西遊記 ⑤
2022-12-17
揖斐には初めて来たが、何故か初めての感じがしないのは子供の頃にコロタン文庫の書籍で散々見ていた行き先だからかも知れない。ただ、揖斐という地名は何となく名鉄のイメージが張り付いていたので近鉄の駅とは意外なアンサーであった。だが、過去の時刻表を見てみると、やはり名鉄と近鉄が競合しており、しかも名鉄揖斐線は岐阜市内線との直通運転という懐かしい響きが確認出来た。やはり私の記憶は間違っていなかったのだ。しかも現在の樽見鉄道・本巣付近は名鉄と近鉄で入り組んでおり、やはり先述した通りであったのでなんとなく嬉しくなったのだが、やはり現存の近鉄揖斐線=養老鉄道という図式に早く馴染まなければならないと感じた。

ウィキペディアより引用させていただいた現在の新快速。JRになってから、正直言って斬新なデザインの車両が多くなり区別がつかなくなってきたのは気のせいか・・・だが、国鉄時代に比べ、地域ごと・JRごとに何となくのデザインや雰囲気の特徴が現れている印象があり「これは西日本、これは東日本」などの区別は何となくつくようになってきた(あくまで個人的な意見だが)。
揖斐より折り返し大垣に戻ってきた。そして大垣より東海道にて今回の旅の主役である智頭急行へと向かうが、先述通り「18」のめ新幹線などの移動ではなく、18による制約を受けた列車に乗り関ヶ原越えをしなければならない。そして今回は智頭急行制覇の前に播但線を制覇するため姫路で下車する事が確定している。だが、米原から新快速で一気に姫路まで行けるためある意味得した気分にもなる。
既に今回の旅では、というより、23年のブランクを乗り越え、ひとり「いい旅チャレンジ20000km」を敢行するに当たり、レールファン復活後はただ闇雲に乗り潰すのではなく、未乗車路線を各ブロック毎に分けて制覇する事にした。そのため後の予定が組みやすくなり効率良く回る事ができるわけだ。つまり今回は播但線と智頭急行の組み合わせであるが、気が付けば「あとあそことあそこを乗れば全線いくな」という先が見えてきた感が出てきた。そうなると俄然バイタリティーが湧いてくる。私は勇んで更に西に向かうべく、JR西日本の車両に流れ込んだ。

かつての新快速221系であるが、現在は新快速の定期運用から外れている。JR化後に登場した車両で、私にしてみたら新しい車両的イメージの部類に入る。カメラ機能の低下によりやや画像が赤みかかっているが・・・
米原よりは先述の新快速にて軽快に関西付近を駆け抜ける。私が新快速に初めて乗ったのは1981年の夏で、当時開催されていた神戸万博、いわゆるポートピアの真っ最中であったが、その時は当時新鋭の117系だった。その117系も現在は終焉を迎えるタイミングという事からして時代を感じてしまう。
他の競合他社と激しいデッドヒートを繰り広げている関西圏であるが、大阪をスルーする形は現在の首都圏の形である上野東京ラインや湘南新宿ライン的な感覚であろう。ようやく首都圏も東京スルー形になったが、時代は既に夜行列車や急行列車が無くなり「あゝ、上野駅」的な情緒溢れる風景が少なくなってしまった。

1980年代の新快速といえば・・・ご覧の117系であるが、写真は1983年の浜松である。つまり東海地区にも117系が登場し、「快速」として運転されていた。117系の登場当時は「ライバル」との戦いに強烈な光を注ぎ込んだイメージであった。
ただ、JRについて関西圏と首都圏で決定的に違うのは、路線別運転か方向別運転かの差であろう。関西については方向別運転であり緩行系列車と快速系列車が同一ホームで乗り換えができてわりとスムーズに移動できるのに対し、首都圏では路線別運転となっており、例えば京浜東北線と東海道線が同一ホームで乗り換えができる場面が無い。これは常磐線や東北本線などにも恐らく言える事でであろう事象で、歴史が古く、継ぎ足しに次ぐ継ぎ足しの結果が現在の姿になったであろうが、利用者にとってはある意味不便他ならない。まぁ、意図的(かも知れない)に階段を使う乗り換えが東海地区に無くもないが、基本、関西の東海道線は乗り換えが実に便利だと実感する。しかしながら今回は新快速の終点、姫路での乗り換えのためやはり階段を使う事になる。まぁ、それはそれでいいのだが、いずれにしても国鉄時代からすっかり様変わりした風景も内容的には昔のままなのだからぜひこれからも便利に進化してほしいなと偉そうな事を考えていたら、高架化が完成して間もない姫路のホームに滑り込んだ。

