姿なき挑戦者② 夜行普通列車ながさき(後編)

肥前山口で下り「ながさき」を乗り捨てた私は再び上り「ながさき」を拾う。そう、上りと下りを駆使し一泊の宿代を浮かすという荒業にでた。と言っても当時私は中学生。経済的制約の中何とかやりくりしなければならず、何度か旅の場数を踏んで得た知恵である。今考えればまだまだやれることはあったかも知れない。しかし当時、自身の経験や知識をフルに活かした結果である。いわば私の「総力」であった。
そんな思いを抱きながらセカンドコンタクトの「ながさき」に乗車。途中駅からの乗車のため座席はほぼ埋まっていたが、ポツリポツリと座席が空いているので暫しの休息時間を確保できた。
やがて、というより殆ど寝れないまま二日市に到着。ほんの数時間であるがセカンドコンタクトはこんなものであろう。
ただ、私は「ながさき」に乗りに来たのではなく、あくまで「鹿児島交通」の制覇が目的であったため、この「ながさき」は「手段」であった。今になってこの経験が大変貴重なものになるとは・・・

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(10系寝台の外観。懐かしさ満点である。)

さて、第三コンタクトは佐世保発の「ながさき」に乗る事だ。今回の「ながさき」は佐世保~門司なのでゆっくり寝れる。勿論寝る目的で乗車するにはもったいないが、途中駅で下車するわけでもないので(と言っても終点までの乗車ではないが)、気が楽である。そう思うとやはりいつの間にか記憶がなくなっているのだが・・・
松浦線で佐世保に着いたのが21時45分であるが「ながさき」の発車は翌0時30分である。なんと約3時間待ちであった。出発時間まで改札は無いので、小さな待合室で何をするわけでもなくただ只管待つのみであったが、今の私ならどうであろう・・・3時間もあったらインターネットで「吉田類の居酒屋放浪記」にでも出てきそうな居酒屋を予め検索し、和やなひと時を過ごしていたであろう。だが、当時は中学生。逆に味のある居酒屋などで過ごす中学生なんか、とても怖くて近寄れないであろう。まぁ、それ以前の問題であるが・・・

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(10系寝台は長崎行きに連結。青春18でも利用できればよかったのだが・・・)

などしているうちにとても長い時間が過ぎた頃、ようやく改札が始まった。佐世保発の「ながさき」は厳密には列車名は無い。強いて言えば4420レとでも言おうか。列車番号しか表現する術が無いが、早岐で列車番号が1420レに変更になる。これは長崎発の「ながさき」が早岐で併合するためだ。こちらは寝台車が一両連結されているため愛称が付いているのだ。しかも伝統ある大村線経由、つまり旧・長崎本線経由での運転であった。佐世保発は早岐でスイッチバックの形を取り方向転換する。

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(早岐にて。ここで「ながさき」の分割・併合が行われる。)

佐世保発の車両は確か3~4両編成くらいであったと思うが、乗客は殆どが長崎発に集中しており佐世保発はワンボックスで足を伸ばしても他に迷惑をかけないくらいの快適さである。そのためか、足こそ伸ばしていなかったが、気が付けば北九州の通勤時間帯の中を走っており、列車はほぼスーツ姿の乗客で埋め尽くされている。旧型客車にスーツ姿とはなんともアンマッチであるが、この「ながさき」もしっかりと自身の役割を果たしていた。そして通勤客と一緒に門司駅のホームに降りる・・・逆にアンマッチな中学生二人組。夜行普通列車の意味もあまりわからないまま乗車していたが、今となってはこの貴重な体験も、お金では買えない思い出となってしまった。もしふたたび「ながさき」が当時と同じ姿で運転されるとしたら、私はどのような気持ちで乗車するであろうか・・・

※写真は全て「maatan様」ご提供です。御協力ありがとうございました。




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姿なき挑戦者① 夜行普通列車「ながさき」(前編)

