1983年8月、旧型客車で五能線を旅した思い出②
2015-01-06
さて、私を乗せた五能線「1730列車」は途中、鰺ヶ沢で21分の停車時間があった。入場券を買いに改札へ向かったのは言うまでもないが、ここの駅前には確か「烏賊(いか)」がたくさん干してあるものがくるくる回っているような光景をなにかの旅番組で見た事がある。「あじ」ではなく「いか」というところがなんとも言えないが、鰺ヶ沢のイチオシ名物は「ヒラメ」らしい。なんだか複雑なグルメ絵巻であるが・・・

(1983年訪問時の鰺ヶ沢。この時の旅で唯一、五能線の写真が残っていたのがこの一枚であった。実際は鰺ヶ沢以外でも五能線の車内からもっと撮影しているのだが・・・)
そういえば当時の時刻表で調べてみたが、五能線全線を直通する旧型客車の列車は上り下り共に1日1本ずつであった。つまり本当に狙って乗車しなければこの貴重な体験はできない。つまり私は狙って乗車したからこそ今こうしてブログに収めている事が出来ているのだ!と大袈裟に表現してしまったが、千畳敷は通過・・・そして驫木に寄るが、驫木といえば、映画「男はつらいよ」の第7作に登場する。ほぼエンディング近くになるが、その時の駅舎と現在を比べてみてもほとんど変わっていない。もちろんリニューアルは施されているが、あの雰囲気は昔のままだ。

(そしてこちらが2011年訪問時の鰺ヶ沢。若干の改装が施されたであろう駅舎であるが、基本的に五能線のエッセンスを醸し出している。)
そんな「リゾートしらかみ」が運転されている現在、更に能代寄りに進むとウエスパ椿山なる駅が誕生した。もちろん1983年の訪問時には無かった駅である。ハッキリ言って私から見ると五能線らしくない駅であるが、時代とともに進化し五能線は姿形を変えながら現在も「津軽」の魅力を満載している。
そして何と言っても五能線の3分の2の区間は海岸沿いを走る。「日本海の荒波」を肌で感じるにはここ五能線が一番手っ取り早いであろう。とは言うものの、私が2011年に訪問したときは大雪で弘前を既に30分くらい遅れて出発しているが、まさにこのウエスパ付近で更に立ち往生してしまった。そう、日本海を「肌で感じる」という事はこの五能線自体が自然の猛威とも戦っているのだ。1983年の訪問時は只管真夏の日差しの中、旧型客車は穏やかな時間であったが、季節によってこうも違うのかという思いでいっぱいであった。

(若干画像がよろしくないが・・・五能線から見た日本海は実に荒々しい。とは言うものの、1983年訪問時は実に穏やかな印象であった。写真は2011年訪問時。)
しじみの産地で知られる十二湖を過ぎカプセル駅舎で知られる大間越を過ぎるとやがて能代に近づく。能代は市街地に近く多くの利用者があるが「本線」の列車はやってこない。もし「本線」がここ能代にやってきていたらこの街の景色もかなり今とは違う風景になっていたであろう。歴史的背景とか地形的制約など様々な理由があろうかと思われるが、やはり本線がやってくると来ないとではかなり違ってくると思う。
そんな能代の「本線」の玄関口は東能代である。一応、五能線の終点であると同時に奥羽本線と接続する主要駅であるが、駅周辺は「主要駅」と名乗るには少々物静かな街並みだ。奥羽本線上は能代の「代わり」の役割を果たすがその役割は大きい。私の乗った旧型客車の普通列車は、弘前から約6時間かかって13時59分に到着。14時22分の奥羽本線普通列車「639(列車)」に乗り鷹ノ巣へ向かう予定になっている。こちらは50系の普通列車だ。

(2011年訪問時の東能代にて。やはり日本海側というシチュエーションは独特な何かを感じる。ここ東能代もある意味「らしさ」が感じ取れる気がする。)
2011年に「リゾートしらかみ」で東能代に降り立ったのが1月で、ホームは大雪の真っ只中の銀世界であった。1983年に旧型客車での訪問は8月。季節は全く違うのになぜか昔と変わらぬ風景がそこにあった。季節を越えて時間を越えて・・・能代の所在は秋田県だというのに、なぜか日本海の荒波とともに列車もホームも「津軽色」に染まっていた。

