廃止路線を訪ねて⑰ 三木線
2014-05-01
国包・石野・別所・三木・・・1983年・春、私を乗せた列車は厄神を出ると三木に向けてジョイント音を響かせた。2008年に廃止される晩年は第三セクターとして第二の人生を送っていた。そして国鉄時代よりも駅の数が増えていた。私の訪問時は厄神を含めなければ4つの駅しかない華奢なローカル線であった。訪問当時は北条線と鍛冶屋線を含め加古川支線を一気に制覇し言わば「消化試合」的な感覚もあったが、小学生くらいにコロタン文庫の「国鉄駅名全百科」等を見ながら訪問の憧れみたいなものを少々胸に抱いていた、若干不思議な小学生であった。終点の三木はもちろん、途中の国包は当時としては珍しい「カプセル駅」として地味に有名であった。いわゆる駅舎の造りが「カプセル」の様に簡素な素材と設計になっており、未来の駅のあり方を示唆するような印象であった。

(画像はウィキペディアより。ご覧の通り「近代的な」駅舎は、年数を重ね数々の「年輪」を刻んでいるような印象である。当時は地味に話題になっていた。)
隣の石野は厄神から日中のみ駅員が出張して来た、いわゆる「有人駅」であった。別所を過ぎ三木に向かうが、三木鉄道時代には私の知らない高木駅が誕生している。高木のみならず、三木鉄道時代は高木を含め4駅増えて増収を図った。終点・三木は「市の代表駅」的存在であったが、利用者は当然「神戸電鉄」の方が圧倒的に多かった。これは当然「客流動」の関係にあろう。厄神を介してJR経由で神戸に向かうよりも当然「近道」であろうから。晩年は目に見えて利用者が減少していたのは残念であるが、それでもよく2008年まで活躍してくれたものであった。

(私の所有する三木線の「資料」のひとつ。国鉄らしさがにじみ出ているが、外枠は若干塗装しなおして日が浅い印象。)
やはりレールファンでない方から見たらただの「交通機関」かも知れない。そしてもし私が三木市の住民で普段からほとんど利用しない鉄道に税金が使われていると思うと・・・現在の姿を納得せざるを得ないであろう。と、レールファンらしくないコメントをしてしまったが、やはり地元の人に愛され、そして利用されてこそ本来の姿であろう。だが鉄道とは、他の公共交通機関を超越した「何か」があるように思えてならない。なくなってしまうと思うと無性に愛着心が湧いてくる。合理的に考えた場合、バスに比べ莫大な経費が掛かるのも事実である。かつて鉄道は「ブーム」であった時代もあった。私たちが日常単語として使っている「ローカル線」と呼ばれる鉄道路線も盛隆期が存在したし多くの住民に愛されていた事であろう。しかし時代と共に三木線のように忘れ去られていく路線も少なくない。しかし鉄道とは「公共交通機関」である事も忘れてはいけない。

(別所と共に私が所有している三木線の資料。しかしながら神戸電鉄の「電鉄三木」の方が利用者は圧倒的であった。)
終点の三木駅の所在する三木市は、かつて神戸電鉄付近に新興住宅を開発して人口増加を図ったが目標数値には届かず、現在は減少傾向であると聞く。その神戸電鉄も実は鈴蘭台~粟生間は廃止の噂も出ているほどに利用者が減少しているらしい。三木市に限らず全国的なこの「人口減少」は今後更に我が国・日本の最大の課題となるであろう。と言うより現在はもう既に入り口を突破し2合目・3合目あたりまでているのかも知れない。私たちは今後必ずやってくる「課題」にどう取り組めばいいのであろうか?失われていく交通機関の背景には、私たちの生活が常に背中合わせであるという事を忘れてはいけない。

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(画像はウィキペディアより。ご覧の通り「近代的な」駅舎は、年数を重ね数々の「年輪」を刻んでいるような印象である。当時は地味に話題になっていた。)
隣の石野は厄神から日中のみ駅員が出張して来た、いわゆる「有人駅」であった。別所を過ぎ三木に向かうが、三木鉄道時代には私の知らない高木駅が誕生している。高木のみならず、三木鉄道時代は高木を含め4駅増えて増収を図った。終点・三木は「市の代表駅」的存在であったが、利用者は当然「神戸電鉄」の方が圧倒的に多かった。これは当然「客流動」の関係にあろう。厄神を介してJR経由で神戸に向かうよりも当然「近道」であろうから。晩年は目に見えて利用者が減少していたのは残念であるが、それでもよく2008年まで活躍してくれたものであった。

(私の所有する三木線の「資料」のひとつ。国鉄らしさがにじみ出ているが、外枠は若干塗装しなおして日が浅い印象。)
やはりレールファンでない方から見たらただの「交通機関」かも知れない。そしてもし私が三木市の住民で普段からほとんど利用しない鉄道に税金が使われていると思うと・・・現在の姿を納得せざるを得ないであろう。と、レールファンらしくないコメントをしてしまったが、やはり地元の人に愛され、そして利用されてこそ本来の姿であろう。だが鉄道とは、他の公共交通機関を超越した「何か」があるように思えてならない。なくなってしまうと思うと無性に愛着心が湧いてくる。合理的に考えた場合、バスに比べ莫大な経費が掛かるのも事実である。かつて鉄道は「ブーム」であった時代もあった。私たちが日常単語として使っている「ローカル線」と呼ばれる鉄道路線も盛隆期が存在したし多くの住民に愛されていた事であろう。しかし時代と共に三木線のように忘れ去られていく路線も少なくない。しかし鉄道とは「公共交通機関」である事も忘れてはいけない。

(別所と共に私が所有している三木線の資料。しかしながら神戸電鉄の「電鉄三木」の方が利用者は圧倒的であった。)
終点の三木駅の所在する三木市は、かつて神戸電鉄付近に新興住宅を開発して人口増加を図ったが目標数値には届かず、現在は減少傾向であると聞く。その神戸電鉄も実は鈴蘭台~粟生間は廃止の噂も出ているほどに利用者が減少しているらしい。三木市に限らず全国的なこの「人口減少」は今後更に我が国・日本の最大の課題となるであろう。と言うより現在はもう既に入り口を突破し2合目・3合目あたりまでているのかも知れない。私たちは今後必ずやってくる「課題」にどう取り組めばいいのであろうか?失われていく交通機関の背景には、私たちの生活が常に背中合わせであるという事を忘れてはいけない。

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