南の最果てを訪ねて・・・指宿枕崎線(後編)
2014-03-23
そんな指宿枕崎線の久々の訪問は懐かしさ溢れるものであった。やはり指宿駅は駅舎がリニューアルされて「観光化」しているが、駅前の街並みは「昔ながら」の佇まい。昔の「熱海」のようなイメージが脳裏に過った感だ。宿泊した温泉旅館に着いたのが夜7時頃であった。普通に「観光」としては若干遅い時間帯であろうが、私の場合は他の人と「目的」が違う。とは言え、宿泊施設がいつものビジネスホテルで無い事がいつになく新鮮だ。

(2010年に訪問の際の「宇宿」。同じ九州に「臼杵」があるが、読み方は同じ「うすき」。)
タクシーに乗り宿に向かう途中、運転手さんに「実はこの地に来るのは30年振りですが、ほとんど変わってないですね」みたいな会話を振ると「昔からの温泉街ですからね」と、何か誇らしげに返してきた気がした。昔のままの姿。実に素晴らしい。何も「古臭い」とか言っているのではない。昔と変わらずに盛栄しているのが素敵であると思うのだ。もちろん、現在の日本の「景気」を考えると昔ほどの盛栄はあるとは言えない部分があろうかと思う。だが、日本有数の「温泉街」はまだまだ頑張って日本を盛り上げていただきたい。

(こちらも2010年訪問時の二月田。指宿の隣にあり、私自身1978年に訪問の際に若干印象に残っていたので馴染みやすかった。)
宿に砂風呂が併設されており、もちろん早速「初体験」。前回訪問時は、砂浜にパラソルがあったのはしっかり覚えているが、結局未体験のままであった。今回この初体験だが「閉店時間間際」であったため、なんと私一人での「独占」であった。私の為に従業員7人位でのおもてなしは少々恥ずかしい部分もあったが、砂から顔だけを出す姿はもっと恥ずかしかったかもしれない・・・

(2010年の指宿駅。恐らく国鉄当時からあると思われる駅名表が健在。)
砂の中に埋もれながらかく汗は、自身の新陳代謝がいつもより活発になった感じがして、毒素が全身から抜けていき、その場で健康体になった気がした。それと併せて、ここまで来るのに乗ってきた「ローカル線」の姿も甦ってきた。そして前回は寝台特急「富士」での訪問であった事、その「2段ハネ」での思いも甦ってきた。この思い出だけは毒素と一緒には抜けてほしくない。そしていつまでもこの地が「指宿」であってもらいたい。そう、いつまでも「たまて箱」の中にしまっておきたい記憶だから・・・


(2010年の指宿駅構内。立派な跨線橋があるが、1978年訪問時には構内踏切が駅舎に繋がっていたはずだ。よく見ると当時の面影が残っていた。)

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(2010年に訪問の際の「宇宿」。同じ九州に「臼杵」があるが、読み方は同じ「うすき」。)
タクシーに乗り宿に向かう途中、運転手さんに「実はこの地に来るのは30年振りですが、ほとんど変わってないですね」みたいな会話を振ると「昔からの温泉街ですからね」と、何か誇らしげに返してきた気がした。昔のままの姿。実に素晴らしい。何も「古臭い」とか言っているのではない。昔と変わらずに盛栄しているのが素敵であると思うのだ。もちろん、現在の日本の「景気」を考えると昔ほどの盛栄はあるとは言えない部分があろうかと思う。だが、日本有数の「温泉街」はまだまだ頑張って日本を盛り上げていただきたい。

(こちらも2010年訪問時の二月田。指宿の隣にあり、私自身1978年に訪問の際に若干印象に残っていたので馴染みやすかった。)
宿に砂風呂が併設されており、もちろん早速「初体験」。前回訪問時は、砂浜にパラソルがあったのはしっかり覚えているが、結局未体験のままであった。今回この初体験だが「閉店時間間際」であったため、なんと私一人での「独占」であった。私の為に従業員7人位でのおもてなしは少々恥ずかしい部分もあったが、砂から顔だけを出す姿はもっと恥ずかしかったかもしれない・・・

(2010年の指宿駅。恐らく国鉄当時からあると思われる駅名表が健在。)
砂の中に埋もれながらかく汗は、自身の新陳代謝がいつもより活発になった感じがして、毒素が全身から抜けていき、その場で健康体になった気がした。それと併せて、ここまで来るのに乗ってきた「ローカル線」の姿も甦ってきた。そして前回は寝台特急「富士」での訪問であった事、その「2段ハネ」での思いも甦ってきた。この思い出だけは毒素と一緒には抜けてほしくない。そしていつまでもこの地が「指宿」であってもらいたい。そう、いつまでも「たまて箱」の中にしまっておきたい記憶だから・・・


