18の、18による、18のための旅⑦

「普通列車」の方は乗客の入れ替わりが激しいが、私の乗った「観光列車」は乗客の変化がほとんどないまま長閑な時間が過ぎていく。やがて下車駅となる幡生では後ろ髪引かれる思いであったが、ある意味「偉大なるローカル線」を制覇したという達成感もあった。しかし、面白い事にこの「偉大なるローカル線」を全線直通する列車は無い。そういえば、かつて1980年代であったが門司発福知山行の「824列車」があった。門司を朝5時半頃に出発し、福知山に着くのは夜11時をとっくに超えている時間帯だ。それでも「偉大なるローカル線」を全線制覇できないのだ。余りにも偉大だ、偉大過ぎる!

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(画像はウィキペディアより、1980年代前半まで活躍した「824レ」。門司発福知山行で運転され、当時は普通列車では日本最長距離を走る事で有名であった。それよりも旧型客車編成で何本もの優等列車に抜かれながら揺られる旅は、ある意味最高峰の贅沢であろう。)

先日、というより、実はこの記事を書いている時にとても興味を惹かれるTV番組が放送されていた。それは終電に乗り遅れた人に付いていき、その人のお宅にお邪魔する的な趣旨の番組であった。ただそれだけなら普通の番組であったのだが、その番組の最後では終電ではなく、移動販売に買い物に来た人のお宅にお邪魔するという内容になっていた。場所は確か鳥取県のとある町となっていたはずだ。そう、そこには我々がよく目にする長閑な田園風景があった。もちろん列車はやって来ないであろう。

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(通学途中の女学生たちをよそに、常識では解読不能な駅名標を撮影。そんな私は、ある意味職務質問されてもおかしくないかも知れない状況であったろうが、所持しているきっぷが「18」である以上、乗車できる列車が制限される中での旅の醍醐味を味わうのも良い。)

お宅にお邪魔したのは年配のご婦人であった。しかしながら喋り方もシャキシャキしていて「お宅にお邪魔してもいいですか?」の問いに、何の躊躇いもなく「ハイ、いいですよ」みたいな感じで即答していた。ここまでなら普通の番組であるが、私が興味を惹かれたのはこの先であった。家からは明治時代や大正時代と思われる家具や道具などが出てくるし、そのうちそのご婦人の祖母と思われる方のカタミや「50銭札」などの、いわゆる「古銭」が登場した。その道の人にとっては実にお宝的映像であったろう。そして私が一番胸を打たれたのが結婚話であった。

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(紹介している旅の道中で、計画では美祢線制覇も含まれていたが・・・当時はご覧の状況のため出発3日前に予定を変更。やはり列車でなければ意味がない!それよりも後日に復旧してくれたのが何よりだ。)

番組スタッフが「ご主人とはどういうふうに知り合ったのか」の問いに「結婚する日に初めて会った」と答えた。我々の世代はもちろん、若い世代の方は「おや?」と思うであろう。結婚する日に初めて会ったという事はそれまでは会ったことが無かったということであるが・・・そう、それは「親に決められた結婚」であったのだ。現在ではほとんど考えられない話ではあるが、その昔、結婚とは親に決められたものが、ある意味常識的な形で通っていたらしい。事実、私の義祖母もまさにそれであった。女性は主人の影で支える存在、夫を立てて妻は一歩後ろへ引く・・・それはまさに古くからある日本の情景そのものであった。

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(「偉大なるローカル線」にはこういった私好みの渋い駅が、特に出雲市以西には多く存在する。もっと昔に来ればまた違った雰囲気が味わえたろうと悔しい気持ちもあるが・・・)

そんなお宅の家業は農家である。農作業も全く若い者に引けを取らないくらいに元気に作業しているようだ。だが、そのお宅のご主人は2015年の5月に他界したという。幸せですか?の問いに「幸せです」と。続けて「お父さんと結婚して良かった」とも述べていた。親に決められた結婚であったが、最後まで「お父さんは優しかった」「幸せです」と語る姿は本当に幸せだったのであろうか、実に自然と優しい表情になっている。そして、失礼ながらその姿に刻み込まれたシワは、そのご婦人の「年輪」に見えた。そして多くの夫婦の絆的歴史が刻み込まれていることであろう。

