栄光のEF81 300番台
2020-07-20
EF81といえば真っ先に赤っぽい交直両用電気機関車をイメージするが、国鉄、昭和を知る人間なら誰しも「関門トンネル」を思い浮かべるであろう。特に東京や新大阪からやってくるブルートレインに乗ると、下関~門司間では関門トンネル専用の、いわゆる「銀釜」と呼ばれるステンレス製の電気機関車に交換され、ホーム先端部ではギャラリーが多数いたものだ。
私の知る限りではEF30とペアで関門トンネルの作業に充たっていたが、個人的にはEF81がお気に入りであった。
私もこの区間は1974年に乗車した寝台特急「富士」で経験したが、なぜか写真が残っていない。宮崎でも機関車交換が行われDF50で西鹿児島(当時)まで完乗したが、なぜかDF50の写真は残っている。ちなみにこの日乗車した「富士」の関門トンネル機関車はEF30であった。

今回はウィキペディアよりの画像であるEF81の300番台。いわゆる「銀釜」として親しまれてきたが、そう遠くない将来に全滅するであろう貴重な昭和の風景である。私が1978年に寝台特急「富士」で東京から西鹿児島まで乗車した時、下関で機関車交換が有りEF81が来ると期待していたのだが、やってきたのはEF30であった・・・(EF30ファンの皆様、ごめんなさい)
コロタン文庫やケイブンシャの鉄道誌等では昭和の時代を彩る華やかな優等列車が紹介されているが、その中にステンレスのEF81に牽引される急行「阿蘇」「くにさき」が紹介されている。14系客車が使用されオール座席の夜行急行列車であったが、当時(1970年代)としては特急列車並みの車両編成でありパッと見ブルートレインさながらであった。私は関東在住のため気軽に見たりすることはできなかったが、それでも豪華な風格が漂ってきたのを感じ取っていた。
現在は機関車そのものがなくなっていき貨物列車専用とは言わないが、旅客列車での運用はすっかり姿を消したが、再びブルートレインを牽引する日が来たなら、それはそれは素晴らしい1日となろう。
私の知る限りではEF30とペアで関門トンネルの作業に充たっていたが、個人的にはEF81がお気に入りであった。
私もこの区間は1974年に乗車した寝台特急「富士」で経験したが、なぜか写真が残っていない。宮崎でも機関車交換が行われDF50で西鹿児島(当時)まで完乗したが、なぜかDF50の写真は残っている。ちなみにこの日乗車した「富士」の関門トンネル機関車はEF30であった。

今回はウィキペディアよりの画像であるEF81の300番台。いわゆる「銀釜」として親しまれてきたが、そう遠くない将来に全滅するであろう貴重な昭和の風景である。私が1978年に寝台特急「富士」で東京から西鹿児島まで乗車した時、下関で機関車交換が有りEF81が来ると期待していたのだが、やってきたのはEF30であった・・・(EF30ファンの皆様、ごめんなさい)
コロタン文庫やケイブンシャの鉄道誌等では昭和の時代を彩る華やかな優等列車が紹介されているが、その中にステンレスのEF81に牽引される急行「阿蘇」「くにさき」が紹介されている。14系客車が使用されオール座席の夜行急行列車であったが、当時(1970年代)としては特急列車並みの車両編成でありパッと見ブルートレインさながらであった。私は関東在住のため気軽に見たりすることはできなかったが、それでも豪華な風格が漂ってきたのを感じ取っていた。
現在は機関車そのものがなくなっていき貨物列車専用とは言わないが、旅客列車での運用はすっかり姿を消したが、再びブルートレインを牽引する日が来たなら、それはそれは素晴らしい1日となろう。
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栄光のEF58
2020-07-15
私のブログでは「駅」に関する記事がやたらと多い事に皆様もお気づきであろうと思われるが、たまにはではないがちょっと最近気になる機関車があるのでここに紹介してみたい。

