高山本線駅名標コレクション③
2015-08-31






(中川辺)
(古井)




(蘇原)
(那加)


といった具合に高山本線の旅は終わった。だが、今回のこうした旅は「「18」でなければほぼ不可能であろう。そんな旅を実現させてくれる「18」はとても素晴らしいきっぷであると思う。有名な観光地や展望台へ行って観光気分になるのもいいが、中にはこうした旅もあるよ!という部分が少しでも一般に理解していただけると若干嬉しい気もするが・・・

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高山本線駅名標コレクション①
2015-08-21
北陸新幹線開通により何かと話題の北陸地方。私的にはほとぼりが冷めた頃にでも出向こうかなという計画があるが、いずれ気分次第で行くこともあろう。
それより、今回のテーマである「高山本線の全駅名票撮影」であるが、ご覧の通り早速欠落が出てしまていった。だが、一応チャレンジしたガッツだけも確認していただければ幸いである。
一応カッコ内の駅は欠落した駅名標である。が、いずれの機会に再訪を試みたい。


(婦中鵜坂駅)



(東八尾)

(楡原駅)


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それより、今回のテーマである「高山本線の全駅名票撮影」であるが、ご覧の通り早速欠落が出てしまていった。だが、一応チャレンジしたガッツだけも確認していただければ幸いである。
一応カッコ内の駅は欠落した駅名標である。が、いずれの機会に再訪を試みたい。


(婦中鵜坂駅)



(東八尾)

(楡原駅)


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高山本線を普通列車で制覇する事になったので、いっその事、全駅名票を撮影しようと思ってしまったが・・・③
2015-08-17
その才能とは・・・なんと、24枚取りのフィルムを48枚で撮影できるという、夢の「ハイブリッド」的なフィルム節約型カメラであったのだ。1967年に発売されたらしいカメラであるが、もちろんアナログでフィルムを使用する。そのフィルムに半分のサイズで画像を収める仕組みになっていた。当時、まだまだフィルムというのは高価なものであったらしい。そのためこういったカメラに人気が集まったわけであるが、時代とともにフィルムも廉価なモノへとなっていき、そういったカメラの価値もだんだん薄れていったらしい。そのようなカメラを2008年に再び使用したのだから、これはギネスものであろう!もちろん駅名標を撮影するのに高山本線の駅数を考えた場合、この能力は有効になる。全て計算尽くされた行動であったのだ!!


(これがキャノンdemi EE-28である。フィルムが倍で使用できるスグレモノ。24枚撮りフィルムだと48枚の撮影が可能である。ちなみに私は現在も所有しているが、流石に撮影機能が失われてしまった。まずフィルムの巻きができない。そしてシャッターが切れないなど致命的な故障をしている。修理に出したいのだが・・・)
と声を大にして言ってしまったが、それよりも「デジタルを買えよ」という結論の方が正解であったろう。既に私のようなアナログを使用している人間はほとんど皆無に等しかった。というより、そんな時代によくフィルムがまだ販売されていたんものだと、逆に感心してしまう。ところで2015年現在、どうなのであろうか。そんなアナログ的な旅をしていた当時の私は、この高山本線をそういう意味で制覇するのは実に大きい出来事であった。と、鉄道を主体とするブログであるのにこんなにもカメラの話題でスペースを裂いてしまった・・・だが、そんな思い出のカメラとともに再び旅ができる喜びもまた大きい出来事であった。

