恋の列車はオオタキ発④ 木原線時代の駅名標
2015-11-19
さて、前章で予告した木原線時代の写真を紹介しよう。と言っても予告通り駅名標のみであるが、感度の高いフィルムを使用したため写真はやや赤みを帯びている。確か、既に「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーンが始まった直後くらいであったので、その制覇も含めての訪問であった。上総中野から連絡している小湊鉄道へはその時乗車せずに折り返し大原に戻った。理由として、当時は「20000km」キャンペーン中であったため国鉄に拘っていたのかも知れないのと「別料金」がやや重たい印象であったから、という事であった。





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という事で紹介してみたいが、駅名標の並ぶ順番は順不同であるのであしからず。恐らく本当は木原線全駅名標を撮影しようと試みたはず。であるが、ご覧の写真しか残っていなかった。ちなみに相互リンクさせていただいている「プラットホームの旅」や「昔訪ねた気動車ローカル線」でも国鉄時代の木原線の様子を見る事ができるので是非!

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という事で紹介してみたいが、駅名標の並ぶ順番は順不同であるのであしからず。恐らく本当は木原線全駅名標を撮影しようと試みたはず。であるが、ご覧の写真しか残っていなかった。ちなみに相互リンクさせていただいている「プラットホームの旅」や「昔訪ねた気動車ローカル線」でも国鉄時代の木原線の様子を見る事ができるので是非!

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恋の列車はオオタキ発③
2015-11-15
既に秘境駅として久我原は紹介したが、それに象徴されるようにこの木原線、現在で言ういすみ鉄道は素晴らしいロケーションの中を走る。木原線の中心的存在と言えば国吉と大多喜であるが、特に大多喜は国鉄から転換の際にいすみ鉄道の本社が置かれた。木原線に乗車している時はそんな大多喜駅などは単なる列車交換駅的に過ぎない存在感の印象であった。

(今回は大多喜駅を中心に紹介してみよう。いすみ鉄道の「中心」として機能している大多喜は、やはり「拠点駅」としての風格はあった。)
中学生ながらにローカルなムードを感じながら終点の上総中野に到着したが・・・基本的にこの時は「いい旅チャレンジ20000km」の制覇路線のひとつにすぎず、やたら「証明写真」や「入場券」あたりの単語に非常に拘っていた時代であった。「証明写真」と言うと、いわゆる駅名標と自身が一緒に写るタイプが20000kmルールであったが、例えば北海道などのローカル線の終端駅では5分くらいで折り返してしまうため時間のやりくりが大変だ。証明写真を撮りそして入場券購入へ・・・更に駅風景などを撮影するとすぐに5分など過ぎてしまう。今回の木原線の旅では5分以上あった記憶であるが、それより接続する小湊鉄道の存在が気になっていた。であるが・・・結論から言うと予算的に「折り返す」という事で仲間の合意を得たという事であった。

(改札はフリーであった!有人駅であるにも関わらず、こうして開放してくれる姿勢が嬉しい。)
全く関係ない話であるが、最近私は魚類が「美味い」と思うようになってきた。つい最近までは肉類が主流であったが、とにかく魚の味が新鮮的で食が進む。とは言え、私が好む魚は「干物」であるが、という事は歳をとったという事であろうか・・・ただ、そうして魚を食しているうちに面白いことに気がついた。例えば干物の王様は「真あじ」であろう。そして干物の他には「みりん漬け」や「粕漬け」などがある。が、みりん漬けは「さば」などが主流で粕漬けは「赤魚」が常識であろう。「あじみりん」は存在するが、実際問題マイナーな存在だ。つまりそれぞれの素材にあった「味付け」があるという事だ。赤魚は干物の開きものもあるが、どちらかといえば粕漬けが一般的だ。そしてホッケは圧倒的に干物の開ものが主流で酒の肴には欠かせない存在だ。ホッケみりんはあまり市場に出回っていないであろうが、ホッケ粕漬けとは聞いた事がない。やはりホッケはシンプルに干物の方が素材の旨さが引き立つ。

