よろしく哀愁。よろしく九州⑨ 加津佐
2016-02-29

(2016年、つまり今回の訪問時である旧・加津佐駅。下記には2008年訪問時も掲載したが、その当時とほとんど変化がないのがおわかりいただけるであろう。)
島原鉄道の終点であり、そして海水浴場にほどなく近い加津佐であるが、その海水浴客も晩年は列車を利用して訪れる客はそう多くなかったであろう。私がここに初めて訪れたのは先述通り2008年1月で廃止直前であった。学生諸君の利用も多いはずであろうと思っていたが、意外にも並行する路線バスの方が格段に多かったのには驚いた。というのも、2008年訪問時は加津佐から路線バスで小浜温泉を抜け諫早に出るという事であったので、私も地元の人に混ざってバスの乗客のひとりとなったのだ。だが、驚いたのは学生諸君が私を見つけるなり座席を譲ってくれた事。と言っても決して席を譲っていただくほどの年齢には達していない自信はあったが(当時)、一目見て「地元民ではない」と判断されたのであろう。キャスター付きのバックを抱えなれない仕草で路線バスに乗り込んできたのだから当然と言えば当然であるが、なんというか、そういった配慮をしてくれる学生たちは実に清々しく思えた。その好意にあえて遠慮なく甘えさせていただいたが、実に心打たれる学生たちであった。

(2008年訪問時の加津佐駅舎。営業はしているが既に駅員無配置となり、なんとなく廃止を待つだけの状態になっていた印象であった。)
そんな学生たちが暮らす島原半島も、現在では列車がやってこなくなってしまった区間が出来てしまった。そしてここ加津佐も終点でありながら列車はやってこなくなってしまった。そういえば、この並行するバスは、私たちが席を譲っていただくほど満員御礼の乗車率であった。あの普賢岳の災害以来列車での通学は避けられてしまったのであろうか。加津佐までやって来た私が乗った列車は加津佐に着く頃にはハッキリ言ってほぼ貸切状態であった。だがバスは満員御礼。この時点で明暗が分かれていたのであろうか。

(2008年訪問時のホームの様子。当時、列車から降りた乗客は私たち御一行のみであった。)
そんな列車で加津佐に到着すると、ちょっと理解の範囲を超えた出来事が起こった。私は島鉄のフリーきっぷを下車時に運転手に見せたが、その運転手は「整理券は?」と聞いてきた。「?」私は一瞬状況が読み込めなかった。「いや、フリーきっぷだから整理券は取ってないですよ。」と告げると「次回からは取ってくださいね」と注意されてしまった。「そうか、島鉄ではフリーきっぷでも整理券を取らなければいけないのか・・・」という状況、私は全国各地で色々な鉄道旅をしてきたが、このような経験は初めてであった。そしてその「次回」に訪れたが、訪問したのはレンタカーであったため整理券は取れなかった。


(そして今回訪問時。廃止されて8年経ったとは思えないくらいの状態である。やはり「もったいない」的な言葉が浮かんでくる。)
そんな状況の加津佐であったが、今回訪問時もやはり他の駅同様、しっかりと遺構が確認された。もちろんレールは無いが、駅舎やプラットホームに至るまでほぼ廃止前の状況そのままであった。そして私が写真を撮影していると、島鉄バスが駅前まで入ってきた。「回送」と表示されていたが、バスはわざわざ加津佐駅前まで入ってくるみたいだ。加津佐の駅前は主要道路から分岐し入江のような状態になっている。そのためわずかながら「駅前広場」が存在する。だが、基本的に路線バスのバス停は主要道路側にある。であるが、ごくまれに駅前まで入ってくるバスもあると聞いていた。まさにその場面に偶然遭遇したわけであるが、やはり列車にはもっと活躍して欲しかったというところが正直な印象であった。



