2013年、北陸大人旅⑩
2019-09-15
輪島、蛸島には行かれない名残おしい部分もあるが、穴水より折り返し和倉温泉に向かう。国鉄時代は「18きっぷ」を主力にしていた私であるが、そのおかげで北陸地方への制覇が先送りになっていたという妙な空白地帯が出来ていた。先述通り、私の北陸地方訪問はミレニアム以降になったので、国鉄時代に訪問する事ができなかった。だが旅計画は頭では描いていたのでいつかは行ってみたいとの思いを寄せていた。もちろん「北陸ワイド周遊券」で。だが、制覇するには当然ながら能登線と七尾線をセットで考え、しかも終点から折り返してくるのだから能登半島制覇だけでまる一日かかってしまう。しかももし「18きっぷ」であるならば急行も使えない。恐らく、果てしない遥か彼方な旅となったであろう。

国鉄時代の車両が停泊しているのはある意味有名な能登中島。そして駅の所々にも国鉄時代の風景が残っており、能登半島の鉄道もなかなか捨てたもんじゃない。いや、絶対に「未来に残したい鉄道風景」だ。
再び和倉温泉に戻ってきた私は、ここから特急「サンダーバード」に乗り換える。あえて「私は、ここから特急サンダーバードに」と書いてしまったが、当然ながら「青春18」では別料金が発生するため勇気がいる行動である。中学生時代の私にはできなかった「勇気」が今ではこうして「フリーきっぷ」という手段を使い特急で短絡するという事ができるようになった。しかも七尾線でこうした特急列車に乗車するという事は国鉄時代には考えられなかった事。実に新鮮であった。少々時間があったので駅舎をでてみたりする時間を楽しむ余裕が出てきたのも少々大人旅気分になれる。だが、基本、大人旅とは「時間があったから駅舎をでて・・・」ではなく、温泉街を散策したり、それこそ和倉温泉を宿泊地にしたり・・・という事を言うのかも知れないが、果たして・・・

和倉温泉から「サンダーバード」に乗る。「和倉温泉からサンダーバードに・・・」というのがポイントで、国鉄時代には考えられなかった風景だ。
さて「サンダーバード」に乗り再び金沢に戻ってきたが、特急列車という事もありあっという間であった。そして更に特急「はくたか」に乗り越後湯沢に向かう。
ところでお気づきであろうか?何か今までの行程で妙な事がなかったか。金沢から七尾線に乗り折り返し金沢に戻ってきた。そして金沢より「はくたか」に乗り越後湯沢へ。そう、金沢~津幡間を3回通っているのだ。特に津幡は分岐駅のため意識してしまう。配線は複雑であるがゆえにかぶり付きでその謎を瞬時に解いてみたくなる。

「サンダーバード」~「はくたか」という黄金パターンで帰郷する。だが金沢で乗り換える場合、津幡を2回通る事になる。この場合、通常運賃ならば特例措置でもあるのであろうか・・・
そういえば、今回の旅では越後湯沢まで「はくたか」で向かうが、何処かのテレビ番組ではないが、それって「今しか出会えない鉄道風景」ではないか。越後湯沢で新幹線に乗り変える。これは実に楽しみだ。
そんな期待を胸に抱き、まずは富山。やがて新幹線が開業し、更に多くの人が行き交う駅になる事であろう。そして富山名物「鱒の寿司」も益々飛躍するであろう。当時のそんな思いも今はすっかり地域に、そして全国に溶け込み活躍している。
また、富山といえば将来的にライトレールと市内線がJRの下をくぐりドッキングする構想がある。もし実現すれば地元の方にとっても利便性が飛躍的向上するであろうし、それこそ歴史的な革命であろう。富山は県を挙げて積極的に交通改革に取り組んでいる。再び訪れたい富山。次回はどのような景色を私に見せてくれるのだろう。

そしてややピンボケ気味であるが越後湯沢の乗り換え風景。現在では新幹線が金沢まで到達したため越後湯沢経由で行く北陸方面はかえって遠回りとなってしまうが、逆に貴重な旅となるかも知れないから面白そうだ。
国鉄時代の「はくたか」とは全く別の風格を醸し出す681系特急列車は、更に新幹線へと飛躍する。直江津を過ぎほくほく線に入るとほとんど景色が見えず、トンネルが続くレールの上を一部区間では時速160kmの猛スピードで駆け抜けていく。
やがて六日町を過ぎると、お待ちかねの「越後湯沢ダッシュ」の為に備える。いや、新幹線も指定席を取ってあるから別にダッシュしなくても大丈夫なのだが・・・いや、もうこの光景も見られなくなるのだから皆に合わせダッシュしておこう。そう、新幹線が開業したら、在来線の特急列車たちが無くなるだけではない。こうした光景も一緒に無くなっていくのだ。そんな、そんな切ない思いを胸に秘めながら、コートの袖に腕を通した。

最後に家路に着く列車は小田急ロマンスカー「ホームウェイ」。現在では既に引退してしまった車両であるが、確か私が中学時代にデビュー。デビュー前には東海道線で試運転をしていて、確か夕方に馬入橋(平塚・相模川)方面へ撮影に行った記憶だ。