(1980年代に活躍した「北アルプス」。一見キハ80に見えるが、実は名鉄所属の高山本線乗り入れ専用車両である。当時は神宮前~飛騨古川の定期運転であった。画像はウィキペディアより。)
さて、列車はひたすら岐阜を目指すわけであるが、実は私の乗車した列車途中の美濃太田止まりである。確か太多線から来る列車に乗り換えなければいけなかった。太多線から来る車両は「国鉄」であった。日本国有鉄道・・・かつては我々が支払う「税金」で動いていた鉄道であるが、時代の流れとともに民営化され現在に至っているのは周知の通り。ひとくちに国鉄というが、私が最も感受性が高い時代に終焉迎えた組織であるので思い入れもかなりある。そんな税金で運営されていた組織であるが、現在は経営方式こそ変化したもののエッセンス的にな部分はかつてから引き継がれ今も「国鉄」「昭和」を感じさせる部分が多い。高山本線は、そんなかつての姿を彷彿させるような、なんというか、素敵な鉄道路線であった。残念ながら名鉄と高山本線をつなぐ短絡線はなくなっていたが、それでもあの「北アルプス」の勇姿が今も蘇ってくるような・・・そんな車窓を今でも提供してくれる貴重な存在である。

(そして晩年の北アルプス。現在は野岩鉄道・会津鉄道で活躍している「マウントエクスプレス」である。鵜沼付近で短絡線を通り名鉄~国鉄・JRの乗り入れを果たしていたが、現在そのレールは撤去されてしまった。画像はウィキペディアより。)
かつては電化も計画されていたが、車両の性能を上げることで限りなく電化に近い形でスピードアップに成功した。だが、やはり時代の変化はこの高山本線も同じであり、ライバルの「高速」が併走する。であるが、私自身の今回の高山本線は実にアナログ的に、そして昭和的に進行していった。古き良き・・・恐らく駅を下車したら更に多くの昭和を感じる事が出来るであろう。岐阜に着く頃には既にそんな構想が頭の中を巡っていた。
そんなわけで、次章では「駅名標」に拘って紹介してみよう。

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(これがキャノンdemi EE-28である。フィルムが倍で使用できるスグレモノ。24枚撮りフィルムだと48枚の撮影が可能である。ちなみに私は現在も所有しているが、流石に撮影機能が失われてしまった。まずフィルムの巻きができない。そしてシャッターが切れないなど致命的な故障をしている。修理に出したいのだが・・・)
と声を大にして言ってしまったが、それよりも「デジタルを買えよ」という結論の方が正解であったろう。既に私のようなアナログを使用している人間はほとんど皆無に等しかった。というより、そんな時代によくフィルムがまだ販売されていたんものだと、逆に感心してしまう。ところで2015年現在、どうなのであろうか。そんなアナログ的な旅をしていた当時の私は、この高山本線をそういう意味で制覇するのは実に大きい出来事であった。と、鉄道を主体とするブログであるのにこんなにもカメラの話題でスペースを裂いてしまった・・・だが、そんな思い出のカメラとともに再び旅ができる喜びもまた大きい出来事であった。

(1980年代に活躍した「北アルプス」。一見キハ80に見えるが、実は名鉄所属の高山本線乗り入れ専用車両である。当時は神宮前~飛騨古川の定期運転であった。画像はウィキペディアより。)
さて、列車はひたすら岐阜を目指すわけであるが、実は私の乗車した列車途中の美濃太田止まりである。確か太多線から来る列車に乗り換えなければいけなかった。太多線から来る車両は「国鉄」であった。日本国有鉄道・・・かつては我々が支払う「税金」で動いていた鉄道であるが、時代の流れとともに民営化され現在に至っているのは周知の通り。ひとくちに国鉄というが、私が最も感受性が高い時代に終焉迎えた組織であるので思い入れもかなりある。そんな税金で運営されていた組織であるが、現在は経営方式こそ変化したもののエッセンス的にな部分はかつてから引き継がれ今も「国鉄」「昭和」を感じさせる部分が多い。高山本線は、そんなかつての姿を彷彿させるような、なんというか、素敵な鉄道路線であった。残念ながら名鉄と高山本線をつなぐ短絡線はなくなっていたが、それでもあの「北アルプス」の勇姿が今も蘇ってくるような・・・そんな車窓を今でも提供してくれる貴重な存在である。