(恐らくホームは昔ながらの佇まいであろうと思われる。国鉄時代のままの部分が多数見受けられた。)
これは他の事にも当てはまるであろう。もちろん鉄道も。全国各地では、いわゆる「観光列車」と呼ばれる列車が多数運転されている。であるが、ただ運転すればお客を呼べるか・・・と言うとそうでもない。やはり何らかの特色を出さないと、最初はいいがいずれ飽きられてしまう。そう、その路線に合った「味付け」が非常に重要であろう。私は以前に某鉄道ブログに小田急線の記事が掲載されている時に「小田急にSLでも走らせれば面白いのではないか」とのコメントをした事がある。その返事とは、実に現実的なものであり納得させられる内容であった。要約すると「運転システム(ATSなどのシステム)が支障となったり、沿線に迷惑がかかるであろう」と。更に「だったらSE車でも運転したほうが良い」という旨であった。これは完全に的を射ていて正解であると思う。

(そしてこちらが大多喜駅の車庫に眠る国鉄時代の車両。というより、国鉄時代はご覧のDCが走った記憶が無いので三セク化されてからも含め「初」かも知れない。)
現在、いすみ鉄道にはキハ20などが運転されている。もちろん他の路線にもこういったイベント的な運転はあるが、やはり木原線、いや、いすみ鉄道に走っているからこその面白さがあるのではないか?と、大多喜駅に停泊していたキハ20を見てそう思ってしまった。そう、真あじには真あじの、赤魚には赤魚の素材の活かし方がある。粕漬けは赤魚であるから美味いのであって、真あじであったら元の素材の良さが死んでしまうであろう。つまり、その素材の良さを活かすには、その素材そのものを根底から知る必要がある。そして素材と「馴染む」事も必要だ。

(そしてこちらが同じく車庫にいたキハ20である。が、私の記憶だとキハ10や、特にキハ30辺りが活躍していた印象しかない。という事はこちらも「初」となるのか?)
と、なんだか理屈っぽくなってしまったが、要するに、いすみ鉄道のキハ20だからキハ20が活きてくると私は思う。あの久我原や総元辺りを走るキハ20は実に絵になるし心地よい。
今回、私は1981年と2008年の訪問時と併せて2015年の訪問時も紹介しているが、2015年にマイカーで訪問した時に外側からいすみ鉄道を見る事ができて実に素晴らしかったと思う。次回のアップでは1981年に訪問した時に撮影した写真を紹介してみたい。と言っても駅名標しか残っていなかったのでやや物足りないかも知れないが・・・

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(今回は大多喜駅を中心に紹介してみよう。いすみ鉄道の「中心」として機能している大多喜は、やはり「拠点駅」としての風格はあった。)
中学生ながらにローカルなムードを感じながら終点の上総中野に到着したが・・・基本的にこの時は「いい旅チャレンジ20000km」の制覇路線のひとつにすぎず、やたら「証明写真」や「入場券」あたりの単語に非常に拘っていた時代であった。「証明写真」と言うと、いわゆる駅名標と自身が一緒に写るタイプが20000kmルールであったが、例えば北海道などのローカル線の終端駅では5分くらいで折り返してしまうため時間のやりくりが大変だ。証明写真を撮りそして入場券購入へ・・・更に駅風景などを撮影するとすぐに5分など過ぎてしまう。今回の木原線の旅では5分以上あった記憶であるが、それより接続する小湊鉄道の存在が気になっていた。であるが・・・結論から言うと予算的に「折り返す」という事で仲間の合意を得たという事であった。

(改札はフリーであった!有人駅であるにも関わらず、こうして開放してくれる姿勢が嬉しい。)
全く関係ない話であるが、最近私は魚類が「美味い」と思うようになってきた。つい最近までは肉類が主流であったが、とにかく魚の味が新鮮的で食が進む。とは言え、私が好む魚は「干物」であるが、という事は歳をとったという事であろうか・・・ただ、そうして魚を食しているうちに面白いことに気がついた。例えば干物の王様は「真あじ」であろう。そして干物の他には「みりん漬け」や「粕漬け」などがある。が、みりん漬けは「さば」などが主流で粕漬けは「赤魚」が常識であろう。「あじみりん」は存在するが、実際問題マイナーな存在だ。つまりそれぞれの素材にあった「味付け」があるという事だ。赤魚は干物の開きものもあるが、どちらかといえば粕漬けが一般的だ。そしてホッケは圧倒的に干物の開ものが主流で酒の肴には欠かせない存在だ。ホッケみりんはあまり市場に出回っていないであろうが、ホッケ粕漬けとは聞いた事がない。やはりホッケはシンプルに干物の方が素材の旨さが引き立つ。

