鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

サマーアクションシリーズ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版⑦

臨時急行「おが」はB寝台を自由席として開放するという太っ腹であったが、お陰で逆に興奮してしまい寝れなかった。だが、先述した急行「津軽54号」の車掌の配慮のお陰で新庄に戻ってくる事ができ、予定通り陸羽東線を制覇する。基本的に「駅寝を嫌う」と先述したが、今回の旅では早速「駅寝」を予定に組み込んでいたのが新庄であった。1時20分到着で5時10分発の列車に乗る予定が、新庄到着が4時45分となり駅寝をぜずに済んだ。だが、基本的にここまでは寝ていない・・・つまり陸羽東線の始発列車が「宿」となってしまったのだ。ハッキリ言って陸羽東線を記録上は制覇したが、新庄から小牛田まで記憶が無い(2014年に陸羽東線全線再訪しています)。小牛田到着は8時ちょうどであるが、不思議な事に、小牛田に着く直前でしっかり目が覚めたのだ。それをさっきの新庄でやってくれよなぁ・・・みたいに心でつぶやいたが、これから先の行程の中でも例え熟睡していたとしてもしっかりと乗り換え駅の直前で目が覚めるクセが付いた。これは自分でも不思議なのであるが、よっぽど新庄の件がトラウマだったのか、それとも「野生の勘」なのかはハッキリ言って不明である。

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急行「おが」は、私がこの旅で乗車した時は既に季節運転に格下げされていた。秋田~男鹿間は普通列車であるが、編成はオール20系で、自由席の一部は寝台車を座席として開放!椅子席に改造された座席もあったが、余剰とは言え当時の国鉄にしてみたらかなりの太っ腹であろう。

小牛田で30分ほどのインターバルの後、気仙沼線で気仙沼に向かった。のの岳や志津川、柳津など私の趣味心をくすぐるような駅がたくさんあり、窓を眺めていても楽しかったが・・・ご存知、2011年の震災により一部区間が不通になってしまった。非常に残念ではあるが、現在は一部区間でBRTによる仮復旧がなされており、ひとまずホッとした感じであるが、もちろん、できれば鉄道による全線開通が好ましいであろう。

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こちらは2011年に訪問した陸前高田。なんと震災の2ヶ月前に訪問していた。国鉄からJRに母体も変わりワンマン化されて久しいが、現在はBRTが代行。もちろん鉄道の復活を期待したい。

さて、気仙沼に11時7分に着いた私は11時24分発の大船渡線快速「むろね」に乗り換える。実に接続がいい。ここで私は一気に盛に向かう。であるが、ここ大船渡線もご存知の通り震災の影響で気仙沼~盛間は多大な被害を受けた。この区間も現在はBRTによる仮復旧となっているが、実は2011年の1月に私はこの地に再訪している。実に約28年ぶりであるが、まさかその2ヶ月後に悲劇が訪れるとは思っても見なかった。普通に陸前高田や大船渡など懐かしく感じたし、特に大船渡は路線名にもなっている代表駅的存在でありながら棒線型の駅であったのには驚いた。もちろんその役割は隣の終点盛が担っているのであるが、1983年訪問時はなんとなく不思議な感じがした。そして2011年に訪問した最大の理由は「三陸鉄道」であった。1983年訪問当時、三陸鉄道はまだ開通前であった。確かに工事は行われていたし、レール誌も初の第三セクターを大々的に報じていた。だが、私的には先述した阿仁合線のように、現在の三陸鉄道のようになるのは信じられなかった。であるが、現在は震災の被害を乗り越え全線復旧を果たしたという素晴らしい結果を残している。

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盛からは盛線に乗り換える。現在は三陸鉄道の一部としてがんばっているが、当時は吉浜までの盲腸線であり、その先工事をしていると聞いていたが、まさか本当に繋がり現在の姿になろうとは思いもしなかった。ただ、経営母体が違うため、乗車区間によっては料金面で懸念される部分もあろうが・・・

その三陸鉄道の一部であった盛線に乗るため盛で乗り換える。約15分のインターバルが過ぎ盛を出たのが12時48分であった。盛線の終点である吉浜に13時19分の定刻に到着。同じ列車が13時24分発で折り返す。たった5分のインターバルだったので「いい旅チャレンジ20000km」の撮影も素早くやらなければならず、何かと忙しい。なので新線区間の確認などじっくりできなかったが、基本工事は進んでいる印象であったし、レールもやや先に伸びていた印象であった。もちろん現在の吉浜は中間駅になった。