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(1983年訪問時の鰺ヶ沢。この時の旅で唯一、五能線の写真が残っていたのがこの一枚であった。実際は鰺ヶ沢以外でも五能線の車内からもっと撮影しているのだが・・・)
そういえば当時の時刻表で調べてみたが、五能線全線を直通する旧型客車の列車は上り下り共に1日1本ずつであった。つまり本当に狙って乗車しなければこの貴重な体験はできない。つまり私は狙って乗車したからこそ今こうしてブログに収めている事が出来ているのだ!と大袈裟に表現してしまったが、千畳敷は通過・・・そして驫木に寄るが、驫木といえば、映画「男はつらいよ」の第7作に登場する。ほぼエンディング近くになるが、その時の駅舎と現在を比べてみてもほとんど変わっていない。もちろんリニューアルは施されているが、あの雰囲気は昔のままだ。

(そしてこちらが2011年訪問時の鰺ヶ沢。若干の改装が施されたであろう駅舎であるが、基本的に五能線のエッセンスを醸し出している。)
そんな「リゾートしらかみ」が運転されている現在、更に能代寄りに進むとウエスパ椿山なる駅が誕生した。もちろん1983年の訪問時には無かった駅である。ハッキリ言って私から見ると五能線らしくない駅であるが、時代とともに進化し五能線は姿形を変えながら現在も「津軽」の魅力を満載している。
そして何と言っても五能線の3分の2の区間は海岸沿いを走る。「日本海の荒波」を肌で感じるにはここ五能線が一番手っ取り早いであろう。とは言うものの、私が2011年に訪問したときは大雪で弘前を既に30分くらい遅れて出発しているが、まさにこのウエスパ付近で更に立ち往生してしまった。そう、日本海を「肌で感じる」という事はこの五能線自体が自然の猛威とも戦っているのだ。1983年の訪問時は只管真夏の日差しの中、旧型客車は穏やかな時間であったが、季節によってこうも違うのかという思いでいっぱいであった。

(若干画像がよろしくないが・・・五能線から見た日本海は実に荒々しい。とは言うものの、1983年訪問時は実に穏やかな印象であった。写真は2011年訪問時。)
しじみの産地で知られる十二湖を過ぎカプセル駅舎で知られる大間越を過ぎるとやがて能代に近づく。能代は市街地に近く多くの利用者があるが「本線」の列車はやってこない。もし「本線」がここ能代にやってきていたらこの街の景色もかなり今とは違う風景になっていたであろう。歴史的背景とか地形的制約など様々な理由があろうかと思われるが、やはり本線がやってくると来ないとではかなり違ってくると思う。
そんな能代の「本線」の玄関口は東能代である。一応、五能線の終点であると同時に奥羽本線と接続する主要駅であるが、駅周辺は「主要駅」と名乗るには少々物静かな街並みだ。奥羽本線上は能代の「代わり」の役割を果たすがその役割は大きい。私の乗った旧型客車の普通列車は、弘前から約6時間かかって13時59分に到着。14時22分の奥羽本線普通列車「639(列車)」に乗り鷹ノ巣へ向かう予定になっている。こちらは50系の普通列車だ。

(2011年訪問時の東能代にて。やはり日本海側というシチュエーションは独特な何かを感じる。ここ東能代もある意味「らしさ」が感じ取れる気がする。)
2011年に「リゾートしらかみ」で東能代に降り立ったのが1月で、ホームは大雪の真っ只中の銀世界であった。1983年に旧型客車での訪問は8月。季節は全く違うのになぜか昔と変わらぬ風景がそこにあった。季節を越えて時間を越えて・・・能代の所在は秋田県だというのに、なぜか日本海の荒波とともに列車もホームも「津軽色」に染まっていた。

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1983年8月、旧型客車で五能線を旅した思い出①
2015-01-03
津軽・・・そんな言葉を聞いてあなたは何を想うであろう。「りんご」「三味線」「岩木山」など、連想されるものは多彩であるが、なぜか私は「五能線」を思い出す。というより、その「津軽」という言葉が東北地方特有の哀愁のようなものをひとことで表現できる唯一の言葉であろうと感じる。「みちのく」「むつ」とは明らかに違う「ふるさと」のような温もりを感じずにいられない、そんな「あおもり」を感じさせてくれる・・・それを一番わかりやすく教えてくれるのが五能線だと私は思う。
そんなわけで、1983年8月の旅はこのブログで再三に渡り紹介してきたが、その時に思い出に残っている五能線の旅を紹介したい。とは言うものの、当時の写真がほとんど残っていたいため、今回は2011年1月に「リゾートしらかみ」で訪問した時の状況も併せて紹介していこう。