夜行列車には私もかなり思い入れがある。特に夜行普通列車に関しては「青春18きっぷ」がその存在を私に教えてくれた。1982年春・・・青春18がこの世に登場して以来、私の鉄道概念に革命が起きてしまった。普通列車のみで旅をする・・・これほど究極かつコアな旅は無いであろう。数々の要素が詰まっている素敵な旅・・・一般的な旅では味わえない風光明媚な情緒あふれる極限の旅。非日常的な旅する側が「日常」に入り込んで「非日常」を体験する・・・そんな旅ではないであろうか。

以前に紹介した「ながさき」は素晴らしい夜行普通列車であった。当時私は中学2年~3年にステップアップする春休みであったし、14歳位であるならば旅の情緒なども今の私ほど「触覚」が足りなかったであろう。しかしながら、振り返れば自慢ではないが私はいい旅をしてきた。今の私が当時の私を振り返っても羨ましい限りだ。そんな思いもあり、バックナンバーを引っ張り出してみた。少々お付き合いいただければ幸いである。

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(鳥栖にて。鳥栖といえば鉄道的には要衝的な存在であるが、現在は昔に比べ随分スッキリスリムになってしまった。)

夜行普通列車・・・「夜行」というジャンルは、私が最も好む空間である。特に私はブルートレイン世代であるから、かつては「2段ハネ」で感動していたわけだ。また、583系も異様な魅力であったが、特に寝台に変身したあの車内の雰囲気は何とも言えず夜行列車の「におい」みたいなものがあり、独特の空間でもあった。そんなブルトレ少年に、あるきっぷが普通夜行列車の存在を教えてくれた。それはご存じ「青春18」である。JRの普通列車や快速列車など、指定席券以外の別料金が発生しない列車に乗り降り自由の優れものだ。この切符が1982年春に登場以来、私は普通列車を駆使して全国を駆け巡った。宿はもちろん「普通列車」である。つまり普通列車でありながら夜行列車でもある列車に乗り込むのだ。青春18が登場した当初はこの普通夜行列車が全国各地に走っており、比較的予定が組みやすかった。ただ、私は基本「駅寝」を嫌う主義なので、当時は北陸や東北、北海道などは行かれなかったという、変な空白地帯が出来上がってしまった。それでも私はこの夜行普通列車をフルに使い1983年春にはとうとう九州に上陸してしまった。目的は鹿児島交通を訪問するためであったが、そんな中、九州にも普通夜行列車が存在し、これのお陰で非常に歩留り良く予定を組み立てられたのだ。
九州に存在した普通夜行列車「ながさき」は門司港~長崎・佐世保で運転されていて、長崎行は早岐より大村線経由となる。

今回、この「ながさき」の写真は「汽車旅悦楽館」を管理していらっしゃる「maatan」様に御協力いただいた。とても貴重な旅をなさっており、勉強になると同時に旅の楽しさが非常に心地よくダイレクトに伝わってくる。一見の価値「大」。
この場を借りまして、maatan様、本当に御協力ありがとうございます。心より感謝しております。

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(小倉駅にて。当時九州ではおなじみのED76が牽引だ。)

九州に存在していた普通夜行列車・・・それは「ながさき」といい、旧型客車で運転されており10系寝台車も連結されていたために愛称があった。運転区間は門司港~長崎・佐世保であるが、長崎行きは早岐で切り離され大村線経由で長崎に向かう。つまり旧・長崎本線経由で運転されている貴重な存在でもあったのだ。
そんな歴史ある列車を、私はいとも簡単に「宿泊施設」として利用していたのだから何とも失礼な・・・
私は「ながさき」に3度ほど乗車した。すべて1983年の春だが、最初は門司港から肥前山口まで、2回目は肥前山口から二日市まで、3回目は佐世保から門司までである。

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(長崎行き(発)は寝台車が連結されている。しかも10系客車だ!)

