東北乗り潰しの旅③(リメイク版)

山形駅の待合室で一夜を明かすこととなったが、この駅は24時間眠らない。深夜は貨物や夜行列車が絶え間無くやってくる。待合室も24時間開いているため絶えず人の出入りがある、と言っても深夜の時間帯のため数えるほどであるが・・・長椅子に横にはなるが、防犯上熟睡はしない。やがて乗るべき列車の出発時刻となる。まず、赤湯を経由して長井線と、今泉で乗り換え米坂線を制覇。坂町から特急「白鳥」に乗り酒田へ着いた。そして陸羽西線で新庄に抜け再び山形へ戻ってきた。もうこの時点で19時25分である。一日が終わるのが速く感じる。山形より奥羽本線の普通列車で福島へ向った。わざわざ普通列車、しかも客車列車を選択したのは正解だった。ファンの間では大変有名な「板谷・峠」越えとなる連続スイッチバックを十分楽しめるからだ。しかしいかんせん、時間帯は夜・・・暗闇意外、車窓には何も映らない。スイッチバックの風景も全然楽しめないではないか!仕方なくキオスクで購入した食料をたしなむに過ぎなかった。だが車内は貸切状態、思う存分「夜汽車」を楽しんだ。そして福島到着、約50分待ちで今夜の宿急行「八甲田」に乗った。毎回途中駅から乗車のため座席が空いているかどうか心配なのだが、今回の旅は運よく全ての夜行列車で座れた。旅も終盤に近付き、盛岡などの深夜の時間帯での乗り換えは無くなり、目指す駅は野辺地である。約6時間もの乗車時間があるのでしっかり睡眠をとることにした。だが、果たしておきれるであろうか・・・心配は無用であった。野辺地に着く20分くらい前にしっかり目が覚めたのだ。「野生の感」か「習性」か、そんな事はどうでもいいが、とにかく起きれたことに感謝。野辺地で「南部縦貫鉄道」を横目で見ながら、大湊線のホームに向った。南部縦貫鉄道は、当時全国で唯一「レールバス」の走る事で有名であり、私もいつかは制覇したいと思っていたが・・・廃止されてしまい、夢は実現しなかった。大湊線と大畑線(当時)を制覇し、特急「はつかり」で盛岡に行き田沢湖線の特急「たざわ」で秋田に向った。秋田から羽後本荘に行き矢島線(当時)を制覇、再び秋田に戻り今度は男鹿線を制覇した。終点男鹿で1時間半のインターバルがある。駅員に銭湯のありかを問うと、すぐ近所にあるとのこと。駅に荷物を預け、早速汗を流しに行った。そして三度秋田に戻り、今度は「駅寝」が待っていた。当初から計画していた「大曲」を宿に選んだ。ここに宿泊しないと後の「角館線(当時)に乗れないため、たとえ否定されても、強引に「寝」ざるを得なかった。大曲に着き、駅員にその旨を伝えると「待合室の鍵を全て締め切ってくれる」事となった。始発近くになったら開けてくれるとのことなので、ここでも安心して寝られる事となった。駅員に丁寧に挨拶をした後、早速始発まで待たせてもらう事にした。間もなく目が覚めると、待合室の中に約1名人が居るではないか・・・とりあえず貴重品を確認したが、変化は無く無事であり一安心。やがて駅員がやってきたので「宿」の礼を一言伝えると「あの人、どこから入ったの?」と私に問うてくるではないか!私もおかしいと思ったが・・・何とも地味に物騒な出来事であった。

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(坂町か酒田で遭遇した「いなほ」。新幹線が開通し新潟~秋田の運転になった。)