(2011年訪問時の五能線車両、とあえて表現してみた。確か林崎か藤崎と思ったが、辺り一面は林檎畑のはずである。がしかし・・・)
1983年に私は初めて五能線に訪問した。もちろん「旧客」を狙って計画済であったが、その列車は弘前発8時10分であった。そして東能代に何と13時59分着。約6時間もの旅になる!6時間も旧客に揺られて五能線をめぐるとは、恐らく函館の朝市などで海鮮丼の上に更にいくらとウニを山のようにプラスして頬張りながらプレミアムモルツを飲む事より贅沢であろう。そんな贅沢な旅は五所川原辺りを過ぎると車内は「ローカルな風景」になる事を事前に予測していた。私は黒石線(国鉄=当時)を制覇後、川部から弘前に向かった。既に五能線の旧型客車編成は弘前のホームに停車していたが、座席を確保するのは容易であった。思ったよりも乗客が多くない。お盆の帰省時にも関わらず、意外に「らしい」雰囲気を醸し出していたのは学生諸君が夏休みのせいか。という自分も当時は学生であったが・・・

(ちなみに「リゾート」では私はご覧の席を利用。もちろん「583系的仕様」の座席は周知の通り「寝台チック」に変化できる。
五所川原まではひとりワンボックスでも充分すぎる乗車率であったが、五所川原を過ぎるとだんだんひとり10ボックスくらい占領しても充分過ぎるくらいであった。2011年に約28年振りに五能線を再訪したが、その時は既に紹介している「リゾートしらかみ」であった。私の中学時代はもちろん存在しない列車であったが、列車は違えど五能線はやはり良い!なんとなく日本海の荒波というか、海水浴場と言っても岩場のゴツゴツした場所というか・・・五能線から見る海の風景はなんとなく「活きている」という雰囲気を醸し出しているような感じがする。そういえば五所川原くらいまでは青森特有の「りんご」が沿線一面を覆っていたが、いつの間にか「津軽富士」で有名な岩木山とドラゴンのような日本海が窓のピクチャーを染めていった。

(1983年の旅を紹介しておきながら・・・2011年の木造駅は「リゾート」の車内から。昔に比べかなり駅舎の印象が変わった感じだ。だがそれだけでなく、駅員の印象もかなり変わった感じがするのは気のせいか・・・)

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そんなわけで、1983年8月の旅はこのブログで再三に渡り紹介してきたが、その時に思い出に残っている五能線の旅を紹介したい。とは言うものの、当時の写真がほとんど残っていたいため、今回は2011年1月に「リゾートしらかみ」で訪問した時の状況も併せて紹介していこう。

(2011年訪問時の五能線車両、とあえて表現してみた。確か林崎か藤崎と思ったが、辺り一面は林檎畑のはずである。がしかし・・・)
1983年に私は初めて五能線に訪問した。もちろん「旧客」を狙って計画済であったが、その列車は弘前発8時10分であった。そして東能代に何と13時59分着。約6時間もの旅になる!6時間も旧客に揺られて五能線をめぐるとは、恐らく函館の朝市などで海鮮丼の上に更にいくらとウニを山のようにプラスして頬張りながらプレミアムモルツを飲む事より贅沢であろう。そんな贅沢な旅は五所川原辺りを過ぎると車内は「ローカルな風景」になる事を事前に予測していた。私は黒石線(国鉄=当時)を制覇後、川部から弘前に向かった。既に五能線の旧型客車編成は弘前のホームに停車していたが、座席を確保するのは容易であった。思ったよりも乗客が多くない。お盆の帰省時にも関わらず、意外に「らしい」雰囲気を醸し出していたのは学生諸君が夏休みのせいか。という自分も当時は学生であったが・・・

(ちなみに「リゾート」では私はご覧の席を利用。もちろん「583系的仕様」の座席は周知の通り「寝台チック」に変化できる。
五所川原まではひとりワンボックスでも充分すぎる乗車率であったが、五所川原を過ぎるとだんだんひとり10ボックスくらい占領しても充分過ぎるくらいであった。2011年に約28年振りに五能線を再訪したが、その時は既に紹介している「リゾートしらかみ」であった。私の中学時代はもちろん存在しない列車であったが、列車は違えど五能線はやはり良い!なんとなく日本海の荒波というか、海水浴場と言っても岩場のゴツゴツした場所というか・・・五能線から見る海の風景はなんとなく「活きている」という雰囲気を醸し出しているような感じがする。そういえば五所川原くらいまでは青森特有の「りんご」が沿線一面を覆っていたが、いつの間にか「津軽富士」で有名な岩木山とドラゴンのような日本海が窓のピクチャーを染めていった。

(1983年の旅を紹介しておきながら・・・2011年の木造駅は「リゾート」の車内から。昔に比べかなり駅舎の印象が変わった感じだ。だがそれだけでなく、駅員の印象もかなり変わった感じがするのは気のせいか・・・)

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