常盤軒よ永遠に・・・
2021-04-30

少々タイムラグがあるが残念なお知らせが届いた。新型肺炎による自粛等の関係により昨年から臨時休業していた音威子府の常盤軒であるが、今年の2月に店主が他界され正式に常盤軒の閉店が決定した。数々の思い出を残してくれた常磐軒は国鉄時代からの歴史に幕が降りた事実はしっかりと受け止めなければならない。JR化後はホーム上にあったものが駅舎内に移された常盤軒であるが、主(あるじ)の健在時代では常々「私の代でおしまい」と各メディアで発言していた。しかしながら、まさかこんなに早いタイミングでこの時を迎えようとは思いもしなかった。
私はもちろん国鉄時代からこの「名物」の存在を知っていたが、実際に音威子府に下車したのは2014年であった。そして2017年にはレンタカーにて再訪しているが、その訪問が最後となったのは非常に残念な思いである。今回は広島シリーズの途中であるが、数々の思い出を残してくれた常盤軒を、感謝の意を込めて追悼したく記事を寄せた。

2014年訪問時には普通列車からの訪問であった。できれば国鉄時代に旧型客車に揺られながらこの駅に降り立ってみたかったが、その夢は叶わず。国鉄時代の音威子府での普通列車は停車時間を長く取る場面が多々あったので常盤軒に寄るには最適な環境であったろう。

国鉄時代はホーム上にあった常盤軒であるが、JR化後の1990年に駅舎を改装した際に駅舎内に移転した。駅舎内にはお馴染みの天北線資料室もある。バスターミナルも併設され、正に村の中心的存在だ。





そしていざ「音威子府そば」へ。しかしながら長蛇の列!この後バス運転手もつかの間の休憩時間を使い常盤軒に訪問。なんとひとりで2杯も平らげ何事も無かったかのように去っていった。


蕎麦殻も一緒に挽いちゃう凄い蕎麦は、独特の風味がたまらない!つゆの味も、いわゆる「関東風」と表現すればいいのか、私的には程よい濃さがやみつきに。

たくさんの思い出をありがとうございます!心よりご冥福をお祈りいたします。
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新春ジャイアントシリーズ⑨ 紋穂内、ふたたび
2021-03-30
2021年、今回のダイヤ改正により消え去った駅をバックナンバーにて紹介しているが、どれもこれも名駅ばかりである。つまり秘境駅と称賛され、我々レールファンが喜びそうな駅ほどフェードアウトしていく確率が高いという、何とも皮肉な現象になるのが何故かもどかしい。

私の乗った名寄発稚内行き普通列車は、初冬の彩りを車窓に魅せながら更に北へ向かう。11月というと北海道は既に初冬どころかすっかり銀世界になってしまっている沿線各地であるが、東京方面とは違い列車は定刻通りレールを刻んでいる。

2014年訪問時の紋穂内はご覧の通り銀世界。まだ11月だというのにかなりの積雪である。というより、北海道では当たり前の風景かも知れないが、やはり関東人の私には分かっていてもサプライズ!
東京方面はほんの少し雪が積もっただけで列車のダイヤが乱れたり高速道路がマヒしたりと、何かと雪事情になれていないせいか対応が鈍い。その点、北海道などの雪国は、その雪景色さえ日常なのだから交通的にも何も動じずにいつもの風景通り時間が進行していく。それこそ初冬の雪など全く雪のうちに入らないのかも知れない。

上記のショットと同じ角度からの2017年。ハッキリ言って秘境駅であるが、そんなカテゴリーではくくれない素敵な魅力を兼ね備えている。
そんな北海道は宗谷本線の列車に揺られているうちに紋穂内に到着した。もちろん乗降客はゼロ。「もちろん」という表現は、実はあまりよろしくないかも知れないが、やはり朝晩に集中して利用者の発生する公共交通手段ゆえに、特に地方は顕著に現れる。


