サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版㉝
2018-11-25
さて、いよいよ「はくつる」が入線してきた。583系の寝台特急である。同僚の「ゆうづる」は客車バージョンと583系バージョンがあり常磐線経由であるが、こちらは東北本線経由である。そして583系といえば三段式の寝台で昼間は座席として利用するため構造が複雑で、座席から寝台に変える際の作業行程は非常に興味深い。作業員はかなり手間がかかる仕事になろうが、今の時代では考えられない程に非効率な作業であろう。

いよいよ帰郷の列車に乗る。最初で最後の「はくつる」の乗車は寝台上段でくつろいだ。上段だと寝ながら小窓が見れて、かなりリラックス出来る。今気がついたが、隣のホームに止まっている列車も583系ではないか!寝台としてなのか、座席としてなのか、583系は他の列車とは違う独特なオーラがある。
下段は一番広く値段も高いが、何たって最大の裏メニューは「パン下」と呼ばれる空間であろう。つまり上部にパンタグラフがある都合上、ベッドを三段にできず二段式になっているわけであるが、他のB寝台に比べ高さがあるので広い。そんなマニア情報を当時は知らず、単純に寝台特急に乗車出来るのが嬉しかった。
583系寝台特急では上段と中段は料金が同じであるのでダイナミック☆トナカイと「どっちにする?」みたいな感じであったが、寝台券購入の際に予め私は「上段」と決めてあった。特長としては中段よりやや高さがあるため広いのと、外の景色を見るため上段と中段には小窓が付いているが、上段では寝ながら小窓を見れるのが最大のメリットである。中段では座った状態で小窓が見れる高さにあるので少々体力がいる。しかも天井が低いのでストレスも感じる。既に私は1979年に乗車した寝台特急「ゆうづる」で中段を経験したので今回は最初から上段と決めていたのだ。狙いは見事に当たり寝ながら小窓を覗けるのがいい!中段のダイナミック☆トナカイ氏には申し訳ないが、私は上段でくつろがせていただいた。

画像はミックスマテリアル様提供の座席特急「みちのく」は上野駅での撮影であるが、恐らく「ゆうづる」や「はくつる」などの寝台特急とペアで運転されていた事であろう。583系の特徴を最大限に活用。
青森発の寝台特急「はくつる」は23時59分発であるから、あの青森駅の莫大な線路から解放される頃には既に日付が変わっている。そして1979年以来の寝台特急乗車にいささか興奮気味の私がいたが、先輩である私がその場を取り乱してはならない。私は先輩であるプライドから冷静さを装い上段ベッドで寛ぐ姿を後輩に見せなければならない。勿論、胸の内は興奮の雨霰だ。
「さて、やはり次は北海道かな・・・」
小窓から見える誰もいない薄暗いホームを一瞬で通過するシーンを何度も見つめながらそんな思いが込み上げてくる。ただ、来年の夏休みは高校生だから勉強しなくちゃなぁとか、20日「ワイド」を使っていくらかかるのかなぁとかいろいろな雑念も舞い込んでくる。といいながら、その2か月後に白糠線廃止情報を受け最初で最後の北海道国鉄時代の訪問をしてしまった。それまでは私にとって北海道とは高嶺の花であり、訪問には勇気がいる存在であった。だが、扉を開けてみれば素晴らしい世界があちこちに広がっていた。

2007年に会津若松に訪問した時偶然に停車していた快速「あいづ」。リニューアルされ外観はすっかり新車同様となっていたが、もちろん座席仕様の車内は当時の特急列車そのものであった。
そんな扉をこの東北の旅から僅か2ヶ月後に開けるとは全く想像すらしなかった。国鉄からJRに変わって既に30年以上経過したが、若い世代の中には「国鉄」という単語すら知らない者もいるであろう。そんな世代の若者達に私の旅はどのように映るのであろうか。
やはり旅は行けるタイミングが有る時は無理してでも行った方がいい。「あの時行けば良かったなぁ」という思いはしたくないし「いつか行こう」だといつ行けるかわからない。「この日に行く!」と決めてしまえば意外にスムーズに事は運ぶものだ。
鉄道にしかない旅がある。鉄道にしか出来ない旅がある。昔の自分を外から眺めていたらまた鉄道で旅がしたくなってきた。最近はレンタカーが主流となった私の旅だが、再び原点に帰ってみるのもいいだろう。
随分と長い「サマーアクションシリーズ」となってしまった。この記事がアップされる頃にはオータムどころか既にウインターになっているであろう。たった8日間の旅であったが、私にとっては人生の岐路となった旅と言っても過言ではない。「いつか行けたら」から更に進展し「旅に出る」という一歩踏み出す勇気は大切だし、そして踏み出せる環境があるのも幸せな事である。
「また旅をしよう」
最近はレンタカーが中心の旅が多いが、再び鉄道に拘った旅もしてみたくなった。次は何処へ行こうか・・・

