北海道、初上陸の時⑤

紅葉あふれる石勝線の車窓を独占しながら札幌に到着した。途中、千歳空港駅を通ったが、現在は「南千歳」として活躍している。そんな千歳空港駅も当時は初の「空港アクセス駅」として大変注目されていたが、石勝線が開通して更にパワーアップした。現在もそうであるが、優等列車を含む全列車が停車するので使い勝手が良い。

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(札幌駅では時間を持て余していたため写真を撮りまくっていた。現在では貴重となった地上時代の札幌駅にての「ライラック」は以前にも紹介している。)

さて、札幌では約4時間くらいの待ち合わせがあった。後で気付いたが、せっかくこんなに時間があったのだから途中の占冠辺りで下車しても全然OKだったかなという思いが出てきた。結局札幌では特急列車の写真を撮ったりご飯を食べたりと・・・現在のようにインターネットなど発達していなかったため下調べなどが出来ず、銭湯などにも行けずにただただ時間を持て余していた印象であった。
ようやく時間がやって来た。乗車する列車は小樽経由の特急「北海」である。現在はいわゆる「山線」を経由して函館目指す優等列車は無くなってしまったが、かつては特急の他、客車急行の「ニセコ」も健在であった。「山線」を経由するのが若干楽しみであった私であるが、実際問題19時台の出発の為景色など全く持って眺めることが出来ない・・・只管函館到着を待つのみであった。

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(こちらも地上時代の札幌駅にて撮影。キハ80の「北斗」は、現在車両が変わりスピードアップされた。)

函館に到着したのは23時55分!日付が変わる直前だ。接続する青函連絡船は0時40分発であり、全く「夜行列車」的な扱いだ。と言うよりわざと「狙って」乗ったのだ。そう、青函連絡船ではあの「ノビノビ座席」風の座席があるから寝るのには重宝するとの思いからの選択であった。結果的に狙いは大正解であったが、青森到着は4時30分の到着であまり寝られなかったのが残念・・・

未明の青森駅からは急行列車は出ていなかった。残念ながら接続する列車は特急「はつかり」のみ!ここは仕方なく「別料金」にて特急券を購入。「ワイド周遊券」の特権を使えずに盛岡目指す。が、私を待っていた車両を見て朗報!なんと583系であった。2か月前の「東北の旅」では昼間の583系には巡り合えなかったが意外にもこんなタイミングで・・・これなら「別料金」でも納得か、と考えるのは一般的ではないかも知れない。
盛岡に着くと更に優等列車の接続が無く、仙台まで普通列車列車での移動となっている。が、電気機関車が牽引する旧型客車がまだ東北本線の普通列車では当たり前の時代であったので当然「旧客」に揺られて仙台目指す事になった。盛岡発が7時22分だが仙台着がなんと12時5分!なんと4時間半である。
朝の7時半頃から昼までこんなにのんびり時間が過ぎて行ったのに仙台には定刻通りに到着した。僅か5分の乗り換えで、今となっては貴重な体験となってしまった急行「まつしま」で上野に向かう。ようやく優等列車にあり付けた。昼間の12時頃まで旧客で過ごすとは、なんてのんびりした移動手段であろうか。仙台まで気怠いひと時が穏やかに過ぎて行った。

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(ダイナミック☆トナカイ提供の急行「まつしま」のイメージ。交直両用の急行型車両で、上野では良く見られたが、考えてみたら直流でも運転できるので、我地元付近(例えば茅ヶ崎とか)に来てほしかった・・・)

