題名の無い鉄道旅 part1 ばんえつ物語号⑨
2023-07-08
喜多方…1983年の夏に来て以来約25年振りくらい(当時)のため何となく懐かしい。「懐かしい」とあえて表現したが、つまり、国鉄当時の面影がたくさん感じられたということだ。当時は旧型客車による普通列車であったが、現在は全て気動車、または電車化された。近い将来、全てが気動車になる日が来るような報道がなされているが、それでも存続して列車が運転されているだけでもある意味貴重なのかも知れない、
私はあえて会津若松へ行かずに喜多方で下車した。この土地の名物と言えばいわずと知れた「麺類」であろう。妻には、いや、表向きにはこのラーメン目的で下車したとする事にしたが、喜多方で下車した本当の意味は「日中線」にあった。

改造されたとはいえ国鉄の名残を感じる事ができる車両であるが、かつては急行列車や団体列車などで活躍した。「八甲田」や「十和田」など、私がお世話になった急行列車の車両がこうして時を経てまた乗車できるとは、ある意味貴重である。
日中線とは、国鉄時代に廃止された喜多方~熱塩を結んでいた路線であったが、延伸予定の日中までたどり着く事無く力尽きてしまったのだ。かつては「赤字83線区」などと称され赤字を少しでも、というより国鉄の赤字というイメージを少しでも無くそうと「努力してますよ」とのアピール材料的な形で挙げられた路線であった。もちろん、その中には日中線も入っていたが、例えこの83線区が全て廃止されても、国鉄の赤字額の一割程度だったらしい。某鉄道作家が「本当に赤字を無くすなら東海道線を廃止すればいい」などと冗談混じりで言っていたが、まさにその通りだったかも知れない。つまり赤字は路線云々よりも国鉄の体質にあったのであろう。恐らくそう言いたかったに違いない。

ラウンジカーも連結されていた。現在、観光列車では欠かせない存在となっているが、国鉄時代ではこうした車両が夢であった時期もあった。特に寝台特急では開放型が主流であったので、こうした車両の連結を各方面から要望が沢山あったであろう。
そんなバックボーンを抱え廃止されていった日中線と、私は再び会ってみたかった。もちろん、そこに現役の線路はない。たが、ホームに降り立つと、中学生時代に初めてひとり旅で来たあの喜多方の風景を即座に思い出した。そしてDLに牽引される旧型客車が私を待っていた風景が甦ってくる。
現在、日中線の証があるのは終点の熱塩のみである。もちろん熱塩までの廃線跡は一部サイクリングロードなどに転用されているのでわかりやすい。残念ながら時間の制約から今回の訪問は見送らせていただいたが、例え「資料館」となっても暫くはその勇姿を魅せてくれる事であろう。
私の「ばんえつ物語」の結末は、熱塩加納町の片隅で起きた小さな出来事であったが、今も大きな思い出として記憶の片隅で眠っている。

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私はあえて会津若松へ行かずに喜多方で下車した。この土地の名物と言えばいわずと知れた「麺類」であろう。妻には、いや、表向きにはこのラーメン目的で下車したとする事にしたが、喜多方で下車した本当の意味は「日中線」にあった。

改造されたとはいえ国鉄の名残を感じる事ができる車両であるが、かつては急行列車や団体列車などで活躍した。「八甲田」や「十和田」など、私がお世話になった急行列車の車両がこうして時を経てまた乗車できるとは、ある意味貴重である。
日中線とは、国鉄時代に廃止された喜多方~熱塩を結んでいた路線であったが、延伸予定の日中までたどり着く事無く力尽きてしまったのだ。かつては「赤字83線区」などと称され赤字を少しでも、というより国鉄の赤字というイメージを少しでも無くそうと「努力してますよ」とのアピール材料的な形で挙げられた路線であった。もちろん、その中には日中線も入っていたが、例えこの83線区が全て廃止されても、国鉄の赤字額の一割程度だったらしい。某鉄道作家が「本当に赤字を無くすなら東海道線を廃止すればいい」などと冗談混じりで言っていたが、まさにその通りだったかも知れない。つまり赤字は路線云々よりも国鉄の体質にあったのであろう。恐らくそう言いたかったに違いない。

