熊に逢ったら「番外編」 ~夕張線各駅巡り~⑥ 清水沢

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ここ清水沢ほど「昔、栄えてました!」ということが伝わってくるわかりやすい駅は、この夕張線の中で随一であろう。沢山の側線が張り巡らされており、長い跨線橋や島式ホームの木造の屋根、そしてあの伝説の「三菱」を分岐する・・・全てが過去のものとなってしまった。現在は必要最低限の設備が残り、島式ホームも片側はレールが剥がされ駅舎からホームへ伝う通路が新たに新設されたものの実に簡素なものだ。そして駅舎側に若干面影が残る「三菱」のホームは完全に「古墳」となってた。
私は現役時代の「三菱」に訪問することができなかったが、全盛時代が残る清水沢駅の初訪は1983年である。このことは何度となくお伝えしているが、今思えば「三菱」を前に乗車できなかったのは悔やまれる。しかし列車から清水沢の駅を窓越しに眺め駅舎の接する三菱側のホームに感動を覚えたのを記憶している。当時は中学生であったが、10月の北海道への一人旅はなかなか独特なものがあった。もし現在「当時と同じ条件で同じ旅をしろ」と言われたら、私は二つ返事で出かけるであろう。やはり当時は中学生であったので今よりは感覚が全く「別物」であるのは当然であるが、今の感性で当時へタイムスリップしたらどんな印象を受けるであろう。
団塊世代の方々は、この「夕張」という街の変貌ぶりをどう感じているのであろう。全国各地で衰退していく町は少なくないが、特にここ夕張は何か特別なものを感じるものがあると思うのは私だけであろうか。


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国道から旧道と思われる並行する道路に入っていくと清水沢駅前に出る。一旦踏切を渡り国道の反対側に出る形になる。


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昔の面影たっぷりの駅舎。石炭の時代を彷彿させる造りであるが、利用者が減少を続けている。


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駅舎横には広い空間があった。この空間より跨線橋へ繋がっていたが、その跨線橋も現在は無い。


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ホームに出てみる。かつての「三菱」は全く「古墳」になってしまった。駅舎に接するホームがかつての「三菱」であった。そして跨線橋を渡り島式ホームへと向かう構造であったが、現在は跨線橋を使わずにダイレクトでホームへ。


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インターネットなどでもご覧になった方もおられるであろうこの風景。現在はホームの屋根もない。実にシンプルになってしまった。メンテナンスする側にとってはかなりの作業削減になったであろうが、実に寂しい姿になってしまった。


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跨線橋はなくなってしまったが、代わりに歩道橋が出現した。上記の写真もこの歩道橋からの撮影である。


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その歩道橋から見た駅舎。かつての「三菱」の面影はほとんど無いに等しい。


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清水沢駅前一等地の現在。寂しさを否定でいないが、まだまだ活躍して欲しいのは正直なところである。



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熊に逢ったら「番外編」 ~夕張線各駅巡り~⑤ 沼ノ沢

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新夕張の次の駅・・・夕張線の中ではかなり地味な存在であろうこの沼ノ沢であるが、かつては現在の姿からは想像できないくらい派手であった。1983年に初訪の時は構内にかなりの側線があり「石炭の駅」として栄えていた面影がしっかりと残っていた。そして炭鉱への専用線も分岐していたが、それらは全て現在は無い。完全に棒線化されてしまって全くかつての盛隆が伝わってこない。

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(これが沼ノ沢駅の駅舎。ご覧の通り、駅舎内には飲食店が同居している。次回訪問時は是非立ち寄ってみたい。)

全く変わってしまった沼ノ沢であるが、駅舎内には飲食店が入居している。私は事前調査をしていなかったため現場に言って初めて知ったので驚いた。なんとなく「オーチャードグラス」や「停車場」を思い出させる風景であるが、次回訪問時は是非試してみたいと思う。ということは今回は入店する事ができなかったが、なかなか素敵な趣きであった。

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(待合室直結の飲食店。JRの方は勿論駅員無配置であるのでこの飲食店の存在は大きい。)

さて、現在の沼ノ沢は先述の通り棒線化され「管理する側」にとってみれば以前より作業が減ってさぞかし合理化されたことであろう。しかし私にとってみたらその姿は寂しさしか伝わってこなかった。しかしこれが日本のエネルギー事情の現実であった。

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(かつては2面2線でかなりの側線を有していた。私が1983年に訪問した時は勿論2面2線であったが、31年ぶりに訪問した2014年では駅舎に接するホームと島式ホームの間は「陸続き」となってしまった。しっかり手入れされている花壇を見ると、何だか四国にある「下灘」を思い出す。そう、ほとんど同じ風景ではないか!)

