今更ながらに湘南新宿ラインで旅をしてみた⑤
2015-05-09
そんな東戸塚を過ぎると戸塚に着く。この分離運転で最大のポイントとなるのが東戸塚~大船間、そして戸塚である。戸塚では方向別運転のため横須賀線と東海道線が階段なしで乗り換えができる。分離運転の際に戸塚に東海道線を停車させる意味がここにあった。かつては横須賀線の列車しか停車しなかったが、この戸塚に東海道線を停車させる事によって、大船駅で階段を使わなければならなかった両者の乗り換えを解消させたのだ。

(東海道線・横須賀線分離運転の際に東海道線の停車駅となった戸塚。両者は階段を使わずに乗り換えができて便利に。)
そしてこの戸塚のもうひとつの大役は、大船寄りにある「ダブルクロス」にある。東海道線と横須賀線との間にあるこのダブルクロスによって両者を実に匠に振り分け、そしてさばく姿は実に圧巻。このダブルクロスによって東海道線・横須賀線の列車を自在に操る事ができるのだ。
更に進むと根岸線も合流してきて線路の本数がこの区間最大となると、ようやく自身の住処に近づいてきたのかという雰囲気になってくる。大船では湘南モノレールも接続していて、この付近の交通の要衝となっているが駅前は非常に狭い。付近の山や川が、恐らく地形的な成約になっており駅前広場を拡大できないでいるのであろう。だが、最近はかなり整備された模様なので少しは利用しやすくなったのかも知れない。

(大船と言えばこれであろう。かつてはドリームランドへモノレールが伸びていたが、いわゆる「設計ミス」のため開業からわずか1年足らずで営業休止に。つい最近まで(とは言えもう10年以上前になるが)錆びてボロボロになりながらも設備が残されていた。)
観音様を横目で見ながら旧・湘南貨物駅付近の景色の変化に時代の流れを感じた。そして横須賀線に湘南色の列車が走っているのも私の概念には無かった事柄だ。茅ヶ崎から新宿に乗り換えなしで行けるのも私の幼少時代ではできなかった。そして現在では東海道線の列車が東京を「スルー」してしまう時代だ。それこそ「踊り子」が常磐線方面に乗り入れたり、更にバリエーションが広がった。完全に東京が「終点」では無い時代になったのだ。ただ新幹線は違う。かつての概念の名残を将来的にも受け継ぐ事であろう。国鉄時代、東京駅の構造は東海道・東北の両新幹線をドッキングさせる設計であった。しかし民営化されてからはその計画も遥か彼方的な夢となってしまった。

(金沢まで新幹線が到達するような時代になり、来年は函館まで到達しようとしている。そんな時代の流れとともに、東京駅のキャパは既に限界を超えているが、早い話、JR東海の柔軟な姿勢次第で更なる夢が広がる可能性が「大」である。)
東京をスルーする新幹線・・・これは最大のテーマであろう。現在、周知の通り東京寄りの線路は東海道・東北の両新幹線どちらとも足りていない。そして東京駅のホームの数も限界であろう。JR東海の頭脳がもう少し柔軟になって頂ければ「この夢」は実に大きく進歩するはずである。湘南新宿ラインや上野・東京ラインを見れば一目瞭然、新幹線にもこうした概念が実現したら更に活用のバリエーションが広がるであろう。もちろん車両や設備の変更に国家予算並みの費用がかかろうが、その恩恵も大きいはず。「小田原発盛岡行」「小山発新大阪行き」「仙台発名古屋行」など、想像しただけでもブルブルと震えが来るくらい興奮してしまうではないか!比較的地味な存在の小田原や三島、小山などの駅を活用する事によって東京駅の負担が減るとともに利用者にとっては「乗り換えが減る」というメリットもある。もちろん他の駅も活用次第であるが、更に東海道新幹線開通当時からの構想でもあった「夜行列車」が運転されるかも知れない夢も新たに飛び出してくる、とは若干オーバーではあるが・・・
将来的には「リニア」も開通し、新幹線の負担が減っていく事であろう。その時、時代は新幹線に何を求めるのであろうか。茅ヶ崎で湘南新宿ラインから降りた時、そんな事が頭の中を過ぎっていった。