ラウンジカーも連結されていた。現在、観光列車では欠かせない存在となっているが、国鉄時代ではこうした車両が夢であった時期もあった。特に寝台特急では開放型が主流であったので、こうした車両の連結を各方面から要望が沢山あったであろう。
そんなバックボーンを抱え廃止されていった日中線と、私は再び会ってみたかった。もちろん、そこに現役の線路はない。たが、ホームに降り立つと、中学生時代に初めてひとり旅で来たあの喜多方の風景を即座に思い出した。そしてDLに牽引される旧型客車が私を待っていた風景が甦ってくる。
現在、日中線の証があるのは終点の熱塩のみである。もちろん熱塩までの廃線跡は一部サイクリングロードなどに転用されているのでわかりやすい。残念ながら時間の制約から今回の訪問は見送らせていただいたが、例え「資料館」となっても暫くはその勇姿を魅せてくれる事であろう。
私の「ばんえつ物語」の結末は、熱塩加納町の片隅で起きた小さな出来事であったが、今も大きな思い出として記憶の片隅で眠っている。

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題名の無い鉄道旅 part1 ばんえつ物語号 ⑧
2023-07-01
磐越西線は喜多方から郡山までは電化されているが、近年は非電化に戻される話も出ている。若いレールファンにはこの郡山~喜多方の電化にはややクエスチョンが付きまとうと思われるが、かつては上野より直通する特急列車が運転されていた事は何となくご存じであろうか。そうした歴史的背景が現在まで続いているのはある意味奇跡かも知れないが、新津~喜多方間は昔から非電化のままであるから、レールファン的には実に過ごしやすい。

五泉に到着すると、私のみやや慌ただしくなった。そう、蒲原鉄道の面影を一瞬の停車時間で探すためだ。確かに、隣のホームでは不自然な広い空間があったが、下車してしっかりと確認することができなかったのは残念であった。もちろん、ホームではSL歓迎ムード。
五泉に着くと、私は慌ただしく駅構内を模索しはじめた。そう、蒲原鉄道の面影を探していたのだ。かつては村松を経由し加茂までの私鉄路線であったが、昭和の灯火と共に消え去ってしまった。暫くは五泉から村松まで残っていたが、やはり時代の波には勝てなかったのだ。だが、駅構内に痕跡はあるはずと…意外にも五泉ではギャラリーと乗客が少なくなかった事もあり、その遺構を確認する事はできなかった。何れはレンタカーでも借りて加茂まで辿ってみたい。
そんな思いを一瞬のうちにかき消され、列車は薄い黒煙をあげながら会津方面へと走り出した。

津川ではご覧のSLモードになっている駅名標である。ここではやや停車時間があるためほとんどの乗客がホームに出てSL撮影会モードとなった。
暫く進むと津川に着いた。アナウンスによると、どうやら停車時間が少々あるらしい。私はホームへと降り、SLにレンズを向ける鉄道少年のひとりとなった。いや「少年」とは失礼したが、ホーム端では溢れたギャラリー達に向けた汽笛が耳を刺してくる。ただ、津川という駅はこの時まで知らなかったので、またひとつ知識が豊富になった喜びを隠せずにいたが、駅名標はやはり観光仕様となっており、一般的には楽しめる存在になっていた。

普段は静かな風景であろうが、SLが到着するとご覧のように一時の賑やかさを感じることができる。12系の改造車が真新しい雰囲気を醸し出す風景であるが、ホームの雰囲気は昭和を感じさせる。今にもタブレット交換が行われそうな雰囲気である。
津川を去ってから暫くして、私はいわゆるラウンジカーへと足を運んでみた。近年の観光列車や私鉄特急などでは既にお馴染みとなっているラウンジカーやラウンジスペースであるが、かつての国鉄時代ではこのラウンジスペースが寝台特急に設置されるのがひとつの夢でもあった。それは既に「リバプールの風」となってしまった寝台特急「北斗星」で実現したわけであるが、当時はまさに画期的で、特に開放型寝台が主流の時代にはかなり重宝したはずだ。やがて個室寝台が主流となりはじめると、その
利用者もやや減少して来たであろうが、それでもラウンジがあるとある意味安心感がある。
ただ、寝台特急のラウンジスペースと違い、こちらの「ばんえつ」では驚くほど大盛況であった。