現在夕張市は人口1万人を割ってしまった。基本的に市制にするのは人口3万人くらいが目安と聞いている。私がかつて住んでいた神奈川県は寒川町では、私が引っ越してきた当時は人口3万人くらいであったが、それよりどんどん人口が増加して1995年くらいからは4万7千人くらいで安定している。私が在住していた頃までが一番人口の増加が激しかった事であろう。実際に相模線も電化され寒川駅も橋上駅舎に変身した。そして茅ヶ崎市との合併もチラホラ囁かれた頃もあったが、現在の姿のまま至っているという事はしっかりと独立して行政している事であろうと思う。

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(構内は広い。勿論それは貨物線を分岐していた名残であるが、この草を刈るとどんな風景が待っているのであろうか。一度「草刈様」にお願いしてみたい。とは言うものの、一体どれくらいのギャランティー関係が発生するのであろうか・・・)

しかし夕張市はこのまま行くと、下手したら「ゴーストタウン」にもなりかねない。事実、2006年頃には市長や市議会議員などの報酬が激減し税金も引き上げられた。以前に比べてかなり「住みにくい」町となってしまった夕張市はその当時で人口が1割近く減少。この頃は夕張市の名前がかなりの頻度でニュース等に顔を出し、我々もその状況をメディアからではあるが嫌というほど目にしてきた。

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(まだまだかつての遺構が残る。なぜ島式ホーム側を残したのかは不明であるが、いずれにしても昔の名残があるのは嬉しい。)

当然の事ながら夕張線沿線の人口は減少し利用者も減少していった。現在の夕張線の利用者はおそらく全盛期の1/100~1/1000くらいにまで減少している事であろう。1/1000とは大袈裟かも知れないが、それくらいの「体感温度」は感じることであろう。

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(駅舎をホーム側から。昔のままで若干のメンテナンスを加え残っているのが良い。飲食店が同居しているおかげで人の気配があるのは嬉しい。)

しかし夕張線は今も走り続ける。そんな夕張線は一体私達に何を伝えたいのであろうか。勿論そこには歴史的背景や先人の想いが凝縮されているように思う。しかし、それとは別になんと言うか「第六感」的なものを私は感じてしまう。変な話だが、夕張線とはなんだか「魂」みたいなものの存在があるような気がしてならない。勿論「闘魂」のようなものではないが、所謂「霊的な何か」に近いような、強いて言えば「宜保愛子」的な何かを感じずにはいられない。夕張線のレール一本一本に、そしてバラスト一個一個に・・・とはオーバーかも知れないが、そのレール設備ひとつひとつに哀愁を感じてしまうのは私だけであろか・・・

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(沼ノ沢駅前の風景・・・こんな感じが沿線各地で当たり前のように見ることができる。「当たり前」とは厳しい現実であるが、いつしかかつての清栄を取り戻して欲しい。)


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熊に逢ったら「番外編」 ~夕張線各駅巡り~④ 鹿ノ谷

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かつては夕張鉄道との接続駅であった事が信じられないくらいの現在の姿の鹿ノ谷駅であるが、私自身もこの夕張鉄道自体をあまり知らないので実感が無い。資料を調べてみると石炭などの輸送は勿論であるが、途中で連続するスイッチバックがあるなど、もし現存していたらとても魅力のある鉄道路線であったろう。実際にあの伝説の宮脇氏が自身の著作においてこの廃線跡を自転車で訪問している姿を観た事がある。やはりこのスイッチバック区間はレールがなくなってしまった現在でも魅力ある。是非私もいつかは訪問してみたい・・・

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(駅舎だけは開業当時からほとんど変化がないであろう。1983年10月以来約31年振りに参戦した夕張線は列車での訪問ではなかったので逆に街の様子がダイレクトに伝わってきた。)

