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鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

1982年・何も言えなくて・・・夏⑥

前回乗車した下りの「山陰」は満員御礼であったが、今回の上り「山陰」は若干空席があった。ひとり・ふたりなら余裕で途中駅から乗車可能であったろう。と教訓を得たが、実は翌年の3月に「18」で九州を訪問した帰りに利用した「山陰」では途中、豊岡からの乗車であった。もちろん教訓を生かしたはずであったが・・・結果はデッキで寝る事になってしまった。青春18が浸透してきて普通夜行列車が軒並み満員御礼となり、上りの夜行普通列車にもこうした現象が徐々に起こりはじめていた。恐らくこれは「山陰」に限っての事なのかそれとも・・・

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(以前にも紹介したが大垣駅の入場券は近鉄(当時)と駅を共用していたので80円と格安であった。大垣からは美濃赤坂支線と樽見線を制覇。樽見線と言えば現在も「樽見鉄道」として第三セクターで運営されている。しかも神海~樽見が延伸され、私の訪問時より姿が変わった。当時は「美濃神海」として樽見線の終点であった棒線の神海駅も、現在は交換可能駅として生まれ変わった。

さて、上り「山陰」で京都に向かうが、到着は翌朝5時24分だ。そして5時28分発の東海道線上り普通列車に乗り換えなければならない。乗り換え時間僅か4分!一般的に考えたら4分の乗り換え時間はある意味余裕が感じらるであろう。だが、レールファンであるがゆえに京都駅の事情は残念ながら多少の知識はある。しかも時刻表であれば駅構造もしっかりと記されている。故にその事がかえって私をブルーにさせた。

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(懐かしさ満点の3代目京都駅舎はウィキより画像を拝借した。国鉄時代を含め私の京都駅はこのイメージが強い。現在はすっかりモダンになったが、一時期は「のぞみ」が通過する場面もあった。)

京都駅・・・レールファンなら事情はご存じであろうが、あえてここで説明しよう(タイムボカンではないが)。
京都駅の1番線ホームは当時日本一の長さであった。当時の1番線が現在の0番線となり山陰ホームの30番線以降とつながっているが、当時の山陰ホームは「山陰1(番線)」「山陰2(番線)」とよばれ1番線とつながっていた。つまり、内容的に現在とほぼ変わらないが、山陰ホームが増設され電化された事が大きく変貌した事である。そして1番線から0番線に変わった事だ。
そんな「日本一」のホームから跨線橋を使い別のホームにいる東海道線に乗り換えるなんて、せめて同一ホームにしてくれよと言いたくなるようなダッシュをしなければ座席確保ができないであろう。
特に現在のJR東海の東海道線・静岡や浜松などでも似たような乗り換えが多いので何度かご意見申した事があるが、もちろんJR側の都合もあろう。だが、何とか階段を使わずに乗り換えできるパターンを多くしてもらいたいものだ。
厳しい現実の中、京都に着く頃には座席を捨て、デッキに出てスタンバイしておこうと、旅慣れない少年なりに知恵を振り絞っていた。

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(国鉄時代は終点であった現在の神海駅。当時は棒線化されていたが、当然島式ホームに備えた空間が準備されていた。しかし、まさか本当に延伸されるとは思いもしなかった。)

京都に到着すると、命をかけたダッシュが始まり、お陰で次の列車の座席は確保できた。その後安心しきったのか、爆睡状態で大垣に向かう。そしてあえ無く樽見線、そして東海道支線の美濃赤坂までを制覇した。特に樽見線は廃止情報が出ており、乗車意欲が湧いてしまう。私の訪問当時は美濃神海が終点であったが、現在は周知の通り、経営母体は変わったものの、樽見まで延伸された。まさか延伸されるとは思わなかったが、旅客のみでの経営ではなかなか辛い風景となろう。
樽見線、東海道支線どちらの順番でも大垣に着く時間は確か変わらなかった記憶であったが、美濃赤坂への支線が「東海道」を名乗る辺り、なかなかの渋さを感じる。大垣は近鉄を含め数多くの分岐を持つ駅として幼い頃から非常に興味があった。「幼い頃」という表現は適当ではないかも知れないが、「いつかは駅の配線を解読したい!」と常々考えていたものだ。というより、こんな事を考えてる少年はハッキリ言って「普通」というカテゴリーには入りにくいであろうと今になって感じるのだが・・・
そんな大垣で旅の一段落を終え、後は東海道で湘南地区に帰郷するのみとなった。大垣からは117系快速で一気に浜松へ。そして更に湘南目指して・・・