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(東海道線・横須賀線分離運転の際に東海道線の停車駅となった戸塚。両者は階段を使わずに乗り換えができて便利に。)
そしてこの戸塚のもうひとつの大役は、大船寄りにある「ダブルクロス」にある。東海道線と横須賀線との間にあるこのダブルクロスによって両者を実に匠に振り分け、そしてさばく姿は実に圧巻。このダブルクロスによって東海道線・横須賀線の列車を自在に操る事ができるのだ。
更に進むと根岸線も合流してきて線路の本数がこの区間最大となると、ようやく自身の住処に近づいてきたのかという雰囲気になってくる。大船では湘南モノレールも接続していて、この付近の交通の要衝となっているが駅前は非常に狭い。付近の山や川が、恐らく地形的な成約になっており駅前広場を拡大できないでいるのであろう。だが、最近はかなり整備された模様なので少しは利用しやすくなったのかも知れない。

(大船と言えばこれであろう。かつてはドリームランドへモノレールが伸びていたが、いわゆる「設計ミス」のため開業からわずか1年足らずで営業休止に。つい最近まで(とは言えもう10年以上前になるが)錆びてボロボロになりながらも設備が残されていた。)
観音様を横目で見ながら旧・湘南貨物駅付近の景色の変化に時代の流れを感じた。そして横須賀線に湘南色の列車が走っているのも私の概念には無かった事柄だ。茅ヶ崎から新宿に乗り換えなしで行けるのも私の幼少時代ではできなかった。そして現在では東海道線の列車が東京を「スルー」してしまう時代だ。それこそ「踊り子」が常磐線方面に乗り入れたり、更にバリエーションが広がった。完全に東京が「終点」では無い時代になったのだ。ただ新幹線は違う。かつての概念の名残を将来的にも受け継ぐ事であろう。国鉄時代、東京駅の構造は東海道・東北の両新幹線をドッキングさせる設計であった。しかし民営化されてからはその計画も遥か彼方的な夢となってしまった。

(金沢まで新幹線が到達するような時代になり、来年は函館まで到達しようとしている。そんな時代の流れとともに、東京駅のキャパは既に限界を超えているが、早い話、JR東海の柔軟な姿勢次第で更なる夢が広がる可能性が「大」である。)
東京をスルーする新幹線・・・これは最大のテーマであろう。現在、周知の通り東京寄りの線路は東海道・東北の両新幹線どちらとも足りていない。そして東京駅のホームの数も限界であろう。JR東海の頭脳がもう少し柔軟になって頂ければ「この夢」は実に大きく進歩するはずである。湘南新宿ラインや上野・東京ラインを見れば一目瞭然、新幹線にもこうした概念が実現したら更に活用のバリエーションが広がるであろう。もちろん車両や設備の変更に国家予算並みの費用がかかろうが、その恩恵も大きいはず。「小田原発盛岡行」「小山発新大阪行き」「仙台発名古屋行」など、想像しただけでもブルブルと震えが来るくらい興奮してしまうではないか!比較的地味な存在の小田原や三島、小山などの駅を活用する事によって東京駅の負担が減るとともに利用者にとっては「乗り換えが減る」というメリットもある。もちろん他の駅も活用次第であるが、更に東海道新幹線開通当時からの構想でもあった「夜行列車」が運転されるかも知れない夢も新たに飛び出してくる、とは若干オーバーではあるが・・・
将来的には「リニア」も開通し、新幹線の負担が減っていく事であろう。その時、時代は新幹線に何を求めるのであろうか。茅ヶ崎で湘南新宿ラインから降りた時、そんな事が頭の中を過ぎっていった。

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今更ながらに湘南新宿ラインで旅をしてみた④
2015-05-06

(大崎を出ると山手線と品鶴線が立体交差で分岐する。というより、なんとなく心霊写真みたいになって申し訳ないが・・・)
大崎を出ると品鶴線、つまり横須賀線に合流する。「横須賀線」とはおかしな表現であるが、その理由については先述通りである。だが、この大崎を出て品鶴線と合流するあたり、実に新鮮であった。いわゆるかつての「蛇窪信号場」と呼ばれる大崎駅構内扱いの合流地点と、後述する戸塚駅の交点の役割は実に大きい。そう、湘南新宿ラインの特徴としては、なんと言っても「横須賀線」を経由する事である。そして近年に開設された武蔵小杉も魅力的物件だ。品鶴線開業当時は無かった西大井を過ぎると武蔵小杉に到着するわけであるが、実にこの駅の役割は大きく機能している。今までこの駅がなかったのが不思議であるが、NEXなどを始めほぼ全ての列車が停車するのは実に便利であるが、他社との乗換には若干徒歩を要するのが難点である。だが、品鶴線開業当時(横須賀線分離運転時)から知る私にとてこの武蔵小杉の開業は実にサプライズだし、その当時は新川崎しか駅がなかった事を考えると着実に「旅客的」に進歩しているなとの印象である。

