「青春18」で伊賀の里から近江へ⑥
2021-10-20
高宮へ戻ってきた私は、いよいよ終点の米原を目指す。しかしながら鉄道地図を見てるとどうしてもマイナーに映ってしまう彦根を忘れてはならない。かつては城下町として栄えた彦根であるが、現在も利用者は多い。街としてはむしろ米原より彦根の方が繁栄しており、米原は新幹線と在来線との乗り換え駅としての役割が大きい。もちろん彦根でも東海道本線に乗り換えられるので、その重要性に変わりはない。

八日市ではご覧の車両と出会った。私的には馴染みある700形であるが、なんと2019年に引退していたとの情報を得たのは驚きであった。もちろん私も乗車したが、クロスシートの車内は優等列車的優越感がたまらない乗り心地であった。
そんなこんなで終点の米原に着く。米原~彦根間は東海道本線と並走する形をとるが、完全に並列したりJRの線路を共同使用するわけでなく、あくまでも別ルートにこだわりを見せ両者は一旦離れた位置を並走する。
米原では新幹線もやってくるため近江鉄道がやや華奢に見えてしまうが、JR側もかなりの配線変更や整理が行われたらしく、かなりスリムになった。そしてそのスリムなJRに近江鉄道が歩み寄る感じでホームが新設され乗り換えが非常にスムーズになった。
次の制覇路線は長良川鉄道である。米原より東海道線で「関ヶ原越え」をしなければならない。長良川鉄道の模様は既に過去に紹介した「長良川艶歌」を若干リメイクして次の章でお届けしようと思う。
ただ、国鉄の越美南線時代を含め長良川鉄道は初体験である。既に樽見鉄道も制覇しているが、そちらは国鉄時代の「樽見線」も経験してからの制覇である。その模様も後日にお届けしようと思うが、どちらも「元国鉄」という事である。
よく鉄道誌やウィキなどでその路線の歴史を見てみると、概ね私鉄で発足し国が買収したり私鉄同士で吸収や合併などの歴史が存在する。特に私の地元である相模線ではその歴史に大きな変遷がいくつもありとても複雑だ。ただ、子供の頃の私は目の前の事象しかわからないので「昔は相模鉄道だった」などといわれてもあまりピンと来なかった。しかし、年月が流れ現在は「昔、長良川鉄道は国鉄だった」といわれてピンと来る。もしかしたら私はこうした「ピンと来る」ものを全線制覇の名を借りて求めているのかも知れない。

デイタイムの車内はこのようなイメージであろうか。特に今回の訪問時は夏休み期間であったろうがため朝夕の通学時間帯でもいつものような賑わいは感じられなかったかも知れない。
そして私はその「ピンと来る」ものを発見した時、当然ながらそこに歴史を感じることであろう。そしてかつての勇姿を頭に描いた時に感動がよろこびに変わる。
「旧き良き」という言葉があるが「新しいもの好き」もおられるであろう。私のブログをご覧になってお気付きであろうが「旧き良き」のウエイトが大きいが、らこれからはもう少し「新しいもの好き」を少々加えていくのもいいかなと思う。というより、ただ「新しいもの好き」を加えるのでなく「こうして旧き良きがあるから現在はこう変化してきたんだよ」というカラーが出せたらいいかなと思う。
もうすぐ相模線の車両更新が始まろうとしている。
もうあの205系が見られなくなるのは何となく複雑であるが、新たな可能性を見つけて更に羽ばたいてもらいたい。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

八日市ではご覧の車両と出会った。私的には馴染みある700形であるが、なんと2019年に引退していたとの情報を得たのは驚きであった。もちろん私も乗車したが、クロスシートの車内は優等列車的優越感がたまらない乗り心地であった。
そんなこんなで終点の米原に着く。米原~彦根間は東海道本線と並走する形をとるが、完全に並列したりJRの線路を共同使用するわけでなく、あくまでも別ルートにこだわりを見せ両者は一旦離れた位置を並走する。
米原では新幹線もやってくるため近江鉄道がやや華奢に見えてしまうが、JR側もかなりの配線変更や整理が行われたらしく、かなりスリムになった。そしてそのスリムなJRに近江鉄道が歩み寄る感じでホームが新設され乗り換えが非常にスムーズになった。
次の制覇路線は長良川鉄道である。米原より東海道線で「関ヶ原越え」をしなければならない。長良川鉄道の模様は既に過去に紹介した「長良川艶歌」を若干リメイクして次の章でお届けしようと思う。
ただ、国鉄の越美南線時代を含め長良川鉄道は初体験である。既に樽見鉄道も制覇しているが、そちらは国鉄時代の「樽見線」も経験してからの制覇である。その模様も後日にお届けしようと思うが、どちらも「元国鉄」という事である。
よく鉄道誌やウィキなどでその路線の歴史を見てみると、概ね私鉄で発足し国が買収したり私鉄同士で吸収や合併などの歴史が存在する。特に私の地元である相模線ではその歴史に大きな変遷がいくつもありとても複雑だ。ただ、子供の頃の私は目の前の事象しかわからないので「昔は相模鉄道だった」などといわれてもあまりピンと来なかった。しかし、年月が流れ現在は「昔、長良川鉄道は国鉄だった」といわれてピンと来る。もしかしたら私はこうした「ピンと来る」ものを全線制覇の名を借りて求めているのかも知れない。

