風は秋色…秘境駅への招待 ⑨
2022-10-15
田本のホームからは天竜川川が望めるが、ホーム後ろは既に山肌なので、完全に崖の一部に駅があるイメージだ。外界からホームへと繋がる道は登山道のような、いや、登山道であろう道が豊橋寄りのホーム先端にあるトンネル上部へと繋がる階段の先に合流する道しかない。つまり車での訪問はほぼ不可能である。駅ホームには点字ブロックが貼られ「黄色い線の内側までお下がりください」の黄色い線の役割をしているが、そもそも点字ブロックを必要とされる利用者様の田本利用は大変危険であり、海芝浦のように駅に滞在する以外駅の利用方法は無い。実際に私の妻は足を骨折しボルトを入れる手術をしているため現在も車椅子を利用している。もちろん短時間の歩行は大丈夫なのだが、とてもあの田本の外界へ通ずる階段を登るのは無理で、秘境駅らしい風景を痛感させられる。もちろん妻を連れていく予定など全く無いが、五体満足の私でも時間帯によっては危険であろう。

そしてホームの壁となる山肌はコンクリートで固められ安全措置を取られているが、恐らく駅の設置工事の際に最も難工事だったであろう岩石がその壁に張り付きコンクリートで一緒に固められている。正直、かなり危険な角度で張り付いているためスティーブウィリアムス並みの「岩石落とし」を喰らってしまったら即座にスリーカウントが入ってしまうであろう。ただ、敢えて残してあるという事は、逆に撤去不可能であるという事であろう。イコール落ちないと考えてよさそうだ。


棒線形の駅であるが、場所によってはホーム幅がかなりキツい。「黄色い線の内側まで下がってください」とアナウンスがあった場合は少々戸惑う。
さて、田本には一時間半くらいはいたであろうか。当初の予定では小和田、田本の2駅であった訪問予定であるが、水窪の信号機トラブルにより予定を大幅に組み換えた。その結果、若干時間が出来たので為栗に訪問する事を即興で決めた。しかもダイヤは通常に戻っていたので予定も組みやすい。相方の「おさる」も了承し、一路為栗へ向かった。


一応駅前道路は舗装されていた。もちろんバス停やロータリーなどの設備は無いが、写真左側のフェンスの向こうにはすぐに天竜川(和知野川)のせせらぎが聞こえる。
天竜川(和知野川)が迫る為栗に着いた時、まるでカラーの水墨画のような風景に圧巻された。大きくUの字にひねった天竜川(和知野川)はエメラルドグリーンに輝き、駅周辺では文明をそれほど感じない、いやかなり感じない静かな駅である、つまり秘境駅ということである。もちろん天竜川(和知野川)との間には舗装された道路が一本挟まれるため海芝浦ほど川面に近いわけではないが、それでもその雄大なスケールに圧倒される。
もちろん、旅客が主体の現在、銭儲けとはかけはなれた景色となっており経営者側にはつらい風景であるが、それでも定期客などの利用者にとっては貴重な交通手段であろう。その証拠にしっかりとメンテナンスされたホームなどはJR東海スタイルが無言で反映されている気がしてならない。急遽予定を変更し組み入れた為栗訪問のため滞在時間は僅か10分くらいであったが、その短い時間に為栗の数々のドラマを、そしてJR東海の心意気を見た気がした。

駅前には観光案内板があった。駅前の川は天竜川と思っていたら和知野川だったらしい。川下の天龍村付近で天竜川に合流するという事が後にわかった。ただし・・・夜間の訪問は何かと勇気がいりそう。
やがてレールから列車の鼓動がクレッシェンドしてくる中、小さな車体がこちらに迫るに連れ大きくなってきた。行き先表示は「飯田」となっている。つまりこの路線の代表駅となる。私の場合秘境駅はともかく、大きな駅や路線や都市を代表する駅の方が好きだ。この後飯田線を制覇するため辰野へ向かうのだが途中の飯田に寄るのがある意味楽しみでもあった。しかしながら乗り換え時間は僅か3分。駅舎などの外観やホームの雰囲気などじっくり堪能できないのが残念だ。
秘境駅訪問がメインの旅であったが、飯田に下車できないもどかしさが残るのが悔やまれる。そんな私の気持ちを宥めるかのように、天竜川の流れは穏やかなまま夕暮れの車窓にフェードアウトしていった。

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そしてホームの壁となる山肌はコンクリートで固められ安全措置を取られているが、恐らく駅の設置工事の際に最も難工事だったであろう岩石がその壁に張り付きコンクリートで一緒に固められている。正直、かなり危険な角度で張り付いているためスティーブウィリアムス並みの「岩石落とし」を喰らってしまったら即座にスリーカウントが入ってしまうであろう。ただ、敢えて残してあるという事は、逆に撤去不可能であるという事であろう。イコール落ちないと考えてよさそうだ。


