蝦夷からアイヌへ、アゲイン 万字線③ 朝日
2022-04-02

ハッキリ言って、万字線にこのような駅があるとつい最近知った。「つい最近」と言っても10年は経っているであろうが、まさか万字線のこうした地味な駅がしっかり保存されているとは夢にも思わなかった。そこは一見、日本各地にあるような鉄道公園的な風景であったのだが、私には石炭全盛期の先人の思いがしっかり伝わってきた。
近年に新たな整備を施したであろうゆとりある二車線道路から分かれる旧道に入り即座にわかる「朝日」は、それまでその駅の存在をほとんど知らなかった私を一気に振り向かせた。もちろんこの駅の訪問は今回の旅プログラムに入っていたが、万字や万字炭山の方が昔から興味津々だったのでさほど事前調査せずに、ある意味「消化試合」的なイメージのまま現地入りしたのであった。
ところがドッコイ!鉄道公園的なはずなのに、何かが私を引き留める…
結局その答えは見つからなかったが、昭和の面影がたっぷり詰まっていたところに何かヒントがありそうな気がした。初めて訪れた朝日「駅」は否応なしに汽車時代のオーラを放ちながら、私の中で万字線の「キレンジャー」から「赤レンジャー」に昇格した思いであった。




現役時代のイメージをほぼ保ったまま健在の朝日駅舎。メンテナンスもしっかり行き届いている印象であるが、だからこそ現役時代の盛栄が蘇る思いであった。


早速ホームへ移動してみる。鉄道公園として恐らくリニューアルされたのであろうと思われるホームにはかつての主力メンバーであったろう一部が静態保存されていた。




ホーム向かい側のスペースにはかつて石炭専用の貨物側線と、更に木が生い茂る山側には炭鉱があった。つまり都心のマンションなどでも見られる「駅直結型」とでも言おうか。現在は全て撤去され面影はないが、若干のコンクリ基礎などが残りノスタルジックな印象である。



ホームの先には更に現役時代のホームが。「キレちゃいないよ。まぁ、キレていいのか悪いのか・・」とでも言いたくなりそうだが、やはり現役時代に比べ短いホームは「キレている」であろう。長い編成の列車にも対応出来たホームであったが、という事はつまり万字線の輸送量がこの事からでも伺えるが、私の知る晩年は単行列車の行き来であった記憶なので少々持て余し気味であった。

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蝦夷からアイヌへ、アゲイン 万字線① 万字
2022-03-25

「万字」と聞いて即座に猪木を思い浮かべてしまうのは昭和世代であろうが、残念ながらこちらの万字は「卍」ではない。いや、正確にはこの地の炭鉱経営者の家紋に由来するらしいが、その事をアントン氏が知っているかは不明である。北海道にはかつて北九州と共に炭鉱路線が細分にひしめいていたが、こちらの万字線もそのひとつである。既に万字炭山は紹介しているが、駅前は完全にゴーストタウン化しておりかつての盛栄を全く感じなかった。一時期は個人の所有地として駅舎ごと買い取られ暫く健在であったが、既にその面影も無く、その地がかつて駅であった事さえ判別するのが難しい状況であった。唯一、駅舎があったであろうスペースには駅舎の基礎と思われるコンクリートの囲いがその道しるべとなっているに過ぎなかった。

これが「簡易郵便局」である旧・万字駅舎。現役時代とほぼ変わらないイメージで健在であったのは嬉しいのだが、かなりの年数が経過していると思われ、先述の広尾駅のように解体などの運命をたどらなければいいのだが・・・
ところで今回は万字炭山のひとつ手前の万字を紹介してみたいと思うのだが、炭鉱どころか文明ごと失われてしまった風景にいささか驚きを隠せなかった。順番的には志文から万字に向け回ったのであるが、万字に近づくにつれ文明がデクレッシェンドしていくイメージで、万字炭山に着く頃にはこの地にレールが敷かれていた事が信じられないくらいの風景が迫ってきた。



意外にも広かった旧・駅前広場。現在は簡易郵便局の駐車場として第二の人生を送っているのだが「簡易」にしてはかなり広い。
現在、万字の駅舎は郵便局に転用され健在であったが、周囲に民家がほとんど無い。いや、正確に言えば後に並走する幅員の広い道路側へ民家が集中していると捉えたほうがいいのか…
そしてホームは駅舎より低い位置にあり階段を下るイメージであるが、私の訪問時は階段の2段目3段目より草木が日差しを求め太陽光の隙間をすべて覆い隠す状態で完全なる光合成を行っていた。そのためそれより先には進めず、鉄道の歴史を確認する事が出来なかった。いや、草木を分け、ジャングルを切り開きながら先には進めばよかったのであろう。

