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鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

夜行急行列車「はまなす」大冒険 ①

「旅」とは実に不健康な行動だと私は思う。カロリー高いものを好んで食べたり朝からアルコール三昧、そして不規則な就寝時間に移動中は座席に座り「飲む」または「食う」か「寝る」かのどちらか・・・ろくに運動もしない。どれをとっても健康的とは言えないであろう。恐らくこんな生活を1ヶ月も続けていたら間違いなく糖尿病や肝臓病などになりかねない。しかしそんな不健康な行動ばかりをしているのになぜか楽しい・・・そう、それは「鉄道」と触れ合っているからであろう。

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(いよいよ「はまなす」初体験!私は札幌発に乗車。外見は完全に「ブルートレイン」と何ら変わりはない。実にワクワクするではないか!)

2014年11月、私は思い切って「はまなす」を体験する事にした。理由的には「トワイライトエクスプレス」を12月まで毎日発注しているのであるが一向に納品の気配が無い事。それから2015年以降、トワイライトや北斗星の去就が発表された中、この「はまなす」に至っては何の発表も無い。だからこそ逆にいつ発表されるかという思いもあり、ならば運転されているうちに体験しておこうと決意をした。以前にも触れたが「いつか乗ろう」では、いざという時に乗車できないかも知れない。だから「今」行動に出た。
たまたま勤務スケジュールにおいて連休があったためそこを北海道行きに決めた。だが切符の発売日が既に1ヶ月を切っていたので果たして切符が取れるか・・・
一番人気の「のびのびカーペット」の上段は当然ながら満席であったが、下段なら連番があると報告を受けた。その場で即決、既に頭の中でスケジュールは組んであったのでとりあえず「はまなす」を押さえた後、その他の切符の手配は順次進行していった。さて「はまなす」とは一体どんな列車なのか、レールファンはともかく、そうでない方のために若干歴史に触れみよう。

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(この方向幕の雰囲気もいよいよ味わえなくなる時代が来るのか・・・)

「はまなす」とは、青森と札幌を結ぶ夜行急行列車である。1988年に青函トンネルが開通し青函連絡船が廃止された際、青函連絡船の夜行便の代替え措置として誕生したのがこの「はまなす」であった。実際に私自身、青函連絡船の夜行便は1983年に体験しているが、函館~青森間を3時間50分ほどで結ばれていた。そのため函館を0時40分に発すると青森に4時30分に着いた。ハッキリ言って、この深夜から未明にかけての移動は、特に冬季の場合は実に厳しい戦いになる事であろう。私自身も身を持って体験したので保証する!って、何を保証するのか分からないが、当時はまだ中学生であったので体力的には全然問題なかったが・・・

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(これが私の利用した「のびのびカーペット」。完全に連絡船時代の桟敷席を彷彿させる。特に上段は完全に個室に近い状態で年間通して人気が高い。)

そして、何といっても「のびのびカーペット(発券時は[はまなすカーペット]と表現)」は、連絡船の桟敷席をイメージして再現された事であろう。特に上段に関してはほぼ個室状態となっており、年間通して満席となる「プラチナ」である。他には指定席と自由席、そして開放型のB寝台が連結されている。見方によっては多彩な編成の急行列車であるが、JR全社で唯一の定期便急行列車である。しかも客車編成の急行列車は80年代に私が旅をしていた時代を彷彿させる懐かしい内容で、かつての「八甲田」「津軽」などの急行列車を、いや、編成的には「ブルートレイン」と呼ばれた寝台特急としても何ら見劣りしない雰囲気を醸し出している。

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(サンライズの「ノビノビ」よりもしかしたらいいかも!と一瞬思ってしまうくらいいい感じであった。しかも急行料金だし!)

そんな事を考えていたら「トワイライト」を体験するより楽しみになってきた・・・早速私は飛行機で北海道入りし、夜行急行列車「はまなす」の待つ札幌へ向かう事にした。目指すは4番線・・・確か隣の1~3番線は将来「新幹線」のホームになると聞いた。とは言え、果たしていつの事になることらや・・・高架化された札幌駅にすっかり私も慣れてしまった感がある北海道の中心地で、まだ見ぬ懐かしき盟友を今か今かとホームから身を乗り出し待っていた。