今回の旅は先ほどから述べていたが「上り夜行は空いている」という教訓を得た事であった。長野、亀山で2時間以上の待ち時間はハッキリ言って無駄な時間であったが、とても貴重な無駄な体験をした時間でもあった。「山陰」を含め私の乗車したこれらの夜行列車は現在運転されていない。そして「18」を使用しながら「大垣夜行」を利用しない唯一の長旅でもあった。

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(尾鷲と同じくたった一度だけの訪問経験である新宮。現在は東海と西日本の境界駅として活躍するが、実際問題「電化」「非電化」の境界駅でもあり同じ紀勢本線でも新宮を境に全くカラーが異なる。)

湘南地区に住んでいると、ほとんどが「大垣夜行」を利用して西に向かう事になる。今回は珍しく北に向かう事になったが、実はこの時の計画段階では「東北」「北海道」等も視野に入れていた。しかし「北」に向かうにはどうしても「駅寝」を組み込まなければならない関係から外れた。いや「18」を使っての普通列車のみの旅ではやたらと歩留まりが悪い。特に北海道に関しては「18」のみだとかえって経済的にも不利になろう。
この旅の計画や実際の乗車記録を振り返ると絶対に「もったいない箇所」が無数にあった。今の私が当時の時刻表で計画を組んでみたらもっと違う計画が絶対にできたはずだ。いや、必ずできる!「魚沼線」や「蒲原鉄道」、弥彦線の東三条~越後長沢など、なぜもっと頭を使いこれらに乗ろうと努力しなかったのか・・・

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(ウィキより画像を拝借した美濃赤坂。旅客駅としては地味な部類であるが、現在でも貨物列車が活躍する貴重な駅である。)

全く関係無い話であるが、2013年にプロレスラー・小橋建太が引退した。プロレスに興味ない方はわからないかも知れないが、私は勿論デビュー当時の若手時代より知っている。ちょうどバブル期くらいに台頭してきて1990年代後半にはトップレスラーの仲間入りを果たすが、怪我が多く晩年は試合数が激減していた。ただ、真っ直ぐなファイトスタイルは多くのファンを魅了してきたが、とうとう「引退」という言葉で自身の未来を報告する時間がやってきてしまった。
引退セレモニーの中で彼は「プロレスとはなんですか?」との問いに「青春でした」と答えた。「青春の握り拳」なる名フレーズもある小橋のこの言葉に私は若干ウルッと来てしまった。そしてその時フッと思った。私は何気に鉄道に「青春」を求めているのではないかと。特に私は小橋ファンというわけではないが(というより三沢光晴のファンであるが)、この引退セレモニーを観て小橋という人間が一段と好きになった。小橋は素晴らしいレスラーであった。

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(まさか私のブログにレスラーが登場するとは思わなかったが・・・これがプロレスラー・小橋建太。もしかしたら我々は「18きっぷ」に、彼のような「青春」を求めているのかもしれない。画像はウィキペディアより。)

数多くの「トクトクきっぷ」が発売される中、この青春18きっぷは誕生してから今も人気が高い。そしてシーズンになると夜行普通列車が臨時ながら復活する。
普通列車限定のこのきっぷに私たちは一体何を求めているのであろうか。ハッキリ言って私は普通列車の座席より「グランクラス」の方が快適だと思う。できれば普通列車の移動は避けたい。こんな事を考えるようになったのは最近であるが、やはり年をとったのか・・・とは言え「18」を使って旅に出る事もやはり好きだ。何だか発言が矛盾しているが、やはりあの普通列車に揺られて景色を眺めるとかつての自分に巡り会えるような気がする。
多分私はこういった「青春」を求めて「18」を使い旅に出るのだと最近になって気づいた。「誰もが」とは言わないが、やはり皆「青春」を求めて旅に出るのであろう。だから今でも人気が高い「青春18」の存在があるのではと思わされる。勿論「リーズナブル」ということも否定できないが・・・
しかし、現在運転されてない夜行列車の数々も経験できた事は大きい。大きいが、完全に歩留まり悪い計画をしたこの旅に同行した同級生には大変に申し訳ない事をした感じだ。一言謝っておきたかったのだが・・・何も言えなくて・・・夏。