(恐らくホームは昔ながらの佇まいであろうと思われる。国鉄時代のままの部分が多数見受けられた。)
これは他の事にも当てはまるであろう。もちろん鉄道も。全国各地では、いわゆる「観光列車」と呼ばれる列車が多数運転されている。であるが、ただ運転すればお客を呼べるか・・・と言うとそうでもない。やはり何らかの特色を出さないと、最初はいいがいずれ飽きられてしまう。そう、その路線に合った「味付け」が非常に重要であろう。私は以前に某鉄道ブログに小田急線の記事が掲載されている時に「小田急にSLでも走らせれば面白いのではないか」とのコメントをした事がある。その返事とは、実に現実的なものであり納得させられる内容であった。要約すると「運転システム(ATSなどのシステム)が支障となったり、沿線に迷惑がかかるであろう」と。更に「だったらSE車でも運転したほうが良い」という旨であった。これは完全に的を射ていて正解であると思う。

(そしてこちらが大多喜駅の車庫に眠る国鉄時代の車両。というより、国鉄時代はご覧のDCが走った記憶が無いので三セク化されてからも含め「初」かも知れない。)
現在、いすみ鉄道にはキハ20などが運転されている。もちろん他の路線にもこういったイベント的な運転はあるが、やはり木原線、いや、いすみ鉄道に走っているからこその面白さがあるのではないか?と、大多喜駅に停泊していたキハ20を見てそう思ってしまった。そう、真あじには真あじの、赤魚には赤魚の素材の活かし方がある。粕漬けは赤魚であるから美味いのであって、真あじであったら元の素材の良さが死んでしまうであろう。つまり、その素材の良さを活かすには、その素材そのものを根底から知る必要がある。そして素材と「馴染む」事も必要だ。

(そしてこちらが同じく車庫にいたキハ20である。が、私の記憶だとキハ10や、特にキハ30辺りが活躍していた印象しかない。という事はこちらも「初」となるのか?)
と、なんだか理屈っぽくなってしまったが、要するに、いすみ鉄道のキハ20だからキハ20が活きてくると私は思う。あの久我原や総元辺りを走るキハ20は実に絵になるし心地よい。
今回、私は1981年と2008年の訪問時と併せて2015年の訪問時も紹介しているが、2015年にマイカーで訪問した時に外側からいすみ鉄道を見る事ができて実に素晴らしかったと思う。次回のアップでは1981年に訪問した時に撮影した写真を紹介してみたい。と言っても駅名標しか残っていなかったのでやや物足りないかも知れないが・・・

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恋の列車はオオタキ発②
2015-11-11
いすみ鉄道と言えば、言わずと知れた国鉄木原線であるのは周知の通りだ。私は1981年頃に木原線廃止情報を受け一目散に旅立った・・・と言っても首都圏のため宿泊してまでという距離ではなく、完全に日帰り圏内であった。路線名となっている「木原」とは、私が述べるまでもなく皆様の方がご存知であろう。この事は小湊鉄道の章でも既に述べているが、やはりこの鉄道に関する変遷は実に興味深い。確か廃止情報を受けたのは私が中学1年生の時であったと思う。はっきりとした記録を残していなかったが、当時の写真が残っていた。その写真から判断した結論である。というのも、その写真の判断理由として「カメラ」にあった。それは後に購入する「キャノンAE-1プログラム」ではなく「キャノンdemi EE-28」と呼ばれる、言わば「バカチョンカメラ」での撮影とすぐに判断できるからであった。という事で、今回は1981年に訪問した木原線時代を中心に、2008年にいすみ鉄道として訪問した時と併せて紹介してみよう。

