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鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

2023年・新年のご挨拶

新年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


いよいよ2023年になり、今年こそ感染症の話題がなくなってくれる事を祈りたい気持ちであるが、そんな中、去年に続き今年も新規開業路線が予定されている。
我が地元・神奈川では相鉄が新横浜まで延伸する予定であるが、令和になってな尚躍進している相鉄は実に素晴らしく勢いがあると思う。かつては砂利輸送で旧相鉄である相模線と共に活躍した神中鉄道であるが、現在は相模鉄道を名乗り、旅客鉄道として新横浜まで路線を伸ばしてしまうのだから凄い事だ。
しかしその影ではスカイレールや、やや先になるが函館本線の一部区間が廃止されるという未来が待っている。

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今年は、将来貴重なショットになるであろう新幹線を集めてみた。「マルチ・アメニティ・エクスプレス」との並びは現在見られないであろうE5系は現在の主役である。新陳代謝の激しい新幹線車両では、このE5系もそう遠くない将来に引退という文字を見る日がくるであろうかも知れない。

という事で、今年は私の鉄道観について少し述べてみよう。などと偉そうな事を言える立場でもないが、私の鉄道ファン全盛期は間違いなく1970年代後半から1984年頃である。
1983年にはピークを迎え、夏に周遊券を使い東北を一周し、更に秋には生涯初の北海道上陸を果たした。ただ、その後は高校進学もあるのと、北海道制覇にはかなりの資金がかかることから、ある意味断念する形で鉄道から身を引くことになった。
しかし、1984夏には「いい旅チャレンジ20000km」制覇の野望は捨てきれず、四国の国鉄路線全線制覇を果たした。
その四国制覇を最後に暫く鉄道から離れたが、それから23年後の2007年に、当時バンド活動を共にしていた時の仲間から「秘境駅へ行こう」という書籍を勧められ、やがてその仲間と実際に秘境駅へ行こうという事になり、正式に鉄道ファンを復活させ「いい旅チャレンジ」を再開する事になり現在に至るという事になるわけだ。当然ながら「いい旅~」のキャンペーンはとっくの昔に終了していたので、私は「いい旅~」を勝手にキャンペーンしているわけである。

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そして私が唯一所有するE4系の写真である。8両編成を2本連結して16両編成にした場合、最大1634人まで乗車できる世界一の定員数である鉄道車両であった。1600人が一気に乗車できるなんてすごい!後楽園ホールでプロレス興業した場合、主催者発表の入場者数で2100人が超満員であるからホールを超満員にはできないが、それでも満員の発表はできることであろう。

そして2007年以降はこのブログで先述の通りであるが、沖縄のゆいレールを除く私鉄全線制覇とJR全線制覇を果たした2013年以降、私の旅は「線」から「点」に変化した。それまで行くことができなかった途中駅や気になる駅を精力的に訪問、そして北海道については初めてレンタカーによる駅巡りを実現させ、私が日本で一番好きな石勝線を鉄道以外で訪問し、信号場も巡るという念願が叶った事になった。
そして現在は感染症の流行により鉄道を暫く離れているが、未乗車路線の制覇をいずれ実現させたい気持ちである。

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これも将来的に貴重な写真になるであろう「こまち」との2ショットである。何度もこのブログで述べているが、やはりJR東海の歩み寄りにより東北新幹線と東海道新幹線のレールを繋げて、いわゆる「上野・東京ライン」や「湘南新宿ライン」のような形で東京駅をスルー式にすれば東京駅の負担がかなり減ると思われるのだが・・・「大宮発新大阪行き」や「三島発仙台行」などバリエーションが豊富になりそう。

ところで、私は先述通り1983年頃がレールファンの最盛期であり、どちらかというと現在のJRよりも国鉄時代が好きだ。一部、コメントいただいた方にはお伝えしているが、やはりあの国鉄時代のノスタルジックな雰囲気がたまらなく好きである。
国鉄とJRの違いって何だろう?と考えた場合、私なりの感覚では「アナログ」か「デジタル」の違いのようなイメージになる。JRになり派手なデザインの車両や豪華列車が登場する中、やはり私は国鉄時代の旧型客車やプルートレインが好きだし、かつて北海道などにあったいわゆる赤字ローカル線などには非常にワクワクする。

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そして晩年の「国鉄型」はJRカラーに染まっていた。しかしながら21世紀になって尚「国鉄」が健在だったのは奇跡に近いイメージであった。ただ、連結器の部分はオリジナルの当初とは異なり改造されているが、それでもよくこの時まで運用されていたと思う。「Max」との並びだと随分と華奢に見えるのは気のせいか。

もしタイムスリップ出来るなら私は1960年代後半から1970年代に戻り、夜行普通列車「からまつ」や新大阪発西方面行きの「阿蘇」「くにさき」などに乗ってみたい。そして東京発西鹿児島行きの夜行急行列車「高千穂」などにもチャレンジしてみたい。また、155系や159系の修学旅行用の車両にも乗ってみたい気持ちである。実際に155系などは子供の頃に急行「伊豆」として伊豆急下田辺りや東海道線の茅ヶ崎付近の踏切などでもたまに見かけた事があり憧れたものだが実現には至らなかった。
そして鉄道路線としては「1円電車」と呼ばれた明神電車や加悦鉄道、そして別府鉄道などにも乗車してみたかった。これらに関しては私の中学時代はまだ健在であり、その気になれば訪問できたのでますます勿体無い思いをしている。

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晩年に200系の運用終了が発表されオリジナルカラーが復元されたのは嬉しい材料であった。もちろん隣にいる車両との2ショットは間違いなく貴重であろう。私が中学2年の時に開通した東北新幹線は大宮暫定開業であったが、その時の記憶が蘇るオリジナル塗装時代ではまだまだ夜行列車が東北方面へ頻繁に運転されており新幹線は発展途上であった。