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国鉄時代の車両が停泊しているのはある意味有名な能登中島。そして駅の所々にも国鉄時代の風景が残っており、能登半島の鉄道もなかなか捨てたもんじゃない。いや、絶対に「未来に残したい鉄道風景」だ。
再び和倉温泉に戻ってきた私は、ここから特急「サンダーバード」に乗り換える。あえて「私は、ここから特急サンダーバードに」と書いてしまったが、当然ながら「青春18」では別料金が発生するため勇気がいる行動である。中学生時代の私にはできなかった「勇気」が今ではこうして「フリーきっぷ」という手段を使い特急で短絡するという事ができるようになった。しかも七尾線でこうした特急列車に乗車するという事は国鉄時代には考えられなかった事。実に新鮮であった。少々時間があったので駅舎をでてみたりする時間を楽しむ余裕が出てきたのも少々大人旅気分になれる。だが、基本、大人旅とは「時間があったから駅舎をでて・・・」ではなく、温泉街を散策したり、それこそ和倉温泉を宿泊地にしたり・・・という事を言うのかも知れないが、果たして・・・

和倉温泉から「サンダーバード」に乗る。「和倉温泉からサンダーバードに・・・」というのがポイントで、国鉄時代には考えられなかった風景だ。
さて「サンダーバード」に乗り再び金沢に戻ってきたが、特急列車という事もありあっという間であった。そして更に特急「はくたか」に乗り越後湯沢に向かう。
ところでお気づきであろうか?何か今までの行程で妙な事がなかったか。金沢から七尾線に乗り折り返し金沢に戻ってきた。そして金沢より「はくたか」に乗り越後湯沢へ。そう、金沢~津幡間を3回通っているのだ。特に津幡は分岐駅のため意識してしまう。配線は複雑であるがゆえにかぶり付きでその謎を瞬時に解いてみたくなる。

「サンダーバード」~「はくたか」という黄金パターンで帰郷する。だが金沢で乗り換える場合、津幡を2回通る事になる。この場合、通常運賃ならば特例措置でもあるのであろうか・・・
そういえば、今回の旅では越後湯沢まで「はくたか」で向かうが、何処かのテレビ番組ではないが、それって「今しか出会えない鉄道風景」ではないか。越後湯沢で新幹線に乗り変える。これは実に楽しみだ。
そんな期待を胸に抱き、まずは富山。やがて新幹線が開業し、更に多くの人が行き交う駅になる事であろう。そして富山名物「鱒の寿司」も益々飛躍するであろう。当時のそんな思いも今はすっかり地域に、そして全国に溶け込み活躍している。
また、富山といえば将来的にライトレールと市内線がJRの下をくぐりドッキングする構想がある。もし実現すれば地元の方にとっても利便性が飛躍的向上するであろうし、それこそ歴史的な革命であろう。富山は県を挙げて積極的に交通改革に取り組んでいる。再び訪れたい富山。次回はどのような景色を私に見せてくれるのだろう。

そしてややピンボケ気味であるが越後湯沢の乗り換え風景。現在では新幹線が金沢まで到達したため越後湯沢経由で行く北陸方面はかえって遠回りとなってしまうが、逆に貴重な旅となるかも知れないから面白そうだ。
国鉄時代の「はくたか」とは全く別の風格を醸し出す681系特急列車は、更に新幹線へと飛躍する。直江津を過ぎほくほく線に入るとほとんど景色が見えず、トンネルが続くレールの上を一部区間では時速160kmの猛スピードで駆け抜けていく。
やがて六日町を過ぎると、お待ちかねの「越後湯沢ダッシュ」の為に備える。いや、新幹線も指定席を取ってあるから別にダッシュしなくても大丈夫なのだが・・・いや、もうこの光景も見られなくなるのだから皆に合わせダッシュしておこう。そう、新幹線が開業したら、在来線の特急列車たちが無くなるだけではない。こうした光景も一緒に無くなっていくのだ。そんな、そんな切ない思いを胸に秘めながら、コートの袖に腕を通した。

最後に家路に着く列車は小田急ロマンスカー「ホームウェイ」。現在では既に引退してしまった車両であるが、確か私が中学時代にデビュー。デビュー前には東海道線で試運転をしていて、確か夕方に馬入橋(平塚・相模川)方面へ撮影に行った記憶だ。

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2013年、北陸大人旅⑨
2019-09-10
かつては輪島まで七尾線を名乗っていたのと鉄道の列車に乗り換える。現在、法規上では和倉温泉までがJRであるが、七尾にのと鉄道の列車乗り場があるのを考えると、実質七尾がのと鉄道の起点といっても過言ではないであろう。いずれにしてものと鉄道はもともと国鉄七尾線なので、私としては和倉温泉や七尾で境界線を作ってしまうのは非常に心苦しい思い印象であった。だが、私の理想と経営的現実との差は、いや、地元の方も私と同じ思いであろうと思われるかもしれないが、やはり輪島・蛸島から金沢方面へ同一会社の鉄道路線の方が良いに決まっている。だが、現実七尾を境に経営的数値が異なるのであれば、やはり経営者からすれば分割して考えるのは当然の事であろう。

