懐かしの盟友たち⑬ 機関車
2021-09-05
「懐かしの盟友たち」も既に2ヶ月くらいの連載になるが、ほとんどが以前に紹介している写真なので、今回はまだ公開していない写真も含めて機関車を彩ってみよう。国鉄⇒JRに移管され「機関車」という概念が薄れ、旅客列車のほとんどが分散式のモーターによる形式となってきた。そのため機関車が客車を牽引するという光景が、貨物列車や観光列車以外では見るのがむつかしくなってきた。かつては地方に行けば普通にELやDLが旧型客車や50系客車を牽引している姿が日常であったが、JR以降はその地方にも近代化の波が押し寄せ、機関車自体がフェードアウトしていく光景は時代の変化という言葉だけでは片付けられないさみしさが漂う。しかしながら貨物列車の牽引という活躍の場がまだある事が機関車たちにとってはまだまだ救いなのかも知れないが、国鉄時代のような機関車全盛の姿は恐らく未来にはないであろうから、逆に機関車自体が貴重な存在になっていくであろう。

まず最初は現在も現役である電気機関車であり「懐かしの~」ではないが、2012年頃と思われる岡山で撮影したEF210のいわゆる「桃太郎」である。全く私には馴染みのない機関車であったが、EF65やEF66の後釜として製造されたと聞いて愛着が湧くようになってきた。見るからにパワーがありそうなイメージであるが、EF66よりは何となく車体が軽量のような感じがするのは気のせいか。

1983年に豊橋(だと思う)で撮影したEF61の1号機である。部活で清水港線制覇の後、二俣線(現天竜浜名湖鉄道)乗り換えの待ち時間での撮影であった記憶であるが、今思えばさりげなく撮影した1枚が偶然の貴重な1枚となってしまった。

撮影場所が全く記憶に無いDD16は、車体の前後で長さが違うのが特徴であった。DLは茅ヶ崎で貨物の入れ替え作業をしている姿をよく見かけたのは相模線経由で貨物列車が運転されていたからで、砂利輸送時代から続いた貨物輸送がまだ行われていた時代でもあった。

そしてこちらは1983年頃東海道線・大磯で撮影した臨時特急「平和」である。一応「部活」としての活動の一環であるが、茶色系のEF58を見るのはこの時が初めてだったと思う。ただ、この時は我々以外に多くのギャラリーが参戦しており、場所取りが大変だった。もちろん我々はマナーを守り営業の邪魔にならないように細心の注意をはらっていた(と顧問の教諭に指導されていた)が、EF58の車体にエルボーが入ってしまったのは残念な結果であった(アックスボンバーならもっと残念であったが・・・)。

最後はお馴染みの写真で締めくくろう。何度もこのブログに登場している写真であるが、改めて、1978年8月に、なんと地上時代の宮崎で撮影したDF50である。寝台特急「富士」に乗車の際、機関車交換のための停車時間に撮影したが、東京から西鹿児島(当時)まで乗車した時間は24時間25分で、機関車交換が3回行われた。当日はまる1日全てをこの寝台特急「富士」に捧げたようなものだったが、私の鉄道史の記憶の中ではこの「富士」の乗車が恐らく1番の思い出であろう。

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まず最初は現在も現役である電気機関車であり「懐かしの~」ではないが、2012年頃と思われる岡山で撮影したEF210のいわゆる「桃太郎」である。全く私には馴染みのない機関車であったが、EF65やEF66の後釜として製造されたと聞いて愛着が湧くようになってきた。見るからにパワーがありそうなイメージであるが、EF66よりは何となく車体が軽量のような感じがするのは気のせいか。

1983年に豊橋(だと思う)で撮影したEF61の1号機である。部活で清水港線制覇の後、二俣線(現天竜浜名湖鉄道)乗り換えの待ち時間での撮影であった記憶であるが、今思えばさりげなく撮影した1枚が偶然の貴重な1枚となってしまった。

撮影場所が全く記憶に無いDD16は、車体の前後で長さが違うのが特徴であった。DLは茅ヶ崎で貨物の入れ替え作業をしている姿をよく見かけたのは相模線経由で貨物列車が運転されていたからで、砂利輸送時代から続いた貨物輸送がまだ行われていた時代でもあった。

