蝦夷からアイヌへ② 万字炭山
2017-07-05
本当に鉄道の歴史があったのであろうか・・・完全に外界から隔離され「秘境」という名のカテゴリーではくくれない恐怖を感じた。
万字炭山とは、かつて室蘭本線の志文から枝分かれし万字炭山に至る、言わば炭鉱路線である「万字線」の終点駅である。現役時代は、旅客列車は全て岩見沢発着であった記憶だが、実はここに来る前に旧・万字駅にも寄った(その模様は後日紹介します)。志文から万字線方面へ車で向かうとだんだんと幅員が狭くなってくる。特に旧。万字を過ぎると完全に車幅ギリギリまで草木が生い茂り、砂利道に変化する。本当にこの先に駅が存在したのか・・・と疑ってしまうが、残念ながら現役時代に訪問できなかったのでその真意を確かめたく車を先に進めた。


写真だとなかなか伝わりにくいが、万字より先の道は車一台がやっと通れる幅員である。本当にこの先に駅などあったのであろうかと疑ってしまう・・・
するとそこには事前に確認していた以上に荒涼とした風景が展開されていたのであった!本当にこんなスペースに石炭を積出すような設備があったのかと目を疑ってしまうくらい狭窄なスペース。ましてすぐ横に沢が有るため自然と片側が制限されてしまう。よくぞこんなスペースに駅を造ったものだと関心してしまうくらいの場所であった。そう、万字炭山駅跡はほとんど草木に覆われ判別困難であったのだ。ただ、その名の通り、基本「貨物」が優先されるであろう輸送目的のため、人的な輸送目的は後回しであったのだろう。というか、後で調べたら、私の訪問時には既に旧駅舎他は完全に撤去されてたらしい。


そしてその行く手にそれは姿を現した。そこは荒涼とした自然なる風景で、かつて鉄道の歴史があった事など判別不可能であった。写真右側に駅舎があった。
そして万字炭山駅跡の先を更に進むと「万字森林公園」があるが、こちらが万字炭山の炭鉱跡と聞いた。そう、この森林公園こそ炭山とその集落であったのだ。だが、私の訪問時は万字炭山駅跡より先に進もうには更に道の幅員が狭くなっており、更に初夏の草木がその行く手を拒んでいるようなありさまであった。それより何より、絶対に野生動物が好む環境・・・出る!絶対に熊が出るはずであろう感覚であった。おそらくこんな場所で熊に出会ったら「白い貝殻の小さなイヤリング」はくれないであろうし、お礼に唄など到底歌えない!的な風景であった。この場所は本気で観光気分で訪問してはならない。私自身もクマ装備はそれなりにしていてもやはりいざという時に冷静になれるかどうか不安であった。だから車から出るのにかなりの覚悟と勇気が必要だった。現役時代もこんな感じだったのであろうか・・・と疑ってしまう、言わば「小和田」「小幌」などよりもかなり強度な秘境駅の雰囲気であった。国鉄時代は「秘境駅」というカテゴリーや概念が一般的ではなかったので、現在もこの駅が現役であったなら間違いなく秘境駅訪問家の評価も高かった事であろう。



こちらが駅舎があった場所。基礎がしっかりと残っていた。駅舎があった時に訪問してみたかった、いや、現役時代に訪問してみたかった。
ただ、万字から万字炭山に向かう途中では廃墟や廃炭鉱設備的な建家が点在し、そこに石炭の歴史を感じた事も事実である。エネルギー革命によりゴーストタウンとなってしまったが、かつては間違いなく日本の経済を支えていた事であろう万字炭山。現役時代に訪問できた方が実に羨ましい限りである。

そしてこの先に万字炭山の炭鉱と集落があった事であろう。だが、その確認作業はできなかった。

そしてホームや側線があった場所は、線路が完全に撤去され、その後放牧に使われていたらしい。現在はご覧の通り、単純に空き地になっていたが手入れはしっかりとされていた。