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1982年・何も言えなくて・・・夏⑤

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(確か浜松で撮影した117系。「新快速」では無く「快速」というのが憎い。当時は新鋭であり東海地区に出現したのが実に新鮮で斬新であった。)

東海道線で名古屋まで向かう私に東海道線の記憶がほとんどない。という事はしっかりと熟睡しているという事であるが、もちろん乗換時にはちゃんと目が覚めて乗り換えをしている。なんとも不思議な体質に変化してしまったが、同伴の友人をちゃんと起こして次の列車に乗り換える辺り「いい旅チャレンジ」が本能として私の身体に染み付いてしまったようだ。

そんな中、浜松からは新鋭の117系のに乗る。当時は東海地区初登場的なムードでなかなか乗っていて優越感があった。転換式クロスシートであったが、前年には関西地区で「新快速」として153系から置き換わった117系を散々乗ったので内容はわかっていた。だが、いざ東海地区で乗車するのは初々しい。関東では185系もデビューして間もない頃だったので、何となく鉄道風景に新時代が到来したイメージを少年ながらに感じていた。

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(さて・・・亀山では「はやたま」に乗車するため約3時間の待ち時間を設定した。当時は座席確保に必要な時間との考えからであったが、夜行の上り列車では混雑度関係無し!であった。同じ上り列車では当時の「大垣夜行」と「山陰」以外は待ち時間無しでも座席を確保出来た。あくまで私の経験上からではあるが・・・)

そんな東海道をすり抜け、名古屋に着くと関西本線に乗り換える。亀山から「はやたま」に乗るためだが、前回の春休みに訪れた時の関西本線・名古屋~亀山は非電化であった。今回の訪問では電化されたばかり。そのため、同区間を走る夜行普通列車「はやたま」は天王寺~名古屋から天王寺~亀山に短縮されてしまった。そのため名古屋から亀山までは「電車」で移動しなければならない。

亀山に14時6分に着いたが、前回乗車した旧型客車ではなく「湘南電車」のため何となく味気無い。そしてここ亀山で17時21分発の「はやたま」を待つが、なんと3時間近くの待ち時間だ。もちろん事前に自身で計画した事であるが、やはり「大垣夜行」の「並ばないと席を確保できない」というイメージからこういう予定を組んでしまったのだ。
結論からいうと、先述通り「夜行列車の上りは空いている!」という方程式に見事にハマった訳で、3時間の待ち時間は全く必要なく、それこそ発車2分くらい前に乗車しても座席選び放題であった。

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(既に夜の時間帯となっていた尾鷲。私が唯一紀勢本線を訪問したのが今紹介している旅であるが、あれからどのように変わったのか、近い将来訪問してみたい。)

さて、3時間もの待ち時間、いったい何をしていたのであろう・・・と思うほど列車はのんびりと紀勢本線を進行していく。列車番号こそ下りであるが、実質的に上り列車であろう。旧型客車のみの編成は、新宮から寝台車を連結して初めて「はやたま」となるが、新宮までは完全にローカル列車だ。しかも学生諸君は夏休みの為帰宅組の学生は僅少。とは言え亀山~一身田~津辺りは部活帰りの学生君がそれなりにいたが、当時私も学生でありある意味同業者であろう。
やがて日本一短い駅名の「津」に着くが、停車時間がわずかなため欲しかった入場券が買えず・・・たが、この辺りは近鉄王国。ザ・キングダム近鉄である。料金でもスピードでも勝負できない国鉄側に軍配が挙がる事はない事実を象徴する風景がホームを彩っていた。