さて、盛に13時54分に戻ってきた私は14時08分発の大船渡線に乗り再び気仙沼方面を目指す。ところで盛と言えば、当時はまだ岩手開発鉄道が旅客輸送を営業していた。もちろん乗車する事も考えたが、確か接続列車が無かったと思った。乗車は断念したが、あの日頃市や岩手石橋など生で見てみたかった。現在も貨物輸送は営業していると聞いているので機会があったら、というより機会を作って是非訪れてみたい。盛などは今も岩手開発鉄道の旅客ホームが残っているし、日頃市や岩手石橋などもかつての勇姿をとどめているらしい。是非いつかは再訪してみたい気持ちである。


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サマーアクションシリーズ 1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版⑥

比立内に17時01分着、乗ってきた列車で折り返す時間は17時40分発で駅を散策するには充分に時間がある。そう、当時はここ比立内が終点であった。秋田内陸縦貫鉄道としての「現在」が考えられないくらい、比立内から先の鉄路が草に埋もれていた印象である。もちろん鉄道建設公団の予定線である事は当時は知っていたが、見る限り完全果てしなき夢の景色であった。まさか今日(こんにち)のような姿をだれが想像したであろうか!と思ってしまうくらい私には現在の姿が信じられない。後に紹介する角館線は1日確か3往復くらいの典型的な赤字ローカル線であったし、繋がったところで果たして利用者がいるのであろうか・・・と中学生ながらに心配はしていたが、しかしながら繋がったら・・・的な夢や妄想も確かにあった。もちろん銭儲けとはかなりかけ離れた現実である事は周知の通りであるが、当時私が見た姿とは形は変われど、こうして今も生き延びていることに感謝である。

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阿仁合線の終点であった比立内。終点のため当然ながら隣の駅名の明記はない。この駅名標の駅名が無い部分に駅名が書かれる日が来るのは夢のまた夢であった。だが周知の通り、現在は隣の駅の駅名は両側に明記されている。しかしながら存続問題が囁かれているが・・・

そんな阿仁合線で比立内を折り返し鷹ノ巣に向かう。途中の合川くらいでようやく夜らしく辺りが暗くなってきた。鷹ノ巣に着いたのが20時28分である。夜も更けてきたところだし、そろそろ宿へ・・・と言いたいところであるが、当時私は中学生。約9日間の行程で宿舎にお世話になる計画は・・・無い!経済的制約の中、一夜を過ごす方法は「駅寝」か「夜行列車」に限定される。そう、私は「夜行列車」を全ての行程に組み込むつもりであった。基本、私は駅寝を嫌う主義なので全て夜行列車にしたかったが、結果として4回くらい駅寝をしている。それは後に紹介するとして、鷹ノ巣では今夜の宿となる急行「津軽54号」に乗車する事になるのだが、ここでとんでもないハプニングが待っていた。

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急行「津軽54号」ではとんでもないハプニングが発生した。今の私ならそんなハプニングも楽しんでしまうのだろうが、当時はそんな余裕は無い。顔が青ざめ早速カレチに相談だ!

既にそのハプニングについてはこちらで詳しく紹介しているが、いわゆる「寝過ごした」という事であった。私は新庄で下車し、陸羽東線で小牛田に向かう予定であった。新庄着は1時20分。だが・・・ウトウトしていた私が時計を確認したのが1時23分であった。新庄発1時22分であるから既に1分過ぎてしまっていた!新庄を過ぎると次の停車駅はなんと福島であった。とりあえず現状確認と今後のやりくりを考えるため私は最後尾に向かいカレチに話を伺うことにした。やはり新庄はたった今でたばかりと言われ愕然としていると「山形で降りて下り列車の急行<おが>に乗り換えると新庄に4時45分に着く」との報告を受けた。いや待てよ?山形は確か通過のはずだけど・・・とやたらダイヤに詳しい中学生であったが、なんと山形では「運転停車」するとの事。私は運転停車の駅で下車する事になったのだ。

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ダイナミック✩トナカイ提供の山形駅。今回紹介している旅で行程の途中でところどころスポット参戦的に顔を出していた。彼は親戚のある中川(奥羽本線)から乗車してきて中川で下車していく・・・みたいな感じであったが、やはりひとりよりふたりの方が心強い。この写真も当時の旅の中で彼が単独行動の時に撮影したものと思われる。