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(これは余りにも有名処であるが「偉大なるローカル線」に所属してこそ、という価値観があるかも知れない。)

そんなご婦人が暮らす鳥取の田園風景は、やがて季節が来ると色づいた稲穂が力強く頭(こうべ)を垂れる事であろう。そして収穫されたお米の味は「職人技」とは違う、何か「心温まる匠の技」とでも言おうか、なんとなく「おふくろの味」的な感じであろうか。私が「偉大なるローカル線」に再び訪れる時、そんな事を考えながら景色を見ると、また違った「偉大なるローカル線」が楽しめるであろう。もちろん、この「偉大なるローカル線」だけに留まらず、日本全国、もっともっと色々なローカル線の楽しみ方を、これからも私の旅に加えていきたい。



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18の、18による、18のための旅⑥

その結果は・・・座席を選べるくらいの混雑様であった。2両編成のワンマンDCは、私がかつて見てきた「偉大なるローカル線」の姿ではなかったが、それでも国鉄時代のDCは当時を彷彿させるような感じであった。先頭の車両は5~6名の乗客がいたが、私の乗った2両目はハッキリ言って貸切である。ボックスシートを占領するのは当然であったが、それとは別にロングシートまで確保。「ひとり寝台列車」を楽しんだ。駅に着いてもワンマンのため先頭の車両しかドアが開閉しない。私の乗った車両は完全に密閉されたような空間であった。

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(萩市の中心地に近い東萩。文字通り玄関口であるが「東」を冠するのが気になる存在である。日本有数の観光地であるのに特急列車がやってこなくなって久しい。)

そんな中、この地区最大の、というより日本有数の観光地「萩」に着くが、玄関口となるのは隣の東萩である。さてここで貸切列車ともお別れか・・・初老のご婦人方のグループが挙って乗り込んでくるのだろうなぁなどと予想していた。ホームにはそれらしき人が数グループいた。だが・・・そのグループは列車に乗ってこなかった。そう、それは恐らく益田から特急列車に乗って新山口から新幹線に乗り換えるであろうと思われる乗客たちであったのだ。考えてみたら美祢線が不通である中、長門市から先に進み新下関から新幹線で帰郷する・・・とは考えにくいであろう。普通に考えたら新山口の方が「のぞみ」も停車するし、当然ながら選択される自然なコースだ。そんな事から、私の乗った列車の乗車率に増減は皆無であった。

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(そしてこちらが本家?の萩。実に昭和的な雰囲気が今でも残っているのが嬉しい。しかしながら特急列車は過去に停車した記憶が無い。)

とても長閑な時間が過ぎていく「偉大なるローカル線」。このまま時を止めてしまいたくらいの衝動に駆られる中、終点の長門市に着く。ここで一旦仙崎に行き折り返し「みすゞ潮彩」に乗り「偉大なるローカル線」最後の最終段階、ラストスパートに突入する。そんな「偉大なるローカル線」の末端区間にこんな列車が走っているなんて、なんというか時代も変わったものだ。普通列車に連結されている観光列車・・・なかなか粋ではないか。この「みすゞ潮彩」は、日本海の大海原が拝めるよう座席が海の方向に向けられている。なかなかいいアイデアであるが、イメージ的には伊豆急に運転されている「リゾート21」のような感じか。

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(仙崎への支線と美祢線を分岐する長門市。かつては特急列車も停車したが、今では当時より利用者が半減した印象である。割に華奢な駅舎が印象的。)

ただ、私の訪問した時は8月。昼下がりの長閑な観光列車は日本海の強烈な西陽が差し込むではないか。一応冷房は効いているが、その西陽が暖房効果を産み車内は複雑な温度設定になってしまう。そんな車内で飲み干す「プレミアムモルツ」はすぐに2本目、3本目と進んでしまう。しかも「18」で乗れてしまうのだから格別だ。各駅に停車するのに特急列車のように優雅に過ごせる一石二鳥の思いであった。

