「本線」という名の元に⑲ 増毛
2017-12-15

アイヌ語の「かもめの多いところ」的な意味がある増毛であるが、レールが廃止された現在は「人間が多いところ」として第二の人生を送っている。これは気のせいかも知れないが、現役時代よりも人が多い雰囲気が漂う。
実際に私自身が感じたのは、今回私の訪問は6月の平日であるが、何だかんだで訪問する観光客的ギャラリーが絶えなかった。私の訪問時は晩年の現役時代のまま駅設備が残されていたが、恐らくそれは、撤去されずにそのまま暫く残されるであろう。終端駅らしく設備もさながら「駅員配置駅」のような雰囲気である。
鉄道敷設法によると、増毛から先は雄冬を通り、なんと札幌に到達するという壮大な計画であった。とは言え、もし全通していたとしても現在の姿と同じ運命を辿っていた事であろう。であるが、やはりこんなルートは魅力的であるし、ある意味「偉大なるローカル線」的雰囲気も感じてしまう。
そんな増毛駅前は、実にレトロな雰囲気に包まれ、まるで昭和にタイムスリップしたような景色である。それこそ映画「男はつらいよ」の初期作品的なロケで使用されているような、私よりも先輩の方々なら懐かしさを感じるような風景満載である。もちろんそれは、ある意味ギミック的なものかも知れないが、それより何よりこの空間に自分の身を任せている瞬間が心地よくてたまらない。そう、鉄道という存在がなければ私はこの増毛という街を知らないで一生を終えたわけだから、何とも不思議かつ意味深な運命だったのかも知れない。
ただ、留萌本線は雄冬にすら到達しないまま自身の生涯を終えてしまったわけだから、何とも切ない気持ちである。だが、我々には、特に国鉄時代を知るレールファンにとってみればこの増毛の存在はある意味マジェスティックであったろう。そんな増毛が「まさか」なくなってしまうとは、いくら時代の変化といっても受け入れるのに時間がかかりそうだ。



まずはお馴染みの駅舎から。とりあえず観光拠点として整備されるそうなので、レールのあった証はこれからも引き継がれていくことであろう。できれば札幌、いや、せめて雄冬まで延伸されていた姿を見てみたかったものだ。





そして現在の駅舎内。お土産屋さんなどがあり、観光的な設備として第二の人生を歩んで行こうとしてる。



一旦駅前に出てみる。ご覧の通りレトロ調な雰囲気漂う。ギミック的なものか、それとも先代からひきつがれているものなのか、いずれにせよ素敵な雰囲気の駅前は「また来てみたい」と思ってしまう。

















そしてホームへ。ご覧の通り、現役時代とほとんど変化が無い。今にも列車がやってきそうな保存具合だ。
そしてご覧の通り、無駄に広い構内はかつての盛栄を無言で語りかけている。ここから多くの貨物が出荷された事であろう。そして多くの人が行き来したであろうこの駅は、既に列車はやって来ない。だがしかし、この駅でも多くのドラマと人の出会い・別れがあったはずだ。
現在は留萌~増毛が廃止されてしまったが、いずれ深川~留萌もなくなってしまう事であろう。もっと言えば、現在のJR北海道の鉄道路線の約半分以上は、もしかしたら50年後、100年後には廃止されているかも知れない。我々が想像できない区間まで廃止になってしまったら・・・
国鉄時代は現在の倍くらいの鉄道路線が北海道にはあったはずだ。私は国鉄時代、一度だけしか北海道には来れなかった。当時は白糠線の廃止情報を受けての旅であったが、当時から比べたら本当に北海道の鉄道路線は空白だらけになってしまった。そして・・・これから更なる空白地帯ができるなんて、はっきり言って想像できない。もっともっと北海道の列車に揺られ雄大な景色を堪能してみたい。増毛を後にした私は、この日の宿のある旭川まで一気に高速で向かう。その車内で暮れゆく夕日を背中に受けながら、そんな思いを募らせていた。