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姿なき挑戦者⑩ 急行・八甲田

私がレールファン最盛期であった1970~1980年代は個性豊かな夜行列車が多く存在した。特に「上野発の夜行列車」は群を抜いており、東北方面を始め信越方面や上越方面へ、実にバラエティに富んだ。1983年の「東北一周の旅」はこのブログで散々紹介してきたが、やはりこの旅は私にとって最大の思い出であり、ある意味自身の集大成でもあった。ちょうど東北・上越新幹線が開業して1年が経つ頃で、この新幹線開業を軸に優等列車の運転網が一気に整備された時期でもあった。特に田沢湖線の電化や特急・急行列車の廃止や統合など、数多くの変遷が見られた。

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(画像は「日本の旅・鉄道見聞録」より。EF58牽引の急行・八甲田。12系客車の運用であるが、機関車のすぐ後ろに貨物車が1両連結されている。)

そんな中、この1983年に東北の旅を終えた後、北海道の白糠線の廃止の情報を受け北の大地に向かった時に乗車したのが「急行・八甲田」であった。当時、北海道へは「ワイド周遊券」を使用したが、周遊区間までのアプローチは急行列車は別料金なしで乗車できた。とは言うものの新幹線開業で急行列車の多くが廃止され、国鉄の動きも急行列車自体を特急に格上げし統合、つまり急行列車の廃止に傾いていた。数少ない急行列車であったが東北方面はまだまだ在来線で特急・急行が活躍していた。

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(白糠線・北進駅にて。1983年10月、廃止の一報を受けて上野より一路「八甲田」にのり北の大地目指した。)

2014年現在、今となっては考えられなかった事であるが、夜行の急行列車でも「寝台急行」と「夜行急行」があった。単純に「オール寝台」か「寝台を連結している座席急行・またはオール座席」かの違いでもあるが、「八甲田」は確か寝台を連結していない座席急行であった。
昔の本を開いてみると、なんと「EF57」が荷物車を一緒に連結しながら走行する八甲田が映し出されているではないか!私が乗車した当時は確かEF58が12系客車を牽引する姿だった。

上野を19時10分に上野を出発すると青森に翌朝6時15分に到着する。しかし青函連絡船は7時30分まで接続が無いので少々不便でもあったが、北の大地へのアプローチは「風情」たっぷりだ。全て東北本線を経由するが、姉妹版で常磐線経由の急行「十和田」、奥羽本線経由の急行「津軽」の存在もあった。これらを駆使すれば東北方面の制覇は「安泰」の時代でもあった。実際に私は東北の旅の際に「宿代わり」として上下の八甲田を利用した。青森から八戸に行く際にやった事だが、上り八甲田は青森をなんと0時2分の発車!これに乗り盛岡に2時49分着。下りの八甲田は3時18分発だ。これに乗り八戸着が4時52分着。八戸線の始発の5時17分に十分に間に合うと言う事だ。

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(1993年、583系寝台特急「ゆうづる」と共に急行・八甲田は「臨時列車」に格下げされてしまった。写真は1979年青森駅にて。)

この時の深夜未明の盛岡駅は現在でもしっかりと記憶が甦ってくる。とても印象深いが、この八甲田の待ち時間はかなり長く感じた。たった30分位であったが、駅構内の店などはもちろん閉店しており、新幹線開通で真新しくなった盛岡駅の入り口にある風鈴の音だけが響き渡るあの風景は今でも忘れない。それ以上にこの旅で得たものも多く、現在その経験が非常に活きている。これは私の財産でもある。

2014年1月7日、私は約30年ぶりに盛岡の駅に下車した。散々「通過」などはしていたが、実際に下車するのは久々だ。そして盛岡の街を散策するのは初めての事。なんだか新鮮な感じだ。実は盛岡で宿泊もしたが、TVで有名なあの「BDの接骨院」にも訪問。その模様は後日に報告するが、なかなか訪問し甲斐があったものだ。
そんな盛岡駅も30年経てば変化もしており、1番線は「青い森鉄道」に譲り改札も2階に移動。若干戸惑ったが滞在できた喜びは大きい。中学時代に訪問した時とは全く違う顔を見せていた。

しかし考えてみたら、こんな事を中学生が平気でやっていたとは、親もよくこんな旅に行くのに軍資金を提供してくれたものだし送り出してくれたものだ。もしあなたの子供が「東北に10日間ひとりで行くのでヨロシク!」と言って来たらあなたはどう対応するであろうか?私は子供がいないので想像つかないが、おそらくもし私に子供がいたら二つ返事で「行って来い」と言うであろう。もちろん人に迷惑かけない範囲でとか「大人の台詞」をいろいろと言うであろうが・・・