和倉温泉から先はのと鉄道に移管され現在に至るが、所々に「国鉄」が顔を出す。ここ田鶴浜もそのひとつ。意外にも立派な造りであるが「建具の街」とはこの時初めて知った。
和倉温泉が法規上の境界線とは言え、和倉温泉にはのと鉄道専用乗り場や別途改札があるわけではない。この事ひとつ取ってもJRの、そして地元の方々の思いが複雑に秘められている事がお分かりいただけると思う。残念だったのは、私が国鉄時代にこの七尾線を訪問できなかった事。輪島わもちろん、蛸島方面へも国鉄時代に訪問してみたかった。もちろんのと鉄道に転換されてからも。さぞかし素敵な風景であったろう・・・
列車で訪れる七尾線はそれほど新鮮であった。そして七尾で乗り換えるのと鉄道も、穴水までに生ってしまったとはいえ、未だ健在なのは嬉しい。何だかんだ言いながら、今の七尾線、そしてのと鉄道を「国鉄七尾線」として楽しんでやろう!としている事に気づかされている自分がそこにいた。

穴水は今も国鉄時代の面影を残す。ただ、輪島方面と能登線の両翼を失い、駅の活気というか本来の持ち味的なものがかなり薄らいだ印象もある。というより、ここが終点というイメージが全く無い。
さて、以前は一足先にのと鉄道に転換された能登線を分岐していた穴水。移管時、能登線の方は「のと穴水」と名乗り穴水とは区別をしていたが、七尾線の一部区間がのと鉄道に遺憾された時に統合され、ある意味元の姿に戻ったイメージか。しかしながら穴水から先の「両翼」を失った今、当時の面影は、形こそあるが雰囲気的なものはあまりないイメージか・・・
しかし和倉温泉からは経営母体は違えど、鉄道には変わらない風景は、二本のレールに胸を膨らませながら国鉄時代では果たせなかった「今」を楽しむ事にした。
残念ながら穴水から先、ふたつの路線は既に廃止されてしまっていたが、穴水までは楽しむ事ができた。しかも水戸岡氏がデザインした「あの」観光列車ではなく、通常のノーマル車両で行くのがいい。

穴水では0番線に意外な列車が停車していた。1980年代で時間が止まってしまっている私にとって、こうした列車は全く新しい世界であり未知な世界だ。ただ、やはり蛸島・輪島まで路線があってこそこうした列車がもっと有効になってくるのかも知れない。
穴水より先にはあの「ゴールデン・アームボンバー」の聖地、大相撲で有名なあの「大士」の地元、輪島まで足を伸ばしてみたかった。私的には国鉄特有の駅舎に接するホームに銀色の箱のような改札があるあの風景を見たかった。穴水まではしっかりと「七尾線」を感じ取ったが、やはり穴水までだと物足りない気がする。珠洲飯田や珠洲、蛸島まで遥々足を伸ばしてこそ、との思いは果てしない。急行「能登路」に乗り通過する「恋路(臨)」を拝めたら最高であろう。もちろん、下車するに越した事はないが。
こうして改めて旅を振り返ってみると穴水から先、未だ未開の地を訪問してみたい欲も出てくる。恐らくそう遠くない将来、もしかしたら私は現存する蛸島駅舎の前に立っているかも知れない。そんな旅を紹介できたら私も嬉しい限りである。

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和倉温泉から先はのと鉄道に移管され現在に至るが、所々に「国鉄」が顔を出す。ここ田鶴浜もそのひとつ。意外にも立派な造りであるが「建具の街」とはこの時初めて知った。
和倉温泉が法規上の境界線とは言え、和倉温泉にはのと鉄道専用乗り場や別途改札があるわけではない。この事ひとつ取ってもJRの、そして地元の方々の思いが複雑に秘められている事がお分かりいただけると思う。残念だったのは、私が国鉄時代にこの七尾線を訪問できなかった事。輪島わもちろん、蛸島方面へも国鉄時代に訪問してみたかった。もちろんのと鉄道に転換されてからも。さぞかし素敵な風景であったろう・・・
列車で訪れる七尾線はそれほど新鮮であった。そして七尾で乗り換えるのと鉄道も、穴水までに生ってしまったとはいえ、未だ健在なのは嬉しい。何だかんだ言いながら、今の七尾線、そしてのと鉄道を「国鉄七尾線」として楽しんでやろう!としている事に気づかされている自分がそこにいた。

穴水は今も国鉄時代の面影を残す。ただ、輪島方面と能登線の両翼を失い、駅の活気というか本来の持ち味的なものがかなり薄らいだ印象もある。というより、ここが終点というイメージが全く無い。
さて、以前は一足先にのと鉄道に転換された能登線を分岐していた穴水。移管時、能登線の方は「のと穴水」と名乗り穴水とは区別をしていたが、七尾線の一部区間がのと鉄道に遺憾された時に統合され、ある意味元の姿に戻ったイメージか。しかしながら穴水から先の「両翼」を失った今、当時の面影は、形こそあるが雰囲気的なものはあまりないイメージか・・・
しかし和倉温泉からは経営母体は違えど、鉄道には変わらない風景は、二本のレールに胸を膨らませながら国鉄時代では果たせなかった「今」を楽しむ事にした。
残念ながら穴水から先、ふたつの路線は既に廃止されてしまっていたが、穴水までは楽しむ事ができた。しかも水戸岡氏がデザインした「あの」観光列車ではなく、通常のノーマル車両で行くのがいい。