尾鷲に着くころには完全に最終列車的風景となっていたが、やがて先述の通り新宮で寝台を連結した後「はやたま」として夜行列車に変身。そろそろ終焉を迎える10系寝台が余生を楽しんでいるかのように、いや、まだまだ現役たぞ!と我々に誇示するかのようにその存在感をアピールしていた。
やがて列車は夜行列車的風景を100%醸し出しながら未明の和歌山に到着する。普段なら、というか日中なら和歌山県を代表する駅として利用者がホームを連ねるであろうが、3時台の駅風景は全く人を寄せ付けない雰囲気であった。
そんな和歌山を去り「921列車」は天王寺に5時ちょうどに到着。1秒の狂いもない!しかしながら当時はそれほど感じなかったが、今考えたらあの天王寺のホームに旧型客車+10系寝台の夜行列車が停車するとは、何とも超アンマッチな風景・・・手動のドアが煌めく衝撃!まるで武藤敬司の「フラッシング・エルボー」のように一瞬ストロボがキラキラッと輝く風景であった。
天王寺で大阪環状線にのりかえ大阪まで出る。更に東海道線と山陽本線で岡山まで一気に辿り着いた。
岡山では伯備線に乗り換えるのだが、この伯備線もちょうど電化されたばかりであった。既に紹介した前回の「青春18」の旅では電化前の伯備線を備中神代~岡山まで乗車している。つまり非電化時代の伯備線であるが、その時は新見でキハ181の「やくも」を拝んだ。しかし今回の旅では電化後のため371系振子式の「やくも」のお披露目であった。前回訪問時の時とは明らかに風景が違う。普通列車でさえ「湘南電車」であった。新見の、そして備中高梁の風景が一躍都会的風景になる。東北・上越新幹線開業の時代には、全国各地の鉄道風景に革命が起きているようなイメージであった。

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この旅では伯備線が電化直後であった。新見で収めた「やくも」は、同じ年の3月に訪問した時のキハ181からご覧の車両にグレードアップ。陰陽連絡の機能が一段と高まった。)

伯備線で北上し山陰方面に出るが、ちょうどこの時期は伯備線と併せて山陰本線の伯耆大山~知井宮(現・西出雲)までの電化が開業し、11月に開業予定である上越新幹線開業に合わせて弥彦線と越後線が電化されるなど「苦しい懐事情」の国鉄であった中、かなりの高速化が図られた。特に山陰本線の一部電化区間はそれなりの都市が連なるため乗客も少なくない。実際、2013年に再訪の際も米子~松江辺りは立席客が出るほどの盛況ぶり。しっかりと「鉄道」としての役割を果たしていた。やはり電化せねばならない事情であろう。
そんな電化区間を新鋭の115系で米子に到着した。境線を制覇してから再び米子に戻ってくる。するともう16時16分、つまり夕方になっている。上り列車の夜行は始発時間が早い。出雲市を19時23分に出発する。米子からもちろん乗車できるが、まだ時間に余裕があるため、というより確実に座りたいため出雲市に向かう事になっている。ただ、出雲市では約一時間しか待ち時間がないため少々不安であるが・・・
当時、山陰本線の普通列車の主役は「旧型客車」だ。DLに牽引されながら、途中で伯備線の115系と列車交換する。ちょうど新旧交代の時期でもあったが、今考えるとすごく不思議な光景だ。

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(電化直後の出雲市駅。まだ地上時代で構内には側線も多くあった。実はこの駅では小さな思い出があり、旧型客車で出雲市駅に到着したのだが、いち早く「山陰」に乗車したいため列車が止まるのを待てずに若干止まる直前にホームに足を預けた。すると思ったよりもスピードがあり私はホームで「ひとり一本背負い」を敢行。2回転半くらいはしたか・・・相方に「なにやってんの?」と言われたのは述べるまでもないが、私にとってみれば衝撃でカメラも若干やられてしまい悲しい一撃であった。ちなみに私は小学校時代に柔道をやっていた関係から受身には自身があったが・・・皆様、列車を下車する際には列車が完全に停車してからにしましょう!)

出雲市から夜行普通列車「山陰」に乗り換えるが待ち時間が1時間。私の中ではこの「1時間」が足りないくらいに感じたが、今回の旅に使用している夜行列車は上越を除き全て「上り」である。普通夜行列車のイメージとして「大垣夜行」を最初に経験したせいか、2~3時間待たないと座れないというのがあった。しかしこの「山陰」もそうだが、上りに関してはそれほどまで神経質にならなくてもちゃんと座席を確保できる事を気付かされた。それは始発時間が早いため地元の方の「ローカル列車」の役割もある。そのため短距離客が多いため、必ずどこかの座席が空くというものだ。
先ほどまでいた米子を通り過ぎ、列車は京都目指して更にのんびりと加速していった。