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いよいよ帰郷の列車に乗る。最初で最後の「はくつる」の乗車は寝台上段でくつろいだ。上段だと寝ながら小窓が見れて、かなりリラックス出来る。今気がついたが、隣のホームに止まっている列車も583系ではないか!寝台としてなのか、座席としてなのか、583系は他の列車とは違う独特なオーラがある。
下段は一番広く値段も高いが、何たって最大の裏メニューは「パン下」と呼ばれる空間であろう。つまり上部にパンタグラフがある都合上、ベッドを三段にできず二段式になっているわけであるが、他のB寝台に比べ高さがあるので広い。そんなマニア情報を当時は知らず、単純に寝台特急に乗車出来るのが嬉しかった。
583系寝台特急では上段と中段は料金が同じであるのでダイナミック☆トナカイと「どっちにする?」みたいな感じであったが、寝台券購入の際に予め私は「上段」と決めてあった。特長としては中段よりやや高さがあるため広いのと、外の景色を見るため上段と中段には小窓が付いているが、上段では寝ながら小窓を見れるのが最大のメリットである。中段では座った状態で小窓が見れる高さにあるので少々体力がいる。しかも天井が低いのでストレスも感じる。既に私は1979年に乗車した寝台特急「ゆうづる」で中段を経験したので今回は最初から上段と決めていたのだ。狙いは見事に当たり寝ながら小窓を覗けるのがいい!中段のダイナミック☆トナカイ氏には申し訳ないが、私は上段でくつろがせていただいた。

画像はミックスマテリアル様提供の座席特急「みちのく」は上野駅での撮影であるが、恐らく「ゆうづる」や「はくつる」などの寝台特急とペアで運転されていた事であろう。583系の特徴を最大限に活用。
青森発の寝台特急「はくつる」は23時59分発であるから、あの青森駅の莫大な線路から解放される頃には既に日付が変わっている。そして1979年以来の寝台特急乗車にいささか興奮気味の私がいたが、先輩である私がその場を取り乱してはならない。私は先輩であるプライドから冷静さを装い上段ベッドで寛ぐ姿を後輩に見せなければならない。勿論、胸の内は興奮の雨霰だ。
「さて、やはり次は北海道かな・・・」
小窓から見える誰もいない薄暗いホームを一瞬で通過するシーンを何度も見つめながらそんな思いが込み上げてくる。ただ、来年の夏休みは高校生だから勉強しなくちゃなぁとか、20日「ワイド」を使っていくらかかるのかなぁとかいろいろな雑念も舞い込んでくる。といいながら、その2か月後に白糠線廃止情報を受け最初で最後の北海道国鉄時代の訪問をしてしまった。それまでは私にとって北海道とは高嶺の花であり、訪問には勇気がいる存在であった。だが、扉を開けてみれば素晴らしい世界があちこちに広がっていた。

2007年に会津若松に訪問した時偶然に停車していた快速「あいづ」。リニューアルされ外観はすっかり新車同様となっていたが、もちろん座席仕様の車内は当時の特急列車そのものであった。
そんな扉をこの東北の旅から僅か2ヶ月後に開けるとは全く想像すらしなかった。国鉄からJRに変わって既に30年以上経過したが、若い世代の中には「国鉄」という単語すら知らない者もいるであろう。そんな世代の若者達に私の旅はどのように映るのであろうか。
やはり旅は行けるタイミングが有る時は無理してでも行った方がいい。「あの時行けば良かったなぁ」という思いはしたくないし「いつか行こう」だといつ行けるかわからない。「この日に行く!」と決めてしまえば意外にスムーズに事は運ぶものだ。
鉄道にしかない旅がある。鉄道にしか出来ない旅がある。昔の自分を外から眺めていたらまた鉄道で旅がしたくなってきた。最近はレンタカーが主流となった私の旅だが、再び原点に帰ってみるのもいいだろう。
随分と長い「サマーアクションシリーズ」となってしまった。この記事がアップされる頃にはオータムどころか既にウインターになっているであろう。たった8日間の旅であったが、私にとっては人生の岐路となった旅と言っても過言ではない。「いつか行けたら」から更に進展し「旅に出る」という一歩踏み出す勇気は大切だし、そして踏み出せる環境があるのも幸せな事である。
「また旅をしよう」
最近はレンタカーが中心の旅が多いが、再び鉄道に拘った旅もしてみたくなった。次は何処へ行こうか・・・

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サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版㉜
2018-11-20
津軽線の中心駅となるのは紛れもなく蟹田であるが、当時の私はまさか中小国から海峡線が分岐されるとは思わなかった。現在はある意味「元の姿」にもどったが、新幹線開通までは地味にメジャーな存在の中小国である。さらに「津軽今別」こと津軽二股も、今回の旅の訪問ではまさか今日の姿が想像できなかった。津軽今別の存在は、将来津軽線の蟹田以北を廃止した場合、その代表駅として機能させるつもりだったのか。現在は新幹線の駅となったが、利用者的には秘境駅の部類入ってしまうのかも知れないくらいであろう。