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「本線」という名の元に⑱箸別
2017-12-10

私の所有する唯一の現役時代の箸別駅の写真である。現在は跡形もなく影も形も無いと聞くが、かつては「仮」であった駅の割に周囲の集落が凄い!
まずは皆様にお詫びを申し上げなければならない。本来なら留萌本線全駅の写真を公開する予定であったが、今回紹介する箸別は既に駅前は個人所有の不動産となっており、鉄線的な囲いがなされていて、安易に侵入してはならない状況であった。そのため現在の箸別の状況が撮影できたのは下記に紹介する一枚のみである。
ウィキペディアで確認してみたら現在は地元のホタテ養殖業者が土地を所有していると記されており、箸別に関しては既に鉄道は歴史の一部となってしまったようだ。
更にインターネット等で調査を進めていくと、箸別は既に駅の面影をあまり感じなくなるくらいの撤去具合いらしく、もう鉄道とは無縁の世界になっているようだ。
今回の訪問の写真は撮影できなかったが、それでも私が唯一所有している箸別の現役時代の写真は、文字通り唯一無二のものとなってしまった。

こちらが現在の箸別。ご覧の通り、個人の所有地となっているが、写真奥には箸別のホームへ向かう階段の跡と待合室が!これが確認できただけでも収穫アリであった。
ところで今回訪問の箸別であるが、かつては「仮」という事で、民家などがあまりないイメージであるが、意外にもここに駅がある事がうなずける内容であった。それは前回訪問時も感じていたが、今回のレンタカーでの訪問は更にそれを感じた。ただ、集落はあっても利用者がいなければ意味がない。海岸沿いから離れてやや内陸に入った駅であるが、それでも増毛に向かうと再び海岸沿いに出る。「荒波」で知られる日本海であるが、私の訪問時は実に穏やかな波と時間が流れていた。

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「本線」という名の元に⑰ 朱文別
2017-12-05

現在の朱門別「駅」の姿である。とは言え、この場所からかつての「駅」を探すのに、素人では難しかった。正直、時間の関係から「パス」しようか悩んだが、冷静になり、再度ど根性で探した結果駅を見つける事に成功した。
全くわからなかった・・・カーナビでの案内は、ある意味バーチャル的な感覚で車ではたどり着けないような架空の道を伝わないと朱文別に訪問できない様であった。と言うか、私のカーナビの性能のせいなのであろうか、全くそれらしき気配がない。諦めて次の駅に行こうと思ったが、やはりせっかく来たのだからと再度チャレンジした。カーナビに頼らずに「野生の勘」で散策した。まずは併走する代行バスのバス停があったのでその近辺を洗い出す。そして更に車を降りて徒歩で確認する。するとようやくそれらしき気配を感じたので再び車に乗り気になる方へ車を走らせるとようやく朱文別のホームが顔を出した。私は至近距離まで車を移動させホームに向かう。だがそこに待ち受けていたのは、思いもよらぬ現実の現状であった。

こちらは反対車線の「駅」である。フェンス的な場所の向こうはすぐ海岸になるので、ある意味冬対策的な要素が強いと思われる。
まず、ホームは残っているものの、ホームへのスロープが撤去されホームに行かれない。そして駅名標も既に取り払われ車両1両分のホームがちぎれた状態で残っていた。幸いレールがまだ撤去されていなかったのでそれらしき雰囲気を保っていたが、それでも時間の問題と改めて感じた。恐らく、このジャーナルのアップ時には既に完全撤去されているであろうが、私の訪問時にまだホームが残り私を待っていてくれていただけでも訪問した甲斐があったというものだ。
確かに国鉄時代は「仮」であったが、JRの間だけでも全国版の時刻表に顔を出すようになり若干ながら日の目を見る事ができてよかったのではないか。しかし、国道から逸れて生活道路的なアプローチは、私のような部外者は全く素人チックでたどり着けない。地元の利用者しかわからない隠れ家的な駅・・・そんな印象の朱文別であった。