(確か1981年の訪問であったと思う大原にて。2008年には久々の訪問となったが、私的には懐かしさ満点であった。であるが、やはり木原線的な印象はかなり薄れ、いすみ鉄道的な印象がダイレクトに伝わってきたのも正直なところだ。)
という事で、はるばる神奈川県からやってきた私は、木原線の起点である大原までは実に遠く感じたものだ。1981年と言えば、まだまだ165系や153系などの「房総急行」が両国から出ていた時代だ。とは言え、既にこの時に房総急行全廃の情報は流れており、中学生ながらに「将来貴重になる」と思いその急行列車に向けひたすらシャッターを切る日々であった。そしてこの日も大原ではご覧の急行がいたため即座に反応。と言っても「バカチョン」のためなかなか披露しにくい作品であるが・・・

(同じく1981年の訪問時に大原で撮影した急行「外房」であるが・・・この撮影当時には既に房総急行廃止の情報が流れていた。実際に両国始発の列車がなくなってしまうのか・・・的な実感があまり感じられなかったが、現在は周知の通り「伝説」になってしまっている。)
さて、ここ大原に来るまでの道のりは記録していなかったが記憶はあった。1980年より横須賀線と総武線の相互乗り入れが開始され、いわゆる「品鶴線」を通るルートが斬新であった横須賀線に乗れば東京で乗り換えなしで千葉方面へ行ける。それを乗るのがひとつの快感となっていた私は、確か戸塚で上総一ノ宮行きに乗り換えた記憶だ。であるが、まだ相互乗り入れが開始され1年くらいしか経っていない。私はともかく、普段から通勤などで利用している方はこの行き先をどう感じていたのであろうか。2015年を迎えた現在「上野東京ライン」なる新たな仲間が加わったが、辻堂や茅ヶ崎等で「前橋行きがまいります」的なアナウンスは実にアンマッチ的に思える。だが、既に「湘南新宿ライン」でその事は経験済みであるのだが・・・

(こちらは2008年訪問時のものである、私的には「横須賀線」である。かなり外観的にもお疲れの様子であるが、2015年現在も活躍しているのであろうか。)
そんな横須賀線に乗り車窓に映る「新鶴見」は当時の私にとっては実に新しい景色。そして東京を「スルー」してしまうのも完全に新世界であった。そして上総一ノ宮で乗り換え大原に向かう・・・ある意味、千葉にも「横須賀線」が走っているのかと関心してしまうくらいであった。そして大原に到着。乗り換える木原線はパッと見「相模線」という印象。相模線で既に主流となっていたキハ30の姿が活躍していた。そんな大原では、当時全廃されるという情報が流れていた「房総急行」の姿が見ることが出来た。「本当に急行列車がなくなってしまうのか・・・」と子供ながらに思っていたが、現在は周知の通り。であるが、まだまだ両国駅はかつての面影が残っているのが嬉しい。貨物駅の方は既に「国技館」として第二の人生を送っているが、現在ではそのことがすっかり定着している。私自身も国技館には何度も足を運んでいたが、特にあの「マス席」は実に「青函連絡船」を思い出してしまう。なんとなくあの「桟敷席」的な雰囲気で枝豆でも頬張りながら観る「リキラリアット」「STF」などは実に声援にも熱がこもってしまう、と、相撲ではない話題で申し訳ないが・・・
と、いつも話が逸れてしまうが・・・私が乗った列車は既に上総中野に向けてエンジンを唸らせていた。

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(確か1981年の訪問であったと思う大原にて。2008年には久々の訪問となったが、私的には懐かしさ満点であった。であるが、やはり木原線的な印象はかなり薄れ、いすみ鉄道的な印象がダイレクトに伝わってきたのも正直なところだ。)
という事で、はるばる神奈川県からやってきた私は、木原線の起点である大原までは実に遠く感じたものだ。1981年と言えば、まだまだ165系や153系などの「房総急行」が両国から出ていた時代だ。とは言え、既にこの時に房総急行全廃の情報は流れており、中学生ながらに「将来貴重になる」と思いその急行列車に向けひたすらシャッターを切る日々であった。そしてこの日も大原ではご覧の急行がいたため即座に反応。と言っても「バカチョン」のためなかなか披露しにくい作品であるが・・・