(ホームに接する線路の他に2本の側線があった。廃止駅とはわかっているものの、なんとなく他の廃止駅より荒れている印象ではなかろうか。詳しい歴史等は確認していないが、加津佐から先の延伸計画は存在したのであろうか。もしあったとしたら、それこそ島原半島一周的な感じであろう。)
今回の島鉄廃止区間、いわゆる「南目線」を廃止後に訪問するという一大プロジェクトを敢行したが・・・やはり先述通りもったいないという印象がとても強かった。というより、役目を終える時期が早すぎたとでも言おうか。特に安徳などにそれが象徴されている。北海道の廃止路線とは違った雰囲気であるのは、沿線各地にしっかりと生活が営まれている点であろう。北海道の場合、その多くが石炭と強い結びつきがあるため、炭鉱閉山などと共に沿線人口が減少し、中には過疎化どころか大自然になってしまった場所も少なくない。
今回の島原訪問はその決定的な違いを私に教えてくれた。もちろんモータリゼーション的な理由もあろう。全国的に衰退していく鉄道路線であるが、かつては地域の発展に限りなく貢献したはずだ。恐らくであるが、首都圏に住む私と、こうした地方に住まわれる方では鉄道に対する感覚が違うであろう。事実、かつての職場では四国出身の新入社員がいた。その新入社員は予土線沿線が地元である。そして社会人として首都圏に配属になり、最初に15両編成の東海道線普通列車を見た時に驚いたという。考えてみたら予土線は普通に考えて1両編成の列車しかやって来ない。そう、1両編成の列車が彼にとってみたら常識であったのだ。基本的に鉄道の最大のメリットは「大量輸送」である。であるが、地方などではその機能を持て余すべく1両でも過剰な場合がほとんどだ。
そんな鉄道に私は何を求めているのであろうか。その答え探しにこうしてまた旅に出るのかも知れない。

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よろしく哀愁。よろしく九州⑧ 西有家
2016-02-25

島原と言えば「そうめん」が有名処であるが、その名産を最もアピールしていたのがここ西有家であろう。と言っても現在列車はやって来ないのが残念である。だが、現在も「活きている」っぽい印象を受け、なんというか「地元密着」的な生き様を見せつけられた感じであった。今回私は列車での訪問では当然ないため、列車以外、つまりレンタカーにての訪問であったが、なんというか、その西有家に着くまでもがドラマであった。やはり列車訪問ではわからない、その駅周辺の、いわゆる「なぜそこに駅があるのか」的な事がなんとなく理解できるような気がした。もちろん、今回の旅はそれが最大の目的でもあった。西有家は国道から一本脇道に入ると駅が現れるが、駅の駐輪場には地元の軽自動車が停泊していたのが印象的であった。それより今回の旅では、自身が入力したカーナビへの情報がものすごく正確であることにとても感心してしまうくらい自身の評価を高める結果となってしまった。なんてブログで公開することではないが、それくらいピタリとハマってしまったのであるから公開したくなってしまう。全く私事であるが、とにかくそんな状況の中の廃線跡巡りであった。

普通に駅であるような空間であるが、実際問題列車はやって来ない。それはホームに行くと更に納得する。





一面一線の駅では、もう列車がやって来ない理由が一目瞭然で解かる。であるが、駅舎には列車が来ない旨の案内がなかった気がする。もちろん利用者は地元民がほぼ9割9分9厘9毛を占めていたであろうがため、その旨は熟知している事であろう。

解りづらいかも知れないが、手前の道路には以前踏切があったと思われるが、更に奥には踏切が今も健在であった。

軽自動車が停車している場所はかつて駐輪場であった。が、現在は付近に住まれる方のガレージに変身してしまったのであろうか。失礼ながら、私も一時止めさせていただいたが・・・
島原鉄道末端区間は普賢岳の災害より復旧以来利用者が減少していったと聞く。恐らく、鉄道が不通の間に学校などが独自でスクールバスを運転していたものが復旧後もそのまま継続しているとか、マイカーなどが更に活用されるようになったとか色々理由はあろう。そしてモータリゼーションなど、全国の鉄道会社が抱えている問題がそのまま形となって現れてしまった部分もあろう。かつては博多まで直通列車があった島原鉄道であるが、現在では廃止から逃れられた既存区間も利用者が減少していると聞く。私たちの住む日本という国は、世界的な目で見ても鉄道路線網が発達している希な国である。この文化を少しでも多く後世に残していきたいという気持ちになってしまう今回の旅である。が、まだまだ私の旅は続く・・・