ということでまず「ながさき」とのファーストコンタクトは門司港駅からだ。青春18が登場以来、この「普通夜行列車」なる存在を初めて知ったわけであるが、気が付くと青春18で東京から九州まで来るという事を実践できるまでになっていた。東京で大垣夜行の座席を確保するのに2~3時間待つという知恵もついた。大垣夜行で東京を出た私が門司港に着いたのは「ながさき」の乗車にちょうどいい22時頃の時間帯である。つまり、東京から約23時間近く列車に揺られながら遥々九州までやって来たのだ。

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(「ながさき」の車内。旧型客車の運用で、乗り心地は決して「良い」とは言わないが「悪い」とは全く思わないのは私だけであろうか?)

さて「ながさき」の列車編成であるが、いわゆる「旧型客車」が10両くらいであったと思う。更に先述した寝台車も連結されており「夜行」という名にふさわしい。しかも10系客車である!残念ながら「18」では寝台車に乗車できなかったので私は座席の方でお世話になったが、途中の早岐で佐世保行きと長崎行きが分割されるため、寝台車は長崎行きに連結される。
門司港から乗車した私たちは「肥前山口」という、何とも中途半端な深夜の時間帯に下車する行程を立てた私だが、これには大きなマジックがあった。もう、お判りであろう・・・


写真は全て「maatan」様提供。

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姿なき挑戦者⑫ 夜行普通列車・はやたま(後編)

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(非電化区間の「はやたま」はこのような機関車が牽引していた。PHOTO:1980年代国鉄撮影日記

3時間ほどの時間、亀山で何をしていたか記憶にないが、少なくとも街を散策したりグルメスポットなどを訪問した記憶は間違っても無い!と自慢する事でもないが・・・
さて、私の乗せた列車は定刻に亀山を出発した。途中、一身田や津付近までは学生が乗車していていささか賑やかであったが、という私も当時は学生であったが、見た感じ野球部と思われるガタイの良い高校生ばかり集団で座席を占拠。私は当時中学生であったため若干身の危険を感じたが・・・
津や松阪あたりでは当然乗客の入れ替わりが激しいが、並走する近鉄のそれには及ばないものであろう。さりげなく長閑な時間が旧型客車の車内に繰り広げられていた。

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(10系寝台を連結するのは新宮~天王寺間。この区間のみ愛称「はやたま」が付く。PHOTO:1980年代国鉄撮影日記

新宮までは尾鷲か熊野市くらいしか区間を代表する駅が無い印象であるが、逆に私の好きな「地味な駅」が豊富に配置されている雰囲気のためいずれピックアップして訪問してみたい。もし実現すると・・・32~33年ぶりの訪問になる!なんだか新鮮だ。
とは言え、新宮に着く頃には既に夜の時間帯。実は新宮~天王寺間のみが寝台車を連結するため、亀山~新宮間は愛称は無く、新宮~天王寺間のみ「はやたま」として変身するのだ。更にここから天王寺までは電化区間となるため機関車の交換も行われる。もっと言ってしまえば亀山~新宮間は単なる「普通列車」の役割をしているに過ぎない。とは言え、亀山~天王寺を約12時間もかけて走るのだから・・・考えてみれば常識はずれの移動手段であろう。「18きっぷ」のシーズン以外に始発から終点まで利用する人はどれくらい存在したのであろうか。

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PHOTO:1980年代国鉄撮影日記

それはともかく、新宮では連結作業のため少々停車時間があった。私はすかさず入場券を購入するため小走りで駅舎に向かう。もちろん連結作業の写真などを収めたはずであるが・・・現在は所有していないので皆様に公開できないのが申し訳なく思う。
新宮を出ると主要駅が一気に増える。紀伊勝浦、串本、白浜、紀伊田辺、御坊・・・だが、私の乗車した列車がこの区間を通過するのは深夜の時間帯になる。これらの主要駅のみに停車する快速列車のような形で進行していくが、私は当時の記憶が全く無い。つまり「熟睡」していたのであろう。若干和歌山で目が覚めているが確か3時台。必要な部分のみ明かりが点いていて他は真っ暗な駅構内に人影はなかった。

