蝦夷からアイヌへ・アゲイン 広尾線⑤ 幸福(後編)
2022-03-10

前回は幸福駅の駅舎等を紹介したが、今回はホーム風景に的を絞って紹介してみよう。もちろん、今の時代であるからインターネットや実際の訪問などで何度もご覧になっているであろう風景であると思われるが、やはり私のブログも「鉄道」をテーマにしている以上、皆様の仲間入りをしてみたいと欲が出てくる。
という事で、早速幸福「駅」の模様をお届けしたい。


幸福といえば、というか北海道と言えばお馴染みキハ21の改良型、キハ22が停泊している。私は当初1両と思っていたが、何ともう1両いた!

一面一線の棒線形ホームは往年の姿が蘇る。


意外にも車内はしっかりとメンテナンスされていて小奇麗な雰囲気である事ひとつ取っても帯広市など管理していらっしゃる人たちの思いが伝わって来る。

そしてもう一両。こういった車両を見ると、どうしても「相模線!」と思ってしまうのは、私世代の寒川町民他相模線沿線共通の認識であろうか。


私が所有するSL時代の「幸福パネル」と現在を比較してみた。ご覧の通りほぼ当時の面影を残しながら現在に至っている事がおわかりであろう。こうして我々が持つ昭和の記憶が後世に受け継がれていくのは実に嬉しい事である。

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蝦夷からアイヌへ・アゲイン 広尾線⑤ 幸福(前編)
2022-03-05

幸福「駅」とはかつて広尾線にあった駅であり、先述通り昭和の時代には一大センセーショナルを巻き起こした「聖地」である。
もう国鉄からJRになって30年以上経過したが、広尾線が廃止になったのは1987年2月なのでちょうど国鉄が民営化される直前ということになる。つまり広尾線はJR化される事は無く、民営化ギリギリのところで国鉄のまま散っていった訳だ。



幸福駅の待合室はリニューアルされたが、国鉄時代のイメージをほぼそのまま残して現在も活躍。私の訪問時は平日であったが、相変わらずの人気ぶりに驚愕!もちろん私よりも先輩方はブームをリアルで体験していらっしゃるのでその思いも一際であろう。
昭和48年頃に先述の「愛の国から幸福へ」の切符がブームになり一気に世間から注目された駅であったが、その正体は棒線化されたホームに木造の小さな待合室がある決して派手ではない駅であった。ただ、待合室に入ると全国からやって来た観光客やレールファンなどが張り付けた切符やメッセージなどが所狭しと壁一面に張り付けられていた。その光景は現在も変わらないのは、廃止され30年以上経った現在でも根強い人気を誇っているからであろう。
現在も当時のレールやホームは健在であり待合室はリニューアルされたが、ほぼ当時のままの雰囲気を保っていた。とは言っても今回の訪問が「初」なので現役時代の光景はライブで見た事は無いのだが、当時の鉄道誌などと照らし合わせても当時の雰囲気を残しているのがわかる。


待合室の中はご覧の通り、国鉄時代を彷彿させるような風景が広がっていた。もちろん主役は「愛国から幸福行き」。
広尾線沿線の大きな集落は大樹と広尾がその代表になるが、幸福の周辺は農業中心の風景が広がり道路が整備され車が発達した現代社会においては定期的に大量の貨物輸送がない限りは鉄道会社を経営する風景としてはあまり相応しくないであろう。
しかしながら観光化された現在では、少なくとも私の訪問時でもそれなりに賑わっていたのだから現在でもまだまだ根強い人気が消えていないのは先述の通りである。流石、元祖・縁起切符の聖地!

ホームから駅舎(待合室)へ通じる道の途中にあるオブジェは国鉄時代は鉄製のアーチであった記憶だが、現在はご覧のように生まれ変わり「鐘」も設置された。
さて、私が子供の頃に愛国~幸福の切符がアクリルに入ったキーホルダーを持っていた。そのアクリルは開ける事ができて切符を取り出す事ができた。切符には「複製」と記されていたが当時はその意味がわからず切符を取り出しては喜んでいた自分がいた。元祖・縁起切符の事は私のような子供でさえ知っていたのだから当時は相当のブームだったのだろう。現在そのキーホルダーは無いが、もし再々訪したら是非とも現地で購入してみたい。




駅前ではご覧の販売店が設置され「愛の国から幸福へ」の主役も堂々アピールされている。特に若いカップルなどは「国鉄」という響きが新鮮に聞こえるかもしれない。これを「レトロ」と感じるか「古い」と感じるか・・・
ところで今回紹介している幸福であるが、実は2014年に訪問したものであった。2017年に訪問した今回の広尾線の写真を一生懸命整理していてやや焦った。というのも、ちゃんと訪問時の記憶があるのに記録が無い…デジカメで撮影したメモリーを何度も、何十回も見直したが幸福訪問時の写真だけがスッポリ抜けていた。「ひょってして幸福のホームに立ったあの記憶は幻だったのか…」と一瞬自分が怖くなった。しばらくして冷静になって過去の旅記録を確認すると…2014年に北海道を訪問した時に何気なく記録されていた事に気づいた。実は2014年に訪問した際は確か時間に若干余裕があったので急遽予定に組み込んだものであったのだ。これで記憶が繋がった!モヤモヤ感が一気に晴れ、閉ざされていた私の心もパラダイスに!ようやく私の旅の記憶にも「幸福」が訪れたのであった。