そしてこちらは1983年頃東海道線・大磯で撮影した臨時特急「平和」である。一応「部活」としての活動の一環であるが、茶色系のEF58を見るのはこの時が初めてだったと思う。ただ、この時は我々以外に多くのギャラリーが参戦しており、場所取りが大変だった。もちろん我々はマナーを守り営業の邪魔にならないように細心の注意をはらっていた(と顧問の教諭に指導されていた)が、EF58の車体にエルボーが入ってしまったのは残念な結果であった(アックスボンバーならもっと残念であったが・・・)。

最後はお馴染みの写真で締めくくろう。何度もこのブログに登場している写真であるが、改めて、1978年8月に、なんと地上時代の宮崎で撮影したDF50である。寝台特急「富士」に乗車の際、機関車交換のための停車時間に撮影したが、東京から西鹿児島(当時)まで乗車した時間は24時間25分で、機関車交換が3回行われた。当日はまる1日全てをこの寝台特急「富士」に捧げたようなものだったが、私の鉄道史の記憶の中ではこの「富士」の乗車が恐らく1番の思い出であろう。

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懐かしの盟友たち・アゲイン⑫ 渾身の117系
2021-08-30
さて今回は117系一色にしてみよう。117系といえば関西地区を走る「新快速」として名を馳せたが、東海地区でも「快速」として活躍し185系と並ぶ当時の新型車両の代表作と言えるであろう。と勝手に決めつけてしまったが、やはり関西地区の新快速は153系からの置き換わりで登場した117系は実に斬新で新鮮な息吹を関西地区に吹き込んだ。国鉄がJRになって以降は新型車両の登場により段々と地方に振り分けられてきたが、最近では広島地区や山口方面で活躍している姿を見た。現在は「WEST EXPRESS 銀河」などに改造され余生を送っている。

まずは2009年に広島地区制覇の旅の際に倉敷にて撮影した「サンライナー」。よく見ると117系ではないか!と思わず叫びたくなってしまった当時を思い出す。車体番号からしてかなり初期の車両と思われるが、塗装ひとつでこんなにもイメージが変わるものかと、特に117系には感じてしまう。

どこの駅で撮影したか記憶が定かではないが「和歌山色」と呼ばれるものである。ややイメージに戸惑うが、紛れもなく117系である。恐らく山陽本線で撮影した記憶であるが、塗装が違うので117系とはすぐにわからなかった。

2012年に厚狭で撮影した117系であるが、咄嗟に撮影したため少々斜めって申し訳ない気持ちである。ライトの部分に帯が無いと、何となくのっぺらぼう的なイメージになってしまうのは私だけの感覚か。せっかくグリーンのラインが入っているのならオレンジも入れていっその事湘南色にしてしまったらもっと美しくなりそうな気がしなくもないが・・・

そして最後はオリジナル塗装の117系は1983年4月に浜松にて撮影。青春18きっぷでの旅をこの頃に覚え、夜行普通列車も数多く乗車してきた。大阪では既に体験していた117系であるが、浜松で見るとまた違った存在感が際立っていた。

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まずは2009年に広島地区制覇の旅の際に倉敷にて撮影した「サンライナー」。よく見ると117系ではないか!と思わず叫びたくなってしまった当時を思い出す。車体番号からしてかなり初期の車両と思われるが、塗装ひとつでこんなにもイメージが変わるものかと、特に117系には感じてしまう。

どこの駅で撮影したか記憶が定かではないが「和歌山色」と呼ばれるものである。ややイメージに戸惑うが、紛れもなく117系である。恐らく山陽本線で撮影した記憶であるが、塗装が違うので117系とはすぐにわからなかった。

2012年に厚狭で撮影した117系であるが、咄嗟に撮影したため少々斜めって申し訳ない気持ちである。ライトの部分に帯が無いと、何となくのっぺらぼう的なイメージになってしまうのは私だけの感覚か。せっかくグリーンのラインが入っているのならオレンジも入れていっその事湘南色にしてしまったらもっと美しくなりそうな気がしなくもないが・・・

