話になった。現在と1961年頃のかしわ台比較。かしわ台付近の本線は車両基地の中に消え、改めてルート変更された部分に新たに駅を設置しているのがわかる。特にご覧になってお分かりと思うが、現在のかしわ台駅設置前は一面大自然であった。写真では平面であるが、実際にはかなり立体的で段差が多く、駅設置や車両基地の設置にもかなりの苦労が伺えるであろう。

さて、ここかしわ台であるが、実は私の親戚宅の最寄り駅であり幼少期は再三に渡り訪問していた。ちょうどかしわ台が開業して間もないくらいからで、それまで住んでいた横浜は戸部の団地を離れかしわ台に一軒家を購入したのだ。私も引っ越しの手伝いに行ったりしたが、当時のかしわ台駅界隈はかなり発展途上で、しかも山を開拓して宅地化したため坂が非常に多い。親戚宅もかなりの急坂を登るため車だとひっくり返りそうな、いわばひとりバックドロップ状態にもなりかねないくらいの角度である。体感であるが、恐らく大井川鐵道のアブト区間よりも
ウン百パーミル急である。しかしながらその頂点にある親戚宅の窓からはかしわ台駅がハッキリと見えるので、幼少期はずっと窓を眺めていたものだ。周りから見たらなんて大人しい子供なのだろうと誤解されていたかも知れない。
だがそこから見る風景は、かしわ台の横全景とわいわないがかなりのパノラマ度で、それこそ旧大塚本町のホーム見えるが、幼少時はそこを自転車置場か何かと思っていた。しかしながら、その「自転車置場」からかしわ台駅まではかなりの距離があり、大塚本町をかしわ台としての再利用は苦渋の決断であったと思う。だが、そうして大塚本町の利用者の事もちゃんと考える辺り、会社としての姿勢は評価されよう。




現在と1961年頃との比較を可動式の地図で示してみた。ご覧の通り、地形的制約と将来的な見解が浅かった事からバスロータリー等のスペースが無いのがわかる。現在も駅前はやや狭さを否定できず、更にバスロータリー等のスペースが無い事から、特に朝のラッシュ時等は不便を感じる場面も少なくない。

そんなかしわ台の駅界隈も宅地化が進みスーパー銭湯やスーパーマーケットなどが進出しいくらか賑やかになったものの、地形的制約から駅前はロータリーなどのスペースはなく、バスなどの交通機関でのアプローチはかなり不便を強いられ安全面でも不安な材料を抱えている。
私が、引っ越し直後の親戚宅へ訪問時では先述通りの発展途上であったので現在の姿が想像できなかったが、それ以来の現在、もちろん住宅や商業施設が劇的に増えたものの、イメージ的には昔と変わらぬままの印象である。
ただ、将来的にも他社からの乗り入れが増えて車両基地もキャパ不足気味になるのではと心配材料もあるが、多分その辺りも相鉄は計算しているであろう。
ただ、個人的な意見としては、相模線の入谷付近にはまだ土地に余裕があるので、たとえば相鉄厚木線を使い相模国分から分岐して入谷に直接向かうルートを作るか、JR海老名の手前付近で分岐させ一旦厚木まで行き、戻る形で入谷に向かうかになると思う。ただ、手間はかかるものの土地はそれなりにあるので有効であろう。でもなければ、湘南台よりの延伸により慶應義塾大学付近に駅ができるのであれば、まだまだ土地に余裕があるので思いきってこの慶應義塾大学付近新駅に車両基地を併設するという手もある。いずれにしてもこれは私の勝手な想像であって、実際には法律的な制約や経済的なやりくりもあるので現実的かどうかは不明であるが、ひとつの案としては有効であろうかも知れない。

夏色の相模鉄道① 海老名

前回の「相模線・ベビーローテーション」シリーズより引き続き今回も航空写真等を交えながら紹介したいと思うが、周知の通り、相模線と相模鉄道は切っても切れない縁であり、相模線の前身は相模鉄道であった。そして現在の相鉄本線の前身は神中鉄道だったという複雑な変遷を持つ。そして厚木駅は相模鉄道と神中鉄道の接続駅であり相鉄厚木線は「本線」であった。
やがて神中鉄道を相鉄が買収し元々の相鉄本線である相模線が国に買収され現在に至るわけであるが、地方の鉄道が次々と衰退したり廃止されていく中で、相模鉄道は令和になった現在でも進化している。車両的な事はもちろんであるが、いずみ野線が湘南台まで延伸されたり、西谷からJRに乗り入れたりと近年の発展は留まる事を知らない。さらに新横浜方面への延伸も決定し、私たちがイメージしていた相鉄カラーが完全に変わった感じだ。