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(「みすゞ潮彩」は普通列車に連結される。ご覧の通り国鉄型車両の改造版であるが、車内はとても印象的であった。)

「18」でありながら観光列車に揺られ旅するのもいい。「偉大なるローカル線」の末端区間は最後まで偉大であった。この「みすゞ潮彩」は「観光」と「日常」が同居する異色の列車だ。連結部で仕切られているが「普通列車」の車両は学生諸君で満員御礼である。その情景を横目に「プレミアム」を頬張りながら日本海を眺めているのは実に申し訳ない気持ちであるが、意外にも地元民の利用も少なくない。この日も親子二人組が途中から乗車してきた。車掌が「こちらの車両は別料金が発生しますが」と説明すると、もちろん事前から承知の上で乗車してきたようで、素直に指定席料金を支払っていた。当然「観光」というよりは「座席確保」が目的であろうと思われるが、子供にとっては実に良いプレゼントになったのではないか。



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18の、18による、18のための旅⑤

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(出雲市で撮影した「アクアライナー」。とてもDCとは思えぬ軽快な走りっぷりに時代が変わったものだと驚いてしまった。確かセミクロスシートであった記憶である。そのため長い時間の乗車にもそれほど苦にならない事であろう。事実、私もそうだったし。)

江津から先も引き続き快速「アクアライナー」で軽快に進む。浜田は「偉大なるローカル線」では屈指の主要駅となるが、基本的に出雲市~幡生は輸送密度が落ちる。今でこそローカルではワンマンが当たり前の時代であるが、この区間は割と早い時期にワンマン運転が実現したような記憶がある。それでもこの区間のみならず「偉大なるローカル線」はほぼ全線に渡り1980年代は旧型客車による普通列車が主流の時代であった。今でこそ軽快なDCが運転される時代になったが、浜田を初め西の主要駅は昔とほとんど変わらぬ佇まいである。それは主要駅に限らず、その他の駅にも言える事。この「偉大なるローカル線」はそういう場所にも魅力を感じさせるのもひとつの要因でもある。

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(駅名標で申し訳ないが、国鉄⇒JRとして生まれ変わった浜田であるが、基本的に国鉄時代とあまり変わっていないと思う。もちろん時代と共に駅舎などのリニューアルなどはあろうが、なんというか、国鉄時代の名残があちこちに見られると思う。)

浜田と言えば、かつては東京から寝台特急が来ていた時代があった。そんな時代が懐かしく感じるが、そんな浜田もいつしか高速道路が開通し、鉄道の役割も半減以上になってしまった。それでもこの区間は昼間に特急列車はやってくる。まだまだ活躍して欲しいものであるが・・・
そして益田に到着する。今回紹介している旅ではこの先長門市まで進み、折り返し益田に戻り宿泊する予定であった。だが、残念ながら、この時美祢線が災害で不通になってしまっていたのだ。それを知ったのは旅行開始の3日前!急遽予定を変更して宿を新山口としたのであった。

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(またまた駅名標で申し訳ないが、ハッキリ言って普通列車同士で山口線との接続がいいとは言えない益田。益田以西では特急列車の運転がなくなるので、制覇する場合は自然と、というより必然的に普通列車となる。

新山口を7時22分の列車に乗り再び益田に着いたのが9時51分であった。益田では約2分の待ち合わせで更に「偉大なるローカル線」を長門市方面へ向かう。基本的に益田では山口線との接続があまりよくない印象であったし、それこそJR西にご意見をひとつふたつ投稿したいと常に思っていたが、今回は2分での乗り換えと、かなり極端に接続の良すぎる場面であった。果たして座席を確保できるのか・・・と、山口線の列車に揺られながらそのことばかりに気を取られていた。その結果は・・・



