江差追分
2014-05-02
「♪かも~めぇ~」で御馴染みの民謡「江差追分」は、北海道・江差地区が発祥の地であり、映画「男はつらいよ」のワンシーンで渥美清が自慢のノドを披露している。「男はつらいよ」といえば、監督の山田洋次氏は意外と「鉄分」豊富らしく、ロケにもかなりの頻度で鉄道が登場する。上田交通(当時)や尾小屋鉄道、廃止後の鹿児島交通など挙げたら切がない。江差の鉄道シーンは登場した記憶がないが、確か伊藤蘭がマドンナだったような気がした。第26作と記憶しているが・・・

(画像がよろしくないが、木古内駅にて。新幹線の駅が出来たら大きく変貌するであろう。)
前置きが少し長くなったが、とある日、江差線のこれから起こる事象のニュースが入ってきた。江差線とは、JR北海道の路線で五稜郭~江差の区間である。かつては木古内より松前線が分岐し、木古内では列車の分割・併合が頻繁に行われていた。更に急行も数本設定されており、活気に満ちていた・・・はずなのだが、例の「国鉄再建法」により先に松前線が姿を消した。やがて青函トンネルの開通と同時に海峡線の分岐駅となり、特急が停車するようになり、木古内も随分出世したなと感心していた時期もあった。周知の通り、木古内~五稜郭は海峡線の列車が通るため、設備が改良されている。しかし木古内~江差の区間は一転、昔ながらの「ローカル線」である。時刻表を見ると一見木古内~江差が盲腸線のように感じると思うが、実際は五稜郭~木古内も江差線である。
以前に廃止された松前線は、廃止の際には江差線より松前線を残すべきだ、との意見が後を絶たなかった。実際、転換直後の代行バスは、朝の通学時間帯においては学生諸君の輸送処理能力オーバーだったらしい。結局残った江差線も松前線と同じ「運命」を辿ろうとは、何とも皮肉な結果であろうか・・・

私は2009年3月にこの地に訪れている。江差線の木古内~江差と函館市の路面電車を制覇すれば北海道の鉄道全線制覇完成の時であった。この旅の北海道入りは「北斗星」である。本当は「ロイヤル」で豪華に行きたいところだが、予算の関係から「Bデュエット」での参戦。実は帰りを「カシオペア」にした関係からであるが、もちろん「初」であったためそちらに力を注いだのだ。
函館を10時13分に「普通列車」で出発。木古内までは特急でも行けるが、ここはあえて「普通」にこだわる。木古内までは「津軽海峡線」の別名があるが、普通列車では設備を持て余すほど立派だ。上磯は昔と比べ、かなり配線変更があり様変わりしている、といっても「江差線」時代を私は知らないので様変わりの度合いが不明であるが・・・