乗客用ではない乗務員用の扉から下車した私は山形駅の駅員に身柄を拘束?された。一応「家出少年」でない事を確認された後、私は山形駅の待合室に向かった。山形に深夜2時20分頃着いて、乗り換える臨時夜行急行列車「おが」の出発は3時46分である。こちらは運転停車ではなく正当に停車するので堂々と乗車できるのだが・・・急行「おが」が入線すると私はぶったまげた!なんとオール20系寝台客車であったのだ!一部座席車に改造されているものの、なんとB寝台の一部を「自由席」として開放しているではないか!このサプライズについてもこちらで詳しく紹介しているので是非ご覧いただきたいが、私は「ワイド」のためもちろん自由席へ。当然ながら「B寝台」へ向かった。今で言う「ゴロンとシート」のようなイメージであるが、逆に興奮してしまい寝れない・・・寝過ごした事で一気にいろんなハプニングがあり、むしろ活動的になってしまった深夜の時間帯は、これから乗る陸羽東線がこの日の「宿」となってしまった。



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サマーアクションシリーズ 1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版⑤

川部に戻ってきた私は一旦弘前に向かう。それは五能線に乗るためだ。「おや?」と思われる方もおられるであろう。五能線と言えば川部からであり弘前ではないからだ。そんな理由は単純で、弘前発の五能線列車に乗るためである。というより、五能線の列車はほぼ全て弘前発であるため座席の確保に都合がいい。しかも弘前だと乗り換え時間が約10分ほどで済む。計算通りに順調に進行している今回の旅は、弘前でももちろん座席を確保し、8時10分発の列車は東能代に13時59分着までじっくりと旧型客車でくつろげる事に喜びを感じた。そう、わざわざ旧型客車で五能線制覇をと予め予定を組んでいたのだ。

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五能線普通列車は弘前から乗車。もちろん座席を確保するためである。だが、当時の私には「お城」や「りんご」などを感じることなく、ただひたすら国鉄全線乗りつぶしに命をかけていた印象であった。

五能線と言えば、現在は「リゾートしらかみ」が活躍するが、当時はそんな列車など存在しなかったし、現在のように能代~東能代間の区間列車の設定もあまり無かった気がする。だが、この旧型客車の運転も全線通しは確か1日2往復くらいであった記憶のため貴重な存在であった。
五所川原くらいまではそれなりに乗客がいたが、それ以降はワンボックスを占領していい旅が出来た。真夏の旅であるが旧型客車のため冷房などは当然無い。しかしながら夏の東北は全開の窓から来る風のみでも心地よい。冷房などなくても普通に過ごせた感がある。そして窓の向こうではゴツゴツとした岩場ながら海水浴のグループが数名いる長閑な光景。中学生の私がこういう景色を見て何かを感じるという事は少しでも大人に近づいたという事であろうか。

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鰺ヶ沢では確か列車交換があった。後年に「リゾートしらかみ」で再訪した五能線であるが、その間約30年くらいの月日が流れた。もちろん経営母体も国鉄からJRに代わりいろいろな面での変化が見られた。

能代に着くと「いよいよ」という実感が出てくる。なにせ約6時間も旧型客車に揺られているのであるからそろそろ足腰も痛くなってくる頃であろうが・・・なんてったって中学生!経済力は無いけれど体力的には情熱が溢れかえっていた!疲れ知らずと言おうか、まだまだ全然乗り足りない!!!!!!!!そんな印象しか記憶にない五能線であった。今思えば・・・若い!
東能代についた私は何事もなかったかのように鷹ノ巣方面へ向かう普通列車を待つ。時刻表上は客車列車の表示であるが、確か私が乗ったこの奥羽本線の普通列車639列車は50系であったと思う。旧型客車ではなかった記憶である。ただ、世間では「お盆」的なシーズンなので大きな手提げ袋を持った家族連れなどが多く列車に乗っていた記憶である。「記憶である」と表現しているが、なにせもう30年以上前の話。逆に「よくそんなに覚えているね?」と知人から聞かれそうであるが、こうしてキーボードを叩いていると意外にも当時の記憶がよみがえってくるものだ。しかもある意味細かい事まで。若かりし頃の記憶というのはすごいものだ。そんな私はこの普通列車に乗り鷹ノ巣に向かった。

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鷹ノ巣からは阿仁合線、現在の秋田内陸縦貫鉄道に乗り換える。当時、現在の姿になるなんて全く想像出来なかったが、それでも現在は角館までつながっているのだから私にとっては実に革命的出来事であった。

