サボコレクション②(急行・特急・その他)
2012-12-15
サボ蔵出しパート2です。私自身もとても懐かしく感じ「えっ、こんなの持っていたんだ」と思うほどである。

直訳すると「八戸のために」。どこで撮影したか記憶に無いが、確か野辺地だったと思う。東北本線の普通列車である。機関車に牽引される客車列車であった。

上野~青森の寝台特急583系バージョン。PCと2本立てであったが、私は583系しか経験が無い。これが583系初乗車である。

札幌~釧路の急行。夜行バージョンは客車だが、昼間はDCである。後年は「スーパーとかち」や「おおぞら」に、良い言い方をすると格上げされる形で消えていった。

夜行急行「津軽」。上野~青森の奥羽本線経由で、12系客車の急行。下りの青森行きは青森着が確か昼の12時頃着であった記憶が。

奥羽本線の急行「むつ」。上野発の夜行急行「八甲田」に接続して大変便利であった。現在は特急「つがる」に格上げ。

急行「赤倉」。全線電化区間を走るDCで有名であった。確か長野駅で撮影。走行区間は名古屋~新潟で中央本(西)線経由。

485系「みどり」。現在も佐世保~博多間で同愛称が活躍するが「ハウステンボス」は当時は無かった。

函館本線経由の特急「北海」。かつては函館~旭川であったが、写真当時は函館~札幌に短縮された。函館本線経由の特急は現在はないが、未来の「北海道新幹線」の愛称にでもなれば面白い。

急行「らいでん」。基本的に倶知安~札幌の急行であった。長万部や目名・蘭越からやってきて、倶知安から急行に変身。

ご覧の通り、肥薩線・吉都線経由。確か特急「おおよど」も同じ区間を走っていたと思うが、博多~宮崎であった。この「えびの」もかつては同じ区間であったが、写真の区間に短縮されてた。特急や急行が肥薩線(人吉~吉松間)を走らなくなって久しいが、ループ&スィッチバックする「おおよど」を拝みたかった。

快速「なつどまり」。青森~大湊であった。以前は急行であったが格下げされた。

特急「たざわ」。東北新幹線開通と同時に誕生した。盛岡での新幹線の接続として活躍。田沢湖線の電化は、当時画期的であった。

寝台特急「はくつる」で583系寝台である。晩年は客車に変更されたみたいだが、全く印象が無い。あえて「みたいだが」と表現してしまうほど583系の印象が強い。

特急「はつかり」。以前は上野~青森であったが東北新幹線開通後は盛岡~青森に短縮。

夜行普通列車「はやたま」のサボ。亀山駅の待合室に無造作に置かれていた。よっぽど治安が良いのかお客様を信用しているのか・・・

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直訳すると「八戸のために」。どこで撮影したか記憶に無いが、確か野辺地だったと思う。東北本線の普通列車である。機関車に牽引される客車列車であった。

上野~青森の寝台特急583系バージョン。PCと2本立てであったが、私は583系しか経験が無い。これが583系初乗車である。

札幌~釧路の急行。夜行バージョンは客車だが、昼間はDCである。後年は「スーパーとかち」や「おおぞら」に、良い言い方をすると格上げされる形で消えていった。

夜行急行「津軽」。上野~青森の奥羽本線経由で、12系客車の急行。下りの青森行きは青森着が確か昼の12時頃着であった記憶が。

奥羽本線の急行「むつ」。上野発の夜行急行「八甲田」に接続して大変便利であった。現在は特急「つがる」に格上げ。

急行「赤倉」。全線電化区間を走るDCで有名であった。確か長野駅で撮影。走行区間は名古屋~新潟で中央本(西)線経由。

485系「みどり」。現在も佐世保~博多間で同愛称が活躍するが「ハウステンボス」は当時は無かった。

函館本線経由の特急「北海」。かつては函館~旭川であったが、写真当時は函館~札幌に短縮された。函館本線経由の特急は現在はないが、未来の「北海道新幹線」の愛称にでもなれば面白い。

急行「らいでん」。基本的に倶知安~札幌の急行であった。長万部や目名・蘭越からやってきて、倶知安から急行に変身。

ご覧の通り、肥薩線・吉都線経由。確か特急「おおよど」も同じ区間を走っていたと思うが、博多~宮崎であった。この「えびの」もかつては同じ区間であったが、写真の区間に短縮されてた。特急や急行が肥薩線(人吉~吉松間)を走らなくなって久しいが、ループ&スィッチバックする「おおよど」を拝みたかった。

快速「なつどまり」。青森~大湊であった。以前は急行であったが格下げされた。

特急「たざわ」。東北新幹線開通と同時に誕生した。盛岡での新幹線の接続として活躍。田沢湖線の電化は、当時画期的であった。

寝台特急「はくつる」で583系寝台である。晩年は客車に変更されたみたいだが、全く印象が無い。あえて「みたいだが」と表現してしまうほど583系の印象が強い。

特急「はつかり」。以前は上野~青森であったが東北新幹線開通後は盛岡~青森に短縮。

夜行普通列車「はやたま」のサボ。亀山駅の待合室に無造作に置かれていた。よっぽど治安が良いのかお客様を信用しているのか・・・

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「サボ」コレクション ①(ブルートレイン)
2012-12-06
「サボ」蔵出ししてみました。