私がつい最近まで所有していたプラレールのEF58。ご覧の通り、ブルートレインの歴代機関車を並べてみた。プラレールでも凄く雰囲気と存在感のあるEF58は国鉄時代の機関車としては名作であろう。
「最近気になる」と言ったが、その「気になる」は既に昭和の時代に大活躍しており、平成ではフェードアウトしていき、令和の現在では既に風前の灯火である。そもそも「お召し列車」としてのイメージも強いEF58であるが、直流電気機関車の中では国鉄時代を知る者にとって特別な存在だったのではないか。私の知る当時の東京発寝台特急はEF65 500番台が主力で、後に1000番台に移行された時代に、東京発では唯一のEF58牽引である寝台急行「銀河」は特異に煌めく存在であった。
また、貨物列車もEF58で牽引されていたが「フレートライナー」EF66も主力で活躍しており茅ヶ崎駅の相模線と東海道線の間にある貨物側線を通過する貨物列車を見るのがひとつの楽しみでもあった。特に夕方5時頃にはDH10が牽引する貨物列車も通過したり時には停車したりでかなり茅ヶ崎では退屈する事なく相模線の待ち時間を過ごしたものだ。

写真はダイナミック✩トナカイ提供の日本版「オリエント・エクスプレスもどき」だそうだ。詳細は不明だが、撮影場所は東海道線・茅ヶ崎の十間坂付近で、よく見ると東海道貨物線を走っている。今こそ湘南ライナーなど貨物線に旅客が走ることはそれほど珍しい事ではないが、撮影当時ではかなりレアだったと思う。1983~1984年頃に撮影されたと推測。
私の経験からEF58が牽引した列車で印象に残っているのが、まずはサロンエクスプレス東京バージョンの「踊り子」だ。若い世代で踊り子が「客車」ということにまずイメージつかないかも知れないが、さらにEF58牽引というのが泣かせる。もちろん観光を目的とした臨時列車なのだが、サロンエクスプレスというのが時代を感じるでろう。私も撮影したのだが、後輩の「ダイナミック☆トナカイ」も茅ヶ崎で撮影してるのでこちらを紹介したい。というより、以前にも紹介したが、私の写真が紛失状態ということもありお力添えして頂いたということである。

こちらもダイナミック✩トナカイの、恐らく1982~1983年頃に撮影された臨時特急「踊り子」のサロンエクスプレス東京バージョン。運転窓に屋根付きのEF58は今思うと実に「いいね」を何度もクリックしたくなるような感じだ。
もうひとつは大磯で撮影した14系座席バージョンの特急「平和」だ。当日はギャラリーが多数いて、映像的に残念な結果となってしまったが、カラーリングもレトロ調に変更され貴重な部類になる。また、同じバージョンで日本版オリエントエクスプレスが運転されたらしいが、その撮影にダイナミック☆トナカイが撮影に成功しているのでこちらも紹介したい。

最後は私が撮影した臨時特急「平和(ちなみにピンフではないのであしからず)」。東海道線・大磯での撮影で1983年頃だったと思うのだが、パンタが切れ、更に他のギャラリーも入ってしまいやや残念な思いであるが、貴重な写真には変わらない!
私は神奈川県民で東海道線的な関わりが多かったが、上野方面では寝台特急や客車急行列車を多数牽引しており一度でいいから夜の上野で写真撮影をすれば良かったと今になって思う。親戚も東京は三ノ輪にいたし、例えば急行「越前」や24時近くに上野を出発する寝台急行「新星」や急行「妙高」なども撮影できたはず。もちろん朝早くから上り列車の到着を待ってといったパターンもあるが、当時は小学生~中学生だったし社会的制約もあっただろう。そのわりには中学生時代には「青春18」を駆使して全国を駆け巡ったりしていたので、後は自身の発想と行動力だなと今になり実感している。
そんな個人的な事はともかく、EF58が名車である事には変わらない。「客車」という概念が古くなってしまった現在、こうした機関車は役目を終えたり出番の減少などで見る機会が極端に少なくなった。だが、ブルートレインを牽引するEF58を再び見てみたいと思うのは私だけであろうか・・・