1979年訪問時の津軽線各駅の駅名標を紹介するが、まずは郷沢から。この写真撮影時、私は小学5年生!既にこうした風景に胸騒ぎするまでに成長していた!
私の今回の旅での津軽線訪問はある意味貴重だったかも知れないが、当時は「いい旅チャレンジ20000km」の制覇路線を稼ぎ出すのに精一杯でそこまで考える余裕が無かったのかも知れない。
そんなこんなで終点の三厩に到着したが、そこから先の鉄路は途切れ延伸の様子は全く感じられなかった。当然といえば当然だが、本当に将来、青函トンネルで北海道へいけるのだろうか。そして将来、寝台特急が上野から北海道まで走るのか・・・いろいろな思いが頭の中を巡り巡るが、片側しか使われていない島式ホームはひっそりと僅な乗客を迎えていた。

続いて三厩のひとつ手前の津軽浜名。後ろに見えるは津軽海峡か。ある意味地味な存在は私好みの駅である。
1979年に訪問したときとさほど変化は無かったが小学校5年生と中学3年生とではやはり感性が違う。今回の東北の旅では明らかに前回とは違う津軽線を感じていた。それは、恐らく小学生時代には感じる事ができなかったまほろば的な何かを発見したのだろう。更に2014年にも再訪を果たしたが、電化や交換駅の増設など劇的変化をしたにもかかわらず何かが私を引き付けていた。それは恐らく津軽の哀愁的な、いわゆる「津軽海峡冬景色」的な何かを感じたのかも知れない。

そしてかつての「境界線」であった中小国。「海峡線」は既に新幹線にバトンタッチされたが、その気になれば在来線としてでも「復活」できるであろう。当時、まさかこの駅にスポットライトがあたるとは思いもしなかった。
三厩より折り返し津軽線に乗り青森のプラットホームに足を降ろした時「次の列車は寝台特急だ!」と喜びを隠せずにいたが、何せ出発時間は23時59分である。青森に着いたのが16時36分であるからとんでもなく待ち時間がある!勿論自身が企てた事であるからクレームのつけようがないが、何せ8時間近くある。出発時間まで何をしてろと言うのか。とりあえずダイナミック☆トナカイと合流済なので一緒に駅前でお土産などを見る。たが、そんなの二時間もあれば充分だ。ただ、後で思ったが、銭湯に行けば良かった。たが、もし行ったとしても費やしきれない膨大な時間が待っていただろう。我々は何をしていたのか・・・記憶は定かでないが、恐らく寝台特急「はくつる」が入線してくるホームで何時間も待っていたのだろう。

そして中沢であるが、確か青函トンネル開通時に交換設備が増設された記憶だ。新幹線が開通後、現在は設備を持て余し気味かも知れないが、それでも運転上は重要な施設である事に違いないであろう。
ある意味途方に暮れる時間が過ぎていった。逆にこれくらいの時間が青森でとれたなら他にできる事があったはずだ。例えば南部縦貫鉄道を訪問するとか岩手開発鉄道にいくとか、まだまだ当時は甘かったなとつくづく思う。とは言え、東北の国鉄路線制覇は実に大きいが、気が付いたら今回の旅では酒田~羽後本荘間が未制覇となってしまった。これに関しては後年に寝台特急「あけぼの」で制覇したが、私にとってはある意味羽越本線はまだまだ未開の地的なイメージが強い。いつか各駅停車で気になる駅を訪問してみたいものだ。

そして終点の三厩。私の訪問時は「みうまや」と読んでいた。九州は枕崎から続いたレールは、ここで途切れる事になる。1979年にも訪問しているが、私はここより青函トンネルに続き北海道へ繋がると思っていた。そのため工事すらしていない三厩駅を見て本当に青函トンネルってできるの?的な思いでいた。
そんな青森のプラットホームにいよいよ583系が入線してきた。昼間見る583系とは全く違う印象である。とても同じ車両とは思えない輝きっぷりであった。「はくつる」であって「はつかり」ではない。確かに寝台特急である。考えてみればこれが最後の寝台バージョンの583系乗車であった。そんな未来も知らず、私は浮かれ気分で切符に記された座席番号と車両に記された番号との照らし合わせに慌ただしかった。

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1979年訪問時の津軽線各駅の駅名標を紹介するが、まずは郷沢から。この写真撮影時、私は小学5年生!既にこうした風景に胸騒ぎするまでに成長していた!
私の今回の旅での津軽線訪問はある意味貴重だったかも知れないが、当時は「いい旅チャレンジ20000km」の制覇路線を稼ぎ出すのに精一杯でそこまで考える余裕が無かったのかも知れない。
そんなこんなで終点の三厩に到着したが、そこから先の鉄路は途切れ延伸の様子は全く感じられなかった。当然といえば当然だが、本当に将来、青函トンネルで北海道へいけるのだろうか。そして将来、寝台特急が上野から北海道まで走るのか・・・いろいろな思いが頭の中を巡り巡るが、片側しか使われていない島式ホームはひっそりと僅な乗客を迎えていた。