ものすごいギャラリーの数となった津川のホームにて。島式ホームの先端ではいる場所がないくらいの人集りであった。実際に跨線橋を渡り反対側から撮影する者のいたほどだ。
SL全盛期の時代から比べたらかなり煙の色が加工されているであろうやや薄い煙ではあるため、いわゆる「インスタ映え」的には若干物足りないかも知れないが、それでも普段より多く煙を出しているかも知れないであろう「ばんえつ」は、あっという間に喜多方に着いてしまった。私が下車して間もなく列車は会津若松へと向かっていった。

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五泉に到着すると、私のみやや慌ただしくなった。そう、蒲原鉄道の面影を一瞬の停車時間で探すためだ。確かに、隣のホームでは不自然な広い空間があったが、下車してしっかりと確認することができなかったのは残念であった。もちろん、ホームではSL歓迎ムード。
五泉に着くと、私は慌ただしく駅構内を模索しはじめた。そう、蒲原鉄道の面影を探していたのだ。かつては村松を経由し加茂までの私鉄路線であったが、昭和の灯火と共に消え去ってしまった。暫くは五泉から村松まで残っていたが、やはり時代の波には勝てなかったのだ。だが、駅構内に痕跡はあるはずと…意外にも五泉ではギャラリーと乗客が少なくなかった事もあり、その遺構を確認する事はできなかった。何れはレンタカーでも借りて加茂まで辿ってみたい。
そんな思いを一瞬のうちにかき消され、列車は薄い黒煙をあげながら会津方面へと走り出した。

津川ではご覧のSLモードになっている駅名標である。ここではやや停車時間があるためほとんどの乗客がホームに出てSL撮影会モードとなった。
暫く進むと津川に着いた。アナウンスによると、どうやら停車時間が少々あるらしい。私はホームへと降り、SLにレンズを向ける鉄道少年のひとりとなった。いや「少年」とは失礼したが、ホーム端では溢れたギャラリー達に向けた汽笛が耳を刺してくる。ただ、津川という駅はこの時まで知らなかったので、またひとつ知識が豊富になった喜びを隠せずにいたが、駅名標はやはり観光仕様となっており、一般的には楽しめる存在になっていた。

普段は静かな風景であろうが、SLが到着するとご覧のように一時の賑やかさを感じることができる。12系の改造車が真新しい雰囲気を醸し出す風景であるが、ホームの雰囲気は昭和を感じさせる。今にもタブレット交換が行われそうな雰囲気である。
津川を去ってから暫くして、私はいわゆるラウンジカーへと足を運んでみた。近年の観光列車や私鉄特急などでは既にお馴染みとなっているラウンジカーやラウンジスペースであるが、かつての国鉄時代ではこのラウンジスペースが寝台特急に設置されるのがひとつの夢でもあった。それは既に「リバプールの風」となってしまった寝台特急「北斗星」で実現したわけであるが、当時はまさに画期的で、特に開放型寝台が主流の時代にはかなり重宝したはずだ。やがて個室寝台が主流となりはじめると、その
利用者もやや減少して来たであろうが、それでもラウンジがあるとある意味安心感がある。
ただ、寝台特急のラウンジスペースと違い、こちらの「ばんえつ」では驚くほど大盛況であった。

ものすごいギャラリーの数となった津川のホームにて。島式ホームの先端ではいる場所がないくらいの人集りであった。実際に跨線橋を渡り反対側から撮影する者のいたほどだ。
SL全盛期の時代から比べたらかなり煙の色が加工されているであろうやや薄い煙ではあるため、いわゆる「インスタ映え」的には若干物足りないかも知れないが、それでも普段より多く煙を出しているかも知れないであろう「ばんえつ」は、あっという間に喜多方に着いてしまった。私が下車して間もなく列車は会津若松へと向かっていった。