と、鹿ノ谷は魅力があふれる駅でもあるが、現在のJR鹿ノ谷駅からは全く当時の姿が想像できない。確かに広い構内はかつての盛隆時代を彷彿させる場面もあるが、やはり「過去の話」で片付けられてしまうくらいひっそりとしてしまっていた。私はレンタカーでの訪問であったが、このあと夕張に向かい「さて新千歳(空港)に向かうぞ」と帰路に立つ時に道はわかっていたがあえてカーナビに入力してみた。すると旧・夕張鉄道を彷彿させるようなルートを案内されたのだ!私的には夕張線沿いに新夕張に行き高速に乗る予定であったが、カーナビの場合は勿論最短距離で案内してくる。
なるほど、鹿ノ谷から栗山・由仁方面へ出て千歳に向かうルートの方が近いのかと、さすが文明の力。私は関心させられてしまった。

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(駅舎の中はこんな感じであった。勿論現在は駅員無配置であるが、若干手直しされている事に気付く。かつては多くの乗降客で賑わった事であろう。)

今思えば栗山方面へ抜ければ室蘭本線の駅訪問ができたなと若干の後悔が残るが、私はあえて栗山方面を案内するカーナビの声を振り切り新夕張方面に向かう事にした。そう、帰りも夕張線と触れ合ってみたかったからだ。そして夕張という街をしっかりと再確認したかったからだ。

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(決して工事中ではないが、なんとなく簡易に済まされているような感がある。最低限のメンテナンスを施し維持を図るが、かつての姿からは想像できない。)

夕張市という場所は本当に山深い場所にある。これだけの場所にこれだけの文明を残したのはかつての先人たちがこの場所に明るい未来を求め、そして石炭という武器を元に開拓していったという証であろう。ウィキペディアにかつての鹿の谷駅の写真があった。それは本当に華やかな駅の姿であり、人々の出会い、そして別れや生活があったことがしっかりと確認できる内容が伝わってくる。たった一枚の写真でもこうして躍動感を覚えるのだから、やはりかつての夕張、そして鹿ノ谷駅は本当に栄えていた事であろう。

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(そしてこれが鹿ノ谷駅のホームの景色。現在は完全に棒線化されてしまったが、1983年に私が訪問したときは一本の側線があった。その側線さえも今は無い・・・)

エネルギー革命とともに石炭産業は衰退、そしてそこに暮らす人々の生活も衰退していった。街を出て新たな生活を求めていく人たちもいればこの地に残って生活している人もいる。人それぞれに自身の生活をしっかりと守りそして未来に向けて、そして子孫繁栄に向けて皆頑張っている事であろう。

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(この不自然な角度がかつての清栄を物語っている。たくさんの側線が分岐されていたろう波打つ線路は、かつて夕張鉄道との接点もあったはずだ。)

私は鉄道が好きだ。そして「鉄道が好き」という事から「こういう特典もついてくるのか」という事も教えられた。鉄道を通して教わった地理がずば抜けて得意であり、地元の人しか知らないような地名なども知っている部分は自慢できよう。そしてそこに暮らす人々の「生活」「文化」などにも興味が沸いてくるのはそこに鉄道があるからだと思う。私は「国内旅行業務取扱管理者」という国家資格を所有しているが、これも「鉄道が好き」からきた副産物であろう。実際問題、試験に関しては初参戦で合格。問題の内容も「この駅は何線に所属しますか?」みたいな出題もあり「えっ、こんな問題でいいの?」と試験中に思わず叫びそうになってしまった・・・みたいな事もあった。

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(駅前一等地にはこんな建物があった。何かの会社らしいが、こういう場所なら今すぐにでも勤務してみたい気分だ。勿論報酬にもよるが・・・)

そんな私であるが、夕張の街、そしてこの鹿ノ谷駅はとても哀愁を感じずにはいられない。確かに財政は危機状態、というより既に破綻してしまっているが、そこに暮らす人々は決して暗い顔をしていない。後述するガソリンスタンドに寄った時もそう思ったが、何か夕張には引き付けられるものがある。その答えは現在分からないが、次回来る時は列車で訪問してみたい。もしかしたらその時に答えの一部でも見えてきそうな気がするのは気のせいであろうか・・・

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(画像はウィキペディアより。1930年頃の鹿ノ谷駅。現在の姿からは全く想像つかない姿ではあるが、当時の盛隆がものすごく伝わってくる一枚だ。)