続いて三厩のひとつ手前の津軽浜名。後ろに見えるは津軽海峡か。ある意味地味な存在は私好みの駅である。
1979年に訪問したときとさほど変化は無かったが小学校5年生と中学3年生とではやはり感性が違う。今回の東北の旅では明らかに前回とは違う津軽線を感じていた。それは、恐らく小学生時代には感じる事ができなかったまほろば的な何かを発見したのだろう。更に2014年にも再訪を果たしたが、電化や交換駅の増設など劇的変化をしたにもかかわらず何かが私を引き付けていた。それは恐らく津軽の哀愁的な、いわゆる「津軽海峡冬景色」的な何かを感じたのかも知れない。

そしてかつての「境界線」であった中小国。「海峡線」は既に新幹線にバトンタッチされたが、その気になれば在来線としてでも「復活」できるであろう。当時、まさかこの駅にスポットライトがあたるとは思いもしなかった。
三厩より折り返し津軽線に乗り青森のプラットホームに足を降ろした時「次の列車は寝台特急だ!」と喜びを隠せずにいたが、何せ出発時間は23時59分である。青森に着いたのが16時36分であるからとんでもなく待ち時間がある!勿論自身が企てた事であるからクレームのつけようがないが、何せ8時間近くある。出発時間まで何をしてろと言うのか。とりあえずダイナミック☆トナカイと合流済なので一緒に駅前でお土産などを見る。たが、そんなの二時間もあれば充分だ。ただ、後で思ったが、銭湯に行けば良かった。たが、もし行ったとしても費やしきれない膨大な時間が待っていただろう。我々は何をしていたのか・・・記憶は定かでないが、恐らく寝台特急「はくつる」が入線してくるホームで何時間も待っていたのだろう。

そして中沢であるが、確か青函トンネル開通時に交換設備が増設された記憶だ。新幹線が開通後、現在は設備を持て余し気味かも知れないが、それでも運転上は重要な施設である事に違いないであろう。
ある意味途方に暮れる時間が過ぎていった。逆にこれくらいの時間が青森でとれたなら他にできる事があったはずだ。例えば南部縦貫鉄道を訪問するとか岩手開発鉄道にいくとか、まだまだ当時は甘かったなとつくづく思う。とは言え、東北の国鉄路線制覇は実に大きいが、気が付いたら今回の旅では酒田~羽後本荘間が未制覇となってしまった。これに関しては後年に寝台特急「あけぼの」で制覇したが、私にとってはある意味羽越本線はまだまだ未開の地的なイメージが強い。いつか各駅停車で気になる駅を訪問してみたいものだ。

そして終点の三厩。私の訪問時は「みうまや」と読んでいた。九州は枕崎から続いたレールは、ここで途切れる事になる。1979年にも訪問しているが、私はここより青函トンネルに続き北海道へ繋がると思っていた。そのため工事すらしていない三厩駅を見て本当に青函トンネルってできるの?的な思いでいた。
そんな青森のプラットホームにいよいよ583系が入線してきた。昼間見る583系とは全く違う印象である。とても同じ車両とは思えない輝きっぷりであった。「はくつる」であって「はつかり」ではない。確かに寝台特急である。考えてみればこれが最後の寝台バージョンの583系乗車であった。そんな未来も知らず、私は浮かれ気分で切符に記された座席番号と車両に記された番号との照らし合わせに慌ただしかった。

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サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版㉛
2018-11-15
私は田沢湖線は特急列車でしか訪問した事がないと思っていたが、よく考えたら客車普通列車も経験していた。現在の田沢湖線の風景をみたらかなり貴重な体験であろう。そんな列車は当然ながら乗客は疎らであった。
角館から角館線に乗り換える。いわゆる現在の秋田内陸縦貫鉄道であるが、当時は松葉が終点であった。1日3往復しか設定がないため制覇には一際苦労する。とはいえ、私は制覇すれば済むのだが、地元の利用者はリピートしなければならず、さぞかし苦労するであろう。そんな事を考えながら松葉で証明写真を撮影し角館まで折り返す。
松葉のホームに立ち鉄路の先を見ると、とても現在の姿が想像できないほどであった。

現在の松葉はウィキより画像を拝借した。1983年当時、私はこの駅が将来交換設備を持つのかなと思っていたが、現在も1面1線で、国鉄時代の面影も若干残す。
角館に着くと再び大曲目指す列車に乗るが、なんと先程乗った客車普通列車が田沢湖で折りかえし大曲行きとして戻ってきたのだ。さっき乗った旧型客車に乗る。これは実にいい。夏休みのため学生はそれほどいないが、それなりに朝のラッシュタイムを醸し出しながら大曲に8時ちょうどに到着した。
大曲からは5分の乗り換えで急行「津軽」に乗り終点の青森まで向かう。青森到着は12時23分なので約4時間半だ!急行「津軽」といえば言わずと知れた夜行列車であるが、青森到着が昼過ぎとは!だが、意外にお盆ということで乗客がそれなりに。私は自由席ながら座席を確保できたが、秋田では乗客が入れ変り更に私の席にも他の乗客が転がり込んできた。ただ、14系客車のため座席がリクライニングでき、そして回転できるのでかなりリラックスできるのであるが、そこで乗り込んできたご婦人が私の席に来たので「座席を回転させればもっと快適に座れますよ」と説明したのだがどうも理解してもらえなかったようで、向い合わせのまま終点の青森まで一緒であった。