ホームなんてご覧の通り。かつては2面2線であったが、正直言ってあまりその面影を感じられない。強いて言えば、左側の不自然な雑草部分がそれらしい風景であるが・・・
そして2017年夏にレンタカーで訪問した時は・・・かなり驚愕した!駅は主要道路から外れ、更に駅に続く一本道の最終地点にその駅はあった。つまりその道は紋穂内駅のためにあるという事だ。末端に行くにつれだんだんヒトケが無くなってくる・・・普通の常識なら駅に向かいうにつれ賑やかになっていくものだが、ここではそんな常識が通用しない。というより、かつては盛栄してたのであろうが、時代は変われど、利用者にすれば例え1日数本しかやってこない列車でも貴重な「足」として決まった時間にやって来る。ちゃんと自身の任務を無言で果たしている。だから鉄道は素晴らしい!だからレールが好きなんだ!と思わず叫んでしまいそうな宗谷本線の旅はまだまだ続く・・・



そろそろ駅舎もリニューアル時期であろう。そして私が紋穂内で一番気になっているのはこの道の存在。主要道路から外れ、ひたすらこの駅のために伸びている道だ。いいね!

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私の乗った名寄発稚内行き普通列車は、初冬の彩りを車窓に魅せながら更に北へ向かう。11月というと北海道は既に初冬どころかすっかり銀世界になってしまっている沿線各地であるが、東京方面とは違い列車は定刻通りレールを刻んでいる。

2014年訪問時の紋穂内はご覧の通り銀世界。まだ11月だというのにかなりの積雪である。というより、北海道では当たり前の風景かも知れないが、やはり関東人の私には分かっていてもサプライズ!
東京方面はほんの少し雪が積もっただけで列車のダイヤが乱れたり高速道路がマヒしたりと、何かと雪事情になれていないせいか対応が鈍い。その点、北海道などの雪国は、その雪景色さえ日常なのだから交通的にも何も動じずにいつもの風景通り時間が進行していく。それこそ初冬の雪など全く雪のうちに入らないのかも知れない。

上記のショットと同じ角度からの2017年。ハッキリ言って秘境駅であるが、そんなカテゴリーではくくれない素敵な魅力を兼ね備えている。
そんな北海道は宗谷本線の列車に揺られているうちに紋穂内に到着した。もちろん乗降客はゼロ。「もちろん」という表現は、実はあまりよろしくないかも知れないが、やはり朝晩に集中して利用者の発生する公共交通手段ゆえに、特に地方は顕著に現れる。


ホームなんてご覧の通り。かつては2面2線であったが、正直言ってあまりその面影を感じられない。強いて言えば、左側の不自然な雑草部分がそれらしい風景であるが・・・
そして2017年夏にレンタカーで訪問した時は・・・かなり驚愕した!駅は主要道路から外れ、更に駅に続く一本道の最終地点にその駅はあった。つまりその道は紋穂内駅のためにあるという事だ。末端に行くにつれだんだんヒトケが無くなってくる・・・普通の常識なら駅に向かいうにつれ賑やかになっていくものだが、ここではそんな常識が通用しない。というより、かつては盛栄してたのであろうが、時代は変われど、利用者にすれば例え1日数本しかやってこない列車でも貴重な「足」として決まった時間にやって来る。ちゃんと自身の任務を無言で果たしている。だから鉄道は素晴らしい!だからレールが好きなんだ!と思わず叫んでしまいそうな宗谷本線の旅はまだまだ続く・・・



そろそろ駅舎もリニューアル時期であろう。そして私が紋穂内で一番気になっているのはこの道の存在。主要道路から外れ、ひたすらこの駅のために伸びている道だ。いいね!

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新春ジャイアントシリーズ⑦ いよいよ 南美深に到着
2021-03-25

いよいよ北海道の典型的な駅の姿・・・昔仮乗降場とか秘境駅など、宗谷本線は盛りだくさんであるうちのひとつであるここ南美深は、美深からひと駅しか離れてないのにひっそりしている。とはいうものの、美深まで近いのでそれなりに利用者が期待できそうだか・・・



恐らくレール事情を知らない方ならこれが待合室と聞くと驚愕するであろう。我々的には味があってなかなかいい待合室と素直に受け止める事ができる、というよりむしろ大歓迎!な雰囲気。
そしてなによりかつて国鉄路線であった美深から分岐する美幸線の東美深や辺渓に割りと近い距離にあるのも特長であろう。そして辺渓より先は仁宇布まで約10キロ以上の間駅がなかったということは、それだけ利用者が期待出来なかったという事で、集落的な物が無かった事を示唆する。






