廃止路線を訪ねて⑤(鹿児島交通)(リメイク版)
2014-05-19

(1983年3月31日、雨の降りしきる・・・と言うより「激雨」であった枕崎駅。島式ホーム一面二線で片側を国鉄が、片側を鹿児島交通が使用していた。駅自体は鹿児島交通の管理にあり、国鉄は間借りしている存在であった。)
旅日記「上り2038レ~」で若干紹介したが、私はXデー当日に鹿児島交通制覇の「つもり」であった。当日は雨。「土砂降り」とはよく言ったもので、この日は雨で無く、本当に土砂が降っているのかと錯覚するくらいの降りっぷりであった。遥々「西鹿児島」から指宿枕崎線で枕崎に到着した。途中、開聞岳を拝み「日本最南端の駅(当時)」を経験しているはずであるのだが・・・残念ながら記録はあるものの、記憶が無い。しかし枕崎の駅に着いたのは今でもハッキリ覚えてる。やはり指宿枕崎線に揺られてきたのだ。駅舎は立派であるが、鹿児島交通所有のものであり、国鉄(当時)は鹿児島交通に業務委託している。「つもり」で来た為ある程度覚悟していたが、逆に人影疎らのため拍子抜けしてしまった。後になって延期になった事を知るわけだが、むしろ普段の状況を感じる事が出来るので、かえって良かったのかも知れない。とは言っても、当然「同業者」も数名居るため、普段の姿とは程遠い部分も無くはないが・・・超古典的な車内は、無人駅が多く点在するため車掌が行ったり来たりで忙しい。とは言っても一両の車内は乗客が多いとは言えず、ほぼ「よそ者」のため終点まで顔ぶれは変わらないであろう。車掌もよく心得ているようである。

(「ツジちゃん」ではなく「カゴちゃん」です!駅前の商店が若干気になる存在であるが・・・)
津貫、内山田など停車し加世田に着いた。時刻表上では直通となっていたが、車内放送では乗換えなくてはいけないらしい。早速伊集院行き列車に乗り換える。しかし車内には幼い姉弟が夢の中で、終点に着いた事に気付いてない。私は「終点だよ」と2人を起こしたのだが「何でここで降りるって分かったんだろう?」みたいな感じでこちらを見ていた。それより同じ顔ぶれが同じ列車のに乗り換えるのだから「座席の確保」が最優先となる。とにかくそのことに命を賭け、一目散に目的を達成させた。

(加世田の駅名表は印象的であるが、ここが鹿児島交通の「中心街」である。が、駅名表しか写真を保有していないのが残念である。現在は「資料館」のような形で鹿児島交通の鉄道の在りし日の姿が確認できる場所となっている。)
かつて加世田から「万世線」が分岐していたが1962年に廃止された。そんな時代に私は存在していなかったので完全に伝説であったが、痕跡すら見当たらなかったと思う。そして次の阿多からは知覧線が分岐していたが、こちらも1965年に廃止されており、これも伝説である。次の南多夫施では、いい感じの木造駅舎があり「らしさ」を醸し出していた。伊作の駅名表は、もう廃止が決まっていたのであろうかの如く、一部が欠けていて若干役割を果たしていなかった。メンテナンスとは程遠いのか・・・かつては地方交通線としては優秀と言われていた時代もあったが、モータリゼーションの波に例外なく飲み込まれてしまった事で、晩年では乗客が激減した。他の地方私鉄と同じような運命を同じように辿ってしまうとは実に残念であるが、このときは廃止が延期になっただけでも嬉しかった。

(画像はウィキペディアより。現在の「永吉」駅の姿。この「永吉」をどう読むかはあなた次第だ!)
やがて列車は吹上浜という情緒ある駅名を掠め、気になる「永吉」についた。個人的に、某ロックアーチストの大ファンであるが、こちらは「ながよし」と読むのだ。ファンなら誰でも訪れてみたい駅であろう(と思うのは私だけか・・・)。

(南田布施はなかなかいい感じの駅舎が存在していた。当時は下車できなかったのが残念であったが・・・この写真でこの駅の雰囲気が伝わるであろうか?)
やがて列車は、ほぼ顔ぶれの変化も無く終点の伊集院に到着。ここで鹿児島本線に乗り換える「同じ顔ぶれ」は鹿児島方面がほぼ99.99%であった。熊本方面への乗り換えは、地元の人を除けば私たち御一行だけであった。この後、川内より「2038」に乗って八代へ向ったわけだが、伊集院はまだ鹿児島の通勤圏内。勤め帰りの乗客でかなり賑っていた。
たった今乗ってきた列車がガラス越しに見えている。一両のため、長いホームを持て余しながらこちらを見送っていた。赤を基調とした「キハ10もどき」とはもう再会することが出来ない。私は「彼」が見えなくなるまで窓にへばり付き再びその勇姿を見せてくれることを願っていた。

(上津貫の駅名表は既に役目を終えようとしていた。ここに限らず、鹿児島交通の各々の駅はこうした駅名表が当時多くみられた。会社は既にあきらめムードであったのか・・・しかし私が訪問した当日が廃止日であったのだが知らぬ間に延期されていた。しかし翌年の水害で完全にやられてしまい廃止に追い込まれてしまった・・・)

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