デイタイムの車内はこのようなイメージであろうか。特に今回の訪問時は夏休み期間であったろうがため朝夕の通学時間帯でもいつものような賑わいは感じられなかったかも知れない。
そして私はその「ピンと来る」ものを発見した時、当然ながらそこに歴史を感じることであろう。そしてかつての勇姿を頭に描いた時に感動がよろこびに変わる。
「旧き良き」という言葉があるが「新しいもの好き」もおられるであろう。私のブログをご覧になってお気付きであろうが「旧き良き」のウエイトが大きいが、らこれからはもう少し「新しいもの好き」を少々加えていくのもいいかなと思う。というより、ただ「新しいもの好き」を加えるのでなく「こうして旧き良きがあるから現在はこう変化してきたんだよ」というカラーが出せたらいいかなと思う。
もうすぐ相模線の車両更新が始まろうとしている。
もうあの205系が見られなくなるのは何となく複雑であるが、新たな可能性を見つけて更に羽ばたいてもらいたい。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
「青春18」で伊賀の里から近江へ・・・⑤
2021-10-15
再び八日市に戻ってきた私は、彦根方面へ乗り換え高宮へ向かう。高宮より多賀線に乗り換えるのだが、多賀大社前とは聞きなれない駅名と感じるという事はやはり私の国鉄漬けの名残であるのか。西方面の私鉄路線はなかなか不得手の私であるが、東京近郊の私鉄路線や地下鉄路線さえ未だにまともに頭に入ってない。そんな私が私鉄路線も全て乗り尽くしてしまおうというのだから我ながら大したものだと我ながら感心してしまう。とはいえ、当時はまだまだ私鉄路線全線制覇の入口の段階であったので、これから数々の試練が待ち構えている事であろう。

「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」と聞いてピンときた貴方!それはまさしくグレイトですぞ!「日本の放送業界から締め出し喰ってけっこう悪名高いシビレる曲」としてファンの間では超有名である。
さて、高宮でいよいよ多賀線に乗るのであるが、八日市と同じく米原方面からは進行方向を変えずに直通できる配線となっている。小野田線の雀田的なイメージの三角ホームがあり、非常に乗り換えに便利な構造になっている。駅舎はかなりモダンな造りであったが2002年の完成とウィキに記されていたのでもう20年近く経とうとしているので意外に時間が経過していた。だがホームなどは昔ながらのイメージが強く、オールドファンには「待ってました!」的存在であろう。

高宮では例の三角ホームから多賀線に乗り換える。駅舎等のリニューアル化が進む中、昔のまま残されている設備も多く歴史を感じる連続であるため、退屈しない。いや、している暇がない。
三角ホームから大きくカーブすると、早速「スクリーン」に到着する。ご覧の通り通勤客の利便性を考慮して造られた駅である事は明確であるが、ちょっとウィキを覗いたら興味深い事が記されていた。この駅の開業は2008年であるが「SCREENホールディングス彦根事業所」の敷地内に駅があると記され、更に一企業の敷地内であるにも関わらず「鶴見線の海芝浦駅とは違い従業員以外も乗降が可能である」となっていた。それは凄い事である!私自身、海芝浦は何度か体験しているが、こちらのスクリーンは外部へと羽ばたけるのだから海芝浦とは違い訪問時の行動選択肢が格段に増えることであろう。

