島原の乱
2013-01-29
島原鉄道は、雲仙普賢岳に麓にある鉄道路線である、と説明しなくても鉄道愛好家ならご存知であろう。雲仙普賢岳というとかつては紙面を賑わせたが、近年では島原鉄道の一部区間が廃止された事は記憶に新しい。鹿児島交通と同じく「優秀」の部類にあったものの、例に漏れずモータリゼーションの波にのまれた事と、何と言っても雲仙普賢岳の噴火が大きな影響であろう。噴火で不通になった区間を復旧したが、お客様である「高校生」が戻ってこなかった事が一番の原因であろう。

私は2008年1月に訪問している。と言うのも「廃止区間」が発生するためである。会社側は諫早~島原を残す意向であったが、各方面との意見の調整の結果「外港」まで残すことにした。当然情報を得てから予定を組んだので、無くなってしまう事は残念であるが、乗る気満々であった。以前は直通列車が博多などからの乗り入れがあるほどであったが、私の訪問時には既に過去の出来事となっていた。フリー切符にての参戦であるが、確か付近にある入浴施設の割引券が付録であった。しかし、残念ながら予定を組んでいなかったため断念。というより私は「外港~加津佐」を制覇する事の方が重要である。
島原駅は、その名の通り一番の主要駅である。乗降客も多く、ほとんどの乗客がこの駅で入れ替わる。このあたりまでは確かに「お客様」が多数いる。学校帰りであろう、隣のボックスにもグループで座っていたが、島原で下車。乗客も私たち御一行とその他数名になった。予測通り、このまま加津佐まで行くのか・・・

現在の終点・島原外港は、フェリー乗り場前に駅がある。熊本方面へのフェリーが出ているが、島鉄を利用してフェリーを乗り継ぐ乗客は不特定少数であろう。駅の乗車人員は1日230人位と聞く。現在は駅員無配置となったが、交換設備も外され棒線化された。2008年より終点駅になったが、かつてはここより加津佐までの鉄路があったのは先述の通りだ。キハ10を基調とした車両は有名であるが、現在はレールバスもいる。私の乗車時は残念ながらレールバスであったが、とりあえず加津佐まで行けるのが貴重な時間となるため、おとなしく乗ることにした。廃止区間となる区間は若干メンテナンスを見送っている感があるが、昔ながらの駅舎が健在だ。

さて、口之津に着く頃には辺りが暗くなってきたが、ここからもフェリーが出ている。しかしながらここまでが長い、時間的にという事だが。この辺まで来ると、私たち御一行のみが車内に存在した。そして加津佐に着いたら運転手に奇妙な事を言われた。私はフリー切符を利用していたが「整理券を見せろ」と言われた。初めて聞いた・・・島鉄ではフリー切符の使用時にも整理券が必要なのかと。整理券が、理論的に果たして必要かどうか?結局運転手は「じゃ、次回は(整理券を)取ってください」と言ったが、その「次回」は果たしてあるのであろうかと考えた場合、若干後味が悪い制覇となった。この事に触れるべきかどうか考えたが、やはり旅はいい思い出ばかりでは無い。

加津佐の駅舎は、私たち御一行のみが降り立ったが、かつて書籍で見たものと違い改築されていた。切符売り場は既に閉鎖され無人化されていた。あと2か月ほどで廃止されるのに、私のような「同業者」がいないのは若干調子が狂う。とりあえず各種鉄道設備をカメラに収めたらバス停に向かう。ここからバスで小浜温泉経由で諫早に行く予定だ。そう、このフリー切符についている「入浴券」を利用できるのだ。しかし旅の行程には入っていない。残念ながら時間の関係で組み込めなかったのだ。仕方なく小浜をスルーして諫早に向かう事になったのだ。

そしてバスの時間がやってきたのでバスに乗車したら驚いた。ちょうど通学生の帰宅時間に当たりバスは立ち客も出る程であったが、学生が私たちに席を譲ってくれた。もちろん席を譲っていただくような「年齢」には達していないが、実にマナーが良い。というのも、席を譲る行為の事ではなく、バスが停車してから出口に向かうとか、友達同士大きな声で無駄な会話をしないとか、ものすごく周りに気を遣い、出口に向かう乗客の為に通路を開けるとか、乗っていて清々しい。