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題名の無い鉄道旅 part1 ばんえつ物語号 ⑦
2023-06-24
さて、いよいよ「ばんえつ物語号」に乗り磐越西線の制覇に乗り出す。やはり観光列車らしく、ギャラリーも少なくないが、正直、私はSLにさほど情熱を感じる場面が少なく、自らこうした観光列車に乗るのは珍しい。ただ、一般的な列車に乗車しながらレールファンを演じると、周りに迷惑をかけてしまいそうで、ある意味気を使ってしまう。しかし、こうした観光列車であれば周りに気遣う事無く撮影等出来るので都合が良い。更に牽引されている客車は懐かしの12系であるため、国鉄フリークの私にしたらグーの音も出ないであろう。

新潟で出発を待つ「ばんえつ物語号」である。ご覧の地上時代の在来線ホームは現在高架化されたが、在来線のホームも新幹線開業に合わせ若干リニューアルされている。その時から既に30年以上経っているとは思えないほどのメンテナスぶりだったので、壊してしまうのがやや勿体無いイメージである。
新潟を出た「ばんえつ」は沼垂(ぬったり)の広いヤードをすり抜け、ようやく線路が2本にまとまると、暫く新潟らしい風景が広がる。
たが、やがて再び線路が複数に別れ、ジョイント音が鳴り響き広い構内に入っていった。そう、ここは新津である。
新津は信越本線と羽越本線、そして磐越西線の交点として古くから鉄道の要衝として栄えた駅だ。国鉄時代には、特に新潟に寄らない特急列車の「新潟的な」役割をするイメージが強く、新津に停車する優等列車列車も少なくなかった。特に寝台特急「日本海」等は新潟に寄るとスイッチバックをしなければならず、新津に停車させて新潟までは普通列車などで繋ぐパターンがみられた。

蒸気機関車を動かすという事は、現在のようなワンマン体制というわけにはいかない。しかも化石燃料をその場で燃焼させながら動かすわけであるから、特に季節によっては相当の労力であろうと思う。
しかしながら、新津の配線はとても複雑でありよく出来ている。現在も恐らくさほど変更は無いかと思われるが、新津ではどの方向から来た列車でもどのホームへも進入できる配線となっている。パッと見複雑でありそうだが、やはりやや複雑かも知れない。
信越本線は複線なのに対し、羽越本線や磐越西線などは単線のため、意外にも処理しやすいように見受けられる。ただ、やはりどれも平面交差のためややリスクはあるものの、全体的にはスマートな配線と言えるであろう。1日眺めていても飽きない素晴らしさがある。

新津は四方から路線が集まる要衝である。当然ながら配線も複雑になっているが、国鉄時代は全ての方向から全てのホームへ進入できる配線になっていたが現在はどうなのであろうか。
「ばんえつ物語」はここ新津で若干の停車時間が設定されている。そんな新津の複雑な配線を跨線橋から眺めてみると、やはり複雑だ。それより、橋上駅舎での駅弁販売が気になる陳列具合である。「ばんえつ」の到着に合わせてのイベント的な特設会場的販売と思っていたが、別の日に新津へ訪れた時もこの特設会場的な弁当売場はあったので、ある意味、通年的な特設会場になるのであろうか。それはともかく、いわゆる駅弁の他にもおにぎりなど旨そうな弁当も並んでるではないか。SLのパッケージが私を誘惑してきたが、このあと喜多方に下車し名物のご当地ラーメンを食する予定なので、一旦私は鉄道施設の方角へと自身を集中させた。

磐越西線の非電化区間ではこうした駅名標が観光客を待っている。いや、非電化区間という表現は将来的に正しくない日が来るかも知れない。
ホームに戻ると観光仕様の駅名標が目に飛び込んできた。何というか「大正レトロ」的な雰囲気を醸し出していて、一般には、特に女性ウケそうなイメージになっているが、私個人ではそうした「新しいもの」に対してはトキメキが薄い反応であった。しかしながら、全てを私好みに染めてしまったら一般にはほとんどウケなくなってしまうであろう。やはりこれでいいのだ。観光列車には観光列車に相応しい空間が必要だ。そんな思いを胸に、窓に現れる薄黒い煙を眺めながら会津若松方面を再び目指した。