(そして晩年の北アルプス。現在は野岩鉄道・会津鉄道で活躍している「マウントエクスプレス」である。鵜沼付近で短絡線を通り名鉄~国鉄・JRの乗り入れを果たしていたが、現在そのレールは撤去されてしまった。画像はウィキペディアより。)
かつては電化も計画されていたが、車両の性能を上げることで限りなく電化に近い形でスピードアップに成功した。だが、やはり時代の変化はこの高山本線も同じであり、ライバルの「高速」が併走する。であるが、私自身の今回の高山本線は実にアナログ的に、そして昭和的に進行していった。古き良き・・・恐らく駅を下車したら更に多くの昭和を感じる事が出来るであろう。岐阜に着く頃には既にそんな構想が頭の中を巡っていた。
そんなわけで、次章では「駅名標」に拘って紹介してみよう。

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高山本線を普通列車で制覇する事になったので、いっその事、全駅名票を撮影しようと思ってしまったが・・・②
2015-08-13

(猪谷にての一枚であるが・・・既に過去のものとなってしまった交通機関の乗換案内が未だに残っていた。)
猪谷を出ると早速山深くなってきた、というより猪谷に着く前から既に山深い状況であった。杉原や打保など私の好きな地味的駅が続くが、やはり最初の代表駅となるのは飛騨古川であろう。やはり観光の街・飛騨を代表する駅として堂々としていた。とは言うものの、私は素通り・・・残念であるが、次の高山では停車時間がかなりあるのでそちらで駅前だけでも「観光」してみることにした。

(猪谷にて、こちらはJR東海の車両。猪谷ではJRの境界駅となっているので乗り換えが発生する。だが、島式ホームのため乗り換えには階段を使わずに済む。)
さて、高山に着いた列車であるが、もちろんホームは観光客でいっぱいであった。だが・・・私の乗った列車は本屋側のホームではなく本屋から離れている島式ホームに停車した。もちろん普通列車であるから当然ではあるが、なんと乗客の入れ替わりがほぼ皆無であった。乗ってこなければ降りる客もいない。本屋側のホームの賑わいは「対岸の・・・」的な出来事であったのだ。停車時間的に確か10分以上あったので駅舎に行ってみた。何しろ若い女性が多い!これは、個人的には実に嬉しいことであるが、というよりこういった光景は実に活性化に繋がるであろう。まだまだ高山は日本を代表する観光地であるのだ。それより・・・私の場合は島式ホームの隣にある数多くの側線の方が気になって仕方がない。やはり山の中とはいえ、中心的な存在の高山は列車の留置などに多くの側線が必要なのだろう事は自然とわかる事だ。私の知っている頃と比べたら車両の変更などで、そういった意味での風景は変わっているが、基本的に昔のままの状態を保っているであろう。まだまだ昭和の感覚を感じる事ができる・・・などと考えているのは、当時、高山駅にいた不特定多数の乗客たちの中でも私だけだったであろう(多分)。


(少々停車時間があったので外に出てみた高山駅。特に女性グループの観光客が目立っていた。とは言え「国鉄」の風情が未だに健在。)
ところで、タイトルにある様に「ある事」に挑戦してみた。今回の旅ではそんな遊び心を取り入れてみたが、実際のところどうであったのか?この記事をパソコン画面で文章にしている時点では正確な集計と確認が取れていない。だが、ひたすら駅名標にこだわり、駅名標に向かってひたすらシャッターを切っていたカメラであるが、実は「アナログ」を使用していた。当時はデジタルを所有していなかったが、なんというか、私が1980年代にひたすら我武者羅に鉄道に夢中だった時代をもう一度取り戻そう!という思いも強かったからだ。という事と、私が幼少時代に使っていた「バカチョン」がまだまだ調子良かったので、1980年代に使用していた「キャノンAE-1プログラム」と併せて旅先に持っていったのだ。そのバカチョンとは・・・キャノンDemi EE-28といい、実に優れた才能を持つカメラであった。そのカメラの優れた才能とは・・・

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