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蝦夷からアイヌへ、アゲイン 広尾線④ 愛国
2022-02-25

一大ブームを巻き起こした元祖・縁起切符の「愛の国から幸福へ」でお馴染みの愛国であるが、昭和生まれの方なら一度は耳にした事があるであろう。ただ、私でさえ小学校低学年であった記憶のため、むしろ私より先輩方のほうがより深く体験している事と思われる。
ただ、愛国も後述する幸福も、どちらも無人駅だったので、切符などの販売・管理は隣の大正が行っていた記憶だ。ただ、その大正も「たいそう幸福」という怪しい文句でブームに便乗していたという記憶はあるが、私の知る限りではバイプレーヤー的な位置での活躍しか記憶に無い。

それはともかく、現在も残る愛国の駅舎であるが、実はそのブームによる恩恵で1978年頃に立て替えられたものである。もちろん何度もメンテナンスや改良もなされたと思われるが、あのモダンな駅舎は当時の象徴として現在まで残されている。
愛国の現役時代の利用者は、乗車人員のみでカウントすると1日平均700人を超えており、沿線の人口などを考えたらまずあり得ない数値であるため如何にブームが凄かったかが伺える。

これが愛国の駅舎であるが、何と殆ど国鉄時代のまま残されていた。というより、今の時代でも古さを感じさせないのは縁起切符のお陰で国鉄時代に駅舎を建て替えたからであるが、昭和50年代でこれだけの設計がなされたのは相当の衝撃であったろう。
という事で「赤字ローカル線」という単語も恐らくこの頃からブームになった記憶であるが、やはりブームは一時的なもので根本的な赤字解消の決定打となったわけではなく、その後広尾線自体も廃止されてしまった。そして愛国と幸福の両駅もこの世から姿を消したのであった。
ただ、公式には姿を消したが、観光用として現在もご覧のように駅舎自体は保存されているのでこうしていつでも会いに来る事が出来る訳だ。こうした昭和の記憶を新しい世代に少しでも体感してもらえたら実に嬉しい。特に「国鉄」という単語を!


そしてホームへ出てみるとご覧の機関車がお出迎えしてくれた。ただ、私の知る時代はDCだったので絵的にはややアンマッチに感じるが、それでも雰囲気充分!
さて、ブームとは別の視点から見た場合の愛国であるが、ブーム以前は列車交換が出来る2面2線の駅であった。しかしながら私の知る愛国は既に棒線化され交換設備は外されていたが、レールは側線的なイメージで残っていた。その名残を現在でも感じる広い構内は、地元の幼稚園児などのちょっとしたお出かけ的な行動には持ってこいの場所になっている。
後述する幸福ほどの派手さはないが、今でもあの当時を思い出させてくれる愛国であるが、これからも憩いの場として第二の人生を送っていただきたい。私は見守る事しかできないが…

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蝦夷からアイヌへ・アゲイン 広尾線 ③忠類
2022-02-20

帯広から約50kmくらいに位置する忠類で遺構が残されていたのは今回の旅の出発直前くらいに知った。ある意味意外でもあったが、駅舎もほぼ現役時代に近い形で残されており、国鉄時代の勇姿を彷彿させるような佇まいだ。広尾線と日高本線を襟裳経由で繋いで列車を走らせる壮大な夢は既に葬り去られているが、もし実現していたらここ忠類はまた違った立ち位置になっていたであろう。
「廃止時点では一面一線の駅であった」「かつては交換設備があった」とウィキに記されていたが、確かに愛国、更別、忠類、豊似はかつて交換駅であった。だが、列車本数減少とともに列車交換機能を外している。ただ、ホームは無いものの、レールは残されていた駅が殆どであったので、襟裳方面への期待をまだまだ捨ててなかったのであろうか。いずれにしても、北海道でよく聞く炭鉱路線のカラーは見当たらず、純粋に襟裳経由で結んで物資輸送を目的に敷かれた鉄道である。
忠類は大樹や広尾に比べるとやや小さい集落となるが、現役当時は駅員も配置されており広尾線の中では要衝駅のひとつとして機能していたイメージであった。

「交通公園」として現在も残る忠類。国鉄末期では交換設備が外されていたが、SL時代では多くの列車が行き来していた事であろう。




そしてこちらはプラットホーム側からの駅舎風景。広尾線廃止時に忠類村(当時)が忠類駅を買い取ったとウィキに記載されていたが、老朽化のため壊してしまう案が可決したらしい。しかし住民の猛反対を受け規模を縮小し現在に至るとも記されていた。ご覧の通りSL時代を彷彿させるよな風景は、世代が変われど沿線住民の「広尾線愛」が無言で伝わってくる。