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私がつい最近まで所有していたプラレールのEF58。ご覧の通り、ブルートレインの歴代機関車を並べてみた。プラレールでも凄く雰囲気と存在感のあるEF58は国鉄時代の機関車としては名作であろう。
「最近気になる」と言ったが、その「気になる」は既に昭和の時代に大活躍しており、平成ではフェードアウトしていき、令和の現在では既に風前の灯火である。そもそも「お召し列車」としてのイメージも強いEF58であるが、直流電気機関車の中では国鉄時代を知る者にとって特別な存在だったのではないか。私の知る当時の東京発寝台特急はEF65 500番台が主力で、後に1000番台に移行された時代に、東京発では唯一のEF58牽引である寝台急行「銀河」は特異に煌めく存在であった。
また、貨物列車もEF58で牽引されていたが「フレートライナー」EF66も主力で活躍しており茅ヶ崎駅の相模線と東海道線の間にある貨物側線を通過する貨物列車を見るのがひとつの楽しみでもあった。特に夕方5時頃にはDH10が牽引する貨物列車も通過したり時には停車したりでかなり茅ヶ崎では退屈する事なく相模線の待ち時間を過ごしたものだ。

写真はダイナミック✩トナカイ提供の日本版「オリエント・エクスプレスもどき」だそうだ。詳細は不明だが、撮影場所は東海道線・茅ヶ崎の十間坂付近で、よく見ると東海道貨物線を走っている。今こそ湘南ライナーなど貨物線に旅客が走ることはそれほど珍しい事ではないが、撮影当時ではかなりレアだったと思う。1983~1984年頃に撮影されたと推測。
私の経験からEF58が牽引した列車で印象に残っているのが、まずはサロンエクスプレス東京バージョンの「踊り子」だ。若い世代で踊り子が「客車」ということにまずイメージつかないかも知れないが、さらにEF58牽引というのが泣かせる。もちろん観光を目的とした臨時列車なのだが、サロンエクスプレスというのが時代を感じるでろう。私も撮影したのだが、後輩の「ダイナミック☆トナカイ」も茅ヶ崎で撮影してるのでこちらを紹介したい。というより、以前にも紹介したが、私の写真が紛失状態ということもありお力添えして頂いたということである。

こちらもダイナミック✩トナカイの、恐らく1982~1983年頃に撮影された臨時特急「踊り子」のサロンエクスプレス東京バージョン。運転窓に屋根付きのEF58は今思うと実に「いいね」を何度もクリックしたくなるような感じだ。
もうひとつは大磯で撮影した14系座席バージョンの特急「平和」だ。当日はギャラリーが多数いて、映像的に残念な結果となってしまったが、カラーリングもレトロ調に変更され貴重な部類になる。また、同じバージョンで日本版オリエントエクスプレスが運転されたらしいが、その撮影にダイナミック☆トナカイが撮影に成功しているのでこちらも紹介したい。

最後は私が撮影した臨時特急「平和(ちなみにピンフではないのであしからず)」。東海道線・大磯での撮影で1983年頃だったと思うのだが、パンタが切れ、更に他のギャラリーも入ってしまいやや残念な思いであるが、貴重な写真には変わらない!
私は神奈川県民で東海道線的な関わりが多かったが、上野方面では寝台特急や客車急行列車を多数牽引しており一度でいいから夜の上野で写真撮影をすれば良かったと今になって思う。親戚も東京は三ノ輪にいたし、例えば急行「越前」や24時近くに上野を出発する寝台急行「新星」や急行「妙高」なども撮影できたはず。もちろん朝早くから上り列車の到着を待ってといったパターンもあるが、当時は小学生~中学生だったし社会的制約もあっただろう。そのわりには中学生時代には「青春18」を駆使して全国を駆け巡ったりしていたので、後は自身の発想と行動力だなと今になり実感している。
そんな個人的な事はともかく、EF58が名車である事には変わらない。「客車」という概念が古くなってしまった現在、こうした機関車は役目を終えたり出番の減少などで見る機会が極端に少なくなった。だが、ブルートレインを牽引するEF58を再び見てみたいと思うのは私だけであろうか・・・

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「森と水とロマン」を求めて・・・(後編)
2013-10-09
さて、「初」SLに心躍る・・・事は無かったが、やはり観光列車だけあって、ある意味やりやすい。これから貴重な体験になっていくであろう地上時代の新潟駅を出発する。沼垂辺りがやたら線路が多くて喧しいくらいだが、沢山の車両も留置されており我々を楽しませてくれる。しかしながらレールファンを再開したばかりの私にしてみたら、見た事のない車両も多くあり若干戸惑いを隠せなかった。だが「昭和」の車両も多く見かけ、なんだか懐かしさがこみ上げたのも事実である。