今回の旅はほとんどトラブルも無く順調に行程を消化していった。僅か2か月前に訪問した東北の旅では多くのトラブルと予定変更を重ね、かなりの珍道中になってしまった。やはり旅とは何かのトラブルのようなものが無いと若干印象が薄くなるような感じもしなくはないが、今回の北海道の旅は「初」であったため全てが新鮮であったのが印象深かった。だが実はトラブルが全く無かったわけではない。新夕張駅を訪ねた事は先述したが、旧・紅葉山駅跡に訪問した際にホームからレールのない線路跡にジャンプしたらなんと水たまりがあったのだ・・・夜の為暗くて分からなかったのだが、おかげでズボンの裾がびっちょりになってしまった・・・とりあえずスペアのズボンに変更したが、宿泊先の「まりも」では窓際にズボンを干しながら白糠駅目指していったのだ・・・みたいな事があり、北海道の旅と言うとまず紅葉山を思い出す、みたいな感じだ。

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(同じくダイナミック☆トナカイ提供の583系「はつかり」。恐らく盛岡駅での撮影と思われるが、今となっては懐かしい部類になってしまった。)

もう30年以上前の事であるが、私は当時こんな旅ばかりをしていた。高校受験を控えていたというのに・・・まぁ、とりあえず高校受験は無事にクリアできたが、やはり当時の名残か、現在はこんな大人になってしまったが・・・
若く、そして新しいレールファンに一言お伝えしたい。これは決して「先輩面」や「釈迦の説法」的な意見のつもりではなく、あくまで私の経験上から感じた事なので事前にご了承いただきたい。
若く、または新しくレールファンになった方々、是非「現在」をしっかりと堪能していただきたい。私がこの「北海道初上陸」した旅は1983年の事である。先述通り既に30年以上経過しているが、今となっては貴重な思い出となった。例えば「白糠線」に関しては、各方面の雑誌やインターネットを開けば北進駅などの写真が出てくる。駅の姿形はこれらのメディアで確認できるが、やはり実際に行く事によって「雰囲気」や「空気」「温もり」などはもちろん、それとは別に「第六感」的な感覚で何かを感じ取ることが出来るはずだ。白糠線に限らず、当時の旅ではまだ札幌駅が地上時代であった事や青函連絡船がまだ健在であった時代だ。これは現在においては体験する事が出来ない。

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(得意の写真で申し訳ないが、私の旅の「出発点」であった相模線・西寒川駅。もう廃止されて30年が経過した。)

今、あなたが経験している「乗り鉄」や「撮り鉄」等は、20年後、30年後にそれを振り返った時、当時の素晴らしい記憶が甦ってくるであろう。それは雑誌などの写真を数10枚見るよりも、自身が撮影した、たった1枚の写真でもそう感じるかも知れないであろから。他の人が見たら一枚の写真の画像は確かに「静止」しているであろう。しかし、撮影した本人が観るとそれは「動画」として見えてくるはずだ。もちろん、正反対に「こんな写真撮ったっけ?」などという場面もあろう。だが、すべてを含めてあなたの「記録」として永遠と活き続けてくれる。そして、それはあなたにとって素晴らしい「記憶」そして「記録」となるはずだから。これは100万ドル出しても買えない、あなたにとって永遠の「お宝」になるであろうから・・・



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北海道、初上陸の時④

夜がそろそろ開けてきた頃、白糠に到着する時間となった。名残惜しいが「まりも」と別れをしなければならない。そして目的の白糠線の列車を待つことになるが、始発に乗る私の列車は釧路発の為座席があるかどうか心配であった。が、若干の心配を他所に、とリあえずやって来た列車に私の座る席はあったので一安心。だが「乗り納め系」と思われる方々で列車内はほぼフルハウスであった。

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(白糠線の終点「北進」であるがバックの景色にご注目いただきたい。季節柄「紅葉」が見どころであろうが、鉄道少年には全く「猫に小判」であった。)