棒線形の駅であるが、場所によってはホーム幅がかなりキツい。「黄色い線の内側まで下がってください」とアナウンスがあった場合は少々戸惑う。
さて、田本には一時間半くらいはいたであろうか。当初の予定では小和田、田本の2駅であった訪問予定であるが、水窪の信号機トラブルにより予定を大幅に組み換えた。その結果、若干時間が出来たので為栗に訪問する事を即興で決めた。しかもダイヤは通常に戻っていたので予定も組みやすい。相方の「おさる」も了承し、一路為栗へ向かった。


一応駅前道路は舗装されていた。もちろんバス停やロータリーなどの設備は無いが、写真左側のフェンスの向こうにはすぐに天竜川(和知野川)のせせらぎが聞こえる。
天竜川(和知野川)が迫る為栗に着いた時、まるでカラーの水墨画のような風景に圧巻された。大きくUの字にひねった天竜川(和知野川)はエメラルドグリーンに輝き、駅周辺では文明をそれほど感じない、いやかなり感じない静かな駅である、つまり秘境駅ということである。もちろん天竜川(和知野川)との間には舗装された道路が一本挟まれるため海芝浦ほど川面に近いわけではないが、それでもその雄大なスケールに圧倒される。
もちろん、旅客が主体の現在、銭儲けとはかけはなれた景色となっており経営者側にはつらい風景であるが、それでも定期客などの利用者にとっては貴重な交通手段であろう。その証拠にしっかりとメンテナンスされたホームなどはJR東海スタイルが無言で反映されている気がしてならない。急遽予定を変更し組み入れた為栗訪問のため滞在時間は僅か10分くらいであったが、その短い時間に為栗の数々のドラマを、そしてJR東海の心意気を見た気がした。

駅前には観光案内板があった。駅前の川は天竜川と思っていたら和知野川だったらしい。川下の天龍村付近で天竜川に合流するという事が後にわかった。ただし・・・夜間の訪問は何かと勇気がいりそう。
やがてレールから列車の鼓動がクレッシェンドしてくる中、小さな車体がこちらに迫るに連れ大きくなってきた。行き先表示は「飯田」となっている。つまりこの路線の代表駅となる。私の場合秘境駅はともかく、大きな駅や路線や都市を代表する駅の方が好きだ。この後飯田線を制覇するため辰野へ向かうのだが途中の飯田に寄るのがある意味楽しみでもあった。しかしながら乗り換え時間は僅か3分。駅舎などの外観やホームの雰囲気などじっくり堪能できないのが残念だ。
秘境駅訪問がメインの旅であったが、飯田に下車できないもどかしさが残るのが悔やまれる。そんな私の気持ちを宥めるかのように、天竜川の流れは穏やかなまま夕暮れの車窓にフェードアウトしていった。

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風は秋色…秘境駅への招待⑧
2022-10-08
さて小和田であるが、現在は棒線化され列車交換ができない。私の訪問時は2面2線で保線用の側線があった。考えてみたらよくこれだけの狭いスペースに列車交換設備を設ける事ができたかと感心してしまう。もちろん21世紀の現在においては技術的には飯田線が創設された頃に比べ格段に進歩しているであろうが、時代と共にその作られたスペースが必要なくなってくるのは実に寂しいものだ。
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相方のおさるが最も訪問してみたかったひとつであろう田本に到着した。私自身はこの「秘境駅」というカテゴリーが浸透するまではこの田本の存在は正直知らなかった。
どれくらい時間がたったであろうか。朝8時半頃についた小和田でようやく次に乗る列車がやってきたのは11時6分であった。水窪の信号機トラブルにより乱れたダイヤはなにげに元に戻っていた。真夏の炎天下の中、鉄道設備しかない山の中に2時間半以上滞在したのだから列車の中が一瞬寒く感じるほどだ。だが、やがてそれは快楽に変わり夜行列車から蓄積された睡魔へと変化していく。だが次の田本へはそれほど時間がかからないためそう易々と寝てはいられないのだ。といいながら、我々御一行はアルコール漬けで既にできあがっているためここからは己との戦いとなってくる。