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ウィキペディアより引用させていただいた現在の新快速。JRになってから、正直言って斬新なデザインの車両が多くなり区別がつかなくなってきたのは気のせいか・・・だが、国鉄時代に比べ、地域ごと・JRごとに何となくのデザインや雰囲気の特徴が現れている印象があり「これは西日本、これは東日本」などの区別は何となくつくようになってきた(あくまで個人的な意見だが)。
揖斐より折り返し大垣に戻ってきた。そして大垣より東海道にて今回の旅の主役である智頭急行へと向かうが、先述通り「18」のめ新幹線などの移動ではなく、18による制約を受けた列車に乗り関ヶ原越えをしなければならない。そして今回は智頭急行制覇の前に播但線を制覇するため姫路で下車する事が確定している。だが、米原から新快速で一気に姫路まで行けるためある意味得した気分にもなる。
既に今回の旅では、というより、23年のブランクを乗り越え、ひとり「いい旅チャレンジ20000km」を敢行するに当たり、レールファン復活後はただ闇雲に乗り潰すのではなく、未乗車路線を各ブロック毎に分けて制覇する事にした。そのため後の予定が組みやすくなり効率良く回る事ができるわけだ。つまり今回は播但線と智頭急行の組み合わせであるが、気が付けば「あとあそことあそこを乗れば全線いくな」という先が見えてきた感が出てきた。そうなると俄然バイタリティーが湧いてくる。私は勇んで更に西に向かうべく、JR西日本の車両に流れ込んだ。

かつての新快速221系であるが、現在は新快速の定期運用から外れている。JR化後に登場した車両で、私にしてみたら新しい車両的イメージの部類に入る。カメラ機能の低下によりやや画像が赤みかかっているが・・・
米原よりは先述の新快速にて軽快に関西付近を駆け抜ける。私が新快速に初めて乗ったのは1981年の夏で、当時開催されていた神戸万博、いわゆるポートピアの真っ最中であったが、その時は当時新鋭の117系だった。その117系も現在は終焉を迎えるタイミングという事からして時代を感じてしまう。
他の競合他社と激しいデッドヒートを繰り広げている関西圏であるが、大阪をスルーする形は現在の首都圏の形である上野東京ラインや湘南新宿ライン的な感覚であろう。ようやく首都圏も東京スルー形になったが、時代は既に夜行列車や急行列車が無くなり「あゝ、上野駅」的な情緒溢れる風景が少なくなってしまった。

1980年代の新快速といえば・・・ご覧の117系であるが、写真は1983年の浜松である。つまり東海地区にも117系が登場し、「快速」として運転されていた。117系の登場当時は「ライバル」との戦いに強烈な光を注ぎ込んだイメージであった。
ただ、JRについて関西圏と首都圏で決定的に違うのは、路線別運転か方向別運転かの差であろう。関西については方向別運転であり緩行系列車と快速系列車が同一ホームで乗り換えができてわりとスムーズに移動できるのに対し、首都圏では路線別運転となっており、例えば京浜東北線と東海道線が同一ホームで乗り換えができる場面が無い。これは常磐線や東北本線などにも恐らく言える事でであろう事象で、歴史が古く、継ぎ足しに次ぐ継ぎ足しの結果が現在の姿になったであろうが、利用者にとってはある意味不便他ならない。まぁ、意図的(かも知れない)に階段を使う乗り換えが東海地区に無くもないが、基本、関西の東海道線は乗り換えが実に便利だと実感する。しかしながら今回は新快速の終点、姫路での乗り換えのためやはり階段を使う事になる。まぁ、それはそれでいいのだが、いずれにしても国鉄時代からすっかり様変わりした風景も内容的には昔のままなのだからぜひこれからも便利に進化してほしいなと偉そうな事を考えていたら、高架化が完成して間もない姫路のホームに滑り込んだ。

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西遊記 ④
2022-12-10
久々の関西線で桑名に着いた。何度か来てはいるが下車するのは初めてである。四日市と違いJRと近鉄だ駅を共用しているためやたら広い。国鉄時代とはさほど駅風景に変化が感じられなかったのである意味懐かしさを感じるが、ここで乗り換えるのは養老鉄道という鉄道会社の路線だ。養老鉄道…聞いたこと無いな…新しい鉄道路線が私の知らない間に開業したのか。それにしては昔からある鉄道の雰囲気を醸し出しているな…などと計画段階で考えていたら、かつては近鉄の路線であったと知った。そうか、なるほど。そういえば桑名から北に向かう近鉄線って昔あったな、みたいに時刻表の地図に描かれた路線を思い出した。そうか、つまり最近よく見かけるようになった経営分離方式で、経営的に厳しい部分を分社化して運営しているということだ。私にしてみたら完全に浦島太郎状態であった。それ以前に、私は西方面の私鉄路線にとても疎い。云わば私のウィークポイントでもある。

桑名よりいよいよ養老鉄道の初体験である。実は養老鉄道の名はレールファン復活まで全く知らなかったし聞かなかったが、後に元近鉄路線であると判明し、納得。
さて、生まれて初めての養老鉄道。全く予備知識の無いまま養老鉄道のホームに着いたら私を待っていたのは近鉄の車両であった。いや、正確に言うと、近鉄の車両という事さえわからなかった。ただでさえ車両知識が疎いのに、更に輪をかけて西方面の私鉄にはかなり馴染みが無いため、極端に言うと京阪と阪急の区別がつかないくらい西の私鉄は難しかった。ビスタカー、テレビカー、パノラマカーくらいはわかるが、普通列車が登場するともう判別がつかない。大げさに言うとこんなイメージであるが、逆にそんな私だからこそ養老鉄道などは新鮮味が出てくるのかも知れない。

そしてこれが養老鉄道の車両であるが、やはり近鉄仕様!と言いたいところであるが、正直、私は関西の私鉄に関しては知識が疎く、皆様に胸を張って「近鉄だよ!」と言えないのが本音である・・・しかしやはり近鉄の顔をしているのでやはり納得!
タイフォンが鳴り止み、早速桑名を後にすると一気にJR路線が小さく見え隠れする風景が窓の向こう側に映し出された。私にしてみたら新しく聞く鉄道会社の名前であるが、設備や駅を見ると懐かしい雰囲気を醸し出しているのが違和感である。そんな違和感の中、列車は中心駅である養老に着いた。ホーム屋根の内側には無数の瓢箪が吊るされている。なんだか不思議な空間であるが、ここは瓢箪の町なのかと改めて「国内旅行業務取扱管理者」のライセンスホルダーとしての私の血が騒ぐ。そういえば千葉方面にも養老ってあったよなぁ・・・我が地元にもそんな名前の居酒屋チェーンあったよなぁ・・・それと何か関係があるのかなぁ。など考えながら、駅名標に向けシャッターを切っていた。


養老鉄道の中心である養老ではご覧の通りひょうたんだらけであった。某居酒屋チェーンの屋号は恐らくこの町にある滝が語源であろうと思われる。
大垣で完結すると思い込んでいた養老鉄道であったが、実はその先の揖斐まで行かなければならない。あれ?揖斐って名鉄じゃなかったっけ?などと曖昧な知識で予定を組んでいたが、実はかつて名鉄と近鉄、そして国鉄が入り乱れていた激戦地区だったのだ。正直、私にしてみたらかつての北九州に網の目を張り巡らしていた炭坑路線のように見えて何が何だかわからない大垣付近であったが、現在では揖斐までの養老鉄道と樽見鉄道の2社でスッキリ感がある。もちろん東海道線の赤坂支線もあるが、それでも私には複雑さが半減して見えた。ただ、揖斐へはもちろん初めての訪問なので緊張感はある。何れにしても大垣はJRと連絡する要衝の駅であるから一旦完結するイメージになる。

大垣駅の入場券。ご覧の通り、他の国鉄の入場券の値段との違いが分かる。訪問当時理由はわからなかったが、実は近鉄と駅を共用していたため近鉄の入場券プライスにしたという。事情を知らなかった私は当時10枚くらい一気に購入。
そういえばかつて国鉄時代に大垣には何度も寄ったが、当時、大垣の入場券は80円であった。国鉄の入場券は基本的に120円なのだが、なぜか大垣はディスカウント思考なイメージだったので、私は10枚くらいまとめて購入した事柄ある。
当時ディスカウントの理由はわからなかったのだが、現在の養老鉄道が近鉄より分社化される前に国鉄と駅を共用していたための措置であるとの事だった。利用者にすれば40円の差は大きく、特に私のようなマニアには持ってこいの材料であった。
そんな大垣を退き、再び養老鉄道で揖斐にむかう。これから先、どんな試練が待ち受けている事であろうか。

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桑名よりいよいよ養老鉄道の初体験である。実は養老鉄道の名はレールファン復活まで全く知らなかったし聞かなかったが、後に元近鉄路線であると判明し、納得。
さて、生まれて初めての養老鉄道。全く予備知識の無いまま養老鉄道のホームに着いたら私を待っていたのは近鉄の車両であった。いや、正確に言うと、近鉄の車両という事さえわからなかった。ただでさえ車両知識が疎いのに、更に輪をかけて西方面の私鉄にはかなり馴染みが無いため、極端に言うと京阪と阪急の区別がつかないくらい西の私鉄は難しかった。ビスタカー、テレビカー、パノラマカーくらいはわかるが、普通列車が登場するともう判別がつかない。大げさに言うとこんなイメージであるが、逆にそんな私だからこそ養老鉄道などは新鮮味が出てくるのかも知れない。

そしてこれが養老鉄道の車両であるが、やはり近鉄仕様!と言いたいところであるが、正直、私は関西の私鉄に関しては知識が疎く、皆様に胸を張って「近鉄だよ!」と言えないのが本音である・・・しかしやはり近鉄の顔をしているのでやはり納得!
タイフォンが鳴り止み、早速桑名を後にすると一気にJR路線が小さく見え隠れする風景が窓の向こう側に映し出された。私にしてみたら新しく聞く鉄道会社の名前であるが、設備や駅を見ると懐かしい雰囲気を醸し出しているのが違和感である。そんな違和感の中、列車は中心駅である養老に着いた。ホーム屋根の内側には無数の瓢箪が吊るされている。なんだか不思議な空間であるが、ここは瓢箪の町なのかと改めて「国内旅行業務取扱管理者」のライセンスホルダーとしての私の血が騒ぐ。そういえば千葉方面にも養老ってあったよなぁ・・・我が地元にもそんな名前の居酒屋チェーンあったよなぁ・・・それと何か関係があるのかなぁ。など考えながら、駅名標に向けシャッターを切っていた。


養老鉄道の中心である養老ではご覧の通りひょうたんだらけであった。某居酒屋チェーンの屋号は恐らくこの町にある滝が語源であろうと思われる。
大垣で完結すると思い込んでいた養老鉄道であったが、実はその先の揖斐まで行かなければならない。あれ?揖斐って名鉄じゃなかったっけ?などと曖昧な知識で予定を組んでいたが、実はかつて名鉄と近鉄、そして国鉄が入り乱れていた激戦地区だったのだ。正直、私にしてみたらかつての北九州に網の目を張り巡らしていた炭坑路線のように見えて何が何だかわからない大垣付近であったが、現在では揖斐までの養老鉄道と樽見鉄道の2社でスッキリ感がある。もちろん東海道線の赤坂支線もあるが、それでも私には複雑さが半減して見えた。ただ、揖斐へはもちろん初めての訪問なので緊張感はある。何れにしても大垣はJRと連絡する要衝の駅であるから一旦完結するイメージになる。

大垣駅の入場券。ご覧の通り、他の国鉄の入場券の値段との違いが分かる。訪問当時理由はわからなかったが、実は近鉄と駅を共用していたため近鉄の入場券プライスにしたという。事情を知らなかった私は当時10枚くらい一気に購入。
そういえばかつて国鉄時代に大垣には何度も寄ったが、当時、大垣の入場券は80円であった。国鉄の入場券は基本的に120円なのだが、なぜか大垣はディスカウント思考なイメージだったので、私は10枚くらいまとめて購入した事柄ある。
当時ディスカウントの理由はわからなかったのだが、現在の養老鉄道が近鉄より分社化される前に国鉄と駅を共用していたための措置であるとの事だった。利用者にすれば40円の差は大きく、特に私のようなマニアには持ってこいの材料であった。
そんな大垣を退き、再び養老鉄道で揖斐にむかう。これから先、どんな試練が待ち受けている事であろうか。

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