エキサイトシリーズ③ いざ、松音知
2018-03-15

天北線の中で最も現役当時の原型をとどめているであろう松音知。ある資料によると、現在は個人所有の物件となっており「別荘」として第二の人生を送っているらしい。こんな別荘を所有できるなんて、レールファンの私にとってみれば夢のまた夢。「ゴールドラッシュ」などでひと山当てたい気分である。
ただ、松音知駅周辺はほとんど民家など見かけず、かつてに比べかなり過疎化が進んだものと思われる。かつてはそれなりに利用者がいたような数値がある資料によると掲載されていた。そんな数値が信じられない程に現在、付近の風景は文明的な何かが足りない気がする。
だが、レールファンとしては「管理人」がいるという事で駅がしっかり管理されているということは実に嬉しい事、これからも引き続きこの駅がずっと今の姿で将来を迎えてくれることを祈るのみである。

天北線の中で最も現役当時の原型をとどめている松音知。管理人に感謝!









ご覧の通り、今にも列車がやってきそうな風景。ただ、経営者の立場から見て旅客のみでの収入ではかなりつらい風景であろう。


それなりに民家が点在する周囲の風景であるが、何となく廃止されてしまったのがもったいない気もする。天北線が気になる存在のなったのはつい最近の事。現役時代に訪問出来ていたらまた違った感性が生まれていた事であろう。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
エキサイトシリーズ② 旧・天北線、敏音知の今
2018-03-10

全く集落の気配を感じないまま敏音知についた。もちろんここ敏音知周辺も人の気配はない。途中、中頓別は天北線のなかでもそこそこの中間駅で交換設備もあった。そしてなんといってもかつては歌登町営軌道の分岐駅であったのは紛れもない事実であった。




道の駅に生まれ変わった敏音知。果たしてこの空間にかつて天北線の姿があったのだろうか。
歌登町営軌道といえば、かつては美幸線の未成線と平行する部分もあり、さながら「美幸線」であったイメージだ。ただ、簡易軌道時代もあり、つまり馬車軌道時代もあったわけで、なにかと歴史を感じてしまう。ただ、こちらも現存していない事を考えるとモータリゼーションの影響を例外なく受けたであろう事や美幸線のルートと並行する事からの廃止であろう。だが当時は例え馬車軌道であっても天候次第ですぐに泥濘になってしまう道路より重宝したはずだしそれなりに利用者も少なくなかったはずだ。もちろん旅客だけがお客様ではなかったはずだから、開拓部落にとってはなくてはならない存在であった事と思う。




道の駅の片隅にあるオブジェ的な鉄道の歴史。かなりメンテナンスには気を使われている雰囲気が伝わってくる。「敏音知」とはアイヌ語由来の当て字であるが、特に北海道は地名のネーミングが独特で、他の地域とは違った特異性を持っている。
そんな中頓別も、現在はバス停がポツンと立っているだけの風景になってしまったし、周囲に人の気配をほとんど感じなかった。ただ、敏音知は道の駅として第二の人生を送っており、それなりに「人の集まる場所」として現在も活躍している。そして道の駅の外れにオブジェ的ではあるがかつての鉄道的証しが確認できる。ただ、やはり周囲には人の気配を感じず、旅客のみの運営となればJRの経営も察するに至るであろう。
しかしながら、こうした場所にレールがあるとレールファンとしての虫が騒いでしまうのは私だけであろうか。というより、よくこの地にレールを敷設したと感心してしまう思いだが、ある意味サハリンに向けての先人の思いも十二分に詰まっている事であろう。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
蝦夷からアイヌへ④ 飛行場前
2017-07-15

こちらの駅名標は現役時代。「プラットホームの旅」の管理人様よりご協力いただいた。
天北線にあった飛行場前「駅」は、国鉄時代は仮乗降場であった。いわゆる全国版の時刻表には載らない駅なので、その存在を知る者は地元の方かレールファンがほとんどを占めていた事であろう。私も北海道初上陸前にはわざわざ通販で「道内時刻表」を取り寄せたものだ。それは1982年~1983年の頃だったと思うが、常に夏休みには北海道行きを憧れ事前に計画を散々練っていたものだ。だがその夢は実現せず・・・こうして現在廃線跡を巡っているわけである。