東京~熊本の寝台特急であった。現在はご存じ九州新幹線の愛称

大阪~青森の寝台特急。青函トンネル開通後は、1本が大阪~函館に変更した。

見えにくいが「新星」。上野~仙台の寝台急行。東京~大阪の「銀河」と並び、寝台急行の代表格であった、といいたいところだが、若干地味な存在であった。

私の物心付いた時には新大阪~西鹿児島の寝台特急であったが、同じ名称で583系もあった。私は明星との運行組み合わせであると思われる583系の「有明」で座席版でも乗車している。

若干薄いが「つるぎ」だ。大阪~新潟の寝台特急で、つい最近までは583系「きたぐに」にその座を譲り同区間で活躍していたが、「きたぐに」も定期運用を外れた。
![img072_convert_20130108140415[1]](http://blog-imgs-54.fc2.com/4/1/9/4190koawazay/201301081521394c0.jpg)
東京~紀伊勝浦の寝台特急。確か寝台特急「いなば」と併結であった。1975年に夜行急行「紀伊」からの格上げであったらしいが、急行時代を私は知らない。

上野~秋田の寝台急行。新潟に寄るため白新線を経由した。何ともロマンチックな愛称である。

旅日記でも紹介した「富士」。東京~西鹿児島(現・鹿児島中央)は、当時日本最長走行距離で24時間26分(後年は24時間25分)かけて日豊本線経由で西鹿児島へ向かった。私が乗車した時は下関・門司・宮崎で機関車を交換し、大分で後ろの何両かを切り離した。確か大分か宮崎のどちらかで自由席となり、私の座席もやがて途中乗車の乗客で染められていった・・・

門司港~西鹿児島の夜行急行。日豊本線経由で、宮崎~西鹿児島は普通列車に変身。確か寝台車を1両か2両連結していた。

臨時夜行急行「おが」。私の乗車した時は既に「臨時」に格下げされていた。私が乗車した時はオール20系であったが「寝台」の肩書はなく「急行」であった。自由席と表示されている所へ乗車したが、今でいう「ゴロンとシート」のような感じで寝台車を座席で解放。山形→新庄を乗車したが、いっそのこと男鹿まで行ってしまいたいほど快適であった。

札幌~釧路の夜行急行。昼間の「まりも」はDCであったが夜行列車は14系の座席急行であった。寝台車を1両連結していたが、後年は、運用の関係からDCに変身し寝台車を連結していた。

東京~大分に短縮された頃の「富士」。この頃は日豊本線内で「にちりん」に抜かされていたような・・・

札幌~網走の夜行急行。「まりも」同様、寝台車を連結していた。

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東京~熊本の寝台特急であった。現在はご存じ九州新幹線の愛称

大阪~青森の寝台特急。青函トンネル開通後は、1本が大阪~函館に変更した。

見えにくいが「新星」。上野~仙台の寝台急行。東京~大阪の「銀河」と並び、寝台急行の代表格であった、といいたいところだが、若干地味な存在であった。

私の物心付いた時には新大阪~西鹿児島の寝台特急であったが、同じ名称で583系もあった。私は明星との運行組み合わせであると思われる583系の「有明」で座席版でも乗車している。

若干薄いが「つるぎ」だ。大阪~新潟の寝台特急で、つい最近までは583系「きたぐに」にその座を譲り同区間で活躍していたが、「きたぐに」も定期運用を外れた。
![img072_convert_20130108140415[1]](http://blog-imgs-54.fc2.com/4/1/9/4190koawazay/201301081521394c0.jpg)
東京~紀伊勝浦の寝台特急。確か寝台特急「いなば」と併結であった。1975年に夜行急行「紀伊」からの格上げであったらしいが、急行時代を私は知らない。

上野~秋田の寝台急行。新潟に寄るため白新線を経由した。何ともロマンチックな愛称である。

旅日記でも紹介した「富士」。東京~西鹿児島(現・鹿児島中央)は、当時日本最長走行距離で24時間26分(後年は24時間25分)かけて日豊本線経由で西鹿児島へ向かった。私が乗車した時は下関・門司・宮崎で機関車を交換し、大分で後ろの何両かを切り離した。確か大分か宮崎のどちらかで自由席となり、私の座席もやがて途中乗車の乗客で染められていった・・・

門司港~西鹿児島の夜行急行。日豊本線経由で、宮崎~西鹿児島は普通列車に変身。確か寝台車を1両か2両連結していた。

臨時夜行急行「おが」。私の乗車した時は既に「臨時」に格下げされていた。私が乗車した時はオール20系であったが「寝台」の肩書はなく「急行」であった。自由席と表示されている所へ乗車したが、今でいう「ゴロンとシート」のような感じで寝台車を座席で解放。山形→新庄を乗車したが、いっそのこと男鹿まで行ってしまいたいほど快適であった。

札幌~釧路の夜行急行。昼間の「まりも」はDCであったが夜行列車は14系の座席急行であった。寝台車を1両連結していたが、後年は、運用の関係からDCに変身し寝台車を連結していた。

東京~大分に短縮された頃の「富士」。この頃は日豊本線内で「にちりん」に抜かされていたような・・・

札幌~網走の夜行急行。「まりも」同様、寝台車を連結していた。

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