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姿なき挑戦者⑨ 急行・おが

1983年8月「東北乗り潰しの旅」の中で私は「急行・津軽54号」に乗り山形駅に「運転停車」なのに下車させていただいたのは先述した。山形より新庄に戻るため、急行「おが」に乗り奥羽本線を北上するのは当然深夜から未明にかけての行為であった。だが私は山形駅に入線する「おが」を見て驚いた。なんとオール20系の寝台客車編成であった!この旅の計画段階でこの「おが」が寝台急行では無く通常の急行列車である事は事前知識があった。そして新庄では陸羽東線との接続がものすごく良い事も知っていた。だが、まさかこんな形で乗車できるとは思わなかったが、更に20系というサプライズ!新庄で下車するのが非常にもったいなくなってしまった。

と言うのは、乗ってみてまたびっくり。私は「東北ワイド」のためもちろん「自由席」へ。なのに普通に「寝台車」で座席ではない。つまり、今でいう「ゴロンとシート」のような形で自由席として開放していたのだ!だが山形~新庄まではおよそ1時間。こんな短い時間しか乗れないなんて・・・

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(「寝台急行」ではない通常の「急行列車」として季節運転になった「おが」。とは言うものの20系寝台車を座席で解放とは!画像は「日本の旅・鉄道見聞録」様提供。)

この夜行急行「おが」は、私の乗車した1983年では既に「季節運転」に格下げされていたが、このお盆の帰省時の運転に乗客はほんの僅か。もちろん私は「ワンボックス」占領できた。普通なら仮眠にちょうどいいが、これじゃ仮眠どころではない!!逆に興奮してしまい、暗くて何も見えない窓を眺めては中段や上段に席を移したりと・・・1時間などすぐに過ぎてしまった。

この東北の旅で「津軽」「八甲田」等の夜行急行をフル活用。この旅の「宿」として活躍した。そしてこの「おが」も宿として同じ旅の中で行程を組み込んでいた。今度は北上線で横手に20時48分に着いた後に22時13分発の「おが」に乗り、深夜の福島に2時42分着までの「宿」となる予定を組んであった。もちろん既に「おが」の編成については事情を知っている。完全に「おが」に乗るのが楽しみになっていた。だが、あまりの快適さに「もしかしたら寝過ごして上野まで行ってしまうのでは?」との思いから、福島で折り返し山形に向かい左沢線の乗車を予定していたが、福島で目が覚める自信が無くなり山形で下車。深夜0時55分の事だ。もったいない・・・

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(方向幕を見てお判りであろう、20系客車である事が。1983年に訪問の際の一枚であるが、秋田~男鹿は「普通列車」に変身!)

更に同じ行程の中、今度は大曲から福島まで行き折り返し急行「津軽」で山形まで行き、山形始発の赤湯経由長井線直通列車に乗車予定であったが、これまた山形で下車してしまった。やはり快適すぎて目覚める自信が無かったのだ。結局山形駅が「宿」と、結果的になってしまったが、やはり上野まで行ってしまう事より良いであろう。と言うより、旅の行程の最終日にこの「おが」を組み込めばと、既に結果論であるが大変に悔しい思いを中学生ながらにした。

20系寝台車仕様の「座席急行」である、非常に印象的な列車であった。3段式のB寝台を「自由席」として開放していたのは、おそらく車両のやりくりの中で余剰の20系が充てられたと思われるが、私にとってみたら思いがけない「サービス」であった。変な話、と言うより以前から言っているが、例えば「ムーンライト」などでこういう車両の使い方をしてくれると「18派」には大変重宝するのではないのであろうか?「ながら」が185系に変わったが、むしろ583系でもいいのではと私は個人的に思っている。いっそのこと24系などにしてしまえば快適な旅になるのでは?と思う。もちろんこれは経営者側の事情を全く考えていない意見であるが・・・

この列車は上野~男鹿までの運転であった。だが秋田~男鹿はなんと「普通列車」に変身する!つまり20系の寝台車が普通列車として開放。地元の「学生諸君」も普通に乗車してくるわけだ!20系で通学する学生・・・いったい彼(彼女)らはどのような思いでこの列車に乗っていたのであろうか。