見よ、このホーム幅を!点字ブロックが必要かどうかは別として、ちょうどホームの真ん中に位置するのも珍しい。特に夜は運転手も相当気を遣うのではないかと思う。
何だかんだいいながら田本に到着した。乗降客の少ない駅での下車は運転手に怪訝な顔をされるかと思ったが、以外にもすんなりと下車できた。小和田の時もそうだが、我々の身なり、そして運転手にかざした切符の内容を見ればそくざに「その道の人」と判断つくのであろう。増して近年の秘境駅ブームもあり、こうした秘境駅での下車は経営者側にとっても珍しくなくなったのかも知れない。
下車するタイミングの一瞬でこれだけの事が頭をよぎったのだから私の思考回路め大したものだ。
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急転直下の天竜川がホームより眺められる。実は写真には写っていないが、我々の滞在時には保線員が作業していた。正直、命懸けのお仕事であろう。ご苦労様です!
しかしながらJRとそんなやり取りをした後に下車した田本の第一印象は…「狭い!!」棒線形ホームはコンクリートで固められた山肌に幅2メートルあるかどうかのプラットホームが張り付いているような、まさに秘境駅に相応しいであろう姿であった。

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相方のおさるが最も訪問してみたかったひとつであろう田本に到着した。私自身はこの「秘境駅」というカテゴリーが浸透するまではこの田本の存在は正直知らなかった。
どれくらい時間がたったであろうか。朝8時半頃についた小和田でようやく次に乗る列車がやってきたのは11時6分であった。水窪の信号機トラブルにより乱れたダイヤはなにげに元に戻っていた。真夏の炎天下の中、鉄道設備しかない山の中に2時間半以上滞在したのだから列車の中が一瞬寒く感じるほどだ。だが、やがてそれは快楽に変わり夜行列車から蓄積された睡魔へと変化していく。だが次の田本へはそれほど時間がかからないためそう易々と寝てはいられないのだ。といいながら、我々御一行はアルコール漬けで既にできあがっているためここからは己との戦いとなってくる。


見よ、このホーム幅を!点字ブロックが必要かどうかは別として、ちょうどホームの真ん中に位置するのも珍しい。特に夜は運転手も相当気を遣うのではないかと思う。
何だかんだいいながら田本に到着した。乗降客の少ない駅での下車は運転手に怪訝な顔をされるかと思ったが、以外にもすんなりと下車できた。小和田の時もそうだが、我々の身なり、そして運転手にかざした切符の内容を見ればそくざに「その道の人」と判断つくのであろう。増して近年の秘境駅ブームもあり、こうした秘境駅での下車は経営者側にとっても珍しくなくなったのかも知れない。
下車するタイミングの一瞬でこれだけの事が頭をよぎったのだから私の思考回路め大したものだ。
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急転直下の天竜川がホームより眺められる。実は写真には写っていないが、我々の滞在時には保線員が作業していた。正直、命懸けのお仕事であろう。ご苦労様です!
しかしながらJRとそんなやり取りをした後に下車した田本の第一印象は…「狭い!!」棒線形ホームはコンクリートで固められた山肌に幅2メートルあるかどうかのプラットホームが張り付いているような、まさに秘境駅に相応しいであろう姿であった。

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風は秋色…秘境駅への招待⑦ 小和田
2022-10-01
なかなか出発しない水窪で車内放送などの案内が無かったのでカレチ氏にお伺いたててみた。
「何かありましたか?」と声をかけたところ信号機トラブルらしい答が返ってきた。その後車内放送で信号機トラブルのアナウンスがあり結局20分遅れで出発したが、秘境駅への旅計画が狂ってしまうのかと心配してしまう。しかしここは百戦錬磨の私の血が騒いだ。20年以上のブランクなど全く関係ないかの如く、ナチュラルに頭が勝手に働いてしまう。と、大袈裟な表現をしてしまったが、結局秘境駅への訪問の順番を入れ替えダイヤの乱れ具合を様子見することにした。

(信号機トラブルにより20分少々遅れて出発した水窪。ホームより水窪の集落が見下ろせるようなイメージであるが、ここより更に山深くなり秘境駅がいよいよ登場してくる。)
予定ではまず最初に田本を訪問する予定であったが、小和田を先に訪問する事にした。小和田では相方の要望もあり予定通り約3時間の滞在となった。自然とか風景などを割りと好む相方の「おさる」は良いとして、どちらかというと都会的空間を好む私にしてみたら、真夏の炎天下の中、車道さえ通じてない秘境駅で3時間も何をしろというのだろうか、という気持ちも無くはない。秋春ならともかく、もし天気が急転し不通などにでもなってしまったら間違いなく私たちは野生動物の餌食になってしまうであろう。幸い缶入りリキュールを大量に持参したため水分補給は心配ないであろう。ただ、食べ物に関しては季節柄現地調達が最適と思いパンなど少々しか持ち合わせがない。果たして大丈夫なのであろうか…