こちらは多賀大社前「駅」である。櫛形ホームの2面3線は、かつての賑わいを無言で語りかけている。とは言え、元旦等はこのホームもフル回転するのであろうか。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」と聞いてピンときた貴方!それはまさしくグレイトですぞ!「日本の放送業界から締め出し喰ってけっこう悪名高いシビレる曲」としてファンの間では超有名である。
さて、高宮でいよいよ多賀線に乗るのであるが、八日市と同じく米原方面からは進行方向を変えずに直通できる配線となっている。小野田線の雀田的なイメージの三角ホームがあり、非常に乗り換えに便利な構造になっている。駅舎はかなりモダンな造りであったが2002年の完成とウィキに記されていたのでもう20年近く経とうとしているので意外に時間が経過していた。だがホームなどは昔ながらのイメージが強く、オールドファンには「待ってました!」的存在であろう。

高宮では例の三角ホームから多賀線に乗り換える。駅舎等のリニューアル化が進む中、昔のまま残されている設備も多く歴史を感じる連続であるため、退屈しない。いや、している暇がない。
三角ホームから大きくカーブすると、早速「スクリーン」に到着する。ご覧の通り通勤客の利便性を考慮して造られた駅である事は明確であるが、ちょっとウィキを覗いたら興味深い事が記されていた。この駅の開業は2008年であるが「SCREENホールディングス彦根事業所」の敷地内に駅があると記され、更に一企業の敷地内であるにも関わらず「鶴見線の海芝浦駅とは違い従業員以外も乗降が可能である」となっていた。それは凄い事である!私自身、海芝浦は何度か体験しているが、こちらのスクリーンは外部へと羽ばたけるのだから海芝浦とは違い訪問時の行動選択肢が格段に増えることであろう。

こちらは多賀大社前「駅」である。櫛形ホームの2面3線は、かつての賑わいを無言で語りかけている。とは言え、元旦等はこのホームもフル回転するのであろうか。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
「青春18」で伊賀の里から近江へ④
2021-10-10
全くノーマークだった近江鉄道の風景は、まさに昭和を受け継ぐ風景であった。車両こそモダンな構えであるが、駅や駅舎は昔ながらが主だっている。もちろん近江鉄道の存在は知っていたが、実際に訪問してみると発見的な何かを感じる。そしてアドベンチャーな気分にさせてくれる。
地方の私鉄に関しては書物的な知識が殆どで、昔でいう国鉄路線ばかりを巡っていた私にとってこうした地方の私鉄はいつも新鮮であることは先述通りであるが、特に「古き良き」が健在である場合が多いのは大きな収穫であろう。人によっては「古臭い」などと感じるかも知れないが、逆にいえば先輩たちがリアルタイムで感じていた事を、我々後輩も同じような気持ちで体感できるチャンスでもあるのだ。そうした中での近江鉄道は正にチャンス到来なのである。

貴生川で乗り換える近江鉄道はご覧の通り西武鉄道の車両が主役である。後で調べてみると、近江鉄道は西武グループであることが判明。西武といえばライオンズ。ライオンズといえば・・・西鉄であった事がある意味有名であるが、その後「太平洋クラブ」「クラウンライター」と変遷して現在の西武傘下になったのは、特に若い世代ではご存知であろうか?クラウンライターは確か2年くらいの短命であったが、白とオレンジっぽいユニフォームが当時は斬新で私は好きであった。
さて、歴史を感じる貴生川を出ると、やがて草津線や信楽高原鐵道が早速小さくフェードアウトしていく。失礼ながら乗客は僅少であったが、やはり冒頭で感じたように近江鉄道は風情ある駅がそのまま健在のイメージであったのである意味「いい意味で裏切られた」といったような思いであった。途中、桜川でもその風情っぷりは満載で、思わず降りてしまおうかと思ってしまうくらい昔を感じてしまう駅であった。
そして隣はズバリ「京セラ前」という事で通勤客が多く見込めそうな駅名であるが、京セラといえば、あの人気プロレスラー小橋建太がサラリーマンとして数年勤めていた会社である!この近江鉄道沿線にある京セラにいたかどうかは別として、小橋建太を語る上ではこの京セラは欠かせないキーワードであろう(かどうかは別として・・・)。

ご覧の通り桜川は昭和を感じる風情ある駅である。駅建家にある「アース」は定番のアイテムであろうが、それこそ「水原弘」や「松山容子」が揃っていたらもう文句は無しであろう。
さて、私の旅は「全線制覇」がテーマであるため次の八日市で下車し近江八幡へ向かう。八日市は米原からの列車はそのまま進行方向を変えずに近江八幡方面へ進めるが、貴生川からだとスイッチバックの形をとらなければ進めない配線となっている。八日市から近江八幡までは9.9キロと短いが、駅はかなりリニューアルされているものが多い。その中でも新八日市や太郎坊宮前など風情ある駅も多いのが特徴である。