(2010年の指宿駅構内。立派な跨線橋があるが、1978年訪問時には構内踏切が駅舎に繋がっていたはずだ。よく見ると当時の面影が残っていた。)

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南の最果てを訪ねて・・・指宿枕崎線(前編)
2014-03-21
指宿枕崎線・・・言わずと知れたJR最南端の路線であるが、私が最初に訪れたのは1978年8月である。既にこのブログでも紹介した「寝台特急・富士」の旅の際の延長行程で「富士」で西鹿児島(当時)に下車した私たちは宿泊先の指宿に向かうため指宿枕崎線に乗車した。ワタクシ、小学校4年生の時であった。もう34年も前の事なので殆ど記憶にないが、なんとなく覚えているのが「相模線」仕様の車両、つまりキハ20かキハ10(だったと思う)に揺られながら洗濯バサミみたいな取っ手をつまみ、窓を開け心地よい風に髪を揺らす自分がいたシーンだ。オッと、当時私は「スポーツ刈り」だったため髪は揺れなかったか・・・

(1978年に初めての訪問。寝台特急「富士」乗車後、ここで一泊。翌日に収めた一枚であるが、ローカル線の駅舎にしては重厚な造りの印象。)
時は流れ、全線制覇のため再びこの地を訪れたのは1983年3月、あの「鹿児島交通」制覇の為の訪問だ。しかしこの時の記憶は全く記憶にない!だが、枕崎でしっかりと鹿児島交通の車両の写真を収めているし、枕崎駅の記憶はしっかりとある。だが、その枕崎までの過程が全然記憶にないと言う事はいったいどういう事か・・・考えてみたら不思議な「制覇」であった。

(以前に何回か紹介した鹿児島交通の姿。1983年に訪問の際、枕崎駅での一枚であるが、当日は激雨!)
時は更に流れ、またこの地を訪れる事となる。それは2010年5月の事である。若干小銭ができたため、無理矢理連休を取り指宿の砂風呂を目指すことにしたのだ。そう、この指宿と言えば「温泉」が大変有名であるが、枕崎は「かつお」も有名で、何気に沿線には観光名所がある。そんな指宿枕崎線は現在観光列車「指宿のたまて箱」や快速「なのはなDX」等が運転されしっかりと地元に根付いてい活躍している感がある。とは言え、山川~枕崎は依然「ローカル」を醸し出し「JR最南端」の西大山もホーム一本の簡素なものだ。と言うより、我々みたいな「物好き」にしてみれば、むしろこの区間の方が「気になる存在」であろうかも知れない。

(1978年に訪問時の西鹿児島。現在、新幹線がやってきているのが信じられないくらいの穏やかなムードが漂う。)

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(1978年に初めての訪問。寝台特急「富士」乗車後、ここで一泊。翌日に収めた一枚であるが、ローカル線の駅舎にしては重厚な造りの印象。)
時は流れ、全線制覇のため再びこの地を訪れたのは1983年3月、あの「鹿児島交通」制覇の為の訪問だ。しかしこの時の記憶は全く記憶にない!だが、枕崎でしっかりと鹿児島交通の車両の写真を収めているし、枕崎駅の記憶はしっかりとある。だが、その枕崎までの過程が全然記憶にないと言う事はいったいどういう事か・・・考えてみたら不思議な「制覇」であった。

(以前に何回か紹介した鹿児島交通の姿。1983年に訪問の際、枕崎駅での一枚であるが、当日は激雨!)
時は更に流れ、またこの地を訪れる事となる。それは2010年5月の事である。若干小銭ができたため、無理矢理連休を取り指宿の砂風呂を目指すことにしたのだ。そう、この指宿と言えば「温泉」が大変有名であるが、枕崎は「かつお」も有名で、何気に沿線には観光名所がある。そんな指宿枕崎線は現在観光列車「指宿のたまて箱」や快速「なのはなDX」等が運転されしっかりと地元に根付いてい活躍している感がある。とは言え、山川~枕崎は依然「ローカル」を醸し出し「JR最南端」の西大山もホーム一本の簡素なものだ。と言うより、我々みたいな「物好き」にしてみれば、むしろこの区間の方が「気になる存在」であろうかも知れない。

(1978年に訪問時の西鹿児島。現在、新幹線がやってきているのが信じられないくらいの穏やかなムードが漂う。)

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