いよいよ小和田に到着した。相方の「おさる」待望の秘境駅にいよいよ足を踏み入れる。私も飯田線は初めての訪問となるが、23年というレールファンブランクの間に「秘境駅」というカテゴリーが出来て、それを喜んでやってくるファンも登場した。時代も変わったものだ・・・)
20分のダイヤの乱れなど全く関係ないくらいに相方は自身の目指す方向へと歩みを進める。私もそれに付いていった。
駅前は、というより、そもそも駅とは鉄道事業者が利用者を見込んで設置した、いわゆる「銭儲け」の拠点になる場所である。私のような神奈川県民の感覚では、駅前とは駅ビルや商店街が建ち並び人の行き交いが盛んな場所である。というより、旅客を相手に銭儲けをする場合、そうでなければ事業者は経営が成り立たなくなってしまう。しかも民営なら尚更であろう。

今でこそ全国的に貴重になってきた木造駅舎は開業当時からのものなのか・・・
ところが…秘境駅の名を授かった者たちはそんな我々の常識をも覆す掟破りの立地にいたのだ。
まず、外界から駅に通じる車道は無い。そして駅前はもちろん商店街などの華やかさは無い。あるのは大自然と駅から外界に通じる登山道のような獣道だけであった。その登山道をやや下った場所に以前誰かが住んでいたと思われる廃屋化された民家が数件あった。

これが駅へと通じる道である。もちろん車は通行不能であるが、この場所に来ることも車では不可能である。手段として徒歩はもちろん、マウンテンバイクやヘリコプター、または「どこでもドア」以外での到達は難しいであろう。
ここは皇族の結婚、つまり現在の令和天皇の奥様が、嫁ぐ際にものすごい脚光を浴びた小和田であるが、それにあやかり、この駅で結婚式を挙げたカップルも出現している。その模様は駅舎内にところ狭しと展示されており、当時の様子を知ることができる。
そして駅前の坂道を下ると後付けされたと思われる屋根付きのベンチがあった。恐らくこのベンチはかつて皇族の結婚またはここでカップルが式を挙げた際に設置されたものであろう。私たち御一行は他にいく宛もないのでこの木製屋根付きベンチで給酒タイムをとることにした。

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「何かありましたか?」と声をかけたところ信号機トラブルらしい答が返ってきた。その後車内放送で信号機トラブルのアナウンスがあり結局20分遅れで出発したが、秘境駅への旅計画が狂ってしまうのかと心配してしまう。しかしここは百戦錬磨の私の血が騒いだ。20年以上のブランクなど全く関係ないかの如く、ナチュラルに頭が勝手に働いてしまう。と、大袈裟な表現をしてしまったが、結局秘境駅への訪問の順番を入れ替えダイヤの乱れ具合を様子見することにした。

(信号機トラブルにより20分少々遅れて出発した水窪。ホームより水窪の集落が見下ろせるようなイメージであるが、ここより更に山深くなり秘境駅がいよいよ登場してくる。)
予定ではまず最初に田本を訪問する予定であったが、小和田を先に訪問する事にした。小和田では相方の要望もあり予定通り約3時間の滞在となった。自然とか風景などを割りと好む相方の「おさる」は良いとして、どちらかというと都会的空間を好む私にしてみたら、真夏の炎天下の中、車道さえ通じてない秘境駅で3時間も何をしろというのだろうか、という気持ちも無くはない。秋春ならともかく、もし天気が急転し不通などにでもなってしまったら間違いなく私たちは野生動物の餌食になってしまうであろう。幸い缶入りリキュールを大量に持参したため水分補給は心配ないであろう。ただ、食べ物に関しては季節柄現地調達が最適と思いパンなど少々しか持ち合わせがない。果たして大丈夫なのであろうか…

いよいよ小和田に到着した。相方の「おさる」待望の秘境駅にいよいよ足を踏み入れる。私も飯田線は初めての訪問となるが、23年というレールファンブランクの間に「秘境駅」というカテゴリーが出来て、それを喜んでやってくるファンも登場した。時代も変わったものだ・・・)
20分のダイヤの乱れなど全く関係ないくらいに相方は自身の目指す方向へと歩みを進める。私もそれに付いていった。
駅前は、というより、そもそも駅とは鉄道事業者が利用者を見込んで設置した、いわゆる「銭儲け」の拠点になる場所である。私のような神奈川県民の感覚では、駅前とは駅ビルや商店街が建ち並び人の行き交いが盛んな場所である。というより、旅客を相手に銭儲けをする場合、そうでなければ事業者は経営が成り立たなくなってしまう。しかも民営なら尚更であろう。

今でこそ全国的に貴重になってきた木造駅舎は開業当時からのものなのか・・・
ところが…秘境駅の名を授かった者たちはそんな我々の常識をも覆す掟破りの立地にいたのだ。
まず、外界から駅に通じる車道は無い。そして駅前はもちろん商店街などの華やかさは無い。あるのは大自然と駅から外界に通じる登山道のような獣道だけであった。その登山道をやや下った場所に以前誰かが住んでいたと思われる廃屋化された民家が数件あった。

