上田で荷物を忘れてしまいましたが ⑬
2023-04-15
岡谷の配線は意外とシンプルだという事は予めわかっていたが、やはり実際に確認作業になると童心に返った感じになる。しかも115系による運用のためモーター音が懐かしいので、その童心感は更に倍増する。
東海道線で中京地区からの帰郷の際、静岡付近ではロングシートの車両が多く、更に要衝駅においては階段を使う乗り換えが多い。しかも18シーズンとなると乗り換えてからもほとんど同じ顔ぶれの乗客を占めるため、長距離利用者も少なくなく、かなりの修行を強いられる事になる。だが、今回の旅においての中央線では、そろそろ終焉を迎えるであろうと予想していた115系の運用もあり、セミクロスシートのためかなり負担が軽減される。しかも、先述通り普通列車は長距離運用が多く乗り換えが少なくて済む。もちろん、予想通り甲府前後での利用者は膨らむが、なんだかんだで全体通して長旅らしい風景を展開してくれた。お陰で大月で富士急行に乗り換えるのを躊躇って(ためらって)しまいそうなほど素晴らしい時間が流れていた。


画像はウィキより拝借させていただいた岡谷である。駅舎は改装前であるが、改札は現在の姿だ。ご覧の通り、自動改札でいかにも現在の鉄道風景を象徴しているが、改札がホームに接するこの姿はかつての国鉄式の典型的な造りであり、全国の主要駅で数多く見られた風景だ。
大月で長らく乗車してきた115系に別れを告げ富士急行のホームへ向かう。富士急行は意外にもローカル線らしい雰囲気を醸し出しており、一気に私のやる気スイッチがオンされた。乗り換え途中にある駅そばの誘惑には勝てなかったが、初めて生で見る富士急の意外な風景に私は胸を踊らせた。

ダイナミック✡トナカイ(・・・説明しよう。中学時代に所属していたクラブ活動「鉄道研究クラブ」の一年後輩である。)が撮影した中央線でお馴染みの優等列車である。恐らくJR化後の撮影であると思われるが、当時ではかなり斬新なペイントであった印象だ。
東京方面から優等列車が乗り入れていた時代もあったほど、富士急は伊豆急と同じく観光色を前面に押し出すイメージであるが、地域輸送にも定評があるであろう風景はやはり鉄道本来の姿であろう。そして、なんといっても「フジサン特急」の存在が大きい。というのも、どこかで見た車両…そう、我が地元の小田急ロマンスカーがここでも活躍していたのだ。新宿と御殿場、沼津を結ぶ「あさぎり」がこちらで第二の人生を送っており、ジモティの私にしてみたらその活躍ぶりが気になるので会いに来たのだ。
もちろん、既に富士急カラーに染まっており小田急の列車ではないなとひと目でわかるが、車内の変化はそれほど無いであろう。そんな予想を頭に描きながら、普通列車に乗り込み一路河口湖へ向かった。

そして同じくダイナミック✡トナカイ撮影の優等列車である。「あずさ」より後発の名称である特急列車だが、急行「アルプス」が全廃された際に「あずさ」を補足する意味での登場であると思われる。基本的に東京方面より松本方面まで行く特急を「あずさ」、甲府付近までの運転を「かいじ」と使い分けられ現在に至っている。片方の「目」が開いているという事は、撮影時には音響的に相当の苦労があったであろうと推測。
富士急というと、割りと首都圏から近いため何となく都市近郊の鉄道風景を想像してしまいそうだが、起点の大月から既にローカル色豊かな景色となっている。もちろん、朝晩は学生諸君の利用が主体となりそうな、いわゆる地方の典型的な鉄道風景が見られる事であろうから、恐らく平日と週末ではまったくカラーが異なりそうなイメージである。ただ、私の乗車時期は「18」のシーズンであるため地元の方以外の乗客も少なくないであろうが、富士急の始発駅である大月、そして富士急行線内に入って河口湖までも普通列車に揺られながらたどり着こうと最初から考えてるのは私と18キッパーくらいであろう。もちろん富士急行線内は別料金となるが、私の着地は他の乗客と同じ富士吉田方面であり、終点の河口湖である。ただ、河口湖「駅」を出て「さぁ、河口湖へ観光だ!」とはならないのは確実に私のみであろう。その証拠に、河口湖「駅」に着くとちょっとした事件があったからだ。だがしかし、異色の目的とはいえ己を貫くしかない。と、変な理屈を見つけながら私は河口湖を目指した。