八日市線や八日市周辺では複雑な変遷があったらしいが、現在の形になったのは1946年らしい。ここで近江八幡方面へ乗り換える。
終点の近江八幡では計画的に昼食タイムを組んであるが、私が想像していた以上に駅周辺は繁栄していた。駅前にある飲食店でしばしの休憩タイム。かつての私の旅ではこうして予め昼食を予定に組み込むなど考えられない事であったので何となく新鮮である。列車がある限り前に進む、計画を詰め込むということに美学を感じていたのだから、やっている本人も当時はやや違和感を感じたほどだ。であるが、やはり年齢を重ねるとこうした余裕をもった旅をしないと逆に息が詰まってくるかも知れない。しかしながら更にその逆もあり、計画が詰まっていないと不安になってしまうのも昔の癖が抜けないという事なのだろうか。複雑な気持ちを抱えながら近江八幡を後にした。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
地方の私鉄に関しては書物的な知識が殆どで、昔でいう国鉄路線ばかりを巡っていた私にとってこうした地方の私鉄はいつも新鮮であることは先述通りであるが、特に「古き良き」が健在である場合が多いのは大きな収穫であろう。人によっては「古臭い」などと感じるかも知れないが、逆にいえば先輩たちがリアルタイムで感じていた事を、我々後輩も同じような気持ちで体感できるチャンスでもあるのだ。そうした中での近江鉄道は正にチャンス到来なのである。

貴生川で乗り換える近江鉄道はご覧の通り西武鉄道の車両が主役である。後で調べてみると、近江鉄道は西武グループであることが判明。西武といえばライオンズ。ライオンズといえば・・・西鉄であった事がある意味有名であるが、その後「太平洋クラブ」「クラウンライター」と変遷して現在の西武傘下になったのは、特に若い世代ではご存知であろうか?クラウンライターは確か2年くらいの短命であったが、白とオレンジっぽいユニフォームが当時は斬新で私は好きであった。
さて、歴史を感じる貴生川を出ると、やがて草津線や信楽高原鐵道が早速小さくフェードアウトしていく。失礼ながら乗客は僅少であったが、やはり冒頭で感じたように近江鉄道は風情ある駅がそのまま健在のイメージであったのである意味「いい意味で裏切られた」といったような思いであった。途中、桜川でもその風情っぷりは満載で、思わず降りてしまおうかと思ってしまうくらい昔を感じてしまう駅であった。
そして隣はズバリ「京セラ前」という事で通勤客が多く見込めそうな駅名であるが、京セラといえば、あの人気プロレスラー小橋建太がサラリーマンとして数年勤めていた会社である!この近江鉄道沿線にある京セラにいたかどうかは別として、小橋建太を語る上ではこの京セラは欠かせないキーワードであろう(かどうかは別として・・・)。

ご覧の通り桜川は昭和を感じる風情ある駅である。駅建家にある「アース」は定番のアイテムであろうが、それこそ「水原弘」や「松山容子」が揃っていたらもう文句は無しであろう。
さて、私の旅は「全線制覇」がテーマであるため次の八日市で下車し近江八幡へ向かう。八日市は米原からの列車はそのまま進行方向を変えずに近江八幡方面へ進めるが、貴生川からだとスイッチバックの形をとらなければ進めない配線となっている。八日市から近江八幡までは9.9キロと短いが、駅はかなりリニューアルされているものが多い。その中でも新八日市や太郎坊宮前など風情ある駅も多いのが特徴である。

八日市線や八日市周辺では複雑な変遷があったらしいが、現在の形になったのは1946年らしい。ここで近江八幡方面へ乗り換える。
終点の近江八幡では計画的に昼食タイムを組んであるが、私が想像していた以上に駅周辺は繁栄していた。駅前にある飲食店でしばしの休憩タイム。かつての私の旅ではこうして予め昼食を予定に組み込むなど考えられない事であったので何となく新鮮である。列車がある限り前に進む、計画を詰め込むということに美学を感じていたのだから、やっている本人も当時はやや違和感を感じたほどだ。であるが、やはり年齢を重ねるとこうした余裕をもった旅をしないと逆に息が詰まってくるかも知れない。しかしながら更にその逆もあり、計画が詰まっていないと不安になってしまうのも昔の癖が抜けないという事なのだろうか。複雑な気持ちを抱えながら近江八幡を後にした。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
「青春18」で伊賀の里から近江へ③
2021-10-05
伊賀上野を出ると早速伊賀鉄道の中心であり沿線最大の都市でもある上野市に着く。かつて西名張にあった伊賀線の車両基地がここ上野市に移されますます重要性を高め賑やかになった。ただ、私はその当時はまだ生まれてなかったのであまり実感的なものを感じないが、やはり車庫の無かった当時、そして当時の西名張を体験したくなる。せめて日を改めて廃線跡でも辿りたい気持ちであるが、西名張と言えば当然ながら名張の西に位置するであろう。更に名張といえば、あの名松線の伊勢奥津から延伸予定であった終着駅である。もちろん名松線の「名」の字は名張からチョイスしたものであるが、周知の通り、松阪からのこの区間は完全に近鉄と並走する形となり、国鉄時代からのルートでは当然ながら試合前から決着がついているようなものだ。それ以前に赤字ローカル線廃止候補に挙がった記憶であるが、よく今の時代まで生き延びたものだ。