1979年8月訪問時の青森。急行「津軽」は青森到着も青森出発も日中の時間帯であった。青森付近ではある意味夜行列車とは思えないぐらいの「ヒルネ」的な働きであった。ちなみに青森到着は昼12時頃、青森発車は確か15時ころであった記憶。
そしていよいよ最終章。津軽線に乗り換え三厩で証明写真を撮影すればすべての行程が終了する。後は寝台特急「はくつる」に乗り上野を目指すのみ。津軽線に乗る前にダイナミック☆トナカイと合流する予定だ。
青森に近付くといつの間にかレールの数が増えていき、寄せては返す波のごとくレールが広がっていく。いよいよ最終章だ。既に1979年に津軽線は訪問済だが、今回は「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するために三厩に向かわなければならない。しかも前回は家族同行だったが今回は自身の単独行動だ。いささか成長したであろう自身のように青函トンネル開通に向け津軽線も「成長」したのであろうか。これからその確認作業に向け足早に津軽線のホームを目指した。

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角館から角館線に乗り換える。いわゆる現在の秋田内陸縦貫鉄道であるが、当時は松葉が終点であった。1日3往復しか設定がないため制覇には一際苦労する。とはいえ、私は制覇すれば済むのだが、地元の利用者はリピートしなければならず、さぞかし苦労するであろう。そんな事を考えながら松葉で証明写真を撮影し角館まで折り返す。
松葉のホームに立ち鉄路の先を見ると、とても現在の姿が想像できないほどであった。

現在の松葉はウィキより画像を拝借した。1983年当時、私はこの駅が将来交換設備を持つのかなと思っていたが、現在も1面1線で、国鉄時代の面影も若干残す。
角館に着くと再び大曲目指す列車に乗るが、なんと先程乗った客車普通列車が田沢湖で折りかえし大曲行きとして戻ってきたのだ。さっき乗った旧型客車に乗る。これは実にいい。夏休みのため学生はそれほどいないが、それなりに朝のラッシュタイムを醸し出しながら大曲に8時ちょうどに到着した。
大曲からは5分の乗り換えで急行「津軽」に乗り終点の青森まで向かう。青森到着は12時23分なので約4時間半だ!急行「津軽」といえば言わずと知れた夜行列車であるが、青森到着が昼過ぎとは!だが、意外にお盆ということで乗客がそれなりに。私は自由席ながら座席を確保できたが、秋田では乗客が入れ変り更に私の席にも他の乗客が転がり込んできた。ただ、14系客車のため座席がリクライニングでき、そして回転できるのでかなりリラックスできるのであるが、そこで乗り込んできたご婦人が私の席に来たので「座席を回転させればもっと快適に座れますよ」と説明したのだがどうも理解してもらえなかったようで、向い合わせのまま終点の青森まで一緒であった。

1979年8月訪問時の青森。急行「津軽」は青森到着も青森出発も日中の時間帯であった。青森付近ではある意味夜行列車とは思えないぐらいの「ヒルネ」的な働きであった。ちなみに青森到着は昼12時頃、青森発車は確か15時ころであった記憶。
そしていよいよ最終章。津軽線に乗り換え三厩で証明写真を撮影すればすべての行程が終了する。後は寝台特急「はくつる」に乗り上野を目指すのみ。津軽線に乗る前にダイナミック☆トナカイと合流する予定だ。
青森に近付くといつの間にかレールの数が増えていき、寄せては返す波のごとくレールが広がっていく。いよいよ最終章だ。既に1979年に津軽線は訪問済だが、今回は「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するために三厩に向かわなければならない。しかも前回は家族同行だったが今回は自身の単独行動だ。いささか成長したであろう自身のように青函トンネル開通に向け津軽線も「成長」したのであろうか。これからその確認作業に向け足早に津軽線のホームを目指した。

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サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版30
2018-11-10
山形での駅寝の際には触れなかったが、実は山形のベンチで寝ている際に足を叩かれ起こされた。「君、どうしたの?こんなところで。」家出少年に見えたのか。「これこれこういう旅の途中です」みたいな会話をして更にまた寝ようとしたが、どうやら私に興味津々らしくなかなか寝かせてもらえない。よくよく話すとその紳士は駅構内だか駅前だかの飲食店的な場所で働いているらしい。勤務終了後に私を見つけたのであろうか。そして「僕の家はこの近くだからよかったら泊まっていかない?」私は嫌な予感がした。「4時26分に乗らなくてはいけないので」という会話は深夜一時半~2時くらいであったと思う。「大丈夫だよ」と相手は言うがこちらは大丈夫ではない。「ご迷惑お掛けするので」と丁寧にお断りした。もしあの時あの紳士にくっついていったら私はどうなっていたのだろう。相手は本当に親切な方だったのかも知れないが、場合によっては受けてはいけない親切もあると思う。