これが駅へと通じる道である。もちろん車は通行不能であるが、この場所に来ることも車では不可能である。手段として徒歩はもちろん、マウンテンバイクやヘリコプター、または「どこでもドア」以外での到達は難しいであろう。
ここは皇族の結婚、つまり現在の令和天皇の奥様が、嫁ぐ際にものすごい脚光を浴びた小和田であるが、それにあやかり、この駅で結婚式を挙げたカップルも出現している。その模様は駅舎内にところ狭しと展示されており、当時の様子を知ることができる。
そして駅前の坂道を下ると後付けされたと思われる屋根付きのベンチがあった。恐らくこのベンチはかつて皇族の結婚またはここでカップルが式を挙げた際に設置されたものであろう。私たち御一行は他にいく宛もないのでこの木製屋根付きベンチで給酒タイムをとることにした。

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風は秋色・・・秘境駅への招待⑤
2022-09-24
某大手飲食店より意外に距離があった豊橋駅に戻った私たちは飯田線のホームへ。国鉄からJRに変わって初めて訪問する豊橋の風景は、ホームなどがリニューアルされているものの、名鉄とJRで共用しているので若干の違和感と昔のままの風景が融合され不思議な空間を産みだしていた。
豊橋では名鉄は普通列車はやって来ない。それは恐らく豊橋の列車処理能力によると思われるが、もし高架化され名鉄とJRが分断されればまた違った方向性になろうが、今はまだ昔の名残を留めたまま時が過ぎていくイメージなので歴史を知る上では非常に貴重な存在であろう。

(再掲載で申し訳ないが、同じ日の同じ時間帯に私が撮影した名鉄の名車である。当時の小田急ロマンスカーにかなり近いデザインであるが、飯田線と肩を並べるとものすごい風景になった。もちろん地元の方にとっては日常の風景であったろうが・・・)
そんな歴史も知らず、ただ秘境駅の訪問を楽しみにしている今回の旅に同行する相方とはバンド活動を通じて知り合ったわけであるが、現在では、いや、もう既にこの飯田線の旅の時点で音楽家同士の絡みはほぼなくなっていた。昔の私を引っ張りだし、私にレールファンを復活させた彼は、そんなことお構い無しに到着した119系の開いた扉に消えていった。
この飯田線車両119系は、私がレールファン全盛期であった1982年頃に当時の旧型車両との置き換えにより新造された車両で、誕生当時は飯田線にセンセーショナルを巻き起こした。当時は水色の車体に白の帯であったが、今回の訪問ではJR東海カラーに染められ新しい印象の119系もいつしかベテランの域に達していた。

飯田線と名鉄は平井信号場まで共用する。共用区間には「鉄道公安官(というドラマが昔ありました!)」のオープニング~後にエンディングに登場する鉄橋がある(にわか者様の情報提供!)が、平井信号場のすぐ手前にある。
既に空は明るく、これから更に強い日差しに進化するだろうと簡単に予測できてしまうほどの晴天に恵まれた豊橋のホームは、「チャレンジ20000km」の時に訪問した時よりかなりきれいにリニューアルされたが、現在も続く名鉄の共用に懐かしさを感じてしまう。やってきた119系の涼しい車内では先程まで滞在していた飲食店でいただいたアルコール入り清涼飲料水のお陰で心地よい眠りについてしまうであろうと思っていたが、何故だか私はある一定量以上飲むと酔いすらまわらない体質のためしっかりと飯田線を堪能できそうだ。いよいよ秘境駅へ向け出発である。ところで…
「いい旅チャレンジ20000km」キャンペーン中に私は飯田線と身延線を制覇した事になっている。しかし私はこのシリーズの冒頭で「飯田線は初めて」と記した。矛盾している表記しているのだが、何故…

飯田線はかつて民営鉄道(現在もであるが)の名残からか駅間距離が短い。某全駅下車トラベルライターはこの飯田線の駅のすべてに下車したという事であるからものすごい精神力と体力である!
告白しよう。「いい旅~」の制覇路線を証明する際には起点と終点の証明写真が必要となる。事務局に証明写真を送れば制覇の証となる路線名と区間が記された赤いシールが送られてくる。もちろん、その時点で制覇となるのだが・・・
おわかりいたたけただろうか。つまり「チャレンジ」では乗る、乗らないは別として証明写真だけあれば良い話なので証明写真のみの「制覇」となっていたのだ。ただ、公的には「制覇」であっても本当の自分は嘘をつけない。やはり心のどこかにずっと引っかかっており、こうした「嘘」を後に引きずるのに嫌気が差していた。そんな事もあって段々と普段の生活にもこのような事を否定する行為を取り入れてきた。すると、何故だかスッキリする自分がいるではないか!
であるから、こうした過去の自分を悔み、そして深い反省と共に今回の旅においてそうした自分を精算する意味でもこの旅は必要だったのであろう。ある意味、相方は私の救世主だったのかも知れない。