さて、私のブログをご覧になってお分かりであると思うが、私はいわゆる「乗り鉄」である。そしてブルトレ世代であるため夜行列車が一番好きである。また、先述通り、地方の私鉄路線もノスタルジックを感じてしまう。
そんな中、国鉄からJRに変わり定期便の夜行列車や急行列車はほぼ消滅し寂しい内容となってしまった。そういう経緯もあり、私はやはり「瑞風」などの豪華列車より24系25形の「北斗星」のロイヤルや583系寝台のパン下の方が好きだ。
つまり私がJRではく国鉄を求める理由として夜行列車の存在が大きい。私が子供の頃は夜行列車が特急・急行問わず全国にゴマンと運転されていた。更に定期運用の旧型客車が運転されており、ギリギリ経験する事に間に合っているのもひとつであると思う。

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1987年に私が運転免許取得のため福島へ合宿の参加をするため新幹線に乗車したが、その時はすでに上野まで到達しており、地下から乗る新幹線は実に斬新な風景であった。

つい最近まで生き残っていた岩泉線や三江線などは国鉄時代からの生え抜きであり貴重な存在であった。ただ、私が近年に訪問した時はやはり「国鉄」ではなく「JR」的な感覚であった。もちろん当然の事であるが、なぜそう感じたのであろう。JRになりワンマン化が進み車掌の存在が地方では薄れていく中、駅の無人化がどんどん進み合理化されポイント操作もCTCによる制御が当たり前になった時代である。もちろんこうした流れは企業として生き残るためには当然の手段であるのだが、なんというか、合理化に支配され「人間臭さ」みたいなものが薄れてしまったのであろうか。もちろんそれは私個人の意見であるのだが、私が最も好んだ昭和の国鉄時代は、SL時代の名残がある人間臭さと現在のデジタルが支配する合理的な形が入り混じはじりめた過渡期であった気がする、いや、過渡期であった。更に私が小学生の頃はブルートレイン全盛期であったから、EF65が牽引するブルートレインが格別であり、尚且つ上野から北方面へと散っていく夜行列車の数々の存在が私を魅了したが、東北・上越新幹線の開業により上野から出る優等列車の姿は次々と消え、何となく「北の玄関口」の風格が薄れていった。そうした時代の移り変わりの新陳代謝の激しい時代にレールファンになったのだから、当然ながら現在はその頃にもどれないというもどかしさが更に国鉄時代の魅力に拍車を掛けているイメージである。

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そして私が所有する唯一の0系写真であるが、ご覧の通りの撮影状態であるのでやや申し訳ない気持ちである。すでにこの時はJR西でしか見れなくなっていて、この列車は博多南発であった。いや、博多南線を制覇するためにこの列車に乗り博多~博多南間を往復しているのでこの時が0系最後の乗車となった。

それでも私が中学生時代の1982年春に登場した「青春18」が私に普通列車の旅の楽しさを教えてくれたのだから、ブルートレインしか知らない少年にとっては実に新鮮であった。更に周遊券という新たな手段を使い、東北の旅ではトラブル続きであったが何とか成功したため、次の北海道チャレンジには確かな手応えを感じていた。国鉄時代の北海道は、最終的に白糠線と開業間もない石勝線の体験しかできなかったが、それでも自身としては大きな成果と確信している。

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以前にも紹介した事がある写真であるが、岡山で撮影した100系は、新幹線の新しいスタイルを提案した。後の300系登場で更に新幹線が飛躍する時代がやっていくるわけであるが、いずれにしても新幹線の初代0系から現在まで経験している自分はある意味ラッキーであろうとつくづく思う。

これから先、時代と共に国鉄カラーはますます影が薄れるであろう。そしていつしかJRカラーが100%の時代が来るであろう。また、地方の私鉄路線も時代とともに消え去り、そして忘れ去られていく路線もあるであろう。更にアナログ的な感覚はほぼ完全に消え去り、デジタルが支配する鉄道はピークを迎える事であろう。そして更に時代は進み、技術の飛躍的な進歩は止まらないかも知れない。

実は、私の将来的な予定として、現在の未制覇路線を定年後に「フルムーンパス」で一気に制覇しようと考えていた。しかし2022年以降のフルムーンパスは発行の予定が無く、事実上消滅してしまったらしい!現在でもフルムーンパスが使える年齢に達しているのだが、将来の予定が組めなくなったので実に残念な思いである。
昔に比べフリーパスも少なくなった現在、乗りつぶし派にしてみたらやや肩身の狭い思いである・・・などと言ったら語弊があるが、やはりJR各社が時代に合ったフリーパスを提供してくれると私も旅の意欲が沸いてくる。もしそんな切符と出会えたら、新たなる「国鉄探し」が始められるであろう。そんな有意義な時間が近い将来に待っていたら幸いである。



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2022年のご挨拶

新年明けましておめでとうございます。

今年も「鉄道全線完全制覇の旅」をよろしくお願いいたします。



さて、私のブログタイトルにもある「鉄道全線」の「制覇」は実に偉そうな能書きを発しているが、実際は現時点で「完全制覇」はなし得てない。消化率でいうと、恐らく98%くらいであろう。もちろんその気になれば、いや、実際に行動すれば今年中にも達成できるであろう。ただ、終わらしてしまうと次なる目標に対し楽しさが半減してしまいそうで、あえて私は全線制覇としていない部分がある。ちなみに未制覇区間は先述通り北陸新幹線の長野~金沢間、富山地方鉄道・富山港線の電鉄富山駅・エスタ前停留場~富山駅北間、ゆいレールの全線、仙台市交通局の東西線全線、そして何とJR・相鉄直通線の西谷~羽沢横浜国大~鶴見は全くの地元区間であるし毎日のように車の窓からかしわ台付近を走るJR車両を見ているが「未乗!!!」となっている。