鷹ノ巣からは阿仁合線、現在の秋田内陸縦貫鉄道に乗り換える。鷹ノ巣には14時57分着、阿仁合線は15時26分の出発で実に接続が良い。キハ20のDCであるが、もちろん冷房などは無い。ワンボックス占領し窓を全開にする。現在の鉄道路線では冷房が一般常識であるが、当時は非冷房が一般常識であった。もちろん今ほどの暑さは感じなかった記憶である。都会の列車は当然ながら冷房化が進んでいたが、地方ではこんな光景が当たり前であった。窓を開けると心地よい風が入ってくる。そして駅名標に向けシャッターを切る!実に「旅をしているな」という実感を中学生ながらに感じていた。


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サマーアクションシリーズ 1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版④

日中線に揺られ喜多方に戻ってきた私は、せっかく喜多方に来たのだから「ラーメンでも食べていくか!」的な発想は無く、磐越西線で再び郡山に戻る。途中、会津若松で乗り換えるが、どちらの列車もELが牽引する旧型客車であった。であるが、磐越西線は会津若松ではスイッチバックの形をとるため乗り換えが発生するという理屈であろう。一応、郡山から喜多方までは電化されているのでDCやDLとELなどが同居する。そんな中、かつては1両編成の急行「いなわしろ」の存在が光っていた。

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磐越西線の要衝駅・会津若松。磐越西線はスイッチバックの形をとるため全列車が停車する。かつては上野からの特急「あいづ」があったが、現在は郡山から「あいづライナー」としてその名残を受け継いでいる。

さて、郡山に着いた私はいよいよ最初に予定していた急行「八甲田」に乗る。最初は上野からの乗車であったが、それが郡山に変更になっただけである。だが、なにせ夏休みでありしかも途中駅からの乗車のため果たして座席を確保できるか・・・的な心配が計画当初からあったが、考えてみたら「ひとり旅」である。要はひとり分の座席があればいいわけだから座る確率が俄然高くなる計算だ。ってなんの計算だか分からないが、とにかく私はホームに入線する「八甲田」の自由席の窓を目で追う。意外にも私の心配が大げさになるほど座席の心配はいらなかった。座って移動出来る!というより時間帯的にこれから「寝る」という事になる。郡山を22時32分に出発、青森到着は翌6時15分のため睡眠時間が充分過ぎるほどあるのが嬉しい。

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当時は望遠レンズを購入したばかりであったので早速大活躍した。確かストロボはクラスメイト兼クラブ活動の同僚に借用したが、それと同じものを後年に購入している。

そんな余裕綽綽な私は、逆に防犯機能が働いてしまいグッスリ眠る事ができないまま青森に到着した。もちろん所々記憶が無いのは寝ていたという事であろう。やや重たい体を引きずりながら乗り換える急行「むつ」の待つホームへと足を運ばせた。急行「むつ」は現在の特急「つがる」と思っていただければいいであろう。当時は青森~秋田を結ぶ都市間急行列車で、全線電化区間を走るDCであった。急行「八甲田」とは約30分ほどの待ち合わせ時間で乗り換えるのに丁度いい。そんなDC急行は川部にも停車する。そして現在は廃止されてしまった黒石線に乗るのであるがもちろん計画的行動である。川部での接続時間は約6分。列車の遅れも無く計画通りに事が運んでいった。

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急行「むつ」は秋田~青森を結ぶ全線電化区間を走るDC急行であった。川部にも停車するので黒石線との乗り換えは非常に便利。

島式ホーム2本の川部では同じホームの隣に黒石線のDCが出発を待っていた。当時の私はこの黒石線については全くノーマークで「いい旅チャレンジ20000km」の制覇路線のひとつに過ぎなかったが、今考えてみたらなかなか味のある路線である事に気付いた。途中の前田屋敷は唯一の中間駅で棒線型の駅であったし、その前田屋敷がなかなか良い「出汁」になっていた。つい最近までは駅の遺構が残っていたと聞いていたが、現在は更地になったらしい。黒石線の晩年はご存知の通り弘南鉄道に引き取られたが、むしろそれが乗客減に拍車をかける事になるとは何とも皮肉な事であった。弘前に向かう場合、別の鉄道会社のため川部で乗り換える事により別料金になってしまうためである。とは言え、私の場合は当時国鉄で、しかも「ワイド周遊券」であったので別料金は発生しなかったが・・・