伊賀上野より伊賀鉄道に乗車。駅名標の表示はJRだが、となりの駅名は伊賀鉄道となっていて何かと複雑。
と話が逸れてしまったが、上野市でのインターバルはたったの4分。どこかの路線バス的な旅番組ではないが、伊賀鉄道を制覇するのが目的である。じっくりと車庫の車両を堪能する時間も余裕もない。ひたすら前に進むのみである。
しかしながらこの上野市前後では「ここは東京か?」と思ってしまうくらいの駅名が続く。「西大手」「広小路」「茅町」など、どこかで聞いたような名前やそれに近い駅名ばかりだ。

やはり「メーテル」っぽい原作者の特徴が現れている特殊メイクの東急車輛。「忍び」にしては目立ちすぎているよねっ!
更に進むと、私の訪問時にはなかったが「四十九」付近を過ぎる。というか、その存在すら知らなかったのであるからむしろ今の四十九は新駅としてのイメージが強い。現在はイオンタウンの最寄駅として使命を果たしているが、2017年の移転復活までの間は、なんと正式廃止の1969年からずっと駅が無かった事になるのだから感慨深い。そして1969年といえば私の生まれた年。もちろん私は四十九駅の生まれ変わりでもなんでも無いのだが、何となく新駅誕生は嬉しい気持ちになる。
やがて列車は利用者ワーストの上林を過ぎ終点の伊賀神戸に着く。すぐ横には近鉄のビスタカーあたりがビュンビュン飛ばしながら通過していく。私の訪問前には駅の改良工事がなされたが、改良前の姿が経験無いためどう変化したのかはわかりづらいのだが、西名張までの廃止路線は全く面影がなく、その存在すら最初から無かったかのようであった。

伊賀神戸では伊賀鉄道は独立したホームより発着する。元々は近鉄であったが、フェンスではっきり仕切られ「全く別会社だよっ!」とアピールしているようだ。
伊賀上野に戻り再びJRで、今度は近江鉄道を目指す。柘植で草津線に乗り換えるのだが、実はこの柘植にくるのも1982年以来で超久々である。当時から変わらぬあの弧を描くホームは健在であつったが、更にここから草津線に乗るのも1982年以来なのでこれからワクワクする。
草津線で貴生川に到着すると、前回の訪問ではここで信楽線(現信楽高原鐵道)に乗り換えたが、今回は「別料金」の近江鉄道に乗り換える。ほぼ昔と変わらぬ風景では久々感を得たが、せっかくレールが繋がっているのであれば、いや、例え繋がっていなくても、草津線も電化されているのだから相互乗り入れ何かも面白いのではと勝手に想像してしまう。機関車牽引式にして信楽高原鐵道との直通運転も面白い。

桃色バージョンもある!私からしたら何となく近鉄らしくないイメージである木造のホーム屋根が健在であるのは意外であった。「今しか見れない鉄道風景」であろうが、是非とも永遠に残して欲しい。
いずれにしても、貴生川は鉄道の要衝であることは間違いない。ただ、駅の雰囲気は既に昭和の香りがする。今回の伊賀鉄道も近江鉄道も予備知識の無いままの参戦であるが、国鉄にはそこそこの知識はあるのに私鉄にはかなり疎い。それは恐らく「時刻表」にあると思う。1980年代の私の愛読書といえば時刻表であったのだが、例えば交通公社の時刻表では「国鉄監修」のためか、大手私鉄でさえ巻末付近の始発と終電くらいしか掲載されていない。むしろ地方私鉄の方が全列車掲載されていたりするのだが、第三セクターの一部路線のように国鉄(JR)と同じページなどに掲載されておらず、むしろ地味なイメージになってしまっているためページを開くタイミングが少なかった気がする。もちろんそれは時刻表に限ってのイメージかも知れないが、現在のようにインターネットなどで簡単に情報を得ることができなかったため、いわゆる知識不足が現在に至っているのである。特に関西方面の大手私鉄に至っては近年に得た情報が多いため昔からの馴染み深さが薄い。そのような事からJRと私鉄の格差が私の中ではできてしまっている。