意外にも飯田線沿線には温泉場も少なくない。別府や熱海ほど派手ではないが、一人旅などでひっそりと過ごすには最適なのかも知れない。
そんな思いを胸に、本当に意味での私の飯田線制覇はここから始まる。当然ながら「初」飯田線に見る風景はもちろん新鮮。まだ夜が明けきらぬ空の向こうでは太陽が今か今かと出番を待っているように僅かな光を見せ始めた。ただ、残念ながら旧型車両の宝庫全盛期に訪問しなかった自分を悔やむところであるが、今更過去は取り戻せない。せめて現在の飯田線が魅せてくれる風景を存分に楽しまなければ未来の自分が後悔する事であろう。
共用区間を過ぎ飯田線らしい駅名が続く中、途中の水窪で暫くの停車時間があった。というよりなかなか出発しない。一体何があったのか…

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豊橋では名鉄は普通列車はやって来ない。それは恐らく豊橋の列車処理能力によると思われるが、もし高架化され名鉄とJRが分断されればまた違った方向性になろうが、今はまだ昔の名残を留めたまま時が過ぎていくイメージなので歴史を知る上では非常に貴重な存在であろう。

(再掲載で申し訳ないが、同じ日の同じ時間帯に私が撮影した名鉄の名車である。当時の小田急ロマンスカーにかなり近いデザインであるが、飯田線と肩を並べるとものすごい風景になった。もちろん地元の方にとっては日常の風景であったろうが・・・)
そんな歴史も知らず、ただ秘境駅の訪問を楽しみにしている今回の旅に同行する相方とはバンド活動を通じて知り合ったわけであるが、現在では、いや、もう既にこの飯田線の旅の時点で音楽家同士の絡みはほぼなくなっていた。昔の私を引っ張りだし、私にレールファンを復活させた彼は、そんなことお構い無しに到着した119系の開いた扉に消えていった。
この飯田線車両119系は、私がレールファン全盛期であった1982年頃に当時の旧型車両との置き換えにより新造された車両で、誕生当時は飯田線にセンセーショナルを巻き起こした。当時は水色の車体に白の帯であったが、今回の訪問ではJR東海カラーに染められ新しい印象の119系もいつしかベテランの域に達していた。

飯田線と名鉄は平井信号場まで共用する。共用区間には「鉄道公安官(というドラマが昔ありました!)」のオープニング~後にエンディングに登場する鉄橋がある(にわか者様の情報提供!)が、平井信号場のすぐ手前にある。
既に空は明るく、これから更に強い日差しに進化するだろうと簡単に予測できてしまうほどの晴天に恵まれた豊橋のホームは、「チャレンジ20000km」の時に訪問した時よりかなりきれいにリニューアルされたが、現在も続く名鉄の共用に懐かしさを感じてしまう。やってきた119系の涼しい車内では先程まで滞在していた飲食店でいただいたアルコール入り清涼飲料水のお陰で心地よい眠りについてしまうであろうと思っていたが、何故だか私はある一定量以上飲むと酔いすらまわらない体質のためしっかりと飯田線を堪能できそうだ。いよいよ秘境駅へ向け出発である。ところで…
「いい旅チャレンジ20000km」キャンペーン中に私は飯田線と身延線を制覇した事になっている。しかし私はこのシリーズの冒頭で「飯田線は初めて」と記した。矛盾している表記しているのだが、何故…

飯田線はかつて民営鉄道(現在もであるが)の名残からか駅間距離が短い。某全駅下車トラベルライターはこの飯田線の駅のすべてに下車したという事であるからものすごい精神力と体力である!
告白しよう。「いい旅~」の制覇路線を証明する際には起点と終点の証明写真が必要となる。事務局に証明写真を送れば制覇の証となる路線名と区間が記された赤いシールが送られてくる。もちろん、その時点で制覇となるのだが・・・
おわかりいたたけただろうか。つまり「チャレンジ」では乗る、乗らないは別として証明写真だけあれば良い話なので証明写真のみの「制覇」となっていたのだ。ただ、公的には「制覇」であっても本当の自分は嘘をつけない。やはり心のどこかにずっと引っかかっており、こうした「嘘」を後に引きずるのに嫌気が差していた。そんな事もあって段々と普段の生活にもこのような事を否定する行為を取り入れてきた。すると、何故だかスッキリする自分がいるではないか!
であるから、こうした過去の自分を悔み、そして深い反省と共に今回の旅においてそうした自分を精算する意味でもこの旅は必要だったのであろう。ある意味、相方は私の救世主だったのかも知れない。