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新潟で出発を待つ「ばんえつ物語号」である。ご覧の地上時代の在来線ホームは現在高架化されたが、在来線のホームも新幹線開業に合わせ若干リニューアルされている。その時から既に30年以上経っているとは思えないほどのメンテナスぶりだったので、壊してしまうのがやや勿体無いイメージである。
新潟を出た「ばんえつ」は沼垂(ぬったり)の広いヤードをすり抜け、ようやく線路が2本にまとまると、暫く新潟らしい風景が広がる。
たが、やがて再び線路が複数に別れ、ジョイント音が鳴り響き広い構内に入っていった。そう、ここは新津である。
新津は信越本線と羽越本線、そして磐越西線の交点として古くから鉄道の要衝として栄えた駅だ。国鉄時代には、特に新潟に寄らない特急列車の「新潟的な」役割をするイメージが強く、新津に停車する優等列車列車も少なくなかった。特に寝台特急「日本海」等は新潟に寄るとスイッチバックをしなければならず、新津に停車させて新潟までは普通列車などで繋ぐパターンがみられた。

蒸気機関車を動かすという事は、現在のようなワンマン体制というわけにはいかない。しかも化石燃料をその場で燃焼させながら動かすわけであるから、特に季節によっては相当の労力であろうと思う。
しかしながら、新津の配線はとても複雑でありよく出来ている。現在も恐らくさほど変更は無いかと思われるが、新津ではどの方向から来た列車でもどのホームへも進入できる配線となっている。パッと見複雑でありそうだが、やはりやや複雑かも知れない。
信越本線は複線なのに対し、羽越本線や磐越西線などは単線のため、意外にも処理しやすいように見受けられる。ただ、やはりどれも平面交差のためややリスクはあるものの、全体的にはスマートな配線と言えるであろう。1日眺めていても飽きない素晴らしさがある。

新津は四方から路線が集まる要衝である。当然ながら配線も複雑になっているが、国鉄時代は全ての方向から全てのホームへ進入できる配線になっていたが現在はどうなのであろうか。
「ばんえつ物語」はここ新津で若干の停車時間が設定されている。そんな新津の複雑な配線を跨線橋から眺めてみると、やはり複雑だ。それより、橋上駅舎での駅弁販売が気になる陳列具合である。「ばんえつ」の到着に合わせてのイベント的な特設会場的販売と思っていたが、別の日に新津へ訪れた時もこの特設会場的な弁当売場はあったので、ある意味、通年的な特設会場になるのであろうか。それはともかく、いわゆる駅弁の他にもおにぎりなど旨そうな弁当も並んでるではないか。SLのパッケージが私を誘惑してきたが、このあと喜多方に下車し名物のご当地ラーメンを食する予定なので、一旦私は鉄道施設の方角へと自身を集中させた。

磐越西線の非電化区間ではこうした駅名標が観光客を待っている。いや、非電化区間という表現は将来的に正しくない日が来るかも知れない。
ホームに戻ると観光仕様の駅名標が目に飛び込んできた。何というか「大正レトロ」的な雰囲気を醸し出していて、一般には、特に女性ウケそうなイメージになっているが、私個人ではそうした「新しいもの」に対してはトキメキが薄い反応であった。しかしながら、全てを私好みに染めてしまったら一般にはほとんどウケなくなってしまうであろう。やはりこれでいいのだ。観光列車には観光列車に相応しい空間が必要だ。そんな思いを胸に、窓に現れる薄黒い煙を眺めながら会津若松方面を再び目指した。

