上田で荷物を忘れてしまいましたが ⑪
2023-04-01
いよいよ松本よりアルピコ交通初体験であるが、かつては周知の通り松本電鉄と名乗り島々までの路線であった。ただ、新島々~島々間で災害があり、復旧しないまま現在に至っているが、もともと同区間は不採算だったらしく、いずれ廃止になっていたであろうと思われる。私は松本電鉄時代を含め今回の訪問が初めてであるが、懐かしの「京王帝都」井の頭線が出てきたのでこれまた興味津々となる。
若い世代のヤングでナウなレールファンはこの「京王帝都」という単語に馴染みが薄いであろが、京王電鉄はかつて「京王帝都電鉄」と名のり「京王電鉄」と「帝都電鉄」という別会社の合併によりできた会社であった。帝都電鉄は小田原急行鉄道、つまり現在の小田急に合併され、更にその後東京横浜電鉄に合併されて、いわゆる「大東急」となった。一方、旧・京王電鉄もいわゆる「大東急」に合併されたが、再び分社化され「京王帝都電鉄」が発足したわけである。ちなみに小田急電鉄の下北沢は、現在小田急が地下化され井の頭線との乗り換えは中間改札が入るが、地下化前の地上時代は京王とは中間改札無しで乗り換えができた。それこそ「大東急」「小田原急行鉄道」の名残であり、小田急電鉄も京王電鉄もかつてはいわゆる「大東急」であり同じ会社だったのだ。ただ、地下化されたのは近年であるため、小田急が地上時代の下北沢の風景をご存じの方も少なくないであろう。
そして「五島」と聞いてピンときた方は東急を知り尽くしたレールファンか東急の関係者であろうと思われるが、既に歴史上の人物であり、その功績は計り知れないほど素晴らしい事を、私はアルピコの車両を見た瞬間に思い出してしまった。。

松本より現在の社名であるアルピコ交通で新島々へ行く。私のような昭和の人間には「松本電鉄」の方が通り名であろう。首都圏に在住の方なら、この車両をひと目見て懐かしい~と感じる方も多々おられると思うが、こうして第二の人生を送っている姿を見ると、何だか嬉しくなってくる。
さて、アルピコ交通のホームはJRの敷地内にあり駅舎とホームを共用しているので、相互の乗り換えはスムーズである。ただ、私は上高地方面に用事があるわけでなく、単純作業としてアルピコ交通に制覇の証を刻むために往復するに過ぎない。ある意味上高地に対して失礼な乗客かもしれないが、一応アルピコ交通には貢献させていただいたのでご了承いただきたい。
松本を出発するとしばらくJRと並走するが、やがて右手にJRに別れを告げ己の道を貫く。JRと比較すると若干ながら華奢に感じる上高地線であるが、多くの地方私鉄路線が廃止されてきた中で、今でも生き残っている上高地線に力強さを感じる。もちろん、経営的には決して楽ではないであろうが、地方私鉄独特の懐かしいカラーをここ上高地線でも感じることが出来るので、例え用事がなく往復しようとも来た甲斐はある。

新島々は何となく駅名標が立派に見える。さすが上高地の玄関口である。昭和ほどの賑わいを感じる場面はそう多く感じられないが、それでも駅前はバス乗り場などのターミナル機能がしっかりと役目を果たしている。
ところで松本電鉄であるが、昭和の時代には上高地へのベースとして活躍した。終点の島々ではバスターミナルが併設され盛栄したが、利用者の増加によりターミナルを拡張しなければならなくなった。しかし島々駅前付近ではそのスペースが少なく、その機能を新島々に移し現在に至っている。だがその影響もあってか、新島々~島々間の利用者が急激に減少したため、そのまま復旧する事無く廃止されてしまった経緯がある。私の小学生時代にはコロタン文庫の「私鉄全百科」にはちゃんと島々までの路線が記されていたので松本電鉄イコール松本~島々としての馴染みがある。
この書物に記されているが、既にこの時期にCTC、いわゆる集中制御が完成されており、地元の足として、更に観光の足として昭和の時期の潤いがはっきりと感じることができる。ちなみにこの書物を見ると、現在の江ノ電は、旧社名である「江ノ島鎌倉観光」となっていた。

新島々のホーム先端より伸びるレールは、ご存知島々へと通じる鉄路である。ご覧の通り、まだまだ現役っぽい姿を見せているのだが、途中で崖崩れによりレールが寸断されているのであろう。すでに島々の駅は面影を感じる場面が少ないようだ。
昭和の名残を探していると、終点の新島々に着いた。リニューアルしているのであろう、私のイメージしていた新島々とはやや違った雰囲気であったが、今でも島々まで繋がっているかのような2本のレールがかつての「松本電鉄」を無言で語り掛けていた。本当はこの先にある島々の残骸を確認したかったのだが、時間の制約もあり、いずれの将来に確認してみようと心に誓った。