1983年、今回の旅で最初に駅寝を考えた後三年。2005年時代のカラーはJR化後であるが、現在は更に駅舎が改築されモダンになった。画像はウィキより。
そんな事もあり、駅寝には少々ためらいがあった。だが仕方がない。駅寝も自身が決めた事。私は一番最初に駅寝を決めてあった後三年のホームにある待合室を列車から覗く。駅寝には最適な空間となっていたが、何やら中に砂か砂利が床に撒かれた状態になっていた。何だろうと思いよく見てみると羽虫の大群が明かりを求めホームにやってきたのだ!これではさすがに朝までの滞在は無理であろう。そして飯詰に向かうも同じ状態であった。やはり大きな駅でお願いするしかない。とは言うものの断られたら本当に野宿になってしまう。私は計画通り、一番無難な大曲にしようと思い大曲で下車した。
「すみません、明日の始発までそちら(待合室)で待たせて頂きたいのですが・・・」
中学生くらいの少年がいきなりこんなこと言うのはおかしいだろう。
「もう駅はおしまいだから全部締め切っちゃうんだよね。」
つまり日本人流の「お断り」ということだ。これは当たり前であろう。
「いや、田沢湖線の始発に乗らないと角館線に乗れないんですよ」

国鉄時代に比べ超モダンになった角館。「みちのくの小京都」にふさわしい佇まいである。画像はウィキより。
これはこちらの勝手な都合だ。大曲なら宿などいくらでもあるだろう。
だが駅員さんは
「それじゃ、待合室で寝るのはいいけど窓から扉から全部鍵掛けちゃうから始発まで外には出られないよ。」
つまり駅寝OKという事だ!しかも防犯のため施錠してくれるという。いや、私がいてもいなくても施錠するだろう。「何を言ってもダメだろうな」と思われたのか、それとも「駅寝、大歓迎!」的な気持ちでOKしてくれたのか・・・どちらにしてもこれで角館線はOK!しかも角館までは田沢湖線を走る貴重な旧型客車による普通列車だ。
「はい、わかりました。ありがとうございます❗」
鍵もかけてくれるので山形みたいに周りを気にせずゆっくり寝れる。私は防犯機能が次第に薄れ、深い眠りに誘われた。

2011年訪問時の角館。かつて「角館線」と名乗っていた秋田内陸縦貫鉄道で到着した。現在では新幹線がやって来るのが、私の1983年訪問時には夢にも思わなかった。
翌朝目が覚めると待合室に初老の紳士がひとりベンチに座っていた。「あれ、もう始発行っちゃったかな?」と思い時計を見たがまだまだ時間に余裕があった。
暫くすると駅員が待合室の鍵を開けにやってきた。
「おはようございます。昨日はありがとうございました。」私は丁寧に挨拶をすると「そういえばあのオジサンどこから入ったの?鍵開けた?」と待合室にいた初老の紳士に対し私に問うてきた。「いや、鍵開けてないんですけど目が覚めたらもう前にすわっていたんで。」私は事情徴収され自身の所持品も気になり確認作業に追われたが、とりあえず無事旅を続行させる事ができそうだ。私は駅員さんに更なる挨拶を丁寧にして田沢湖線の旧型客車に乗り込んだ。

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1983年、今回の旅で最初に駅寝を考えた後三年。2005年時代のカラーはJR化後であるが、現在は更に駅舎が改築されモダンになった。画像はウィキより。
そんな事もあり、駅寝には少々ためらいがあった。だが仕方がない。駅寝も自身が決めた事。私は一番最初に駅寝を決めてあった後三年のホームにある待合室を列車から覗く。駅寝には最適な空間となっていたが、何やら中に砂か砂利が床に撒かれた状態になっていた。何だろうと思いよく見てみると羽虫の大群が明かりを求めホームにやってきたのだ!これではさすがに朝までの滞在は無理であろう。そして飯詰に向かうも同じ状態であった。やはり大きな駅でお願いするしかない。とは言うものの断られたら本当に野宿になってしまう。私は計画通り、一番無難な大曲にしようと思い大曲で下車した。
「すみません、明日の始発までそちら(待合室)で待たせて頂きたいのですが・・・」
中学生くらいの少年がいきなりこんなこと言うのはおかしいだろう。
「もう駅はおしまいだから全部締め切っちゃうんだよね。」
つまり日本人流の「お断り」ということだ。これは当たり前であろう。
「いや、田沢湖線の始発に乗らないと角館線に乗れないんですよ」