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今年は2021年に定期運用を終了した185系をコレクションしてみた。まずは2013年頃に撮影した伊豆急行の富戸を通過する「日光型バージョン」(上)と稲梓を通過する「157バージョン」(下)。いわゆる157系特急「あまぎ」仕様であるが、私の知る「あまぎ」は既に183系の時代からであった。後に153系の急行「伊豆」と統合され185系の特急「踊り子」が誕生したのが1981年であった。

ところで昨年の夏、私はかねてから念願であった「鉄道公安官」のDVDを購入した!「鉄道公安官」といわれても、一体なんの事だかわからず若い世代にはなかなか伝わりにくい表現であったかも知れないので…

説明しよう。

この「鉄道公安官」とは1979年から1980年にかけて放送されたテレビドラマで、文字通り、撮影は華の国鉄時代、しかもブルトレ全盛期の時代の中、ブルートレインはもちろん、0系新幹線や、中には急行「もりおか」や鳴子線の普通列車まで登場するというレールファンにはたまらない作品であった。
シリーズ前半はブルートレインなどの在来線特急の登場が多かったが、後半は新幹線が主に登場し食堂車や、特に乗務員室などでも撮影され、当時は子供であった私が普段見れないような場所が毎回登場し、ドラマの内容は別はとして、毎回見るのが楽しみで楽しみで仕方なかった。
もちろんオンエア当時は一般家庭にはビデオレコーダー等は普及しておらず、当然ながら私の家もビデオが無かったので、今回DVDを購入した段階でなんと42年振りに視た事になる!

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上野で見かけた「日光型」は実に新鮮であった。国鉄時代の車両がリニューアルして新たな塗装車両が数々登場したが、特に185系に関しては塗装ひとつでこうも変わるものかと感心してしまった。

キャストは主役の「榊主任」を演じる石立鉄男を初め「あぶない刑事」でお馴染み中条静夫や室長を演じる三橋達也、そして新幹線や特急列車など日本全国の鉄道ダイヤが頭の中にインプットされている通称「コンピューター」と呼ばれる役の五十嵐めぐみや若くして他界された夏目雅子(全て敬称略)など、登場する列車以上に懐かしく貴重な俳優陣達で構成されていた。そしてゲスト陣も豪華で、例えば若き日の「ダ・カーポ」や「太陽にほえろ!」でお馴染みの長谷直美、そしてまだ20代であったろう早乙女愛など、私より先輩の方なら懐かしくて涙が出てしまうほど素晴らしいメンバーだった。

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そしてこちらは2013年に乗車前に撮影した特急「踊り子」は湘南メッシュであった。私はこの時始めて「踊り子」に乗車したが、登場してから実に30年以上の時間が経過していた。親戚が下田にいるのは先述しているが、伊豆方面から列車で帰郷するのは恐らくこの時が始めてであったろう。伊豆方面へは父が自家用車で行く場合が殆どであったので、行きは列車でも帰りは車の場合が多かった。そのため実に新鮮であった。

そして主題歌は「アメリカンフィーリング」などのヒットで知られるコーラスグループ「サーカス」が歌うホームタウン急行(エクスプレス)である。実はアメリカンフィーリングのB面にこの主題歌である「ホームタウン急行」が収録されていて、小学生ながら私はこのシングルレコードを購入している!レコード屋さんで「鉄道公安官の主題歌ください」と言ったが、もちろん店員さんはそのドラマを視てなかったであろうがためにかなり探すのに難航したが、結局見つかり万事休す。しかしながらA面ならともかく、B面のタイトルで探してもらったのは、今考えたら非常に申し訳無い思いである。

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こちらも2013年に伊豆熱川で撮影した湘南メッシュ。「女子旅」を終え帰郷すると思われるグループが185系に乗車する風景が、現在は日常の風景では無くなってしまった。「女子旅」は実に憧れのフレーズであるが「男子旅」と聞いて意見が分かれるところであろうか・・・

そんなサーカスも、デビュー以来40年以上経った今でもメンバーチェンジが若干あったとは言え活動を続けているのは素晴らしい。インターネットが発達した現在、その勇姿を確認することが容易にできるのも実に素晴らしいが、40年以上経った現在の方が何となく歌声にまろやかさがでており聞いていて心地よいハーモニーがストレートに伝わってくる。これは若い頃と比較してもらえるとわかるが、何というか、のびのびと歌っているイメージが凄く伝わってくるのだが皆様はどうお感じになられるであろうか。ぜひとも動画サイトなどで確認していただけたら幸いである。

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こちらは藤沢の小田急ホームより咄嗟に撮影した「踊り子」の通過シーンである。踊り子の停車駅は大船を出ると次は小田原であるが、横浜~小田原間は大船・藤沢・茅ヶ崎・平塚の4駅を列車によって振り分けて停車させるのも面白いと思う。それなりに需要が見込めると思うのだが・・・

さて、私も鉄道歴は40年以上になるが、23年のブランクがあるので通算では20年くらいになると思う。確かに子供の頃はブルートレインやL特急などの撮影にがむしゃらであったが、近年では車を使った駅訪問が多くなってきた。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があるが、私にとっての鉄道は「ものの上手」にはならない。技術が向上するわけでもなく、シンプルに年月だけが過ぎて行く。ただ、頭の中に鉄道路線図が入っているので、例えば電車での通勤時に事故等による代替輸送時にはわざわざ駅員等に聞いたりNAVITIMEなどで経路を調べなくても代替えルートを即座にイメージする事ができる。だが、それはある意味「トレビアの泉」的な感覚に過ぎないかも知れないので「技術」とはまた違った一面であろう。
「鉄道公安官」のキャストで現在も活躍していらっしゃる方は加納竜と五十嵐めぐみ(敬称略)であるが、昭和の時代から現在まで俳優を続けていらっしゃるのは実に素晴らしい。主題歌を歌う「サーカス」を含め「続ける事の素晴らしさ」が無言のアピールで伝わってくるようだ。