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東海道線で中京地区からの帰郷の際、静岡付近ではロングシートの車両が多く、更に要衝駅においては階段を使う乗り換えが多い。しかも18シーズンとなると乗り換えてからもほとんど同じ顔ぶれの乗客を占めるため、長距離利用者も少なくなく、かなりの修行を強いられる事になる。だが、今回の旅においての中央線では、そろそろ終焉を迎えるであろうと予想していた115系の運用もあり、セミクロスシートのためかなり負担が軽減される。しかも、先述通り普通列車は長距離運用が多く乗り換えが少なくて済む。もちろん、予想通り甲府前後での利用者は膨らむが、なんだかんだで全体通して長旅らしい風景を展開してくれた。お陰で大月で富士急行に乗り換えるのを躊躇って(ためらって)しまいそうなほど素晴らしい時間が流れていた。


画像はウィキより拝借させていただいた岡谷である。駅舎は改装前であるが、改札は現在の姿だ。ご覧の通り、自動改札でいかにも現在の鉄道風景を象徴しているが、改札がホームに接するこの姿はかつての国鉄式の典型的な造りであり、全国の主要駅で数多く見られた風景だ。
大月で長らく乗車してきた115系に別れを告げ富士急行のホームへ向かう。富士急行は意外にもローカル線らしい雰囲気を醸し出しており、一気に私のやる気スイッチがオンされた。乗り換え途中にある駅そばの誘惑には勝てなかったが、初めて生で見る富士急の意外な風景に私は胸を踊らせた。

ダイナミック✡トナカイ(・・・説明しよう。中学時代に所属していたクラブ活動「鉄道研究クラブ」の一年後輩である。)が撮影した中央線でお馴染みの優等列車である。恐らくJR化後の撮影であると思われるが、当時ではかなり斬新なペイントであった印象だ。
東京方面から優等列車が乗り入れていた時代もあったほど、富士急は伊豆急と同じく観光色を前面に押し出すイメージであるが、地域輸送にも定評があるであろう風景はやはり鉄道本来の姿であろう。そして、なんといっても「フジサン特急」の存在が大きい。というのも、どこかで見た車両…そう、我が地元の小田急ロマンスカーがここでも活躍していたのだ。新宿と御殿場、沼津を結ぶ「あさぎり」がこちらで第二の人生を送っており、ジモティの私にしてみたらその活躍ぶりが気になるので会いに来たのだ。
もちろん、既に富士急カラーに染まっており小田急の列車ではないなとひと目でわかるが、車内の変化はそれほど無いであろう。そんな予想を頭に描きながら、普通列車に乗り込み一路河口湖へ向かった。

そして同じくダイナミック✡トナカイ撮影の優等列車である。「あずさ」より後発の名称である特急列車だが、急行「アルプス」が全廃された際に「あずさ」を補足する意味での登場であると思われる。基本的に東京方面より松本方面まで行く特急を「あずさ」、甲府付近までの運転を「かいじ」と使い分けられ現在に至っている。片方の「目」が開いているという事は、撮影時には音響的に相当の苦労があったであろうと推測。
富士急というと、割りと首都圏から近いため何となく都市近郊の鉄道風景を想像してしまいそうだが、起点の大月から既にローカル色豊かな景色となっている。もちろん、朝晩は学生諸君の利用が主体となりそうな、いわゆる地方の典型的な鉄道風景が見られる事であろうから、恐らく平日と週末ではまったくカラーが異なりそうなイメージである。ただ、私の乗車時期は「18」のシーズンであるため地元の方以外の乗客も少なくないであろうが、富士急の始発駅である大月、そして富士急行線内に入って河口湖までも普通列車に揺られながらたどり着こうと最初から考えてるのは私と18キッパーくらいであろう。もちろん富士急行線内は別料金となるが、私の着地は他の乗客と同じ富士吉田方面であり、終点の河口湖である。ただ、河口湖「駅」を出て「さぁ、河口湖へ観光だ!」とはならないのは確実に私のみであろう。その証拠に、河口湖「駅」に着くとちょっとした事件があったからだ。だがしかし、異色の目的とはいえ己を貫くしかない。と、変な理屈を見つけながら私は河口湖を目指した。

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上田で荷物を忘れてしまいましたが ⑫
2023-04-08
松本へ戻ってきた私は「東へと向かう列車」に乗り帰郷のゾーンに入るが、とにかく中央線、特に中央東線の普通列車は運転距離の長いものが多い。中央本線は運転系統が塩尻で分かれるため全線通しでの直通列車は定期便では無いが、篠ノ井線を経由して松本発着の列車が多く、甲府や、中には高尾などから松本方面までやってくる列車も少なくない。そうした中、18キッパーにとっては乗り換えが少なくて利便性が高いであろうと思われるが、今回は富士急行の制覇が待っているので途中の大月で下車しなければならない。

