更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑬
2016-05-18
黒崎より「ソニック」に乗り博多で「かもめ」に乗り換える。何とも黄金パターンの乗り換えであるが、とにかく乗り換え時間が7分しかない。しかも違うホームで階段を使わなければならず、しかも周遊券のため自由席の確保をしなければならない。全く旅情に浸っている暇はなく、ただただ慌ただしさが続く。特急同士の乗り換えはもう少し配慮して欲しいよな~みたいな事を言いながら座席に着き、既に氷結的時間を迎えているという事はしっかり自由席を確保していたという事であるが、これから先はちょっと変則的な行程になる。妻は今夜の宿となる長崎まで先に行ってもらうが、私は諫早で下車し「旧線」を制覇しなければならない。つまり諫早から別行動になるという事だ。なんてなんでも無い事であるが、妻は宿を探せられるか不安がいっぱいであったようだ。と言っても、普通に長崎駅から見える距離だし、超有名なビジネスホテルであるから道行く人に聞けば必ずやたどり着ける事であろう。

(博多で「かもめ」に乗り換える。「ソニック」~「かもめ」への乗り換えはJR九州の黄金パターンであろうが、できることなら同一ホームでの乗り換えが好ましいであろう。)
そんな訳で、諫早で妻に別れを告げた私は早速非電化区間の旧線に向かうDCに乗り込む。初、長崎本線旧線区間。いわゆる「長与経由」である。私の気になる駅は文字通り「長与」であるが、それ以上に気になっていたのがご存知「本川内」であった。もちろんレールファンならその辺の事情を察しておられようが、私は事前知識が1980年代であったので現場に着いて「アレ?」と拍子抜けしてしまった。そう、スイッチバックが解消されていたのだ。調べてみたら2002年に現在の姿になったようなので、訪問時にはスイッチバックが解消されて既に10年弱が経過していた事になる。正直言ってがっかりしてしまったが、今もこうして旧線が残っているだけでも逆に嬉しい材料として受け入れなければならないと思った。そう、無くなってしまったらそういう体験もできないのだから。そんな感じで妻より確か40分くらいの時間差で長崎入りをした。既に夜8時半を回っていたので疲労困憊であった。

(旧線の代表駅と言えば長与であろう。まぁ、一部の方には「クラッシュ」的なイメージもあろうが、同じく旧線の本川内も魅力たっぷりの駅である。)
翌日は、長崎市内の観光を含め市電の制覇に挑んだ。市電を全て乗るという作業はなかなか面白いもの。通常の列車に乗っているより何というか庶民的な雰囲気がとても良い。もちろん、場所柄か観光客の姿も少なくないが、私のような「もの好き」は恐らく当日は私が唯一の「代表」であったろう。そんな私も長崎に訪れるのは3回目であったので、特に前回は確か高校の修学旅行だったので懐かしかった。もちろん当時とはかなり街の印象が変わっているが。


(新旧の車両が入り混じる長崎市内線。観光客にも重宝され、生活と併せての二面性が面白い。)
そんな観光気分で路面電車を乗っているうちに九州の鉄道路線全線制覇の時がいつの間にかやってきていた。それは石橋電停に着いた瞬間であった。その後長崎駅まで路面電車で帰ってくるとようやくそんな実感が湧いてきた。後は帰路に着くだけ。駅前のスーパーでお土産や氷結的飲料をしっかりと買い込み最後の列車に向かった。普通ならこのまま終わってしまうのであるが、この最後の列車にもお楽しみを取っておいた。九州新幹線全通の余波で特急車両の787系が余剰になり九州全土に散らばった。その恩恵を受け、帰路に着く「かもめ」をわざわざ787系に標的を合わせた。もうお分かりであろう。そう、あの「個室」にお世話になるためだ。その模様はこちらで詳しく紹介しているので是非ご覧いただきたい。


(一応長崎に来たのだからひと通り観光も楽しんだ。ご覧の他に「ちゃんぽん」なども堪能し「旅と鉄道」を実践した形であった。)
先述したが、もし私が他界し、いなくなっても旅の記録と記憶は残されていく。とりわけ私はこの世で特別な存在もないが、一応この世に生まれてきたという「証」みたいな物をこうして残せているのがちょっぴり嬉しい。そしてこのブログをご覧の皆様が次回旅に出る時、少しでも私の体験がお役に立てればなお素晴らしい事と思う。
さて、ふと思った。「旅って何だろう・・・」と。わかっていながらわからない。多分私は自分の「居場所」を見つけに旅に出るのであろう。そんな事を考えながら飛行機の小窓から外を見ると福岡空港がだんだん小さくなっていった。