穴水では0番線に意外な列車が停車していた。1980年代で時間が止まってしまっている私にとって、こうした列車は全く新しい世界であり未知な世界だ。ただ、やはり蛸島・輪島まで路線があってこそこうした列車がもっと有効になってくるのかも知れない。
穴水より先にはあの「ゴールデン・アームボンバー」の聖地、大相撲で有名なあの「大士」の地元、輪島まで足を伸ばしてみたかった。私的には国鉄特有の駅舎に接するホームに銀色の箱のような改札があるあの風景を見たかった。穴水まではしっかりと「七尾線」を感じ取ったが、やはり穴水までだと物足りない気がする。珠洲飯田や珠洲、蛸島まで遥々足を伸ばしてこそ、との思いは果てしない。急行「能登路」に乗り通過する「恋路(臨)」を拝めたら最高であろう。もちろん、下車するに越した事はないが。
こうして改めて旅を振り返ってみると穴水から先、未だ未開の地を訪問してみたい欲も出てくる。恐らくそう遠くない将来、もしかしたら私は現存する蛸島駅舎の前に立っているかも知れない。そんな旅を紹介できたら私も嬉しい限りである。

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2013年、北陸大人旅⑧
2019-09-05
北鉄浅野川線とはほとんど私には馴染みがない鉄道路線であったが、こうして全線乗り潰すからこそ出会う事ができるというのも何かの縁。かつて「あなたの知らない世界」という番組があったが、ここ金沢では全く怖い事無く知らない世界を体験できる事ができた。むしろ楽しく。しかも昔の「京王帝都」の車両で揺られる片道6300mは、短いながらも中身が凝縮された路線であった。

90年代に高架化されすっかり近代的となった金沢。七尾線発着ホームはホームの有効長を持て余すほど立派になり都会の駅に変身した印象であった。
再びJR金沢より七尾線に乗り穴水方面へ向かう。私の七尾線のイメージといえば、あの急行「能登路」が穴水で切り離され輪島行きと珠洲行きになる非電化路線であったが、今では和倉温泉まで電車特急が運転されるまでに成長。普通列車もかつて北陸本線で運転されていたあの交流電車が活躍している。ある意味、私にとって七尾線を電車で制覇するという事はカルチャーショック。事前にわかっていたとはいえ、何か別の路線に迷い込んだ印象であった。
七尾線の電化はJR化後の事であるが、調べてみたら1991年なのでもう30年近く前の事になる。この事ひとつとっても如何に私がレールブランクに晒されているかおわかりいただけるであろう。だが、逆に電化されて当然の材料が沿線にはたくさんある。
羽咋、七尾、そして和倉温泉は七尾線を代表する駅でもあり街でもある。

列車交換による待ち合わせ時間がやや多くあったので駅舎を出て撮影した羽咋。七尾線の中でも中心的存在で利用者も多いのは私がいうまでもない。かつて富山県氷見からここまでの延伸計画が囁かれていた時期もあったが、もし氷見線がライトレール化されたら、羽咋までの延伸も面白そうだ。
そして羽咋は鉄道敷設法によると、氷見からの延伸により羽咋まで到達する路線も計画されていた。そんな事を考えながら窓の外を見ると、氷見までの延伸計画による未成線の名残が・・・無い。本当に構想だけだったのであろう。だが、採算合う合わないは別として、もし繋がっていたら現在の富山県・石川県における鉄道シーンに夢がやや広がる気がする。
そして七尾であるが、私がレールファン復活前の2007年2月に寝台特急「北陸」に乗り北陸地方を旅した時の事であった。金沢からレンタカーで北陸地方を巡る旅であったが、久々に乗るブルートレインや特急列車など新鮮に感じ、レールファン復活の原動力にもなった旅でもあった

そして日本有数の温泉街の玄関口でもある和倉温泉。駅としては2面2線と華奢であるが、七尾線が電化され長距離客にとってはかなり利便性が向上した。
中でも深夜の長岡で「トワイライトエクスプレス」との待ち合わせ風景は、両者とも時刻表上では停車しない事になっているだけあって非常に興味深かったし興奮した。なんだろう・・・この胸騒ぎ。
その後「おさる」と愛称を持つ私の親友が秘境駅の話を私に持ちかけ二人で飯田線の秘境駅に向かう。それがはっきりとしたきっかけとなり現在に至る訳であるが・・・そんな旅以来の七尾であったので非常に懐かしく興奮した。しかも七尾は初めて列車で訪問したので何かと新鮮。前回のレンタカーとは違い、同じ景色ながら何かが違う興奮とざわめきを感じずにはいられなかった。前回の旅では和倉温泉に宿泊したが、今回は残念ながらのと鉄道を制覇して帰郷しなければならない。日本有数の温泉を目の前にしながら素通りするとは、一般的には考えられない旅の行程であろう。だが私はレールファン。そんな行程などレールファンの間では実に当り前の一般常識的概念である。なんて、気づいたら私はすっかり中学生時代のレールファンの頃に逆戻りしていたように思えた。