寝台車にはどんな時間が過ぎているのであろう・・・10系客車の車内が凄く気にはなっていたが、天王寺に到着したのが朝5時丁度。寝台車で過ごすには少し物足りない気がするかも。この後、私は大阪環状線で大阪に抜けた。が、内回りか外回りか、乗車した列車を覚えていない。そんな事どうでもいいのだが、それより天王寺に旧型客車が停車している・・・10系寝台車が停車している・・・こんなアンマッチな姿、現在では全くお目にかかれない。

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PHOTO:1980年代国鉄撮影日記

この「はやたま」であるが、天王寺発の列車は満員御礼の大盛況であったと聞く。事実、晩年は客車から電車に変わり天王寺から新宮までに区間が短縮されたが新宮発天王寺行の列車設定はなかった。つまり片道のみの夜行列車に変身したのだ。だが寝台車の連結は廃止され愛称もなくなってしまった。そこまでして残したのはやはり若干ながら需要があったのであろう。もちろん現在その姿は無いが、客車列車であった頃の遠い記憶が思い出される。そう、昨日の事のように。

もう30年以上前の話であるが、先述通り私の場合は「30年くらい前」か「現在」しか旅の記録がない。バブル期の記録がほとんど無く、こういった古い話が度々このブログに登場する。私と同世代くらいの方は私のブログを観て「懐かしい」と感じられるであろう。反対に若い世代、特に平成生まれの方などは全くと言っていいほど私と同じ経験が無いためむしろ古すぎてわからないかも知れない。しかし、そのわからないかも知れない部分をなんとなく感じ取っていただき、そして何かを掴み取っていただければ幸いである。
以前にも述べたが、私はひとつでも多くの経験をしたい。そして自身が晩年を迎えた特「あの時こんな旅をしたなぁ」と懐かしみ、振り返れるような旅をしたい・・・

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(深夜の和歌山に到着。私の乗車時は確か3時台であった。主要駅もこの時間帯は昼間の賑やかさは無い。PHOTO:1980年代国鉄撮影日記)

人間は、何か新しいことをしようとする時「次回からやろう」とか「来年からはじめよう」とかやたらと理由をつけて後回しにする場合が多い気がする。それはそれでいいのだが、後回しにするとやらない場合が多い。だが、もし実行した場合「なんでもっと早くやらなかったのか?」と自問自答する。そう「やりたいな」と思ったら「今でしょう!」であろう。「いつかやろう」では人間はやることは少ない。「いつか」ではなく「やるなら今!」だと思う。思ったときに実行しなければ後にできなくなってしまうかも知れない。一歩踏み出す勇気。バンジージャンプのように、飛び込む前は怖いけど、飛び込んでしまえば「気持ちいい!!」かも知れない。
私の過去に経験してきた多くの旅は、結果論であるが現在はほぼ不可能な経験を多くしてきた。だからこれからも「今」を大事にして、そして今しかできない旅をこれからも積極的にしていきたい。そしてその一部でも皆様に紹介できたら、これは素晴らしい事であろう。


今回の「はやたま」の記事を書くにあたって「はやたま」の写真が全くと言っていいほど紛失し手元に無いため「1980年代国鉄撮影日記」の管理人様よりご協力いただきました。この記事のすべての写真は「1980年代国鉄撮影日記」よりの転用です。この場を借りまして、ご協力御礼申し上げます。



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姿なき挑戦者⑫ 夜行普通列車・はやたま(前編)

1982年・何も言えなくて・・・夏」でも紹介したが、紀勢本線を走る夜行普通列車「はやまた」に乗車した。2014年現在、夜行普通列車の定期列車は存在せず、臨時ながら快速として「ムーンライト」系が走るのみであるが、近年では普通列車どころかブルートレインという単語すら過去のものとなってしまう勢いである。
「夜行」という移動手段が鉄道からバスに変わりもう何年経ったのであろうか・・・私の乗った夜行列車は全て「遠い記憶」になろうとしている・・・いや、もうすでにそうなってしまったのかも知れない。
そんな記憶を再確認すべく、このブログに自身の記録を残していきたい・・・そんな思いで立ち上げたこのブログもすでに2年半が経過し、私の旅の記録もほとんどブログに記録したかなぁ・・・などと思っていたら、まだ半分にも満たなかった!
という事で今回は、重複してしまうが「はやたま」の旅を紹介してみよう。