(武蔵小杉は品鶴線の中で一番新しい駅だ。南武線はもちろん、東急との乗換駅としてその役割は実に大きい。)
その武蔵小杉を過ぎると間もなく、固定資産税の支払いを心配してしまいそうな広大な土地が広がってくる。そう、ここが新川崎だ。かつては貨物路線として計画された品鶴線であることを象徴するかのように、周知の通り新鶴見操車場のすぐ横に設置されている駅である。1982年11月15日の上越新幹線開通の時のダイヤ改正の時に貨物列車が一気に整理されてしまった時に、ここ新鶴見もその機能をほぼ失ってしまった。現在、一部の土地は分譲されマンションなどになっているが、まだまだ他の部分は鉄道らしさが残る部分が多い。新川崎と言えば、南武線の鹿島田駅とかなりの至近距離にある。そう考えた場合、果たして駅の設置の意味があったのかと思ってしまう。むしろ武蔵小杉の方が条件的にも実にいいと思うのだが、当時の国鉄はそういう発想が無かったのかなと思ってしまう。そして「新川崎」というネームングも何やら怪しい感じだ。とは言え私の乗った列車は新川崎を通過、鶴見で東海道線と合流して横浜に着く。


(新鶴見はほとんど機能を失ったが、現在でも若干ながら機能しているみたいだ。とは言え、かつての盛栄は失われてしまい規模もかなり縮小された。)
横浜より先は、時刻表の地図上だとひとつの線になっているが、実はかなり離れた場所を走る場合もある保土ヶ谷~戸塚間である。特に分離運転の際に戸塚に東海道線が停車するようになったのが非常に大きい。その保土ヶ谷~戸塚間には東戸塚があるが、この駅も分離運転の際に開設された駅だ。分離運転前に私は散々この区間を通っているが「ここに駅ができますよ」という意味合いの予告看板がたっていた。実際に駅ができてからも通っていたが、なんというか山を切り開いて造ったため発展していくのにやや時間がかかった印象であった。区画整備はできているのだが、そこに建物などがなかなか建たずガラ~ンとした駅前の印象がしばらく続き、この先大丈夫なのかと子供ながらに心配してしまっていた。もちろん、現在はそんなかつての印象が想像できないくらいに建物がギッシリつまっているが、東戸塚駅付近にある横浜寄りのトンネル付近の景色は現在もほとんどかつての雰囲気が残るのが素敵だ。

(横浜を出ると相鉄と暫く併走する。そういえば相鉄もかつては多くの貨物を輸送していたが、現在は全くそんな素振りを見せないくらい面影がない。)

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今更ながらに湘南新宿ラインで旅をしてみた③
2015-05-03
湘南新宿ラインの魅力は、なんといっても東京方面をスルーし神奈川まで乗り換え無しで行ける事だ。だが、高崎からの乗車の場合、赤羽までは実にかつてと変わらぬ風景。しかし、赤羽から先東十条付近を経て巣鴨を拝み、池袋に達するあたり、実に新鮮である。それは何度通ってもそう感じるのはなぜだろう。実に良い!