ホームも同じことがいえよう。ただ、ここ南美深は私が物心ついた時には既に「仮」ではなかった。国鉄⇒JRに変遷する前の国鉄時代のかなり前の時期に駅に昇格している。
その点南美深は先程も触れたが東美深や辺渓に近いという事もあり、かつてはそれなりの利用者があったのであろう。だが、周知の通り美幸線は「日本一赤字のローカル線」というレッテルを貼られたまま廃止になってしまった。といっても赤字額ではなくて赤字率なので、当時の東海道本線に比べたら全然微々たるものであるが、いずれにしても赤字「率」というより収支係数(営業係数)ワーストワンに輝いた実績もあるのだからやはり廃止されても仕方なかったであろう。それは、例えば北見枝幸まで繋がっていたとしても同じ事がいえるだろう。

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チャンピオンカーニバル③ 徳満にズームイン❗
2021-03-20

かつては素晴らしい国鉄式の木造駅舎があったが、現在は簡易なプレハブ的待合室に変更された。つい最近の出来事かと思っていたらかれこれ20年近く経っている。そして毎回書いているが、この駅も交換設備が外されて久しい。
駅前には国道が隣接するが、とにかく車が猛スピードで目の前を通過していく。のんびり走るローカル鉄道など地元の人にとっては無用の長物なのであろうか。
運転本数的にも運転時間帯的にも通勤より通学向きかも知れない部分もあるが、私のように関東に在住の人間でさえ普段は鉄道よりマイカーなのだから、地方なら尚更マイカーでなければ、いや、マイカーがなければ生活出来ないであろう。逆に東京都心部はマイカーだと不便な場合が多い。
そして最近は車を所有しない若者が増えているという。経済的な部分はもちろんあろうが、特に都心においてはむしろ地下鉄他公共交通機関の方が充実していて、むしろ車の方が駐車場などの問題もあり便が悪いかも知れない。




現在はプレハブ的な簡易待合室のみとなってしまった徳満。かつての駅舎の基礎が見え隠れするが、さぞかし素晴らしい木造建築であったろう。
そういえば「徳満」と聞いて、字は違えど国民的アナウンサーのイメージであろう。我が地元湘南地区に居を構え、東海道線などでの目撃情報も私が小学校時代に聞いた事がある。そして、なんといっても親子揃って私が崇拝する某ロックアーティストの大ファンという事もあり実に景気が良い!誰もがそう思ってしまいそうな駅前は、すぐ目の前に国道があるというのにひっそりと自身の役割を果たしていた。




確かに秘境駅であるが、駅前には国道がありビュンビュンと車が飛ばしてくる。その国道から少し入るだけでこんな異空間が広がっている。宗谷本線はそんな異空間を提供してくれる場面が多い。

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新春ジャイアントシリーズ④ 北星
2021-03-15
久々に時刻表を購入し改めて驚いた。各メディアにて既に報告は受けていたものの、2021年3月13日JRダイヤ改正号の時刻表をめくって見たら、各方面のページレイアウトが変更されていたり、特に北海道に関しては石北本線や宗谷本線などはかつてよりスペースがスッキリして圧縮されたイメージであった。つまり駅の廃止により駅名の羅列が減少したためのスッキリ感がイメージをそうさせたのだろう。
そのスッキリ感の中には秘境駅として人気が高かった駅も含まれており、レールファンとしては惜別の念を禁じえない状況であろう。そんな駅の数々を暫くバックナンバーで振り返ってみたい。

レールファン、特に秘境駅ファンにおいては大変有名な存在であろう北星であるが、特異な待合室の存在が圧倒的存在感を見せつけてくれるのは周知の事実であろう。日進との間にはかつて「智東」があったが、利用者僅少のため廃止されたのは2006年の事であった。2017年訪問時はレンタカーによる訪問であったが、地理上の都合からひとつ先の智恵文が先の訪問となった。そして先述通り酪農というよりはむしろ畑が多い風景となっている道を只管名寄方向に逆戻りする形で北星に向かった。