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18の、18による、18のための旅④

2007年にレールファン復活を遂げた私が西日本制覇を企てたのが2010年8月であった。そしてその行程で「偉大なるローカル線」を制覇する時がやってきた。既に先述通り、京都~出雲市間は制覇済みであったので今回は出雲市~幡生に射程を定めることになる。そしてそのスタートとなった駅は・・・江津であった。前日に三江線を制覇し、駅前にある小さな宿を素泊まりして迎えた朝は実に気持ちが良い。朝7時6分発の上り普通列車で、江津から通学する学生たちと一緒に「偉大なるローカル線」の乗客となる。特に女子群が目立って多かったが、途中駅で乗車してくる学生諸君もほぼ99%が仁万で下車。すっきりした車内はカジュアルな服装の乗客が99%を占めるようになった。ようやく沿線風景が見れるとボックスシートへ移動する。日本海・・・これは北陸地方でも山陰地方でも変わらない姿であったが、山陰地方で見るそれはなんとなく穏やかに見えたのは気のせいなのか・・・

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(出雲市以西は昔ながらの雰囲気を多く残すが、ここ江津もそのひとつ。三江線を分岐しているが、実際問題、いつ廃止されてもおかしくない典型的なローカル線である。というより、よく今の時代まで生き残っているものだなと思ってしまう。)

大田市などの主要駅を過ぎていくが、基本、車内にいる乗客の数は新陳代謝はあるもののそれほど変化は無かった。そして初めて見る「西出雲」へ。そう、ここはレールファンならお馴染みであろう車両基地が置かれている。確か伯備線電化に合わせて新設された記憶だ。当時は知井宮であったが、改称の理由として、恐らく特急列車などの方向幕などに行き先を表示する際の配慮であろう。だが、ここの役割は実に大きいと感じる。その役割を知井宮時代にも確認しておきたかったものだ。

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(西出雲はかつて知井宮と呼ばれたのは周知の通り。伯備線電化に合わせてここに車庫が置かれたが、いつしか駅名も改称されていた。)

さて、列車は出雲市に到着した。以前に訪問した時とは決定的に違う変化・・・そう、高架化され新しくなっていたのだ。この事はもちろん事前知識はあったが、いざ目の前にすると「浜松!」の印象であった。そして「一畑」も高架の仲間入りをしていたのがまた良い。その一畑に乗って松江方面へ制覇の旅へ向かった。
一畑制覇後再び出雲市に戻って改めて出雲市の様子を再確認してみた。駅全体がやや後退した印象で、かつて駅があった付近はロータリーなどに転換されている。駅的には合理的に機能していてとても「偉大なるローカル線」の駅とは思えない感じであった。

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(朝の時間帯の江津~仁万では学生の利用がほぼ90%以上を占めていた。仁万で一気に下車し空っぽになった列車は、役目を終えたかのような雰囲気で出雲市めがけて走り出した。)

出雲市から折り返し益田へ向かう。もちろん普通列車、いや「アクアライナー」なる快速列車である。もちろん「18」でも乗車出来るのである意味便利ではあるが、かつてのPC(客車)による運転は無くなってしまいいささか寂しさを否定できずにいる自分もいた。先ほど乗ってきたDCでは女学生(という言い方は古いかも知れないが・・・)が大半を占めていた車内では確認できなかった仁万~江津の景色もじっくり見れる。と言っても快速列車のため軽快にすっ飛ばして行くが・・・



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2015年のアップはこの記事で最終となります。年明けの2016年より引き続き「18の、18による、18のための旅」をお送りいたします。今年も「鉄道全線完全制覇の旅」をご贔屓いただきありがとうございました。また、来年もよろしくお願いいたします。

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18の、18による、18のための旅③

さて、この「偉大なるローカル線」の旅も、鉄道地図上では中間地点に、そして夜行普通列車「山陰」の旅においてはそろそろ下車の時間帯となってきた。米子に着くと乗客の入れ替わりが激しいし、いわゆる「同業者」と思われる私たちのような部外者も半分以上は消え去り通学や通勤と思われる地元の乗客が顔を出す。