意外にも飯田線沿線には温泉場も少なくない。別府や熱海ほど派手ではないが、一人旅などでひっそりと過ごすには最適なのかも知れない。
そんな思いを胸に、本当に意味での私の飯田線制覇はここから始まる。当然ながら「初」飯田線に見る風景はもちろん新鮮。まだ夜が明けきらぬ空の向こうでは太陽が今か今かと出番を待っているように僅かな光を見せ始めた。ただ、残念ながら旧型車両の宝庫全盛期に訪問しなかった自分を悔やむところであるが、今更過去は取り戻せない。せめて現在の飯田線が魅せてくれる風景を存分に楽しまなければ未来の自分が後悔する事であろう。
共用区間を過ぎ飯田線らしい駅名が続く中、途中の水窪で暫くの停車時間があった。というよりなかなか出発しない。一体何があったのか…

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風は秋色・・・秘境駅への招待④
2022-09-17
深夜の時間帯になる東海地区は停車駅が少ないが、元々「ムーンライトながら」は快速のため始発である東京から既に主要駅にしか停車しない。大垣夜行時代は確か小田原辺りまでは各駅に停車していた記憶である。そのため終電車的な役割も果たしており、途中駅で下車する乗客もいる中、着席のチャンスも無いわけではない。だが、特にシーズン中は長距離客で埋め尽くされてしまうため地元の利用者は皆無であると思われる。「ムーンライト」になり座席指定化したが、もし国鉄時代の大垣夜行時代に座席指定が可能であったなら、私の旅風景もまた違ったカラーを醸し出していた事であろう。

(1983年に訪問した清水であるが、写真奥に停車中の旧型客車は在りし日の清水港線である。晩年では一日一往復のみの旅客列車設定であり乗りつぶし泣かせでもあったが、同区間では静鉄バスが頻繁に運転されていたため、清水港線の廃止は地元の方にとっては特に問題はなかったであろう。現在写真の場所はロータリーなどに変身していてかつての面影はほとんど無い。)
国鉄時代、私は清水港線を制覇するのに大垣夜行を使った事がある。一応、自慢ではないが湘南地区に在住のため始発などを使えば清水港の始発に間に合いそうであるが、残念ながらタッチの差で手が届かなかったのだ。そのため大垣夜行で浜松まで行き、折り返し上り列車で清水へ向かった。だが、逆にそれだと時間がかなり余ってしまい、浜松で2時間、清水で一時間半のインターバルがあった。清水の1時間半がいいとしても、浜松の2時間はかなり辛い。しかも未明の4時台のため飲食店なども営業していないのでかなりの精神修行となる。それでも間に合わないよりは良いと、7~8人の集団に了解を得た。いや、正確には私の所属していた「鉄道研究クラブ」の顧問の提案であるが、逆にそれしか方法は無かった。
「鉄道研究クラブ」とは中学校の部活であるが、クラブ活動の一環として行われたため当然顧問である教諭も同行。清水港線巡りはまだ「青春18」が登場して2年~3年目くらいだったが、既に何度か「18」を使い旅に出ているので、この切符も徐々に私の中で馴染んで来ていた頃でもあった。

(そしてこちらも別の日に撮影した浜松である。静岡同様の高架駅に生まれ変わり、正直、ほとんど区別がつかないが、ムーンライトの長時間停車時にはやたら貨物列車が追い抜いていく。)
そんな思い出ある大垣夜行も「ムーンライトながら」に変わり途中駅からでも指定席を購入する事で座れるまでに成長した大垣夜行であるが、更に165系のボックスシートではなくなりリクライニングもできて嬉しい事は何度も述べてしまった。
ただ、今回は未明の豊橋で下車する初体験物語なのだ。しかも鉄道素人を引き連れての旅は、私の舵取りひとつにかかっている。とりあえずここは後の事を考え、豊橋までは無理してでも仮眠を取らなければならない。私はいつしか回るアルコールに身を任せ夢の中へと誘われたのであった。

(そしてこちらは当日「おさる」が撮影した豊橋である。民衆駅第一号として知れ渡っているが、名鉄と飯田線は同じ乗り場から発着する。途中の平井信号場まで線路を共用するのはかつての歴史的名残であるのは周知の通り。)
やがて豊橋に到着した。既に何駅か前に意識が戻り下車への準備が整っていたのだからたいしたものだ。やはり「野生の勘」とでもいおうか、国鉄時代に培われた私の乗りつぶし旅の野生の勘は23年のブランクなど関係なかった。
ではなぜ野生の勘が働いたのか?
理由は単純だ。実は飯田線の始発まで約2時間待ちであるのだが、その待ち時間を利用して飲食店にて早めの朝食を摂ろうと計画していたのだ。もちろんリカー対応の飲食店をネット検索。朝の目覚めの一杯には最適であろうと出発前からひとつの目玉としていたからだ。当然ながら相方の「おさる」も二つ返事で了解していた。