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熊に逢ったら「番外編」 ~夕張線各駅巡り~③ 夕張

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夕張というと・・・現在では「メロン」が真っ先に思い浮かぶ。他には「石炭」や「黄色いハンカチ」など・・・おや?黄色いハンカチ?と思われる若いレールファンもおられる事であろう。そう、ここ夕張は映画「幸せの黄色いハンカチ」の撮影地になった場所でもある。この映画では、同じく山田洋次監督の「男はつらいよ」の出演者がそのままスライドしているような映画で観ていると楽しい。しかもあの渥美清が脇役で登場するのはなんとも貴重な、というか違和感「大」の映画である。勿論「タコ社長」や「さくら」も登場するが、主役は高倉健。しっかりと映画全体が締まっているような印象である。

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(3代目となった夕張駅。マウント・レースイスキー場の目の前にあり、駅は観光案内所的な役割をしているが・・・)

と・・・話は脱線してしまったが、ここ夕張駅は現在3代目の駅だ。周知の通り2回移転しているが、移転の度に隣の鹿ノ谷駅との距離が縮まっていき、現在の形をとっている。
1983年10月、しつこいようにこのブログで紹介している「白糠線訪問」の際にこの夕張線も立ち寄っているが、その時にここ夕張駅は「初代(タイガーマスクではないが)」の時代に私は訪問している。その初代は現在の「石炭の歴史村」付近に、というよりここの駐車場の中に駅があった。私の訪問時は一面一線の旅客ホームがあり側線が構内に何本かあった記憶だ。現在の夕張駅はご存知「マウントレースイ」の目の前に駅がある。要するにスキー場のホテルの前に駅があるという事だ。

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(ホテル・マウントレースイはやたらデカい。一度は泊まってみたいホテルだ。ちなみにレースイは漢字で書くと「冷水」となる。ただ、列車に揺られてやってくる人は年間でどれほどの数字なのであろうか。)

若いレールファンは夕張線(石勝線・夕張支線)をどのような感覚で捉えているのであろか?私の感覚では石炭輸送は終焉を迎えキハ20などの気動車が走っている印象である。そして夕張駅は「初代」の印象がとても強いが、実際問題、機能性を追求するならば私は「2代目」の位置が一番鉄道らしい姿あであったろう。なぜ現在の位置に移転したのか・・・私は理解できずにいる。確かに観光を前面に打ち出し盛り返しを図ろうという意図もわからなくはないが、実際にレースイの前に駅を作り、1日8~9本くらいしかやってこないローカル線に揺られてレースイにやってくる観光客は年間で何人いるのであろうか?関係者は本気で夕張駅を移転して街が活気づくと考えたのであろうか?確かに2代目夕張駅と鹿ノ谷の間のこのレースイの前に臨時駅みたいな形で駅を設置しようという案もあったらしいが、結局現在の形になったと聞いた。

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(現在の夕張駅。ここを夕張駅と称し機能させるのは個人的にいかがなものかと思うが・・・ただ、将来を見越して?か、島式ホームに変身できるように空間が準備されているような感じがするのは気のせいか。)

ハッキリ言って2代目は「地元密着」の印象であろう。実際に市の中心部付近に駅が設置され、市役所などの中心機能的な施設も近かった。ちゃんと市民が普通に利用しやすい駅であったろう。私は現在の夕張駅の姿が残念でならない。やはり2代目のように地元の方に利用してもらってこそ本来の鉄道の姿があるのではないか?と私は思う。

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(駅前には観光案内所と併せてご覧の「施設」も。昼日中っからの「麦酒」はとても美味である事であろうが、今回はレンタカーでの訪問。若干悔しさを隠しきれなかった・・・)

現在の夕張駅は、何だかレースイに申し訳なさそうに細々と地味にレースイの片隅から列車が発着している印象だ。確かに夕張駅の駅舎内は観光案内所的な感じになっており列車でレースイ目的にやってくれば少しは役立つであろう。しかし、いかんせん市の中心部から離れており、地元の人はかなり利用しにくい交通機関だ。
そんな夕張駅も現在は「石勝線」として活躍している。かつての「夕張線」を知るものにとっては考えられない変貌ぶりである。後述するが、この夕張駅に来る前に新夕張よりすべての駅を訪問してきた。だから尚更思うのだが・・・

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(レースイと仲良く共存しているように思えるが・・・トマムと決定的に違うのは、ここは「終点」であること。やはり私は「2代目」の位置が駅としては一番「らしい」姿ではないかと思う。)