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(既にこのブログで恐らく1万9千回くらい紹介しているが・・・関西本線の富田浜にて。1982年3月の電化直前である。電化前「はやたま」も名古屋~天王寺間の運転であったが電化後は亀山~天王寺に短縮された。写真は下り大垣夜行より名古屋で接続する関西本線の普通列車。)

かつて紀勢本線は普通列車がDCと旧型客車であった。もちろん非電化区間の話であるが、1982年5月までは関西本線の名古屋~亀山間も非電化であったため名古屋まで紀勢本線の普通列車が乗り入れたり、名古屋~亀山間の区間運転でも旧型客車が活躍していた・・・なんて現在では全く信じられない事である。同じく1982年5月に電化された同区間を、私は直前の3月と直後の8月に訪問している。直後の8月には、直前の3月には名古屋~天王寺までであった「はやたま」も直後の8月には亀山~天王寺に変更されていた。私は8月に乗車したのですでに「変更後」ということになるが、それでもこの夜行列車が廃止されずに運転されていることは半分奇跡のような思いもあった。

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今回乗車する「はやたま」は亀山発天王寺行きに乗る。かつて寝台特急「紀伊」はここ亀山でスイッチバックしていた。

そんな思いを秘めた列車に揺られるため、私は名古屋から13時丁度発の新鋭113系に乗車。前回の3月には「大垣夜行」から乗り換えた旧型客車に揺られ移動したのが信じられない感じであった名古屋~亀山間。ようやくスピードアップが一歩ながら前進した感があったが、並走する近鉄には全く足元にも及ばない・・・ということを否定できなかった。が、ほんの1センチ、や1ミリの前進かもしれないが、この国鉄(当時)の英断に拍手を送りたい。あとは複線区間の増設か・・・

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亀山駅の待合室に無造作に置かれていたサボ。もちろん「はやたま用」であろうが・・・若干治安的に不安がないのか?

亀山に着いたのは14時6分。少しは所要時間を短縮できたか。そして亀山からいよいよ「はやたま」に乗車するが・・・発車時間は17時21分。なんと約3時間待ちだ!なぜこんなに待ち時間があるのかという事は既に「何も言えなくて・・・」でも紹介しているが、夜行普通列車は指定席が無い。そのため座席確保のために順番待ちの列を作らなければならなかったのだ。だが、当時の上り夜行普通列車は始発駅の出発時間が早い。この列車もご覧のように17時台の出発だ。そのため席はある程度埋まっていても短距離客が多いため必ずどこかの席が空く・・・という知識を、数多くの旅を経験する事で得た。が、その経験するまでの当時はわからない。そのためこのような待ち時間ができてしまったわけであるが・・・結果的に3時間という時間は無駄になってしまったようだ。というより乗車率的に20パーセントくらいで余裕で席を選べる。乗る側は最高にいい気分であるが、経営者側は頭の痛い課題であろう。現在の紀勢本線の普通列車は2両くらいの編成と思われるが、当時の普通列車、特に私の乗車した「はやたま」は確か6両くらいだと思った。そのため嫌でも座席の余裕が出来てくる。それが事前にわかっていればもっと違った行程が組めたろうが・・・



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姿なき挑戦者⑦ 上越夜行733M(後編)

上野駅を22時10分に発車した733Mは、尾久・赤羽・浦和・大宮に停車し、長岡までは井野・上牧・岩原スキー場前・八色を通過する。つまりそれ以外の駅は全て停車するという、本当に「各駅停車」並みの夜行列車であった。しかも高崎の39分と新前橋の42分の停車時間以外は軒並み30秒~1分停車で、水上でさえ4分停車という、普通に「普通列車」仕様の運転である!途中、高崎では寝台急行「天の川」に道を譲るという、何ともドラマチックな夜行列車であった。