(湘南新宿ラインの特徴として、赤羽から先は(大宮方面から見て)「京浜東北線」を経由する。窓の向こうから「東十条」や「巣鴨」などの駅名標が目に飛び込んでくるのは実に不思議な感じだ。)
池袋辺りは1980年代には既に「埼京線」の工事が進められていた関係から、非常に興味があった。私の知っている当時は赤羽線は単独的な運転をしていた。つまり赤羽と池袋を往復運転する列車ばかりであった。しかし今はどうであろう。周知の通りである。そして池袋を経由して新宿に着く。池袋と同じくこの駅でほとんどの乗客が入れ替わってしまう。相変わらず座席を動かないのは私たちくらいであろう。実に変な客だ・・・
しかしこの新宿駅は、実にここ近年で変化したものだと思う。私の知っている1980年代の新宿駅は、今の埼京線ホーム辺は全て貨物列車的側線であった。もっと言ってしまえば、私の記憶だとDD13辺りが貨物列車の入れ替えでディーゼルエンジンを唸らせていたのを中央線ホーム辺りから見ていたのを記憶している。平成生まれの諸君には信じられないであろうが、私的にはそんなイメージが強い。やはり「副都心」が相当の影響力を受けている感じを否定できない。だが、そんな「事件」があったからこそ「湘南電車」が新宿に現れる現在がある事が実に良い!

(埼京線が開通して以来、新宿駅のホームはぎょうさん増えた!かつては貨物側線であった部分も、現在ではそんな面影すら無いに等しい。)
さて、列車は実に貨物列車のような路線を経由し大崎に向かう。今でこそ山手貨物線に旅客ホームがあるが、特に渋谷駅に湘南新宿ライン専用のホームがあるのが実に違和感でならない。大体渋谷に「小田原行き」などの方向幕が見れること自体実にナンセンス!という表現はおかしいが、なんで渋谷にそんな列車がいるの?みたいな感じである。しかも大崎にもそんな列車が停車するのも新鮮。大崎といえば山手線の車庫があるイメージが強い。だが今は東京臨海高速鉄道も接続し、鉄道駅としては大きな拠点となっている。昔の大崎を知る私にとってみればそんな出世劇が実に信じられない。しかし今はその任務をしっかりと果たしている。そんな大崎を出ると更に素敵な変化が私を待っていた!

(同じくここ大崎もホームが増えた。かつては山手線用の島式ホーム2本のみであったが、現在は湘南新宿ラインも停車するホームも新設されホームの数は倍に!)

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(湘南新宿ラインの特徴として、赤羽から先は(大宮方面から見て)「京浜東北線」を経由する。窓の向こうから「東十条」や「巣鴨」などの駅名標が目に飛び込んでくるのは実に不思議な感じだ。)
池袋辺りは1980年代には既に「埼京線」の工事が進められていた関係から、非常に興味があった。私の知っている当時は赤羽線は単独的な運転をしていた。つまり赤羽と池袋を往復運転する列車ばかりであった。しかし今はどうであろう。周知の通りである。そして池袋を経由して新宿に着く。池袋と同じくこの駅でほとんどの乗客が入れ替わってしまう。相変わらず座席を動かないのは私たちくらいであろう。実に変な客だ・・・
しかしこの新宿駅は、実にここ近年で変化したものだと思う。私の知っている1980年代の新宿駅は、今の埼京線ホーム辺は全て貨物列車的側線であった。もっと言ってしまえば、私の記憶だとDD13辺りが貨物列車の入れ替えでディーゼルエンジンを唸らせていたのを中央線ホーム辺りから見ていたのを記憶している。平成生まれの諸君には信じられないであろうが、私的にはそんなイメージが強い。やはり「副都心」が相当の影響力を受けている感じを否定できない。だが、そんな「事件」があったからこそ「湘南電車」が新宿に現れる現在がある事が実に良い!

(埼京線が開通して以来、新宿駅のホームはぎょうさん増えた!かつては貨物側線であった部分も、現在ではそんな面影すら無いに等しい。)
さて、列車は実に貨物列車のような路線を経由し大崎に向かう。今でこそ山手貨物線に旅客ホームがあるが、特に渋谷駅に湘南新宿ライン専用のホームがあるのが実に違和感でならない。大体渋谷に「小田原行き」などの方向幕が見れること自体実にナンセンス!という表現はおかしいが、なんで渋谷にそんな列車がいるの?みたいな感じである。しかも大崎にもそんな列車が停車するのも新鮮。大崎といえば山手線の車庫があるイメージが強い。だが今は東京臨海高速鉄道も接続し、鉄道駅としては大きな拠点となっている。昔の大崎を知る私にとってみればそんな出世劇が実に信じられない。しかし今はその任務をしっかりと果たしている。そんな大崎を出ると更に素敵な変化が私を待っていた!

(同じくここ大崎もホームが増えた。かつては山手線用の島式ホーム2本のみであったが、現在は湘南新宿ラインも停車するホームも新設されホームの数は倍に!)