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題名の無い鉄道旅 part1 ばんえつ物語号③
2023-05-27
急行「能登」は信越本線経由で唯一日本に残るオール座席の夜行急行列車であったが、更に高崎では先述の寝台特急「北陸」にも抜かれる。「ムーンライトえちご」は実に贅沢な共演を魅せてくれる…素晴らしい!プロレスでいうならば三沢光晴&武藤敬司組のような感じであろうか。いや、ジャイアント馬場&アントニオ猪木のタッグチームのようなイメージであろう。何れにしてもムーンライトと「能登」などの共演は実に感動的であった。

再び登場させていただいた「ムーンライト」と「能登」の共演シーン。とはいえ、ホームが後ろに無いためこれ以上さがっての撮影は困難であり、ムーンライトが切れてしまった。だが、深夜の高崎でまさかの国鉄二重奏が見れるとは!既に幻の風景になってしまったが、23年ぶりくらいにレールファンを復活させこうしてまた国鉄シーンを見れたのは貴重な財産である。
さて、ムーンライトえちごは「快速」であるから主要駅しか停車しない。いや、正確には、深夜の時間帯になるところは主要駅すら停車しない。高崎を出ると、次の停車駅はなんと長岡である。水上や越後湯沢はとりあえず乗務員交代のため運転停車はするが、時刻表上では通過の案内になる。つまり、土合はもちろん、六日町や小千谷などは目もくれずに新潟を目指すわけだ。長岡夜行時代は主要駅はともかく、土合などの途中駅も律儀に停車していた。もちろん、登山等の利用者等が少なからずいたであろうが、そうした乗客は通年に一定の割合でいたとは考えにくく、増して、現在では高速道路や高速バス等の発達により、なおかつ合理化によるコスト削減のため、途中駅の停車は経営者側からすればかえって負担になるだけであろう。つまり「ムーンライトえちご」は必然的に快速列車となったわけである。
さて、長岡に着くとある事を思い出した。以前に寝台特急「北陸」に乗車した時、長岡での運転停車の際に、なんと、トワイライトエクスプレス」と鉢合わせたのだ。朧気ながら方向幕にはしっかり「トワイライトエクスプレス」と表示されていた。つまり深夜の長岡では残り少なくなった寝台特急の共演が見られた訳だ。何れは乗りたいよね~などと心で呟いていたが、結局夢は叶わなかった。

こちらは別の日に撮影した水上の風景である。ムーンライトは乗務員交代のため運転停車するが、こうして昼間に来てみるとまた違った風景が見られた。温泉街として古くからその名を知られてきたが、近年ではやや苦戦気味であり、定期便の在来線特急列車の設定がなくなってしまった。だが、現在も臨時ながらSLが活躍しており、何とか集客の期待が込められているシーンが伺える。
しかしながら寝台特急もいいが、こうしてかつての特急車両による夜行列車も実に良い。近年では夜行高速バスが主流になっているが、列車ならではの解放感と走行音ララバイによる気だるさがたまらない。
新潟の到着時間はなんと未明の4時台である。心地よい気だるさは更に倍増し、身体が重たい。旅の始まりでやや興奮気味のまま夜行列車に乗るので意外に寝付けないものだ。だが、未明の4時台になってくるといよいよ真の意味で眠気が襲ってくる。ムーンライトえちごはちょうどそのタイミングで新潟に到着するのだ。残念だが仕方がない。私はその重たい身体を引きずりながら、向かいのホームにいる白新線のロングシートに雪崩れ込んだ。