私はある意味日本人に生まれて良かったと思う。確かに、例えば消費税20パーセント位取るが、医療費が無料みたいな国とかはあるが、そういう国を若干羨む部分も正直言ってなくはない。というより、そういうことを言っているのではなく、もし自身が日本人でなければこうして夕張線の過去とかも知ることができなかったし石勝線との出会いも無かったかも知れない。そう、私はこの日本に生まれたからこそこうして夕張線をノスタルジックに感じることもできるし石勝線と触れ合うこともできる。ただ「ふれあう」だけなら簡単な事であろう。だがずっと夕張線の歴史を見てきたからこそ「想い」みたいなものがあり伝わってくる「何か」を感じ取る事ができるのであろう。
確かに石炭では既に「過去」になってしまった。夕張市の財政状態が最悪なのは周知の通りである。しかし新夕張駅前の道の駅で名物「夕張メロン」を販売する方々を見ると実に活き活きしていた。皆再生に向けて頑張っているではないか!
そんな姿を見ていたら、いつしか私の心の中で「スパルタンX」が鳴り響いていた。



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熊に逢ったら「番外編」 ~夕張線各駅巡り~② 楓信号場

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(お馴染みの写真で申し訳ないが1983年訪問時のひとコマ。というより当時の楓駅の「資料」はこの一枚しか残っていない。)

ほんの10年くらい前までは旅客駅であったが(2014年現在)、現在は信号場として活躍している楓信号場は石勝線の中で最も特異の駅であった。勿論その輝きは今でも変わらないが、かつての夕張線時代は登川支線の中間駅に過ぎなかった。しかも登川支線時代はスイッチバック駅となっており当時から異色な存在であった。現在の楓は登川支線廃止の際に登川と旧・楓の中間くらいに、というよりほぼ旧・楓に近い位置に設置され、両者が統合された意味合いもあった。石勝線開通時の国鉄が予測した乗降客数は登川と旧・楓の乗降客数を合算したものであったが、その意図とは裏腹に年々利用者が減少。晩年には朝1本のみという、清水港線にも負けないくらいの列車設定となってしまった。それでも最後まで定期客がいたというのだから、それこそ楓の「底力」を見た印象であった。

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(さて、楓に到着したが駅前にはご覧の商店と郵便局が占冠寄りに見える。この道こそ旧・登川支線の一部だ!)

私の初訪は既にお伝えしているように1983年10月で、ちょうど白糠線廃止情報を受け旅立った時であった。その時の楓は既に夜7時頃を迎えようとしている時で、辺りは暗くなっていたためしっかりと散策できなかった。しかも確か5分くらいで乗ってきた列車が折り返すためホームにもろくに出られずにただ訪問しただけのような印象に過ぎなかった。それでも楓駅とともに時間を共有できたのはすごく楽しかったのを覚えている。

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(楓駅の特徴はなんと言っても独立した普通列車専用のホームであろう。晩年はこの独立ホームに朝1本のみの普通列車が発着していたとは。)

それからなんと31年という歳月が流れ再び楓駅と再会する事ができた。しかし、周知の通り楓駅を取り巻く環境は大きく変化し、現在は「信号場」として第二の人生を過ごす事となってしまった。だが、かつての姿が今もなお健在とあっては非常に懐かしく、そして嬉しい。「嬉しい」とはおかしな表現かも知れないが、まだまだ「旅客ホーム」が残っているので「その気になれば」再び旅客駅として活躍できる可能性は否定できないであろう。

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(そして本線上のホームへ行ってみる。独立ホームの位置から少し歩き一般道のような道へ行き少し登ると占冠方面の本線上のホームへの入り口と保線員の詰め所が登場する。もちろん入口は閉ざされていた。)

楓の特徴はなんといっても独立した普通列車専用のホームがあることだ。現在もそのホームは姿をとどめているが、駅舎は完全に取り壊されてしまい跡形もない。そして本線側にも旅客用のホームがある事は周知の通り。2~3両分であろうか、特急列車が停車するには足りないくらいの短いホームが相対式に並んでいる。だが面白いのはそのホーム間の行き来はなんと一般道を使うという荒技だ。それは、例えば本線側の下りホームまたは3番線のホームを一旦降りて土手状になっている一般道の細い砂利道を上がっていく。そして石勝線を跨ぐと左に折れる道があるのでそちらに向かうと上りホームに繋がる通路の入口が顔を出すという仕組みだ。現在その入口は固く閉ざされているのでホームに行くことができないが、例えホームに行けたとしても停車する列車がないため意味がない。と、こんな形の楓駅であるが、過去にはこの本線上の旅客ホームになんと臨時ながら列車が停車し旅客扱いしたとの情報もある。勿論最初から臨時列車のためにホームを作ったわけではないであろうが、私もこの状況をひと目見てみたかった。