白糠線に関しては以前にこのブログの記事「廃止路線を訪ねて① 白糠線」で紹介しているのでご覧いただけると幸いであるが、もし北進から計画通り延伸して足寄経由で新得まで開通していたとしていたらどうなっていたであろうか?私が思うに、おそらくバイパスとは「名ばかり」のローカル線になっていたろうと思う。と言うよりバイパスの必要性にクエスチョンだし、沿線の拠点となろう都市が存在しない。士幌線や池北線と交差するが「士幌(上士幌)」や「足寄」となるとやはり「帯広」に比べるとかなり地味であるし、帯広に寄らない列車となるとかなりの確率で乗車率が落ちるであろう。もちろん士幌線や池北線を使って帯広や池田に向かう列車も設定される事と思われるが実用性を感じない。そう考えるとこの「バイパス」がもし開通していたとしてもやはり「同じ運命」を辿っていたろう。
しかしながら当時中学生の私にはそのような事情など知る由もなく、ただただ「廃止」「未成線」等の言葉に異常に反応していたように思う。もちろんそれはあまり今も変わらないが・・・

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(1983年<上>と2009年<下>訪問時の比較。どちらも特急「おおぞら」であるが、車両は変われど釧路駅構内の様子は昔の面影たっぷりだ。)

さて、白糠線を制覇した後私は釧路に向かう。釧路では1時間半ほどのインターバルがあるのでしばらく朝食でブレイク・・・いよいよ昼間の時間帯に石勝線に向かう事になった。
先述の通り、私が最も好む路線であるが、こういった「感覚」の持ち主はそう多くないであろう。特に新夕張~新得(厳密に言えば上落合信号場)が一番である。信号場に格下げされた「楓」は先述したし「占冠」や「石勝高原(当時)」も非常に魅力的であるが、その間にあるいくつもの信号場も魅力だ。本来なら駅にするはずであったろうが、人口の減少と時代の変化と共に現在の姿で工事が行われたのであろう。そのため季節によって全く違った「顔」を車窓から魅せてくれる。それこそ下手な観光地へ行くより「おおぞら」に乗りながら石勝線の窓を「独占」している方が何かと大自然が楽しめると思う。既にこのブログでも石勝線については触れているが改めて別枠で近況を紹介してみたい

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(2009年訪問時の「石勝高原」。現駅名に変更され、バブル期には東京から臨時列車も運転されていたほど。)


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北海道、初上陸の時③

初めて見る北の大地に度肝を抜かれるばかりであったが、今まで乗って来た特急列車を苫小牧で降りるのがもったいない。が、後ろ髪惹かれる思いで苫小牧発の夕張線直通DCに乗り換える。
追分はかつて「SL最後の地」として数多くの訪問者があった時もあった。1983年訪問時には千歳空港(現・南千歳)からやってくる石勝線の「新線」が大きく上部を掠め「夕張線」のホームまでしばらく並走する。まだまだ当時の面影が残っていて「黒のダイヤ」の全盛期を偲ばせるホームには、人影疎らな乗客と共に列車到着の時のみ一瞬のにぎわいを見せていた。

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(憧れの「石勝線」へ訪問。あくまで私のこだわりは「石勝線」であり「夕張線」ではない。新夕張では訪問当時、駅前には「紅葉山」の残骸が残っていた。)

念願かなって訪問した「夕張線」で一気に夕張に向かった。この夕張駅であるが、2回移転を行っており、現在の夕張駅は3代目である。私の訪問時は「初代」であったが、かつての面影は既に衰退しており全盛期とはほど遠い姿になっていた。もっと景色を見たかったが既に外は暗く、街の様子も確認できなかったのでできれば昼間に訪問したかった。が、メインは白糠線。あくまで白糠線に軸を合わせなければならない。
一旦新夕張に戻り、今度は楓に行く。実はこの石勝線の「新線区間」は鉄道路線の中で私が最も好む路線であるのを告白する。西寒川駅などは当然思い入れはあるが、やはり「一番」となると石勝線・新夕張~新得の「新線区間」が私の第一位である。別に隠そうとしていたわけではなく、言うタイミングが無かったのだが、そう、私の一番好きな路線は石勝線である。が、旧・夕張線は含まない。でもこれはかなり一般的な意見ではないと思う。私は変わり者であろうか?