こちらも「プラットホームの旅」よりのご提供の現役時代である。私がかつて某書籍で見て以来、ずっと憧れていた駅だけに実に素敵な風景である。
駅名の由来についてはウィキで確認していただくとして、とにかく天北線を音威子府から車でここ飛行場前までスっ飛ばしてきた印象・・・それは、旅客のみの収入では完全に商売が成り立たないという事。天北線の沿線で大きな集落と言えば浜頓別くらいで、他は完全に鉄道の最大の特徴であり長所でもある「大量輸送」からは遠くかけ離れている沿線風景である。ではなぜそこにレールがあるのか・・・沿線には、特に放牧が盛んで酪農風景がはるばる広がる。そう、天北線も、現在ほど道路が整備されていない時代は貨物輸送が盛んで、特に酪品などの輸送でかなり役にたっていたことであろう。いや、むしろ開拓部落にとってなくてはならない輸送手段だったのではないか。そんな歴史が現在の沿線風景を見てひしひしと感じてくる。

こんな素晴らしい待合室があった。しかも仮乗降場であるのに・・・こちらも「プラットホームの旅」より。
特にここ飛行場前は酪農業のど真ん中にあるイメージで、浜頓別からそれほど離れているわけでもないのにこれほど酪農が盛んな風景を見れるとは、さすが北海道の雄大さを実感する瞬間でもあった。だからこそ、かつてにおける天北線の重要性を肌で感じる事ができた。


そしてこちらが今回訪問した飛行場前。写真中央のサイクリングロードはもちろん天北線のレール跡だ。そして左側にあるのは飛行場前のホームであるが・・・
ところで、今回も現役時代の写真は「プラットホームの旅」の管理人様にご協力いただいた。
実はこの飛行場前、私がかねてから訪問したいと憧れていた駅。そう、中学生時代からずっと憧れていた駅である。今回の訪問でその夢が実現したわけであるが、もちろん現役時代に訪問したかった。それが故に、今回の旅では、いわば強引に飛行場前の訪問を組み込んだといっても過言でないくらいで、更に訪問当日も無理なスケジュールから訪問をやめようかと思ったが、やはりせっかく来たのだからチャレンジしてみようと、ダメなら途中で引き上げようという覚悟の元に実現した。であるから成功した現在はとても嬉しさを隠せずにいるのも正直なところである。




お分かりいただけだであろうか。夏期になるとほぼ自然に返る雰囲気であろうが、それでも仮乗降場らしきホームが確認できる。正直言って周囲は完全に酪農業風景しか確認できないため、旅客扱いではかなりの苦戦を強いられる事であろう。だが、よくここまで姿をとどめてくれていたものだ。
ただ、廃止されてから30年近く経っているので保存状態はいかがなものかと思ったが、いざ訪問してみると、それはそれは私が思っていた以上に「まだまだイケる!」状態であった。もちろん傍から見れば単なる朽ち果てた建造物であろう。だが私にしてみれば、よくぞここまで姿をとどめていてくれたと褒めたいくらいであった。よくぞ今まで私の訪問を待っていてくれてた!という思いであった。

そして浜頓別側の風景。手前はかつて踏切があった場所であるが、現在その姿はない。だが、いかにも北海道らしい真っ直ぐなレールが果てしない。憧れの駅に訪問できてやや満足であったが、やはり現役時代に来たかった。であるが、今後もこうして私の再訪を待っていてくれるなら本気で嬉しい。その時まで・・・待っていてくれ、飛行場前!