駅舎よりホームへと続く階段であるのだが、季節は夏・・・この先のホームへたどり着けるのは「水曜スペシャル」のキャストの皆様が最も有力であろう。
しかし仮に、もし強引にその作戦を慣行した場合、恐らくかつての「水曜スペシャル」のような探検的アドベンチャーとなりひとつの番組が出来たであろう未知の世界が広がっていた。だが、現場にいた私にはその勇気と時間が無く、その未知の世界に背中を向けてしまったのだ。勇気を持てばたどり着く事は出来たであろう。そして霧がかっていたかつての勇姿が私の目の前に晴れて飛び込んで来たであろう。恐らく未来の自分は過去の自分を責めるかも知れない。たが、退く勇気も必要と自分に言い聞かせた。かつて鉄道誌で見たあの万字駅のホームを肉眼で確かめたかったのだがこれで終る訳じゃないと心に誓った。そう、再訪すればいいのだ。もちろん現地や自身のコンディションもあろう。万全の準備が互いに整った場合、もしかしたら万有引力以外の見えぬ引力により互いが互いを引き寄せ合うかも知れない。

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蝦夷からアイヌへ② 万字炭山
2017-07-05
本当に鉄道の歴史があったのであろうか・・・完全に外界から隔離され「秘境」という名のカテゴリーではくくれない恐怖を感じた。
万字炭山とは、かつて室蘭本線の志文から枝分かれし万字炭山に至る、言わば炭鉱路線である「万字線」の終点駅である。現役時代は、旅客列車は全て岩見沢発着であった記憶だが、実はここに来る前に旧・万字駅にも寄った(その模様は後日紹介します)。志文から万字線方面へ車で向かうとだんだんと幅員が狭くなってくる。特に旧。万字を過ぎると完全に車幅ギリギリまで草木が生い茂り、砂利道に変化する。本当にこの先に駅が存在したのか・・・と疑ってしまうが、残念ながら現役時代に訪問できなかったのでその真意を確かめたく車を先に進めた。


写真だとなかなか伝わりにくいが、万字より先の道は車一台がやっと通れる幅員である。本当にこの先に駅などあったのであろうかと疑ってしまう・・・
するとそこには事前に確認していた以上に荒涼とした風景が展開されていたのであった!本当にこんなスペースに石炭を積出すような設備があったのかと目を疑ってしまうくらい狭窄なスペース。ましてすぐ横に沢が有るため自然と片側が制限されてしまう。よくぞこんなスペースに駅を造ったものだと関心してしまうくらいの場所であった。そう、万字炭山駅跡はほとんど草木に覆われ判別困難であったのだ。ただ、その名の通り、基本「貨物」が優先されるであろう輸送目的のため、人的な輸送目的は後回しであったのだろう。というか、後で調べたら、私の訪問時には既に旧駅舎他は完全に撤去されてたらしい。


そしてその行く手にそれは姿を現した。そこは荒涼とした自然なる風景で、かつて鉄道の歴史があった事など判別不可能であった。写真右側に駅舎があった。
そして万字炭山駅跡の先を更に進むと「万字森林公園」があるが、こちらが万字炭山の炭鉱跡と聞いた。そう、この森林公園こそ炭山とその集落であったのだ。だが、私の訪問時は万字炭山駅跡より先に進もうには更に道の幅員が狭くなっており、更に初夏の草木がその行く手を拒んでいるようなありさまであった。それより何より、絶対に野生動物が好む環境・・・出る!絶対に熊が出るはずであろう感覚であった。おそらくこんな場所で熊に出会ったら「白い貝殻の小さなイヤリング」はくれないであろうし、お礼に唄など到底歌えない!的な風景であった。この場所は本気で観光気分で訪問してはならない。私自身もクマ装備はそれなりにしていてもやはりいざという時に冷静になれるかどうか不安であった。だから車から出るのにかなりの覚悟と勇気が必要だった。現役時代もこんな感じだったのであろうか・・・と疑ってしまう、言わば「小和田」「小幌」などよりもかなり強度な秘境駅の雰囲気であった。国鉄時代は「秘境駅」というカテゴリーや概念が一般的ではなかったので、現在もこの駅が現役であったなら間違いなく秘境駅訪問家の評価も高かった事であろう。



こちらが駅舎があった場所。基礎がしっかりと残っていた。駅舎があった時に訪問してみたかった、いや、現役時代に訪問してみたかった。
ただ、万字から万字炭山に向かう途中では廃墟や廃炭鉱設備的な建家が点在し、そこに石炭の歴史を感じた事も事実である。エネルギー革命によりゴーストタウンとなってしまったが、かつては間違いなく日本の経済を支えていた事であろう万字炭山。現役時代に訪問できた方が実に羨ましい限りである。