そして最後はオリジナル塗装の117系は1983年4月に浜松にて撮影。青春18きっぷでの旅をこの頃に覚え、夜行普通列車も数多く乗車してきた。大阪では既に体験していた117系であるが、浜松で見るとまた違った存在感が際立っていた。

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懐かしの盟友たち・アゲイン⑪
2021-08-25
かつて公開したフォトを拡大して再度公開している今回のシリーズであるが、私自身も割に懐かしめのフォトが出てきて撮影当時を思い出す。よく我々は古くなった物を処分してしまう傾向が少なからずあるが、一定の期間を過ぎると逆に価値が出てくるから面白い。私はどちらかというと古いものを取っておくタイプではあるが、最近は処分してしまう場合も少なくない。いや、処分してしまってから「あぁ~っ、とっておけばよかった」と思う場面もチラホラあるので、そういう意味では処分する時によく考えてから行動に移す場面が多くなってきた。

お馴染み南部縦貫鉄道は野辺地にて1983年に撮影。急行「八甲田」で朝一番に下車した私は大湊線に乗り換える際に停車中の南部縦貫鉄道の一番列車が偶然にも停車していたので思わず跨線橋よりシャッターを切ったのだが、この東北の旅では南部縦貫鉄道の制覇予定を組み込んでいなかったのが今になってはものすごく悔やまれる。

私のブログでは超お馴染みのフォトである電化直前の関西本線富田浜にて撮影。1982年3月であるが、大垣夜行を名古屋で乗り捨て、接続する関西本線の一番列車がご覧の列車であった。DL率いる旧型客車での運用は現在では全く信じられない光景であるが、ご覧の通り車両の上には架線が張り巡らされており、今か今かと電化開業を待つばかりのムードであった。

こちらのお馴染みのフォトであるが、拡大するとやはり迫力が違う。1983年4月に撮影した筑肥線区間電化直後の唐津にて撮影。真新しい島式ホーム2面4線の唐津は文字通り生まれ変わり、それまでの「唐津」「東唐津」「山本」と行き先によって使い分けていた唐津市民も、この新しい高架化された唐津に統一され非常に便利になった。

こちらは2008年7月に撮影したひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦にて。側線には「茨城交通」が停泊していたが、もちろん現役であろう姿ではなかった。阿字ヶ浦よりの延伸計画がささやかれる中、当時は全くそのような気配を感じなかったが、現在はかなり具現化しているようで、2024年に延伸開業予定となっている事が発表されている。私の訪問時にはホームのかさ上げや安全柵などは設置されおらず、シーズンになると上野からの臨時列車が運転されていた名残を感じる必要以上に有効長の長いホームが真っ直ぐ海に向かい伸びていた記憶であった。

こちらも私のブログではお馴染みの80系湘南色は中央本線・辰野で1982年8月に撮影。右隣に停車しているスカ色の115系は中央線の夜行普通列車・長野発新宿行きで、私が乗っていた列車である(夜行列車が115系ですよ、115系!)。辰野でやや停車時間があったので跨線橋を渡り即効で撮影した。もちろん入場券も買ったが、現在は塩嶺トンネルが開通し、辰野には特急列車がやってこなくなってしまった。80系は当時でも異色に映り、ちょうどこの頃より飯田線の車両が新型の119系に置き換わる過渡期であったので、これが最後の撮影だなと子供ながらに感じていた。しかしながら80系実際に乗車してみたかったが叶わず・・・残念!
例えばこんな話がある。某書籍により「鉄道アナリスト」と「全駅制覇」の対談が実現したが(レールファンならこの表現でこの2名をお察しいただけると思われるが)、その対談の中で国鉄時代の古い車両について鉄道アナリストは「最新の車両等をターゲットに旅をしている。古い車両は博物館に飾っておくもの」と表現したが、全駅制覇は「都会ではほとんど残っていない古い車両や駅を求め地方へ旅をするのが楽しみ」と表現。同じ鉄道でも人によって楽しみ方や視点が違うのは当然である。鉄道以外の他のジャンルにおいても言えるが、だからこそ面白いっていう事だ!私はどちらかというと、最近は「全駅制覇」の方の考えにやや近いかも知れないが、やはり国鉄時代の車両や駅が現在も活躍していると非常に嬉しくなる。というか、私のブログをご覧になればお分かりになると思うが、私の場合は本当に国鉄時代の記事には力が入ってしまう。今回もそんな思いをブログに載せて、昭和の方はもちろん、平成や令和(?)の方もじっくりと国鉄を楽しんでいただけたら幸いである。