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(博多で「かもめ」に乗り換える。「ソニック」~「かもめ」への乗り換えはJR九州の黄金パターンであろうが、できることなら同一ホームでの乗り換えが好ましいであろう。)
そんな訳で、諫早で妻に別れを告げた私は早速非電化区間の旧線に向かうDCに乗り込む。初、長崎本線旧線区間。いわゆる「長与経由」である。私の気になる駅は文字通り「長与」であるが、それ以上に気になっていたのがご存知「本川内」であった。もちろんレールファンならその辺の事情を察しておられようが、私は事前知識が1980年代であったので現場に着いて「アレ?」と拍子抜けしてしまった。そう、スイッチバックが解消されていたのだ。調べてみたら2002年に現在の姿になったようなので、訪問時にはスイッチバックが解消されて既に10年弱が経過していた事になる。正直言ってがっかりしてしまったが、今もこうして旧線が残っているだけでも逆に嬉しい材料として受け入れなければならないと思った。そう、無くなってしまったらそういう体験もできないのだから。そんな感じで妻より確か40分くらいの時間差で長崎入りをした。既に夜8時半を回っていたので疲労困憊であった。

(旧線の代表駅と言えば長与であろう。まぁ、一部の方には「クラッシュ」的なイメージもあろうが、同じく旧線の本川内も魅力たっぷりの駅である。)
翌日は、長崎市内の観光を含め市電の制覇に挑んだ。市電を全て乗るという作業はなかなか面白いもの。通常の列車に乗っているより何というか庶民的な雰囲気がとても良い。もちろん、場所柄か観光客の姿も少なくないが、私のような「もの好き」は恐らく当日は私が唯一の「代表」であったろう。そんな私も長崎に訪れるのは3回目であったので、特に前回は確か高校の修学旅行だったので懐かしかった。もちろん当時とはかなり街の印象が変わっているが。


(新旧の車両が入り混じる長崎市内線。観光客にも重宝され、生活と併せての二面性が面白い。)
そんな観光気分で路面電車を乗っているうちに九州の鉄道路線全線制覇の時がいつの間にかやってきていた。それは石橋電停に着いた瞬間であった。その後長崎駅まで路面電車で帰ってくるとようやくそんな実感が湧いてきた。後は帰路に着くだけ。駅前のスーパーでお土産や氷結的飲料をしっかりと買い込み最後の列車に向かった。普通ならこのまま終わってしまうのであるが、この最後の列車にもお楽しみを取っておいた。九州新幹線全通の余波で特急車両の787系が余剰になり九州全土に散らばった。その恩恵を受け、帰路に着く「かもめ」をわざわざ787系に標的を合わせた。もうお分かりであろう。そう、あの「個室」にお世話になるためだ。その模様はこちらで詳しく紹介しているので是非ご覧いただきたい。


(一応長崎に来たのだからひと通り観光も楽しんだ。ご覧の他に「ちゃんぽん」なども堪能し「旅と鉄道」を実践した形であった。)
先述したが、もし私が他界し、いなくなっても旅の記録と記憶は残されていく。とりわけ私はこの世で特別な存在もないが、一応この世に生まれてきたという「証」みたいな物をこうして残せているのがちょっぴり嬉しい。そしてこのブログをご覧の皆様が次回旅に出る時、少しでも私の体験がお役に立てればなお素晴らしい事と思う。
さて、ふと思った。「旅って何だろう・・・」と。わかっていながらわからない。多分私は自分の「居場所」を見つけに旅に出るのであろう。そんな事を考えながら飛行機の小窓から外を見ると福岡空港がだんだん小さくなっていった。

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑫
2016-05-14
本当に長期連載になってしまった今回の九州の旅の紹介であるが、自身もこんなに長くなるとは予想だにしなかった。であるが、最近年齢を重ねたせいか、何というか、こういった旅の記録って大事だなと思うようになってきた。変な話であるが、遅かれ早かれ時が来れば「他界」という現実が待っている。過去にそういった親戚などの「現実」を目の当たりにしてきたが、去年に実父が他界し改めて自身も確実に「そういう時」がやって来ると肌で感じるようになった。だが、こうして記録を残しておくと、自分はいなくなっても記録が残る・・・みたいな事も思うようになってきて、今もこうして過去の記憶を辿って記録している感じである。そんなような内容を、偶然ながらFMラジオでも聴いてから尚更強く思うようになってきた。という事でこれからも精力的に過去の私の旅をできる限りアップしていきたいと思います!!

