青葉城の恋唄③
2014-02-02

(愛子まではこんな景色であったが・・・)
仙山線の2面性は先述しているが、愛子ではかなりの乗客があった。秋保(あきう)温泉の玄関口であるが、鉄道を使っての訪問者はそう多くないであろう。それよりも生活のカラーが断然目立つこの愛子より仙台までの区間は都市化に合わせ列車本数も増大した。そして前回訪問時の1983年よりも駅が増えた。私の知らない駅がたくさんできており、街並みも一転している。特に学生の利用が目立ち、昼間でも大学生と思われる乗客が途中から多数乗車してきた。仙台に着くころには立席客も出るほどで、仙台側の発展は目覚ましいものがあるが、一時よりは若干落ち着いた感がある。


(愛子に到着。景色が一転する。ここより乗客がドット混む!下の写真は1983年訪問時。)
愛子からは広瀬川に寄り添うように列車は仙台目指すが、仙台に近付くにつれだんだん住宅や店舗が密集してきた。大きくカーブして東北本線を乗り越えると仙台に到着するが、やはり「大都会」のイメージ。新幹線をはじめ、各方面から列車が集まってくる。
仙山線にはかつて583系が入線した過去がある。急行「津軽」が583系で運転されている時代に山形新幹線の改軌工事の為仙山線を経由したのがその経緯で、上野から来た列車は仙山線経由で山形でスイッチバックして秋田方面へ向かった。なんだか夢のような話であるがこれは是非私も経験してみたかった。

(北仙台では「番長」が迎えてくれた!)
山形新幹線の輸送力補強として仙山線の、特に愛子~仙台を複線・高速化する案が出ているらしいが、東照宮付近の景観的問題から実現に至らないらしい。しかしながらこのアイデアは是非実現してほしいもの。それこそ北仙台辺りから地下化にして「あおば通」と連結するのも良いかもしれない。もちろんこれを実現するには私の全財産を提供しても全く足りないくらいの経費が掛かろうが、仙山線の役割を考えるとある程度の改良が今後必要になるであろう。

(2008年以来の仙台訪問。だが乗り換えの為約30分程の滞在時間に過ぎなかった。)
私はこの後「グランクラス」で帰郷する予定になっている。2008年「七夕まつり」に参戦するため訪問して以来の「杜の都」となったが、新幹線も新時代を迎えいよいよ北海道まで到達する日も近い。時は巡りまた夏が来て「あの日と同じ流れの岸」に仙山線を再び見かける時「瀬音ゆかしき杜の都」はいっそう輝きを増している事であろう。

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青葉城の恋唄②
2014-01-31

(面白山高原駅では、冬季にはスキー場がお出迎え。訪問手段が鉄道のみと言う立地条件であるが、冬季以外では他の交通手段でも訪問可能。)
かなり吹雪いてきた印象の中、お隣「面白山高原」に到着する。かつては「面白山」と称し、仮乗降場であった。私の前回訪問時では臨時駅に昇格していたが「毎日営業の臨時駅」的な存在で常設駅同様に毎日列車が発着していたので、既に「臨時」の印象は無かった。現在の形になったのはJR化後であろう。そしてここはなんといってもシーズンには「東北のガーラ湯沢」と言われていいほどの印象を持つ(かも知れない)「面白山スノーパーク」が駅前にある。駅前がゲレンデでリフト乗り場がすぐそこにあり「広瀬香美」的な気分になる。このスキー場は車だと道路が冬季閉鎖されるため鉄道でしか訪問する手段は無い。または「徒歩」でも可能であろうが若干「ラッセル走行」をしなければならず、ゲレンデに到着する頃にはもうスキーをする体力は残っていないであろう。何だかスキー場版「尾盛」や「小和田」的な存在かも知れない。