(同じく1981年の訪問時に大原で撮影した急行「外房」であるが・・・この撮影当時には既に房総急行廃止の情報が流れていた。実際に両国始発の列車がなくなってしまうのか・・・的な実感があまり感じられなかったが、現在は周知の通り「伝説」になってしまっている。)
さて、ここ大原に来るまでの道のりは記録していなかったが記憶はあった。1980年より横須賀線と総武線の相互乗り入れが開始され、いわゆる「品鶴線」を通るルートが斬新であった横須賀線に乗れば東京で乗り換えなしで千葉方面へ行ける。それを乗るのがひとつの快感となっていた私は、確か戸塚で上総一ノ宮行きに乗り換えた記憶だ。であるが、まだ相互乗り入れが開始され1年くらいしか経っていない。私はともかく、普段から通勤などで利用している方はこの行き先をどう感じていたのであろうか。2015年を迎えた現在「上野東京ライン」なる新たな仲間が加わったが、辻堂や茅ヶ崎等で「前橋行きがまいります」的なアナウンスは実にアンマッチ的に思える。だが、既に「湘南新宿ライン」でその事は経験済みであるのだが・・・

(こちらは2008年訪問時のものである、私的には「横須賀線」である。かなり外観的にもお疲れの様子であるが、2015年現在も活躍しているのであろうか。)
そんな横須賀線に乗り車窓に映る「新鶴見」は当時の私にとっては実に新しい景色。そして東京を「スルー」してしまうのも完全に新世界であった。そして上総一ノ宮で乗り換え大原に向かう・・・ある意味、千葉にも「横須賀線」が走っているのかと関心してしまうくらいであった。そして大原に到着。乗り換える木原線はパッと見「相模線」という印象。相模線で既に主流となっていたキハ30の姿が活躍していた。そんな大原では、当時全廃されるという情報が流れていた「房総急行」の姿が見ることが出来た。「本当に急行列車がなくなってしまうのか・・・」と子供ながらに思っていたが、現在は周知の通り。であるが、まだまだ両国駅はかつての面影が残っているのが嬉しい。貨物駅の方は既に「国技館」として第二の人生を送っているが、現在ではそのことがすっかり定着している。私自身も国技館には何度も足を運んでいたが、特にあの「マス席」は実に「青函連絡船」を思い出してしまう。なんとなくあの「桟敷席」的な雰囲気で枝豆でも頬張りながら観る「リキラリアット」「STF」などは実に声援にも熱がこもってしまう、と、相撲ではない話題で申し訳ないが・・・
と、いつも話が逸れてしまうが・・・私が乗った列車は既に上総中野に向けてエンジンを唸らせていた。

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恋の列車はオオタキ発① 久我原
2015-11-07
某秘境駅訪問家もそれなりの「評価」をしている、東京から一番近い秘境駅・・・そう、それが久我原である。いすみ鉄道にあるこの駅は、かつては国鉄の所属であったのは周知の通りである。2015年に私が訪問した時はマイカーであったが、やはりそこに辿り着くまでが「秘境」であった。まずナビが無いと訪問が難しいであろう。県道的な道から枝分かれする一本の細い道を入っていく。そこから更に駅へと繋がる「あぜ道」的な道を進んでいくと駅に着くのであるが・・・実に秘境駅と呼ぶのに相応しい佇まいであった。

いざホームに行ってみると、私たちが普段から求めているような「駅」がそこにあった。もう何の説明もいらないであろう。私たちレールファンが喜びそうな条件が揃っている、逆に言えば「典型的」な秘境駅がそこにあった。であるが、何やら遠くで若い人達と思われる声が周囲からこだまするではないか。恐らくこの駅のサブタイトルである「三育学院大学」が付近にあるのではと訪問時には思っていた。であるが、家に帰ってから調べてみたが、サブタイトルの大学とはかなり離れた位置にあった。近くにあったのは「大多喜町立総元小学校」であった。そこに行くには駅前の坂道を登っていくとたどり着けるのであるが、それでもやや離れた位置にある。これも秘境駅である「恩恵」なのか?と思ってしまうほど静かな場所なのであろう。なにかのスポーツ的競技をする声や音が駅のホームまでこだまするのであるから。

