熊に逢ったらどうするか 最終章 湧網線 計呂地
2022-06-11

さて、このシリーズもいよいよ千秋楽となった。最後に、私が現役時代に訪問する事のできなかった湧網線の計呂地を紹介してみよう。湧網線とはご存知、国鉄時代に赤字ローカル線の常連として顔を連ねていたが、以前にも触れた通り冬のオホーツクの車窓は雄大であった。といっても私は未制覇に終わったので私の口からいかにも的な事は言えないのだが、流氷を望める鉄道路線としては絶対的に唯一な存在であったイメージだ。



ご覧の通り、現在は鉄道公園的に整備されている計呂地。開通当時の湧網線には開拓部落の方々の期待がかなり込められていたのであろう。当時の輸送手段としては鉄道がほぼ唯一的な存在であったろうためにその思いも一際だったに違いない。
その湧網線にあった「ケロチ」であるが、かつて新日本プロレスでリングアナをしていたわけではない。しかしながらこうして鉄道公園的に保存されているとはつい最近まで知らなかった。もっといえば訪問直前まで知らなかったのだが、湧網線は私の思っていたイメージとは裏腹に、鉄道の証が意外に保存されていたのは驚きであった。
今回の湧網線訪問は計呂地しか訪問できなかったが、できれば保存されている佐呂間や卯原内にもいずれ訪問してみたいと思う。特に卯原内は駅こそ登場しないものの、日本映画の名作「男はつらいよ」の第11作で「開拓部落」として大きな牧場が登場しているのでぜひとも当時の情景と現在を照らし合わせてみたい。




ホームに行ってみるとご覧の車両が停泊していた。私は湧網線はDCの時代しか知らないため、こうしてPCの風景を見るのがある意味貴重なイメージがある。もちろんこうした車両は国鉄時代に全国で散々お世話になったので思い入れも深い。
湧網線の件に関しては既に述べているが、改めて乗りつぶし泣かせな路線であった。網走でも湧別でも乗り換えで2時間くらい待つ場面が多くなかなかすんなりと行かせてもらえない。先述通り、列車運転系統的に名寄本線の湧別支線と湧網線が一体化されているイメージが強く、時刻表自体も一体化されての表示であった。ただ、湧別支線の運転本数が極端に少なく、朝夕それぞれ一往復であったので、乗りつぶし計画は湧別支線の列車に合わせてプランニングしなければならない。


その旧型客車の先頭には・・・ご覧の車両がリーダーとなっていた。私的には先述通りDCのイメージが強いため、湧網線とはかなりかけ離れた印象であるが、北海道でよく聞く炭鉱的な目的での敷設ではなさそうなので尚更SL的な印象が薄い。
では石北本線の夜行急行「大雪」を使うとどうなるか。下り「大雪」で遠軽を下車すると名寄本線の連絡体制は取れてるが、中湧別で2時間待ちになる。ではその待ち時間に渚滑線など行こうとしても時間がたりない。結局中湧別で待つのが自然的な考えだ。 むしろ名寄本線制覇後に湧別から湧網線経由の最終列車に乗れば網走で上り大雪に連絡するので一番良い選択肢であろう。つまりこの湧別支線がひとつのネックとなる。湧別に寄らなければ中湧別で湧網線との連絡が良く、むしろひねくれた乗り方をする私自身が悪いという事になる!いずれにしても少ない列車本数の中でこうして連絡する列車同士は非常に貴重な存在であったが、そんなやりとりも過去の話となってしまい寂しい限りである。



先程から気にはなっていたが・・・リーダーの先には跨線橋が!もちろん現役引退後に設置されたものと思われるが(当然であるが)、意味があるかどうかは別にして、訪問当時は入口にネットが張ってあったので跨線橋を利用して隣のホームへ行く事ができなかった。

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