国鉄時代に比べ超モダンになった角館。「みちのくの小京都」にふさわしい佇まいである。画像はウィキより。
これはこちらの勝手な都合だ。大曲なら宿などいくらでもあるだろう。
だが駅員さんは
「それじゃ、待合室で寝るのはいいけど窓から扉から全部鍵掛けちゃうから始発まで外には出られないよ。」
つまり駅寝OKという事だ!しかも防犯のため施錠してくれるという。いや、私がいてもいなくても施錠するだろう。「何を言ってもダメだろうな」と思われたのか、それとも「駅寝、大歓迎!」的な気持ちでOKしてくれたのか・・・どちらにしてもこれで角館線はOK!しかも角館までは田沢湖線を走る貴重な旧型客車による普通列車だ。
「はい、わかりました。ありがとうございます❗」
鍵もかけてくれるので山形みたいに周りを気にせずゆっくり寝れる。私は防犯機能が次第に薄れ、深い眠りに誘われた。

2011年訪問時の角館。かつて「角館線」と名乗っていた秋田内陸縦貫鉄道で到着した。現在では新幹線がやって来るのが、私の1983年訪問時には夢にも思わなかった。
翌朝目が覚めると待合室に初老の紳士がひとりベンチに座っていた。「あれ、もう始発行っちゃったかな?」と思い時計を見たがまだまだ時間に余裕があった。
暫くすると駅員が待合室の鍵を開けにやってきた。
「おはようございます。昨日はありがとうございました。」私は丁寧に挨拶をすると「そういえばあのオジサンどこから入ったの?鍵開けた?」と待合室にいた初老の紳士に対し私に問うてきた。「いや、鍵開けてないんですけど目が覚めたらもう前にすわっていたんで。」私は事情徴収され自身の所持品も気になり確認作業に追われたが、とりあえず無事旅を続行させる事ができそうだ。私は駅員さんに更なる挨拶を丁寧にして田沢湖線の旧型客車に乗り込んだ。

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サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版㉙
2018-11-05
羽後本荘より秋田で乗りかえ男鹿に向かうが、気分が段々メランコリーになってきた。今夜の宿は夜行列車ではない。計画段階から駅寝の決定していたからだ。
既にやれる事はやった。たが、どうしても角館線に乗るのは朝か晩に限られてしまう。私は当時、自身の頭脳をフル回転させても駅寝は避けられなかった。だが、今の私が当時の時刻表を使ったらわずか10分で駅寝をしない方法を見つけ出してしまった!それは前回紹介したが、なんとも皮肉な結果である。だが駅寝が決定している以上、計画に沿って列車を乗り継がなければならない。

私が最初に駅寝交渉をした飯詰。わざわざ往復はがきを出しての交渉であったが、もちろん返事は「ノー」であった。現在なら大曲辺りの東○イン的な旅籠にでも身を寄せるであろうが・・・(画像はウィキより)
考えてみたらそれは私の勝手な都合。国鉄には全く関係ない話で、むしろいい迷惑だろう。
実は計画段階で私は事前に飯詰駅に往復葉書を出していた。「これこれこういう事情でそちらにお世話になりたいのですが」もちろん返事は丁寧な文章でお断りを遠回しの口調で記されていた。当たり前田のクラッカーだ。「それですとチェックインは何時頃の予定でしょうか?」と返事が来たらおかしい。駅は列車を利用する施設であって旅籠ではない。そもそも事前に駅寝を申し込むなんてあり得ない話だ。だがどうしても田沢湖線の始発か次の客車普通列車に乗らなければ角館線に乗る事ができない。私は一か八かアポなしで大曲の駅員さんにお願いしようと考えたのだ。大曲なら駅も大きいし待合室もあるだろう。半ば強引に大曲での駅寝を決定したのであった。
たが、駅寝を決めたらもうどうにも止まらない。むしろ駅寝をする事が義務みたいな雰囲気になってきた。苦渋の決断ではないが、私は大曲にかけてみる事にした。

私が今回の旅で一番近いイメージの画像をウィキから拝借した。ご覧の通りED76率いる50系客車はある意味短命であったと思うが、それだけに今になって愛着が出てくるような車両である。旧型客車を置き換える意味で製造されたと思うが、JR発足以降、急激に客車運用が激減した為自身の活躍の場を失っていった印象であった。
秋田から乗る男鹿線は意外に混雑していた。学生はもちろん、スーツを着た通勤客まで多種多彩だ。その中でひとりスポーツバッグを抱え旅する青年(当時)は私が唯一であろう。
男鹿に進むにつれ次第に乗客は少なくなっていったが、それでも終点の男鹿までそれなりに乗客はいた。
男鹿でのインターバルは10分である。予定だと秋田で1時間半くらいの待ち時間がある。だが、ちょっと男鹿の駅員に聞いてみた。「この辺りに銭湯はありますか?」歩いて10分くらいの場所にあるとの事。私は駅員に荷物を預け、最低限の持ち物で銭湯に向かう事にした。「どこから来たの?」よくあるパターンだ。話ついでにコインランドリーの在りかを聞くと「ここは東京とちがうからねぇ」と会話が弾むうちにすっかり駅員と溶け込んでいったが、手荷物を預けた際にはしっかりと料金を徴収された。