(という事で直方に到着。やや難読な感がある駅名であるが、ここでも「石炭」の匂いが今でも感じることができる貴重な駅だ。)
と、なんだか堅苦しい始まりとなってしまったが、前回の続きから始めると直方にほどなく到着した。直方は近年に橋上駅舎に生まれ変わったが、その他駅構内は昔とほとんど変わらぬ雰囲気を保っている感じがした。今でもSLがやってきそうな、そして石炭を沢山乗せた貨物列車が構内を通過していきそうな雰囲気である。なんとなく昭和の香り・・・国鉄時代が蘇る感じだ。それは後藤寺他、筑豊本線や日田彦山線各駅やそれから分岐する支線にも見られるのが北九州の魅力であろう。もちろん多くが廃止されてしまったが、こうして残っている路線は貴重な色彩を放っているからまた訪れてしまいたくなる・・・そんな鉄道風景だ。

(筑豊直方より「路面電車」に乗り換える。と言っても路面は走っておらず、確か全て専用軌道であると思った。イメージ的には「東急世田谷線」的な感じか。)
さて、直方で降りるとここで筑豊電気鉄道に乗り換える。だが・・・JR直方と筑豊直方との間は約800m近くあるのだ!もちろん事前に地図を準備し歩く気満々であったが・・・・・・・・・はじめの一歩で列車の時間に間に合うか不安になり「すみません、ワンメーターで申し訳ないんですけど・・・」とタクシーの力を借りる事にした。かなり勇気ある決断であったが意外にもなかなか到着せず、かなりの800mに感じた。もし歩いていたなら間に合わなかったかも知れない。

(「がんだ」とはこちらもある意味難読である。一時期、某大家族の所在地としてTVなどでよく見かけたが、本当に生活感溢れる「まち」であった。)
そんなわけで予定よりかなり早く筑豊直方に到着した私は、当然ながら予定より1本早い列車に乗る事にした。「列車」と言ったが、基本的には「路面電車」の車両である。割に華奢な車両は、千歳飴のような形をした筑豊直方駅にはなんとなくお似合い。なかなか愛嬌ある列車に思わず惚れ込んでしまった。「千歳飴」と表現した筑豊直方であるが、皆さんご承知のように延伸計画がかつて存在し、JRをオーバークロスし切った所に高架上の筑豊直方駅がある。延伸計画が頓挫してしまい現在の形になっているが、ちょっと調べてみたらJR直方駅付近まで延伸する話が持ち上がってるらしい。これは地元人にとって朗報であろう。もし実現すれば当然乗り換えが便利になるので利用者が増えるであろう。

(かつての香月線・香月とはやや離れているが、筑豊電気鉄道の方が圧倒的に利用者が多かったであろう。)
感田を過ぎ熊西までがあっという間であった。路面電車の車両に乗っているが、景色は「ローカル線」だからなんとなく不思議。そのギャップが楽しかったから時が過ぎるのが早かった。そして熊西を意識したのは、かつて折尾方面へ鉄路が分岐していたからだ。正確には黒崎~折尾間が西鉄に所属する路面電車線であり、熊西で筑豊電気鉄道と連絡するというのが本来の姿であった。もちろんその当時は熊西から先は黒崎まで乗り入れていたが、ご承知の通り熊西~折尾間が廃止され、残った熊西~黒崎も西鉄より譲渡され現在に至っている。そんな歴史の筑豊電気鉄道で黒崎に着くなりややダッシュ気味でJR黒崎に向かったのだから旅情も歴史を感じる暇もあったもんではなかった。ここで突っ走れば「ソニック」で博多まで向かえるのであるから必死だ。時間に追われながらも旅情を感じなければならない複雑な作業はまだまだ続く・・・

