廃止路線を訪ねて⑪(矢部線)
2013-02-26
思わず宝塚系の「瞳」を思い出してしまいそうな矢部線は、かつて九州は鹿児島本線・羽犬塚から黒木を結んでいた「特定地方交通線」であった。私から見ると、同じ九州にある、あの「筑豊地区」の網の目のように張り巡らされた炭鉱路線である「添田線」や「漆生線」等よりもかなり地味な存在であった。というより、敷設目的が違うから当然であろうか、石炭とは「無縁(無煙?)」の世界でもあったのか?一応計画では宮原線とドッキングして機能させる大胆な予定であったらしいが、もしそうなっていたとしたら・・・
私は1983年4月1日に訪問している。この時の九州上陸は、なんと「青春18」のみで上陸している。つまり東京より「18」で乗れる列車のみで九州にたどり着いたのだ!これについては後日旅日記にて紹介しようと思うが、全く持って「若さゆえの」行動であったのであろう。
鹿児島交通廃止の噂を聞きつけ訪れた後、急行「かいもん」を八代から鳥栖まで乗車。「かいもん」は夜行急行列車であるが、青春18では乗れず「別料金」。普通夜行列車が無かったためである。甘木線(当時)を制覇の後、いよいよ矢部線に突入する。羽犬塚に7時32分に到着。8時ジャスト発の矢部線に乗換え黒木へ向かう。

沿線風景としては典型的な「ローカル線」と同じであった。しかしながら若干「生活」の匂いを感じ取ることもできた。それは九州最大の都市近郊にあるからかも知れないが、それなりに乗客の姿もあり活気に満ちていたと思われたが、やはりその「絶対数」が足りないのであろうと思われる。「それなり」では「経営」の立場で考えると「あなたならどうする?」と問われるはずだ。
途中、筑後福島では若干の乗り降りがあった。しかしながらこの時は「春休み」である。通常なら学生諸君が多数利用するらしい、という私も当時は学生であった。事情はよく承知している。
さて、列車は程なく黒木の到着したが、乗ってきた列車で折り返し羽犬塚へ向かう。停車時間は5分。何もできないまま折り返していった。
制覇自体が「地味」に終わってしまった。当時は制覇するのに必死であったため、この後「佐賀線」にも訪問しているが、印象は薄い。
この九州の旅とは別に「ワイド」で九州一周を計画していたが「お蔵入り」となった。北海道一周と同じく計画未達成であった。九州ワイドでは、あの網の目のような「炭鉱路線」を一気に制覇する予定であった。残念ながら「一生」制覇できなくなってしまった。あの「室木線」や「添田線」など、今考えたら魅力たっぷりの路線が沢山あった。僅かに残った路線は、特に筑豊本線や篠栗線などは「生活路線」として大きく脱皮した。
そう考えると、この矢部線の体験は本当に「地味」ではあったが、逆にその「地味」さ加減を体験できた事が貴重なのかもしれない。黒木駅の写真を眺めながら薄っすらとかつての記憶が甦ってきた。

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私は1983年4月1日に訪問している。この時の九州上陸は、なんと「青春18」のみで上陸している。つまり東京より「18」で乗れる列車のみで九州にたどり着いたのだ!これについては後日旅日記にて紹介しようと思うが、全く持って「若さゆえの」行動であったのであろう。
鹿児島交通廃止の噂を聞きつけ訪れた後、急行「かいもん」を八代から鳥栖まで乗車。「かいもん」は夜行急行列車であるが、青春18では乗れず「別料金」。普通夜行列車が無かったためである。甘木線(当時)を制覇の後、いよいよ矢部線に突入する。羽犬塚に7時32分に到着。8時ジャスト発の矢部線に乗換え黒木へ向かう。

沿線風景としては典型的な「ローカル線」と同じであった。しかしながら若干「生活」の匂いを感じ取ることもできた。それは九州最大の都市近郊にあるからかも知れないが、それなりに乗客の姿もあり活気に満ちていたと思われたが、やはりその「絶対数」が足りないのであろうと思われる。「それなり」では「経営」の立場で考えると「あなたならどうする?」と問われるはずだ。
途中、筑後福島では若干の乗り降りがあった。しかしながらこの時は「春休み」である。通常なら学生諸君が多数利用するらしい、という私も当時は学生であった。事情はよく承知している。
さて、列車は程なく黒木の到着したが、乗ってきた列車で折り返し羽犬塚へ向かう。停車時間は5分。何もできないまま折り返していった。
制覇自体が「地味」に終わってしまった。当時は制覇するのに必死であったため、この後「佐賀線」にも訪問しているが、印象は薄い。
この九州の旅とは別に「ワイド」で九州一周を計画していたが「お蔵入り」となった。北海道一周と同じく計画未達成であった。九州ワイドでは、あの網の目のような「炭鉱路線」を一気に制覇する予定であった。残念ながら「一生」制覇できなくなってしまった。あの「室木線」や「添田線」など、今考えたら魅力たっぷりの路線が沢山あった。僅かに残った路線は、特に筑豊本線や篠栗線などは「生活路線」として大きく脱皮した。
そう考えると、この矢部線の体験は本当に「地味」ではあったが、逆にその「地味」さ加減を体験できた事が貴重なのかもしれない。黒木駅の写真を眺めながら薄っすらとかつての記憶が甦ってきた。

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