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姿なき挑戦者⑧ 急行・津軽54号

あなたは列車で旅をしていて通過駅で下車したことがありますか?私は自信を持って「だからホラ、ハッキリ言って、あるよね。(わかる人は拍手お願いいたします!By超世代軍の旗手)」と言おう。と自慢する事でもないが、1983年の「東北乗り潰しの旅」において、この通過駅での下車は以前に紹介している事である。ブログ開設当初からご覧になっていただいている方はご存じであろう事柄であるが少々お付き合いいただければ幸いである。

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(私の乗車した臨時列車「津軽54号」。12系の客車急行列車であった。)

1980年代は客車急行列車が全国各地に多く存在したが、特に上野口から出ている「八甲田」「十和田」「津軽」等は私が良くお世話になった急行列車で、特に「津軽」は14系座席の急行列車であったのでさながら「特急」を思わせる。14系座席車だと座席がリクライニングでき、更に「回転式」の為クロスシートにも変身できる優れものであった。今回はプロパーの「津軽」でなく「54号」なる臨時列車の紹介であるが、もちろんプロパーバージョンにも乗車したことがある。が、今ではこうした急行が無くなってしまいいささか寂しいが、青森方面に行けば特急ながら「つがる」の愛称が今も健在なのが嬉しい。「54号」は臨時列車のため12系客車が担当。1980代の客車急行らしい客車急行列車であった。

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(1982年頃の「津軽」。10系寝台+12系客車の編成。こんな列車が上野口では数多くみられた。画像は「日本の旅・鉄道見聞録」より。)

1983年の「東北乗り潰し」の際の事である。阿仁合線(現・秋田内陸縦貫鉄道)制覇の後、鷹ノ巣から急行「津軽54号」に乗り新庄に向かった。新庄からは陸羽東線を制覇するために新庄で「始発まで待たせてもらう」事になっていた。新庄着は確か1時20分頃であった。1時22分発で次の停車駅がなんと福島である。座席急行でありながら、しかも臨時便なのに山形を「通過」するとは、よほど格式高い急行列車なのであろう。
そんな事を考えながらうとうとしていると、気が付いたら時計の針が(と言うよりデジタルが)1時23分頃を表示していた。一瞬顔が青くなりゾッとした。よく人は「顔が青くなる」と表現するが、実際に「純青」になる事はおそらく無いであろう。しかしこの時は本当に顔が青くなった。と言うより「蒼く」と言う表現の方が合っているかも知れない。福島まで停車駅がないとなると今後の予定に大きな狂いが生じる。私はすかさず最後尾の車両に向かった。そう、カレチに相談だ。

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(12系客車のイメージ。写真はJR化後で「SL北びわこ号」であるが、若干青色が薄めになった感じなのは気のせいか。画像はウィキペディア。)

「すみません、新庄ってまだですか?」わかってはいたが、私は自身の時計が若干進んでいるか列車が遅れている事を密かに祈っていた。「今でしょう!(とは言わなかったが、雰囲気的に「流行語大賞」のような感じで)。今でたばかりだよ。」私はカレチの言葉に落胆してしまった。だが瞬時に「起き上がり小法師チョップ」のように立ち上がり今後の予定を組み替える作業に取り掛かった。と同時にカレチ氏も何やら自身のダイヤグラムを眺めていた。「じゃ、山形で降りて下さい。そうすれば下りの急行「おが」に乗り新庄に行かれるから。2時20分頃になったらまた車掌室に来てください。」と私に指示した。「あっ、ありがとうございます。」と私は自身の座席に戻った。

山形で降りる・・・この列車は時刻表上では山形は通過なのだが、実は乗務員交代などを行う「運転停車」のため山形に止まるのだ。そう、私は運転停車の駅で下車させていただく事になったのだ。もちろん、国鉄の規則上では旅客扱いはできない事になっているはずだ。しかしながらこの時の車掌の判断で私は助かった。

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(画像はウィキペディアより、12系客車の車内。現在は「SL」等に牽引され全国各地で活躍している。)

山形が近づくと私は列車のテールに向かう。私を確認するとカレチ氏は私を乗務員室に招き入れてくれた。「そういえば乗車券は?」私はすかさず「東北ワイド」を見せると「周遊券か。問題ないね。」と、乗務員室でこんなやり取りが行われ暫くすると山形に到着した。私は車掌に「この人です、お願いします。」と山形駅の駅員に身柄を引き渡された。何だか護送されてきた気分になってしまったが、それよりお客様の出入口ではない、いわゆる乗務員専用の扉から列車を降りる時の感動は今でも忘れない。もちろん初めての行為であるし下車したのは私のみである。あっ、運転手さんも下車しました!私は車掌と山形駅の駅員さんにお礼を言うと、乗り換える急行「おが」を待たせてもらうために待合室に向かった・・・