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お馴染み南部縦貫鉄道は野辺地にて1983年に撮影。急行「八甲田」で朝一番に下車した私は大湊線に乗り換える際に停車中の南部縦貫鉄道の一番列車が偶然にも停車していたので思わず跨線橋よりシャッターを切ったのだが、この東北の旅では南部縦貫鉄道の制覇予定を組み込んでいなかったのが今になってはものすごく悔やまれる。

私のブログでは超お馴染みのフォトである電化直前の関西本線富田浜にて撮影。1982年3月であるが、大垣夜行を名古屋で乗り捨て、接続する関西本線の一番列車がご覧の列車であった。DL率いる旧型客車での運用は現在では全く信じられない光景であるが、ご覧の通り車両の上には架線が張り巡らされており、今か今かと電化開業を待つばかりのムードであった。

こちらのお馴染みのフォトであるが、拡大するとやはり迫力が違う。1983年4月に撮影した筑肥線区間電化直後の唐津にて撮影。真新しい島式ホーム2面4線の唐津は文字通り生まれ変わり、それまでの「唐津」「東唐津」「山本」と行き先によって使い分けていた唐津市民も、この新しい高架化された唐津に統一され非常に便利になった。

こちらは2008年7月に撮影したひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦にて。側線には「茨城交通」が停泊していたが、もちろん現役であろう姿ではなかった。阿字ヶ浦よりの延伸計画がささやかれる中、当時は全くそのような気配を感じなかったが、現在はかなり具現化しているようで、2024年に延伸開業予定となっている事が発表されている。私の訪問時にはホームのかさ上げや安全柵などは設置されおらず、シーズンになると上野からの臨時列車が運転されていた名残を感じる必要以上に有効長の長いホームが真っ直ぐ海に向かい伸びていた記憶であった。

こちらも私のブログではお馴染みの80系湘南色は中央本線・辰野で1982年8月に撮影。右隣に停車しているスカ色の115系は中央線の夜行普通列車・長野発新宿行きで、私が乗っていた列車である(夜行列車が115系ですよ、115系!)。辰野でやや停車時間があったので跨線橋を渡り即効で撮影した。もちろん入場券も買ったが、現在は塩嶺トンネルが開通し、辰野には特急列車がやってこなくなってしまった。80系は当時でも異色に映り、ちょうどこの頃より飯田線の車両が新型の119系に置き換わる過渡期であったので、これが最後の撮影だなと子供ながらに感じていた。しかしながら80系実際に乗車してみたかったが叶わず・・・残念!
例えばこんな話がある。某書籍により「鉄道アナリスト」と「全駅制覇」の対談が実現したが(レールファンならこの表現でこの2名をお察しいただけると思われるが)、その対談の中で国鉄時代の古い車両について鉄道アナリストは「最新の車両等をターゲットに旅をしている。古い車両は博物館に飾っておくもの」と表現したが、全駅制覇は「都会ではほとんど残っていない古い車両や駅を求め地方へ旅をするのが楽しみ」と表現。同じ鉄道でも人によって楽しみ方や視点が違うのは当然である。鉄道以外の他のジャンルにおいても言えるが、だからこそ面白いっていう事だ!私はどちらかというと、最近は「全駅制覇」の方の考えにやや近いかも知れないが、やはり国鉄時代の車両や駅が現在も活躍していると非常に嬉しくなる。というか、私のブログをご覧になればお分かりになると思うが、私の場合は本当に国鉄時代の記事には力が入ってしまう。今回もそんな思いをブログに載せて、昭和の方はもちろん、平成や令和(?)の方もじっくりと国鉄を楽しんでいただけたら幸いである。