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1982年・何も言えなくて・・・夏④

18時30分に長野を出た「中央夜行」は、ほぼ「空気輸送90%」状態で新宿目指したが、松本でなんと1時間の小休止。松本に来る途中「姨捨」では「100万ドルの夜景」を拝められるはずであるがやや薄暗い。だが、スイッチバックは非常に興味あり、列車の進行方向がたびたび変わる風景はワクワクする。そして松本での1時間待ちは、普通なら駅そばや信州味噌でも堪能しようが、どうしても座席が気になり席を離れることが出来なかった。というか、普通夜行列車は終点駅の到着時間があまり早すぎてもその後の接続列車等の事も考えなければならないであろうから、ある程度途中駅で時間調整しなければならない。そのため、例えば松本などのように一時間待ちなんかザラではない。だからその気になれば駅そばなど余裕で食べられる。そう考えると旅のアクセントにもなろう。

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(長野駅で列車を待っているとこんな列車がやってきた。当時、全線電化区間を走るDC急行で有名であった「赤倉」は急行列車としてはかなり風格があった。)

座席でひたすら待つ一時間のインターバル後、松本を出るとすぐに塩尻に到着。この時の塩尻はちょうど駅が移転した直後で真新しいホームが迎えてくれたが、たった5分くらいしか停車時間が無く、じっくりと観察できなかった。

というのも、以前の塩尻は名古屋方面からくる特急列車等(しなの、ちくま等)は松本方面に向かうのにここ塩尻でスイッチバックの形をとっていた。つまり中央線同士での直通はスイッチバックしなくて済んだのだが、いわゆる中央西線と篠ノ井線はお互いに乗り入れの際、塩尻で進行方向を変えなければならない。たが、現在の中央線の運転系統を見てわかるように、塩尻を境に東京方面からも名古屋方面からもほぼ全ての列車が松本方面に向かう。つまり駅の配線と実態が合ってなかったわけだ。これは歴史的背景によるものであるが、21世紀を目前とした時代にこの配線は時代遅れとなってしまった。
だが、この不便さを解消しようと国鉄は起き上がった。塩尻駅の配線のみを変えてスイッチバックを解消させるのは困難なので、駅自体を数百メートル移転、地図上で寝ていた「人」の文字を起こした「人」の文字の形になるよう「名」より「実」を取った形となった。

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(2014年に訪問した姨捨。現在でもスイッチバックが残る貴重な駅となったが、私の訪問時にはなんと貨物列車までスイッチバックしていった。)

そして現在、JR中央線の境界駅となっている事もあるが、国鉄時代からも「東線」と「西線」の旅客直通列車はほぼ皆無に等しく、もしそのような運転がある場合4番線を介してスイッチバックをさせれば対応できる配線となり実に機能的な駅に変身した。塩尻を通過する列車は中央西線の旧線を利用した短絡線を使えばスイッチバックしなくて済むような、実に効率の良い配線となった。
松本方面への乗り場は基本1番線か5番線となり事前に確認が必要であるが、その他の各方面へは基本的な乗り場が決まっているので利用する側もわかりやすい、実に芸術的な配線となった。もちろん、当時の国鉄の財政を考えればかなりの勇気を必要としたであろう。だが30年以上経過した現在でもその姿はほぼ健在であり、当時の国鉄の英断に拍手を送りたい気持ちになる。

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(「かけめぐる青春」でも紹介した2014年訪問時の塩尻。1982年8月のこの旅でも訪問しているが、そのときは現在の塩尻駅に切り替わった直後の訪問であった。その時から既に30年以上経過しているが、現在も当時とほぼ同じ形でしっかり機能しているのが素晴らしい。当時の国鉄の英断に拍手!)