かつて国鉄はかなりのクレームが多発しており、サービス業として遺憾と思われる場面が多々見られた。RJ社(当時)の「旅と鉄道」に掲載されていた「種村直樹の汽車旅相談室」を私は毎回熟読していた。当時は中学生だったのでわからなかった事も多かったが、自身が旅に出て経験した事やこれから体験するであろう興味深い記事も多数掲載されていて、読んでると時間の経つのを忘れてしまっていた。そんな相談室にも接客や切符に纏わるトラブル等が多く掲載されており、さながら職員の勉強不足や怠慢が多くのお客様に迷惑をかけている事が多いと知った。もちろんそれだけでなくお客様の視点に立ってくれる職員の話も多く掲載されており、なかなか読みごたえがあった。
そんなレール雑誌を愛読していた私が改めて当時を振り返って・・・やはりこの運転停車での私の下車は、車掌の判断で実現したものの、実際の規則上ではもちろんNGであるはずだ。

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(青森駅で出発を待つ「津軽」。青森駅と客車列車はなぜかマッチしている。ちなみにこれは私が撮影。確か1979年の「津軽」であった。)

私たちが生活していく中での「サービス」とは一体何なのか。そして私たちはどんなサービスを求めているのか?もし、私たちがいつも利用している各駅停車などに乗車している際、例えば車掌が乗客ひとりひとりに「おしぼり」や「お茶」等を配給して来たらあなたはどう思うであろうか?私ならこれをサービスとは思わない。こんなことをするのならそのサービスを受けないから料金を下げてくれと要求するであろう過剰サービスとなる。本当のサービスとは、もし列車を利用していたとき、何らかのトラブル時にお客様目線で立てるかどうか、「杓子定規」をいかに柔軟に解釈していくかであろう。私は多くのお客様がおしぼりより柔軟性の対応の方が嬉しいであろうと思う。

この時の運転停車による私の下車は、私の事を家出少年と疑ったりもせず、また子供と思い乱雑に扱ったりもせず、ひとりのお客様として柔軟に対応してくれた。この事に私は本当に感謝したい。だからこそ思うのだが、それこそ本来のサービスなのかも知れない。当時の国鉄には怠慢な従業員ばかりではない、むしろこういう柔軟な従業員の方がたくさんいたのではないか?と信じたい。お客様が困っていたら拡大解釈ではないが、規則などに縛られず柔軟に対応してくれた姿勢・・・これぞ最高の「お・も・て・な・し」ではないか!私は冒頭で「自慢ではないが」と述べたが、訂正して改めて「自慢したい出来事」として皆様にお伝えしたい。
義理と人情の旅・・・どこかの旅番組で聞いたような台詞であるが、急行「津軽54号」はそんな事を私に教えてくれた唯一の列車でもあった・・・


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姿なき挑戦者⑤ 急行「銀河」51号

おや?と思われる方もおられるであろう。なぜプロパーでの「銀河」ではなく「51号」なのか・・・実はワタクシ、銀河に乗った事がありませんので・・・近年まで存在した寝台急行「銀河」の晩年は24系の寝台車で身をまとい、まるで寝台特急「ブルートレイン」であった。しかし、私のイメージはEF58牽引の20系寝台車姿の列車であった。そんな列車にいつしか乗車してみたい思いであったが・・・

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(東京駅にての急行銀河。EF58が牽引していたが、晩年はEF65であった。画像はミックスマテリアル様提供。)

私の初めて乗車した座席夜行列車、その名も「急行銀河51号」。51号と名の付くからにはひとめで「臨時」とわかるであろう。1981年夏、私は座席夜行急行列車「銀河51号」に乗り関西方面へ向かった。目的はというと、同じ年に開催された「神戸ポートアイランド博覧会」に観客のひとりとなるためだ。いわゆる「ポートピア」であるが、現在も走るあの新交通システム「ポートライナー」に乗車する目的もあったのだ。

現場に行くのになぜか「51号」を選んだ私だが、理由は簡単で「経済的」な部分が絡んでいたのであろう。寝台と座席で5000円~6000円位の差があった記憶であるが、夜行=寝台のイメージしかなかったため、この「座席」で夜を過ごす初体験にいささか胸の高鳴りを覚えたものだ。