海老名現在

1961海老名
今回も緊急事態宣言の自粛要請に伴い「地理院地図」より参考にしてみたい。現在と1961年頃との比較であるが、駅が数百メートル移転しているのがわかる。移転前で相鉄が小田急に乗り入れる形で本厚木までの運転を実現していた。

それこそかつては砂利輸送が主体であった頃や資金不足で横浜までの延伸に苦労したとか、それぞれのいろいろなエピソードが現在では想像できないくらいに「準大手」のイメージは今はない。しかしながら海老名寄りでは相模国分から分岐する相鉄厚木線の存在や旧大塚本町の駅舎はかしわ台の駅舎として活躍(現在は改築された)していたりと、まだまだ昔の面影が少なくない。
そんな歴史の紐を解くべく、今回も「地理院地図」の航空写真を活用させていただいて「Google Map」のストリートビューと併せて相模鉄道の変遷を追ってみたい。

海老名拡大現在

1961海老名拡大
かつての海老名を拡大してみた。同じく「地理院地図」より現在と1961年との比較。かつての海老名駅は完全に相鉄と小田急の通過地点の一部になり完全にホームがあった面影はない。ただ、駅前の道路等はかつての名残があり現在も雰囲気は残っているが、ご覧の通りかなり狭く、もちろんロータリー的なスペースもない。もし現在移転していなかったら大変な事になっていただろう。

海老名といえば現在は相鉄の起点であるが、元々は厚木が起点だったためこちらは「後輩」という事になる。相模鉄道の気持ちとしては相模川の対岸にある厚木市にまで鉄路を敷きたかったであろうが、技術的な部分と資金難などの問題から実現せず、先に相模川に橋を架ける事に成功した小田急線を介す事で本厚木に乗り入れを実現させている。
しかしながら小田急が利用者増による列車増発と海老名に車両基地を作る関係から海老名駅自体が現在の位置に移設された際に相鉄の乗り入れがなくなった。更に、後述するが海老名と大塚本町の間に相鉄の車庫を作り車庫付近に駅を設置するため大塚本町をかしわ台とさがみ野に分割させかしわ台を車庫に隣接させる駅として機能させた。

相模国分現在

相模国分1961
旧・海老名から至近距離にある相模国分信号場の新旧比較。ご覧の通り、旅客駅時代と規模的に殆んど変わっていないのがわかる.。現在も旅客ホームは健在であるが、ホームに接するレールは撤去されている。

そんな事もあり、小田急線の海老名駅が移設するに合わせて相鉄も移設されますます本厚木への乗り入れが困難な状況になった。国鉄末期には相模線にも海老名駅が開設され乗り換えに便利になり、近年ではロマンスカーも停車するようになった。駅前も発展が目覚ましく、気がついたら何もなかった駅前にはビナウォークやららぽーとが進出し本厚木よりも大都会的なイメージに変身した。


現在の相模国分をグーグルマップのストリートビューにてご覧頂こう。ご覧の通り、まだまだ昔の面影を残す。特にホームの有効長が現役時代のままである。恐らく2両編成が限界であろう姿は「砂利輸送」の時代を彷彿させる。

激変した海老名であるが、そんな中、異彩を放つ隣の相模国分信号場の存在を忘れてはならない。かつては旅客駅であったが、現在は厚木線を分岐する役割となっているが、かつての旅客ホームも健在だ。もちろん関係者しか利用できないよう外部からの侵入を防ぐ仕組みになっている。だが、ホームの長さは我々がイメージしている相鉄には程遠いくらい華奢な存在である。なんたって車両2~3両分しかないため車両基地7は更に横浜方面へ進むとかしわ台到着前に相鉄車庫が見えてくるのでレールファンは確認作業に忙しいと思うが、かなり楽しめるであろう。現に私がそうなのであるから。




最後は可動地図で新旧の海老名駅比較をしてみたい。かつて周囲は本当に田んぼなどしか無かった事がよくわかるであろう。私の記憶でも小学生中学生時代では現在の海老名駅前が想像できないくらいの発展途上であった。