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若い世代のヤングでナウなレールファンはこの「京王帝都」という単語に馴染みが薄いであろが、京王電鉄はかつて「京王帝都電鉄」と名のり「京王電鉄」と「帝都電鉄」という別会社の合併によりできた会社であった。帝都電鉄は小田原急行鉄道、つまり現在の小田急に合併され、更にその後東京横浜電鉄に合併されて、いわゆる「大東急」となった。一方、旧・京王電鉄もいわゆる「大東急」に合併されたが、再び分社化され「京王帝都電鉄」が発足したわけである。ちなみに小田急電鉄の下北沢は、現在小田急が地下化され井の頭線との乗り換えは中間改札が入るが、地下化前の地上時代は京王とは中間改札無しで乗り換えができた。それこそ「大東急」「小田原急行鉄道」の名残であり、小田急電鉄も京王電鉄もかつてはいわゆる「大東急」であり同じ会社だったのだ。ただ、地下化されたのは近年であるため、小田急が地上時代の下北沢の風景をご存じの方も少なくないであろう。
そして「五島」と聞いてピンときた方は東急を知り尽くしたレールファンか東急の関係者であろうと思われるが、既に歴史上の人物であり、その功績は計り知れないほど素晴らしい事を、私はアルピコの車両を見た瞬間に思い出してしまった。。

松本より現在の社名であるアルピコ交通で新島々へ行く。私のような昭和の人間には「松本電鉄」の方が通り名であろう。首都圏に在住の方なら、この車両をひと目見て懐かしい~と感じる方も多々おられると思うが、こうして第二の人生を送っている姿を見ると、何だか嬉しくなってくる。
さて、アルピコ交通のホームはJRの敷地内にあり駅舎とホームを共用しているので、相互の乗り換えはスムーズである。ただ、私は上高地方面に用事があるわけでなく、単純作業としてアルピコ交通に制覇の証を刻むために往復するに過ぎない。ある意味上高地に対して失礼な乗客かもしれないが、一応アルピコ交通には貢献させていただいたのでご了承いただきたい。
松本を出発するとしばらくJRと並走するが、やがて右手にJRに別れを告げ己の道を貫く。JRと比較すると若干ながら華奢に感じる上高地線であるが、多くの地方私鉄路線が廃止されてきた中で、今でも生き残っている上高地線に力強さを感じる。もちろん、経営的には決して楽ではないであろうが、地方私鉄独特の懐かしいカラーをここ上高地線でも感じることが出来るので、例え用事がなく往復しようとも来た甲斐はある。

新島々は何となく駅名標が立派に見える。さすが上高地の玄関口である。昭和ほどの賑わいを感じる場面はそう多く感じられないが、それでも駅前はバス乗り場などのターミナル機能がしっかりと役目を果たしている。
ところで松本電鉄であるが、昭和の時代には上高地へのベースとして活躍した。終点の島々ではバスターミナルが併設され盛栄したが、利用者の増加によりターミナルを拡張しなければならなくなった。しかし島々駅前付近ではそのスペースが少なく、その機能を新島々に移し現在に至っている。だがその影響もあってか、新島々~島々間の利用者が急激に減少したため、そのまま復旧する事無く廃止されてしまった経緯がある。私の小学生時代にはコロタン文庫の「私鉄全百科」にはちゃんと島々までの路線が記されていたので松本電鉄イコール松本~島々としての馴染みがある。
この書物に記されているが、既にこの時期にCTC、いわゆる集中制御が完成されており、地元の足として、更に観光の足として昭和の時期の潤いがはっきりと感じることができる。ちなみにこの書物を見ると、現在の江ノ電は、旧社名である「江ノ島鎌倉観光」となっていた。

新島々のホーム先端より伸びるレールは、ご存知島々へと通じる鉄路である。ご覧の通り、まだまだ現役っぽい姿を見せているのだが、途中で崖崩れによりレールが寸断されているのであろう。すでに島々の駅は面影を感じる場面が少ないようだ。
昭和の名残を探していると、終点の新島々に着いた。リニューアルしているのであろう、私のイメージしていた新島々とはやや違った雰囲気であったが、今でも島々まで繋がっているかのような2本のレールがかつての「松本電鉄」を無言で語り掛けていた。本当はこの先にある島々の残骸を確認したかったのだが、時間の制約もあり、いずれの将来に確認してみようと心に誓った。

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