何はともあれ、これから角館に向かい、角館線を制覇する。現在は「秋田内陸縦貫鉄道」として活躍してるが、当時はまだ松葉までしか開通しておらず1日3往復くらいしか列車は無かったため、制覇の計画にはひときわ苦労した。だが、制覇してしまえばこっちの物である。再び大曲に戻り、急行「津軽」に乗り込み青森に向った。約4時間、14系座席のワンボックスを占領し、田園風景をしかと目に焼き付けながら遅くなった朝食を口に運んだ。青森に着くと、今回の最終制覇路線「津軽線」の待ってるホームに向った。だが、この時点より3年前に実は津軽線を「制覇」していた。そう、小学校4年の時に寝台特急<富士>に初乗車の翌年、583系寝台特急<ゆうづる>に乗り、青森の旅をした際に津軽線に乗り竜飛岬へと行ったのであった。既に制覇済みではあるが、当時は「いい旅チャレンジ~」の最中で、証明写真を撮影しなければならなかった。そのため再び三厩へ向ったのであった。津軽線制覇後、青森に戻りいよいよ帰りの寝台特急<はくつる>の発車時刻を待つのみとなった。発車まで何と8時間もある。じっくりと青森の街を観光し、いよいよ583系の待つホームへと向った。今回は3段式寝台の一番上段である。前回の<ゆうづる>で中段に乗車したが、かなりの窮屈感を否定できなかったので、今回は上段にした。上段の方が、上部に丸みがあるため広く感じられた。しかし、やはり3段式寝台は「前近代的」の風潮であった。しかし、この乗車が寝台特急としての583系の活躍の最後の乗車となってしまった事は、自身にとって貴重な体験になってしまった。勿論、現在も583系は急行<きたぐに>として、その機能を発揮しながら活躍している。だが、既に「時代遅れ」の感は否定できないし、車両の老朽化など、今後様々な問題が出てくるであろう、いや、もう既にその時は来ているのかも知れない(2012年に定期運用は廃止)。当時<はくつる>に乗り、離れ行く青森駅を見つめながら、ただただ無邪気に楽しい旅であった事を振り返らせてくれた。現在の583系の運命など考えもしなかった。しかし今振り返ってみて、改めて思うことは「全て貴重な体験」であった。体力的にも精神的にも連続10日近くの「乗り潰し」は若さゆえの「証」でもあった。しかし、まだまだ制覇の旅は終わってない。これからも突き進むのみである!

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東北乗り潰しの旅②(リメイク版)

陸羽東線で小牛田へ行き、気仙沼線と大船渡線で盛に着いた。半日で日本海側から太平洋側へと縦断、いや、横断した。盛からは当時「岩手開発鉄道」が旅客営業をしていたが、運転本数が少なく制覇せずにそのまま盛線(当時)に乗った。今考えたら悔しい思いでいっぱいだが、岩手開発鉄道は貨物営業を現在も続けているため路線自体は残っているのが嬉しい。盛線に関しては、現在は「南リアス線」として第2の人生を歩んでいる。盛線制覇当時は、確かに延伸工事はしていたが、本当に実現するのかは「?」であった。しかし、レールはつながり「第3セクターの模範」と言われた時代もあった。20年以上経過した現在「例に漏れず」ハジけたバブルと少子高齢化と共に乗客は減少の一途を辿ってる。しかし、盛線の終点「吉浜」に着いた時の鉄路の先にある光景は、確かに明るい未来を目指していた。そんな盛線に別れを惜しみつつ、今度は折り返し大船渡線で一ノ関に出た。そして東北本線で北上に出て、北上線で横手に着いた。既に9時10分前であり、そろそろ「床」に着く時間であるが、これからの予定は急行「おが」に乗り深夜の乗換えをして山形に戻ってくる予定であった。しかし深夜の乗り換えは今回の旅において「トラウマ」状態で、深夜の乗り換えの自信が若干揺らいだため、無難に山形で下車し、始発まで「待たせて」もらう事にした。という事で山形に着いたのは深夜0時55分。左沢線の制覇予定であるが、次の列車は始発の6時7分である。約5時間の待ち合わせだ。

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(東北本線の普通列車は旧型客車から順次50系に置き換えられていった。写真は盛岡にて。)