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今更ながらに湘南新宿ラインで旅をしてみた②
2015-04-30
既に先述したが、岳南電車を訪問した後私は草津に向かった。そう、湘南新宿ラインで。そして草津からの帰りも湘南新宿ラインを利用した。お陰で交通費が格安で済んだが、体力的にはやはり疲労を隠せない部分を否定できなかった・・・そんな疲労困憊の中、なぜか湘南新宿ラインを高崎から乗車した時より非常にテンションが高くなり、ならばブログに記事を紹介すべくしっかりと感受性を豊かにしておこうと心に決めた!という決意を元に高崎のホームを後にした。

(高崎で湘南新宿ラインを待っていたらこんな列車がやってきた。もちろん、私はこの列車が到着する前の普通列車に乗ってこの高崎に到着した。)
乗車した車両は東海道線ではお馴染みの車両であり、私にとっては生活の一部に過ぎない。そんな列車にどう「旅情」を探せというのか・・・いや、東海道線は特に私が幼少時代から生活の一部として馴染んできた路線だ。歴史や時間の流れとともにその変化をずっと見守ってきた。とは言え1985年くらいから2007年までレールファンを離れていたが、そんな中でも生活の一部として利用していたし変化していたことはもちろん知っている。逆にこの20年以上のブランクがあったからこそ今が実に新鮮に感じる部分も少なからずある。だから高崎駅で見る「小田原」という方向幕も実に新鮮。とは言えレールファンを復活してから8年以上経過しているので何度も見ているのであるが、改めて「ブログ管理者」的な事を意識するとそう感じてしまうのだ。

(深谷ではお馴染み「東京駅」が見れる。ちなみに「お馴染み」ではない人に解説させていただくと、東京駅の駅舎の材料になっているレンガは、ここ深谷で作られたものを使用している。)
高崎線の変化と言えば、深谷の駅舎が東京駅をモチーフしたくらいしか変化に気付かなかったが、国鉄時代には山手線・新幹線と並び「黒字路線」として名を連ねていたのは周知の通りであろう。そんな時代を今も若干感じさせるが、やはり最大の変化は先述した高崎駅などで「小田原」の行き先が頻繁に見られる事であろう。横須賀線が総武線と直通運転を開始した当時と同じように、湘南新宿ライン開業当時も高崎線の利用者はその方向幕をみて若干戸惑ったのかも知れない。

(廃止直前に訪問した東武熊谷線の熊谷駅にて。正式には秩父鉄道の熊谷駅と言ったほうが正解か・・・)
さて、熊谷に到着しても私の知っている昔の風景とそんなに変わらない。かつては「東武熊谷線」が分岐しており、東武鉄道唯一のDCが運転されていた。私も廃止前に訪問しているが、当時は全く意味もわからずただ廃止と聞くと訪問していたので記憶が薄い。しかしながら今となっては貴重な体験となってしまった。そんな経験を当時は実に多くやっていたが、今となってはよくぞそんな行動を取っていたと感心してしまう。まぁ、当時は中学生だったので休みの度にそんな事をしていたのであろう。それ自体記憶にないが、写真などの記録が残っているという事は、やはりそうだったのかも知れない。

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(高崎で湘南新宿ラインを待っていたらこんな列車がやってきた。もちろん、私はこの列車が到着する前の普通列車に乗ってこの高崎に到着した。)
乗車した車両は東海道線ではお馴染みの車両であり、私にとっては生活の一部に過ぎない。そんな列車にどう「旅情」を探せというのか・・・いや、東海道線は特に私が幼少時代から生活の一部として馴染んできた路線だ。歴史や時間の流れとともにその変化をずっと見守ってきた。とは言え1985年くらいから2007年までレールファンを離れていたが、そんな中でも生活の一部として利用していたし変化していたことはもちろん知っている。逆にこの20年以上のブランクがあったからこそ今が実に新鮮に感じる部分も少なからずある。だから高崎駅で見る「小田原」という方向幕も実に新鮮。とは言えレールファンを復活してから8年以上経過しているので何度も見ているのであるが、改めて「ブログ管理者」的な事を意識するとそう感じてしまうのだ。