早速、レールファンにはお馴染みの待合室。強烈なアピールの文字帯が印象的であるが、特に冬季には本当にこの存在が守り神となる。
そういえば、かつて上野~盛岡間で寝台特急「北星」があった。今考えたら盛岡までの寝台特急ってなんだかものすごく特異な雰囲気を醸し出すが、更に驚く事に、上野~仙台間に「新星」という寝台急行が運転されていたのはご存知であろうか?私の知る限りでは当時20系の寝台列車であったが、確か東北新幹線か上越新幹線が開通した年の1982年に廃止されたのが私の記憶である。現在ではどちらも新幹線であれば数時間の距離で、とても「寝台」で旅する距離と時間の感覚はないであろう。若いレールファンには信じられないであろうが、そんな列車がかつては運転されていた上野口であった・・・みたいな事を思い出してしまうこの北星「駅」は、その事については全く縁もゆかりもないであろう事象である。


早速中へ。毎日利用できたら実に「いいね」的な雰囲気。本気で独占、いや、自身の書斎にしたい気分である。
普通列車でこの駅に到着すると「絶対に下車したい!」という気持ちに駆られるのは私だけであろうか?このままスルーしてしまうのはものすごく勿体無い気持ちになる。どうしてもあの特徴ある待合室が気になって気になって仕方がない。
2014年の訪問時は普通列車で普通に停車しただけで超物足りなかったが、2017年訪問時はレンタカーであったので、ある意味地元民感覚での訪問となった。先述したが、2017年訪問時は先に智恵文を訪問してからの北星への訪問となった。その智恵文の駅前の道から更に名寄方に向かうと北星に着くが、この道は実に「地元密着」の道である。





絶対的にかつての「仮」的佇まい。であるが、歴史的には「仮」の姿は無い。だが、木製の重みを余すことなく感じることができる足元は、まさに北海道特有の「名産品」であろう。
文明の利器が発達した現在でなければ恐らく私は車でたどり着けなかったであろう地元密着型の道路をひたすら進むが、北星に着く頃には更に地元密着型になり更にカーナビの威力を発揮したが、本気で地元の方が駅を利用する雰囲気で北星に到着する体験ができたのは実に嬉しかった。鉄道とは本来、利用者があって成り立つものである。と言うか、鉄道に限らず、バスなどの公共交通機関などは全てこの理屈に当てはまるが、鉄道以外の方法で北星を訪問してみると、よくぞこの場所に公共交通機関が存在するなと改めて感心してしまう環境である。我々レールファンはよく「秘境駅」などとネーミングをしてそういったカテゴリーを楽しんでいる部分もあるが、そのような形では語れない意味深な何かを感じさせてくれる北星の存在であった。先人の歴史があるものの、この現代において宗谷本線を経営するJR北海道の苦悩や努力が肌身で伝わってくる思いを感じた駅であった。もちろん、北星に私が訪問してすぐにこういう感覚になったという事ではないが、むしろ「改めて」と表現させていただいて実感したという事である。

現代シーンにおいてこういった風景を今でも体験できるのがレールファンが多く存在する理由でもあろう。特に宗谷本線ではこういった風景を体験できる場所が少なくないのも特徴。
特に北海道は国鉄時代は仮乗降場の宝庫であった。若いレールファンにとって「仮乗降場」というキーワードはほぼ伝説に近いであろう。北星は仮乗降場としての過去は無いが、国鉄時代は仮乗降場と呼ばれる駅がたくさんあり、むしろこの北星もこの部類に分類されてもおかしくない存在であった。正直言って駅とかつて仮乗降場の区別というか差というものが、私のような古いレールファンの場合は何となく感じる事ができた。だが、宗谷本線においては特にその「差」というものをあまり感じない印象であったのが2017年訪問時であった。

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そのスッキリ感の中には秘境駅として人気が高かった駅も含まれており、レールファンとしては惜別の念を禁じえない状況であろう。そんな駅の数々を暫くバックナンバーで振り返ってみたい。