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1983年頃に撮影した特急「谷川」は、新幹線リレー号との運用であっただろう。確か特急「あかぎ」も185系で運用されていた記憶であるのだが、個人的に185系の特急運用は当時、何となく風格的な何かが足りないイメージであったが、普通列車の運用の時はお得感を感じていた。


私のブログは鉄道を主題としているが、一体いつまでこのブログを更新できるのであろうか。かつてジャイアント馬場が日本武道館の天井を見上げながら練習をしている際に「俺はいつまでこの天井を見ることが出来るのか」的な発言をしていたが、最近になって私もこの意味がようやく身近にわかってきた気がする。
ここ数年は新型コロナウイルス関連で列車に乗る事さえ特殊な行動と思えるような日々が続いた。ウイルスは人間の体だけでなく、生活様式や今までの常識さえも変えてしまい、我々が過去に経験した事のない特殊なウイルスであるがために対応も一苦労である。
私は定年したら「フルムーン」でも使い一気に全線制覇を成し遂げてしまおうと計画してる。体力的にどうかは別として、目標があれば何かと生活にハリがでてくる。であるが・・・コロナ関連がこうして長く続いた現在、こうした夢も実現できるかわからない時代になった。

私の場合、鉄道路線に乗ってこそその価値がでてくる趣旨であるから、車で未制覇路線の駅などを訪問してもあまり意味がない。もちろんそれにより「点」を中心とした旅はできるが、やはり「線」を完結させないと中途半端では終わらす事が出来ないのである。ただ、未完結とはいえ全線制覇の模様については蔵の中に紹介していない旅がたくさんあるのでこれからも順次この、ブログで紹介していきたい。
そして完全にコロナ関連が収束したら是非定年後の夢に向かって目標を実現させたい。そして皆様に「全線制覇しました!」とこのブログで報告ができる事が楽しみでもある。いつかその日がくる日まで、是非私のブログをご覧いただけたら幸いである。


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「続きを読む」におまけあり!

旅を楽しくする実践講座 2021

新年あけましておめでとうございます!

今年も鉄道全線完全制覇の旅をよろしくお願いいたします。

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今回の写真掲載は1978年、二見書房より発行の「ブルートレイン」より右側のカード内容を紹介していたが、期間限定という事でご了承頂き、お蔵入りになっていた渋谷駅の様子に差し替えさせていただき紹介していきたい。

2021年スタートした!国鉄からJRに移管してから既に30年以上経過したが、とにかく合理化され民営化ならではの努力がなされており、国鉄時代からは想像もつかないほど進化している。ワンマン運転が当たり前の時代である現代の鉄道事情も、国鉄時代では山陰本線などでワンマン運転が導入された事が非常に新鮮かつショッキングな出来事であった。どんな小さなローカル線でも車掌が乗務していたし、そして駅員のいる改札では必ず職員が座り硬券の切符にパンチ(鋏)を入れていた、そんな時代であった。
そして切符の販売などをコンピューターで処理する「マルス」の機能が本格的に進化しはじめたのが私がレールファンとして全盛期であった小学校高学年~中学校時代である1970年代~1980年代からであった記憶だ。

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今回は私自身も撮影していた事さえ記憶から遠ざかっていた東横線の旧・渋谷駅の様子を紹介しよう。もちろんこの風景は記憶に新しいが、時間の経過とともに後世に引き継がれ貴重な風景となる事であろう。

しかしながら、まだまだマルスによる周遊券等の発券は少なかった記憶で、駅のみどりの窓口などでは周遊券などは発券別に常備券の在庫を持たねばならず、切符売り場の窓口職員や、もっと言えば改札に立つ職員等は、一年に数枚しか売れない周遊券等の細かいルールなどを全て覚えるというのはかなり大変な作業であったろう。もちろん、全て頭に入っているというのがプロとして当然であるはずだし、そしてそれを前提として我々利用者は快適に旅が出来る事が基本的な考え方であろう。

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ホームは頭端式で渋谷を通過できる列車は皆無である。ウィキによると昭和2年の開業という事なので物凄い年月が流れていいた事になる。もちろんその間増改築が著しく行われ現在の姿になった事は周知の通りである。

私のブログにちょくちょく顔を出す「種村直樹の汽車旅相談室」は、そんな旅先でのトラブル等を「規則」を通じて解説・解決していく趣旨であった。現代における若い世代のレールファン達はこの「汽車旅~」に関してはもう伝説に部類に入っていると思われるし、種村直樹と聞いても「昔の人」的イメージか、むしろ知らない方のほうが多いであろう。
改めて「種村直樹の汽車旅相談室」について解説すると、RJ社が発行(当時)する「旅と鉄道」という鉄道誌に始まる。最初は「旅を楽しくする実践講座」というタイトルであったが「汽車旅相談室」に名前を変えて連載がスタートした。インターネット等が発達していない時代に鉄道旅のトラブル等の解決策として大きな反響を呼んだが、相談室への接触方法としては種村直樹氏の自宅にハガキや手紙を送付し、それを種村氏が返答・返信し、種村氏が厳選した相談のいくつかが「旅と鉄道」に掲載される、というイメージである。「えっ、種村氏に直接ハガキって、どうして住所が分かるの?」というクエスチョンが出てくると思うが、昔は雑誌そのものに筆者の住所等が普通に掲載されていた。昨年他界した志村けん氏も、雑誌等の付録に掲載されているタレントの住所等を見ていかりや長介の自宅に「弟子入り志願」に行ったとの本人談であった。
「汽車旅相談室」はその後単行本としていくつか発行された事ひとつとってもいかにこの相談室の反響が大きかったか頷けるであろう。