そしてこの先に万字炭山の炭鉱と集落があった事であろう。だが、その確認作業はできなかった。

そしてホームや側線があった場所は、線路が完全に撤去され、その後放牧に使われていたらしい。現在はご覧の通り、単純に空き地になっていたが手入れはしっかりとされていた。


そして炭鉱設備と思われる廃建家。完全にゴーストタウンとなっていた。

更にゴーストタウンの象徴であるかのように、民家もご覧の通りである。万字~万字炭山間にはこんな風景が展開された。

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万字炭山とは、かつて室蘭本線の志文から枝分かれし万字炭山に至る、言わば炭鉱路線である「万字線」の終点駅である。現役時代は、旅客列車は全て岩見沢発着であった記憶だが、実はここに来る前に旧・万字駅にも寄った(その模様は後日紹介します)。志文から万字線方面へ車で向かうとだんだんと幅員が狭くなってくる。特に旧。万字を過ぎると完全に車幅ギリギリまで草木が生い茂り、砂利道に変化する。本当にこの先に駅が存在したのか・・・と疑ってしまうが、残念ながら現役時代に訪問できなかったのでその真意を確かめたく車を先に進めた。


写真だとなかなか伝わりにくいが、万字より先の道は車一台がやっと通れる幅員である。本当にこの先に駅などあったのであろうかと疑ってしまう・・・
するとそこには事前に確認していた以上に荒涼とした風景が展開されていたのであった!本当にこんなスペースに石炭を積出すような設備があったのかと目を疑ってしまうくらい狭窄なスペース。ましてすぐ横に沢が有るため自然と片側が制限されてしまう。よくぞこんなスペースに駅を造ったものだと関心してしまうくらいの場所であった。そう、万字炭山駅跡はほとんど草木に覆われ判別困難であったのだ。ただ、その名の通り、基本「貨物」が優先されるであろう輸送目的のため、人的な輸送目的は後回しであったのだろう。というか、後で調べたら、私の訪問時には既に旧駅舎他は完全に撤去されてたらしい。


そしてその行く手にそれは姿を現した。そこは荒涼とした自然なる風景で、かつて鉄道の歴史があった事など判別不可能であった。写真右側に駅舎があった。
そして万字炭山駅跡の先を更に進むと「万字森林公園」があるが、こちらが万字炭山の炭鉱跡と聞いた。そう、この森林公園こそ炭山とその集落であったのだ。だが、私の訪問時は万字炭山駅跡より先に進もうには更に道の幅員が狭くなっており、更に初夏の草木がその行く手を拒んでいるようなありさまであった。それより何より、絶対に野生動物が好む環境・・・出る!絶対に熊が出るはずであろう感覚であった。おそらくこんな場所で熊に出会ったら「白い貝殻の小さなイヤリング」はくれないであろうし、お礼に唄など到底歌えない!的な風景であった。この場所は本気で観光気分で訪問してはならない。私自身もクマ装備はそれなりにしていてもやはりいざという時に冷静になれるかどうか不安であった。だから車から出るのにかなりの覚悟と勇気が必要だった。現役時代もこんな感じだったのであろうか・・・と疑ってしまう、言わば「小和田」「小幌」などよりもかなり強度な秘境駅の雰囲気であった。国鉄時代は「秘境駅」というカテゴリーや概念が一般的ではなかったので、現在もこの駅が現役であったなら間違いなく秘境駅訪問家の評価も高かった事であろう。



こちらが駅舎があった場所。基礎がしっかりと残っていた。駅舎があった時に訪問してみたかった、いや、現役時代に訪問してみたかった。
ただ、万字から万字炭山に向かう途中では廃墟や廃炭鉱設備的な建家が点在し、そこに石炭の歴史を感じた事も事実である。エネルギー革命によりゴーストタウンとなってしまったが、かつては間違いなく日本の経済を支えていた事であろう万字炭山。現役時代に訪問できた方が実に羨ましい限りである。

そしてこの先に万字炭山の炭鉱と集落があった事であろう。だが、その確認作業はできなかった。

そしてホームや側線があった場所は、線路が完全に撤去され、その後放牧に使われていたらしい。現在はご覧の通り、単純に空き地になっていたが手入れはしっかりとされていた。


そして炭鉱設備と思われる廃建家。完全にゴーストタウンとなっていた。

更にゴーストタウンの象徴であるかのように、民家もご覧の通りである。万字~万字炭山間にはこんな風景が展開された。

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