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再び登場させていただいた「ムーンライト」と「能登」の共演シーン。とはいえ、ホームが後ろに無いためこれ以上さがっての撮影は困難であり、ムーンライトが切れてしまった。だが、深夜の高崎でまさかの国鉄二重奏が見れるとは!既に幻の風景になってしまったが、23年ぶりくらいにレールファンを復活させこうしてまた国鉄シーンを見れたのは貴重な財産である。
さて、ムーンライトえちごは「快速」であるから主要駅しか停車しない。いや、正確には、深夜の時間帯になるところは主要駅すら停車しない。高崎を出ると、次の停車駅はなんと長岡である。水上や越後湯沢はとりあえず乗務員交代のため運転停車はするが、時刻表上では通過の案内になる。つまり、土合はもちろん、六日町や小千谷などは目もくれずに新潟を目指すわけだ。長岡夜行時代は主要駅はともかく、土合などの途中駅も律儀に停車していた。もちろん、登山等の利用者等が少なからずいたであろうが、そうした乗客は通年に一定の割合でいたとは考えにくく、増して、現在では高速道路や高速バス等の発達により、なおかつ合理化によるコスト削減のため、途中駅の停車は経営者側からすればかえって負担になるだけであろう。つまり「ムーンライトえちご」は必然的に快速列車となったわけである。
さて、長岡に着くとある事を思い出した。以前に寝台特急「北陸」に乗車した時、長岡での運転停車の際に、なんと、トワイライトエクスプレス」と鉢合わせたのだ。朧気ながら方向幕にはしっかり「トワイライトエクスプレス」と表示されていた。つまり深夜の長岡では残り少なくなった寝台特急の共演が見られた訳だ。何れは乗りたいよね~などと心で呟いていたが、結局夢は叶わなかった。

こちらは別の日に撮影した水上の風景である。ムーンライトは乗務員交代のため運転停車するが、こうして昼間に来てみるとまた違った風景が見られた。温泉街として古くからその名を知られてきたが、近年ではやや苦戦気味であり、定期便の在来線特急列車の設定がなくなってしまった。だが、現在も臨時ながらSLが活躍しており、何とか集客の期待が込められているシーンが伺える。
しかしながら寝台特急もいいが、こうしてかつての特急車両による夜行列車も実に良い。近年では夜行高速バスが主流になっているが、列車ならではの解放感と走行音ララバイによる気だるさがたまらない。
新潟の到着時間はなんと未明の4時台である。心地よい気だるさは更に倍増し、身体が重たい。旅の始まりでやや興奮気味のまま夜行列車に乗るので意外に寝付けないものだ。だが、未明の4時台になってくるといよいよ真の意味で眠気が襲ってくる。ムーンライトえちごはちょうどそのタイミングで新潟に到着するのだ。残念だが仕方がない。私はその重たい身体を引きずりながら、向かいのホームにいる白新線のロングシートに雪崩れ込んだ。

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題名の無い鉄道旅 part1 ばんえつ物語号②
2023-05-20
時刻表とのにらめっこは私が勝った!
「ばんえつ物語号」に乗るためには、なんと「ムーンライトえちご」が最適だということがわかったのだ。かつては下りのみの「長岡夜行」としてなんと115系で辺りで運転されていた時期もあったが、JRになりムーンライトとして進化、上り列車も登場した。そして首都圏での東北・上越方面の玄関口は上野と決まっていたが、JRになってからは「湘南新宿ライン」などの路線も登場し、ある意味融通が利くようになり新宿発などの列車が格段に増えた。それは国鉄時代に比べたら非常に大きな変化であり、優等列車においても考えられなかった「新宿発新潟行き」が登場したのだ。

このブログで何度か紹介させて頂いた写真で申し訳ないが、高崎で撮影したムーンライトえちごである。こんな車両が「快速」とは、私にしてみたらなんとも贅沢な事である。
さて「ムーンライトえちご」は全席指定なので出発の3時間くらい前から並ばないと座席を確保できないなどという事は無く、むしろ途中駅からでも指定券さえ取れれば確実に乗車でき、そして座る事ができる。もちろん、国鉄時代の長岡夜行に比べたら格段の進歩であることは前述通りである。ということで、私はムーンライトで新潟を目指し、磐越方面の「物語」を制覇する決意をしたのである。
運用車両は489系であるが、特急ではない快速のムーンライトというのは、私にしてみたら得した気分となってしまう。というのも、周知の通りもともと国鉄時代の特急車両であり、快速などでの運用は私にしてみたら信じがたい光景であるからだ。特段の別料金を支払わず、乗車券と座席指定券のみで乗車できてしまうとは、何か世間に対して申し訳ないような気持ちになってしまう。まぁ、先述している国鉄時代のセミロングシートよりは全然良いのだが、何となく構えてしまうようなイメージになってしまうのは私くらいであろうか。