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サマーアクションシリーズ 1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版③

平より磐越東線に乗り換える列車は・・・何とDL率いる旧型客車であった!もちろん事前に時刻表で確認済みであるが、磐越東線に旧型客車とは今では信じられないが、私は確かに乗車した。急行「ときわ」を降り、乗り換える列車は事前に調査済みの客車運用であるため何番線に乗り換えるかは車内放送を聞かなくても自然に足が跨線橋からホームに向かう。何両であったか忘れたが、確か青い色の旧型客車であった。真夏であるがそれほど当時は暑さを感じなかったのは気のせいなのか。旧型客車のため冷房設備などは当然無く、窓を全開にして自然風で暑さを凌ぐ。別に冷房などなくても普通に過ごせたが、いささか混み合っていた急行「ときわ」から解放され、ひとりワンボックスを占領しひとつでも「いい旅チャレンジ20000km」の制覇線区を稼ぎ出す。旧型客車であると機関車が動き出してから自身の乗った客車が動き出すまで時間差がある。それがまた何ともたまらない!という感覚は既に1982年より「青春18」で旅をしていて以来自然に身につけたものだ。ハッキリ言って磐越東線は全国的に見てもやや地味な印象であろうが、そんな路線にも旧型客車に揺られると一味違う。そして馴染みの無い駅もいつしか虜(とりこ)になってしまう・・・夏井は今でも好きな駅のひとつであり、この旅のお陰で存在を知った。

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旧型客車に揺られちょうど駅名標の真ん前に停車したのが夏井である。「いい旅チャレンジ20000km」という企画柄、国鉄全線を踏破しなければならないが、そんな過酷なルールであったからこそ逆に発見があるものだ。夏井もそのひとつ。

磐越東線の中心駅である小野新町を過ぎ郡山に着くが、新幹線が開業してまだ1年くらいしか経っていないため、それに合わせ若干リニューアルされたと思われる在来線のホームも新しい。そんな新しさを感じる駅で磐越西線に乗り換えるが、こちらはELが牽引する旧型客車である。しかも満員御礼!私は出入口付近の車掌室みたいな場所に入り込んだ。もちろんその場所もほかの乗客で一杯であった。新幹線が開通し、帰省客もいっそ便利になったことであろう。この時も新幹線からの乗換客と思われる方々ばかりであった。が・・・急にベルのようなものが鳴り出した。最初はATSでも作動したのかと思っていたが一向に鳴り止まない。なんと私のバッグに入っていた目覚まし時計が鳴っていたのだ!私は慌ててバッグから取り出したが、かなり周りから白い目で見られた事であろう。まぁ、旅には色々ハプニングはあるものだ。

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こちらは今回の旅でゲットした郡山の入場券。新幹線の切符売り場で買ったためか文字帯が赤い。

会津若松で帰省客のほとんどが下車すると、なんと「同業者」と思われる者が数グループいることに気づいた。もちろん会津若松から乗車してきたとは思えないので郡山からずっと乗っていた事になるが、帰省客に隠れて潜在しているとは・・・という私もそのひとりであるが、そんな乗客も喜多方、そして日中線・熱塩まで顔ぶれは同じであった。
そういえば日中線と言われて若いレールファンはあまりピンと来ないかもしれないであろう。それは国鉄時代に遡るが、喜多方から盲腸線がでていて日中という場所まで延伸予定であったらしいローカル線である。当時は熱塩で終点であったが、ウィキによると「日光線・野岩線・会津線と結んで東北地方南部を縦貫する野岩羽線構想の一翼を担うはずであった」というとんでもない構想があったみたいだ。だが、もし開通したいたとしても「銭儲け」という部分においては恐らく縁がない確率が高かったかも知れない。

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私が唯一所有する日中線の証し。もっと写真は撮影していたのだが、やはり30年以上前だと色々事情もありまして・・・

いずれにしても晩年は、というより私の訪問時は1日3往復しか設定のない典型的なローカル線の姿であったが、DCではなくDLが牽引する客車列車であったのが何とも印象深い。終点熱塩では機回し線を使い機関車を先頭に付け替えていた。もちろんDCの方が効率が良く経費もかからなかったであろう。だが将来的な事を考えるとその投資すら無駄な行為であったのだろう。そんな「大人の事情」も全くわからないまま、数グループの「同業者」と一緒に列車に向かいシャッターを只管切っていた。


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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