三段峡への挑戦⑥ 安野
2017-06-20

実は、安野という駅自体を今回の訪問でその存在を知った。ご紹介の旅が決定した時に、当然ながら訪問先をピックアップする。そのプロセスの中で、現役時代は地味だった駅も廃線になればこうして存在感をアピールしてくるのだ。だから過去の現役時代の姿が光ってくる・・・逆に言うと何とも皮肉な話だ。って、私が勝手に思っているだけであるが・・・
というより、やはりこの安野は現役時代に訪問してみたかった。もちろんできなかったわけではないが、かつての「いい旅チャレンジ20000km」時代に、つまり国鉄時代に訪問を検討した結果、約半日を費やしてしまう行程がどうしても歩留まり悪く感じ、つい後回しにしてしまった。結果的に可部線非電化区間を制覇できずに終わってしまうという結果になってしまったが、やはり経験出来るうちに経験しておくというのが最大のセオリーという事を、過去を振り返っても嫌というほど経験してしまっている私にとって、更なる追加事項となってしまう。
であるが、ご紹介するように、ほぼ現役時代のまま現在も姿をとどめていることが実に嬉しい。だが、現実問題列車はやって来ないが、面影すら残っていない他の廃止路線の事を考えると、本当に感謝の思いで止まない。今後もこの地に鉄道の歴史が存在したことを後世に伝えるためにも是非「証拠」としていつまでも残していただきたい。
そして、前回に引き続き今回も国鉄時代の写真を、相互リンクさせていただいてる「プラットホームの旅」を管理なさっている「massi1」様にご協力頂いた。この場を借りまして、改めて感謝の意を表したいと思います。
ご覧になってお分かりいただけるように、国鉄時代はJR時代に比べかなり味がある事にお気づきになられる事と思う。ちなみに私は可部線に限らず国鉄・JRともに経験あるが、今になって改めて両者の違いがはっきりとわかるような気がする。それは、私と同世代、または先輩の方々もお気づきになられている事と思われるが、その答えは明白であろう。

そしてこちらは国鉄時代の駅名標であるが・・・もちろん貴重な存在!「massi1」様、ご協力ありがとうございます!






まず、私の訪問時の2016年夏。つまり現在の姿であるが、マジ、現役時代そのものではないか!かつて列車交換ができた事と思われるが、後に紹介する「massi1」様の写真を視て更に驚いた!

こちらが私の訪問時の2016年夏。そして・・・


こちらは「massi1」様ご協力の国鉄時代。ど~ですか!ほとんど変化が無い事にお気づきであろうと思われる。実に、まさに嬉しい限りだ。今後もこのまま継続して後世に伝えて欲しい気持ちである。



そして「massi1」様ご提供の国鉄時代。いや、既にJR化されてからのお写真かも知れないが、いずれにしても国鉄色に染まっている事間違いなし画像。そして、既にこの時代から交換設備が外されていた事が確認出来る貴重な資料となった。

そして再び私の訪問時に戻る。ちょうど政(まつりごと)を司る重要な何かが開催中であったらしい。駅前には堂々、そのアピール度100%状態であったが、確かこの駅は既に役目を終えているはず・・・

構内にある踏切も現役時代そのまま。というか、マジ、冗談抜きで営業しているのではと錯覚してしまうほどの保存具合。

そして私は次の駅に向かった・・・

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三段峡への挑戦⑤ 安芸飯室
2017-06-15

(現役時代の駅名標。写真は「プラットホームの旅」より。そう、国鉄時代の貴重な写真だ!)
以前に可部線の駅訪問に関してはいくつか紹介したが、まだ紹介していない訪問先があるのでいくつか紹介してみたい。まずは安芸飯室であるが、現在でも駅舎やホームがしっかりと残っている。ウィキによると、駅舎はカフェが営業しているらしいが、私の訪問時はそのような印象は記憶が薄い。何か公民館的な雰囲気で使われているような印象であったが、もしかしたら記憶違いかも知れない。それより大事なのは、今もこうしてレールがあった証がある事。可部線の非電化区間は最後まで力の限り頑張って営業してくれた印象だ。ただ、駅前には国道が沿い、代替えバスを走らせるにも不足はないくらいの幅員であるので十分にその役割は果たせることであろう。
現役時代は島式ホームの駅で、加計とともに可部以北の非電化区間では列車交換が出来る駅として役割を果たした。晩年は無人駅であったが、当然ながらCTC化されポイント操作の従業員が必要なくなってからの事であろう。
さて、今回も現役時代の写真を、相互リンクさせていただいている「プラットホームの旅」を管理なさっている「massi1」様のご協力をいただく事にした。この場を借りまして御礼申し上げます。



現在の安芸飯室の姿。現役時代をそのままに、管理人が違えど今もこうしてレールの歴史を後世に無言で伝えている。




いざホームへ。ご覧の通り、現役時代は列車交換ができたのだとひと目でわかる風景。ただ、こうして見てみるとやや華奢な印象である。朝の通学時は大丈夫だったのかと・・・


通常では考えられないような場所にある部品。というか、一般的にはなかなか認知度が低いであろうが、我々レールに携わる者が見ると、なんとなく胸騒ぎがするのはなぜか?

