廃止路線を訪ねて③ ドリーム交通(リメイク版)
2013-01-08
「ドリームランド」を知っているであろうか?神奈川県は横浜市に存在した遊園地である。私は幼少の頃、よくドリームランドに出かけプールやスケートなどで遊んだものだ。そんな中、よく目にしたのが錆付いた「モノレール」の貧弱なレールの姿であった。このモノレールは、かつて東海道線大船とドリームランドを結んでいた「過去のモノ」である。ローカルな話で申し訳ないが、戸塚区の原宿という交差点に茅ヶ崎方面から向うとき、旧国道1号線とバイパスが合流して暫くするとガソリンスタンドがあり、そこでモノレールが交差していたが、列車が走っている姿を一度も見たことがなく不思議に思っていた。親にその事を訊ねると「設計ミス」という答えが返ってきた。子供の私にはあまり理解できず、ただただ「走る姿」を心待ちにしていた。

月日は流れ社会に出る歳になり、通勤の際に原宿の交差点付近を通る機会があり(と言うより毎日通っていたので)レールの姿をよく見かけた。原宿の交差点は交通情報の常連であったため、勿論朝の貴重な時間には回避せざるを得ないため、必然的に裏街道へと転がり込むのだが、そこでもモノレールのレールの姿を目の当たりにしていた。それは小雀信号場付近である。小雀信号場は、将来的に沿線人口の増加に伴い「駅」に昇格させるよう最初から設計されておりホームがあった。ドリーム交通は単線であったためこの小雀信号場が「交換駅」となっていた。また、橋脚の一部も複線化を狙ってか、若干準備されていた部分があったと記憶している。
ドリームランドについては、当時会社のボウリング大会があり「ドリームボウル」に行った際に見かけたが、ドリームランドの駐車場の脇にモノレールの駅があり、その先に車庫があった。そこに留置されていた車両は、錆付いてボロボロになり、既に配車同然であった。ドリームランドのモノレールは1966年に開業したが、いわゆる「設計ミス」のため1967年に営業休止になった。その後ずっとレールや車両は残っていたが、2003年に正式に廃止され撤去作業が始まった。ちなみに私は1969年生まれなのでモノレールに乗ることは100%不可能であったわけだが、営業休止から30年以上壊されずに放置されていたので、記録や記憶が鮮明に頭にストックされている。
実は唯一、私はモノレールの軌道上に列車が居るのを目撃した事があった。いつの日かは記憶に無いが、保線用車両が国道1号線との交点付近でなにやら作業している姿を偶然目撃したのであった!とても新鮮な姿ではあったが、保線用車両であったため若干物足りなさを感じたが、あのレールの上に列車が居たと言うだけで深い感動を覚えたのであった。

月日は流れ、定かではないが2005年頃、モノレールの姿を見たくなり出向いたことがある。しかし待っていた姿は、撤去されたという事前情報を知らなかったため、完全にレールのなくなってしまった国道1号線との交点の景色であった。「あれ?」と思ったが納得いかなかったので、ありとあらゆる場所を散策しに向った。最初は小雀信号場である。何も無い・・・確かにこの場所であるのだが・・・次はドリームランドに向った。かつてはボウリング場やスーパー、カー用品店などがあったが、私が訪れた時は大学のキャンパスに変身していた。しかもまだ工事中でこれから先、更に変化してゆくと思われた。車庫があったと思われた場所は、バスロータリーとコンビニに変身しており、ドリームの「ド」の字も無かった。まだ納得いかなかったので、そのまま今度は大船に向った。駅のあった場所は完全に更地になっており、当時の面影は全く無し・・・モノレールは完全に過去の物となってしまったのであった。
時代と共にドリームランド遊園地が閉園されてしまい、モノレールもなくなってしまった今、文字通り「夢」となってしまった。「モノレール史上最大の失敗」と世間に言われて久しいが、開通当時は文字通り「夢」を乗せて走っていたことであろう。現在、会社は解散してしまい廃線跡も痕跡を探すのは非常に難しくなってしまったが、昭和の世代に生きた人は、例え記憶の片隅においてでも、あのモノレールの勇姿を思い浮かべるであろう。
今回の記事を公開するにあたって、どうしても現役時代の画像を掲載したく「ドリーム交通モノレール線」のホームページ管理者の方にご協力いただきました。本当にご協力ありがとうございました。心より感謝いたします。
この記事をご覧になられた方に少しでもドリーム交通を知っていただければ幸いです。
もっと詳しく知りたい方は「ドリーム交通モノレール線」ホームページをご参照ください。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