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90年代に高架化されすっかり近代的となった金沢。七尾線発着ホームはホームの有効長を持て余すほど立派になり都会の駅に変身した印象であった。
再びJR金沢より七尾線に乗り穴水方面へ向かう。私の七尾線のイメージといえば、あの急行「能登路」が穴水で切り離され輪島行きと珠洲行きになる非電化路線であったが、今では和倉温泉まで電車特急が運転されるまでに成長。普通列車もかつて北陸本線で運転されていたあの交流電車が活躍している。ある意味、私にとって七尾線を電車で制覇するという事はカルチャーショック。事前にわかっていたとはいえ、何か別の路線に迷い込んだ印象であった。
七尾線の電化はJR化後の事であるが、調べてみたら1991年なのでもう30年近く前の事になる。この事ひとつとっても如何に私がレールブランクに晒されているかおわかりいただけるであろう。だが、逆に電化されて当然の材料が沿線にはたくさんある。
羽咋、七尾、そして和倉温泉は七尾線を代表する駅でもあり街でもある。

列車交換による待ち合わせ時間がやや多くあったので駅舎を出て撮影した羽咋。七尾線の中でも中心的存在で利用者も多いのは私がいうまでもない。かつて富山県氷見からここまでの延伸計画が囁かれていた時期もあったが、もし氷見線がライトレール化されたら、羽咋までの延伸も面白そうだ。
そして羽咋は鉄道敷設法によると、氷見からの延伸により羽咋まで到達する路線も計画されていた。そんな事を考えながら窓の外を見ると、氷見までの延伸計画による未成線の名残が・・・無い。本当に構想だけだったのであろう。だが、採算合う合わないは別として、もし繋がっていたら現在の富山県・石川県における鉄道シーンに夢がやや広がる気がする。
そして七尾であるが、私がレールファン復活前の2007年2月に寝台特急「北陸」に乗り北陸地方を旅した時の事であった。金沢からレンタカーで北陸地方を巡る旅であったが、久々に乗るブルートレインや特急列車など新鮮に感じ、レールファン復活の原動力にもなった旅でもあった

そして日本有数の温泉街の玄関口でもある和倉温泉。駅としては2面2線と華奢であるが、七尾線が電化され長距離客にとってはかなり利便性が向上した。
中でも深夜の長岡で「トワイライトエクスプレス」との待ち合わせ風景は、両者とも時刻表上では停車しない事になっているだけあって非常に興味深かったし興奮した。なんだろう・・・この胸騒ぎ。
その後「おさる」と愛称を持つ私の親友が秘境駅の話を私に持ちかけ二人で飯田線の秘境駅に向かう。それがはっきりとしたきっかけとなり現在に至る訳であるが・・・そんな旅以来の七尾であったので非常に懐かしく興奮した。しかも七尾は初めて列車で訪問したので何かと新鮮。前回のレンタカーとは違い、同じ景色ながら何かが違う興奮とざわめきを感じずにはいられなかった。前回の旅では和倉温泉に宿泊したが、今回は残念ながらのと鉄道を制覇して帰郷しなければならない。日本有数の温泉を目の前にしながら素通りするとは、一般的には考えられない旅の行程であろう。だが私はレールファン。そんな行程などレールファンの間では実に当り前の一般常識的概念である。なんて、気づいたら私はすっかり中学生時代のレールファンの頃に逆戻りしていたように思えた。

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2013年、北陸大人旅⑦
2019-08-30
勝山から再びえちぜん鉄道で福井方面へ折り返した私は福井口で三国港方面へ乗り換え田原町で更に福井鉄道に乗り換える。そして路面電車で福井駅前まで来た時点で福井鉄道とえちぜん鉄道を完乗した事になるが、流石に夜9時10時だと体力的に迫りくるものがあった。だが「我、鉄道の申し子なり」とでも呟いてしまおうかと思うくらい私にも意地がある。福井駅前の電停に足を落とし瞬間に心中でガッツポーズ。人影まばらな宿泊地へのみちのりで「よし、福井は終わったな」と、次のターゲットに気持ちを走らせていた。

朝一番の新鮮な福井駅。高架化されすっかりスリムになった。高架化前の福井に私は訪問した事はないが、国鉄時代のスペースを有効活用していると思われ、特にロータリーや新幹線乗場のスペースに活用されている事であろう。ちなみに撮影したのは朝6時半頃であった記憶だが、東京近郊のような忙しい雰囲気はなく、実に穏やかな通勤通学風景に見えたのは気のせいであろうか。
翌日、金沢周辺の未乗車私鉄路線を訪問する。残念ながら私が北陸地方へ最初に足を踏み入れたのはミレニアム以降のため国鉄時代の経験はない。もちろんJR以外の私鉄に関しては経験も免疫もない。更にかなり路線が減ったなぁという印象であった。「加賀一の宮」はもちろん、「白山下」とか昔あったよなぁなど思いながら計画段階で時刻表を眺めていた。
そんな思いを抱きながら、現在進行形のナウな私鉄路線を確かめるべく特急「はくたか」を金沢で下車した。西金沢から出ている北鉄は後日に予定しているので今回は金沢から乗る北鉄を余すところ無く制覇しようという予定だ。