さて、そんな生まれ変わって間もない塩尻をたった5分の停車時間で出た中央夜行の上り列車はようやく「夜行」の雰囲気になってきたのだが、我々がうとうとしかけた頃に事件が起こった。確か日野春辺りであったと思うが、駅ではない場所で列車がいきなり急停車したのだ。何が起こったのかわからなかったが、暫くして車掌が慌ただしく動き回る。5分、10分と時間が経ち、全く列車が動き出す気配が無かったが、車内放送などによる案内も無かった。それほど乗客が乗っていないという事もあろうが、何かしらお知らせみたいな物が欲しかったのは正直な所だ。暫くして列車の外で何やら警察とか保線みたいな人がやってきたりと大騒ぎになっていた。しかも私たちが座っている座席付近だ。いろいろ話を聞いてみるとどうやら人身事故があったらしい。詳しい状況は分からなかったが、車掌が行き来している中、他の乗客が車掌に問い合わせていたのだ。その話を私は後からその乗客にお伺い立てた。そして窓を開け外を再び確認。はっきり言って蚊が入ってくるが、それより作業をしているのがちょうど私たちが座っている付近の真下付近のため非常に変な気分であった。

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(2009年訪問時の「ムーンライト信州」は白馬駅にて。かつての「アルプス」からの流れでの夜行列車であることは周知の通りであるが、1982年当時はこういう車両が快速夜行列車などに使用される事などは全く持って考えられなかった。「18」でも乗車できるとは、時代も変わったものだ。)

無事作業が終わったらしく、車掌のアナウンスが入り間もなく出発。定刻より40分~1時間位の遅れでようやく出発した。車内放送などで長時間停車していた理由の説明があるかと思ったが、結局何も音沙汰の無いまま列車は新宿に向けて走り出した。

そんな事件がありながら新宿には定刻の4時23分に到着。見慣れた景色だ。車内放送で昨夜の説明が無かったのは乗客が僅少だった事と、恐らく途中の甲府や他の主要駅などの停車時間を考えたら1時間くらいになるため新宿には定刻で到着できるであろうという予測が車掌や運転手達にはあったのであろう。
だがこの中央夜行、通称「山男列車」は下り列車はかなりの乗車率で、それこそ現在においての「ムーンライト」が座席指定してるのもうなずける。そして下りしか設定がないが、文字通り「山男」は帰りも夜行列車で朝帰りするとは考えにくい。そう考えてみるとなかなか特徴ある列車であると今になって感じる。ただ、個人的な意見として583系などの車両を充てていただくと非常に価値が出てくると思うのだが・・・
そんな夜行列車は何事もなかったかのように時は過ぎて行った。中央夜行ではあまり寝れなかったが、東京から東海道線で今度は名古屋を目指す列車では完全に「爆睡」であった。完全に体質が昼夜逆転してしまったようだ。



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1982年・何も言えなくて・・・夏③

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(新幹線開業直前の新潟駅。と言っても駅名表の為非常に伝わりにくいのが残念であるが・・・ここから越後線で柏崎に抜ける。)

越後線で柏崎に着いたが約二時間半待ち・・・柏崎より来迎寺に抜けて魚沼線でも乗ればよかったのだが、乗り潰し初心者の私は全くのノーマークで直江津方面へ向かう。いや、この先で宿となる夜行列車の時間に合わせるには魚沼線などの寄り道はしていられない。そんな慌ただしく二時間半待後に乗った信越本線普通列車は途中、情緒ある「青海川」や「鯨波」を通る。通るというより下車してみたかったのは言うまでもないが、ちょうど夏休みで海水浴シーズン。鯨波では海水浴客と思われる面々が挙って下車した。中には既に列車の中で膨らませたであろう、浮き輪を片手にホームを歩く乗客もいる。

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(レールファンには有名処である。海水浴場にも近く、私の訪問時も沢山の海水浴客が下車した。)

そんな信越本線の普通列車はのどかな時間が進行する。直江津に着いたら今度は更に信越本線で長野に向かうのだが、再びここで約二時間半待ちだ!なんというこの歩留り悪い計画であろうか・・・現在であれば「喫茶店」「居酒屋」等の選択肢があるであろうが、当時はまだ中学生。さすがに「居酒屋」という選択肢は脱落するが、現在の私でも「喫茶店」は、多分似合わないであろう。というより普通列車同士の接続が悪すぎる。いや、あえて待時間を多くとり特急に乗ってもらおうという得策か・・・もっと他に良い方法があっただろうが、いずれにしても「18」では不利なダイヤになっている。しかしながらご覧になってお分かりと思うが、当時の私は直球的なルート選択ばかりであった。接続悪いなら悪いなりにもっとシュートやカーブも覚えなければダメだった。もっともシンカーやパームボールはまだまだ早いであろうが・・・