翌朝、しっかりと始発に間に合う心地よい目覚めであった。早速列車に乗り込むが、下り列車のためほぼ回送状態だ。左沢線を制覇し、山形から仙山線で仙台へ向った。全線電化路線だが、電気機関車の牽引する「客車列車」が走っている。勿論、事前調査通りにこの列車に乗車。仙山線は仙台と山形を結ぶ都市路線であるが、ひと山ふた山越えるため、実際はローカル色濃い路線である。そのため山形方は山肌や生い茂る草木が窓際まで迫り来る。仙台に近づくにつれ文明色がにじみ出てくる。仙台より仙石線に乗り換え石巻に行く予定だ。またも半日で景色が一転してしまう忙しい旅である。仙石線のホームは他の路線のホームとはやや離れてた、と言うより独立してた。これは、かつて仙石線は私鉄であった名残である。現在は地下化され、仙台より若干延伸され「あおば通」が終点となり、地下鉄との乗換えを便利にした。そんな仙台を離れ、仙石線で一路石巻へ。東北地方の電化路線は交流区間ばかりだが、唯一仙石線のみ直流のため、首都圏からの「お下がり」である101系が走っている。途中、松島付近はいわゆる「日本三景」を控えており、それらの乗客も無くはないが、いかんせん「ロングシート」では旅情たるものが薄らぐような・・・東塩釜で複線区間は終了し石巻までは単線だ。終点石巻に着き石巻線に乗り換えるが、仙石線と石巻線の駅は200~300m離れており乗り換えには不便であった。これは先ほど述べたように前身が私鉄であったためだが、現在は石巻線側に統一され難なく乗り換えできるようになったが、統一前の石巻駅を体験できただけでも貴重な思い出の1ページとなった。とは言え、実はこの日は雨・・・降りしきる雨の中、小走りに石巻線に乗り込んだ。女川で折り返し、小牛田に出て石巻線を制覇し次は東北本線で槻木から丸森線を制覇。現在は「阿武隈急行」として活躍している第三セクター路線だが、当時は槻木~丸森までの盲腸線に過ぎなかった。再び東北本線で利府に向かい「支線」を制覇し白石へ向った。東北本線の上下線を行ったり来たりである。この時点でもう23時を回ってる。今夜の宿となる「八甲田」に乗るためわざわざ白石に出たわけだ。そして盛岡で降りて釜石線を制覇する訳だが、盛岡到着はなんと3時14分!釜石線は始発の5時19分。何とも無謀な乗り換えであるが、まだまだ東北制覇は終わらない・・・

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(「はつかり」は583系と485系の2本立てであった。今回の東北の旅では583系版には乗車できず・・・写真は八戸にて撮影。)

盛岡より釜石線の始発で一気に宮古まで行き宮古線を制覇した後、山田線で再び盛岡に戻る予定だ。宮古線といえば、現在は「三陸鉄道」として活躍しているが、当時はまだ途中の「田老」までしか開通しておらず、田老より先の延伸を心待ちしていた。山田線は、途中に山越えがあり、かつてスイッチバック駅であった「大志田」や「浅岸」を通り過ぎた。実は私の行った時は「時既に遅し」で、前年のダイヤ改正でスイッチバックは解消されてしまった。しかし「残骸」はまだ残っており、一瞬に通過してしまったが、しっかりと目に焼きつけ「いつか必ず・・・」と心に誓った。帰省客をいっぱい乗せた山田線で盛岡に到着。ここから花輪線に乗り換え大館を目指す。花輪線と言えば、十和田南で「スイッチバック」がある。配線がどうなってるのか楽しみであったので、2時間のインターバルの後、勇んで花輪線に乗車。やはり帰省ラッシュで車内は超満員だ。何とかボックスシートを確保したが、予告無く睡魔が襲ってきた・・・ふと気が付くと陸中花輪(当時)付近を走っており、「十和田南」は残念ながら文字通り「夢」となってしまった・・・

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(夜も真昼も列車で過ごす毎日の中、秋田駅では普段会えないこんな列車と遭遇。当時は数少ない「寝台急行」だ。)

