熊にあったらどうするか⑮ 南大夕張
2015-01-15

ご存知、南大夕張と言えば石炭列車の走っていた鉄道路線である。1983年10月に私は夕張線へ、というより北海道初訪問したというのにこの「三菱」には乗車出来ずじまいであった・・・今思えば勿体無い事をしてしまったが、当時中学生であった私は、そこまでの価値観などあまりわからなかったため見事にスルー!というより「いい旅チャレンジ20000km」に夢中で国鉄以外の乗車はあまり視野に入れてなかったため現在になって後悔が・・・
とは言え、2014年現在、保存組織のお陰で南大夕張駅のホームや三菱にの車両が静態保存されている。清水沢から車で10分くらいで到着する距離であるが、この距離に走る鉄道路線には数多くのドラマが展開されていた。石炭輸送という大きな役割を担い活躍した鉄道路線も、晩年はエネルギー革命とともにその役割を終え、そしてモータリゼーションという時代の波も加わって典型的な鉄道路線廃止のドラマが展開された。
1987年に廃止されて既に27年(2014年現在)の月日が流れたが、駅や車両の保存状態は大変良く、保存組織の努力の結集が手に取れるようにわかる。
現役時代は更に大夕張炭山までレールが延びていたが、私の知る限りでは晩年の姿しか記憶にない。途中駅の遠幌は、私が今回訪問した時には確認できなかったが、コロタン文庫の「私鉄駅名全百科」で現役時代の駅舎を見る限り、もしタイムマシンが存在するならばドラえもんに借りてでも今すぐに伺いたい気持ちだ。
いずれにしても、現役時代の姿が今も確認できるのが嬉しい南大夕張駅跡。シューパロ湖にも近く、ある意味観光気分も味わえる。廃線跡訪問と併せて夕張の大自然が堪能出来る事であろう。

清水沢より南大夕張に向かう。かつては石炭で栄えた夕張であるが、南大夕張へはご覧のような大自然の道を行く。冬季であるとどのような景色が展開されていることであろうか。

そして旧・南大夕張駅に到着。入口にはご覧の看板がお出迎えする。「駅前広場」は意外に広く、観光バス数十台でも全然OKなくらいの広さだ。








往年のホームが残っている。屋根も当時のままであろう。なかなかの味を醸し出しているが、やはり現役時代に訪問してみたかった。ドラえも~ん!







そしてこちらが気になる車両。当然ながら旧型客車は昭和の匂いが満載!本当に現役時代に来たかった!というより来ているのだから予定を変更して乗れよ!と自分で自分にクレームつけたくなる。








客車内に侵入。というより無料で、しかも管理人などいなくて開放。フリーに出入りできるのは嬉しい。



そして貨車も現存。かつては文字通り「セキ」の長編成が活躍していた事であろう。

ホームの先には大夕張炭山への道のりが・・・シューパロ湖へもこの列車で行けたのか・・・あと10年早く生まれていれば・・・とは言うものの、親に「もっとロマンスを早めてくれれば」とは言えないし・・・

そしてこんなものも。多客期には事務所とかに変身するのであろうか?

ちょっと解りづらいが・・・北海道は冬季における自然の営みと共に私が最も恐れている者とも戦っている。こういう場所で命懸けで生活している。

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熊に逢ったらどうするか⑪ 中湧別
2014-09-05

2014年現在もこの駅名標が残っているとは!しかも保存状態が良い。
「熊に逢ったら~」と題しておきながら熊とはほとんど縁がない場所を紹介している部分もあるので少々お許しいただきたいが・・・この中湧別も熊事情についてはほぼ皆無と考えてよさそうだ。
というのも、周知の通りここは現在「道の駅」として活躍する一方「スーパー銭湯」的な役割もしており地域の憩いの場ともなっている。そんな憩いの場にある旧・中湧別駅であるが、現在も道の駅と一緒に「鉄道の駅」も残されている。勿論列車はやってこないが貨物列車などが静態保存されており、かつての盛栄が確認できるのが嬉しい。私はここ中湧別への訪問は現役時代にはとうとう果たせなかったが、計画段階では何度となく登場し頭を悩ませたものだ。というのも、ここから湧別までの支線が出ていたのだが、その列車設定は1日2往復!朝と晩しか列車がないため自然とこの駅の訪問がその時間帯になってしまう。その2往復の支線は勿論、本線も、そして分岐していた湧網線も今はない。四方八方に分岐していた時代が嘘のように現在の中湧別駅は地図上では鉄道路線の無い空白地帯になってしまった。
しかしながら現在もかなりかつての姿を留めており、廃線跡訪問ビギナーでも気軽に訪問できるので是非機会を作っていただくといいと思う。
そして今回も現役時代の写真を、相互リンクさせていただいている「プラットホームの旅」の管理人様よりご協力いただいた。この場を借りてお礼を申し上げます。







この7枚は「プラットホームの旅」よりご協力いただいた。私からの説明は不要であろう。当時の国鉄の様子がしっかりと描かれている。

そしてご存知、これが現在の姿。「かみゆうべつ温泉・チューリップの湯」という「駅名」に変化した。勿論鉄道ではなく道の駅。





















これで伝わるであろうか?現在の中湧別の姿である。かつてと比べてみても、例えば跨線橋などはほぼ当時のままの姿でいてくれるのが嬉しい。ちなみに下2枚は保存車両の中であるが、展示物がほとんどなく寂しい雰囲気であった。


こちらは湧別へ向かう鉄路であった跡地。真っ直ぐに伸びる道路は途中に「四号線」という仮乗降場があり、一度は行ってみたいと思ったものだ。そして名寄本線と湧網線が左右に分かれていくのもここ、中湧別だ。ちなみに現在の湧別駅跡は郵便局になっていると聞いている。

中湧別の探索を終え「次」に向かう際に中湧別を振り返ってみた。かなり広々とした空間であった。
この後湧網線方面を経由して北見に向かった。かなりの原型で駅が保存されていたのは嬉しかった。ただ、現役時代に列車で訪問できなかったのがかなりの心残りであった。1980年代、私は「いい旅チャレンジ20000km」に挑戦し全国を駆け巡っていた。この頃にレールファンを休業しなければ間違えなく現役時代に訪問していたことであろう。ただ、確かに現役時代にこの駅に限らず全国の「廃止路線」を始め多くの路線や駅について私は訪問できなかったことについて悔しい思いをしてはいるが後悔はない。そして現在もこうしてレールファンを再開しているがやや遠回りしたのかも知れない。しかしその遠回りした分いろいろな出来事や出会いがあったはずだ。もし遠回りしなかったとしたらその出会えるものや出来事にも出会えなかったかも知れない。そう考えると23年近くレールファンを休業していた「遠回り」も無駄ではなかったなと思う。そして現在、私のこのブログを、レールファンを始め多くの方々がご覧になって頂いていることは実に嬉しい事でもある。そんな思いで中湧別を振り返って眺めてみたら、なぜか私には中湧別駅が「青春の握り拳」をしているように思えた。それって「ムーンサルト」の前兆か・・・

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