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(2013年に訪問した時の二本木駅。当時はまだJRであった。現在は長野~直江津間で唯一のスイッチバック駅となってしまった。)

そんな直江津でただただ「ウェイティングサークル」で出番を待つような感じである私であったが、ようやく信越本線の列車がやって来た。またまた「湘南電車」だ。そして高田経由で長野に向かい「中央夜行」を捕まえる行程である。途中「関山」「二本木」はスイッチバックであるが、現在もスイッチバックが残っているのは二本木だけである。つい最近も再訪しているが、昔と全く変わらない佇まいのまま健在。しかしスイッチバックする列車の方は既に電車となり昔の「勾配に弱い鉄道」に比べたら面倒臭い作業は無く、運転手もわざわざ先頭車両に向かう事も無いままスイッチバックしていく。レールファン的にも旅情的にも味気ないかもしれないが、経営する側からすれば実に効率の良い作業であろう。
それより、今の時代に二本木にスイッチバックを残すのは、近年まで貨物の取扱があったかららしい。貨物の取扱がなくなった現在、いつスイッチバックを解消してもおかしくないであろうが、第三セクターに経営母体がかわり経費の捻出が課題となろう。だが、我々レールファンにとってはやはりこのままスイッチバックを残してほしいと願うのは本音ではなかろうか。

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(既に何度か紹介しているが、この旅の時に撮影したものである。80系は辰野駅であるが、隣のスカ色113系が私の乗った「中央夜行」である。)

そんな事を考える中学生を乗せた信越本線普通列車は長野に16時22分に到着した。長野からは18時30分発中央夜行で新宿に向かう。が、何と2時間以上も待ち時間がある。これは「並ばなければ席を確保できない」と言う教訓から事前に計画した事柄であった。2時間もあれば「善光寺」などの観光もできたであろうし「りんご」や「みそ」等の名物も堪能できたであろう。しかし中学生の私はそんな事に一切興味を示さず、というより何がなんでも座席を確保したいため「あみん」ではないが私は待つ。いつまでも待つ。そしてただ只管「いい旅」を「チャレンジ」する事のにみ従事していた。だが、列を作っているのは私たちのみ・・・列車入線時刻近くになっても全然「中央夜行」を待つ面々の姿すら見当たらない。列車が到着しても余裕で座席を確保。
「この2時間待ちはなんだったのか・・・」と思うほどあっけなく座席を確保できた。これは旅が終わってからわかった事であるが、基本的に普通夜行列車の上り列車は出発時間が非常に早い。先述した私の乗る長野発新宿行きの中央夜行は18時30分発、紀勢本線の夜行「はやたま」は亀山をなんと17時21分発である(はやたまは列車番号的には下りであるが)!と言う事を考えると、途中まではローカル列車の機能を果たすわけであるため、たとえ満席であっても必ず座席が空くであろうと推測できるのだ。そんな事、当時の中学生が分かるはずもなく、ただただ座席の確保のために貴重な時間を待ち時間に使ってしまったのだ。だが、こういう経験をしてこそ次に活かせる!と確信。と言う風に物事の考え方を切り替えなければ後悔ばかりが残る事になるではないか!
ひとり10ボックス位確保できそうな「混雑度」の列車に揺られながら新宿目指した。



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1982年・何も言えなくて・・・夏②

上越(長岡)夜行で長岡に着いた私は早速新潟行きに乗り換える。同じく113系湘南色であるが乗客は僅少。もっと夜行列車から乗り換え客があると思っていたが、意外にも余裕で座席を確保できた。ひとりで4ボックス位占領できるくらいであった、とはオーバーかも知れないが、もしかしたら魚沼線方面へ抜ける乗客の割合が多かったのかもしれない。まぁ、今考えたらちょっともったいない事をしたかもしれないが・・・

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(ストロボバージョンとストロボ無バージョンを収めてみた。と言っても別に新前橋に拘りあるわけでもなかったが・・・当時はこんなバカな事もしていた。)