(深谷ではお馴染み「東京駅」が見れる。ちなみに「お馴染み」ではない人に解説させていただくと、東京駅の駅舎の材料になっているレンガは、ここ深谷で作られたものを使用している。)
高崎線の変化と言えば、深谷の駅舎が東京駅をモチーフしたくらいしか変化に気付かなかったが、国鉄時代には山手線・新幹線と並び「黒字路線」として名を連ねていたのは周知の通りであろう。そんな時代を今も若干感じさせるが、やはり最大の変化は先述した高崎駅などで「小田原」の行き先が頻繁に見られる事であろう。横須賀線が総武線と直通運転を開始した当時と同じように、湘南新宿ライン開業当時も高崎線の利用者はその方向幕をみて若干戸惑ったのかも知れない。

(廃止直前に訪問した東武熊谷線の熊谷駅にて。正式には秩父鉄道の熊谷駅と言ったほうが正解か・・・)
さて、熊谷に到着しても私の知っている昔の風景とそんなに変わらない。かつては「東武熊谷線」が分岐しており、東武鉄道唯一のDCが運転されていた。私も廃止前に訪問しているが、当時は全く意味もわからずただ廃止と聞くと訪問していたので記憶が薄い。しかしながら今となっては貴重な体験となってしまった。そんな経験を当時は実に多くやっていたが、今となってはよくぞそんな行動を取っていたと感心してしまう。まぁ、当時は中学生だったので休みの度にそんな事をしていたのであろう。それ自体記憶にないが、写真などの記録が残っているという事は、やはりそうだったのかも知れない。

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今更ながらに湘南新宿ラインで旅をしてみた①
2015-04-27
湘南新宿ラインとはいわゆる「通称」で正式路線名ではないのは周知の通りであるが、私的にはこの湘南新宿ラインは実に斬新で新鮮なアイデアであると感心してしまう。私のような「昭和」な人間だと「西の起点は東京、北の起点は上野」という概念から、東京都のどこかの駅が鉄道の起点でなければいけないような習慣というか常識がある。そんな常識をぶち破ったのがこの湘南新宿ラインであった。今回は、先に紹介した岳南電車を制覇したあとにこの湘南新宿ラインに乗り草津を目指したが、ハッキリ言って始発の小田原から終点の高崎まで乗車したのは私たちだけであったろう。だが、東京地区をスルーしてしまう事が改めて画期的であると感じた今日この頃、現在は「上野東京ライン」とともに東京駅をスルーしてしまうのが当たり前の時代になってしまった現在、改めてその魅力を探ってみた。

(私が生まれた頃より慣れ親しんできた「湘南電車」。現在では吾妻線や両毛線などで活躍するが、その余命もそう長くはないであろう。)
ことの始まりは、恐らく貨物が衰退してきた1980年代から始まったと思う。1980年には大船で東海道線と横須賀線の列車が線路を共有し東京まで行っていたのを横須賀線と東海道線を分離させ、横須賀線専用の複線区間が新たに新設された。そして鶴見より、いわゆる「品鶴線」と呼ばれる東海道貨物線を旅客線として活かす形で鶴見~品川間に横須賀線の列車を走らせ、品川から地下に潜り総武線とドッキングさせるという大胆な革命が起きた。これにより横須賀線・総武線の直通運転が始まり、山手線・京浜東北線以外で初めて東京をスルーする画期的な列車として私は衝撃を受けたものだ。そのため大船や鎌倉では「君津」「上総一ノ宮」などの見慣れない行き先が現れ、利用者も最初は戸惑った事であろう。そのうち大船発の「わかしお」なども出現し、新・横須賀線の活用にバリエーションが広がっていき、そして今日の「NEX」に繋がっている。

(後ほど登場するが、品鶴線と言えば「新鶴見」であろう。新川崎駅の横に併設、というより新鶴見の横に新川崎が併設されていると言ったほうが正しいか・・・現在ではこの新鶴見も機能をほとんど失い、広大な空地が広がる場面も。)
それとは別に、世の中では「東京副都心構想」みたいなものが流行し、新宿に都庁が建設された。すると人の流れは東京・丸の内方面とは別に、新たに新宿方面への流れが非常に大きなウェートを占めるようになってきた。それに合わせるように、既に1980年代から衰退してきた貨物線を旅客に活かそうと工事を進めてきた山手貨物線の再活用を提案、現在の埼京線・湘南新宿ラインの形ができあがったと思う。ウィキによると2001年の運転開始と記されていたが、これは恐らく競合する私鉄会社も驚異であったろう。特に小田急は藤沢~新宿間ではスピード面では劣っていたが、更に劣勢に立つことになった。それは小田原~新宿間にも言えることであるが、更に新宿から先も乗り換えなしで行けるのが最も魅力であったろう。特に湘南各駅から池袋などに通勤している人は完全に乗り換えなしでの直通であるため、もし私が同じ立場であっても確実に湘南新宿ラインを選択している事だと思う。