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
蝦夷からアイヌへ③ 山軽
2017-07-10

現役時代の駅名標は、お馴染み「プラットホームの旅」の管理人でいらっしゃる「massi1」様似ご協力頂いた。
天北線・・・若いレールファンはご存知ないか実感がないのが現状であろう。天北線とは1989年に廃止された国鉄~JRの路線であるが、私は何度も北海道路線を制覇しようと思っていた時にネックになっていた路線でもあった。稚内側では天北線と宗谷本線の接続が良いとは言えず、特に稚内発の夜行列車「利尻」に間に合うよう天北線の列車に乗ろうには、稚内のひとつ手前、南稚内ののりかえになってしまい乗りつぶし泣かせのダイヤの組み方であった。だが、夜に訪問するより昼間の訪問がいいと、今度は下り「利尻」で予定を組んでみると、音威子府から天北線と興浜北線の連絡はバッチリであるが、その後天北線を制覇し稚内で宗谷本線に乗り換える予定を組むと、なんと3時間待ちになってしまう。私が中学生時代はこの難問に随分と悩んだものだ。だが、今となっては、例え3時間待ちでも制覇すべきであったとの思いもなくはないが・・・


こんな道を行かなければならない。ある意味万字炭山よりも少し秘境度は落ち着きを見せるイメージであるが、それはむしろ万字炭山より更に野生感が増していると感じた。それは実際に体験してみれば必ずやお分かりいただけることであろう。


途中、天北線の線路跡であるサイクリングロードが出現。だが・・・ここを自転車で通ろうとするには非常に大きな勇気を必要とする。だが、この「茨の道」を通るのが山軽駅へ行く近道。究極の選択かも知れないが、季節によってはこの茨の道を使えるはずなので是非再チャレンジしてみたい。
そんな天北線を、廃止からなんと30年近く経ってから訪問するチャンスが訪れるなんて、何とも皮肉な話である。が、逆に今の天北線を確認できるのも、ある意味幸せかも知れない。そんな思いを込めて、私が最もこだわる「飛行場前」へと向かった。更に、せっかくだからと、付近にある山軽にも訪問することにしたのだが・・・実際に訪問してみると、むしろ山軽の訪問難易度が高く、結果的に玉砕に終わってしまった。だが、尚更次回の訪問を決意せざるを得ない心のやり場・・・また北海道の訪問の予定ができてしまった感じだ。

こちらは「プラットホームの旅」提供の山軽駅の現役時代。サイクリングロードを経るとこのような景色が現れるはずであるのだが・・・実にいい風景だ。
現在、天北線の線路跡は一部サイクリングロードに転用されているが、山軽へ訪問するにはこのサイクリングロードを利用する以外に方法は無いという結論であった。もちろん、国道から「ジャングル」へと通ずる砂利道を伝えば旧・山軽駅のすぐそばまで行ける。その気になればその砂利道から更に草木が生い茂る僅かな轍が残る駅へと通じる道を、勇気を持って突進すれば山軽駅にたどり着ける事であろう。だがそこは、旅客で銭儲けをしようと列車を運転させた場合、間違いなく採算が合わないであろう風景のため、というより、それ以上に野生のジャングル化された、いわば文明とは完全にかけ離れた世界であるため、そして秘境駅訪問家さえも震え上がろう究極の大自然の中にある駅であるため、本当に観光気分などで訪問してはならない獣道を伝ってたどり着く事になるので覚悟が必要であろう。しかもレンタカーなら「戦いの爪痕」を残す事になり、別料金の支払いを強いられるであろう。

こちらも現役時代の山軽駅の写真。「プラットホームの旅」より拝借させていただいたが、現在もこの景色とほぼ変化がない形で残っていると聞いている。必ずやいずれ訪問してみせる。待っていてくれ!山軽駅!!
更に私はジャングルへと通ずる道で山軽駅に向かう途中、野生のキタキツネと遭遇した。普通なら「あっ、可愛い!」となるであろう。実際に助手席に座っていた妻もそんな感じであった。だが私の反応は違う。野生のキタキツネがいる・・・つまり他にも野生の動物が住んでいるという事になる。そう、つまり「クマ」的な野生動物も出没する可能性「大」という事だ。実際に訪問してわかったが、なぜそこに駅があるのかわからないほど周囲が野生化している。これは現役時代と変わらない事であろう。だが、このことは隣の飛行場前に訪問して改めてわかった事でもあった。それは・・・

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村