柘植はこの弧を描く独特のホームが特徴的。昔と変わらぬ風景が実に素晴らしい。
2007年以降にJRのみならず私鉄を含む鉄道路線全線制覇を決意してからその格差が徐々に埋まっていくのが自分の中では面白い。こうしてかつての空白も埋まっていくのだなとの実感しながら未知の路線に挑むのも悪くない。
近江鉄道の時刻表は確認してあるが、基本的にどこの駅にどのような特徴があるとかは全くわからない。とはいえ、行き当たりバッタリで新たな発見をするのもいいではないか。とりあえず今回の目的は制覇にある。まずは八日市で乗り換え近江八幡に行けばいいではないか。などと呑気にロングシートに腰を掛けたら、この先にはとんでもない風景が待っていた。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

伊賀上野より伊賀鉄道に乗車。駅名標の表示はJRだが、となりの駅名は伊賀鉄道となっていて何かと複雑。
と話が逸れてしまったが、上野市でのインターバルはたったの4分。どこかの路線バス的な旅番組ではないが、伊賀鉄道を制覇するのが目的である。じっくりと車庫の車両を堪能する時間も余裕もない。ひたすら前に進むのみである。
しかしながらこの上野市前後では「ここは東京か?」と思ってしまうくらいの駅名が続く。「西大手」「広小路」「茅町」など、どこかで聞いたような名前やそれに近い駅名ばかりだ。

やはり「メーテル」っぽい原作者の特徴が現れている特殊メイクの東急車輛。「忍び」にしては目立ちすぎているよねっ!
更に進むと、私の訪問時にはなかったが「四十九」付近を過ぎる。というか、その存在すら知らなかったのであるからむしろ今の四十九は新駅としてのイメージが強い。現在はイオンタウンの最寄駅として使命を果たしているが、2017年の移転復活までの間は、なんと正式廃止の1969年からずっと駅が無かった事になるのだから感慨深い。そして1969年といえば私の生まれた年。もちろん私は四十九駅の生まれ変わりでもなんでも無いのだが、何となく新駅誕生は嬉しい気持ちになる。
やがて列車は利用者ワーストの上林を過ぎ終点の伊賀神戸に着く。すぐ横には近鉄のビスタカーあたりがビュンビュン飛ばしながら通過していく。私の訪問前には駅の改良工事がなされたが、改良前の姿が経験無いためどう変化したのかはわかりづらいのだが、西名張までの廃止路線は全く面影がなく、その存在すら最初から無かったかのようであった。

伊賀神戸では伊賀鉄道は独立したホームより発着する。元々は近鉄であったが、フェンスではっきり仕切られ「全く別会社だよっ!」とアピールしているようだ。
伊賀上野に戻り再びJRで、今度は近江鉄道を目指す。柘植で草津線に乗り換えるのだが、実はこの柘植にくるのも1982年以来で超久々である。当時から変わらぬあの弧を描くホームは健在であつったが、更にここから草津線に乗るのも1982年以来なのでこれからワクワクする。
草津線で貴生川に到着すると、前回の訪問ではここで信楽線(現信楽高原鐵道)に乗り換えたが、今回は「別料金」の近江鉄道に乗り換える。ほぼ昔と変わらぬ風景では久々感を得たが、せっかくレールが繋がっているのであれば、いや、例え繋がっていなくても、草津線も電化されているのだから相互乗り入れ何かも面白いのではと勝手に想像してしまう。機関車牽引式にして信楽高原鐵道との直通運転も面白い。

