川西国鉄前
2015-02-11
「能勢電鉄」と聞き、皆様はどういう印象をお持ちであろうか?特に若く新しいレールファンなら迷わず「阪急」のイメージであろうと思われる。ほとんど「阪急能勢線」と言っても過言ではないくらいに阪急カラーに染められた能勢電鉄であるが、私の場合は「川西国鉄前」のイメージが非常に大きい。小学校時代などに「私鉄全線全駅」等の書籍を通じてこの「川西国鉄前」のイメージが完全に植えつけられ、いつしか訪問してみたい気分であった。だが私が中学に入学すると廃止の噂が流れ、とうとう「その時」を迎えてしまった。

(画像ウィキぺディアより、川西国鉄前駅に停車中の能勢電鉄車両。営業最終日の様子らしいが、バックには橋上駅舎化された川西池田駅が見える。まさにここは「国鉄前」。)
そんな川西国鉄前は、実は妙見線の起点であった。しかしながら私の知る能勢電鉄は川西国鉄前~川西能勢口間を単行が往復するイメージであった。そして日生線が開通したものの「開発途上(と言うよりは衰退途上か?)」のイメージがかなりのウェートを占めていた。2012年7月、私は関西私鉄全線制覇を果たすために能勢電鉄の地に降り立った。事前にはわかっていたものの、かつてのイメージは全くない。まず川西能勢口であるが、完全に高架化されイメージを一新。川西国鉄前までの路線の廃止跡を使い西側に改札を設けた時期もあったが、現在は高架下に改札が移されスッキリした感がある。そして何より阪急と相互乗り入れが頻繁に行われ大阪方面へのアクセスが飛躍した事が最大の変化であろう。しかしながら近年は若干利用者が減少気味なのが気になる所だ。

(能勢電鉄で、川西能勢口を除くともっとも利用者が多い日生中央にて。私の場合、阪急の車両だとかなりイメージが狂うが日中は閑散とした雰囲気。)
そして能勢電鉄の「生命線」は日生線であろう。終点の「日生中央」はおそらく能勢電鉄で一番利用者がある駅である。1978年に開業した日生線は、こちらが「本線」と思うほど立派な設備となってる。それこそ「日本生命」が中心になり開発したこのニュータウンは「日生エクスプレス」がラッシュ時に運転されている事に象徴されている様に「生活」が常に営まれている印象であり、日生中央~川西能勢口は複線化されている。
そして隣の山下で妙見線と日生線が分岐するが、ここ山下にはCTCセンターがあり、全駅のポイントなどを遠隔操作している。


(能勢電鉄の運用的な中心駅、山下。3面4線のホームがあり、日生線と妙見線は川西能勢口方面でホームに入る手前で分岐する。)
と、ここまではかなりな都会的華やかなイメージであるが・・・山下から本来の「本線」である妙見線の末端区間になると景色が一転する。確かに山下付近まではだんだんと「それらしい」景色になるが、山下より先は単線になりそれこそ「箱根登山鉄道」とは言わないが、私たちのような「その道の人」の好むような景色に変身する。日生中央とは全く違う異次元の空間・・・古館伊知郎的に言えば「四次元」のような空間的匂いを醸し出す。その証拠に終点の妙見口の駅舎はおそらく開業当時とほぼ同じと思われるような空間は何とも素晴らしいではないか!阪急カラーの車両が全くマッチしていないように思えるのは私だけであろうか?

(昔の能勢電鉄のイメージを保つ妙見口。休日ともなればハイカーが多く訪問してきそうであるが・・・)
歴史を繙いてもかなりの変遷がある能勢電鉄。結果的に今回の訪問では川西池田まで足を伸ばしての廃線跡訪問はできなかったが、私のイメージは「川西国鉄前」に停泊するあの古めかしい車両がいる砂利が盛り上げられたホームが今でも頭の中に投影される。もちろん妙見線なども知っていたが、それよりも興味を引いた川西国鉄前駅。あの独特の雰囲気は、もし現在まで健在であったら「川西JR前」とでも改称されていたのであろうか?そして川西池田駅前にあの阪急車両が現れたのであろうか?私の能勢電鉄は今も変わらず活き続けている。

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(画像ウィキぺディアより、川西国鉄前駅に停車中の能勢電鉄車両。営業最終日の様子らしいが、バックには橋上駅舎化された川西池田駅が見える。まさにここは「国鉄前」。)
そんな川西国鉄前は、実は妙見線の起点であった。しかしながら私の知る能勢電鉄は川西国鉄前~川西能勢口間を単行が往復するイメージであった。そして日生線が開通したものの「開発途上(と言うよりは衰退途上か?)」のイメージがかなりのウェートを占めていた。2012年7月、私は関西私鉄全線制覇を果たすために能勢電鉄の地に降り立った。事前にはわかっていたものの、かつてのイメージは全くない。まず川西能勢口であるが、完全に高架化されイメージを一新。川西国鉄前までの路線の廃止跡を使い西側に改札を設けた時期もあったが、現在は高架下に改札が移されスッキリした感がある。そして何より阪急と相互乗り入れが頻繁に行われ大阪方面へのアクセスが飛躍した事が最大の変化であろう。しかしながら近年は若干利用者が減少気味なのが気になる所だ。

(能勢電鉄で、川西能勢口を除くともっとも利用者が多い日生中央にて。私の場合、阪急の車両だとかなりイメージが狂うが日中は閑散とした雰囲気。)
そして能勢電鉄の「生命線」は日生線であろう。終点の「日生中央」はおそらく能勢電鉄で一番利用者がある駅である。1978年に開業した日生線は、こちらが「本線」と思うほど立派な設備となってる。それこそ「日本生命」が中心になり開発したこのニュータウンは「日生エクスプレス」がラッシュ時に運転されている事に象徴されている様に「生活」が常に営まれている印象であり、日生中央~川西能勢口は複線化されている。
そして隣の山下で妙見線と日生線が分岐するが、ここ山下にはCTCセンターがあり、全駅のポイントなどを遠隔操作している。


(能勢電鉄の運用的な中心駅、山下。3面4線のホームがあり、日生線と妙見線は川西能勢口方面でホームに入る手前で分岐する。)
と、ここまではかなりな都会的華やかなイメージであるが・・・山下から本来の「本線」である妙見線の末端区間になると景色が一転する。確かに山下付近まではだんだんと「それらしい」景色になるが、山下より先は単線になりそれこそ「箱根登山鉄道」とは言わないが、私たちのような「その道の人」の好むような景色に変身する。日生中央とは全く違う異次元の空間・・・古館伊知郎的に言えば「四次元」のような空間的匂いを醸し出す。その証拠に終点の妙見口の駅舎はおそらく開業当時とほぼ同じと思われるような空間は何とも素晴らしいではないか!阪急カラーの車両が全くマッチしていないように思えるのは私だけであろうか?

(昔の能勢電鉄のイメージを保つ妙見口。休日ともなればハイカーが多く訪問してきそうであるが・・・)
歴史を繙いてもかなりの変遷がある能勢電鉄。結果的に今回の訪問では川西池田まで足を伸ばしての廃線跡訪問はできなかったが、私のイメージは「川西国鉄前」に停泊するあの古めかしい車両がいる砂利が盛り上げられたホームが今でも頭の中に投影される。もちろん妙見線なども知っていたが、それよりも興味を引いた川西国鉄前駅。あの独特の雰囲気は、もし現在まで健在であったら「川西JR前」とでも改称されていたのであろうか?そして川西池田駅前にあの阪急車両が現れたのであろうか?私の能勢電鉄は今も変わらず活き続けている。

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