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懐かしの盟友たち・アゲイン⑩
2021-08-20
今回は比較的近年に撮影したものと昭和の時代に撮影した物をランダムに織り交ぜてみた。千代田線以外は全てアナログ撮影であるが、平成になってもあえてアナログを使用していた事にこだわりを感じていただけたら幸いである。

こちらは2009年の一発目の旅である1月に撮影した紀州鉄道は紀伊御坊にて。写真の604は、当時現役であった603の部品確保用としての役割であったが、2010年に解体されたとウィキの報告がある。個人的な意見であるが、西御坊~日高川を復活していただいてキハ600を運転していただいたら最高なひと時であろうと思う。

続いてこちらは既に紹介している急行「能登」と同じタイミングで撮影した高崎でのショットであるが、右隣に停車中の列車は私が乗車していた「ムーンライトえちご」である。残念ながら失敗作であったが、あえて載せた気持ちを察して頂ければ幸いである。

こちらは2008年頃に取手で撮影した「常磐線」と表現していいのか分からないが、営団、いや、東京メトロ車両の6000系。綾瀬までは常磐線であるが、綾瀬では常磐線との乗り換えは不可能で、綾瀬と北千住の関係は非常に複雑である。私は千代田線を直通し、そのまま大手町からロマンスカーで帰郷したが、地下鉄内のロマンスカーはやはり不思議な感覚であった。

こちらは1982~1983年頃に西高島平で撮影した都営6000系。という事はもちろん都営にての現役時代である。これはお馴染み私が所属していた中学の「部活」での撮影であるが、現在は同種の車両が秩父鉄道の5000系として活躍している。

最後はご存知箱根登山鉄道であるが、こちらも1982年頃に撮影。当時新鋭だった1000形も現在はベテランの域に達した。隣の113はこの撮影の3年後に廃車されたとウィキの報告にあった。

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こちらは2009年の一発目の旅である1月に撮影した紀州鉄道は紀伊御坊にて。写真の604は、当時現役であった603の部品確保用としての役割であったが、2010年に解体されたとウィキの報告がある。個人的な意見であるが、西御坊~日高川を復活していただいてキハ600を運転していただいたら最高なひと時であろうと思う。

続いてこちらは既に紹介している急行「能登」と同じタイミングで撮影した高崎でのショットであるが、右隣に停車中の列車は私が乗車していた「ムーンライトえちご」である。残念ながら失敗作であったが、あえて載せた気持ちを察して頂ければ幸いである。

こちらは2008年頃に取手で撮影した「常磐線」と表現していいのか分からないが、営団、いや、東京メトロ車両の6000系。綾瀬までは常磐線であるが、綾瀬では常磐線との乗り換えは不可能で、綾瀬と北千住の関係は非常に複雑である。私は千代田線を直通し、そのまま大手町からロマンスカーで帰郷したが、地下鉄内のロマンスカーはやはり不思議な感覚であった。

こちらは1982~1983年頃に西高島平で撮影した都営6000系。という事はもちろん都営にての現役時代である。これはお馴染み私が所属していた中学の「部活」での撮影であるが、現在は同種の車両が秩父鉄道の5000系として活躍している。

最後はご存知箱根登山鉄道であるが、こちらも1982年頃に撮影。当時新鋭だった1000形も現在はベテランの域に達した。隣の113はこの撮影の3年後に廃車されたとウィキの報告にあった。

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懐かしの盟友たち・アゲイン⑨
2021-08-15
さて今回も駅でさりげなく撮影した車両たちを紹介しよう。近年のものと1980年代のものを合わせての紹介となるが、特に江ノ電は私の地元でもあり昭和の風景が懐かしい。恐らく全て紹介済の写真であるが、こうして拡大してみると更に迫力が増す。ただ、1980年代に私は北陸方面は未踏の地であったので地上時代の福井・金沢等を知らないのは心残りである。

2008年の福井か金沢であったと思うが457系か475系の交直両用電車。かつては急行「くずりゅう」などに使用されていたと思われるが、北陸本線は新潟寄りと米原寄りの2箇所でデッドセクションがあるのでこうした車両は必須であったろう。残念ながら東京寄りの東海道では見かかれた事がなかったのであまり馴染みがなかったが、上野に行けば急行「まつしま」などで極希にお目にかかれた。