(画像はウィキペディアより。私にしてみたらこの車両を見てパッと形式が出てこない、というよりわからない。E231系と言われてもあまりピンと来ないのは私が「昭和型」「国鉄型」だからであろうか・・・)
今回の湘南新宿ラインの旅は、そんな都会を走る列車の「旅情」を紹介してみたいが、果たして都会を走る列車に「旅情」とは「??」であろう。草津への旅の際、行きは小田原から高崎まで、帰りは高崎から茅ヶ崎まで乗車した。今回は帰りの旅の模様を紹介してみたい。もちろん切符はあの「18」しかない!というより他にいい切符が見当たらない!みたいな・・・

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(私が生まれた頃より慣れ親しんできた「湘南電車」。現在では吾妻線や両毛線などで活躍するが、その余命もそう長くはないであろう。)
ことの始まりは、恐らく貨物が衰退してきた1980年代から始まったと思う。1980年には大船で東海道線と横須賀線の列車が線路を共有し東京まで行っていたのを横須賀線と東海道線を分離させ、横須賀線専用の複線区間が新たに新設された。そして鶴見より、いわゆる「品鶴線」と呼ばれる東海道貨物線を旅客線として活かす形で鶴見~品川間に横須賀線の列車を走らせ、品川から地下に潜り総武線とドッキングさせるという大胆な革命が起きた。これにより横須賀線・総武線の直通運転が始まり、山手線・京浜東北線以外で初めて東京をスルーする画期的な列車として私は衝撃を受けたものだ。そのため大船や鎌倉では「君津」「上総一ノ宮」などの見慣れない行き先が現れ、利用者も最初は戸惑った事であろう。そのうち大船発の「わかしお」なども出現し、新・横須賀線の活用にバリエーションが広がっていき、そして今日の「NEX」に繋がっている。

(後ほど登場するが、品鶴線と言えば「新鶴見」であろう。新川崎駅の横に併設、というより新鶴見の横に新川崎が併設されていると言ったほうが正しいか・・・現在ではこの新鶴見も機能をほとんど失い、広大な空地が広がる場面も。)
それとは別に、世の中では「東京副都心構想」みたいなものが流行し、新宿に都庁が建設された。すると人の流れは東京・丸の内方面とは別に、新たに新宿方面への流れが非常に大きなウェートを占めるようになってきた。それに合わせるように、既に1980年代から衰退してきた貨物線を旅客に活かそうと工事を進めてきた山手貨物線の再活用を提案、現在の埼京線・湘南新宿ラインの形ができあがったと思う。ウィキによると2001年の運転開始と記されていたが、これは恐らく競合する私鉄会社も驚異であったろう。特に小田急は藤沢~新宿間ではスピード面では劣っていたが、更に劣勢に立つことになった。それは小田原~新宿間にも言えることであるが、更に新宿から先も乗り換えなしで行けるのが最も魅力であったろう。特に湘南各駅から池袋などに通勤している人は完全に乗り換えなしでの直通であるため、もし私が同じ立場であっても確実に湘南新宿ラインを選択している事だと思う。

(画像はウィキペディアより。私にしてみたらこの車両を見てパッと形式が出てこない、というよりわからない。E231系と言われてもあまりピンと来ないのは私が「昭和型」「国鉄型」だからであろうか・・・)
今回の湘南新宿ラインの旅は、そんな都会を走る列車の「旅情」を紹介してみたいが、果たして都会を走る列車に「旅情」とは「??」であろう。草津への旅の際、行きは小田原から高崎まで、帰りは高崎から茅ヶ崎まで乗車した。今回は帰りの旅の模様を紹介してみたい。もちろん切符はあの「18」しかない!というより他にいい切符が見当たらない!みたいな・・・

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