(新潟駅にて。地上時代は間もなく見納めか・・・)
そういえばこの私が乗っている車両、乗車前からすぐに「12系客車」とわかった。かつて急行「八甲田」等に使用されていて散々お世話になっており懐かしい。現在はこの12系客車が全国各地の観光列車などで見かけるようになった。と言ってもほぼ全て改造されてはいるが。しかし14系や50系の客車はめっきり見かけなくなったが、いったい今頃何をしているのか・・・と言っても長い年月とJRの「方針」によって「客車」という概念がほぼフェイドアウトしている現在だが、何らかの形で残っている事と思っていたが、果たして・・・

(映画「男はつらいよ」では、第5作で寅二郎が「釜炊きかぁ~」のシーンでお馴染みのSL。職員の姿が凛々しい。)
列車は新津に到着。四方から路線が集まる「ジャンクション」であり配線も複雑である一方、新潟近郊とあって乗降客も多い。ホームには「ばんえつ仕様」の駅名表や撮影用ボードなどもありなかなか観光ムード満点だ。だが、私にしてみればこの新津より「西線」に入るためとても重要な「ジャンクション」となる。制覇の証も欠かせない。
そういえば、前回の西線訪問の際も「客車列車」であった。もちろんSLではなくDLであるが、この西線では気動車や電車に乗ったことが無い。今もこうしてSLながら客車に揺られていると、なんだかとても懐かしくなってくる。とは言え「観光列車」のため若干雰囲気が独特であるが、それはそれで楽しめばいい。

(恐らく野沢と思われる。12系客車の改造と一目でわかる。ちょうどリニューアル間もない頃で、以前とはカラーが異なる。)
五泉に到着すると、以前から気になっていた事の確認作業に気が逸る。そう、2000年を待たずに去ってしまったあの「蒲原鉄道」の痕跡を確認するためだ。だが、私が想像していた以上に「何もない」状態で、更地になった空間だけが、かつての歴史を無言で語ってくれた。本当に何もない・・・せめて村松まででも乗っておけばよかった。
そんなかつての思いが募りながらもSLばんえつは会津若松目指す。津川などを過ぎると日出谷に停車。日出谷と言えばかつてのSL時代は中継所として栄え機関車の給水などが行われていたが、現在はすっかり寂しくなってしまった。しかし「SLばんえつ」が運転されると停車駅となり弁当なども販売されるようになり、かつての盛栄を若干取り戻した感じだ。だがこの駅弁も現在は無くなってしまったらしく非常に残念であるが、是非とも再開して欲しい思いだ。

(どこの駅だか記憶にないが、恐らくこちらも野沢だと思う。「列車交換の為停車します」のアナウンスで一斉に乗客がホームにあふれた。)
そうこうしているうちに喜多方に着く時間帯となった。下車するのはおそらく私たちくらいであろう。途中「展望車両」では子供向けにじゃんけん大会などの催し物が行われるなど、観光的には飽きさせない内容となっている。しかしなんだか様子が変だ・・・列車の様子ではない。そう、私の「様子」だ。
「ムーンライト」での訪問で若干睡眠不足的な要素もあるであろうが、それとは違った何か・・・おそらく「観光的」なところであろう。観光列車は観光列車で楽しいし楽しめるのだが、やはり私は観光仕様ではない「旧型客車」の方が、私の体質的にはあっているようだ。通常の列車で旅をすると、非日常の中に「日常」を感じ取れるが、観光列車だと「非日常の中の非日常」となり若干「灰汁」が強い。

(車内では「じゃんけん大会」等のイベントが行われた。子供たちは大喜びだ。)
喜多方では、郷土料理(?)の「ラーメン」を、駅前の食堂でいただいた。なかなかシンプルで懐かしい味。なんだか「おふくろの味」とでも言おうか、飾り気のない「ラーメン」という文字が一枚の紙に書かれ店内のメニューとして貼ってある・・・そんな「下町的な」味わいの印象であった。「仕込では何時間も煮込んだりして灰汁も丹念に取ったりしているんだろうなぁ」などと考えてしまったが、そんな事全く感じさせない主(あるじ)は普通のおばちゃんであった。私たちの見えないところで「職人魂」がしっかりとスープに「闘魂注入」されている事であろう。
そんな事を考えながら、次の只見線制覇に向けて会津若松に向かった。
あっ、この会津若松に向かう際に磐越西線で初めて気動車に乗りました!ヨロシク!