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よろしく哀愁。よろしく九州⑦ 有家
2016-02-21
行政施設、つまり旧・有家町役場にほど近い有家駅は、現在バスターミナルを併設している。というより現在はバスターミナルのみである。私は行政施設の駐車場に車を止めさせていただいたが、冗談抜きで「この近くに駅があれば便利だなぁ」と思わず思ってしまった。いや、私はこれから駅に向かうのだが・・・駅に行くために車を止めさせていただいたのであるが、なぜか私は建物の路地裏のような細い道に吸い寄せられてしまった。そう、その先には「駅」があったからだ。広告の立看板に仕切られた相対式ホームが顔を見せた。その手前がバスターミナルみたいになっていて職員が何やら洗車のような作業をしていた。駅とバスターミナルが一体となっていて便利であるが・・・そう、もう列車はやってこないのだ。そんな現実を、私はレールの無いホームを見て改めて実感してしまったのだ。
しかしながら島原外港~加津佐間の廃止区間はかなりの場所で現役当時に近い形で施設が残っている。この有家もそうであるが、やはり8年経ってもこれほどまでに遺構が残っているという事が、逆に島原鉄道の無念さを感じてしまう。特に安徳でもそうであったが、これほどまでに立派なホームがあると今にも列車がやってきそうな感じである。
先ほどのバス運転手に話を聞こうと思ったが、時間の制約があり「次行ってみよう~」となってしまった。遺構は駅に留まらず、駅以外の場所も普通に車から眺めると「あそこに線路があったな」とすぐにわかるくらいにハッキリと遺構が残っているので、むしろ遺構と感じるのが難しいかも知れない。

行政施設からバスターミナルへ向かうとこんな路地があった。やや見づらいが、突き当たりには駅のホームが見える。そう、それこそが有家駅だ。

そして有家「駅」に到着。今にも列車がやってきそうだ。だがしかしレールが無い。


ご覧のように、既に空は黄昏てきた感じであった。行政施設も近いし利用者も多かったと思われる。確かに行政施設には多数の車が止まっていたが・・・


なんとなく千歳飴の断面に似てはいないであろうか?変な話、このアングルからみてどこから切っても同じ絵が出てきそうな感じがする。そして隣にある駅舎はバスターミナルの待合室として利用されていることであろう。

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しかしながら島原外港~加津佐間の廃止区間はかなりの場所で現役当時に近い形で施設が残っている。この有家もそうであるが、やはり8年経ってもこれほどまでに遺構が残っているという事が、逆に島原鉄道の無念さを感じてしまう。特に安徳でもそうであったが、これほどまでに立派なホームがあると今にも列車がやってきそうな感じである。
先ほどのバス運転手に話を聞こうと思ったが、時間の制約があり「次行ってみよう~」となってしまった。遺構は駅に留まらず、駅以外の場所も普通に車から眺めると「あそこに線路があったな」とすぐにわかるくらいにハッキリと遺構が残っているので、むしろ遺構と感じるのが難しいかも知れない。

行政施設からバスターミナルへ向かうとこんな路地があった。やや見づらいが、突き当たりには駅のホームが見える。そう、それこそが有家駅だ。

そして有家「駅」に到着。今にも列車がやってきそうだ。だがしかしレールが無い。


ご覧のように、既に空は黄昏てきた感じであった。行政施設も近いし利用者も多かったと思われる。確かに行政施設には多数の車が止まっていたが・・・


なんとなく千歳飴の断面に似てはいないであろうか?変な話、このアングルからみてどこから切っても同じ絵が出てきそうな感じがする。そして隣にある駅舎はバスターミナルの待合室として利用されていることであろう。

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よろしく哀愁。よろしく九州⑥ 安徳
2016-02-17

島原鉄道の廃止区間で最も「もったいない」という世界共通用語が当てハマってしまうのがここ安徳である。1997年に災害復旧の際に高架化されたが、その命もわずか11年という短い営業期間で幕を閉じてしまった。いわゆる普賢岳の噴火による災害復旧であったが、その災害を期に利用者が減少していくという結果から廃止となってしまった島原外港~加津佐間であるのが何とも皮肉な話だ。
かつては交換可能駅であったが、1960年に棒線化されたと聞いている。そして災害復旧で高架化されたわけであるが、その高架下には民家があり、私の訪問時にはちょうど高校から帰宅したと思われる学生がその建物の中に消えていった。そして体操服のような姿で再び玄関から姿を現したが・・・私のような「部外者」がいては落ち着かなかったであろう。その民家の目の前にちょうど安徳駅のプラットホームへと続く階段があったが、その入口は固く閉ざされていた。付近を流れる水無川には、安徳から続く高架より鉄橋も残存しており、並行する道路から見ると普通に列車がやってきそうであった。