こちらも何度か紹介している写真で申し訳ないが、晩年の急行「能登」である。恐らくこの急行「能登」は「ばんえつ物語号」の旅行程での撮影であったはずである。高崎でムーンライトを追い抜くが、乗車率的にはひと桁的イメージが窓の外から伺えた。これが583系で運用されていたらまた違った風景が展開されたであろう。
高崎で長い時間の停車時間があるムーンライトであるが、実はここで急行「能登」と、寝台特急「北陸」に抜かれる。つまり、ここでは優等列車の待避となるわけだが、深夜の1時頃であるにも関わらず、レールファンの血が騒いでしまう。特に「能登」に関しては、恐らく国鉄時代には「とき」などの在来線特急に使用されていたであろう181系又は183系辺りが使われており往年の姿が甦る。
基本的に「能登」は客車による夜行急行列車だったイメージであるが、車両が変わるだけでこんなにもイメージが変わってしまうとは。私は島式ホーム先端へ向かい、JR時代に生まれた国鉄時代の盟友同士の貴重なツーショットを収めるのに無我夢中になっていた。

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「ばんえつ物語号」に乗るためには、なんと「ムーンライトえちご」が最適だということがわかったのだ。かつては下りのみの「長岡夜行」としてなんと115系で辺りで運転されていた時期もあったが、JRになりムーンライトとして進化、上り列車も登場した。そして首都圏での東北・上越方面の玄関口は上野と決まっていたが、JRになってからは「湘南新宿ライン」などの路線も登場し、ある意味融通が利くようになり新宿発などの列車が格段に増えた。それは国鉄時代に比べたら非常に大きな変化であり、優等列車においても考えられなかった「新宿発新潟行き」が登場したのだ。

このブログで何度か紹介させて頂いた写真で申し訳ないが、高崎で撮影したムーンライトえちごである。こんな車両が「快速」とは、私にしてみたらなんとも贅沢な事である。
さて「ムーンライトえちご」は全席指定なので出発の3時間くらい前から並ばないと座席を確保できないなどという事は無く、むしろ途中駅からでも指定券さえ取れれば確実に乗車でき、そして座る事ができる。もちろん、国鉄時代の長岡夜行に比べたら格段の進歩であることは前述通りである。ということで、私はムーンライトで新潟を目指し、磐越方面の「物語」を制覇する決意をしたのである。
運用車両は489系であるが、特急ではない快速のムーンライトというのは、私にしてみたら得した気分となってしまう。というのも、周知の通りもともと国鉄時代の特急車両であり、快速などでの運用は私にしてみたら信じがたい光景であるからだ。特段の別料金を支払わず、乗車券と座席指定券のみで乗車できてしまうとは、何か世間に対して申し訳ないような気持ちになってしまう。まぁ、先述している国鉄時代のセミロングシートよりは全然良いのだが、何となく構えてしまうようなイメージになってしまうのは私くらいであろうか。

こちらも何度か紹介している写真で申し訳ないが、晩年の急行「能登」である。恐らくこの急行「能登」は「ばんえつ物語号」の旅行程での撮影であったはずである。高崎でムーンライトを追い抜くが、乗車率的にはひと桁的イメージが窓の外から伺えた。これが583系で運用されていたらまた違った風景が展開されたであろう。
高崎で長い時間の停車時間があるムーンライトであるが、実はここで急行「能登」と、寝台特急「北陸」に抜かれる。つまり、ここでは優等列車の待避となるわけだが、深夜の1時頃であるにも関わらず、レールファンの血が騒いでしまう。特に「能登」に関しては、恐らく国鉄時代には「とき」などの在来線特急に使用されていたであろう181系又は183系辺りが使われており往年の姿が甦る。
基本的に「能登」は客車による夜行急行列車だったイメージであるが、車両が変わるだけでこんなにもイメージが変わってしまうとは。私は島式ホーム先端へ向かい、JR時代に生まれた国鉄時代の盟友同士の貴重なツーショットを収めるのに無我夢中になっていた。

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