福井発の「はくたか」で金沢に向かう。その愛称は現在新幹線に受け継がれているが、更に福井までの延伸により新幹線の、そして福井駅の風景も変わってくる事であろう。
さて、新幹線開業待ち遠しい金沢は既に高架化されて久しいが、国鉄時代に比べたら格段に機能的に、そしてモダンな駅舎に生まれ変わった。そして新幹線用の用地と工事が将来を感じさせる。
地上時代に比べやや後退したイメージの金沢であるが、高架化の際には当然ながら新幹線が考慮されていた事であろう。確か高架化が1990年頃だったので、その頃から既に本気で新幹線が金沢に来る事をイメージしながら工事が進められていたという事になる。


超大都会!的な雰囲気を醸し出す北鉄金沢。地方私鉄ではここ金沢と長野電鉄の2ヶ所のみが一部区間で地下化されていると聞く。そんな金沢で待っていたのは元京王の車両であった!
そんな金沢から北鉄金沢へのりかえるが、なんと北鉄金沢は地下化され近代化されていたのだ!もちろん、かつての北鉄金沢とは違い、強いて言えば長野電鉄の長野駅風な雰囲気を醸し出す。ただ、やはり列車に乗ってみると北鉄金沢を抜ければ普通に北陸鉄道の景色が目に飛び込んでくる。そう、北鉄金沢附近のみがやたら大都会的風景なのだ。そんな風景を眺めながら、あまり聞き慣れない「内灘」という駅目指して列車は走り出していった。

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朝一番の新鮮な福井駅。高架化されすっかりスリムになった。高架化前の福井に私は訪問した事はないが、国鉄時代のスペースを有効活用していると思われ、特にロータリーや新幹線乗場のスペースに活用されている事であろう。ちなみに撮影したのは朝6時半頃であった記憶だが、東京近郊のような忙しい雰囲気はなく、実に穏やかな通勤通学風景に見えたのは気のせいであろうか。
翌日、金沢周辺の未乗車私鉄路線を訪問する。残念ながら私が北陸地方へ最初に足を踏み入れたのはミレニアム以降のため国鉄時代の経験はない。もちろんJR以外の私鉄に関しては経験も免疫もない。更にかなり路線が減ったなぁという印象であった。「加賀一の宮」はもちろん、「白山下」とか昔あったよなぁなど思いながら計画段階で時刻表を眺めていた。
そんな思いを抱きながら、現在進行形のナウな私鉄路線を確かめるべく特急「はくたか」を金沢で下車した。西金沢から出ている北鉄は後日に予定しているので今回は金沢から乗る北鉄を余すところ無く制覇しようという予定だ。

福井発の「はくたか」で金沢に向かう。その愛称は現在新幹線に受け継がれているが、更に福井までの延伸により新幹線の、そして福井駅の風景も変わってくる事であろう。
さて、新幹線開業待ち遠しい金沢は既に高架化されて久しいが、国鉄時代に比べたら格段に機能的に、そしてモダンな駅舎に生まれ変わった。そして新幹線用の用地と工事が将来を感じさせる。
地上時代に比べやや後退したイメージの金沢であるが、高架化の際には当然ながら新幹線が考慮されていた事であろう。確か高架化が1990年頃だったので、その頃から既に本気で新幹線が金沢に来る事をイメージしながら工事が進められていたという事になる。


超大都会!的な雰囲気を醸し出す北鉄金沢。地方私鉄ではここ金沢と長野電鉄の2ヶ所のみが一部区間で地下化されていると聞く。そんな金沢で待っていたのは元京王の車両であった!
そんな金沢から北鉄金沢へのりかえるが、なんと北鉄金沢は地下化され近代化されていたのだ!もちろん、かつての北鉄金沢とは違い、強いて言えば長野電鉄の長野駅風な雰囲気を醸し出す。ただ、やはり列車に乗ってみると北鉄金沢を抜ければ普通に北陸鉄道の景色が目に飛び込んでくる。そう、北鉄金沢附近のみがやたら大都会的風景なのだ。そんな風景を眺めながら、あまり聞き慣れない「内灘」という駅目指して列車は走り出していった。

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2013年、北陸大人旅⑥
2019-08-25
三国港で国鉄に触れた私は返す刀で福井に向かった。えちぜん鉄道の福井はJRの福井は不自然な空間を挟みやや離れた位置にある。だが大都会!さすが、その不自然な空間は将来の新幹線延伸に合わせ工事中の現場であった。近年ではこの新幹線高架にえちぜん鉄道のホームが仮設され話題を呼んでいたが、今回の旅では地上ホームであった。
かつての国鉄時代に一度でもいいから地上時代の福井を訪問してみたかったが願いは叶わず。高架化されたJRの福井が初訪問である。だが、あの弧を描くホームは健在。国鉄時代を彷彿させるようなあのカーブに停まる特急列車の姿は実に美しい。
そんな福井では今回の旅の宿泊地となっている。私は一旦妻を旅籠に残し、再びえちぜん鉄道の福井に向かう。
だがその前に、宿泊施設ではなんと19時まで夕食のカレーライスが無料ご奉仕だそうだ!現在時刻は18時20分。えちぜん鉄道の福井発は18時56分。私は一か八か勝負に出た。セルフサービスなのでカレーライスが出来上がるまでの待ち時間は無い。早速勝山行きの出発時間までの勝負が始まった。