という事は、この駅を利用して通学する学生はほぼ皆無なのかも知れない。もし「いや~部活が長引いて帰るの7時になっちゃった~」みたいな場合、もし久我原駅を利用するとしたら・・・もしかしたら江原啓之氏や下ヨシ子氏辺りに相談しなければならない体験をするかも知れない・・・

県道的な道から枝分かれするやや細い道を入っていくと久我原駅へ通じる道がある。と言うよりあぜ道的な空間が現れ、案内表示がなければこの先に駅があるとは思えぬロケーションである。

「あぜ道」と表現したが、舗装されたあぜ道もまた珍しい。と言うよりあぜ道ではなく、駅に通じる道であるのだからむしろ自然なのかも知れない。


先ほどの「あぜ道」を通るとご覧の駐輪場に到着する。数台であるが留置してある自転車があるということは、この駅もしっかりと売上に貢献している事になる。そして駐輪場より更に登りあぜ道を行くと駅へ辿り着く事が出来る。


そして駅に到着。これが噂の秘境駅だ!とはオーバーかも知れないが、これが首都圏にある物件と考えるとかなりの強者(つわもの)であろう。多分「熊」はいないと思うが・・・



という事でホームに出てみた。ご覧のようにホームが非常に細い。学生たちが利用するには少々手狭な印象である。が・・・せいぜい日没までがタイムリミットであろう。夜とよばれる時間帯の利用は、ハッキリ言って「稲川淳二」的空間かも知れない。

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いざホームに行ってみると、私たちが普段から求めているような「駅」がそこにあった。もう何の説明もいらないであろう。私たちレールファンが喜びそうな条件が揃っている、逆に言えば「典型的」な秘境駅がそこにあった。であるが、何やら遠くで若い人達と思われる声が周囲からこだまするではないか。恐らくこの駅のサブタイトルである「三育学院大学」が付近にあるのではと訪問時には思っていた。であるが、家に帰ってから調べてみたが、サブタイトルの大学とはかなり離れた位置にあった。近くにあったのは「大多喜町立総元小学校」であった。そこに行くには駅前の坂道を登っていくとたどり着けるのであるが、それでもやや離れた位置にある。これも秘境駅である「恩恵」なのか?と思ってしまうほど静かな場所なのであろう。なにかのスポーツ的競技をする声や音が駅のホームまでこだまするのであるから。

という事は、この駅を利用して通学する学生はほぼ皆無なのかも知れない。もし「いや~部活が長引いて帰るの7時になっちゃった~」みたいな場合、もし久我原駅を利用するとしたら・・・もしかしたら江原啓之氏や下ヨシ子氏辺りに相談しなければならない体験をするかも知れない・・・

県道的な道から枝分かれするやや細い道を入っていくと久我原駅へ通じる道がある。と言うよりあぜ道的な空間が現れ、案内表示がなければこの先に駅があるとは思えぬロケーションである。

「あぜ道」と表現したが、舗装されたあぜ道もまた珍しい。と言うよりあぜ道ではなく、駅に通じる道であるのだからむしろ自然なのかも知れない。


先ほどの「あぜ道」を通るとご覧の駐輪場に到着する。数台であるが留置してある自転車があるということは、この駅もしっかりと売上に貢献している事になる。そして駐輪場より更に登りあぜ道を行くと駅へ辿り着く事が出来る。


そして駅に到着。これが噂の秘境駅だ!とはオーバーかも知れないが、これが首都圏にある物件と考えるとかなりの強者(つわもの)であろう。多分「熊」はいないと思うが・・・



という事でホームに出てみた。ご覧のようにホームが非常に細い。学生たちが利用するには少々手狭な印象である。が・・・せいぜい日没までがタイムリミットであろう。夜とよばれる時間帯の利用は、ハッキリ言って「稲川淳二」的空間かも知れない。

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