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第三セクター「野岩鉄道」出発進行!番外編・下今市

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おやっ?と一瞬思ってしまうが、一応野岩繋りであるのと、元々野岩鉄道は国鉄今市が起点だったということで「今市繋り」で紹介してみようと思う。
先述している私が中学年時代に所属していたクラブ活動「鉄道研究クラブ」が発行していた「えき」という季刊紙に私は開通前の野岩鉄道の記事を寄せていた。それによると、もともとは国鉄野岩線として日光線の今市から新藤原を経由して会津線会津滝ノ原までをつなぐ凄絶な計画であった。が、ご覧の通り今市から新藤原までの区間は東武鬼怒川線と並走するためやや無理があるのかなと中学生時代に思っていたが、事実、今市~新藤原間は工事が施工されていなかったようだ。つまり、最初から東武鬼怒川線の新藤原を起点として会津滝ノ原と接続させようという構想で建設していたのだろう。
もちろん、仮に今市~新藤原をあえて並走させたとしても当時の国鉄では東武と対等に勝負できるかどうかは既に答えがでてしまう。

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堂々たる駅舎の下今市。JR今市とはやや距離がある。駅前の雰囲気はやや地味な印象であるが日光方面と鬼怒川方面への分岐点としての活躍で利用者も多い。そして近年ではSLが運転されるようになり、何となく東武鉄道のイメージとはまた違う雰囲気を見せてくれる。

いずれにしても「鬼怒川イコール東武」というイメージは、現在の日光にも象徴されているように、野岩線も「野岩鉄道」として浅草から直通列車が運転された方が「ほっとスパ・ライン」がよりいっそうアピール出来るだろう。そんな世間の流れから野岩鉄道は電化の追加工事をしたはずだ。
今こそ「リバティ」が浅草より直通されるが、かつては快速列車しか直通しておらず、非常にもったいないと感じた。やはりスペーシアを延長させ湯西川温泉や川治温泉、そして会津高原くらいまで顔を出してもらうと、いっそう「ほっとスパ・ライン」が活きてくるのではないかとずっと感じていた。

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SL運転に併せリニューアルされたホームはあまり東武を感じさせないイメージだ。

そんな変遷のある野岩鉄道は、私的には、下今市が起点のようなイメージがいつまでも、そして今でも感じる。もちろん、新藤原は正式な起点であるが、新藤原では東武と野岩鉄道の区別がハッキリせず、中間駅としての活躍が当たり前のように思えるのは、終点の会津高原尾瀬口も同じであろう。この野岩鉄道はそこが最大の特徴かも知れない。
いずれにしても一般のお客様からすれば目的地に着くのに運営会社がコロコロ変わるのはあまり関係ない事であろう。重要なのは料金や快適さ、乗車時間などで、新藤原で東武から野岩に変わる事を意識するのは我々レールファンぐらいであろう。

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私的に、東武にSLとは信じられない風景であった。だが、下今市にはそんなイメージを払拭してしまう「証拠品」が数多く見られた。

もし国鉄➡JRで野岩線が運営されてたとしたらどんな風景となっていたであろう。会津線は間違いなく野岩線に編入されるか新たな路線名で野岩線とともに活躍したかも知れない。そして横浜や君津、上総一ノ宮発の会津田島や会津若松行きがあるかも知れない。ただ、JRの場合だとこれくらいの距離なら新幹線をプッシュするだろうから、ある意味観光列車的なカラーでの列車か運転されるかも知れない。いろいろ想像してしまうが、現在のシーンで考えるなら、やはり私はスペーシアに拘りたい。「リバティ」はかなり私の考えに近い形で実現しているが、やはり私はスペーシアで実現してほしい。そんな夢を描いていると、スペーシアは大きく弧を描き、鬼怒川方面にゆっくりと消えていった。

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「リバティ」初遭遇であった。最初は「何だ?」と思っていたが、旅を続けていくにつれその全貌が明らかに。これぞ私がかねてから描いていた「スペーシア、野岩鉄道乗り入れ」が違う形で実現していたのだ。

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そして鬼怒川に向け「スペーシア」が野岩鉄道に向け右に折れていった。ホームからかなりの至近距離での分岐は迫力を感じる。

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という事で、野岩鉄道は明日に向け羽ばたく。ここ下今市からのレールが会津若松まで繋がっているという事があまりイメージできない雰囲気であるが、もちろん野岩鉄道を経由してこそ会津若松へ到達出来る。いいね、野岩鉄道!