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現在ではなんと西武鉄道との乗り入れが実現している東急東横線。かつて「伊豆戦争」を知る者にとっては現在のこのシーンが信じられない出来事であろう。

以前に私が取り上げた相談室の内容のひとつに「一筆書き乗車」というタイトルの記事がある。それは「一筆書き乗車中に例えば相模線の寒川支線(当時、現在は廃止)に乗車したくなった場合、別途寒川~西寒川の往復乗車券を買い往復するのは有効か?」みたいな内容である。この件に関して大反響を呼んだ事は私のブログでも解説しており、私のブログにも多くの意見が寄せられた。私自身も「違法」という意見を述べているが、久々に当時の「旅と鉄道」を読んでみたらとんでもない事が書いてあった。それは、一筆書きとはかけ離れた内容で拡大解釈し、「そんなにうまい話があるんですね。早速試してみます。」的な内容の文面が種村氏の元にたくさん寄れられたというのだ。例えば茅ヶ崎から茂原辺りまで行く場合、茅ヶ崎から120円(当時)を買い大網~茂原の別途往復切符を用意して「一筆書き中だ」と言えば安く済みますね、という者も出てくる的な内容であった。「そんなにうまい話」はともかく、それをわざわざ「試してみる」と種村氏にハガキを送るという事自体私には理解できないし信じられないが、実際に実行した者も少なくなかったであろう。そんな事もあって「違法ではないが感心しません」から回数をまたいで「規則の解釈上も疑問で、やめよう」にタイトルを変更し注意を呼びかけた経緯のある疑惑付きの内容であった。

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かつての東横線では「特急」の設定が無かった。現在の特急の停車駅は実によく考えられた結果だと思う。私にしてみたら綱島や日吉をも通過するシーンは実に新鮮だ。

そんな汽車旅相談を日々読み続けていた中学生であったが、23年というブランクを乗り越えレールファンに復帰したのが2007年頃であった。そして2014年11月、私は「はまなす」に最初で最後の試乗をするために北海道へ旅立ったのであった。
その時の出来事。私は音威子府で「常盤軒」のそばを堪能した後、帰郷のため札幌から「はまなす」に乗る計画であった。札幌では待ち時間をあえて作って「はまなす」での飲料・食料や「日帰り温泉」の準備も進めていた。銭湯は苗穂と桑園の駅前にある事をインターネットで確認していたので桑園でスーパー銭湯を利用する事に決めた。

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そしてなんといっても桜木町が廃止され元町・中華街までの延伸が実現した事である。実は横浜市営地下鉄も関内から分岐して中華街までの延伸が予定されていた。現在でもその名残が地下鉄の関内駅ホームで見られるが、結局東急に先手を打たれ、というより市営地下鉄の計画が頓挫してしまい断念・・・

いや、しかしすごい時代だ。銭湯ひとつ探すにも部屋の中でパソコンを眺めていればすぐに見つかる。私がかつてレールファン全盛で旅をしていた国鉄時代では、わざわざ書店で「駅前の宿」的な本を端から読みあさったり時刻表の巻末くらいにある広告や民宿案内みたいなページで日帰り温泉できる宿などを探すしかなかった時代だ。
私の場合、雑誌などで探す事もあったが、例えば旅先の現地で後に折り返し戻ってくる比較的待ち時間のある駅周辺を窓から眺め煙突を探す。もちろん工場とかの煙突ではなく「銭湯」の煙突だ。見つかると「よし、ここで下車だ!」とあらかじめ決めておいて折り返し戻ってきたら銭湯に向かう・・・みたいな、なんともアナログ的な探し方であった。この方法では実際に青森と南小松島で成功しているが、早い話、駅員さんなどにリサーチするのが一番いいかも知れない。なのになぜか私は煙突にこだわった。
そういえば一度だけ駅員にリサーチして入った銭湯が男鹿であった。秋田に折り返す列車を一本送らせても秋田から乗る列車は同じのため銭湯に向かう決意をしたのであった。

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かつてはここに5000系も姿を現していた時代があった。私が小学生時代の頃まで見かけた記憶があるが、やがて8000系も東急から姿を消す事となったのは寂しい限りである。

そんな旅慣れた私が自信満々で桑園で下車するため切符を窓口で見せた。別途区間の乗越精算のため自動改札から出られないためだ。私は音威子府~東京都区内の切符を見せて札幌~桑園の乗越運賃を係員に渡そうとした。ところが「これでは足りませんね。白石~桑園までの運賃をお願いします」と更に追加の運賃を請求された。「いやいや、サロベツで札幌まできて、札幌からはまなすに乗るんですけど・・・」と説明したが・・・ここで気がついた。そう、函館本線と千歳線の接点は白石であるから、特急の止まらない白石からは札幌まで乗り越しても「途中下車しなければ」料金不要である。つまり私は白石で「途中下車した」事になるのだ。こんな初歩的な事を、しかもベテランの域を超えた(?)レールファンが見落とすとは!駅員にあわせる顔もなかった、って、駅員さんが私の事をレールファンとは知らないであろうが・・・とにかく、こんな基本的な事を見落とす大失態である!!!その後のスーパー銭湯内で私は、湯船の中で恥ずかしくていられなかったのであった・・・
あれだけ「汽車旅相談室」などと豪語していた私にとって、これほどの大失態とは・・・

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普段はなかなか行く事が無かったであろう渋谷駅ホームの横浜寄りの姿。レールファン以外はあまりこういうシーンを眺めることは少ないと思うが、現在では渋谷をスルーする事ができるようになりある意味効率的な運転ができるようになった。