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(新潟駅にて。地上時代は間もなく見納めか・・・)
そういえばこの私が乗っている車両、乗車前からすぐに「12系客車」とわかった。かつて急行「八甲田」等に使用されていて散々お世話になっており懐かしい。現在はこの12系客車が全国各地の観光列車などで見かけるようになった。と言ってもほぼ全て改造されてはいるが。しかし14系や50系の客車はめっきり見かけなくなったが、いったい今頃何をしているのか・・・と言っても長い年月とJRの「方針」によって「客車」という概念がほぼフェイドアウトしている現在だが、何らかの形で残っている事と思っていたが、果たして・・・

(映画「男はつらいよ」では、第5作で寅二郎が「釜炊きかぁ~」のシーンでお馴染みのSL。職員の姿が凛々しい。)
列車は新津に到着。四方から路線が集まる「ジャンクション」であり配線も複雑である一方、新潟近郊とあって乗降客も多い。ホームには「ばんえつ仕様」の駅名表や撮影用ボードなどもありなかなか観光ムード満点だ。だが、私にしてみればこの新津より「西線」に入るためとても重要な「ジャンクション」となる。制覇の証も欠かせない。
そういえば、前回の西線訪問の際も「客車列車」であった。もちろんSLではなくDLであるが、この西線では気動車や電車に乗ったことが無い。今もこうしてSLながら客車に揺られていると、なんだかとても懐かしくなってくる。とは言え「観光列車」のため若干雰囲気が独特であるが、それはそれで楽しめばいい。

(恐らく野沢と思われる。12系客車の改造と一目でわかる。ちょうどリニューアル間もない頃で、以前とはカラーが異なる。)
五泉に到着すると、以前から気になっていた事の確認作業に気が逸る。そう、2000年を待たずに去ってしまったあの「蒲原鉄道」の痕跡を確認するためだ。だが、私が想像していた以上に「何もない」状態で、更地になった空間だけが、かつての歴史を無言で語ってくれた。本当に何もない・・・せめて村松まででも乗っておけばよかった。
そんなかつての思いが募りながらもSLばんえつは会津若松目指す。津川などを過ぎると日出谷に停車。日出谷と言えばかつてのSL時代は中継所として栄え機関車の給水などが行われていたが、現在はすっかり寂しくなってしまった。しかし「SLばんえつ」が運転されると停車駅となり弁当なども販売されるようになり、かつての盛栄を若干取り戻した感じだ。だがこの駅弁も現在は無くなってしまったらしく非常に残念であるが、是非とも再開して欲しい思いだ。

(どこの駅だか記憶にないが、恐らくこちらも野沢だと思う。「列車交換の為停車します」のアナウンスで一斉に乗客がホームにあふれた。)
そうこうしているうちに喜多方に着く時間帯となった。下車するのはおそらく私たちくらいであろう。途中「展望車両」では子供向けにじゃんけん大会などの催し物が行われるなど、観光的には飽きさせない内容となっている。しかしなんだか様子が変だ・・・列車の様子ではない。そう、私の「様子」だ。
「ムーンライト」での訪問で若干睡眠不足的な要素もあるであろうが、それとは違った何か・・・おそらく「観光的」なところであろう。観光列車は観光列車で楽しいし楽しめるのだが、やはり私は観光仕様ではない「旧型客車」の方が、私の体質的にはあっているようだ。通常の列車で旅をすると、非日常の中に「日常」を感じ取れるが、観光列車だと「非日常の中の非日常」となり若干「灰汁」が強い。

(車内では「じゃんけん大会」等のイベントが行われた。子供たちは大喜びだ。)
喜多方では、郷土料理(?)の「ラーメン」を、駅前の食堂でいただいた。なかなかシンプルで懐かしい味。なんだか「おふくろの味」とでも言おうか、飾り気のない「ラーメン」という文字が一枚の紙に書かれ店内のメニューとして貼ってある・・・そんな「下町的な」味わいの印象であった。「仕込では何時間も煮込んだりして灰汁も丹念に取ったりしているんだろうなぁ」などと考えてしまったが、そんな事全く感じさせない主(あるじ)は普通のおばちゃんであった。私たちの見えないところで「職人魂」がしっかりとスープに「闘魂注入」されている事であろう。
そんな事を考えながら、次の只見線制覇に向けて会津若松に向かった。
あっ、この会津若松に向かう際に磐越西線で初めて気動車に乗りました!ヨロシク!