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(という事で直方に到着。やや難読な感がある駅名であるが、ここでも「石炭」の匂いが今でも感じることができる貴重な駅だ。)
と、なんだか堅苦しい始まりとなってしまったが、前回の続きから始めると直方にほどなく到着した。直方は近年に橋上駅舎に生まれ変わったが、その他駅構内は昔とほとんど変わらぬ雰囲気を保っている感じがした。今でもSLがやってきそうな、そして石炭を沢山乗せた貨物列車が構内を通過していきそうな雰囲気である。なんとなく昭和の香り・・・国鉄時代が蘇る感じだ。それは後藤寺他、筑豊本線や日田彦山線各駅やそれから分岐する支線にも見られるのが北九州の魅力であろう。もちろん多くが廃止されてしまったが、こうして残っている路線は貴重な色彩を放っているからまた訪れてしまいたくなる・・・そんな鉄道風景だ。

(筑豊直方より「路面電車」に乗り換える。と言っても路面は走っておらず、確か全て専用軌道であると思った。イメージ的には「東急世田谷線」的な感じか。)
さて、直方で降りるとここで筑豊電気鉄道に乗り換える。だが・・・JR直方と筑豊直方との間は約800m近くあるのだ!もちろん事前に地図を準備し歩く気満々であったが・・・・・・・・・はじめの一歩で列車の時間に間に合うか不安になり「すみません、ワンメーターで申し訳ないんですけど・・・」とタクシーの力を借りる事にした。かなり勇気ある決断であったが意外にもなかなか到着せず、かなりの800mに感じた。もし歩いていたなら間に合わなかったかも知れない。

(「がんだ」とはこちらもある意味難読である。一時期、某大家族の所在地としてTVなどでよく見かけたが、本当に生活感溢れる「まち」であった。)
そんなわけで予定よりかなり早く筑豊直方に到着した私は、当然ながら予定より1本早い列車に乗る事にした。「列車」と言ったが、基本的には「路面電車」の車両である。割に華奢な車両は、千歳飴のような形をした筑豊直方駅にはなんとなくお似合い。なかなか愛嬌ある列車に思わず惚れ込んでしまった。「千歳飴」と表現した筑豊直方であるが、皆さんご承知のように延伸計画がかつて存在し、JRをオーバークロスし切った所に高架上の筑豊直方駅がある。延伸計画が頓挫してしまい現在の形になっているが、ちょっと調べてみたらJR直方駅付近まで延伸する話が持ち上がってるらしい。これは地元人にとって朗報であろう。もし実現すれば当然乗り換えが便利になるので利用者が増えるであろう。

(かつての香月線・香月とはやや離れているが、筑豊電気鉄道の方が圧倒的に利用者が多かったであろう。)
感田を過ぎ熊西までがあっという間であった。路面電車の車両に乗っているが、景色は「ローカル線」だからなんとなく不思議。そのギャップが楽しかったから時が過ぎるのが早かった。そして熊西を意識したのは、かつて折尾方面へ鉄路が分岐していたからだ。正確には黒崎~折尾間が西鉄に所属する路面電車線であり、熊西で筑豊電気鉄道と連絡するというのが本来の姿であった。もちろんその当時は熊西から先は黒崎まで乗り入れていたが、ご承知の通り熊西~折尾間が廃止され、残った熊西~黒崎も西鉄より譲渡され現在に至っている。そんな歴史の筑豊電気鉄道で黒崎に着くなりややダッシュ気味でJR黒崎に向かったのだから旅情も歴史を感じる暇もあったもんではなかった。ここで突っ走れば「ソニック」で博多まで向かえるのであるから必死だ。時間に追われながらも旅情を感じなければならない複雑な作業はまだまだ続く・・・

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑪
2016-05-10
行橋からは平成筑豊鉄道田川線に乗り換える。1979年に私が寝台特急「富士」で初めて九州の地を踏んだ時、ここ行橋は確か高架駅ではなかった。そして現在は特急列車は全て停車するが、1979年は「富士」は通過していた。確か「にちりん」も一部の列車以外は通過していた。私にしてみたら地味な印象であったが、やがて急行が廃止になり、特急も行橋に停車するようになってきて現在に至っている訳である。そしていつの間にか高架駅になり立派に成長した。そんな行橋から乗る田川線はなんとなくローカル線を制覇する雰囲気には程遠い感じであった。