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(画像はリンクさせていただいている「昔訪ねた気動車ローカル線」より。かつての「紅葉山」であるが全く持って「黒ダイヤ」を象徴する風景となっている。新夕張になる際には駅が若干移設された。)

まぁ個人的な事はさておき、楓駅は特殊な構造で、本線上に相対式ホームが2面2線あるが、新夕張~楓の旅客列車が発着するホームが独立している。そのため3番線まであるという事だ。独立ホームは単行1両分の長さのホームのみで駅舎もある。もっと楓駅をじっくり観察したかったが、5分停車で折り返しの為ろくに散策できなかった。しかも夜7時頃の為暗かったので尚更だ。現在は信号場として第二の人生を送っている楓駅であるが、かつては「登川支線」の中間駅であった。スイッチバックの構造の珍しい駅であったが石勝線開通前に現在地に移転。登川と旧楓のほぼ中間地点に新たに「楓」を作った。しかしながらその後の経過は周知の通りである。そんな楓の「再訪」を誓いながら既に30年以上経過してしまった。そろそろ行かなければならないタイミングになっているであろう。いつかは・・・

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(現在は信号場として活躍中の楓。旅客営業があった当時は本線上のホームとは別に折り返し用のホームが独立して設置されていた。)

との思いを胸に秘めながら今夜の宿となる急行「まりも」に乗車するため一旦札幌に行く。なぜ札幌か・・・理由は単純で「自由席」の為座席の確保が必要だからだ。
急行「まりも」は石勝線経由で札幌と道東を結ぶ夜行列車で、終点釧路では快速「ノサップ」に接続し根室まで行ける。「まりも」は14系客車で寝台も連結。私の訪問時はなんと10系寝台であった。その後はDCに変更され24系寝台(だと思ったが)を連結するという異色の編成になった。現在は既に「まりも」の存在が無いのは周知の通りであるが、北海道の乗り潰しにはこの夜行列車陣が大変重宝した経験を持たれた方も少なくないであろう。
座席も無事確保できて一路「白糠」目指して休息の時間となる「まりも」の車内は意外にも乗客が多い。もちろん私みたいな「同業者」が多く占めていると思われるが・・・
深夜の2時頃に新得で上下の「まりも」が列車交換。その間に私は「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を収め再び仮眠。そしていよいよ今回のメインイベント「白糠線」に逢うために白糠の駅に降り立った。



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北海道、初上陸の時②

上野から乗る急行「八甲田」は12系客車の座席急行列車であった。八甲田の他に東北方面の客車急行列車は常磐線経由の「十和田」や奥羽本線経由の「津軽」などがあるのは先述しているが、東北新幹線開通後、特に後を追うように開通した上越新幹線開通後に整理された「57.11.15」のダイヤ改正ではかなりの数の寝台特急や急行列車が整理された「減量ダイヤ」になった。それでもまだまだ生き延びていた「八甲田」で私は北を目指した。

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(画像は「日本の旅・鉄道見聞録」より。在りし日の急行「八甲田」。北への旅には欠かせない「必需品」であった。)

仙台や盛岡などは深夜の時間帯となるがしっかり停車。こういう都市間輸送の役割を当時は果たしていた急行列車であるが、現在はすっかり「過去物語」となってしまった。一応、私は人間であるため(まぁ、当然であるが)人並みに夜は睡眠を取る習性であるが、こと「夜行列車」に乗ると体質が変化するらしい。一応寝ようとするが、どうしても「防犯機能」が働いてしまいグッスリと眠れない。と言いながら昼間の列車で寝てしまうのも「習性」なのであろうか。そんな思いを抱きながら(どんな思いだ?)青森に到着し連絡船を目指す。当時は青函トンネル開通前で、当然北海道までは「船」となる。その時間、なんと約4時間!4時間も船に乗っていれば波の高い日にはアルコールを飲んでいなくても、しっかりと「二日酔い」に導いてくれる事であろう。

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(画像はウィキペディアより、青函連絡船の摩周丸。かつては数多くの人々を運んだであろう。)