そして炭鉱設備と思われる廃建家。完全にゴーストタウンとなっていた。

更にゴーストタウンの象徴であるかのように、民家もご覧の通りである。万字~万字炭山間にはこんな風景が展開された。

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万字炭山とは、かつて室蘭本線の志文から枝分かれし万字炭山に至る、言わば炭鉱路線である「万字線」の終点駅である。現役時代は、旅客列車は全て岩見沢発着であった記憶だが、実はここに来る前に旧・万字駅にも寄った(その模様は後日紹介します)。志文から万字線方面へ車で向かうとだんだんと幅員が狭くなってくる。特に旧。万字を過ぎると完全に車幅ギリギリまで草木が生い茂り、砂利道に変化する。本当にこの先に駅が存在したのか・・・と疑ってしまうが、残念ながら現役時代に訪問できなかったのでその真意を確かめたく車を先に進めた。


写真だとなかなか伝わりにくいが、万字より先の道は車一台がやっと通れる幅員である。本当にこの先に駅などあったのであろうかと疑ってしまう・・・
するとそこには事前に確認していた以上に荒涼とした風景が展開されていたのであった!本当にこんなスペースに石炭を積出すような設備があったのかと目を疑ってしまうくらい狭窄なスペース。ましてすぐ横に沢が有るため自然と片側が制限されてしまう。よくぞこんなスペースに駅を造ったものだと関心してしまうくらいの場所であった。そう、万字炭山駅跡はほとんど草木に覆われ判別困難であったのだ。ただ、その名の通り、基本「貨物」が優先されるであろう輸送目的のため、人的な輸送目的は後回しであったのだろう。というか、後で調べたら、私の訪問時には既に旧駅舎他は完全に撤去されてたらしい。


そしてその行く手にそれは姿を現した。そこは荒涼とした自然なる風景で、かつて鉄道の歴史があった事など判別不可能であった。写真右側に駅舎があった。
そして万字炭山駅跡の先を更に進むと「万字森林公園」があるが、こちらが万字炭山の炭鉱跡と聞いた。そう、この森林公園こそ炭山とその集落であったのだ。だが、私の訪問時は万字炭山駅跡より先に進もうには更に道の幅員が狭くなっており、更に初夏の草木がその行く手を拒んでいるようなありさまであった。それより何より、絶対に野生動物が好む環境・・・出る!絶対に熊が出るはずであろう感覚であった。おそらくこんな場所で熊に出会ったら「白い貝殻の小さなイヤリング」はくれないであろうし、お礼に唄など到底歌えない!的な風景であった。この場所は本気で観光気分で訪問してはならない。私自身もクマ装備はそれなりにしていてもやはりいざという時に冷静になれるかどうか不安であった。だから車から出るのにかなりの覚悟と勇気が必要だった。現役時代もこんな感じだったのであろうか・・・と疑ってしまう、言わば「小和田」「小幌」などよりもかなり強度な秘境駅の雰囲気であった。国鉄時代は「秘境駅」というカテゴリーや概念が一般的ではなかったので、現在もこの駅が現役であったなら間違いなく秘境駅訪問家の評価も高かった事であろう。



こちらが駅舎があった場所。基礎がしっかりと残っていた。駅舎があった時に訪問してみたかった、いや、現役時代に訪問してみたかった。
ただ、万字から万字炭山に向かう途中では廃墟や廃炭鉱設備的な建家が点在し、そこに石炭の歴史を感じた事も事実である。エネルギー革命によりゴーストタウンとなってしまったが、かつては間違いなく日本の経済を支えていた事であろう万字炭山。現役時代に訪問できた方が実に羨ましい限りである。

そしてこの先に万字炭山の炭鉱と集落があった事であろう。だが、その確認作業はできなかった。

そしてホームや側線があった場所は、線路が完全に撤去され、その後放牧に使われていたらしい。現在はご覧の通り、単純に空き地になっていたが手入れはしっかりとされていた。


そして炭鉱設備と思われる廃建家。完全にゴーストタウンとなっていた。

更にゴーストタウンの象徴であるかのように、民家もご覧の通りである。万字~万字炭山間にはこんな風景が展開された。

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