(田川伊田では昭和の景色が見られる。こうして「石炭」の時代がしっかりと姿を残しているのもかなり貴重だ。)
などと思っていたら、発車してまもなく、一般に好まれるローカル線的風景がすぐに飛び込んできた。歴史を調べてみるとその答えは一目瞭然で、石炭を直方や後藤寺方面、いわゆる筑豊炭田から日豊本線の苅田港(貨物駅)に輸送するために敷かれたとなっていた。苅田と言えば、現在は北九州空港に近いので空港の最寄駅であるが、空港は埋め立ての人工島にあるためやや離れている。そのためわざわざ苅田まで列車で来てバスに乗り換え空港目指す人はごく稀であろう。恐らく小倉辺りからリムジンバスで向かうのが「正統派」かも知れない。

(勾金ではやや「熱い視線」が注がれてしまった。レールファンは肩身の狭い思いを常にしなければならないのか・・・)
と話が逸れたが、やはり最初から旅客でカネ儲けをしようなどとは考えずに敷かれた路線である事は景色を見ればわかるが、それでも昔は炭鉱などで働く人達やその家族を乗せ賑わった事であろう。途中に油須原があるが、そこからはご存知、添田線の大任を経由し豊前川崎に至る「油須原線」なる未成線が存在した。もちろん石炭輸送のために計画されたものであるから現在は計画自体が頓挫しているが、当時営業していた上山田線や漆生線等とともに石炭輸送の大動脈となる予定であった。現在、油須原線の一部がトロッコ的な観光路線として活躍しているらしい。機会があれば是非訪問してみたいものだ。

(最近紹介した「才田」は漆生線に所属していた。漆生線は油須原線・上山田線と共に石炭輸送で活躍するはずであったが、現在は周知の状況である。)
やがて私の乗った列車は田川伊田で乗り換えなしで金田に到着した。ここで一旦糸田線を往復する。糸田線は全長6.8kmと非常に短い路線であるが、後藤寺から金田まで伊田線とそれほど離れていない場所で運転されている。なぜここまでして鉄道路線が必要であるのかと思ってしまうが、やはりこれは歴史的背景、つまり石炭輸送と深い結び付きがあるのだ。というより、現在の今まで、良く糸田線が残っているなと逆に感心してしまう。それくらい現在でも需要があるのか。もちろん、その需要とは旅客であるが・・・

(金田で再び乗り換える。私にしてみたらこういった車両は新しい部類に入る。)
金田に戻り再び伊田線に乗る。そういえば伊田線の特徴は何といっても複線である事だ。若いレールファンは、というより私もであるが、この伊田線に関しては沿線風景的に複線である事が異様な色彩を放っている印象であろう。もちろんこれも歴史的背景の名残であるが、かつては複線にしなければ輸送が間に合わないくらいに貨物量が豊富であったのだろう。現在の伊田線の姿をかつては想像できたであろうか。一両編成の列車が複線区間ですれ違う・・・何とも矛盾している風景だ。しかも非電化であるから尚更で、恐らくJR以外の民鉄では関東鉄道とここだけであろう非電化複線区間。そんな歴史的重みを感じながら私は直方に降り立った。

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(田川伊田では昭和の景色が見られる。こうして「石炭」の時代がしっかりと姿を残しているのもかなり貴重だ。)
などと思っていたら、発車してまもなく、一般に好まれるローカル線的風景がすぐに飛び込んできた。歴史を調べてみるとその答えは一目瞭然で、石炭を直方や後藤寺方面、いわゆる筑豊炭田から日豊本線の苅田港(貨物駅)に輸送するために敷かれたとなっていた。苅田と言えば、現在は北九州空港に近いので空港の最寄駅であるが、空港は埋め立ての人工島にあるためやや離れている。そのためわざわざ苅田まで列車で来てバスに乗り換え空港目指す人はごく稀であろう。恐らく小倉辺りからリムジンバスで向かうのが「正統派」かも知れない。

(勾金ではやや「熱い視線」が注がれてしまった。レールファンは肩身の狭い思いを常にしなければならないのか・・・)
と話が逸れたが、やはり最初から旅客でカネ儲けをしようなどとは考えずに敷かれた路線である事は景色を見ればわかるが、それでも昔は炭鉱などで働く人達やその家族を乗せ賑わった事であろう。途中に油須原があるが、そこからはご存知、添田線の大任を経由し豊前川崎に至る「油須原線」なる未成線が存在した。もちろん石炭輸送のために計画されたものであるから現在は計画自体が頓挫しているが、当時営業していた上山田線や漆生線等とともに石炭輸送の大動脈となる予定であった。現在、油須原線の一部がトロッコ的な観光路線として活躍しているらしい。機会があれば是非訪問してみたいものだ。