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「森と水とロマン」を求めて・・・(前編)
2013-10-07
2007年10月・・・秋も深まりいささか過ごしやすくなったこの季節に、私はレールファン再開の時を迎え「いい旅チャレンジ20000km」の「再チャレンジ」を心に誓った。2013年現在、私は沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇した。厳密に言えば「残し」なので全線ではないが、5年後の延伸にあわせて訪問予定なのでそのときに「全線」は達成できるであろう。
2007年時点では恐らく日本の鉄道路線の半分にも満たなかったであろう制覇路線も、気づいたら上記の状態にまでついに来てしまった。
そんな中、この2007年に乗車した「SLばんえつ物語号」は地味に新鮮だったりしたが、私は特にSL好きという訳でもない。しかしながら「こんなところにもSLが走るようになったんだなぁ」と、ある意味関心していた当時の私であった。

(画像提供はミックマテリアル様より(いつもお世話になってます)。1979年の会津若松にて。昔はこんな感じでした。やたら編成が長いのが考えられない・・・)
磐越西線は1983年8月に郡山~喜多方までは制覇していた。当時は「日中線」の訪問がそもそもの目的であったため、喜多方~新津は未乗車線区のままであった。そこで時は流れた2007年に残りの喜多方~新津を制覇する目的で「SL」に目を付けた訳である。プラス、喜多方といえば・・・そう、あの「〇ー〇〇」である!SLの乗車は会津若松まで行かず、この喜多方で下車することにした。
思えばこういう「観光要素」みたいなものを、かつては取り入れる旅の計画を組んだことが無かったため、私にしてみれば実に新鮮な旅になったと思う。そう、日本全国鉄道で駆け巡る・・・と言ってもその「土地」には郷土料理や文化が存在し「営み」がある。そういうものの「再発見」をする旅があっても良いではないか。

(1981年、日出谷~豊実にて。私はこの2年後に訪問。画像提供はミックマテリアル様より。)
などとやたら理屈っぽくなってしまったが、2007年10月、私が新潟駅に着いたのが朝9時半である。新幹線で来たわけではない。そう、あの「月明かりえちご」に乗って遥々やって来たのだ。と言っても新潟には未明の5時前に到着してしまい9時43分発のSLまで「何してろ!」ということになる。しかし心配はご無用。未乗車線区の羽越本線・新津~坂町と弥彦線を制覇する計画を組み込んでいたのだ。それらを制覇すると新潟に9時半に到着しちょうど良い時間になる。と言ってもハッキリ言って「ギリギリ」ですな・・・

(新潟駅にての「バンモノ」。私の乗車した「初」SL牽引列車である。)
で、実は私の「初」SLがこの「SLばんえつ物語号」である。しかし「ギリギリ」のため新潟駅ではあまり写真を撮影する時間が無く、もっと余裕を持った計画を組めばと思ったが、やはり「詰め込む」のは癖なのか・・・
ホームでは既に人だかりが見られ更に撮影に苦労する。特に家族連れが多数を占め、それこそ「鉄道の日記念きっぷ」を握り締めた乗客が大半であろう。私もその中の「約1名」となってSLに乗り込んだ。

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2007年時点では恐らく日本の鉄道路線の半分にも満たなかったであろう制覇路線も、気づいたら上記の状態にまでついに来てしまった。
そんな中、この2007年に乗車した「SLばんえつ物語号」は地味に新鮮だったりしたが、私は特にSL好きという訳でもない。しかしながら「こんなところにもSLが走るようになったんだなぁ」と、ある意味関心していた当時の私であった。

(画像提供はミックマテリアル様より(いつもお世話になってます)。1979年の会津若松にて。昔はこんな感じでした。やたら編成が長いのが考えられない・・・)
磐越西線は1983年8月に郡山~喜多方までは制覇していた。当時は「日中線」の訪問がそもそもの目的であったため、喜多方~新津は未乗車線区のままであった。そこで時は流れた2007年に残りの喜多方~新津を制覇する目的で「SL」に目を付けた訳である。プラス、喜多方といえば・・・そう、あの「〇ー〇〇」である!SLの乗車は会津若松まで行かず、この喜多方で下車することにした。
思えばこういう「観光要素」みたいなものを、かつては取り入れる旅の計画を組んだことが無かったため、私にしてみれば実に新鮮な旅になったと思う。そう、日本全国鉄道で駆け巡る・・・と言ってもその「土地」には郷土料理や文化が存在し「営み」がある。そういうものの「再発見」をする旅があっても良いではないか。