それはともかく、汽車旅相談室で読んだ国鉄職員の怠慢や姿勢は、現在のJR時代には、私の経験上や知る限りでは殆んど無いと思う。むしろJR九州などは、私が肥薩線で「隼人の風」と「いさぶろう・しんぺい」の乗車を兼ねて熊本へ抜ける際に「隼人の風」が大雨で肥薩線の霧島温泉で列車が立ち往生したまま運休になってしまい、熊本方面に行く道のりが閉ざされた際について、本来私の持っているフリーきっぷでは新幹線は利用できないのだが、救済処置として新幹線に乗車できるよう鹿児島中央に連絡をしてくれて対応してくれたのだ!
お客様に有利なよう、そして不便ないように対応してくれた姿勢・・・素晴らしいと思った。おかげで九州新幹線「初乗車」をフリーきっぷで体験できたのだ。当時は新八代から在来線に乗り換える時代であったので尚更貴重であろう。国鉄時代の汽車旅相談室に出てくる国鉄職員の杓子定規な考えには到底想像もつかない現在シーンがそこには存在した。いや、私がかつて国鉄時代に旅をしていた時も汽車旅相談室に出てくるようなトラブルは無く、むしろ優しく有利になるように対応してくれた思い出の方が多いし強い。であるのだから、やはり我々も「お客だ」的な意識をあまり持たずに、もっと鉄道会社に歩み寄る姿勢を持つ事でもっと楽しい旅が出来そうな気がする。そう、鉄道会社の影の努力があってこそ私たちは定まった時刻に列車に乗り、そして旅が出来るのである。皆様もご存じと思われるが、海外等では20時間遅れなんて列車もざらにある。それを考えると2~3分遅れでも車内アナウンスが入る日本の鉄道事情は、他の国から見たら考えられないシーンでもあるだろう。

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そして相鉄が更なる延伸計画を企てている中、東急はどう変化していくのであろうか。輸送量増加に伴い東京寄りを複々線にしないと捌ききれない状態であったろうが、目蒲線や大井町線等既存の路線を活用し東横線や田園都市線を改良する事で複々線をぜずに対応した姿は記憶に新しい。西武は相鉄の乗り入れにやや難色を示しているらしいが、そこは是非西武の英断に期待する!


さて、皆様の鉄道の旅はいかがであろうか。たくさんの経験、そして素敵な思い出などあれば私に是非お知らせ願いたい。
鉄道での旅・・・私は今の時代にあえて「汽車旅」と表現したい。その汽車旅を楽しくしていく術は我々自身から歩み寄る・・・そして作り出すものではないか。そう感じてならない2021年である。


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2020年・謹賀新年ご挨拶

新年、あけましておめでとうございます。今年も「鉄道全線完全制覇の旅」をよろしくお願いいたします。

さて、年は明け、いよいよ今年は2020年。東海道新幹線が開通した昭和39年以来、オリンピックが日本で、しかも東京で開催されるという記念すべき年である。
東京オリンピック・・・若い世代ならともかく、私の世代でも昭和39年のオリンピックは全く分からない・・・生まれてないし~みたいな世代である。
両親や知人に聞いた限りではあるが、当時のオリンピックは相当に爆発的に盛り上がったそうだ!日本の高度経済成長時代。常に前年比130%以上(かどうかは分からないが)的売上が当り前的な世の中。日本中が湧いて沸いて盛り上がっていた時代であろう。

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ある意味毎年恒例となった「ダイナミック✩トナカイ」の画像を今年も紹介しよう。こちらはご覧の通り1980年代の常磐線特急である。上野の2階ホームであるが・・・上野といえば立ち食いそばがうまい!というか、この昭和時代のそれは現在のそれとひと味違っていたような気もするが・・・


周知の通り、それに併せて東海道新幹線が昭和39年10月1日に開通して東京から大阪間の所要時間がそれまでの半分になり日帰りが可能になった!これは、例えるならTOKIOに木村拓哉が、いや、東幹久や的場浩司(いわゆる助さん・格さん?)が加入したと想定したくらい凄い出来事であった!実にカルチャーショック!実に超非現実的。江戸時代に北斗の拳のケンシロウが「世紀末救世主」として君臨したと仮定した場合・・・くらい凄い事であろう。
余談ではあるが、私もとうとう「フルムーン」の適用年齢に、いつのまにかなってしまった事をつい最近になって気付くのが複雑な印象だったが・・・

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稲毛のホーム先端で撮影した房総特急である。この撮影時、私は中学2年生であったが、ダイナミック✩トナカイは新入生として「鉄道研究クラブ」に入部してきた。そして房総急行がそろそろ全廃されるとの情報が流れ出した頃であった。

さて、昨年の10月であったろうか、私はあるドラマを視て「ハッ」と思わされた。
それはCSで放送された「鉄道警察官」というサスペンスドラマであったが、そのワンシーンで犯人がこんな台詞を言った。

要約すると「鉄道ファンはいつも孤独だ」「鉄道趣味とは所有できないから常に幻想を描いている」

確かこんな感じだった。
そう、私はいつも孤独だった。唯一中学校時代は「鉄道研究クラブ」に所属し仲間がたくさんいたが、先輩達は新入部員の私たちに「正直、こんなに入ってくると思わなかった」と漏らしていた。もちろん、当時の顧問であった教諭も驚いていた事だろう。その割には部活の場にほとんど姿を現さなかったのだが・・・
私の記憶だとそれまでは確か部員が3名~4名と聞いた。私の学年では恐らく10名以上いたであろう。だから先輩は泡食った状態だったと思われる。
確かに私の学年で一気に部員が増えて、それこそ野球部やサッカー部には及ばないものの、若干ながらメジャーデビューを果たした印象であった。そして、その中で私は年に4回発行する季刊紙班の編集長として君臨した。

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時期を同じくしてこちらも常磐線特急の別バージョン。上野での撮影であるが、1980年代の上野は休みなく各方面からバラエティに富んだ列車が発着し飽きる事は無かった。しかも夜に関してはブルートレインも加わり、当時の私にしてみたら「上野の夜」は遥かなる夢であった!