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(2013年訪問時の米子にて。「偉大なるローカル線」の中でも指折りの主要駅であるが、松江・出雲市と高架化される中、ここ米子は高架化されるのであろうか。この写真の訪問時は朝7時半くらいで、ちょうど通勤通学時間帯であったが、首都圏のそれと違い、なんとなく長閑な時間が過ぎていったような気がした。)

米子といえば、2012年に「サンライズ」で通り過ぎたのが実に30年ぶりであった。その翌年には宿泊先として初めて下車したが、30年前の風景とほとんど変わっていなかった。福知山や後述する出雲市などはこの30年の間に高架化され機能的になった。私が初めて訪問した今回紹介している旅では既に鳥取と松江は高架化されていて、イメージ的には静岡や浜松みたいな感じであった。しかし静岡や浜松と決定的に違うのは、やってくる列車が旧型客車やDCである事だ。この高架駅に停泊する旧型客車は実にアンマッチ的に映るのは気のせいか?
そんな事を中学生なりに感じながら米子を去ると、高架化された松江を過ぎる。さすが県庁所在地の駅として利用者は多い。ここでも乗客が入れ替わる。そして「山陰」の下車駅である宍道に到着した。我々御一行はここから木次線に乗り岡山方面へ向かう予定だ。

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(これは1982年3月に訪問した時の宍道であるが、2013年訪問時にはホームが一本減っていた。5番線まであったのが3番線までで列車を処理できるほど列車本数が減少してしまったのか。だが、電化されてから30年以上経過し電車も運転されている。何とも複雑な現象であるが・・・)

宍道から先「偉大なるローカル線」の制覇は同じ年の8月であった。電化直後の伯備線で北上し、境線制覇後出雲市に向かった。そう、先ほど紹介した「山陰」の旅は伯備線電化前であった。つまり伯備線電化と同時に電化された伯耆大山~知井宮(現・西出雲)は非電化であったのだ。つまり私はこの区間は電化直前と直後に訪問した事になる。わずか5ヶ月の間に景色がすっかり変わってしまい、この区間には「東海道線」の車両が拝めるようになったのだ。「偉大なるローカル線」の初電化区間となった事で、ようやく近代化の波が押し寄せた印象であったが、まだまだ旧型客車が主役の時代でもあった。もちろん出雲市までは旧型客車となった。

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(こちらは1982年8月訪問時の出雲市である。ご覧の通り、まだ地上時代であったが、電車運転が始まりホームもカサ上げされややリニューアルしていた。そんなホームに旧型客車で降り立つと、何とも言えぬ違和感を覚えた。)

しかしここで事件が起こった。旧型客車のドアは、乗降時に自身が開閉する。つまりドアは手動なのだ。私は出雲市から折り返して上りの「山陰」で帰郷する予定であった。だが出発まで約1時間しかない・・・少しでも早く座席の確保をと思い列車が停車する直前にドアを開けホームに足をおいた瞬間に勢い余って「ひとりバックドロップ」を食らってしまったのだ!であったが、小学生時代には柔道の経験もあったため持ち前の受身の上手さでかすり傷ひとつ無かった!!だが・・・「いい旅チャレンジ20000km」用のカメラ・キャノンデミEEー28が本体の一部を強烈に打ち付けややくぼみが出来てしまったのであった・・・

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(2013年訪問時の出雲市。この時はここから「サンライズ」で帰郷したが、高架化に伴い駅全体がやや後退した印象であった。)

それからなんと28年の歳月が流れていた。レールファンを復活し鉄道全線を制覇する事を再び目標に掲げこの地に訪れたのが2010年8月であった。これから紹介する「偉大なるローカル線」の旅は、前回制覇した京都~出雲市の続きで「西日本全線制覇」をタイトルにした「18」による旅の途中であった。そう、この「偉大なるローカル線」は特急列車では味わえない魅力がある。普通列車で制覇してこそ!の意味が必ずどこかにあるはずだ。そんな魅力を探すために、私は再び狼煙(のろし)を上げる思いであった。


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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