時よ、お前は③ 下津井
2017-05-25

下津井電鉄の終点・下津井は、特に漁港としてその名を知られ瀬戸内海の豊富な海の幸を我々に提供してくれる。特に下津井で取れる「たこ」は独特の弾力があり、スーパーなどで見られるアフリカ方面のたことは全く異なる食感を出す。地元はもちろん、岡山市内などにも下津井たこを楽しめる飲食店が多く、その絶対なる信頼度は実に大きい。
そんな地を終点とした下津井電鉄は廃止された現在でも「地元密着」を肌で感じる事ができる。児島の街とは違い実にのどかな漁港の片隅に駅はあった。現在でも痕跡はしっかりと残っており、この地に鉄道の歴史があった事を無言で語りかけてくる。というより、ある意味ナローゲージがよく似合うと思った。地形的にかなりの制約を強いられたであろう鉄道敷設工事も、ナローゲージとして運命を歩んだ理由のひとつなのであろうか。いずれにしても、もしまだ現役で活躍していてくれたなら、おそらく私は下津井電鉄の列車に揺られ、名物のたこ料理をつまみながらライムサワー片手に瀬戸内海を一望できるオーシャンビューの宿泊施設に身を寄せていたことであろう。






早速。漁港からスっと1本道を折れると下津井駅が登場する。本当にすぐそばが漁港であり、完全に地元密着的な鉄道だ。






未だレールが残る・・・やはり地元の方にとって、下津井電鉄が廃止されてしまった事は無念であったのだろう。やはり電鉄あっての街の風景・・・

そして岡山方面は、今にも列車がやってきそうな風景になっていた。というより、その気になれば復活も夢ではないであろう。

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時よ、お前は② 鷲羽山
2017-05-20

下津井電鉄の廃線跡で一番気になっていた駅が鷲羽山であった。この駅から見下ろす瀬戸内海は絶景で、などと私が解説を入れなくても周知の事実であろうが、鷲羽と言えばかつて新大阪~宇野で運転されていた急行列車の愛称であったのは懐かしい。ほぼ夜行列車であったが、新大阪を夜の時間帯に出発して宇野につくのがなんと3時台である!そこから連絡船に乗り換えて高松へ向かうのだから実に体力のいる移動手段だ。そう、まだ瀬戸大橋が開通していない時代であるから、本州と四国は必ず船という移動手段が入る関係上、宇野や高松で深夜未明の時間帯での乗り換えを強いられる場面も少なくなかった。
そんな事を思い出させてくれる鷲羽山駅は、現在もサイクリングロードの休憩施設として当時の面影を残していた。駅はちょっとした崖プチのような高台に有るため、そこから見える瀬戸内海は実に素敵な風景。廃止になったのはもったいないね!って感じてしまう空間でもあった。

一見どこに駅跡があるのか分からないが、写真中央のバルコニー的な部分が鷲羽山駅跡である。

私は道路を挟んだ反対側に車を停めたため、ご覧のらせん状の歩道橋を渡り鷲羽山駅跡へ向かった。

歩道橋からはこんな空間に繋がっている。既に観光化されているが、なんとなく鎌倉にも似たような景色がある感じがして、ある意味「地元」的な錯覚に陥る感覚でもあった。

そしてこんな空間に出る。もうお分かりであろう。右側がレールの敷いてあった場所であるという事を。現在はサイクリングロードとして活躍する。




そしてここが鷲羽山駅跡。列車交換はできず、片面一線の棒線形ホームであるのは開業当時からのものと思われ、現役時代のまま現在に至る。

道路から見えたバルコニーはこうなっていた。バルコニーからは瀬戸内海を一望できる。ウィキで確認してみたら、下津井電鉄で瀬戸内海を一望出来るのはこの鷲羽山駅が唯一と聞いた。


バルコニーからはこんな景色が!ご覧の橋が開通後に下津井電鉄と現役を共有したのはわずか2年ほどであった。ある意味、橋の開通は明るい話題ばかりではない。


ホームから琴海寄りを望むとご覧の景色が。弧を描く空間はやや華奢で、一目瞭然でナローゲージな列車の活躍が肌で感じられた。

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時よ、お前は① 児島
2017-05-15

(JR児島駅。高架駅の典型的な設計の印象で、それこそ新幹線の単独駅か鳥取、静岡のそれにそっくり!)
かつて、岡山県に他の鉄道路線と接続しないナローゲージの鉄道路線があった。それは下津井電鉄線といい、JR本四備讃線の児島付近に始発駅があった児島より、漁港で有名な下津井を結ぶ路線であった。私が物心着いた頃には既にこの児島~下津井の区間での運転であったが、それ以前には児島より先茶屋町までの区間があった。現在茶屋町~児島と言えばJRの路線があるが、当時はこのJRの路線は無く、岡山~茶屋町~宇野の宇野線1本であった。宇野では宇高航路が連絡し、船で四国へと渡る・・・言わば宇野は本州側の玄関口でもあった。そんな宇野駅が一気に役目を終えたのが本四備讃線による瀬戸大橋の開通があってからの事であった。ブルートレインが発着する長いホームは使用されなくなり、優等列車は全て宇野駅へ来なくなってしまった。


(児島駅にあるホームへ向かう階段と、駅前に停まっていた営業車。ご覧のとおり、この街のテーマでもある一部の名物のアピール度はかなり高い。)
瀬戸大橋開通時に本四備讃線の駅としてJR児島駅は開業したが、というより茶屋町~児島間は20日くらい先行開業しているが、その時には既に下津井電鉄の茶屋町~児島間は無かった。JR児島と下津井電鉄の児島はかなり離れていて乗り換えるにはかなりの困難を催し、かつての横浜線原町田と小田急線町田(新原町田)との乗り換えよりも過酷であった事であろうと思う。だがこの関係も長くは続かず、時代の波とともに下津井電鉄線は1990年にその生涯を終えてしまった。

(そしてこちらが今でも残る旧・下津井電鉄の児島駅。週末になると一般開放する旨が施設前に表示されていた。)
そしてそれから20年以上経過した現在、今でも所々にその名残を見せてくれる場所が数多く存在する。一部はサイクリングロードに変身して、現在でもまるで列車がやってくるかも知れないような空間をとどめているのが素晴らしい。そんな下津井電鉄の名残を見せる一部の場所を今回訪問してみたが、やはりナローゲージという特殊なレール幅からか、その廃線跡も華奢で可愛らしい。
一番最初に訪問したのが起点駅となる児島であった。だが、週末のみに一般開放するらしく、私が訪問した平日はガラス越しにその姿を眺めるだけにとどまってしまったが、それでも「ターミナル」の姿は実に立派に現在まで残っているのが嬉しかった。

(ガラス越しに現在の姿を確認してみた。それは・・・平日でも一般に開放していただいたいほどの素敵な内容であった旧・下津井電鉄児島駅。)
児島と言えば「ジーンズの街」として最近は有名になり、街へ出ても駅にいてもそのアピール度は非常に高い。私は初めて今回の訪問でJR児島駅を散策したが、昔の下津井電鉄が活躍していた頃の児島のイメージとは全然かけ離れていて立派な造りになっており、それは昭和に流行した高架駅のイメージ、つまり鳥取や静岡・浜松など、典型的な高架駅そのものであった。もちろん今回の訪問以前に何度かこの駅を通過しているが、実際に駅に降り立ったのは初めて。ある意味この街が下津井電鉄の起点であると思うとその事実は実に説得がある街並みであった。そんな街から下津井へ・・・小さな列車の大きな追跡旅が今始まろうとしている。

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