月日は流れ社会に出る歳になり、通勤の際に原宿の交差点付近を通る機会があり(と言うより毎日通っていたので)レールの姿をよく見かけた。原宿の交差点は交通情報の常連であったため、勿論朝の貴重な時間には回避せざるを得ないため、必然的に裏街道へと転がり込むのだが、そこでもモノレールのレールの姿を目の当たりにしていた。それは小雀信号場付近である。小雀信号場は、将来的に沿線人口の増加に伴い「駅」に昇格させるよう最初から設計されておりホームがあった。ドリーム交通は単線であったためこの小雀信号場が「交換駅」となっていた。また、橋脚の一部も複線化を狙ってか、若干準備されていた部分があったと記憶している。
ドリームランドについては、当時会社のボウリング大会があり「ドリームボウル」に行った際に見かけたが、ドリームランドの駐車場の脇にモノレールの駅があり、その先に車庫があった。そこに留置されていた車両は、錆付いてボロボロになり、既に配車同然であった。ドリームランドのモノレールは1966年に開業したが、いわゆる「設計ミス」のため1967年に営業休止になった。その後ずっとレールや車両は残っていたが、2003年に正式に廃止され撤去作業が始まった。ちなみに私は1969年生まれなのでモノレールに乗ることは100%不可能であったわけだが、営業休止から30年以上壊されずに放置されていたので、記録や記憶が鮮明に頭にストックされている。
実は唯一、私はモノレールの軌道上に列車が居るのを目撃した事があった。いつの日かは記憶に無いが、保線用車両が国道1号線との交点付近でなにやら作業している姿を偶然目撃したのであった!とても新鮮な姿ではあったが、保線用車両であったため若干物足りなさを感じたが、あのレールの上に列車が居たと言うだけで深い感動を覚えたのであった。

月日は流れ、定かではないが2005年頃、モノレールの姿を見たくなり出向いたことがある。しかし待っていた姿は、撤去されたという事前情報を知らなかったため、完全にレールのなくなってしまった国道1号線との交点の景色であった。「あれ?」と思ったが納得いかなかったので、ありとあらゆる場所を散策しに向った。最初は小雀信号場である。何も無い・・・確かにこの場所であるのだが・・・次はドリームランドに向った。かつてはボウリング場やスーパー、カー用品店などがあったが、私が訪れた時は大学のキャンパスに変身していた。しかもまだ工事中でこれから先、更に変化してゆくと思われた。車庫があったと思われた場所は、バスロータリーとコンビニに変身しており、ドリームの「ド」の字も無かった。まだ納得いかなかったので、そのまま今度は大船に向った。駅のあった場所は完全に更地になっており、当時の面影は全く無し・・・モノレールは完全に過去の物となってしまったのであった。
時代と共にドリームランド遊園地が閉園されてしまい、モノレールもなくなってしまった今、文字通り「夢」となってしまった。「モノレール史上最大の失敗」と世間に言われて久しいが、開通当時は文字通り「夢」を乗せて走っていたことであろう。現在、会社は解散してしまい廃線跡も痕跡を探すのは非常に難しくなってしまったが、昭和の世代に生きた人は、例え記憶の片隅においてでも、あのモノレールの勇姿を思い浮かべるであろう。
今回の記事を公開するにあたって、どうしても現役時代の画像を掲載したく「ドリーム交通モノレール線」のホームページ管理者の方にご協力いただきました。本当にご協力ありがとうございました。心より感謝いたします。
この記事をご覧になられた方に少しでもドリーム交通を知っていただければ幸いです。
もっと詳しく知りたい方は「ドリーム交通モノレール線」ホームページをご参照ください。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト