上田で荷物を忘れてしまいましたが ②
2023-02-04
今回の旅は既に先述した通り信州方面へ向かうが、ムーンライト信州が運転されていなかった事と、中央西線を制覇するためわざわざムーンライトながらで名古屋へ向かい、そして名古屋から中央西線へ入る予定を組んだ。東京から信州方面へ行く場合、一般的に考えてわざわざ名古屋経由で信州へと向かうのはもの好きである私くらいであろうが、名古屋からも「しなの」など特急は使わず、なんと普通列車のみで向かうというのだから一般から除外されるような人格に見られても仕方がない。しかしながら、これは18シーズンであるが故の宿命なのだ、いや、それは表向きの理由で、実は・・・
「本線」とよばれる大動脈の幹線を普通列車で旅する醍醐味は、速達列車では見えない何かが沢山詰まっている事であろう。特に「秘境駅」とよばれる利用者がそう多くない駅が「本線」と呼ばれる鉄道路線にも数多く点在する中、そうした駅にも丁寧に停車していくのである意味下車もできる。私の場合、無計画で咄嗟にフラッと下車してしまうなどという行為は皆無であるが、逆にそうした旅を好む方もおられるであろう。それが普通列車なら融通が効くので小回りの効く旅ができる、それが普通列車ならではのカラーであろう。そんな旅は18シーズンでないとなかなか難しい。私は好んで普通列車に乗車する事にした。

探せば出てくるものだ。小田原で撮影した「ムーンライトながら」であるが、使い捨てアナログカメラで撮影したのもなのでどこかに行ってしまったかと思っていたが、なんとアルバムの片隅に眠っていた。なぜ今まで気付かなかったのであろうか・・・
そういえば前章の冒頭に出てきた木綿的なハンカチの唄では「東へと向かう列車」に乗り恋人の元から離れて行く様を描いているが、という事はつまり西方面に暮らしているイメージになるが、私は残念ながら東京近郊のため、基本的にこれ以上東へは進めない。つまり旅立つ時は西か北だ。だが、今回は一般的には考えられないような旅行程のため名古屋から「東へと向かう列車」に乗ることになる。
ということで、名古屋ではいつものように寝不足のまま中央線のホームを目指すが、東へと向かう列車に乗り換えるにはこのシチュエーションだと非常に修行的な何かを感じる。コアラのような姿をしながら一夜を列車内で明かしたうえ、完全に熟睡できたわけでもない。恐らく中央線の道中では間違いなく睡魔に襲われるであろう。ただ、それは優等列車ならその睡魔に拍車をかけるであろうが、私がこれから乗車するのは普通列車である。つまりその拍車の部分にいくらかのブレーキになるであろう風景が今から広がっていくわけだ。ただ、かつては高速道路の無い時代や、更に昔は徒歩による移動の時代から比べれば、普通列車でも塩尻までは半日有れば着いてしまうの。そう考えると普通列車での旅も悪くはないではないか。いや、遥かに良いであろう。江戸時代などに比べたら見違えるような進歩である。それでも21世紀の現代社会では前近代的な、というより地域密着型の移動手段他ならない。すでに軽い疲労を隠せない中、決して軽いとはいえないフットワークで地下通路を潜った。

これは何度か紹介した写真であるが、別の日に撮影した「ムーンライト信州」であるが、こちらも使い捨てアナログカメラでの撮影であるため少々画像がよろしくない。普通の一般なら首都圏発の場合この列車を利用するが、私は「ながら」での出陣であったので普通の一般ではないスタートであった。まぁ、たまにはこういう変化球での旅も有りであろう。
ムーンライトから名古屋で乗り換える列車はほぼ下り列車的な役割のため「大垣ダッシュ」のような乗り換えは殆ど皆無であるため一定の余裕がある。ただ、近年はロングシートが増えたせいか旅情が薄れてしまうが、それでも運転があるだけラッキーと思わなければならない。しかも今回は中央西線で塩尻まで行くので、その道中で朝食も調達できるであろう。中央線でとりあえず座席を確保しホッとした車内では、食事の事など忘れ、駅設備に向けシャッターを切るのに夢中になっていた。

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「本線」とよばれる大動脈の幹線を普通列車で旅する醍醐味は、速達列車では見えない何かが沢山詰まっている事であろう。特に「秘境駅」とよばれる利用者がそう多くない駅が「本線」と呼ばれる鉄道路線にも数多く点在する中、そうした駅にも丁寧に停車していくのである意味下車もできる。私の場合、無計画で咄嗟にフラッと下車してしまうなどという行為は皆無であるが、逆にそうした旅を好む方もおられるであろう。それが普通列車なら融通が効くので小回りの効く旅ができる、それが普通列車ならではのカラーであろう。そんな旅は18シーズンでないとなかなか難しい。私は好んで普通列車に乗車する事にした。

探せば出てくるものだ。小田原で撮影した「ムーンライトながら」であるが、使い捨てアナログカメラで撮影したのもなのでどこかに行ってしまったかと思っていたが、なんとアルバムの片隅に眠っていた。なぜ今まで気付かなかったのであろうか・・・
そういえば前章の冒頭に出てきた木綿的なハンカチの唄では「東へと向かう列車」に乗り恋人の元から離れて行く様を描いているが、という事はつまり西方面に暮らしているイメージになるが、私は残念ながら東京近郊のため、基本的にこれ以上東へは進めない。つまり旅立つ時は西か北だ。だが、今回は一般的には考えられないような旅行程のため名古屋から「東へと向かう列車」に乗ることになる。
ということで、名古屋ではいつものように寝不足のまま中央線のホームを目指すが、東へと向かう列車に乗り換えるにはこのシチュエーションだと非常に修行的な何かを感じる。コアラのような姿をしながら一夜を列車内で明かしたうえ、完全に熟睡できたわけでもない。恐らく中央線の道中では間違いなく睡魔に襲われるであろう。ただ、それは優等列車ならその睡魔に拍車をかけるであろうが、私がこれから乗車するのは普通列車である。つまりその拍車の部分にいくらかのブレーキになるであろう風景が今から広がっていくわけだ。ただ、かつては高速道路の無い時代や、更に昔は徒歩による移動の時代から比べれば、普通列車でも塩尻までは半日有れば着いてしまうの。そう考えると普通列車での旅も悪くはないではないか。いや、遥かに良いであろう。江戸時代などに比べたら見違えるような進歩である。それでも21世紀の現代社会では前近代的な、というより地域密着型の移動手段他ならない。すでに軽い疲労を隠せない中、決して軽いとはいえないフットワークで地下通路を潜った。

これは何度か紹介した写真であるが、別の日に撮影した「ムーンライト信州」であるが、こちらも使い捨てアナログカメラでの撮影であるため少々画像がよろしくない。普通の一般なら首都圏発の場合この列車を利用するが、私は「ながら」での出陣であったので普通の一般ではないスタートであった。まぁ、たまにはこういう変化球での旅も有りであろう。
ムーンライトから名古屋で乗り換える列車はほぼ下り列車的な役割のため「大垣ダッシュ」のような乗り換えは殆ど皆無であるため一定の余裕がある。ただ、近年はロングシートが増えたせいか旅情が薄れてしまうが、それでも運転があるだけラッキーと思わなければならない。しかも今回は中央西線で塩尻まで行くので、その道中で朝食も調達できるであろう。中央線でとりあえず座席を確保しホッとした車内では、食事の事など忘れ、駅設備に向けシャッターを切るのに夢中になっていた。

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