たしか「摩周丸」だと思ったが、今でいう「ノビノビ座席」のような靴を脱いで座るような座席でのんびりと弁当を頬張る。寝っころがることだってできるので夜行便では非常に重宝するであろう。
ちょっと甲板に出てみた。津軽海峡の風を頬に受け船を追いかけてくるかもめにかっぱえびせんをやりながら過ごす船旅は、非常に和やか。列車とは違った「楽しさ」を教えてくれた。
暫くすると北海道が近づいてきた。「いよいよか!」と胸が高鳴る。「遥々来た」函館は、まさに「逆巻く波を乗り越えて」到着。北の大地への「第一歩」を踏み入れたのであった。

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(函館からなんと網走までの運転区間であった「おおとり」。現在の札幌中心のダイヤでは考えられないが、1983年当時はまだ連絡船が健在であったため函館発各方面への列車が活躍していた。)

さて、函館より苫小牧めざし夕張線を制覇する計画であるが、私の乗車した列車はなんと特急「おおとり」であった。「おおとり」と言えば函館~網走間の特急列車である。室蘭本線を経由して札幌に向かい網走を目指すわけだが、今となっては全く持って信じられない区間設定だ。そして当時は初乗車であるキハ80であったから今考えれば懐かしい。実際に全区間乗車する乗客は果たして1日何人いたのであろう・・・


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北海道、初上陸の時①

函館駅のホームは大きな弧を描く・・・いつも鉄道誌で見ながら憧れていた「北の大地」は私の夢でもあった。1983年10月、北海道は白糠線の廃止情報を受け、北に向かう決意をした。本来なら同じ年の夏休みに目指す予定であったが、予算の都合上「東北」に場所を変えて旅立ったのは先述した通りだ。お陰で東北は私にとって素敵な思い出となり現在も心に残っているが、この北海道も非常に思い出深い。

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(まだ登場して間もなかった頃の「キハ183」。大きく弧を描く函館駅のホームは当時私の「憧れ」でもあった。)

秋と言えば木葉も赤く色付き「木枯らし1号」なる話題も出始める頃であるが、世間的には「読書」「スポーツ」など、何かと過ごしやすい時期でもある。そんな私も当時中学3年生で「高校受験」が控えていたが、相変わらず鉄道方面しか目が向かず、勉強などしていられなかった。翌年には「西寒川」も廃止になるなど、何かと「ブーム」になってしまったローカル線の廃止であったが、一応受験を何とかクリアし今こうしてPCのキーボードをたたいていると言う事は、それなりに「人並み」であろう。

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(「キハ183」と言えば2008年に北海道を訪問した時も健在であった。しかもリニューアルされ車体は素晴らしく綺麗であった。写真は札幌にて。)

そんな事はどうでもいいのだが、学校では毎年体育祭がこの時期に行われていたが、今回の体育祭は日曜に開催する事になった。そのおかげで代休や何やらで休みが重なった結果4連休になった。これは行かなきゃもったいない!と思い急遽北海道行きを決意した。学校に学割を申請し、中学生ながらに「北海道ワイド周遊券」を購入。当時のワイドは確か31500円。で、10月から翌3月くらいまで「季節割」があり、更に申請した学割が適用されたため約半額近くの値段になった!さすが学割君。効果覿面の「ワイド」を引っ提げ、いざ北への出陣となったのだ。

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(ご覧の通り、すごい割引率!「学生の特権」は大いに活用すべき。「あれ、帯広にも下車したっけ・・・」と一瞬思ってしまったが、私の記憶にないものも多く刻み込まれた「証」は当時の貴重な資料として今も部屋の片隅に眠っている。)

いつものように西寒川からの出陣であるが、今回は16時18分発で1日4本来る列車の中の2本目である。そして上野から急行「八甲田」で北を目指す!初めての「北の大地」に胸を躍らせる中学生。一体どのような旅が私を待っているのであろうか・・・



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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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