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(「ムーンライト」に変身し、一時期165系で運転されたこともあった。しかしシートは改造されリクライニング式に。昔の165系のイメージは無く、実に快適に。画像はウィキぺディアより。)

当然「青春18」の為、入場券は高崎・新前橋ではしっかりゲット。私は1982年に乗車の際に購入済の為席からびくともしなかったが、他のメンバーは深夜というのに忙しい。後輩たちは仲間と深夜の移動など、初めてなのか、異常にハイテンションである中、私は当時からファンになりかけていたあの「E.YA〇AWA」を友達から借りた「ウォークマン」で聞きながら仮眠していた。それを見た同行の教諭が「へー、矢沢だってよッ」みたいな事を言いながら、意味ありげな視線を私に送っていた。
そして、上越線ということは、もちろん水上を過ぎるとあの「土合」も停車する。しかしここで「事件」は起こってしまった・・・後輩のひとりがこの土合駅でトイレに行きたかったのか駅名表を撮影したかったのかは定かでないが、何とも常識はずれの理由でこの土合駅に降りてしまったのだ!そして列車は彼を残し出発してしまう・・・このことは後から教諭が気付き、折り返して土合方面に向かったが、我々はもう一人の「ゲスト教諭」と共に予定通りに行動。団体の秩序を乱すことなく赤谷線へと目指すのであった。

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(目指す赤谷線は、確か私の訪問後まもなく廃止となった。新発田駅で撮影。)

そんな事があったが、全く他のメンバーは動じることなく仮眠していると終点の長岡に近付いた。宮内では信越本線と複線同士で合流するため構内が広く、配線が複雑だ。
そして4時45分終点の長岡に到着。ここで信越線の5時15分発に乗り換え新潟目指す。が、行方不明の後輩を迎えに、ここ長岡で一部の教諭は土合方面の列車に乗り換える。結局確か新潟辺りで合流することができた。つまり新幹線で我々に追いついたことになるが、新幹線開通後でよかったねぇという思いがいっぱいだ。やはり後輩は土合で下車したらしく、すぐにドアが閉まってしまったのでどうして良いかわからず、ホームのベンチで泣いていたそうだ!これを聞いて私は若干ショックを隠し切れなかった・・・カリソメにも「中学生」だ。わからなければ「調べる」「駅員等にに聞く」などという行動ができたはずだ(もちろん時間帯にもよるが)。その他いろいろなアクションが取れるであろう。携帯電話など無い時代に探し当てた教諭も大したものだが、私はこの出来事が非常に残念でならなかった。

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(参加メンバーと一緒に。上の写真の赤い服は「鉄道研究クラブ」の顧問の教諭。下の写真でその位置にいるのが私である。新発田駅にて。)

と言っても「卒業生」の身。私は黙って見守るしかなかったが、結局予定通りみんなで赤谷線を制覇する事が出来た。一応参加したメンバーで集合写真を撮影したが、肖像権の関係上、画像に若干細工させていただいた。なんだか心霊写真の紹介みたいになってしまったが、恐らくそのような「物体」は写り込んでいないと思う・・・数えて全メンバー12人!なんと3ボックス分だ。

考えてみれば、この頃私は随分と旅慣れた感じがし「貫禄」みたいなものを醸し出している事をこの写真を見て感じた。既にこのメンバーの中では「ベテラン」の域に達していた。思えば単独で周遊券を使い「東北一周」などの経験などをしたからかも知れない。それが今になってまた同じ事をしているとは、何とも言えない鉄道の「奥深さ」というのを、この写真を見て感じ取ることができた。

全く私事であるが、この時から既に30年経過しているが、当時私が顧問の教諭に貸したRJ社の鉄道誌数冊の返却が未だに無い・・・


☆実は先日、約30年振りに当時の「後輩」との接触に成功した!「土合で下車した」奇怪な行動の真相が判明。「続きを読む」をクリックすると詳細が記されているので興味を持たれた方は是非クリックを。

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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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