第三セクター「野岩鉄道」出発進行!⑦ 川治温泉

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意外にも「玄関口」的な雰囲気を醸し出す駅舎内では「パートのおばちゃん」的な駅員さんが迎えてくれた。「おばちゃん」と言ってはかなり失礼かも知れないが、野岩鉄道ではパートタイマー社員と思われる駅員さんが各々の駅に配置されている。イメージ的にはスーパーなどでレジを打つ感覚でのパートなのだろうか。もしそうなら私もぜひフルタイムで働いてみたい。
ただ、野岩鉄道の各駅で入場券を買うとレシートタイプで渡されるので何となく味気ないが、それでも野岩鉄道各駅で駅員がいるという事は凄いと思う。

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だが、さすが「温泉」を名乗るだけあって、私の訪問時には下車客が多く見られた。地元の方というよりは観光的要素を含むファミリータイプの下車がほとんどで、またまた狙ったわけではないがではないが、普通列車同士の交換風景が見られた。その列車からの下車客であったが、やはら夏休みということもあり、こうした風景が見られるのはほのぼのとするが、駅舎を出ると意外にも若いカップルが送迎車を待つ風景がみられた。今やインターネット時代。素敵な宿をクリックひとつで検索する事ができる。川治温泉にやって来るとはなかなか渋いカップルではないか。いや、マイカー等でも不特定多数の若いカップルが川治温泉に訪れているかも知れないが・・・

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さて、今回の記事を寄せるにあたって、私が中学時代に所属していた「鉄道研究クラブ」で発行していた「えき」という季刊誌を久々に引っ張り出し参考にしてみた。というのも、先述通り、私はこの季刊誌の編集長をしており、尚且つ野岩鉄道の記事を寄せているのだが、今読んでみると物凄い内容が書かれていた、というより、自身で調べて書いた記事にも関わらず、約36年の月日が流れ久々にみた自身の記事には、まるで自身が書いた記事とは思えないくらい「こんな記事を書いていたんだ」と思わされるほどの内容であった。
まず、「仮称」とされていた当時の駅名に驚いた。当時「仮称」とされていた駅名をそのまま現在の駅名になったのは、起点・終点を含めたったの2駅であった。そのひとつが今回紹介している川治温泉である。やはり当時からこの駅と五十里湖(仮称、現・湯西川温泉)は観光的な拠点にしようという思惑が見え隠れする大人の事情が当時は全くわからないまま記事にしていた。

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かなり大きく掲載してしまったが、1981年会社設立当時のレールマップ。これは私が野岩鉄道から資料を取り寄せ、私が中学時代に所属していた「鉄道研究クラブ」で発行していた季刊誌「えき」の記事の一部で野岩鉄道を紹介している物である。実はこの記事は私が書いたもので、このマップも野岩鉄道野資料を元に描いたものだ。だが・・・ほとんど記憶に無い!

つまり「温泉」と仮称時代から駅名が設定されていたのはここ川治温泉のみであるが、開通前から当然ながら観光的要素の期待が込められている事が覗える。余談であるが、この野岩鉄道の記事を寄せている季刊誌の裏表紙には「青函トンネル・先進導坑が貫通!」という大ニュースを最大にアピールした私の記事も掲載されていた。当時、中学生の私自身が寄せた記事なのに記憶が薄く若干新鮮に目に飛び込んでくるシーンは、今も昔も変わらず鉄道を愛する自身への確認作業でもあったかも知れない。

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正直言って思いつきで行った旅であったが、だからこその発見があったのかも知れない。だが、地元の方以外でこの駅に寄り温泉にいかないのは私くらいであろうか・・・


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駅舎内は意外にもモダンというか、いかにも観光駅らしい雰囲気を醸し出していた。ただ、やはり手前の鬼怒川に比べたらややひっそりした印象である。


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ここ川治温泉でも偶然ながら列車交換風景が見られた。夏休みともあって温泉方面へ行くと思われる乗客が数名下車。中には若いカップルも。

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名前は分からないが、駅前にはでっかい山が。というか、野岩鉄道はとにかく山、山、山の印象。だが、こうした雰囲気の温泉に将来普通に来れる男にないたい気もする。



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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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