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(そして詰所を過ぎ更に登るとホームへつながる通路が出現する。手前の不自然な空間の右手にはかつての駅舎があった場所だが、完全に跡形もなく消えていた。そして更に登る。)

こんなところにこの楓の魅力があるのであろうが、実際問題は本当に本線上のホームを使い普通列車の設定も考えていた事であろう。ホームの長さから考えて特急列車は停車させないとの思いが伝わってくるが、もしかしたら特急列車のみの設定も考えていたのであろう。いずれにしても楓から占冠方面へ向かう乗客などは年に1人か2人いればいい方であろうと予測し、更に特急列車のみにすると夕張方面の通学時間帯の列車設定が全く無いという意味もあり独立ホームが出現したのであろう。本線上ではなく、あえて「独立」させたのが面白い。

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すると石勝線を跨ぐ橋が出現。橋からはレール誌などでよく見かけるこんな風景が拝める。相対式状の本線ホーム。やはり特急が停車するには長さが足りないかも。)

現在、楓駅前には立派な国道があるが、それこそ旧・登川支線の一部である。駅から占冠方面を見ると登川郵便局と商店が一軒ある。新夕張方面には集合住宅が数棟あるので列車の利用が期待できようが、当然ながら「一家に一台」であろうマイカーが専らの交通手段であろう。そういえば先述した「商店」であるが、この商店は真鶴あたりでよく見かける「ドライブイン」のような物産店である(と言われても真鶴に馴染みの無い方には非常にわかりにくい例えであるのは申し訳ないが・・・)。こんな所で商売成り立つの?とお思いの方もおられるであろう。実は1994年頃に友人とツアーで北海道に旅に出たことがある。

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(そしてこれもお馴染みか・・・写真左側中央~下にかけてはかつて駅舎が存在した。)

男2人旅・・・なんとも色気が無い旅であるが、観光バスで移動の際になんとこの商店で「休憩」が入ったのだ!レールファン休業中であったが勿論そこがどこであるか事情は知っている。そう、これこそ貴重な「収入源」であるのだ。このツアー、私が参加した時はかなり参加者がおり、バス2台~3台でのコース巡りであった。その参加者ほとんどがこの「休憩所」に下車しお土産などを購入していくのだから・・・それは相当の売上となった事であろう。やはり旅行会社と提携してこそ!というものもあるが、あれから20年経過し世間の事情も変わってきた中、現在の状況はどうなのであろう。そういえば、旧・紅葉山駅跡には「道の駅」が誕生した。そちらの方に、いわゆる「お客様」がシフトしているようにも思えるのだが果たして・・・

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(そしてこれが新夕張方面のホームへ伝う通路。とんでもない事になっていたのでここで取材を断念。と言うより、もし草根をかき分けて辿り着いたとしても入り口は完全に閉鎖されていた。)

異色の楓駅をあえて「夕張線」と題しカテゴリーにしたのには私なりのこだわりがあった。私は今でもこの楓駅を「夕張線」と思っている。石勝線開通当時、もし楓から占冠へと向かうには一旦新夕張まで出て特急列車に乗り換えなければならなかった。勿論楓~新夕張間の料金は不要であったが、楓駅が信号場になるまでにそのようなお客様は一体累計で何人いたのであろうか?私が1993年に会社のスキーの自由行動でトマムに行った際、その帰りにトマムから乗った列車は満席で私はデッキに立っていた。すると占冠で小学生と思われる数名が母親に見送られながら乗車してきた!私は驚きを隠せずにいたが、この占冠という「陸の孤島」と言われた場所から一般に乗客があったのは嬉しかった。そして彼女たちは新夕張で下車していった。行き先は分からないが、おそらく夕張方面へ向かったのであろう。しかしまさかのサプライズは・・・?無いであろうが、もし「楓」に向ったとしたならばそれは「クライム」であろう・・・



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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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