確かに島鉄を「制覇」した。しかしこれで島鉄の全てが分かったわけではない。だが、島鉄の大きな歴史の変遷時に私は時間を共にした。それは価値ある時間ではあると思うが、時代は既に車社会。既に過去のモノとなってしまった以上、もう戻ってくることはない。しかし我々の胸の中には、あの全盛期の姿がしっかり記憶されている。「口之津鉄道」は今、形を変え羽ばたいていった。

にほんブログ村

私は2008年1月に訪問している。と言うのも「廃止区間」が発生するためである。会社側は諫早~島原を残す意向であったが、各方面との意見の調整の結果「外港」まで残すことにした。当然情報を得てから予定を組んだので、無くなってしまう事は残念であるが、乗る気満々であった。以前は直通列車が博多などからの乗り入れがあるほどであったが、私の訪問時には既に過去の出来事となっていた。フリー切符にての参戦であるが、確か付近にある入浴施設の割引券が付録であった。しかし、残念ながら予定を組んでいなかったため断念。というより私は「外港~加津佐」を制覇する事の方が重要である。
島原駅は、その名の通り一番の主要駅である。乗降客も多く、ほとんどの乗客がこの駅で入れ替わる。このあたりまでは確かに「お客様」が多数いる。学校帰りであろう、隣のボックスにもグループで座っていたが、島原で下車。乗客も私たち御一行とその他数名になった。予測通り、このまま加津佐まで行くのか・・・

現在の終点・島原外港は、フェリー乗り場前に駅がある。熊本方面へのフェリーが出ているが、島鉄を利用してフェリーを乗り継ぐ乗客は不特定少数であろう。駅の乗車人員は1日230人位と聞く。現在は駅員無配置となったが、交換設備も外され棒線化された。2008年より終点駅になったが、かつてはここより加津佐までの鉄路があったのは先述の通りだ。キハ10を基調とした車両は有名であるが、現在はレールバスもいる。私の乗車時は残念ながらレールバスであったが、とりあえず加津佐まで行けるのが貴重な時間となるため、おとなしく乗ることにした。廃止区間となる区間は若干メンテナンスを見送っている感があるが、昔ながらの駅舎が健在だ。

さて、口之津に着く頃には辺りが暗くなってきたが、ここからもフェリーが出ている。しかしながらここまでが長い、時間的にという事だが。この辺まで来ると、私たち御一行のみが車内に存在した。そして加津佐に着いたら運転手に奇妙な事を言われた。私はフリー切符を利用していたが「整理券を見せろ」と言われた。初めて聞いた・・・島鉄ではフリー切符の使用時にも整理券が必要なのかと。整理券が、理論的に果たして必要かどうか?結局運転手は「じゃ、次回は(整理券を)取ってください」と言ったが、その「次回」は果たしてあるのであろうかと考えた場合、若干後味が悪い制覇となった。この事に触れるべきかどうか考えたが、やはり旅はいい思い出ばかりでは無い。

加津佐の駅舎は、私たち御一行のみが降り立ったが、かつて書籍で見たものと違い改築されていた。切符売り場は既に閉鎖され無人化されていた。あと2か月ほどで廃止されるのに、私のような「同業者」がいないのは若干調子が狂う。とりあえず各種鉄道設備をカメラに収めたらバス停に向かう。ここからバスで小浜温泉経由で諫早に行く予定だ。そう、このフリー切符についている「入浴券」を利用できるのだ。しかし旅の行程には入っていない。残念ながら時間の関係で組み込めなかったのだ。仕方なく小浜をスルーして諫早に向かう事になったのだ。

そしてバスの時間がやってきたのでバスに乗車したら驚いた。ちょうど通学生の帰宅時間に当たりバスは立ち客も出る程であったが、学生が私たちに席を譲ってくれた。もちろん席を譲っていただくような「年齢」には達していないが、実にマナーが良い。というのも、席を譲る行為の事ではなく、バスが停車してから出口に向かうとか、友達同士大きな声で無駄な会話をしないとか、ものすごく周りに気を遣い、出口に向かう乗客の為に通路を開けるとか、乗っていて清々しい。

確かに島鉄を「制覇」した。しかしこれで島鉄の全てが分かったわけではない。だが、島鉄の大きな歴史の変遷時に私は時間を共にした。それは価値ある時間ではあると思うが、時代は既に車社会。既に過去のモノとなってしまった以上、もう戻ってくることはない。しかし我々の胸の中には、あの全盛期の姿がしっかり記憶されている。「口之津鉄道」は今、形を変え羽ばたいていった。

にほんブログ村
スポンサーサイト