普通に現役時代を感じる風景であろう。今後もこうしてこの状態を維持してもらいたいが、できれば現役復帰が一番の姿であるのは言うまでもない。


もちろん「代替えバス」もちゃんと機能しているが、正直、鉄道で金儲けすると考えた場合はなかなか辛い風景かも知れない。


レールがあった一部の場所は駐車場になっていた。その理由をウィキで調べたら、どうやら駅舎はカフェとして再利用されていたらしい。ただ、私の訪問時はそのような賑わいは無かった印象であった。





最後に、こちらの写真は相互リンクさせていただいている「プラットホームの旅」を管理なさっている「massi1」様のご協力のものである。とても貴重な国鉄時代の姿を経験なされているというのは実に素敵で羨ましい限りである。ご協力ありがとうございました!

そんなこんなで次の訪問先へと向かっていった・・・

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三段峡への挑戦④ 殿賀
2016-07-28

廃止区間で最も現役度を感じるのがここ殿賀である。安野や安芸飯室なども確かに現役度を感じるが、なんというかモニュメント的なイメージがある。そんな中、ここ殿賀はある意味モニュメント的に整備されているものの、決してモニュメント的なものではなく、本当に駅的な機能を今も果たしている雰囲気を醸し出している。
ちょっとウィキを見てみたら注目すべき記事が掲載されていた。それは「1988年(昭和63年)7月21日 - 未明に梅雨末期の集中豪雨により殿賀駅北側の江河内谷川上流で土石流が発生し、その付近だけで10人の犠牲者を出す。一方、JR可部線の築堤が砂防ダムの役割を果たし、殿賀駅より低い場所にある加計町立病院や民家はあまり被害を出さなかった。」とある。つまり可部線の築堤のお陰で被害を軽減する事になったという事だ。という意味もあり、敬意を表して今も現役の状態を保っているものと考えられるが、なにしろこの駅の存在は地元の方にとっても心強いのではないのであろうか。
ところで駅の造りであるが、先に紹介した木坂などによく似ていて、というのも加計から先の三段峡までは可部線の中でも新しく開通した区間であるから似たような造りとなったのであろう。1969年に開通という事は、なんと私と「タメ」である!
さて、今回も「プラットホームの旅」を管理していらっしゃるmassi1様にご協力いただいた。いつも思うが、本当に大変貴重なお写真を管理なされていて、という事は大変貴重な旅をなされている。私もこうして自身の過去の旅を記録していく事を目指している。良いお手本、見本になっている思いである。是非皆様もご覧いただきたい。

こちらは国鉄時代の殿賀駅名標。「プラットホームの旅」より拝借した一枚である。角度は違うが私の撮影したものと同じ位置にあった駅名標であろう。




ご覧のような通路を通って駅に行くが、全く現役そのものの雰囲気。思わず腕時計をみて列車の時間を確認してしまいそうな気分だ。


パッと見普通に私が撮影した感じだが、実は上が私撮影の2016年7月、下が「プラットホームの旅」より拝借した一枚である。ご覧の通り、全く廃止された雰囲気が無い!


こちらも上下で比較してみた。予め「プラットホームの旅」を確認してから旅に出たわけでもないのにこうして偶然の一枚があるのが不思議なくらいである。もちろん、上が私で下が「プラットホームの旅」より拝借した一枚である。






と、何の解説もなしにとりあえず並べてみた。駅のホームに接する部分はレールがあるが、その先は途切れていて列車の来ない現実を無言で語りかけている。だが、普通にご覧いただければ、やはり現役度を感じずにいられないであろう。


位置的に違うが、こうして比較できるのが嬉しい。集落の軒が少なくないので復活してもいい気がしなくもないが・・・もちろん上は私撮影で下は「プラットホームの旅」より拝借した一枚である。


最後に「プラットホームの旅」より現役時代を紹介しよう。
「プラットホームの旅」の管理人様でいらっしゃるmassi1様、ご協力ありがとうございました。心より感謝致します。

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三段峡への挑戦③ 香草
2016-07-24

(2016年7月に訪問時の駅名標・・・と言いたいが、既に表示は無し。だが、よくこの状態を13年くらい保っているものだ。)
ホームに接するは駅舎・・・ではなく民家である。実に生活感溢れた地元密着の駅であるが、実際問題列車はやって来ない。だが、駅の手入れはしっかりとされており、さながら「復活」を感じさせる雰囲気でもある。放置されていないのは今後の身の振りが決まったのか、それとも税金対策なのか、いずれにしても雑草などか無く普通に「駅」を感じさせてくれるのがいい。可部線の存在は、ハッキリ言って現役当時はノーマークであった。しかも「いい旅チャレンジ20000km」時代は、この可部線制覇だけで1日かかってしまうくらいの勢いであったので「後回し」になってしまっていた存在であった。だが、この歳になってその魅力に気づくのも皮肉なもので、特に末端区間は素晴らしく素敵な存在であったことであろう。それは今回の訪問でわかった事であるが、そんな魅力的な路線にもこうした日常を感じさせる駅の存在が実にキラキラ光る。なんて、私の感性って変であろうか?