ようやくたどり着いた朱門別。地元の方でないと超わかりにくい場所で、私のようなど素人ではとてもすぐに見つけ出す事はできなかった。





ご覧のように、私の訪問時には既にホームへのスロープが取り外されていた。そう、この時点でプラットホームすらなくなってしまうのも時間の問題だったのだ。

かなり迷ったが、冷静になったらご覧のような幅員のある道路がすぐそばにあった。だが、かつて踏切であったろう場所は完全に踏切ではなくなっていた。

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「本線」という名の元に⑮ 舎熊
2017-11-30

先述通り、国鉄時代は礼受と共に留萌~増毛間の中間駅として活躍したが、JR化後の仮乗降場の駅昇格ブームと貨車駅化ブームに乗り、国鉄時代の風格がやや薄れたイメージのある舎熊である。とは個人的な見解であるが、ホームは国道沿いのやや盛り土的な所にある。留萌から増毛まで、海岸沿いに断続的に続く集落に寄り添うようレールが敷かれているが、その集落の中に駅はある。と言っても廃止されてしまったので、現在は転換バスが旧駅前の国道沿いにバス停を設置している。
私が訪問した6月はいいとして、特に冬期には予定通りしっかりとバスが運転されるかと心配してしまうロケーションなので、出来れば鉄道に頑張ってもらいたかった。日本海の荒波と強い風を受け、季節によってはある意味シリアスな部分もあるが、やはり列車の存在は実に心強かったであろう。そしていずれ深川~留萌間も転換されてしまおうが、正直なところ、その日が永遠に来てほしくない気持ちである。



舎熊もご覧の通り貨車駅であった。正確には「車掌車」であるが、恐らくここ10年の間に塗装し直している事であろう。まだまだ現役感たっぷりであるが・・・




そしてホーム・・・は既に一般には開放されていない状態であった。もちろん表記に従って中には入らず、精一杯の現状を確認させていただいた。


そう、これが現実。廃止路線撤去とは起点や終点の駅または途中駅などから順番に進めていくものかと思っていたら、意外や意外、ほぼ全ての駅で同時進行で行われていた。私の訪問した2017年6月でこの状態であるから、今ころはもう跡形もないかも知れない。

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「本線」という名の元に⑮ 信砂
2017-11-25

廃止区間の撤去作業がどんどん進む中、私は本当の最期の勇姿を確認できたのかも知れないが、今回紹介する信砂も、恐らくこのジャーナルがアップされる頃には既に面影すら無いかも知れない。実際に、訪問時は作業員こそいなかったものの、重機が数台と立ち入り禁止の柵など、ものものしい雰囲気であった。
そして何より駅のすぐそばにある踏切が撤去され、完全に道路化されていた。これぞ受け止めなければならない現実・・・廃止されたという事をあらためて思い知らされた感じであった。列車の来ないホームは駅名標もなく、何駅なのか判別不可能。後はホームを撤去するのみとなっていた。


既に駅としての機能は失い、単なる「建造物」となってしまった。その建造物も役目を終えて、撤去も時間の問題であった訪問当時。

駅であるのにもう入れない。私の訪問時には作業員はいなかったが、既に作業が順次進んでいると思われる風景であった。



かつて踏切だった部分は既にもう踏切ではなくなってしまった。このような作業が沿線のあちらこちらで行われているかと思うと、なぜかジレンマを感じてしまう。

かつて仮乗降場だった駅の特徴として「踏切のそば」というのがある。もちろん全ての仮乗降場がそういう理屈というわけではないが、ここ信砂はその理屈に充分に応えてくれていた。

こちらは2009年訪問の現役時代の信砂。私が所有する唯一の現役時代の写真であるが、何気なく撮影した一枚がこうして貴重なものになってしまうとは、何とも言えぬ複雑な心境。

歴史の1ページになってしまうのが勿体無い。2017年6月のこの姿が最期の勇姿であろうと思われる。このジャーナルがアップされる頃には既に全撤去となってしまっているのであろうか・・・

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