現在の男鹿はウィキより転用させていただいた。私の訪問当時は駅員さんが非常に優しく、私のような家出人かも知れない少年にも気さくに話しかけてくれた。いい思い出だ。
男鹿では1時間半後に出る次発の列車に乗っても秋田から乗る大曲方面への列車は同じ列車になる。私は大曲での「決断」を前に身を清めるべく銭湯に向かった。
駅に戻り駅員に挨拶をし荷物を受け取ると、早速待っていた秋田行きに乗り込んだ。先程とは違い乗客は疎らだ。だが、段々近付く駅寝にいささか恐怖を感じていた。計画段階では唯一の駅寝であるが、ご紹介のように既に今回の旅では計画外で山形で2度駅寝をしている。予行演習も済んでいる事だしなんとかなるなろう。私はそう自分に言い聞かせ、再び秋田駅のホームを踏みしめた。

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既にやれる事はやった。たが、どうしても角館線に乗るのは朝か晩に限られてしまう。私は当時、自身の頭脳をフル回転させても駅寝は避けられなかった。だが、今の私が当時の時刻表を使ったらわずか10分で駅寝をしない方法を見つけ出してしまった!それは前回紹介したが、なんとも皮肉な結果である。だが駅寝が決定している以上、計画に沿って列車を乗り継がなければならない。

私が最初に駅寝交渉をした飯詰。わざわざ往復はがきを出しての交渉であったが、もちろん返事は「ノー」であった。現在なら大曲辺りの東○イン的な旅籠にでも身を寄せるであろうが・・・(画像はウィキより)
考えてみたらそれは私の勝手な都合。国鉄には全く関係ない話で、むしろいい迷惑だろう。
実は計画段階で私は事前に飯詰駅に往復葉書を出していた。「これこれこういう事情でそちらにお世話になりたいのですが」もちろん返事は丁寧な文章でお断りを遠回しの口調で記されていた。当たり前田のクラッカーだ。「それですとチェックインは何時頃の予定でしょうか?」と返事が来たらおかしい。駅は列車を利用する施設であって旅籠ではない。そもそも事前に駅寝を申し込むなんてあり得ない話だ。だがどうしても田沢湖線の始発か次の客車普通列車に乗らなければ角館線に乗る事ができない。私は一か八かアポなしで大曲の駅員さんにお願いしようと考えたのだ。大曲なら駅も大きいし待合室もあるだろう。半ば強引に大曲での駅寝を決定したのであった。
たが、駅寝を決めたらもうどうにも止まらない。むしろ駅寝をする事が義務みたいな雰囲気になってきた。苦渋の決断ではないが、私は大曲にかけてみる事にした。

私が今回の旅で一番近いイメージの画像をウィキから拝借した。ご覧の通りED76率いる50系客車はある意味短命であったと思うが、それだけに今になって愛着が出てくるような車両である。旧型客車を置き換える意味で製造されたと思うが、JR発足以降、急激に客車運用が激減した為自身の活躍の場を失っていった印象であった。
秋田から乗る男鹿線は意外に混雑していた。学生はもちろん、スーツを着た通勤客まで多種多彩だ。その中でひとりスポーツバッグを抱え旅する青年(当時)は私が唯一であろう。
男鹿に進むにつれ次第に乗客は少なくなっていったが、それでも終点の男鹿までそれなりに乗客はいた。
男鹿でのインターバルは10分である。予定だと秋田で1時間半くらいの待ち時間がある。だが、ちょっと男鹿の駅員に聞いてみた。「この辺りに銭湯はありますか?」歩いて10分くらいの場所にあるとの事。私は駅員に荷物を預け、最低限の持ち物で銭湯に向かう事にした。「どこから来たの?」よくあるパターンだ。話ついでにコインランドリーの在りかを聞くと「ここは東京とちがうからねぇ」と会話が弾むうちにすっかり駅員と溶け込んでいったが、手荷物を預けた際にはしっかりと料金を徴収された。

現在の男鹿はウィキより転用させていただいた。私の訪問当時は駅員さんが非常に優しく、私のような家出人かも知れない少年にも気さくに話しかけてくれた。いい思い出だ。
男鹿では1時間半後に出る次発の列車に乗っても秋田から乗る大曲方面への列車は同じ列車になる。私は大曲での「決断」を前に身を清めるべく銭湯に向かった。
駅に戻り駅員に挨拶をし荷物を受け取ると、早速待っていた秋田行きに乗り込んだ。先程とは違い乗客は疎らだ。だが、段々近付く駅寝にいささか恐怖を感じていた。計画段階では唯一の駅寝であるが、ご紹介のように既に今回の旅では計画外で山形で2度駅寝をしている。予行演習も済んでいる事だしなんとかなるなろう。私はそう自分に言い聞かせ、再び秋田駅のホームを踏みしめた。

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