現役時代とほぼ変わらないレールの位置であろうが、上りホームがあったであろう位置の左側にもう一本側線があった。その名残も感じる事が出来るのが素晴らしい。旧・上りホームに接していたであろう側線には、現在ご覧の車両が停泊しているが、1980年代には既に上りホームは撤去されていた。

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蝦夷からアイヌへ・アゲイン 広尾線② 広尾
2022-02-15

東京ではなくても広尾はある!そう教えてくれたのが北海道にあった国鉄広尾線の終点、広尾であった。いや、実際はその逆で、例えばコロタン文庫の「駅名全百科」や「国鉄全線全駅」などを隈無く読むのが好きだった小学生の頃の私が北海道は広尾線の終点・広尾を知らないわけが無く、日比谷線にも広尾があるんだ!と当時子供ながらに得した気分になっていた。
親戚が東京の三ノ輪にある事もあり、子供の頃よくひとりで日比谷線に乗り親戚宅へお邪魔していた。小学校2~3年生くらいの子供が神奈川県からやって来る、しかも迷わずに指定の駅に到着する事自体最初は驚いていた叔父や叔母も既に他界してしまったが、今となってはいい思い出になっている。

現役当時のまま残っていた旧・広尾駅舎。JRバスと十勝バスのターミナルとなっていて駅舎は待合室として使われていたが、残念ながら私の訪問した直後くらいから解体工事が始まり、現在は新しい建物で再スタートを切っている。
最初は東海道線~山手線で御徒町で乗り換え仲御徒町で日比谷線に乗り換えるパターンで仲御徒町に叔父などが迎えにくるパターンであったが、年齢と共に上野で乗り換えたり、更に小田急で千代田線直通の列車を厚木より乗り大手町から日比谷線に乗り換え三ノ輪に行くなど、私の訪問旅は常に進化してきた。感動したのが小田急の5000系が地下に潜っていく姿であった。こんな事があればもちろん千代田線も気になる存在になっていくわけであるが、その件に関してはまた別の機会に枠を設けよう。だが、上野や大手町、たまに国会議事堂前とかから三ノ輪までしか乗車できない日比谷線にやや限界を感じる自分が常にあった。ならばと北千住はもちろん、もっと西方面に乗るためにわざわざ相鉄~東横のパターンで中目黒乗り換えで三ノ輪に向かうというパターンも身に付け「マッコウクジラ」に乗り日比谷線全線を乗車した際に初めて広尾を通過した時は子供ながらに「北海道にもあるぞ~」と心でつぶやきながら実にワクワクしていたものだ。



駅舎内に入ってみた。ご覧の通り現役時代を彷彿させる風景であったのだが、私は訪問当時この駅舎が解体され新しくなるという情報を持っていなかったので、事実上国鉄時代を体感できる最後の訪問となった。虫の知らせか神の導きか・・・貴重な体験をありがとう!
と、全く別の広尾でひとり盛り上がってしまったが、いつか広尾線に乗ってみたいなと日比谷線の広尾を見ながらいつも思っていた。特に広尾から先、襟裳へ向かう風景はどうなっているのだろうと、勉強よりもそちらのほうが重要な小学生であった。
残念ながら現役時代に訪問する事は叶わなかったが、今回はレンタカーという形でそんな昔の思いを実現させた感じであったのである。だが、やはり現役時代に訪問してみたかったのが正直な気持ちである。

当時レールがあった場所はご覧の通り駐車場にかわってしまったが、往年の風景が蘇ってくるイメージがまだ残っている。
既に大樹は紹介しているが、かなり現役時代に近い形で残っており、広尾線という鉄道路線の歴史があった事を改めて感じることができたのがなによりの収穫だったろう。そして訪問当時は国鉄時代に近い形で大樹の駅舎にそっくりな駅舎が残っており、路線バスの待合室兼案内所の役割をしていた。


広尾から襟裳経由で様似までレールを繋ぐ昭和の夢は消え去ってしまったが、路線バスは現在でも繋がっている。もちろん帯広方面へも広尾線の役割を現在も残す形でバスが繋がっている。近年では某バス旅番組で苫小牧から襟裳を経由して広尾、帯広と乗り継ぐシーンが放送されたが、やはり列車の車窓からその景色を見る事ができたら、それはこの上ない格別な贅沢であろうと感じてしまう風景であった。
ウィキにも記されているが、国鉄時代では「最長片道切符」の終点・起点として有名であり、私の世代ではカリスマ的存在の宮脇俊三氏の著書「最長片道切符の旅」では始発駅として登場する事はあまりにもメジャーである。確かこの著書では都内の電車(を宮脇氏は国電と表現。実に懐かしい響き!)に乗る際にはお子様を連れての乗車シーンも記されており(記憶違いだったらごめんなさい!⇒「時刻表2万キロ」だと思います。「用があっても乗りたくない国電に、用も無いのに乗るなんて・・・の表現が素晴らしい!)実に微笑ましい著書の印象であった。平成を過ぎ令和になった現在「最長片道切符」の終・起点はどの駅なのであろう・・・

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