いつの間にか、満員だった車内も既に人影は無く、ボックスシートで同じ席だった家族が席を移り変わり、そちらでトランプなどやってくつろいでいた。悔しい思いを胸に抱きながら大館に到着。そして急行「むつ」で青森に出た。時刻は21時ちょうどである。ここから今夜の宿となる「八甲田」の出発まで約3時間あるので、事前に駅前付近を「物色」しておいた「煙突」に向う。そう、「銭湯」である。そういえば、家を出て以来風呂に入っていない・・・ずっと列車に乗りっ放しである。当時はインターネットなどは普及しておらず、予め銭湯のありそうな駅を物色しておいて計画に落とし込んでいた。そして、実際に駅付近の街並みの中から「煙突」を探すのだ。これぞ「銭湯」の有りかである。青森は、駅の「裏口」にそれを見つけた。表口とは違い、裏口の駅前は何とも下町チックな風情が漂う。連絡船の桟橋が間近にあり、汽笛が鳴り響く港町の香りがたっぷりの「駅前一等地」の一角に、目指す銭湯は顔を出した。下駄の音をカラコロ響かせながら暖簾をくぐりたい気分であったが、なにせこちらは旅の途中。列車の出発時刻まで時間はあるものの、銭湯の閉店時間まで40分も無かった。私は即刻体を洗い流し、シャボンの香りを漂わせながら再び青森駅へ戻った。しかし「八甲田」の出発時刻まで約2時間近くある。さて、何をしようかと思っていたら10時半頃「八甲田」が入線してきた。これは嬉しい限りである!出発まで1時間半ほどホームに滞在してくれる。盛岡に2時49分に下車予定のため約4時間の休憩時間が出来た。「よし、汗も洗い流した事だし、今夜はじっくり寝るぞ!」と心に決め夢見心地のまま盛岡目指した。もう慣れたものだ。

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(酒田か坂町での「白鳥」。当時は大阪~青森を結ぶ特急列車であった。)

乗り換え駅に近付くと、ちゃんと目が覚める。盛岡より今度は下りの急行「八甲田」に乗り換え再び東北本線を青森方面に折り返して八戸を目指した。今回の旅は、こんな感じで深夜の乗換えを繰り返し宿代をかけずに旅をするスタイルであった。やがて八戸に到着。ここより八戸線と久慈線を制覇し普代に着いた。久慈線とは、現在の「三陸鉄道」である。今回の旅日記では再三顔を出す会社名だが、それこそ当時は未開通で盲腸線ばかりであったのがお分かりであろう。しかし今回は普代から先は折り返さず、国鉄バスを使い、未開通の「三陸鉄道」を代替するのだ。北山崎展望台で乗り換え、今度は「岩泉」を目指し、岩泉線制覇の予定だ。岩泉は「龍泉洞」なる観光地を控えているが、列車本数が少なく、鉄道利用はほぼ皆無に近いであろう。しかし、延伸予定では岩泉から先、現三陸鉄道の小本までで、三陸の海岸から短絡できる予定なのだが、岩泉線は日本有数の「不採算路線」で知られており、例え延伸部分が開通したとしても赤字経営間違え無しであろう。その名の通り、岩泉駅は超山の中である。1時間半のインターバルの後、茂市目指して出発したが、とにかく山しかない。途中「押角」は、簡易ホームのみで、屋根や待合室など当然無く、辺りは民家の「み」の字も見当たらない。僅かに駅付近の狭いスペースにスイッチバックの痕跡を見つけ、地味ながらも盛栄の時期が存在した事を物語っていた。茂市より山田線で盛岡に抜け、更に田沢湖線を特急「たざわ」で制覇し、大曲より急行「おが」で今夜の宿となる山形に向った。



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東北乗り潰しの旅①(リメイク版)

1980年に「いい旅チャレンジ20000km」が開始され「全国制覇」を強く心に決めた。程なくして「青春18きっぷ」が発売され、通称「18」を使い全国を駆け巡るスタイルが定着していった。そんな中、北海道制覇の計画が浮上した。20日間の「ワイド周遊券」を駆使して約2週間の「乗りっ放し」になる壮大な計画であった。あくまで計画であったが、北海道全線を乗り潰すという事は勿論「初」の試みであり偉大な「夢」であった。だが、問題がひとつ浮上した。「資金」である。やはり中学生であったため労働することは出来ず貯蓄や「すねかじり」などから資金を調達するのだが、なにせ北海道である。やはり経済的に不可能なため北海道は断念、次に浮上したのが北海道より若干南へ移動し「東北」を思いついた。東北にしろ北海道にしろ、いずれ「制覇」しなければならない。順番が入れ替わっただけだ、そう自分に言い聞かせ北海道の約半分の資金で計画を立て、10日間の日程でGOサインが出た。だが、東北には鈍行夜行が無い。「18」は勿論使い勝手が悪いため「東北ワイド周遊券」での制覇である。「ワイド~」は、フリー区間までの経路は別料金なしで急行に乗れるため、出発の列車は、上野からの夜行急行「八甲田」に乗ってのアプローチと決めた。再三計画を立て直し、とりあえず納得いくものが出来たので後は出発を待つだけである。そしていよいよ出発前日。「よし、後は行くだけだ!」とカメラ等をバッグに詰め込んでいたのだが・・・「そういえば郡山から磐越西線もフリー区間だよな・・・」ふと頭をよぎった。時刻表を再度めくり直し、日中線を制覇することにした。出発直前の予定変更だ。夜出発だったのが、朝一番の始発で行く事としたのだ。今度こそいよいよ出発だ!