駅で列車を待っているとこんな列車に出会ったが、現在は既に「あずさ」での運用が終了し、貴重な画像となってしまった。まさか「2号」ではないと思うが・・・などと言ってピンときたあなたは昭和世代であろう!
しかしながら、中央東線は東海道線とはやはりパイが違うため、静岡付近のような混雑度や階段を使う乗り換えが少なく、しかも115系クロスシートのため(当時)、申し訳ないが利用する側は非常に心地が良い。もちろん、甲府付近での乗降はあるものの、全体として穏やかな時間が流れる印象である。
つまり中央本線は山間部を貫くため沿線人口は東海道線と比較するとそれほど多くなく、しかもSL時代はかなりの数でスイッチバック駅が存在していたため敷設の苦労が伺えるということだ。戦時下では東海道線の代替え迂回路線としての使命も担っていたが、現在はスイッチバックがほぼ解消され、唯一残る初狩も旅客ホームは勾配上に作られているので列車はスムーズに運転されている。

私はこちらの列車に乗って帰郷する。中央東線は普通列車の一本が長い区間を運転するので乗り換えが少ないイメージだ。失礼ながら、東海道よりも鉄道旅らしい風景が流れる車窓を眺めながら乗車する115系は実に素敵な時間が過ぎていく。
さて、既に紹介した塩尻を過ぎ、私の乗った普通列車は岡谷に着いたが、みどり湖への分岐線が開通し、配線がやや変わった。あの塩尻の二股に分かれるダイナミックさは無いが、それでも飯田線が乗り入れたり特急の停車が増えたりと、駅の重要性が感じ取れる。国鉄時代は東京方面から続く複線区間が上諏方の先にある普門寺信号場より単線になり松本方面へとつづいたが、塩嶺トンネル開通以降は岡谷からみどり湖経由の塩尻までは複線化された。国鉄末期ではこうした中央東線の改革がかなり進められたが、改革されてから既に30年以上経過したので配線も少々変更あるであろう。だが、全体として将来を見越し進めた改革が現在も活かされ、そして成功しているのだから素晴らしい。そんな革命のドラマを、ガラス越しに映る二本のレールが無言で語りかけてきた気がした。

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駅で列車を待っているとこんな列車に出会ったが、現在は既に「あずさ」での運用が終了し、貴重な画像となってしまった。まさか「2号」ではないと思うが・・・などと言ってピンときたあなたは昭和世代であろう!
しかしながら、中央東線は東海道線とはやはりパイが違うため、静岡付近のような混雑度や階段を使う乗り換えが少なく、しかも115系クロスシートのため(当時)、申し訳ないが利用する側は非常に心地が良い。もちろん、甲府付近での乗降はあるものの、全体として穏やかな時間が流れる印象である。
つまり中央本線は山間部を貫くため沿線人口は東海道線と比較するとそれほど多くなく、しかもSL時代はかなりの数でスイッチバック駅が存在していたため敷設の苦労が伺えるということだ。戦時下では東海道線の代替え迂回路線としての使命も担っていたが、現在はスイッチバックがほぼ解消され、唯一残る初狩も旅客ホームは勾配上に作られているので列車はスムーズに運転されている。

私はこちらの列車に乗って帰郷する。中央東線は普通列車の一本が長い区間を運転するので乗り換えが少ないイメージだ。失礼ながら、東海道よりも鉄道旅らしい風景が流れる車窓を眺めながら乗車する115系は実に素敵な時間が過ぎていく。
さて、既に紹介した塩尻を過ぎ、私の乗った普通列車は岡谷に着いたが、みどり湖への分岐線が開通し、配線がやや変わった。あの塩尻の二股に分かれるダイナミックさは無いが、それでも飯田線が乗り入れたり特急の停車が増えたりと、駅の重要性が感じ取れる。国鉄時代は東京方面から続く複線区間が上諏方の先にある普門寺信号場より単線になり松本方面へとつづいたが、塩嶺トンネル開通以降は岡谷からみどり湖経由の塩尻までは複線化された。国鉄末期ではこうした中央東線の改革がかなり進められたが、改革されてから既に30年以上経過したので配線も少々変更あるであろう。だが、全体として将来を見越し進めた改革が現在も活かされ、そして成功しているのだから素晴らしい。そんな革命のドラマを、ガラス越しに映る二本のレールが無言で語りかけてきた気がした。

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