(奥新川も前回訪問時の写真<1983年・下>が残っていた。山深い駅であり、若干秘境気味ている印象だ。)
「面白山」の名前の由来が何だか納得しそうな印象だが、隣の奥新川駅との間には「面白山信号場」があり列車交換が行われる。そして奥新川を過ぎると最大のハイライト「八ツ森」を通過する。現在の公式記録は「休止中」となっているが、2002年以来停車する列車は存在していないと聞く。某秘境駅訪問家が絶賛していたが、訪問時にはかなりの苦労があったようだ。そんな八ツ森も私の訪問時にはあっけなく2~3秒ほどで通過してしまいじっくりと観察できなかったが、駅名表と雪の積もったホームを確認。まだまだ取り壊されずに健在であった。


(八ツ森はこれが精一杯の撮影であった。だがメンテナスもしっかりと施され、とても休止中とは思えぬ雰囲気。)
仙山線は全国でも異色の路線で愛子を境に全く別の顔を見せる。山形側は「観光」、仙台側は「生活」となるが、特に県境付近では山越えとなるため秋口の紅葉の時期は見どころであろう。だが、枯葉や落ち葉によるスリップも発生し保線屋泣かせな面もある。しかしながら面白山付近では冬季以外は登山客の姿も目立ち、仙台と山形を結ぶ重要な路線であるとともに沿線各地の輸送にも役立っている。
作並駅では作並温泉の玄関口であるとともに「こけし」がお出迎えしてくれるが、鉄道以外の交通手段においても利便性はかつてより格段に進歩しているため鉄道での訪問客は限られる事であろう。
実は先ほど「交流電化」について触れたが、交流電化される前には作並~山寺は既に直流電化されており、交流電化の実験が行われる際に日本初の「デッドセクション」が設けられた駅でもある事は意外に知られていないかも知れない。有名処では「黒磯」「門司」等が思い浮かぶが、まさか作並が初とは私も知った当時は驚いた。仙山線での交流実験データはやがて新幹線などに活かされる事になるが、そんな歴史的に偉大な駅も普段はひっそりとしている。

(作並駅ではこけしがお出迎え。しかし作並温泉までは3キロ程離れており、駅からのアクセスはバスやタクシーが便利であろう。)
愛子から「別の顔を見せる」と述べたが、作並を出たころから若干住宅がチラホラ見えだしてくる。仙台に近付くにつれ生活色が濃くなっていく風景であるが、意外にも時間の経つのが早く感じて乗っていても飽きないのが仙山線の特徴であろう。31年振りに見る風景は、31年前より当然進化しているが、この山形~作並辺りまでの区間は進化の進行具合が若干緩やかな印象であった。

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青葉城の恋唄①
2014-01-29
1983年以来の訪問となった仙山線だがもう「31年振り」というフレーズは何度も使用した。当時中学生であった私が2014年1月に31年振りに訪問とは、足算をされると世代がばれてしまいそうだ。そんなことはどうでも良いのだが、前回の訪問は夏。今回は冬と両極端な時期の訪問に、違った仙山線の「顔」を見せてくれる事であろうと期待を込めわざわざ予定に組み込んだ。
前回の訪問はなんと電気機関車が牽引する旧型客車であった。新しいレールファンには信じられないかもしれないが、30年前の仙山線にはそんな列車が走っていたのだ。もちろん私の乗った当時は電車も走っていたのでわざわざ「選んで」乗車したものだが、旧客で揺られる仙山線は格別であった。

(山形で出発を待つ仙山線電車。前回の訪問時は電気機関車牽引の旧型客車であったので新鮮な感じだ。)
さて、今回の訪問は先述したとおり2014年1月の訪問となった。宿泊先の新庄から山形までやってくるのにかなりの積雪があったが、山形市内に入る頃には若干積雪が少なくなっていた。羽前千歳と北山形を訪問した後、山形より仙山線に乗る計画だ。山形では約30分以上のインターバルがあったので久々に訪問する山形駅をじっくり観察。前回の訪問では何かと「お世話に」なったが、当時とは全く印象が違う別の駅に生まれ変わっていた。何せ「新幹線」がやってくる時代。私が「始発まで待たせてもらった」待合室が既に面影が無く、と言うよりその待合室自体が無く、側線などもかなり撤去されて若干コンパクトになった印象だ。