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(盛岡駅にての「はつかり」。上野~青森の特急列車であったが、新幹線開通と同時に盛岡~青森間に短縮された。)

1983年8月15日~8月22日に決定した旅の日程だが、全8日間の旅となり、10日を切った。相模線・寒川駅を午前5時50分の発車となるキハ35の気動車に乗り込む。東海道線で東京まで出て、上野より常磐線経由の急行「ときわ」に乗る。一気に平(現いわき)へ行き、そこから磐越東線に乗り換える。勿論、事前に調査済みの「客車列車」に乗る。当時は、機関車(勿論蒸気機関車ではないが・・・)に牽引される旧型客車による普通列車が全国各地に走っていた。平~郡山間は、ハッキリ言って山の中!夏も終盤の近付き緑が生い茂り、せみの鳴き声が著しい・・・「THE・田舎」呼びたい位の田舎の基本的風景が車窓に飛び込んでくる。文字通り「夏井」を過ぎ、小野新町など主要駅を通り郡山に到着。ここで磐越西線乗り換える。「磐越」で東西分かれていて同一の路線と思われるが、実際は全然異なる路線で、走る車両も一方は気動車、一方は電車とまるで違うので、全く別の路線と考えた方がいいであろう。だが、乗車した列車は機関車牽引の「旧型客車」。ただ違うのは、東線ではディーゼル機関車、西線は電気機関車と、異なるが、乗ってる車両は同じなので乗ってる本人はあまり変化に気が付いてない。それより「西線」は、帰省ラッシュの時期であり、デッキまで人で溢れかえった。しかし、会津若松到着で状況は一転。一気に車内は「ローカル線」となった。会津若松で列車はスイッチバックをして新津方面へ向った。機関車も電気機関車からディーゼル機関車に変更された。これは、喜多方より新津方面は非電化であるためである。そして列車は喜多方に到着。ここで日中線に乗り換える。日中線は、いわゆる「特定地方交通線」に指定され「今後」が危ぶまれていた。それを象徴するかのように、各駅はいい言い方をすると「昔ながら」の駅舎がズラリと続く。終点の熱塩も開業当時からほぼ変化は無いであろう。未来を知り尽くしたかの如く、メンテナンスはほぼ皆無である。しかし「マニア」からすれば、この「昔ながら」が何ともいえない風情を醸し出しているように映ってしまう・・・日中線はディーゼル機関車が牽引する客車列車のため、熱塩で機関車を先頭に付け替える作業をする。ディーゼルカーの単行にした方がよっぽど効率の良い運用であろうが・・・そうこうしているうちに出発の時間になってしまい、乗ってきた列車で喜多方へ折り返していった。喜多方より再び磐越西線で郡山に戻り、本来「上野」から乗車予定であった「八甲田」に乗り込んだ。勿論自由席であるが、何とか席が空いており、憩いのひと時を十分堪能しながら青森を目指した。一夜明け、いよいよ青森に到着だ。小学校5年の時に一度訪れていたので、若干懐かしさがあったが、そうもしていられない。ここから奥羽本線に乗り換え、川部からこれまた「特定地方交通線」の「黒石線」の制覇後、「五能線」に向う予定だ。

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(盛岡駅で出発を待つ「たざわ」。前年に田沢湖線が電化された際に誕生した。新幹線との連係プレイで秋田まで重要な役割を担う。)