(最近紹介した「才田」は漆生線に所属していた。漆生線は油須原線・上山田線と共に石炭輸送で活躍するはずであったが、現在は周知の状況である。)
やがて私の乗った列車は田川伊田で乗り換えなしで金田に到着した。ここで一旦糸田線を往復する。糸田線は全長6.8kmと非常に短い路線であるが、後藤寺から金田まで伊田線とそれほど離れていない場所で運転されている。なぜここまでして鉄道路線が必要であるのかと思ってしまうが、やはりこれは歴史的背景、つまり石炭輸送と深い結び付きがあるのだ。というより、現在の今まで、良く糸田線が残っているなと逆に感心してしまう。それくらい現在でも需要があるのか。もちろん、その需要とは旅客であるが・・・

(金田で再び乗り換える。私にしてみたらこういった車両は新しい部類に入る。)
金田に戻り再び伊田線に乗る。そういえば伊田線の特徴は何といっても複線である事だ。若いレールファンは、というより私もであるが、この伊田線に関しては沿線風景的に複線である事が異様な色彩を放っている印象であろう。もちろんこれも歴史的背景の名残であるが、かつては複線にしなければ輸送が間に合わないくらいに貨物量が豊富であったのだろう。現在の伊田線の姿をかつては想像できたであろうか。一両編成の列車が複線区間ですれ違う・・・何とも矛盾している風景だ。しかも非電化であるから尚更で、恐らくJR以外の民鉄では関東鉄道とここだけであろう非電化複線区間。そんな歴史的重みを感じながら私は直方に降り立った。

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑩
2016-05-06
西鉄とJRの乗り換えに使う駅・・・私は香椎を選んだのであった。鉄道地図的には西鉄香椎とJRの香椎は全く別の駅であるが、道路地図など一般の地図的には歩いて移動できる距離であった。私はかつて時刻表しか見ていなかったためそういうことに気づかなかったが、現在はインターネットの時代!いろいろな事の詳細まで調べられるすごい時代になった。とは大げさかも知れないが、香椎を使う事によって次の制覇路線までの移動に特急を使う事ができる。これは実に素晴らしい作戦だ。もちろん「どこでもドア」には及ばないが・・・

(香椎で乗り換えをする事になったが、なにやら気になる飲食店を発見した。時間があれば入りたかったのだが・・・)
さて、香椎から特急「ソニック」に乗り小倉まで移動した私はまず門司港まで普通列車で移動。ここから「平成筑豊鉄道」を制覇する。ん?平成筑豊鉄道?ちょっと表現が宜しくなかったか・・・いわゆる「やまぎんレトロライン(当時)」と言った方が分かりやすいかも知れない。そう、ここはかつての貨物線を利用した観光列車が運転されている場所である。運転時期が限定されていて、制覇するのには少し厄介な部分もあるが、基本、こちらがそれに合わせれば良い事であって、充分に素敵な旅が楽しめる事であろう。


(「やまぎんレトロライン」に乗車するため門司港に向かう。何かと話題の駅であるが「始発駅」「終端駅」としての重みが充分すぎるくらいにある。かつては連絡船との乗り換えで相当賑わった事であろう。)
万遍無く観光気分を味わった私は次に小倉に向かう。そう、モノレールを制覇するためだ。小倉駅で妻を喫茶店に預け、単独でモノレールに乗り込むが、日中のためやや乗客が少ない印象であった。終点企救丘では志井公園でJRと連絡しているが、この両者では若干複雑な歴史があるためやりづらい、と思うのは考えすぎであろうが・・・ただ、企救丘から先の延伸とかってあるのであろうか。それが実行されればこの企救丘も若干ではあるが活かされていくことであろうと思う。