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(印象的なテールマーク。今となっては懐かしい。画像はウィキより転用。)

さて、私は「51号」で神戸の「ポートピア’81」へ向かう。今となっては夜の東海道など、いわば「ムーンライト」で散々お世話になったせいか見慣れた景色である。と言っても真っ暗の為景色は見えず、ただ只管寝る作業しか選択肢が無いのはつらい。東京発は22時丁度発。私が乗車した急行「銀河51号」は確かEF58牽引の14系座席客車である。東京発夜行列車のオール座席客車は当時でも大変珍しかったであろうが、私は初めて体験する座席で迎える夜はいささか窮屈だったようだ。どうせなら、それこそ各メディアで当時論議されていた「583系」で運転しても良かったと思うくらい14系座席はいささか疑問であった。一応指定席券は大阪までであるが、実は京都で下車している。6時59分着となんだか遊び心をふんだんに取り入れた到着時間である。
大船・小田原・熱海・沼津・富士・静岡・浜松・豊橋と停車するが次の停車駅が米原である。豊橋で3時半くらいでも停車するのに名古屋を通過とは!なんて格式高い急行列車なのであろうか。一応運転停車はするが、なぜに名古屋だけ欠落するのか・・・レギュラーの「銀河」も名古屋は通過であるが、こちらは「寝台急行」の為まだまだ納得の余地はある。しかしカリソメにも「51号」なる臨時列車の、しかもオール座席にも関わらず、名古屋を見捨てるのか・・・

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(14系客車急行の代表格であった「ニセコ」。銀河51号もこんなイメージだ。画像はウィキから転用。)

米原付近では外は明るくなってきた。夏の夜明けは早いが、東京と比べるとやや時間差がある。臨時列車ながら「銀河」はプロパーの姿と違い寝台は無いが、補完するという意味ではしっかりと役目を果たしている。
やがて京都に着くので私たちは下車の準備をする。ハッキリいて車内ではテンション高くいささか寝不足状態だ。
そして京都のホームに足を踏み入れた。予定では親戚が迎えに来ているはずだ。とは言え、私はこの「親戚様」とはほぼ初対面である。幼少時代に一度お目にかかったみたいだが、ハッキリ言って記憶が薄い。というのも「父の母の姉」、つまり「ウルトラ作戦第一号」で紹介した「玉乃井」さんの姉らしいのだ。ほぼ全く面識ないといっていい状態であったが、私たちをホームまで迎えに来てくれていた親戚様はすぐに「その人」とわかったのだ。今考えてもすごく不思議であるが、すぐにお互いにわかり、私の方から軽く会釈をした。お互いに時空を超え、すぐに溶け込んだ。そしてお世話になる宿泊施設を紹介してもらい市内をいろいろ案内してもらってからお別れした。
恐らくその親戚とは最初で最後の単独でのコンタクトであったと思うが、私ほど「京都」が似合わない人物もいないであろうという人間を快く迎え入れてくれて、大変感謝の思いでいっぱいであった。
その後は京都をベースに神戸方面への撮影会兼観光が始まるわけだが、ハッキリ言って座席の夜行は初めてであったため体力的にハードであった。私はいいとして、同行した友人二人はどのような思いであったのであろうか。
体も心も「臨時」的に迎えた京都の朝は「町並み」「風情」とは関係なく「鉄道」という名のカテゴリーが我々の時間に進行していった。

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鉄道全線完全制覇の旅

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プロフィール

ダイヤモンド✡トナカイ

Author:ダイヤモンド✡トナカイ
✩2022年4月より毎週土曜日更新になります✩


昭和・国鉄の話題を中心に紹介しています。


2013年に長野新幹線の長野駅にて「いい旅チャレンジ20000km」よりスタートした国鉄時代の制覇を含めJR全線制覇を、そしてゆいレール以外の鉄道全線制覇を達成いたしました。


以降、北陸新幹線と北海道新幹線などの開業によりタイトルは返上しています。

JR以外の私鉄を含む鉄道未制覇路線は北陸新幹線(長野~金沢)・北海道新幹線・仙台地下鉄東西線・仙石東北ライン・富山地方鉄道延伸部分・ゆいレール・相鉄直通線(相鉄新横浜線)、そして新規開業の西九州新幹線や宇都宮に開業したライトレールも新たに加わりますます未制覇路線が増えてしまいました・・・

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