(1981年、日出谷~豊実にて。私はこの2年後に訪問。画像提供はミックマテリアル様より。)
などとやたら理屈っぽくなってしまったが、2007年10月、私が新潟駅に着いたのが朝9時半である。新幹線で来たわけではない。そう、あの「月明かりえちご」に乗って遥々やって来たのだ。と言っても新潟には未明の5時前に到着してしまい9時43分発のSLまで「何してろ!」ということになる。しかし心配はご無用。未乗車線区の羽越本線・新津~坂町と弥彦線を制覇する計画を組み込んでいたのだ。それらを制覇すると新潟に9時半に到着しちょうど良い時間になる。と言ってもハッキリ言って「ギリギリ」ですな・・・

(新潟駅にての「バンモノ」。私の乗車した「初」SL牽引列車である。)
で、実は私の「初」SLがこの「SLばんえつ物語号」である。しかし「ギリギリ」のため新潟駅ではあまり写真を撮影する時間が無く、もっと余裕を持った計画を組めばと思ったが、やはり「詰め込む」のは癖なのか・・・
ホームでは既に人だかりが見られ更に撮影に苦労する。特に家族連れが多数を占め、それこそ「鉄道の日記念きっぷ」を握り締めた乗客が大半であろう。私もその中の「約1名」となってSLに乗り込んだ。

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「SLやまぐち号」初体験!
2013-05-10

「SLやまぐち号」は山口県の山口線「新山口~津和野」までの蒸気機関車牽引の客車列車です・・・などと説明するまでもなく一般の認知度は高く、全国各地から観光客がやってきます。新山口のかつての駅名「小郡」。雰囲気出てます。

列車は客車を押しながら入線。最後尾は展望車である。とりあえず「下り」のみのお約束です。

車掌さんもこの日ばかりは大サービス。記念撮影など気軽に応じてくれます。

ヘッドマークは、かつての「ブルートレイン」などでよく観られたが、現在は機関車牽引の列車が殆どなくなってしまったため貴重なものとなってしまったが、これからもバックの鶴のように元気よく羽ばたいていただきたい。

入線の際の運転手の表情は実に穏やかだが、これから観光客を乗せ津和野へ向かう「シゴナナ」も気合が入る。

写真を観て初めて気づいたが「昭和12年製造」とは!もう70年以上もたっている。人間で言えば晩年の部類に入るが、メンテナンスが行き届き、とても「ご高齢」とは思えぬボディだ。

国鉄時代に最初に観光用としてSLが復活したのがここ山口線であった。あれから20年以上経っていると思うが、私は乗車する機会に恵まれなかった。今回乗車の際にも切符が手に入らず「キャンセル待ち」の状況。発売日翌日に団体客のキャンセルが入り無事ゲットできた。

私の乗車座席は「欧風」。「昭和」や「大正」などの座席が用意され乗客を飽きさせない。


「SL弁当」なるものを購入。中身を見ると・・・「どこがSLじゃぁー!」とでも言いたくなるような彩だが、何かの番組で「SL見つけました!動輪~っ!」とレンコンを翳していた。

と思ったら、あっという間に津和野着。早速「新山口」から同じ顔ぶれの面々が記念撮影を行っていた。

津和野駅舎。コインロッカーに荷物を入れようと思ったら・・・満室!バッグが入らない小さなロッカーのみ若干空いていたが・・・観光名所なんだからもっと増やしてくれようなぁ~、JR西日本!仕方なく駅前のレンタサイクル屋さんで荷物を預け自転車にて街に繰り出す・・・と思ったらしばらくして「雨」!即座に自転車を返却・・・最悪の展開だ!

しばらくすると雨もあがってきたため街を散策。映画「男はつらいよ」のロケ地にもなった津和野は、やはり観光名所と言って差し支えない。私も観光客のひとりとなって街並みを堪能した。

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鉄道全線完全制覇の旅