こちらは小淵沢で撮影した215系であるが、なんと今年(2021年)に運用を終了してしまったとウィキの報告があり驚いた。デビューが1992年であるからまだまだいけるであろうと思うのだが、かなり勿体無いイメージでもある。座席を改良して「ムーンライト」などに転用しても面白そうであったが・・・ムーンライトやライナー自体の設定がなくなってしまった現在ではその使い道が思い浮かばないのは残念である。例えば相鉄とJRの相互乗り入れ車両などに使ってみるのはいかがですかね・・・


続いては1982年頃と思われる、お馴染み私の中学時代の「部活」で撮影した腰越~江ノ島間の江ノ電である。撮影当時は既にそれまでの「江ノ島鎌倉観光」から「江ノ島電鉄」に社名が変更されていたが、江ノ島鎌倉観光時代から江ノ電の愛称で親しまれてきたため、社名変更があっても昔からの愛称で全然違和感無く、むしろ社名と一致してスッキリ感がでたイメージだった。

続いては1982年頃に鶯谷で撮影した山手線113系である。こちらは部活ではなくあくまで個人での撮影であるが、などと一枚の写真を見てよく覚えているなと自分でも感心してしまうが、鶯谷では上野を出発した列車が地上階と高架階の線路がちょうど合流する地点にあるため、上野に行かなくても鶯谷でいっぺんに写真に収める事ができる利点があった。特急撮影のついでに収めた山手線が今や貴重な一枚になるとは・・・

最後は1981年頃に武蔵白石で撮影した、ご存知鶴見線である。現在は車両更新の関係から大川支線の起点は安善に変更されたが、それでも随分と窮屈なスペースに駅とホームを作ったものだと感心してしまう。もちろん、島式ホーム右側は貨物列車も通るのだが、本当に貨物列車が通っていたのかと心配してしまうくらいの空間であった。

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2008年の福井か金沢であったと思うが457系か475系の交直両用電車。かつては急行「くずりゅう」などに使用されていたと思われるが、北陸本線は新潟寄りと米原寄りの2箇所でデッドセクションがあるのでこうした車両は必須であったろう。残念ながら東京寄りの東海道では見かかれた事がなかったのであまり馴染みがなかったが、上野に行けば急行「まつしま」などで極希にお目にかかれた。

こちらは小淵沢で撮影した215系であるが、なんと今年(2021年)に運用を終了してしまったとウィキの報告があり驚いた。デビューが1992年であるからまだまだいけるであろうと思うのだが、かなり勿体無いイメージでもある。座席を改良して「ムーンライト」などに転用しても面白そうであったが・・・ムーンライトやライナー自体の設定がなくなってしまった現在ではその使い道が思い浮かばないのは残念である。例えば相鉄とJRの相互乗り入れ車両などに使ってみるのはいかがですかね・・・


続いては1982年頃と思われる、お馴染み私の中学時代の「部活」で撮影した腰越~江ノ島間の江ノ電である。撮影当時は既にそれまでの「江ノ島鎌倉観光」から「江ノ島電鉄」に社名が変更されていたが、江ノ島鎌倉観光時代から江ノ電の愛称で親しまれてきたため、社名変更があっても昔からの愛称で全然違和感無く、むしろ社名と一致してスッキリ感がでたイメージだった。

続いては1982年頃に鶯谷で撮影した山手線113系である。こちらは部活ではなくあくまで個人での撮影であるが、などと一枚の写真を見てよく覚えているなと自分でも感心してしまうが、鶯谷では上野を出発した列車が地上階と高架階の線路がちょうど合流する地点にあるため、上野に行かなくても鶯谷でいっぺんに写真に収める事ができる利点があった。特急撮影のついでに収めた山手線が今や貴重な一枚になるとは・・・

最後は1981年頃に武蔵白石で撮影した、ご存知鶴見線である。現在は車両更新の関係から大川支線の起点は安善に変更されたが、それでも随分と窮屈なスペースに駅とホームを作ったものだと感心してしまう。もちろん、島式ホーム右側は貨物列車も通るのだが、本当に貨物列車が通っていたのかと心配してしまうくらいの空間であった。

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