桃色バージョンもある!私からしたら何となく近鉄らしくないイメージである木造のホーム屋根が健在であるのは意外であった。「今しか見れない鉄道風景」であろうが、是非とも永遠に残して欲しい。
いずれにしても、貴生川は鉄道の要衝であることは間違いない。ただ、駅の雰囲気は既に昭和の香りがする。今回の伊賀鉄道も近江鉄道も予備知識の無いままの参戦であるが、国鉄にはそこそこの知識はあるのに私鉄にはかなり疎い。それは恐らく「時刻表」にあると思う。1980年代の私の愛読書といえば時刻表であったのだが、例えば交通公社の時刻表では「国鉄監修」のためか、大手私鉄でさえ巻末付近の始発と終電くらいしか掲載されていない。むしろ地方私鉄の方が全列車掲載されていたりするのだが、第三セクターの一部路線のように国鉄(JR)と同じページなどに掲載されておらず、むしろ地味なイメージになってしまっているためページを開くタイミングが少なかった気がする。もちろんそれは時刻表に限ってのイメージかも知れないが、現在のようにインターネットなどで簡単に情報を得ることができなかったため、いわゆる知識不足が現在に至っているのである。特に関西方面の大手私鉄に至っては近年に得た情報が多いため昔からの馴染み深さが薄い。そのような事からJRと私鉄の格差が私の中ではできてしまっている。

柘植はこの弧を描く独特のホームが特徴的。昔と変わらぬ風景が実に素晴らしい。
2007年以降にJRのみならず私鉄を含む鉄道路線全線制覇を決意してからその格差が徐々に埋まっていくのが自分の中では面白い。こうしてかつての空白も埋まっていくのだなとの実感しながら未知の路線に挑むのも悪くない。
近江鉄道の時刻表は確認してあるが、基本的にどこの駅にどのような特徴があるとかは全くわからない。とはいえ、行き当たりバッタリで新たな発見をするのもいいではないか。とりあえず今回の目的は制覇にある。まずは八日市で乗り換え近江八幡に行けばいいではないか。などと呑気にロングシートに腰を掛けたら、この先にはとんでもない風景が待っていた。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
「青春18」で伊賀の里から近江へ・・・②
2021-09-30
「ムーンライトながら」で名古屋に着いた私は、関西本線に乗り換える黄金パターンで西へ向かう。私が「大垣夜行」から名古屋で関西本線に乗り換えるパターンを初めて経験したのは青春18きっぷが登場した1982年の3月である。当時、乗り換える関西本線の普通列車はDLが牽引する旧型客車であり、その年の5月には名古屋~亀山間が電化される直前であった。この事はこのブログで何度も紹介してきたが、更に電化直後の1982年8月にも同じパターンで関西本線を訪れている。その時から25年以上経ってからも、形は変われど同じ事をしているとは…

南四日市は国鉄時代に伊勢線の起点駅であったが、伊勢線が三セク化された時にとなりの河原田に起点が変更されたため関西本線のみの駅となった。かつては貨物列車も発着する「一般駅」であったが、現在は定期便の貨物列車の発着が無い。
亀山より更に関西本線で西へ進むが、こちらは昔のまま非電化である。DCこそ新しいJRのものであるが、駅設備は国鉄時代を思わせる場面も少なくない。特に後程登場する柘植などは、あのカーブしたホームは懐かしさを感じる。
そんな関西本線のDCに乗り伊賀上野に向かうのだが、2両編成の列車は意外にもフルハウス状態であり「本線」としての風格を感じる。ならばと、更なる増結を願いたいものでもあるが、やはり18シーズンだけの特殊な風景なのであろうか。

亀山から先の西へ向かう区間は非電化のためご覧の列車がお出迎えしてくれた。
伊賀上野に着くと初の伊賀鉄道にご対面したが、やはり車両先頭の「特殊メイク」が目を引く。周知の通り近鉄本体より切り離され第2の人生を送っているのだが、2007年の頃よりそれまでの近鉄車両から現在の「松本零士仕様」に更新され、特に私の好きな色である青い車両が現れると一気に胸がはずむ。もし藤子不二雄仕様だったら、当然ながらもっと深いブルーになり「どんぐりまなこにへの字口」のキャラクターになっていたであろう事であろう。赤い車両の方のキャラクターはその弟であろうか。
ただ、駅設備はかなり昔の面影を残し1982年に初訪した時とイメージ的にはほぼ変わらなかった印象であった。
「懐かしい…」
「前回は部活で来たよな…」
部活とは、いわゆる「鉄道研究グラブ」という中学で所属していたクラブ活動である事は何度もこのブログで紹介してきたが、鉄道を主題とする部活動は、中学校としては全国的に見ても珍しいらしく、そこに所属していた私も希少価値者であろう。いや、正確に言うと「変わり者」だったのかも知れない。しかし、それまで2~3人で活動していた当部活が、私の世代が入学したら一気に15~20人の大所帯になってしまうのだから「我々世代」は強かった!