(山寺に近付くと幻想的な風景になる。立石寺も仙山線の車窓から拝め、思わず合掌・・・)
11時32分、仙山線の列車に揺られ仙台を目指した。私の知らない部類に入る車両であるからJR化後に誕生した車輛であろう。そして仙山線は「交流電化・発祥の地」であるから当然乗っている電車は交流に間違いない。
羽前千歳を出ると右に大きく弧を描き積雪が多くなってくる。そして若干の吹雪を催す景色となり山深くなってくると文字通り「山寺」に到着する。その名の通り、駅前の山には「山寺」の存在がはっきりとわかる。その名も「立石寺」と呼ばれ、お寺から見る「山寺駅」の風景も美しい。この立石寺と言えば「松尾芭蕉」が立ち寄った事で大変有名なお寺であり、しばしばそちら方面のマニアが多く訪問するのは納得いく材料だ。


(山寺駅の訪問は1983年<下>以来である。当時は駅員無配置であったが、現在は業務委託駅である。)
そんな山寺を過ぎると更に雪深く、そして山深くなっていく。景色を眺めていると、やはり「難工事」であったかも知れないような場所を選びながら線路を敷いている先人の苦労が見え隠れして来るが、こうして悪天候の中でも定刻通りに仙台目指してくれる事は非常にありがたい。そして何事も無いように列車に揺られている自分が実にありがたい気持ちになる。そんな事を考えながら久々に乗る仙山線は、もうすぐ仙山線の「ハイライト」に近付いていく。

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前回の訪問はなんと電気機関車が牽引する旧型客車であった。新しいレールファンには信じられないかもしれないが、30年前の仙山線にはそんな列車が走っていたのだ。もちろん私の乗った当時は電車も走っていたのでわざわざ「選んで」乗車したものだが、旧客で揺られる仙山線は格別であった。

(山形で出発を待つ仙山線電車。前回の訪問時は電気機関車牽引の旧型客車であったので新鮮な感じだ。)
さて、今回の訪問は先述したとおり2014年1月の訪問となった。宿泊先の新庄から山形までやってくるのにかなりの積雪があったが、山形市内に入る頃には若干積雪が少なくなっていた。羽前千歳と北山形を訪問した後、山形より仙山線に乗る計画だ。山形では約30分以上のインターバルがあったので久々に訪問する山形駅をじっくり観察。前回の訪問では何かと「お世話に」なったが、当時とは全く印象が違う別の駅に生まれ変わっていた。何せ「新幹線」がやってくる時代。私が「始発まで待たせてもらった」待合室が既に面影が無く、と言うよりその待合室自体が無く、側線などもかなり撤去されて若干コンパクトになった印象だ。


(山寺に近付くと幻想的な風景になる。立石寺も仙山線の車窓から拝め、思わず合掌・・・)
11時32分、仙山線の列車に揺られ仙台を目指した。私の知らない部類に入る車両であるからJR化後に誕生した車輛であろう。そして仙山線は「交流電化・発祥の地」であるから当然乗っている電車は交流に間違いない。
羽前千歳を出ると右に大きく弧を描き積雪が多くなってくる。そして若干の吹雪を催す景色となり山深くなってくると文字通り「山寺」に到着する。その名の通り、駅前の山には「山寺」の存在がはっきりとわかる。その名も「立石寺」と呼ばれ、お寺から見る「山寺駅」の風景も美しい。この立石寺と言えば「松尾芭蕉」が立ち寄った事で大変有名なお寺であり、しばしばそちら方面のマニアが多く訪問するのは納得いく材料だ。


(山寺駅の訪問は1983年<下>以来である。当時は駅員無配置であったが、現在は業務委託駅である。)
そんな山寺を過ぎると更に雪深く、そして山深くなっていく。景色を眺めていると、やはり「難工事」であったかも知れないような場所を選びながら線路を敷いている先人の苦労が見え隠れして来るが、こうして悪天候の中でも定刻通りに仙台目指してくれる事は非常にありがたい。そして何事も無いように列車に揺られている自分が実にありがたい気持ちになる。そんな事を考えながら久々に乗る仙山線は、もうすぐ仙山線の「ハイライト」に近付いていく。

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