(江差駅にて。側線があったと思われる空間が寂しい。が、本線も駅舎もいずれ無くなると思うと更に寂しさが・・・)
途中、木古内では長時間のインターバルがあったため駅を散策。3面5線のホームは有効長が長く、1両編成の普通列車はホームにいるのが申し訳なさそうである。先述したが、かつてはここより松前線が分岐しており、この駅で分割・併合が頻繁に行われ活気に満ちていた。北海道新幹線の開通の暁には新幹線の駅は設置される予定である!!かつての急行停車駅が特急停車駅へ、そして新幹線停車駅と、確実に出世しているではないか!しかしながら厳しい現実に太刀打ちできるか・・・
旧・松前線と海峡線は一部路線が競合しているような部分が無くはない。松前線廃止の代わりではないが「知内」なる駅が誕生した。かつては信号所だったが、駅に昇格している。といっても、到底松前線の「代わり」をしているとは思えない。一日数本の停車では「役目」の割合が知れているであろうが・・・
木古内を出発し江差方面へ向かったら景色が急転した。もちろん「鉄道設備」の意味である。予め分かってはいた事ではあるが、私の好きな「ローカルモード」となった。同じく北海道の石勝線の新夕張~夕張間に状況が似ている。新しい鉄道ファンは石勝線や江差線の「盲腸部分」をどうとらえているのであろうか?石勝線に関して言えば「夕張線」が改良された結果「支線」に転落。江差線も似たような運命を辿っているとは、やはり盲腸線の運命なのか?江差までは湯ノ岱だけが唯一の交換可能駅。他の駅は余計な線路は全て撤去されており棒線化されている。やがて江差に到着したがここも例外ではない。かつての側線は全て撤去され棒線化されている。ホーム手前で線路が若干角度を変えているのがその名残だ。しかし駅前は想像していたよりもかなりひっそりとしていた。江差の市街地から南にかなり離れており、便利がよろしくないであろう。地元民もかなり使いにくい交通機関ではないか。帰りの飲料がやや不足気味のため駅前の酒屋に入った。チエーン店ではない店にしては格安の酎ハイを入手したがここもやがて「駅前」ではなくなる。私のように列車から降りて買いに来る客がいなくなるであろうが、店の売り上げにどれほど影響するであろう。
車内に戻り先ほど購入の「飲料」を飲み干す。というのも、3月であるのに過剰な空調でTシャッツ1枚で過ごすほどだ。のどが渇く。一応帰宅後にJR北海道に意見を投稿しておいたが、とにかくアルコール入り清涼飲料が進むほど暑い!なのに外は若干の雪景色・・・何ともアンマッチな組み合わせせある。

私は乗ってきた列車で折り返し函館に向かったが、函館到着は16時頃である。江差線制覇のみでほぼ一日が終わったような感じだ。といっても出発時間が遅かったせいもあるが、この後路面電車を制覇して「カシオペア」乗車とは、なかなか期待に胸が高まる。そのカシオペアに乗って再び木古内まで「江差線」を通るわけであるが、この区間も新幹線が開通したらJRの管轄ではなくなる予定だ。
変わりゆく江差線・・・木古内を境に運命が二分されたがなぜか寂しさは無い・・・なぜだろう。もう充分に老後の生活を送り「平成」を生き抜いて来た。「お疲れ様」と言いたいが、もしかしたら20年以上前の「国鉄再建法」の時点で運命は決まっていたのかも知れない。恩恵を受けた「津軽海峡線」の部分もやがてその使命を終えようとしている。「トンネル」でさえ、開通する頃には社会情勢の変化により「使い道」に頭を抱えるのは「運命の悪戯」なのであろうか?

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(画像がよろしくないが、木古内駅にて。新幹線の駅が出来たら大きく変貌するであろう。)
前置きが少し長くなったが、とある日、江差線のこれから起こる事象のニュースが入ってきた。江差線とは、JR北海道の路線で五稜郭~江差の区間である。かつては木古内より松前線が分岐し、木古内では列車の分割・併合が頻繁に行われていた。更に急行も数本設定されており、活気に満ちていた・・・はずなのだが、例の「国鉄再建法」により先に松前線が姿を消した。やがて青函トンネルの開通と同時に海峡線の分岐駅となり、特急が停車するようになり、木古内も随分出世したなと感心していた時期もあった。周知の通り、木古内~五稜郭は海峡線の列車が通るため、設備が改良されている。しかし木古内~江差の区間は一転、昔ながらの「ローカル線」である。時刻表を見ると一見木古内~江差が盲腸線のように感じると思うが、実際は五稜郭~木古内も江差線である。
以前に廃止された松前線は、廃止の際には江差線より松前線を残すべきだ、との意見が後を絶たなかった。実際、転換直後の代行バスは、朝の通学時間帯においては学生諸君の輸送処理能力オーバーだったらしい。結局残った江差線も松前線と同じ「運命」を辿ろうとは、何とも皮肉な結果であろうか・・・