(「やまぎんレトロライン」は季節限定運転のため、こちらが予定を合わせなければ制覇できない物件だ。現在は「北九州銀行レトロライン」と変更になっている。)
小倉に戻り妻と合流し今度は行橋に向かう。そう、平成筑豊鉄道を制覇するためだ。ご存知「転換路線」として知られ、一時期は廃止候補に挙がっていたが、経営者が変わってなおこうして現在も残っているのは素晴らしいであろう。基本的に北九州の鉄道路線は石炭輸送のために敷かれた路線がほとんどで、網の目のように敷かれた路線も、その数多くが廃止されていった。しかしこうして第三セクターながらでもかつての「国鉄」が現在も残っているのが実に素晴らしい。まだまだこれからも残っていってもらいたいものである。

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(香椎で乗り換えをする事になったが、なにやら気になる飲食店を発見した。時間があれば入りたかったのだが・・・)
さて、香椎から特急「ソニック」に乗り小倉まで移動した私はまず門司港まで普通列車で移動。ここから「平成筑豊鉄道」を制覇する。ん?平成筑豊鉄道?ちょっと表現が宜しくなかったか・・・いわゆる「やまぎんレトロライン(当時)」と言った方が分かりやすいかも知れない。そう、ここはかつての貨物線を利用した観光列車が運転されている場所である。運転時期が限定されていて、制覇するのには少し厄介な部分もあるが、基本、こちらがそれに合わせれば良い事であって、充分に素敵な旅が楽しめる事であろう。


(「やまぎんレトロライン」に乗車するため門司港に向かう。何かと話題の駅であるが「始発駅」「終端駅」としての重みが充分すぎるくらいにある。かつては連絡船との乗り換えで相当賑わった事であろう。)
万遍無く観光気分を味わった私は次に小倉に向かう。そう、モノレールを制覇するためだ。小倉駅で妻を喫茶店に預け、単独でモノレールに乗り込むが、日中のためやや乗客が少ない印象であった。終点企救丘では志井公園でJRと連絡しているが、この両者では若干複雑な歴史があるためやりづらい、と思うのは考えすぎであろうが・・・ただ、企救丘から先の延伸とかってあるのであろうか。それが実行されればこの企救丘も若干ではあるが活かされていくことであろうと思う。

(「やまぎんレトロライン」は季節限定運転のため、こちらが予定を合わせなければ制覇できない物件だ。現在は「北九州銀行レトロライン」と変更になっている。)
小倉に戻り妻と合流し今度は行橋に向かう。そう、平成筑豊鉄道を制覇するためだ。ご存知「転換路線」として知られ、一時期は廃止候補に挙がっていたが、経営者が変わってなおこうして現在も残っているのは素晴らしいであろう。基本的に北九州の鉄道路線は石炭輸送のために敷かれた路線がほとんどで、網の目のように敷かれた路線も、その数多くが廃止されていった。しかしこうして第三セクターながらでもかつての「国鉄」が現在も残っているのが実に素晴らしい。まだまだこれからも残っていってもらいたいものである。

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑨
2016-05-02
現役時代の杉安への訪問は実現できなかったが、湯前から杉安までの鉄路の夢も実現できなかった。それどころか、杉安~佐土原間の妻線も現在は無い。先人の夢が現在残っているのは「くま川鉄道」という名に変わった湯前線のみである。そんな事を思いながら乗る湯前線は、やはり国鉄時代の事を思い出す。そして現在の湯前線では国鉄時代の名残も多く残す。幸い終点の湯前では20分以上のインターバルがあったので駅舎を出てみた。振り返ってみると、やはり国鉄時代を彷彿させるような駅舎がなかなか良い。そんな駅前であるが、もうすでに夕方の時間帯であるせいか、いつになく静寂な印象であった。

(ご覧の車両で湯前にやって来た。国鉄時代に訪問してみたかったものだが、計画段階で終わてしまったのは残念である。もっと精力的に活動すればと過去の自分にジャーマンスープレックスを食らわしたい気持ちであるが・・・)
再び駅に戻りホームに出てみる。無意識に湯前より先の鉄路が気になってしまった。もちろん普通に「車止め」であった。そしてそこから先に伸びるはずであろう鉄路の姿かたちはもちろん、未成線の「み」の字も見当たらない。その姿は単に「地図上での夢」でしかなかったのか・・・しかし国鉄時代に訪問できなかった、ある意味「夢」が果たせた印象であった。そんな思いを胸に秘め、残暑厳しい人吉盆地を眺めながら再び人吉に戻った。