だが、それまでの時代は部員3名くらいの孤独な活動であったのだから、先輩たちもとりわけ地味な活動であったろう。人数が多ければいいとか少ないから良くないとかではないが、やはりそこには「孤独」というキーワードが存在した。
中学卒業以降はレールファンというのがいかに特殊かということを思い知らされる訳であるが、そんな背景からも私が音楽の道を歩いた要因のひとつだったかも知れないと今になって思う。

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撮影場所は不明であるが、文字通り信越線の特急である。右側は現在も新幹線の愛称で親しまれているが、左のネーミングは実に懐かしい!確か上野~中軽井沢間の臨時(季節)列車であった記憶だが・・・

確かに鉄道趣味は簡単に所有できる事では無いし頭の中で常に空想の鉄道を描いていた事は納得する。増して列車の走行音に興味を持つなど、一般的には考えられない「道楽」であろう。
私も半世紀を数える年齢になり、何となく「余命」みたいな事を真剣に考えるようになってきた。昔ならそんなことは全く考えなかったのだが、最近になって出来るうちにやりたい事はやれる時にやった方が良いと肌で感じるようになった。

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最後は雷鳥である。景色的に大阪であろうと推測するが・・・何となく上野と勘違いしてしまいそうな風景である。この当時では考えられなかった北陸新幹線が、現在は将来的に福井まで延伸されようとしている。時代も変わったものだ~

今はインターネットの時代。クリックひとつでほぼやりたい事はできる時代だ。部屋にいる時は孤独かも知れないが、クリックするとそこは沢山の仲間たちがいる。所有こそできないものの、沢山の鉄道仲間が自身の熱い思いをぶつけている。
かつての「鉄道ジャーナル」にあった「タブレット」や「旅と鉄道」にあった「汽車旅相談室」などのように限られたコミニュケーションスペースで自分の思いをぶつける時代ではない。100人居れば100通りの鉄道がある。

そんな世の中である次の世代の鉄道シーンはいったいどのような変化をしているのであろうか。もしかして今年はそんな鉄道シーンのプロローグが聞けるかも知れない。


この記事の写真は全てダイナミック✩トナカイの提供です。


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新年のご挨拶 2019

新年あけましておめでとうございます。今年も「鉄道全線完全制覇の旅」をよろしくお願いいたします。

ところで毎年思うのが、特に最近は時間の経過が早く感じ「もう正月かぁ」みたいな感じになる事だ。ついさっきまで猛暑だとか紅葉だとか話題だったと思っていたが、気がついたら「またひとつ歳を取る」的な感じになってしまう。

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今年もダイナミック✩トナカイ提供の名画像にて新年を迎えてみよう。東京駅撮影の寝台特急入場シーンであるが、私にとってEF66での寝台特急は新しく新鮮な部類になる。私が寝台特急の機関車として最初にイメージするのがEF65の500番台であるが、私と同世代の方なら間違いなく納得していただけるであろう。

そんな中、昨年の10月にNHK・BSで「行くぞ、最果て 秘境×鉄道 アフリカ ポレポレ列車」という番組を観た。普段私は外国の鉄道旅に関する番組は観ないのだが、この時たまたま何気なく観たらいつの間にか番組に引き込まれてしまった。
このブログをご覧の方の中にもこの番組をご覧になった方がいらっしゃるかも知れないが、とにかくアフリカの鉄道は壮大かつダイナミックであり時間の進行が緩やかである。そして現地の方はとても人なつっこい。どこの国から来たかわからないような旅人でも気さくに接し、ある街では後で自分達の踊りや演奏があるから観に来いとまで言う。
そんな街にやって来る列車は「到着まで20時間遅れ」の情報でも誰ひとりクレームを付ける者もいない。「日本の鉄道は時間に正確」という理屈は以前より知っていたが、まさか20時間以上遅れても列車を待つとは・・・日頃私たちが忘れかけている何かを観た感じがした。

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私のEF66のイメージは、貨物列車の「フレートライナー」である。その一昔前では「とびうお」として鮮魚を輸送していた時代は、私より先輩の方なら懐かしさ満載の材料であろうと思う。画像はダイナミック✩トナカイ

そんな時、私のブログを日頃から贔屓してくださっている「にわか者様」からある時貴重なコメントを頂いたので原文のまま紹介してみよう。その記事はこちらから。そしていただいたコメントは以下の通りである。

「白鳥に乗車されましたか!
それよりもべにばなですね!
もう懐かしい懐かしいと何回書いていることか・・・
新幹線ができて便利にはなりましたが、在来線の特急や急行がここまで消え去るとは・・・
私のテツな父親が「新幹線ができるまでは東海道も特急や急行がいろいろ走っていて面白かった。」とよく言ってましたが、まさか自分が同じ感覚に陥るとは思ってもみませんでした・・・」

といった内容であるが、皆様はどう思われたであろう。私的にポイントはコメントの後半部分、父親がかつての東海道線についての発言に対し、にわか者さん自身が年齢を重ね「自分も同じ感覚に陥るとは」の部分であり、まさに共感出来る部分である。
私はこの世に誕生して以来、半世紀が過ぎようとしている。そして幼少時代よりレールファンとなり様々なレールシーンを見てきた。そしてこのブログにて様々なレールシーンを紹介してきた。ただ、若い世代には年寄りの昔話に過ぎないかも知れない。