30分のインターバルの後、急行「むつ」で川部に向った。乗り換える黒石線は約6分の待ち時間で、朝のラッシュ時の中、一人「浮いた」乗客となり黒石線を制覇、と言っても学生諸君は夏休みであるため(と言っても自分も当時は学生であったが・・・)「ラッシュ」と呼べるほどの混雑は無く、若干閑散としていた。黒石で折り返し川部に戻ってくるまで30分もかからなかった。そして一旦弘前へ行き、五能線は乗り換えた。勿論、わざわざ客車列車を選んでの乗車だ。弘前を出発後、五所川原などの主要駅で乗客を降ろすと車内は「貸切」となり、目の前に広がる日本海を独り占め状態だ。今でこそ「リゾートしらかみ」というリゾート列車が走っているが当時はそのような列車は当然無く、客車列車が唯一の「パラダイス」であった。能代に近づくにつれ市街地らしい景色になってきた。終点東能代は能代市の中心部から離れているが、奥羽本線の能代の代わりの駅としての役割がある。特急が止まる駅にしては閑散としているが、乗り換え客は多く、一時の賑わいを見せる。そして今度は鷹ノ巣に向かい「阿仁合線(当時)」制覇に乗り出す。鷹ノ巣に着く頃には、下校時間と重なり若干の学生がいた。と言っても夏休みの最中であるので部活の帰りか・・・と言っても東北地方の夏休みとは、関東と期間が違うはず・・・などと思いを巡らせながら阿仁合線で比立内目指した。単線であるため、合川・米内沢・阿仁合などでは列車交換が出来る主要駅である。比立内に着いた時、角館線(当時)とのドッキング計画があったが、鉄路の先を見る限り延長工事の「え」の字も無く「本当に繋がるのかなぁ・・・」と、半ば夢で終わるのかなと言う思いであった。しかし現在は「秋田内陸縦貫鉄道」となり、第三セクターながら鷹ノ巣と角館は2本のレールで結ばれた。経営状況はかなり厳しいが、是非頑張っていただきたい限りである。鷹ノ巣に戻り、今夜の宿となる急行「津軽54号」に乗り込む。新庄に1時20分頃下車して始発の5時10分発陸羽東線の列車に乗るため4時間近く待つ予定である、と言うより、ハッキリ言って新庄で「駅寝」である。「津軽」でウトウトしているうちに「ハッ」と目が覚めた。時計を見ると、新庄の到着時刻を1~2分過ぎていた。自分の時計が若干進んでる事を願っていたが、新庄到着の気配なし。もし新庄で降りなければその後は深夜の時間帯のため主要駅を通過してしまい折り返す列車は無く、予定は全て狂ってしまう。仕方なく車掌に申し出た。「すいません、新庄は・・・」と問いに返ってきた答えは「今、出発したところだよ」であった!3日目にして最大のピンチであったが、なにやら車掌が調べてくれている。「山形で運転停車(乗降客扱いはせず、乗務員交代などによるための停車)するので、そこで急行「おが」に乗り換えれば新庄に戻れるよ」と教えてくれた。その車掌のはからいに、思わず「ありがとうございます!!」と丁寧にお礼した。その後、時刻表を調べたら、新庄でちゃんと陸羽東線の始発列車に接続しているではないか!私はますますこの車掌に対し毎日でも崇拝したいぐらいの感謝の気持ちで溢れていた・・・「2時前に車掌室に来て」との指示通り車掌室に向かい、午前2時2分、山形に到着。車掌が山形の駅員氏に「この子です、宜しく」と業務連絡、生まれて初めて車掌室の扉から下車した。降りる前に車掌に「乗車券拝見」を指示され、掲示を確認すると納得していた。周遊券のため折り返し新庄に向う急行「おが」にも急行券無しで乗車可能である。約1時間40分のインターバルの後、急行「おが」で再び新庄を目指した。
しかしこれがまた感動を呼ぶことになった。勿論自由席に乗ったが、今で言う「ゴロンとシート」の原型と言うべきか、B寝台が自由席として開放されているではないか!乗客も疎らだったため勿論「寝台」は独り占め!じっくり堪能させていただいた。そういえば、ここ2~3日「横」になって寝たことがなかった。ハッキリ言って「パラダイス」であったが、この「パラダイス」も新庄までの1時間だけである・・・このまま終点の男鹿まで行ってしまおうか・・・だがそうはいかない。寝台なのに、逆に「寝てはいけない」状態で新庄目指した。あたりも明るくなってきた頃新庄に到着。今度はちゃんと下車できた。どうやら陸羽東線の出発時間に間に合うぞと、予定通り進んでいる自身の行動に、なんだかわくわくしてきた!と言ってもあさ5時前。完全に目が冴えてやる気満々であった。

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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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