(多分国鉄時代と同じ駅舎であろう湯前駅。そう、未来の自分がやってきて、今の自分にジャーマンスープレックスをかけないよう、今こうしてできる限り旅に出ている。)
人吉では「九州横断特急」が待っていた。素晴らしい接続だ。アクシデントのお陰で予定より一本遅れた湯前線であったが、こういったラッキーな場面もある。辺りも暗くなり景色も見えななってきたし、やや体力的にも年齢を隠せないコンディションであったため、こういった場面は優等列車の方が良い。
あっという間に新八代に着いた私、は新幹線に乗り換え博多を目指す。そう、九州新幹線の新規開業区間の制覇のためだ。確か熊本辺りで「みずほ」などに乗り換えられたはずであるが、ここはあえてそのまま「つばめ」に拘って見せた。

(新八代より新幹線で新規開業区間の制覇に乗り出す。ここはあえて「つばめ」に拘ってみせた。)
翌日、博多より乗る列車は地下鉄と西鉄の未制覇区間と平成筑豊鉄道の制覇に乗り出す。ますは中洲川端で乗り換え貝塚へ向かう。貝塚では地下鉄と西鉄が接続するが、両社の相互乗り入れが行われないのが残念だ。技術的な部分が理由となり弊害となっているのであろうが、やはり乗り入れてこそ!の思いが皆強いはずだ。現在の形だと貝塚~西鉄新宮間の「陸の孤島」的なカラーが更に濃くなる印象である。その陸の孤島も西鉄新宮~津屋崎間が廃止され益々色が濃くなったかも知れない。
そんな陸の孤島を後にしJRに乗り換えて「関門海峡めかり」を目指すわけだが、さて、どこでJRに乗り換えるか・・・基本「和白」が順当なのであろうが、私はさらなるショートカットを考えていた。それは・・・

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(ご覧の車両で湯前にやって来た。国鉄時代に訪問してみたかったものだが、計画段階で終わてしまったのは残念である。もっと精力的に活動すればと過去の自分にジャーマンスープレックスを食らわしたい気持ちであるが・・・)
再び駅に戻りホームに出てみる。無意識に湯前より先の鉄路が気になってしまった。もちろん普通に「車止め」であった。そしてそこから先に伸びるはずであろう鉄路の姿かたちはもちろん、未成線の「み」の字も見当たらない。その姿は単に「地図上での夢」でしかなかったのか・・・しかし国鉄時代に訪問できなかった、ある意味「夢」が果たせた印象であった。そんな思いを胸に秘め、残暑厳しい人吉盆地を眺めながら再び人吉に戻った。

(多分国鉄時代と同じ駅舎であろう湯前駅。そう、未来の自分がやってきて、今の自分にジャーマンスープレックスをかけないよう、今こうしてできる限り旅に出ている。)
人吉では「九州横断特急」が待っていた。素晴らしい接続だ。アクシデントのお陰で予定より一本遅れた湯前線であったが、こういったラッキーな場面もある。辺りも暗くなり景色も見えななってきたし、やや体力的にも年齢を隠せないコンディションであったため、こういった場面は優等列車の方が良い。
あっという間に新八代に着いた私、は新幹線に乗り換え博多を目指す。そう、九州新幹線の新規開業区間の制覇のためだ。確か熊本辺りで「みずほ」などに乗り換えられたはずであるが、ここはあえてそのまま「つばめ」に拘って見せた。

(新八代より新幹線で新規開業区間の制覇に乗り出す。ここはあえて「つばめ」に拘ってみせた。)
翌日、博多より乗る列車は地下鉄と西鉄の未制覇区間と平成筑豊鉄道の制覇に乗り出す。ますは中洲川端で乗り換え貝塚へ向かう。貝塚では地下鉄と西鉄が接続するが、両社の相互乗り入れが行われないのが残念だ。技術的な部分が理由となり弊害となっているのであろうが、やはり乗り入れてこそ!の思いが皆強いはずだ。現在の形だと貝塚~西鉄新宮間の「陸の孤島」的なカラーが更に濃くなる印象である。その陸の孤島も西鉄新宮~津屋崎間が廃止され益々色が濃くなったかも知れない。
そんな陸の孤島を後にしJRに乗り換えて「関門海峡めかり」を目指すわけだが、さて、どこでJRに乗り換えるか・・・基本「和白」が順当なのであろうが、私はさらなるショートカットを考えていた。それは・・・

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