既に日が昇り明るい「米どころ」であるが、途中の東三条では弥彦線と接続する。当時は越後長沢方面が既に廃止の情報があり私も制覇しておきたかったのだがどうしても当時は予定が組み込めずに断念した。もちろん、今考えたら余裕で、と言うよりちょっと頭を使えばはめ込む事が出来たのに・・・との思いもある。が、やはり当時の自分ではまだ経験が浅いので仕方がない。更に途中の加茂では蒲原鉄道が接続していたが、私鉄路線には興味があったものの「制覇対象」には入ってなかったためスライドしてしまった。もったいない事をしていたなと、誰もがそう思うであろう。

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(かなり地味な駅にカテゴリーされるが、こういう派手ではない駅は私好みだ。)

そして新津を過ぎ、沼垂辺りで大きなヤードを掠めると新潟に着いた。私のこの訪問時は上越新幹線開業直前であった。が、在来線のホームは既に綺麗に整備されており、降りた瞬間「新しい!」と感じた。新幹線ホームの高架駅もほぼ完成しており、いつ列車がやってきてもいいくらいの雰囲気であった。
そしてなんといっても新潟の特徴は、東京方面からやって来る列車は在来線だと右側より、新幹線は左からといった具合に、何となくミスター・マリックに「ハンドパワー」で魔術にはめられた錯覚に陥る。ただ、新幹線に関しては、恐らく当初から白新線~羽越本線的なルートでフル規格の新幹線延伸計画があったのだろう。いや、その気になればミニ新幹線なら酒田くらいまで本気でやっても良いんじゃない?的な設計であろうと思う。
そんな新潟で越後線に乗り換えるが、こちらも新幹線開業と同時に電化される予定であった。既に架線は張られており、いつ電車が来てもおかしくない状況であったが、私の乗った列車の列車番号は「130D」。つまり気動車である。電化直前の越後線・・・「花は越後の~」などと言うと私は古い人間の部類に隔離されてしまいそうであるが、基本的に吉田~新潟間はそれなりに乗客が多い。しかし私の乗った列車は列車番号こそ「上り」であるが、実質「下り」の朝の時間帯。立席が出るほどではない。

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(駅名表が私の「制覇の証」の為、この手の部類の写真ばかりで申し訳ないが、この旅での一枚でもあるため掲載させていただいた。が、意外と味がある駅名表だ。)

さて、越後線で楽しみにしていたのは「吉田」である。弥彦線と、地図上では十字にクロスする形をとるが、いったいどういう構造になっているのか前から気になっていた。まさか東海道線藤沢駅のように複線スイッチバックなどということは無かろうが、結果的に確認したアンサーは弥彦線と越後線は平面交差であったのだ。もっと立体交差が凄い事になっていると若干期待していたのだが・・・

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(画像はウィキより、弥彦線電化開業時より運転されていた「弥彦色」。電化開業当時は確か湘南色で運転されていた記憶だが、今回紹介の旅での訪問時は電化開業前でありDCによる運転であった。新幹線開業に合わせ燕三条駅が誕生し、電化と併せて弥彦線が大きく飛躍した年でもあった。)

弥彦線も新幹線開通と同時に電化予定であった。特に弥彦線は「燕三条」なる新駅ができて新幹線との連絡機能を果たすため、輸送量も増加するであろう。そんな期待を込めての電化であった。だが、この時は弥彦線には乗れず、いや先述した通り、ちょっと頭をひねれば余裕で弥彦線と越後線を同時に制覇できたはずであったが、ここは中学生の英知を全て出しきった結果であるのでお許しいただきたい・・・



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ダイヤモンド✡トナカイ

Author:ダイヤモンド✡トナカイ
✩2022年4月より毎週土曜日更新になります✩


昭和・国鉄の話題を中心に紹介しています。


2013年に長野新幹線の長野駅にて「いい旅チャレンジ20000km」よりスタートした国鉄時代の制覇を含めJR全線制覇を、そしてゆいレール以外の鉄道全線制覇を達成いたしました。


以降、北陸新幹線と北海道新幹線などの開業によりタイトルは返上しています。

JR以外の私鉄を含む鉄道未制覇路線は北陸新幹線(長野~金沢)・北海道新幹線・仙台地下鉄東西線・仙石東北ライン・富山地方鉄道延伸部分・ゆいレール・相鉄直通線(相鉄新横浜線)、そして新規開業の西九州新幹線や宇都宮に開業したライトレールも新たに加わりますます未制覇路線が増えてしまいました・・・

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