レールファン、特に秘境駅ファンにおいては大変有名な存在であろう北星であるが、特異な待合室の存在が圧倒的存在感を見せつけてくれるのは周知の事実であろう。日進との間にはかつて「智東」があったが、利用者僅少のため廃止されたのは2006年の事であった。2017年訪問時はレンタカーによる訪問であったが、地理上の都合からひとつ先の智恵文が先の訪問となった。そして先述通り酪農というよりはむしろ畑が多い風景となっている道を只管名寄方向に逆戻りする形で北星に向かった。



早速、レールファンにはお馴染みの待合室。強烈なアピールの文字帯が印象的であるが、特に冬季には本当にこの存在が守り神となる。
そういえば、かつて上野~盛岡間で寝台特急「北星」があった。今考えたら盛岡までの寝台特急ってなんだかものすごく特異な雰囲気を醸し出すが、更に驚く事に、上野~仙台間に「新星」という寝台急行が運転されていたのはご存知であろうか?私の知る限りでは当時20系の寝台列車であったが、確か東北新幹線か上越新幹線が開通した年の1982年に廃止されたのが私の記憶である。現在ではどちらも新幹線であれば数時間の距離で、とても「寝台」で旅する距離と時間の感覚はないであろう。若いレールファンには信じられないであろうが、そんな列車がかつては運転されていた上野口であった・・・みたいな事を思い出してしまうこの北星「駅」は、その事については全く縁もゆかりもないであろう事象である。


早速中へ。毎日利用できたら実に「いいね」的な雰囲気。本気で独占、いや、自身の書斎にしたい気分である。
普通列車でこの駅に到着すると「絶対に下車したい!」という気持ちに駆られるのは私だけであろうか?このままスルーしてしまうのはものすごく勿体無い気持ちになる。どうしてもあの特徴ある待合室が気になって気になって仕方がない。
2014年の訪問時は普通列車で普通に停車しただけで超物足りなかったが、2017年訪問時はレンタカーであったので、ある意味地元民感覚での訪問となった。先述したが、2017年訪問時は先に智恵文を訪問してからの北星への訪問となった。その智恵文の駅前の道から更に名寄方に向かうと北星に着くが、この道は実に「地元密着」の道である。





絶対的にかつての「仮」的佇まい。であるが、歴史的には「仮」の姿は無い。だが、木製の重みを余すことなく感じることができる足元は、まさに北海道特有の「名産品」であろう。
文明の利器が発達した現在でなければ恐らく私は車でたどり着けなかったであろう地元密着型の道路をひたすら進むが、北星に着く頃には更に地元密着型になり更にカーナビの威力を発揮したが、本気で地元の方が駅を利用する雰囲気で北星に到着する体験ができたのは実に嬉しかった。鉄道とは本来、利用者があって成り立つものである。と言うか、鉄道に限らず、バスなどの公共交通機関などは全てこの理屈に当てはまるが、鉄道以外の方法で北星を訪問してみると、よくぞこの場所に公共交通機関が存在するなと改めて感心してしまう環境である。我々レールファンはよく「秘境駅」などとネーミングをしてそういったカテゴリーを楽しんでいる部分もあるが、そのような形では語れない意味深な何かを感じさせてくれる北星の存在であった。先人の歴史があるものの、この現代において宗谷本線を経営するJR北海道の苦悩や努力が肌身で伝わってくる思いを感じた駅であった。もちろん、北星に私が訪問してすぐにこういう感覚になったという事ではないが、むしろ「改めて」と表現させていただいて実感したという事である。

現代シーンにおいてこういった風景を今でも体験できるのがレールファンが多く存在する理由でもあろう。特に宗谷本線ではこういった風景を体験できる場所が少なくないのも特徴。
特に北海道は国鉄時代は仮乗降場の宝庫であった。若いレールファンにとって「仮乗降場」というキーワードはほぼ伝説に近いであろう。北星は仮乗降場としての過去は無いが、国鉄時代は仮乗降場と呼ばれる駅がたくさんあり、むしろこの北星もこの部類に分類されてもおかしくない存在であった。正直言って駅とかつて仮乗降場の区別というか差というものが、私のような古いレールファンの場合は何となく感じる事ができた。だが、宗谷本線においては特にその「差」というものをあまり感じない印象であったのが2017年訪問時であった。

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