(上)は私が2008年訪問した時の、そして(下)は1980年代頃国鉄時代の福井駅(=写真はダイナミック✩トナカイ提供)。2008年ではそれまで寝台特急、そして「雷鳥」などでも活躍した車両が普通列車として活躍していたシーンである。そして国鉄時代の福井は地上駅時代であり懐かしい「加越」が入線しているシーンであるが、やはりどちらもカーブを描くホームは福井の特徴でもある。
結論からいうと、私は2杯平らげた。流石に3杯目まで行ってしまうと時間との戦いになってしまう。もちろん3杯目も余裕で行けたが、ここは勝山行きに負けてしまった。八分目の腹を揺らしながら福井駅に足を急がせる。宿泊施設はJR福井の真前にあるが、えちぜん鉄道の福井駅までは意外に微妙な距離がある。

京福、いやえちぜん鉄道の福井から勝山目指す。一旦ホテルで食事を済ませてからの参戦であるので何となく気が緩む。しかも夜7時頃からだし・・・みたいな。
さて、これから勝山を目指すが、なんとか間に合った勝山行きは最終列車の一本か二本前であった。既に夜の時間帯では勝山に近付くほど窓の景色は真っ黒のスクリーンになっていく。
途中の永平寺口では永平寺へ向かう枝線を分岐していた名残を確認出来るかなぁ~等と思っていたが、やはりそのような目的ならば昼間の時間帯が最適なようだ。
真っ暗な景色が限りなく続く中、勝山に到着すると既に駅員の姿はなく、乗務員が駅舎内に消えていった。勝山では電留線もあり構内は広いが、 登録有形文化財に指定されている駅舎は露光が足りないので駅構内も含め撮影するのが困難であった。そして乗ってきた列車で折り返すのだが、夜の時間帯の上り列車では私が唯一の乗客であるくらい静寂に包まれていた。

終点の勝山駅であるが、夜8時頃のため駅外観が撮影できなかった。駅はリニューアル工事中であまり自由が利かなかったが、駅自体は静寂に包まれ駅らしくない雰囲気を醸し出していた。
若いレールファンの概念なら、ここ勝山が終点であるのが常識であろう。たが、かつてはここから先大野までレールが繋がっていた。私が子供の頃はJRの越前大野付近までレールがあったのだ。やや離れているので京福との乗り換え不便であったが「京福大野」 と名乗り大野市の中心部にあった。だが、国鉄の越美北線が開通して以来、典型的なモータリゼーションと国鉄との競合による利用者減で現在のような勝山終点の形になった。私が小学校入学前であったが、京福大野の写真は何かの雑誌で見た記憶がある。それは何か都会的なビルの下にホームが2本あった記憶で、イメージで言うと小田急の町田や東武鉄道の浅草的な感じであろうか。だが、先ほど触れたJRの越前大野からはやや離れており、両者で乗り換えをしようと思ったら、恐らくかつての小田急町田(旧・新原町田)と国鉄の原町田(現・町田)の関係よりも距離があろう乗り換えを強いられる事であろう。両者の距離は把握していないが、恐らくJR直方と筑豊直方くらいの距離はあろうか。歩くとなるとやや辛い思いをしなければならないかも知れない。


終点の勝山ではこんな車両が静態保存されていた。やはりここは昼間くるべきだったかなぁ~みたいな思いが過ぎったが・・・駅前はこの時間だと真っ暗で静寂に包まれ駅前らしい姿は無かった。
時間的にもアクセス的にも京福大野方面には行けなかったが、逆にその事で再びこの地に訪れ京福の歴史を触れる作業をしてみたい気持ちになった。現在の京福大野跡地は銀行に変身している事も当然確認済みでありGoogleマップでもビュー等で現在の姿を確認している。しかし現地に行ってこそ、その思いは、そして達成感はひと一倍であろう。
やはりまだ私は学生時代の癖が抜けないのか、計画を詰め込む事に美学を感じる面影がある。「大人旅」をしているつもりなのだが、やはり勝山より先が行かれないのが悔しくてたまらなかった。もちろん最初から計画するという術も無くはなかっただろう。それを「まだあまちゃん」と思うか「次に来れば」と思うか・・・いや、「次に来た時はもっと楽しくしてやろう!」と思える自分がそこにいるならば、私は既に「大人旅」に進化し深化したのだと自分に言い聞かせるしかない。いや、もしかしたらそれこそ大人旅なのであろう!と断言したくなるような今回の旅であった。