(こちらは現役時代の、しかも国鉄時代の駅名標。「プラットホームの旅」の管理人様でいらっしゃるmassi1様のご協力により実現した現役時代の写真の掲載である。)
駅は1面1線の棒線型であるが、レールがはがされた現在でもその存在を肌で感じる事が出来る。そんな地元密着型の駅の存在であるが、今回は現役時代の写真を相互リンクさせていただいている「プラットホームの旅」の管理人様でいらっしゃるmassi1様にご協力いただいた。この「プラットホームの旅」は大変貴重なお写真の数々を紹介なさっているので是非皆様もご覧いただきたい。



生活道路を走っていると突然現れた香草。思わず「ウォ~ッ、これだ!」と叫んでしまった。


たまたまmassi1さんのお写真(下)とほぼ同じ角度からの私撮影の写真(上)が偶然ながらあったので比較していただきたい。国鉄時代は写真右側は田んぼだったのだなという情報が伝わってくる。私の訪問時はご覧の通り田んぼの面影はなく、完全に住宅街の中にあった。




1面1線の棒線型駅であったが、やたら構内は広い。しかもしっかり手入れされている。実に訪問しやすく、素敵な旅ができた印象であった。まさか「廃線跡訪問家」のために手入れされているという事ではないであろうが、ハッキリと駅と確認できるのが素晴らしい。


レールこそ無いものの、しっかりとレール跡が確認出来る。なんとなく以前に紹介した島原鉄道に近い保存状態であるのが嬉しい。まさか「一般道」として普段から利用されているのであろうか・・・

そしてこちらも。レールが敷いてあればマジで現役的な風景そのものである。



最後にmassi1さん提供の国鉄時代を紹介しよう。ホーム側の景色は現在とほとんど変わらないと思われる。
こんな事言ってはなんだが、国鉄時代の方がローカル色をかなり醸し出している雰囲気が漂うのは気のせいか?だが、よくここまで現存しているものだと感心してしまうくらい保存状態が素晴らしい。隣に住まわれている方が実に羨ましい気もするが、実は私も1984年に家の前の駅、西寒川駅が廃止になった。廃止後の様子はハッキリ言って覚えていない。それはちょうどその頃からレールファンを離れていたからという部分もあるが、やはり好きであった西寒川駅が公園などに変身して行く姿を見たくなかったのであろう。そういう姿にちゃんと向き合いしっかり記録しておいたらまた違った感性が生まれていたであろう。
この可部線廃止区間もいずれこの残された設備も取り壊されてしまうであろう。だが、私たちがこうして在りし日の姿を体験出来る事が、もしかしたら奇跡なのかも知れない。
「プラットホームの旅」の管理人様でいらっしゃるmassi1様のご協力、心より感謝いたします。

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三段峡への挑戦② 田之尻
2016-07-20

(残念ながら、これが廃止駅の現実であった。ちゃんと記録しておかないと何駅だか忘れてしまいそうだ。)
田之尻であるが、何とも地味な駅である。もちろの現役時代も地味であったが、現在も更に地味さが増してきた。もちろん廃止された駅なのだが、廃止後更に磨きがかかった感がある。
田之尻は国道から1本生活道路に入った所にあるが、その生活道路はやや狭い何とも地味な場所にある。ただ、駅前は自治会館のような建物があり、さながら集落の中心を成している様子であった。そういえば、私はここに来る前に広島市内と宮島の観光をしてきた。もちろんひとり旅ならそういった「余計な行程」を組み込まずにストレートで可部線を迎えていた事であろう。しかしながら妻が付いてきてしまった以上、そういうものも入れていかなければならない。だが、ここ田之尻を「観光」として訪問するのは恐らく私のような「もの好き」以外皆無であろう。それもそのはず、駅前にはお土産屋さんもなければ有名な観光名所的なものも無い。あるのは「生活」という日常の風景である。だが待てよ、よく見てみるとロケーションが素晴らしく、まるで只見線の早戸に似たような風景が広がるではないか!現役時代に来てみたかったものだ。こういった地味な駅は独り占めしてこそ価値が出てくる。これこそ私の真の「観光」である。

ちゃんと手入れもされていて、普通に「公共施設」的雰囲気であろう。だが事実、列車はやって来ない・・・


最初に見た時は保線職員のための物かと思ったが、考えてみたら保線の必要はないわけで、という事は近所の自治会のものであろうか。



ど~ですか、このロケーション!あの只見線にある早戸に似てると思いませんか?

切符はともかく「不足運賃」まで入れていいとは・・・やや微妙に物騒な気もしなくもないが、私は神奈川県から来た者である。一体いくら入れたら良いのであろうか・・・

冗談抜きで今でも現役度を感じる。私の訪問時には「旬」の掲示板が。私の地元では「三原氏」が当選したが、ここ広島での結果はいかに?

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