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撮影駅は不明であるが、鹿児島本線の「交流機関車」である。考えてみたら私は最初で最後の乗車であった東京発九州方面へ向かう寝台特急「富士」の乗車では機関車交換が3回行われた。24時間25分かけて東京から西鹿児島(当時、現・鹿児島中央)まで走るのだから、それはイベント盛りだくさんであった。ちなみに昭和54年当時は宮崎~鹿児島間が非電化であったので牽引機関車はDF50であった。画像はダイナミック✩トナカイ

昨年、私はビッグエッグに矢沢永吉のライブに参戦した。御歳69にしてすごいパワーだった。しかも最前列での観戦だ。
先日、BSで「ボウリング革命★Pリーグ」という女子プロボーラーによるボーリングトーナメント戦の番組を久々に観たら、ベテランの姫路麗が、そしてその後に放送された優勝戦では私が以前からのファンでもある森彩奈江が優勝した。
そしてサッカーでは三浦知良が今も現役で頑張っている。当然ながら体力的には全盛期ではないだろう。
しかし私が言いたいのはそういう事ではなく、年齢を重ねて尚現役で頑張れるのは実に素晴らしく幸せな事であるという事だ。若い者に混ざって尚自身が輝く。これは並大抵の努力では出来ない至難であろう。努力+持って産まれたセンスや幸運も必要かも知れない。しかし、それよりももっと大切なのは「やり続ける事」であろう。

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私がかつて在住していた地に降臨した姫路麗。相模線沿線の某ホーリング場に姿を現すのは異例中の異例であるので大変貴重なショットとなった。本人曰く「ボウリングのユニフォームに着替えたら撮影全然OK!」との事。プライベートなファッションの場合は頑なに撮影を拒否していた。我々は本人のポリシーを大切にして協力してこそ彼女の活躍が更に飛躍するであろうと改めて感じるシーンでもあった。

ジャイアント馬場は還暦過ぎても尚リングに上がっていた。もちろん全盛期の姿ではないが、現役のトップレスラーよりも数百倍の存在感的なオーラを放っていた。

「子供の頃に60歳といったら随分年寄りだなと思ってたけど、自分がなってみたら、何だ、まだやれるじゃねぇかと思った」

これは後楽園ホールで行われた自身の還暦試合後に放たれたこのコメントである。インタビュアーはあの徳光和夫氏であったが、その後物凄い歓声となる。追悼番組で関根勤氏が、あの時の歓声はメインイベントでスリーカウント入った時の歓声よりも凄かった、と語っていた。

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さて、こちらも東京駅でのEF66であるが「上野・東京ライン」が新設された現在、こうしたシーンは完全に過去の物となってしまった。東京駅や横浜駅は万年工事の印象であるが、特に東京駅で線路やホームが足りない新幹線は、JR東海の気持ちひとつで東北新幹線との接続が夢でなくなり東京駅の慢性的混雑も解消できるのでは?と思うのは私だけであろうか?画像はダイナミック✩トナカイ

話は飛ぶが、最近私は日曜の夜にテレビ神奈川で放送されている「帰ってきたウルトラマン」にハマっていた(現在は放送終了)。帰ってきたウルトラマンといえば最初の放送は昭和46年頃の放送であったと思うが、番組に出てくるMATという地球防衛組織の所有車は「コスモスポーツ」である。若い世代にはこのコスモスポーツという車は馴染無いであろうが、私はミニカーで所有するほど好きな名車である。
もし今のこの時代に私がコスモスポーツを自家用車で乗っていたらどうだろう。コスモスポーツを知らない世代にもコスモスポーツの素晴らしさが伝わるであろうか。いや、私以外の方が乗られた方がもっと伝わるであろう。今の時代にコスモスポーツで国道134号線を走ったら絶対にかっこいいと思う。
確かに現在の車に比べ燃費は悪いしハンドルも重いであろう。ただ、そういう事ではなく、それを素直に受け入れた上でコスモスポーツの素晴らしさが伝われば最高であろう。

800px-Mazda_cosmo_sport.jpg
そしてこちらがウィキペディアより拝借した「マツダ・コスモスポーツ」である。「帰ってきたウルトラマン」にも登場するが、当時は超高嶺の花的価格で、とても我が家では購入不可能なお値段であった。ちなみに我が家は当時「ホンダN360」であった。

いろいろな事柄を並べてみたが、何となく私のいいたい事が伝わったであろうか。何も古い物がいいと言っているのではない。新しい物の中に混ざっても古い物が輝く姿が美しいと言っているのだ。新しい物の中だからこそ輝ける古い物。これは素晴らしい事だ。
私の鉄道感は古い物が多いであろう。私のブログ記事は昭和の、国鉄の物が多い。

今だからカズがかっこいい。今姫路麗が優勝するから意味がある。矢沢が今ドームを満タンにするから凄いのだ。
私はその意味が分かる人間でありたい。そしてそれを鉄道を通してこのブログで表現していければいいと思う。そしてそれに共感していただける方がひとりでもいれば私はラッキーであると思う。


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ダイヤモンド✡トナカイ

Author:ダイヤモンド✡トナカイ
✩2022年4月より毎週土曜日更新になります✩


昭和・国鉄の話題を中心に紹介しています。


2013年に長野新幹線の長野駅にて「いい旅チャレンジ20000km」よりスタートした国鉄時代の制覇を含めJR全線制覇を、そしてゆいレール以外の鉄道全線制覇を達成いたしました。


以降、北陸新幹線と北海道新幹線などの開業によりタイトルは返上しています。

JR以外の私鉄を含む鉄道未制覇路線は北陸新幹線(長野~金沢)・北海道新幹線・仙台地下鉄東西線・仙石東北ライン・富山地方鉄道延伸部分・ゆいレール・相鉄直通線(相鉄新横浜線)、そして新規開業の西九州新幹線や宇都宮に開業したライトレールも新たに加わりますます未制覇路線が増えてしまいました・・・

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