ナビに案内された道では国道からかなり複雑な生活道路を通らされたが、実際にはもっと簡単な道があったであろう。と思ってしまったが、どちらにしても到着できたのだから良しとして、このアングルから見た安徳は(というよりどの角度から見てもであるが)実に普通に営業していると思ってしまうくらい立派な造りである。

高架化されて11年、廃止されて8年、合計で19年経っている事になる。だが、完全に普通の風景で、とても廃止されたものとは思えないであろう。

そしてこちらはホームへと続く階段である。少々見にくいが「立ち入り禁止」の看板の文字がやや掠れているあたりに時間の経過を感じる事ができる。ちなみに写真右側は民家の敷地内であり、ちょうど帰宅したその民家に住む学生には私の訪問に少々戸惑いを感じた事であろう。この場を借りてお詫び申し上げます。

ドライビングスクールが付近にあるらしいが、まさか写真下に写っている廃タイヤは・・・もちろん違うであろう。

そして並行する道路と共に島原鉄道の鉄橋もしっかりと残っている。というより、現在でもメンテナンスを行っているのであろう。と思ってしまうくらい保存状態が良い。いや、実際にメンテは行われているのであろう気がする。

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よろしく哀愁。よろしく九州⑤ 秩父が浦
2016-02-13

私のブログの現在にて、しばらく廃止駅訪問の記事が続いて申し訳ないが・・・今回の旅では島原鉄道の廃止区間も訪問した。2008年4月に島原外港~加津佐間が廃止されたが、前回の訪問は2008年1月、まさに廃止直前の訪問であった。であるが、当時は普段の風景であり、いわゆる同業者的なギャラリーには遭遇しなかった。世間的には正月も終了し仕事始めで正月休みボケながら生活が普段にもどって間もなかった時期に私が訪問した事もあったためであろう。もちろん私は正月からの労働であったので、この島原鉄道訪問時期が一応「正月休み」となっていた。そして今回2016年1月の訪問は、まさに8年ぶりの訪問となった。もちろん列車での訪問は不可能であるためレンタカーとなったが、むしろレンタカーではなくレンタサイクルや時間をかけて徒歩などで訪問した方がより確実にその歴史に触れることが出来るであろう。
そしてその廃止区間であるが、8年経った現在でもしっかりと痕跡が残っており、むしろその気になればいつでも営業できるような保存状態であった。しかしながら営業を再開しても利用者がいなければ・・・であるが、やはり今回訪問した私の印象は「もったいない」であった。ちなみに全く関係ないが、この「もったいない」は世界共通用語であるのはご存知の方もおられる事であろう。この世界共通用語が実に相応しい島原鉄道の廃止区間であるが、特に次回紹介の安徳で更にその気持ちを倍増させられる事になる。

国道から1本生活道路に入ると秩父が浦が登場する。駅前には商店が1軒。しかも代替バスのバス停に「旧」が冠されているのが何とも悔しい。


早速中へ入ってみた。とても廃止駅とは思えない保存振りに、思わず「列車が来たら危ないな、どうしよう」と心の中でつぶやいてしまった。少し経ってから冷静になり撮影を続行。レールが無い事以外、何ら普通の駅と変わりはなかった。






やはり周期的にメンテナンスされているのであろうか。というより、今でも島原鉄道所有の不動産であるなら当然固定資産税などがかかってくる事であろう。その対策のために「放置」だけはしていないのではないか、という理由なのか。どちらにしてもレールを敷けばいつでもOK状態である事はご覧になってお分かり頂けるであろう。



しかしながら旧踏切を見ると厳しい現実が待っていた。やはり列車はやって来ない。しかし、沿線風景的にはそれなりに営業できる事であろうと思うが、もちろん鉄道が無くても生活できる体勢が整っている事であろう。

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