(1983年に豊橋で撮影したかつて飯田線で運用されていた車両である・・・などと回りくどい言い方をしたが、かつては旧型車の宝庫であった。だが、後の119系に置き換わり面目を一新した。これは私が撮影。)
しかし、地図上では近いはずだが、飲食店になかなか着かない。ようやく到着した頃には滞在時間が1時間を切っていた。だが、久々の鉄道旅で気心知れた仲間との旅は、そんな小さなハプニングも気にしないで済む。だが、これから先に待っている更なるハプニングも知らぬまま、新しい旅のスタイルのドアを開けた瞬間でもあったのだ。

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(1983年に訪問した清水であるが、写真奥に停車中の旧型客車は在りし日の清水港線である。晩年では一日一往復のみの旅客列車設定であり乗りつぶし泣かせでもあったが、同区間では静鉄バスが頻繁に運転されていたため、清水港線の廃止は地元の方にとっては特に問題はなかったであろう。現在写真の場所はロータリーなどに変身していてかつての面影はほとんど無い。)
国鉄時代、私は清水港線を制覇するのに大垣夜行を使った事がある。一応、自慢ではないが湘南地区に在住のため始発などを使えば清水港の始発に間に合いそうであるが、残念ながらタッチの差で手が届かなかったのだ。そのため大垣夜行で浜松まで行き、折り返し上り列車で清水へ向かった。だが、逆にそれだと時間がかなり余ってしまい、浜松で2時間、清水で一時間半のインターバルがあった。清水の1時間半がいいとしても、浜松の2時間はかなり辛い。しかも未明の4時台のため飲食店なども営業していないのでかなりの精神修行となる。それでも間に合わないよりは良いと、7~8人の集団に了解を得た。いや、正確には私の所属していた「鉄道研究クラブ」の顧問の提案であるが、逆にそれしか方法は無かった。
「鉄道研究クラブ」とは中学校の部活であるが、クラブ活動の一環として行われたため当然顧問である教諭も同行。清水港線巡りはまだ「青春18」が登場して2年~3年目くらいだったが、既に何度か「18」を使い旅に出ているので、この切符も徐々に私の中で馴染んで来ていた頃でもあった。

(そしてこちらも別の日に撮影した浜松である。静岡同様の高架駅に生まれ変わり、正直、ほとんど区別がつかないが、ムーンライトの長時間停車時にはやたら貨物列車が追い抜いていく。)
そんな思い出ある大垣夜行も「ムーンライトながら」に変わり途中駅からでも指定席を購入する事で座れるまでに成長した大垣夜行であるが、更に165系のボックスシートではなくなりリクライニングもできて嬉しい事は何度も述べてしまった。
ただ、今回は未明の豊橋で下車する初体験物語なのだ。しかも鉄道素人を引き連れての旅は、私の舵取りひとつにかかっている。とりあえずここは後の事を考え、豊橋までは無理してでも仮眠を取らなければならない。私はいつしか回るアルコールに身を任せ夢の中へと誘われたのであった。

(そしてこちらは当日「おさる」が撮影した豊橋である。民衆駅第一号として知れ渡っているが、名鉄と飯田線は同じ乗り場から発着する。途中の平井信号場まで線路を共用するのはかつての歴史的名残であるのは周知の通り。)
やがて豊橋に到着した。既に何駅か前に意識が戻り下車への準備が整っていたのだからたいしたものだ。やはり「野生の勘」とでもいおうか、国鉄時代に培われた私の乗りつぶし旅の野生の勘は23年のブランクなど関係なかった。
ではなぜ野生の勘が働いたのか?
理由は単純だ。実は飯田線の始発まで約2時間待ちであるのだが、その待ち時間を利用して飲食店にて早めの朝食を摂ろうと計画していたのだ。もちろんリカー対応の飲食店をネット検索。朝の目覚めの一杯には最適であろうと出発前からひとつの目玉としていたからだ。当然ながら相方の「おさる」も二つ返事で了解していた。

(1983年に豊橋で撮影したかつて飯田線で運用されていた車両である・・・などと回りくどい言い方をしたが、かつては旧型車の宝庫であった。だが、後の119系に置き換わり面目を一新した。これは私が撮影。)
しかし、地図上では近いはずだが、飲食店になかなか着かない。ようやく到着した頃には滞在時間が1時間を切っていた。だが、久々の鉄道旅で気心知れた仲間との旅は、そんな小さなハプニングも気にしないで済む。だが、これから先に待っている更なるハプニングも知らぬまま、新しい旅のスタイルのドアを開けた瞬間でもあったのだ。

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