私は2009年3月にこの地に訪れている。江差線の木古内~江差と函館市の路面電車を制覇すれば北海道の鉄道全線制覇完成の時であった。この旅の北海道入りは「北斗星」である。本当は「ロイヤル」で豪華に行きたいところだが、予算の関係から「Bデュエット」での参戦。実は帰りを「カシオペア」にした関係からであるが、もちろん「初」であったためそちらに力を注いだのだ。
函館を10時13分に「普通列車」で出発。木古内までは特急でも行けるが、ここはあえて「普通」にこだわる。木古内までは「津軽海峡線」の別名があるが、普通列車では設備を持て余すほど立派だ。上磯は昔と比べ、かなり配線変更があり様変わりしている、といっても「江差線」時代を私は知らないので様変わりの度合いが不明であるが・・・

(江差駅にて。側線があったと思われる空間が寂しい。が、本線も駅舎もいずれ無くなると思うと更に寂しさが・・・)
途中、木古内では長時間のインターバルがあったため駅を散策。3面5線のホームは有効長が長く、1両編成の普通列車はホームにいるのが申し訳なさそうである。先述したが、かつてはここより松前線が分岐しており、この駅で分割・併合が頻繁に行われ活気に満ちていた。北海道新幹線の開通の暁には新幹線の駅は設置される予定である!!かつての急行停車駅が特急停車駅へ、そして新幹線停車駅と、確実に出世しているではないか!しかしながら厳しい現実に太刀打ちできるか・・・
旧・松前線と海峡線は一部路線が競合しているような部分が無くはない。松前線廃止の代わりではないが「知内」なる駅が誕生した。かつては信号所だったが、駅に昇格している。といっても、到底松前線の「代わり」をしているとは思えない。一日数本の停車では「役目」の割合が知れているであろうが・・・
木古内を出発し江差方面へ向かったら景色が急転した。もちろん「鉄道設備」の意味である。予め分かってはいた事ではあるが、私の好きな「ローカルモード」となった。同じく北海道の石勝線の新夕張~夕張間に状況が似ている。新しい鉄道ファンは石勝線や江差線の「盲腸部分」をどうとらえているのであろうか?石勝線に関して言えば「夕張線」が改良された結果「支線」に転落。江差線も似たような運命を辿っているとは、やはり盲腸線の運命なのか?江差までは湯ノ岱だけが唯一の交換可能駅。他の駅は余計な線路は全て撤去されており棒線化されている。やがて江差に到着したがここも例外ではない。かつての側線は全て撤去され棒線化されている。ホーム手前で線路が若干角度を変えているのがその名残だ。しかし駅前は想像していたよりもかなりひっそりとしていた。江差の市街地から南にかなり離れており、便利がよろしくないであろう。地元民もかなり使いにくい交通機関ではないか。帰りの飲料がやや不足気味のため駅前の酒屋に入った。チエーン店ではない店にしては格安の酎ハイを入手したがここもやがて「駅前」ではなくなる。私のように列車から降りて買いに来る客がいなくなるであろうが、店の売り上げにどれほど影響するであろう。
車内に戻り先ほど購入の「飲料」を飲み干す。というのも、3月であるのに過剰な空調でTシャッツ1枚で過ごすほどだ。のどが渇く。一応帰宅後にJR北海道に意見を投稿しておいたが、とにかくアルコール入り清涼飲料が進むほど暑い!なのに外は若干の雪景色・・・何ともアンマッチな組み合わせせある。

私は乗ってきた列車で折り返し函館に向かったが、函館到着は16時頃である。江差線制覇のみでほぼ一日が終わったような感じだ。といっても出発時間が遅かったせいもあるが、この後路面電車を制覇して「カシオペア」乗車とは、なかなか期待に胸が高まる。そのカシオペアに乗って再び木古内まで「江差線」を通るわけであるが、この区間も新幹線が開通したらJRの管轄ではなくなる予定だ。
変わりゆく江差線・・・木古内を境に運命が二分されたがなぜか寂しさは無い・・・なぜだろう。もう充分に老後の生活を送り「平成」を生き抜いて来た。「お疲れ様」と言いたいが、もしかしたら20年以上前の「国鉄再建法」の時点で運命は決まっていたのかも知れない。恩恵を受けた「津軽海峡線」の部分もやがてその使命を終えようとしている。「トンネル」でさえ、開通する頃には社会情勢の変化により「使い道」に頭を抱えるのは「運命の悪戯」なのであろうか?

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