かつては東海道の宿場町として栄えた関。近隣の岐阜にも同じく「関」があるが、そちらは刃物の街として全国に知られている。
などと話がそれてしまったが、改めて、伊賀鉄道はJRの伊賀上野から近鉄の伊賀神戸を結ぶ全長16.6キロの路線で、途中には沿線最大の都市である上野市もありさぞかし賑わっていようかと思われるが、近鉄本体から分離されたという事は経営的につらい日々を送って来たのであろうという事がわかる。
現在は設備等を伊賀市が所有し伊賀鉄道がそれを借用し運営する方式になっているが、近年にそうした鉄道事業の運営方式が法律化されわかりやすくなった。それまでの「神戸高速鉄道」のように設備所有は神戸高速鉄道、列車を走らせるのは阪急や阪神のような事例も「第3種」「第2種」のようにハッキリ区別され明確になったが、やや曖昧な部分もあり、鉄道経営の複雑さが窺える。何れにしても現在の鉄道経営はいろいろな工夫や努力がなされ維持されている事が素晴らしい。
装いを新たに伊賀鉄道はどこかタイムスリップした面影を残しつつ、沿線最大の都市.上野市に向け大きくカーブを切った。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

南四日市は国鉄時代に伊勢線の起点駅であったが、伊勢線が三セク化された時にとなりの河原田に起点が変更されたため関西本線のみの駅となった。かつては貨物列車も発着する「一般駅」であったが、現在は定期便の貨物列車の発着が無い。
亀山より更に関西本線で西へ進むが、こちらは昔のまま非電化である。DCこそ新しいJRのものであるが、駅設備は国鉄時代を思わせる場面も少なくない。特に後程登場する柘植などは、あのカーブしたホームは懐かしさを感じる。
そんな関西本線のDCに乗り伊賀上野に向かうのだが、2両編成の列車は意外にもフルハウス状態であり「本線」としての風格を感じる。ならばと、更なる増結を願いたいものでもあるが、やはり18シーズンだけの特殊な風景なのであろうか。

亀山から先の西へ向かう区間は非電化のためご覧の列車がお出迎えしてくれた。
伊賀上野に着くと初の伊賀鉄道にご対面したが、やはり車両先頭の「特殊メイク」が目を引く。周知の通り近鉄本体より切り離され第2の人生を送っているのだが、2007年の頃よりそれまでの近鉄車両から現在の「松本零士仕様」に更新され、特に私の好きな色である青い車両が現れると一気に胸がはずむ。もし藤子不二雄仕様だったら、当然ながらもっと深いブルーになり「どんぐりまなこにへの字口」のキャラクターになっていたであろう事であろう。赤い車両の方のキャラクターはその弟であろうか。
ただ、駅設備はかなり昔の面影を残し1982年に初訪した時とイメージ的にはほぼ変わらなかった印象であった。
「懐かしい…」
「前回は部活で来たよな…」
部活とは、いわゆる「鉄道研究グラブ」という中学で所属していたクラブ活動である事は何度もこのブログで紹介してきたが、鉄道を主題とする部活動は、中学校としては全国的に見ても珍しいらしく、そこに所属していた私も希少価値者であろう。いや、正確に言うと「変わり者」だったのかも知れない。しかし、それまで2~3人で活動していた当部活が、私の世代が入学したら一気に15~20人の大所帯になってしまうのだから「我々世代」は強かった!

かつては東海道の宿場町として栄えた関。近隣の岐阜にも同じく「関」があるが、そちらは刃物の街として全国に知られている。
などと話がそれてしまったが、改めて、伊賀鉄道はJRの伊賀上野から近鉄の伊賀神戸を結ぶ全長16.6キロの路線で、途中には沿線最大の都市である上野市もありさぞかし賑わっていようかと思われるが、近鉄本体から分離されたという事は経営的につらい日々を送って来たのであろうという事がわかる。
現在は設備等を伊賀市が所有し伊賀鉄道がそれを借用し運営する方式になっているが、近年にそうした鉄道事業の運営方式が法律化されわかりやすくなった。それまでの「神戸高速鉄道」のように設備所有は神戸高速鉄道、列車を走らせるのは阪急や阪神のような事例も「第3種」「第2種」のようにハッキリ区別され明確になったが、やや曖昧な部分もあり、鉄道経営の複雑さが窺える。何れにしても現在の鉄道経営はいろいろな工夫や努力がなされ維持されている事が素晴らしい。
装いを新たに伊賀鉄道はどこかタイムスリップした面影を残しつつ、沿線最大の都市.上野市に向け大きくカーブを切った。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村