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かつての国鉄時代に一度でもいいから地上時代の福井を訪問してみたかったが願いは叶わず。高架化されたJRの福井が初訪問である。だが、あの弧を描くホームは健在。国鉄時代を彷彿させるようなあのカーブに停まる特急列車の姿は実に美しい。
そんな福井では今回の旅の宿泊地となっている。私は一旦妻を旅籠に残し、再びえちぜん鉄道の福井に向かう。
だがその前に、宿泊施設ではなんと19時まで夕食のカレーライスが無料ご奉仕だそうだ!現在時刻は18時20分。えちぜん鉄道の福井発は18時56分。私は一か八か勝負に出た。セルフサービスなのでカレーライスが出来上がるまでの待ち時間は無い。早速勝山行きの出発時間までの勝負が始まった。


(上)は私が2008年訪問した時の、そして(下)は1980年代頃国鉄時代の福井駅(=写真はダイナミック✩トナカイ提供)。2008年ではそれまで寝台特急、そして「雷鳥」などでも活躍した車両が普通列車として活躍していたシーンである。そして国鉄時代の福井は地上駅時代であり懐かしい「加越」が入線しているシーンであるが、やはりどちらもカーブを描くホームは福井の特徴でもある。
結論からいうと、私は2杯平らげた。流石に3杯目まで行ってしまうと時間との戦いになってしまう。もちろん3杯目も余裕で行けたが、ここは勝山行きに負けてしまった。八分目の腹を揺らしながら福井駅に足を急がせる。宿泊施設はJR福井の真前にあるが、えちぜん鉄道の福井駅までは意外に微妙な距離がある。

京福、いやえちぜん鉄道の福井から勝山目指す。一旦ホテルで食事を済ませてからの参戦であるので何となく気が緩む。しかも夜7時頃からだし・・・みたいな。
さて、これから勝山を目指すが、なんとか間に合った勝山行きは最終列車の一本か二本前であった。既に夜の時間帯では勝山に近付くほど窓の景色は真っ黒のスクリーンになっていく。
途中の永平寺口では永平寺へ向かう枝線を分岐していた名残を確認出来るかなぁ~等と思っていたが、やはりそのような目的ならば昼間の時間帯が最適なようだ。
真っ暗な景色が限りなく続く中、勝山に到着すると既に駅員の姿はなく、乗務員が駅舎内に消えていった。勝山では電留線もあり構内は広いが、 登録有形文化財に指定されている駅舎は露光が足りないので駅構内も含め撮影するのが困難であった。そして乗ってきた列車で折り返すのだが、夜の時間帯の上り列車では私が唯一の乗客であるくらい静寂に包まれていた。

終点の勝山駅であるが、夜8時頃のため駅外観が撮影できなかった。駅はリニューアル工事中であまり自由が利かなかったが、駅自体は静寂に包まれ駅らしくない雰囲気を醸し出していた。
若いレールファンの概念なら、ここ勝山が終点であるのが常識であろう。たが、かつてはここから先大野までレールが繋がっていた。私が子供の頃はJRの越前大野付近までレールがあったのだ。やや離れているので京福との乗り換え不便であったが「京福大野」 と名乗り大野市の中心部にあった。だが、国鉄の越美北線が開通して以来、典型的なモータリゼーションと国鉄との競合による利用者減で現在のような勝山終点の形になった。私が小学校入学前であったが、京福大野の写真は何かの雑誌で見た記憶がある。それは何か都会的なビルの下にホームが2本あった記憶で、イメージで言うと小田急の町田や東武鉄道の浅草的な感じであろうか。だが、先ほど触れたJRの越前大野からはやや離れており、両者で乗り換えをしようと思ったら、恐らくかつての小田急町田(旧・新原町田)と国鉄の原町田(現・町田)の関係よりも距離があろう乗り換えを強いられる事であろう。両者の距離は把握していないが、恐らくJR直方と筑豊直方くらいの距離はあろうか。歩くとなるとやや辛い思いをしなければならないかも知れない。


終点の勝山ではこんな車両が静態保存されていた。やはりここは昼間くるべきだったかなぁ~みたいな思いが過ぎったが・・・駅前はこの時間だと真っ暗で静寂に包まれ駅前らしい姿は無かった。
時間的にもアクセス的にも京福大野方面には行けなかったが、逆にその事で再びこの地に訪れ京福の歴史を触れる作業をしてみたい気持ちになった。現在の京福大野跡地は銀行に変身している事も当然確認済みでありGoogleマップでもビュー等で現在の姿を確認している。しかし現地に行ってこそ、その思いは、そして達成感はひと一倍であろう。
やはりまだ私は学生時代の癖が抜けないのか、計画を詰め込む事に美学を感じる面影がある。「大人旅」をしているつもりなのだが、やはり勝山より先が行かれないのが悔しくてたまらなかった。もちろん最初から計画するという術も無くはなかっただろう。それを「まだあまちゃん」と思うか「次に来れば」と思うか・・・いや、「次に来た時はもっと楽しくしてやろう!」と思える自分がそこにいるならば、私は既に「大人旅」に進化し深化したのだと自分に言い聞かせるしかない。いや、もしかしたらそれこそ大人旅なのであろう!と断言したくなるような今回の旅であった。

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